公国商人 作:ゔぇにすのしょーにん!
あの美しく恐ろしい少佐の本拠地には2度と行きたくないと感じたが、ご馳走になったコーヒーはまたいただきたいと思った。
何も知らない礼儀知らずな田舎者のフリをして、豆だけでも貰って来れば良かったのだろう。
いや、待て。
そんな真似をしようものなら、あの少佐のサーベルの餌食になりそうな気もする。
「ありがとう…本当に、ありがとう」
とか言われながらサーベルで切りつけられ、
「一度公国の蛆虫を撃ってみたかったの!」
とか言われながら拳銃で撃たれそうな気がする。
とはいえ、新しい勤め先である大使館からくすねて来た安物のコーヒー豆では、純粋な苦味以外を感じることもできはしない。
文句を言っても始まらぬ。
私は大使館で"鹵獲"したコーヒー豆を、マルダヴで"鹵獲"した旧帝国軍のコーヒーミルで挽き、首都勤務時代のオフィスで"鹵獲"したケトルとフィルターで飲料にする。
共和国での住居は公国政府が提供したには珍しく十分快適なものだったが、大使館からは距離があり30分ほど歩かねばならない。
朝のいい運動だと自分に言い聞かせ、コーヒーをホルダー…これも首都勤務時代の"鹵獲品"…に入れて、来週サンドラが来ることになる宿舎を後にした。
朝の共和国は、大公国首都のそれより冷えている。
私はコーヒーをちびりちびりとやりながら、職場に向けて歩みを進めていく。
街並みと人々の往来を眺めながら、片手にはコーヒー、片手にはブリーフケースを持って出勤する生活に、私は適応しつつある。
私は歩みを進め、いつもより早く行程の半分を終えた。
ここから先が正念場だ。
行程の残り4分の1あたりでいつも"奴ら"に出くわす。
今日こそは"奴ら"に捕まらないように祈っていたが、それは叶わなかった。
「軍人さん!軍人さん!タバコを買ってくれよ!」
タバコ売りの兄妹にまた捕まった。
私が外国人である事を知っていて、驚くべきことに王国語で語りかけてくる。
いつもは知らないフリして足早に通り過ぎるのだが、今日は人通りがいつもより多く歩速を緩めねばならない。
「軍人さん!軍人さん!そこの、山岳帽の軍人さんだよ!」
公国軍伝統の山岳帽を被っているのは共和国でも私とマリーと大使館の駐在武官だけだろう。
マリーは反対方向に住んでいるし、駐在武官は自動車通勤だ。
つまりは、彼らは私のことを呼んでいる。
「ワカラナーイ!ワタシ、キョーワコクゴ、ワカラナーイ!」
カタコトというにはあまりに拙い共和国語を喚きながら、私はどうにか距離を取ろうとする。
軍人はタバコを嗜むステレオタイプがあるせいか、それでも兄妹は諦めない。
完璧に近い王国語でなおも追ってくる。
「安くするから!買っておくれよ!」
ここまでの執念たるや天晴れ!
