——通達。
 強化巨人戦士成功被験体第一一七号、アーラ・アッカーマン。
 貴公を新たにマーレ陸軍戦士隊戦士監察補佐官兼、マーレ戦士特務執行官に命ず。
 これからもより一層、祖国マーレのためにその心臓を捧ぐべし。
 以上——。

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友よ、この心臓を預けます

 

 私の〝島〟に対する第一印象は〝静寂〟だった。

 

 澄んだ青空から薄らと影を落とす白雲も。

 頰と黒髪を撫でる乾いた潮風も。

 生き物の影すら見当たらない剥き出しの荒野も。

 

 目に入る全ての光景がどんな戦場よりも色濃い死臭のような静寂を感じさせた。

 

 真横に並び立つ4人の〝戦士〟もまた、その死臭を嗅ぎ取ったのだろう。

 皆、一様に黙り込んで荒涼とした地平線を眺めている。

 その胸に秘めている思いは、恐怖だろうか。

 あるいは、後悔だろうか。

 決意だろうか。

 それとも、もっと複雑な、筆舌に尽くしがたい覚悟だろうか。

 

 どちらにせよ、私には彼らの気持ちなど真に理解できるはずもない。

 

 だって。

 

「さぁ! 早く行こう、みんな! 待ちに待った〝聖戦〟だよ!!」

 

 私の心臓はこんなにも(たかぶ)っているのだから。

 

---

 

 私はマーレのとある軍事施設内で生を受けた。

 そして「アーラ」という素敵な名前も同時に授かった。

 〝翼〟という意味が込められたそれは(ただ)のプロジェクトネームでしかなかったらしいのだけど、それでも私はこの名前をとても気に入っている。

 厳重に閉ざされた実験棟の中で、この名前だけが外の世界へと羽ばたくための希望だったから。

 

 外に出る許可が下りるには何年もかかった。

 その間に同じ実験室で暮らしていた家族はみんないなくなってしまったが、とにかく私は無事に立派なマーレの尖兵としてお上に認められたのだ。

 

「貴様は我ら誇り高きマーレ軍の従順たる刃であれ。

 その翼が擦り切れて()げるまで、その身命の一切を捧げるのだ。

 血の一滴すら祖国の礎となれることを望外の喜びとして戦い、そして死ね」

 

 新しく上官となった特別警察の長はそう言った。

 

 その言葉に、私は当然のことだと強くうなずいた。

 私達はマーレの力となるために誕生させてもらい、死なせてもらったのだ。

 その果てに生き残った私は、途中で抜け落ちた羽根を一枚一枚貼りつけて光栄にも〝(アーラ)〟を名乗ることを許された。

 

 翼を手に入れた私の使命はただ一つ。

 マーレのために戦い、希望を運んでくることだ。

 この国でいずれ生まれ、死んでいく命のために心臓を捧げることを誇りこそすれ、どうして恐れを抱くだろう。

 

 それから数年、私は幼いながらも軍人としての訓練と職務に励み、新たな任務を言い渡された。

 

 マーレの戦士、正確にはその戦士候補生の監察補佐官である。

 人智を超えた巨人の力を扱うため特別な訓練を施された優秀な少年兵達。

 彼らと共に過ごし、その動向を逐一観察、報告する。

 そんなお仕事。

 

 またそれら戦士候補生の訓練や任務、生活に至るまでの凡ゆるサポートをこなすことも職務に当たるようであった。

 彼らは少年兵であるため歳の近い私を側に置いておくのが何かと都合が良かったのだろう。

 私はほどなくして監督役であるテオ・マガトという陸軍将校の直下として正式に配属される運びとなった。

 

 戦士候補生は七人。

 いずれもマーレ秘蔵の巨人を預けるに相応しい優秀な子達であり、そして同時に一癖も二癖もある曲者揃いであった。

 

「やあ、君が新しくマガト隊長の補佐をするって子?

 俺はマルセル・ガリアード。よろしくな!」

「うん! 私、アーラ・アッカーマンって言います! これからよろしくね、マルセル!」

 

 最初に会話したのはマルセルという少年。

 機転が効き、チームの和を取り持つムードメーカー気質の爽やかナイスガイであった。

 戦士隊のリーダーではないが中心人物は間違いなく彼だといえよう。

 

「俺は気に食わねぇけどな、兄貴。

 世話役とか言いつつ、どうせ俺達の忠誠心を測るためのスパイなのさ」

「なんだ? ビビってんのかよ、ポッコ!」

「あァ? 何だとライナー、もう一度言ってみろよ。俺が何にビビってるって!?」

「何度でも言ってやるさ! 真にマーレへの忠誠を誓っているならそんな疑念は出てこない! 紛れもない軍に対する背信行為だ! 俺がマガト隊長に直訴してきてやるよ!」

「てめぇ……! 調子に乗んなよドベのくせに!」

 

 そして流れるように喧嘩をし出したのは、マルセルの弟ポルコ・ガリアードに、エルディア人とマーレ人のハーフ、ライナー・ブラウン。

 突如始まった取っ組み合いに私は面食らったが、どうやら日常茶飯事であるようで周りの戦士候補生はまた始まったよと若干呆れ気味なようだった。

 

