公国商人 作:ゔぇにすのしょーにん!
大戦時
マルダヴ山脈
帝国軍の野戦砲弾が飛んできて、防御陣地の地表を削り取る。
私は右手で古いライフル銃を握りしめて、頭に被るエルドリアン・ヘルメットを左手で押さえつけながら塹壕に潜っていた。
「頭を出すな!頭を出すんじゃない!全員そのまま待機だ!頭を出すなよ!」
砲弾の衝撃と音でどうにかなりそうだったが、恐怖心を紛らわせるためにも叫び続ける。
この砲撃が終われば、敵は攻撃を仕掛けてくるだろう。
我々の塹壕の背後には迫撃砲がいて、敵の接近に併せて照明弾を打ち上げる手筈になっている。
砲撃で迫撃砲がやられていなければ、であるが。
永遠に続くかと思われた砲撃がようやく止まり、私は恐る恐る塹壕の淵から頭を出す。
目の前には静まり返った夜が広がっていたが、その中に月明かりを受けて蠢く何かがいることを確かに見て取った。
なんてことだ!近接されてる!
「照明弾!照明弾を打ち上げろ!敵は近接してるぞ!全員立て!立つんだ!」
少し遅れてから照明弾が上がる。
マグネシウムに照らされた地表には、シュタールヘルムを被った男たちの一団が浮かび上がっていた。
敵は近接を察知された事を知ると立ち上がり、98年式ライフル銃を手に雄叫びを挙げてこちらに迫ってくる。
「立て!立って戦え!撃てッ!撃つんだッ!撃ちまくれえええ!!!」
重機関銃が真っ先に発砲した。
密集した敵の突撃隊形の先頭を薙ぎ払い、ようやく立ち上がった部下達のライフル銃がその後を追う。
私も古いライフル銃を構え、照星と照門をあまり見る事なく引金を引き、ボルトを前後させ、また引金を引く。
すぐ隣で、カンッという甲高い音がした。
7.92ミリ弾の直撃を頭に喰らった部下が倒れ込み、私の顔には血糊がベッタリと貼りつく。
もうそんな事も気にしていられない。
照星の向こう側にいる敵兵は着実に大きくなっている。
それは更に大きくなり、やがては敵のシュタールヘルムに描かれた帝国の国章までくっきりと見えるに至った。
…………………………………
現在
共和国駐留連邦軍基地
「………尉?大尉?」
連邦軍大佐が呼び戻してくれたので、私はマルダヴ山脈の思い出から帰還できた。
目の前の大佐には失礼だが、彼女の向こう側にある連邦国旗に描かれた双頭鷲が、私をそう遠くはない過去へと誘ったのだ。
ディアナ・フォン・バルヒェット大佐もそれに気がついたようで、少し心配そうな表情をする。
「大尉?最近あまりよく眠れてないんじゃないの?」
「これは大変失礼致しました、大佐。お恥ずかしながら、不眠症でして。」
「あら、それは大変ね。帰りにルイボス茶を持っていくと良いわ。私も時々、お世話になるの。」
「ああ!いえ!そんな!申し訳がありません!」
「良いのよ。気にしないで、大尉。あなたともお友達になりたいと思ってるのよ?」
バルヒェット大佐はロフスキ少佐より恐ろしいと感じていた。
『オペラ座』の"演劇"は確かに極めて素晴らしいものだ。
私との初対面の応対における"演劇"は、彼女の目的を十分に達成させたはずだろう。
『オペラ座』の演劇は見る観客の能力を適切に選別し、適した人間には確実なメッセージを送りつける。
反対に言ってしまえば、『オペラ座』からのメッセージを受け取れる人間には分かりやすい。
この辺は諸刃の剣とも言えるのだろうが、『オペラ座』には"その能力がある人間にとっては、手の内まで見えてしまう"という欠点があった。
少佐の上手いところは、合間合間に"寸劇"を入れたり、質の高い"脚本"をしてこちらを撹乱する能力がある事だろう。