私も観念して、兄妹の方へと向き直った。
「悪いんだがね、君達。私はタバコはやらないんだ。もっと…こう…それっぽいような人を探すといい。」
「あら?…この前より良いものを用意したのね。」
聞き覚えのある声がすぐ隣から聞こえ、私は恐らく血相を変えた。
まさかこんな街の雑踏の中で、『オペラ座』の課長少佐殿と出くわすことになろうとは。
ヨランダ・ロフスキ少佐がフェデラル・ビルを2、3枚取り出し、執念深い兄妹からタバコを幾つか買い取っている。
『オペラ座』の酒保では公定価格で売っているのだから、そちらで買えば良かろうものを。
私には理解し難い感覚だし、少佐がここにいるという事実はもっと理解し難い。
「ああ、これは大尉。おはようございます。奇遇ですね、こんなところでお会いするとは。」
「これはこれは…少佐殿。この前はお招きいただきありがとうございました。」
「そう身構えていただかなくとも大丈夫ですよ、大尉。ちょうど、大尉とお話ししておきたいことがあったものですから。」
ん?これはひょっとして仕組まれていたのでは。
タバコ売りが颯爽と消えていったので、私は疑念を持たざるを得ない。
「あ…あ〜あ…それでしたら…立ち話もなんですから、改めてこちらからお伺いしますよ。」
ついでに高級豆もくすねますよ。
「いえいえ、お手数をおかけしてしまうのもご迷惑でしょう。私の方から出向きます。」
………断れねえええええ。
絶妙に断れねええええええ。
この間仮にも「同志」だのなんだの言われて高級品ご馳走になった手前、今度はこちらのオフィスに来たいって言われたら断れねえええええええ。
「わ、わかりました。いつ頃おいでになりますか?」
「い・ま・か・ら♪」
「い・ま・か・ら?」
屈託のない笑みを浮かべる少佐。
必死に言い訳を考える私。
「いえ、あー、あのー、恥ずかしながらこちらのオフィスはまだ色々と散らかっておりまして…」
「あら?情報の漏洩をご心配なら杞憂ですよ?大尉の任務は武器密輸に関連する調査のはずです。ならばむしろ情報を共有する方が得策と考えますが?」
断れねええええええ。
今の少佐の発言を直訳するならば…
「テメェんとこの失態で迷惑してんだからよ、そっちの持ってる情報くらいよこしやがれ、カス。それとも見られたら困るようなモンでも集めてんのか?ん?」である。
これを断ればそれこそ『オペラ座』から変な方面で疑われかねない。
例えば共和国の内情を探っていると思われても仕方がないし、それは間違っても私の任務ではないが、疑念を持たせた以上はこの恐ろしい少佐に口実を与えてしまうことになる。
仕方がない、ここは少佐の言う通りにするしかなかろう…。
大使館の入り口で少佐の入館手続きを終え、サーベルと9ミリ拳銃をお預けいただいてから2階にある私のオフィスに案内する。
私の内心では少佐から腰に9ミリ拳銃を当てられている気分だし、実際に穏やかな笑みを浮かべる少佐がそのように私を引っ立てていてもおかしくはない気がした。
まるで強盗に遭っている裕福な市民のような気持ちで自身のオフィスへと入っていくと、そこにはすでにマリーがいて、私と彼女の2人分のコーヒーを淹れていたところだった。
「ちょっと!大尉、遅刻です…しょ、少佐殿!」
マリーがバチっと音を立てて姿勢を正すのを見たのは久しぶりな気がする。
オフィスは質素というよりかは"何もない"と言った方がしっくりくるような有様で、私とマリー用の事務机と椅子、中央に大きなテーブルがある以外には本当に何もない。
大きなテーブルの上には我々が公国の首都で得た数少ない成果が散らばっている。
ロフスキ少佐はバチっと音を立てて姿勢を正し、マリーに対して共和国独特のあの敬礼を披露すると、早速と言わんばかりにテーブルの上の資料を手に取った。
「申し訳ありません、少佐。お恥ずかしいところを…マリー、少佐にコーヒーを」
「お気遣いは結構、それより大尉?この報告書を書いた担当者は頭に穴でも空いているのですか?」
少佐から不意急襲的に高射砲ばりの高初速弾が飛んで来たので、私はなすすべもなく動きを止める。
「『東部第三補給基地で老朽化した倉庫より出火』、『保管されていた書類は全焼』、『事故調査委員会は自然発火として処理』……こんな報告書を書く方も書く方ですが、受け取る方も大問題だ。」
