公国商人 作:ゔぇにすのしょーにん!
ミスをしたかもしれない。
ただし、後悔はしていない。
公正取引委員会の家族の殆どは皆既に合州国へ渡っている。
後は大公さえ始末すれば…私の仕事は本当に終わるだろう。
サンドラがまだ出発していないのが、私にとっての気がかりだった。
バセスクが用意した共和国製の9ミリ拳銃を隠し持ちながら、家に置いてきた45口径と彼女のことを想う。
「合州国に渡る時は家族全員
そんなことを言う彼女に送り出されてから、既に1日と半分が経とうとしている。
願わくば彼女が考えを改めて、共和国の仮住まいを後にしてくれていれば良いが…
護送車列の準備が整うまで、我々はオペラ座の本部から出られずにいた。
しかしマリーが郵便局へ行くのを止める者も、止められる者もいなかったので、私は連合王国にいる合州国のスパイ・"ライオン"と連絡を取ることができた。
マリーが運んできたのは暗号化された短文。
"明日""昼過ぎ""大通り"
嘘だろう?
真昼間の大通りで"あんなこと"をやろうってのか、正気じゃねえ。
そう思っても私に主導権はないのだ。
大人しく、役割を果たすしかない。
合州国が万事握っているはずだし、私は割り振られた仕事をこなしていれば良いのだ。
余計な心配をせず、余計な情を持たず。
…情、か。
やはり失敗だっただろうか?
心配しているのは連邦人のことだ。
奴ら、ちゃんと合州国の圧力に従うだろうか。
マリーが運んできた短文にはそのことに言及があった。
"承諾"
考え過ぎか?
奴らがあんな屈辱を平然と受け入れたのか?
こんな仕事をし過ぎたせいで、どうやら私は猜疑心の塊になってしまったらしい。
だから命の恩人から電話を貰った時も、思わず疑ってしまった。
『オペラ座本部正面にある通りから2本逸れたところにある裏路地で会おう。王国内の公国右派について情報がある。』
「ルィバルコ少佐?」
『外交上の理由から、これ以上は電話口ではいえない。頼む、来てくれ。』
声色から、彼女が未だに私を気遣ってくれているのが分かった。
ただし、私は腹立たしかった。
少佐殿。
あなたはもう少し残酷であるべきだ!
大国に挟まれた小国らしく、護送車列の準備は未だ時間を要するようだった。
先ほどの電話はオペラ座に盗聴されていることだろう。
その上でも、持ち場を離れる理由は考えつく。
ロフスキ少佐と話してオペラ座本部を出た。
あの女豹が不思議なくらいすんなりと要求を通したのが怖かったが、オペラ座もオペラ座で護送車列の準備に手一杯のようだった。
先ほどの電話を盗聴していたとして、脅威とは感じていないのだろう。
つまり、ロフスキは私の目的に気づいている可能性が高い。
奴は既に、現段階では王国が第一に警戒すべき相手ではないと勘づいている。
オペラ座を出てすぐに逃げ出したくなったが、そんなことをすれば全てが水の泡。
だからこそやりきるしかないのに、ルィバルコ少佐のせいでグラつきそうになっている。
彼女が何と言おうと、私は半ば公然の密会を手早く済ませるつもりでいた。
少佐は馬鹿正直に、自分で言った地点に立っていた。
本当に重要な情報を持っていたなら、不用心にも程があるだろう。
つまり私に提供すべきだと思うような情報はないのだ。
彼女はおそらく…私を止めに来ただけ。
「…王国は燃えないと言ったな?」
「"風上にいてください"と言いました。」
「それは飛び火と何が違う!?…王国右派は乗り気だぞ!連邦とやり合う気なんだ!」
「少佐殿、我々は決められた手札の中で最良を選んだはずです。それはあなたも承知でしょう?」
「いいや!…ロディ、お前は最後の最後で手札を誤った!分かっているんだろう!?…何故だ!?何故…………本当に何故なんだ…」
ルィバルコ少佐は私の胸ぐらを掴んで自身の方に引き寄せたが、その肩は小刻みに震え始めた。
なるほど…そうか。
マルダヴで彼女が私にやってくれたことを、今度は私がやらねばならない。
「……少佐殿。あなたはもう少し、冷酷でいてください。国政に片足を突っ込むなら、その程度の冷酷さは必要です。」
「残された奥方はどうするんだ、ロディ…!」
「………」
「お前は…お前こそ冷酷であるべきだったんだ!何故身分保証を連邦にさせた!?自殺行為だぞ、この馬鹿者!!私に言えば!私を頼ってくれればお前は安全に共和国を出られたんだ!!」