偶然を装って外国の大使館に入る口実を作ったり、屈託のない笑みで「い・ま・か・ら♪」とか言ってみたり。
こちらとしてはその場その場の対応に追われてしまい、彼女らの真意を図り損ねる危険がある。
バルヒェット大佐の危険性はロフスキ少佐とは真逆の方向だと感じた。
『オペラ座』の演劇は、裏を返せば"演劇をしなければならない"と言うことでもある。
つまりは嘘を固めて脚色し、創意工夫を凝らさなければならない。
強烈な照明や華やかな衣装、そして目まぐるしいストーリーに目を奪われがちになるが、そこから一歩下がり、注意を凝らしていれば何となく先の展開を予測できなくもない。
この2児の母親にその手を用いる必要はない。
彼女とロフスキ少佐の間で決定的に異なる点…それは
この手の人間は下手な嘘はつかない…そもそもつく必要がない。
嘘をつかないとは言わないにせよ、相手を嘘で騙しきれるとは基本的に考えていないし、だからこそ嘘に少しだけ真実を混ぜてしまう。
相手から何かを完全に隠したい時、大佐のような人物は『言わない』のだ。
雄弁は銀、沈黙は金。
上から余計な塗料を使うことが完全にないわけではないが、できるだけ使わない事を好む。
連邦軍の軍司令部が合同調整局のトップに大佐という、将官手前の階級を置いた意図が痛いほどよく分かった。
同盟国の…それも主従関係のはっきりとしている同盟国の大佐が「言わない」といえば、いかにロフスキ少佐のような人間でもそれ以上の深掘りなどできはしない。
つまるところ、大佐はロフスキ少佐のように無駄な工夫をする必要がないのだ。
ただ単に共和国に強力なプレゼンスを持つ、西側の大国の高級将校としてどっしり構えていれば良い。
「言わない」ことが許される絶対的な優位を持っているし、その優位の使い方も熟知している。
大佐は連邦のための情報を絞りたいだろうから全てに口を閉ざすような事はしないが、真実全体の何割を話しているのかについては熟考する必要があるだろう。
こういった人物に対しては間違っても借りを作るような真似をしてはならないが、それ故に今、許されるならば私の隣で大佐お手製のクグロフをボリボリと貪っている副官を殴り飛ばしたかった。
「
「あはは…気に入ってもらえて何よりだわ…」
大佐のお人柄的に、普段ならもう少し爽快に笑いたかったのだろう。
ところが大公国から派遣された"代表"が、不眠症でボケッとしている大尉と飢えた野盗のような中尉だったのでドン引きしているのだ。
なあ、マリー?
お前がお菓子大好きな甘党系女子であることは認めるが、何故大佐にはディアナとバルヒェットという姓名の間に"
これではまるで封建領主に年貢を納めに来た農民ではないか。
午後の睡魔とマルダヴの記憶にやられていた私も私なのだが、マリーも甘いものを目の前にすると暴走する癖があった。
「まだ沢山あるから、どうかそれも持って帰ってちょうだいね?少し作り過ぎてしまって…」
「あ、ありがとうございまふ!」
「誠にお恥ずかしいところを…」
「いいのよ、大尉。何というか…一周回って新鮮な気持ちだわ。まぁ、でも…クグロフならその辺のお店にもあるでしょうに。」
「大尉ったらケチで全然良いお店に連れて行ってくれないんですよ!」
情報を提供してどうする?ん?
お前、私の副官だろ?
上司の情報を進んで提供する副官がいったいどこの世界にいやがるってんだ?ん?
というか、お前今クグロフで私を売ったな?
上司をクグロフで売りやがったよな、おい?