「ロフスキ少佐…残念ながら、それが公国軍の実態です。第三補給基地は公国の中でも"指折り"でした。出火さえなければ調査委員会が記録を調べるはずだったのです。」
「つまり…調査委員会の誰かが買収されていた。その後事故調査委員会も買収して、武器横流しの事実をもみ消した。」
「マリー、少佐に灰皿を!…我々の任務は武器の流出先を調べることです。誰が金を出して、横流しされた武器を受け取っているのか。」
「大尉、視野を広く持ちましょう。倉庫に放火した糞も、それをもみ消した糞も、どこかの同じ糞が噛んでいるとみなすべきだ。…買収された豚共は何を受け取っていますか?」
ロフスキ少佐の言葉の節々から罵倒に近い表現が飛び出てくる。
私は脂汗を垂らし始めたところだ。
マリーがようやく灰皿を持ってきて少佐の近くに置いたが、少佐は我々に最早何の断りもなくタバコに火をつけた。
なんと言うか…辛うじて理性が彼女に敬語を使わせているが、我々が外国軍の将校でなかったら、礼儀など投げ捨てて正面から罵倒されていたことだろう。
「賄賂として流通しているのは…フェデラル・ビルだと思われます、少佐。」
「連邦…………?」
ロフスキ少佐が嫌悪と憎悪を足して4を掛けたような表情を浮かべる。
とても先ほどまで「い・ま・か・ら♪」とか言ってた人物と同じ人間とは思えない。
私は最早震えていたし、マリーは先日の私の様子が決して大袈裟でもなんでもなかったことを知って愕然としているようだった。
「なるほど…
「ロ、ろろっ、ロフスキ少佐、あの、そのっ、連邦の誰が武器を受け取ったのかは現在我々も調査中で」
少佐が凄惨な表情を柔らかな笑みに変えてこちらを見る。
もう私には、少佐の表情は、朝会った時に見た素敵な笑顔には見えなくなっていた。
この笑顔の裏に般若がいると知ってしまったのだから。
「ええ、勿論そうでしょう、大尉。…と、いうことは近々連邦の誰かとお会いするのでは?」
「はい、合同調整局のバルヒェット大佐とお会いすることになっています。」
今舌打ちした。
今絶対ロフスキ少佐舌打ちした。
あまりに物の無さすぎるオフィスが、少佐の小さな「チッ」という舌打ちまで増幅させてしまった。
「そうですか…では、老婆心ながら一言忠告を、大尉。連邦人は金をばら撒くのが趣味です。どうか我々の敵と同じ種類の人間にはならないよう、くれぐれもご用心を。」
「心します」
「大変よろしい。それでは私はこの辺りで。これからも相互の協力が促進されることを期待します。…申し訳ありませんが大尉、出口までご一緒いただけると有難いのですが。」
………
ヨランダ・ロフスキ少佐を大使館の外へと送り出すと、私はポケットからハンカチを取り出して脂汗を拭う。
オフィスへと戻るために大使館内へと歩を進めるが、今度は2階ではなく地下へと繋がる階段を目指した。
地下は暖房の類いがなく、その空間は底冷えしている。
私は吐く息が白くなるのを感じながらも、目的の部屋を目指した。
その部屋の入り口には表札がある。
『大公国国務省塩公正取引委員会』…私はその部屋のドアを開けると、すぐ目の前で震えていたマリーに声をかけた。
「大丈夫か、マリー?」
「寿命が3年縮みましたよ、大尉」
「私は10年縮んだよ。皆、よくやってくれた。」
20名ほどの『公正取引委員会』の面々に向け、私は声を掛ける。
全員が掛けていたヘッドホンを外して、私の方を見た。
その内の1人がニヤリと笑う。
「しかし、まあ。共和国のご令嬢はご立腹ですね。」
「無理はなかろう、軍曹。ただ、彼女の注意はこれで密輸の方へと向いたはずだ。」
「あまり時間はありませんよ。『オペラ座』はまさしく演技のプロです。我々の猿芝居にいつまで騙されてくれるか。」
「マリーの言う通りだ。ロフスキ少佐がいつ我々の本当の目的に気がついてもおかしくはない。」
「いっそのこと、もっと多くエサを与えても良いのでは?」
「軍曹、ロフスキ少佐は例え我々がエサを隠していても見つけ出すさ。彼女は狂犬だ。後で言い訳がましく伝えてやればいい。」
脂汗がなおも止まらず、私はコートを脱いでスタンドに掛ける。
本当に恐ろしい、狂犬というものの本性を垣間見てしまった。
「とにかく、"後見人"の指示を履行しよう。武器の受取人を探して、右派のパイプを洗い出すんだ。我々の障害は最早公国政府ではなく『オペラ座』ということになるだろう。くそ、…我々の目的を彼女に知られてみろ、あのサーベルで微塵切りにされるぞ!」