寒空の下、星の影を踏み締めて駆ける。
冷たい風が頬を撫でる感触が熱く火照った身体を冷やし、それがすごくすごく心地良くて、このまま何処までも行けるような気がした。
月が照らす草原の景色は美してくて、もっともっと走りたいから、私は煩わしくなってきていたマフラーを外し、熱の籠ったうなじを晒して外気に触れさせた。
体温を含む羽毛のそれを握り締め、前方を見やる。
誰もいない景色を見て、少しだけ上がった息を整えた。
振り返り、その人を呼ぶ。
「トレーナーさん」
邪魔になったマフラーを預かっていて貰いたくて、ついでにコートも脱いでしまいたくて、いつも傍にいる、大切な人へ呼びかけた。
見れば、私のトレーナーさんは何だか小さくなってしまって、遠くへ行ってしまっていた。
「もうっトレーナーさんっ」
仕方が無いから、来た道を戻る。
私の傍に居てくださいって、いつも言っているのに、トレーナーさんはいつもそうだ。
目を離すとすぐに何処かへ行ってしまう。
小走りで駆けるトレーナーさんに、私も少し走って近付いて行く。
「スズカ」
「トレーナーさん」
何かを言おうとしていたのだけれど、忘れてしまって後の言葉は続かない。
何を言おうとしていたのだったか。
「スズカ、風邪引いちゃうよ」
だって、走ったら暑くなってきちゃって。
そう言おうとしたけれど、声は出なかった。
上の星空も滲んでしまって、何だか曇り空のよう。
「スズカ。寝るならちゃんと、お布団に行こう?」
そう言えば、マフラーは何処にやったかしら。
視界が滲む。
気が付けば目の前に、横向きになったトレーナーさんの顔があった。
身体はとても温かい。でも何だか重たくて、動くのも億劫に感じてしまう。
視界はボヤけ、思考も同じくらいボヤけている。
「スズカ。炬燵で寝るのはよくないよ。
はい、立って」
「ん……」
よく分からないけれど、取り敢えず両手を伸ばす。
トレーナーさんに引っ張り上げられて、私の身体を冷たい外気が纏った。
その冷たさが凄く嫌で、私は抗議の為にトレーナーさんにしがみ付いた。
「うー……」
「はいはい。そのままで良いから。お布団まで運んじゃうね」
寒い。寒いのは嫌だ。
でもトレーナーさんは暖かい。
暖かいものは好き。
裸足の足先が冷たくて、擦り合わせて冷気を誤魔化していると、柔らかい羽毛の上に乗せられた。
「冷たい……」
「すぐに温かくなるよ。じゃあお休み、スズカ」
まるで、我儘な子供をあやすみたいだと思った。私、そんなに子供じゃないのに。
トレーナーさんに仕返しをしてやろうと思った私は、部屋から立ち去ろうとするトレーナーさんの手を何となく握ってみる事にした。
「スズカ……?」
別に、怖いとか寂しいとか、そんなのじゃない。
ただ何となく、一緒にいて欲しかった。
話したい事とか、特にあるわけじゃないけれど。
ただ、私が眠るまでそこにいて欲しいのだ。私が走っている時、後ろから追いかけてくるように。私が歩いている時、隣を同じ歩幅で歩いてくれるように。
私が眠っている時、ただそこにいて欲しかった。
「トレーナーさん」
「なぁに?」
何となく呼んでみると、当たり前のように返事が返ってくる。
そんな当たり前の事が、何だか少し可笑しかった。
「私、夜空の下を走ってたんです」
「うん」
「雪じゃなくて、草を踏み締めて、それが月に照らされて、風が、すっごく冷たくって……」
「……気持ちよかった?」
「多分……。だって、すっごく楽しかったから、すっごく、気持ちよかったんです」
「今度一緒に行こう。雪が降る前に、正夢にしちゃおっか」
「はい」
柔らかなトレーナーさんの声を聞いていると、何だかまた眠気が襲ってくるようだった。
瞼が少しずつ重くなっていくのを感じる。
トレーナーさんの手を握っている方の手からも、少しずつだけれど、力が抜けていった。
ふと思いついて、トレーナーさんに声をかけた。
「トレーナーさん」
「なぁに?スズカ」
私は何も考えないまま答えた。
「呼んでみただけです」
優しい声、あなたの声が心地良くて、微睡んでいく意識の最中、そんなささやかな悪戯を敢行する。
「スズカ」
「……なんですか?トレーナーさん」
見上げた先のトレーナーさんの瞳は、なんだか月のようだった。
「呼んでみただけ」
「ふふっ……」
同じ事を返されただけなのに、何だかそれが可笑しくって、笑ってしまった。
もう力も入らない。
また、楽しい夢が見られるだろうか。
「お休みスズカ」
そう言って額に降ってくる柔らかな感触が凄く心地よくて、きっとまた、良い夢が見られるだろうなと、そう思った。
「おやすみなさい。トレーナー、さ」
どうか、夢の続きが見られますように。