「それこそ王国右派に口実を与えます。共和国は南からではなく、東から燃える。…あなたは古巣の海軍から失望され、今後の味方を失う。…連邦が我々の身分を保証するなら、そうはならない。王国はこれから起こることに対して、公式にも非公式にも無関係でいられます。ただ単に"自衛の必要"に迫られるだけだ。"縦深の確保のために"……少佐殿こそ分かっておいででしょう?」
寂しい路地裏には、啜り泣きだけが反響している。
私は最後の最後で安全策を放り投げた。
陰謀をやるには、あまりに出来損ないが過ぎる真似だろう。
それでも、マルダヴの恩人を裏切るわけには行かなかった。
この誠実の対価が、べらぼうに高いものになるにしても。
「……お前のことだから、腹案はあるんだろう?それともお前の仲間やあの副官は、お前の無計画な選択を知らないのか?」
「マルダヴであなたに助けられたのは、私だけではないんですよ、少佐殿。内海の補給がなければ我々は全員野垂れ死んでいた。…合州国は"前金"を払いました。私の妻以外は既に海を渡っている。だからその…彼らも承知の上ですよ。」
「………手に負えなくなったら…」
「それはできません。ご存知かと。」
「では、お前の奥方のことは…せめて任せてくれ。」
「不躾ながら、"息子"のことも頼みます。」
ルィバルコ少佐の目線が更に鋭くなった。
「…本当に………本当にお前の考える将来が訪れると思うのか!?連邦の連中の動きさえ読めないお前が、10年後のことなんてどうして分かる!?大公を殺せたとして、お前は奥方を未亡人にして息子を女手一つで育てさせる事になるんだぞ!?合州国の見返りに、それだけの価値はあるのか!?」
「軍人のあるべき姿を追求するならば、それこそ少佐殿のように『我々がそれを防ぐ』と断言すべきでしょう。ですが、私にそれはできません。"それ"は確実にやってきます。例え今回が不発でも、20年以内に…早ければ5年もしないうちにやってきます。そして、連邦が復興を成し遂げれば成し遂げるほど、王国の痛手は大きくなるでしょう。」
「それは…敗戦を意味するか?」
「いいえ。決して。ただし王国はより多くの若者の命を必要とします。国土の大半は戦場と化す。少佐殿が手を焼いているオルロフ大使の言っていることも、一部だけ筋の通るところもあるのです。」
「………」
「"それ"がやってきた時、共和国は王国の緩衝地帯になり得ないかもしれない。それこそ共和国を王国の衛星国とする方が安全です。…彼らにその考えがあるかは分かりませんが。まあ、当然のことながら公国は燃え盛りますがね…残っていればですが。」
「お前の行為が成されたら、公国など消えて無くなるさ。そもそも大公家は王国の王室に繋がる家系だ。公国のクーデターに王国が動かないのは…」
「…焦って動く必要がないからですな。連邦は元より手が出せない。公国の右派クーデターに介入すれば面倒ごとが増えるだけだ。…国内の右派で手一杯なのに。独立国、としての公国はこれで終わる。このクソが片付いたら、そこは王国の衛星国になるでしょう。」
「未練はないのか?」
「まったく」
「………そうか。」
ルィバルコ少佐は落ち着きを取り戻し、謀略のゲームに相応しい高級軍人へと戻っていく。
私といえばもう覚悟を決めていたから、あとは淡々と実行していくだけだった。
「私もこんなことはこれで最後にしよう。これが終わったら、仕事は仕事と割り切ってやるようにするよ。…寂しくなるよ、ロディ。」
「自分の寿命を息子と妻に与えるだけです、そう悲観しないでください。こういう選択ができること自体、私の本来の立場から言えば恵まれているんですから。」
「分かった…だが、約束してくれ。最後まで諦めないと。…もし……もしダメなら、私がケリをつけてやる。」
「言えた手前ではありませんが、どうかよろしくお願いします。」
「その程度は信用してくれ。…"元気でな"、"また会おう"」
ルィバルコ少佐は去り、私は足早にオペラ座本部へと戻っていく。
あの狼の巣穴に行くのは気が引けるが、そこに行かなければ私と同じように…自身の寿命を家族に捧げる選択をした30名前後の同志の決意は水泡に帰す。
私が戻った時には、魂の支払い期限を知らさせる護送車列の準備が既に整っていた。