「公国の経済状況については知っているわ。失礼なら気を悪くしないで欲しいけれど、同情する。できれば"お土産"を渡したいところだけど」
「クグロフれすか!?」
「頼むよマリー、5分でいいから黙っててくれ」
「…いいえ、まあ、あなた達が喜びそうなものよ。でも、ロフスキ少佐には会ったんでしょう?」
「はい」
「じゃ、
「ええっ!?クグッろふぅぅぅッ!?」
マリー、すまない。
私としても女性に手を挙げるという紳士らしからぬ真似はしたくなかった。
でも5分間だけでもいいから黙っていて欲しくて脇腹に拳をぶつけてしまったんだ。
本当にすまない、マリー。
悶える副官をそのままにして、大佐との懇談に戻る。
「それで…大佐。武器密輸の案件についてご報告したいことがあります。」
「あら、早速?公国軍はどこまで掴んでいるのかしら?」
「武器密輸に使われているのはフェデラル・ビルのようです。言いにくいのですが…連邦に心当たりはありませんか?」
「単刀直入ね、大尉。けれど早計ではないかしら?フェデラル・ビルなら王国や共和国でも流通しているわ。」
大佐の言うことは至極真っ当、100パーセントの真実だろう。
ただし、いったいどれだけのことを"言っていない"のかはわからない。
問題は大佐の言う真実が、真実全体の何割なのか。
私の仕事はその"言っていない"情報を引き出すことだし、そのためにはある程度リスクを負わなければなるまい。
「実を言うと…このような資料が…」
私は持参してきたブリーフケースから1冊のファイルを取り出すとそれを大佐へと手渡す。
それを読んでいく大佐は視線を鋭くさせていった。
そのファイルが彼女を"2児の母親"から"連邦軍大佐"へと変貌させていく。
「…確かに。この資料にあることは本当よ。私たちもその会社がダミー会社で、連邦の右派組織の窓口じゃないかと思ってる。」
「賄賂と武器密輸の報酬がそこから出ているとすれば、連邦右派と公国右派が繋がりますね。」
「確証はないけれど、私達は共和国右派の背景にも連邦の右派がいると見てるわ。」
すべて真実だろう。
大佐にはそれを話すだけのメリットがある。
ただし、そこから先はきっと知り得ることはできない。
「連邦の右派組織は、共和国や公国の右派と連携する事で何を狙っているのですか?」
「悪いわね、大尉。そこから先は答えられない。」
ほらね?
「連邦の内政問題よ、分かってちょうだい。」
「勿論です、大佐。」
「ありがとう。物分かりの良い男はモテるわよ?…あなた達となら上手くやっていけそうだわ。さて、そろそろ切り上げないと。今日は良い話ができたわ…あっ、クグロフとルイボス茶は持って帰ってちょうだいね。」
「あはは、それでは、お言葉に甘えてありがたく頂戴致します。…こちらとしても
「ええ、歓迎するわ、大尉。私たちもできる限りの範囲で手を貸しましょう。…それにしても公国の情報能力も侮れないわね。」
「さあ…申し訳ありませんが、我々とは部署が違いますから、能力について評価する立場にありませんよ。今回のは
「いいかしら、大尉?諜報作戦に
………
「最後の言葉にはゾッとしたな。」
帰りの車の中でそう呟く。
"次はこちら側で"、か。
あの大佐は私が共和国入りする前から、私の経歴を知っていたわけだ。
マルダヴの山の中で旧帝国軍と戦ったという経歴を。
いまだにクグロフを齧りながら運転しているマリーが、柔らかな生地を口に含んだまま私に問いかける。
「…気づかれましたかね?」
「飲み込んでから話せ!まったく!…確実に気づかれてるな。エサに使うにしては高級すぎる情報だった。」
「あんな情報、公国の情報網が掴んでたら建国以来の快挙ですよ。」
「アイツらには花だけ持たせてやったが、効果はないだろうね。あの大佐は、情報が公国以外から入手されたものだと気づいたに違いない。」
「ただし、どこから提供されたものかまで、正確に予測はできないかと。順当に考えれば王国発の情報と考えるでしょうね。」
「ああ、"後見人"の事など想像もしないだろう。…油断は大敵だがな。ところで、いつまで食べる気なんだ?」
「クグロフですか?今日と明日でいただいた分は全部平らげますよ。」
「………あれ全部か?」
眉を顰めながら後部座席を振り返る。
そこには大佐お手製のクグロフが入った箱が所狭しと詰め込まれていた。