「はいはい、そこまでにしときなよ2人とも。顔合わせなんだから、そうカッカしなくてもいいでしょ?」

「そうそう。ピークちゃんの言う通りだぞ、ポッコ、ライナー。ちゃんと良い子にしてろ。

 悪いな、見苦しいところ見せちゃって。

 俺はジーク・イェーガー。この戦士隊の戦士長を勤めてる。……まぁ、まだ予定だけどな!」

 

 そんなポルコとライナーの喧嘩を慣れたように仲裁したのは、ピーク・フィンガーとジーク・イェーガー。

 2人とも戦士らしい沈着さを持ち合わせた優秀な人材だと一目でわかった。

 特にジークさんからは底知れないものを感じる。

 表面上は(ほが)らかに笑っているが、その内面にドロドロとした粘性の炎を(くゆ)らせている気がして、初見はこれがマーレの戦士長かと気圧(けお)されたものだ。

 

「そら、残り2人も挨拶しな」

「ベ、ベルトルト・フーバーです! よろしく……!」

「…………アニ・レオンハート」

「よろしくね! ベルトルト、アニ!」

「……気安く名前呼ばないで」

「ええ〜、そんなこと言わずにさ! 仲良くしよ?」

「私は仲良しごっこをしに戦士になったわけじゃない。用は済んだでしょ? もう帰る」

 

 アニはそう言い残してさっさと立ち去ってしまった。

 女の子同士だし友達になりたかったのだが、どうやらアニはとてもぶっきらぼうな性質(たち)らしい。

 

「おい、アニ! ったく、すまないな。あいつも……まぁ、根は悪いやつじゃないんだ。できれば仲良くしてやってくれ」

「わかってるって! もちろんだよ、マルセル。私も同年代の友達とかいたことないからさ。うなじにかじり付いてでもアニとは友達になるつもりだから!」

「それはさすがに迷惑だからやめような……」

 

 そうして戦士候補生達との顔合わせは終わった。

 なかなかに大変そうな任務だが、それに反して鼓動は興奮で高鳴っていた。

 同世代の少年少女と言葉を交わすのは数年ぶりだったからだ。

 

 何より彼らは〝マーレの戦士〟で、私はその補佐官だ。

 きっと尋常な軍人では想像も絶するような死地へと赴くことになるのだろう。

 そんな戦地へ私も同行する。

 十中八九、死ぬ。

 なんと名誉なことだろうか。

 彼らのために死ねるなら、それは最高の栄誉と言ってよい。

 私の背負った命達も無駄にはならない。

 やっとマーレのために死ぬ順番が回ってきたのだ。

 その事実に、私は高揚を隠せなかった。

 

 それからしばらくして戦士候補生7名のうち6名がマーレより巨人の力を賜った。

 マルセルが顎、ライナーが鎧、アニが女型、ベルトルトが超大型、ピークが車力で、そしてジークが獣の巨人だ。

 

 ポルコは残念ながらあぶれてしまい巨人の力を授かる栄誉を逃してしまった。

 マルセルが何か上と掛け合った結果らしい。

 その負い目が原因か、最近の彼はどうにも元気がなさそうで少し心配だ。

 まったく、責任感が強いのも困りものである。

 この調子で大丈夫なのだろうか。

 

 

 明日は、待ちに待ったパラディ島への潜入任務だというのに。

 

 

---

 

 島への潜入初日。

 現在の時刻は夜。

 昼間はそれなりに晴れていたのだが今は雲が立ち込めている。

 おかげで月明かりすら遮られてしまったため、私達は行軍を一時中断して野営の準備を始めた。

 

「やっぱり夜はあまり進めないな」

「できれば巨人が活動停止してる間に壁まで行きたかったんだけどね。そう上手くはいかないかぁ」

 

 私は焚き火の面倒を見ながら、ぼそりと呟かれたマルセルの言葉に努めて明るくそう返した。

 指揮官である彼が落ち込んでいる今、戦士のモチベーションを維持するのは私の仕事だ。

 

「でも明日には壁まで辿り着くはずだよ。途中からは馬を捨てて顎と女型に乗り換えて行く予定だし、夕刻までには余裕で到着できそうだね」

「ああ……そうだな。後戻りはできない。俺達は明日、壁を……」

「…………」

 

 焚き火のパチパチと弾ける音だけが静寂にこだまする。

 よくない空気だ。

 どうしようかと思っていると、不安に駆られたのか、ライナーが立ち上がって声を上げた。

 

「どうしたんだよ? まさか島の悪魔を殺すことを躊躇っているのか? 奴らが何をやったのか忘れたのか!?

 俺達は世界を代表して、悪魔を裁くべく選ばれた戦士なんだ!」

「ライナー……」

 

 ライナーの一喝を受けてマルセルはさらに項垂れた。

 膝の上で組んだ手が小刻みに震えている。

 抱えきれない重荷に耐えかねたかのようだった。

 

「ライナー、すまない……」

「は?」

「お前は本当は、戦士に選ばれるはずじゃなかったのに……お、俺が、お前を持ち上げたり、弟を貶めたりして、軍に印象操作した……!」

「……何、言ってんだよ」

「俺は……ただ、弟を守りたかった。

 すまない、ライナー……本当にすまない……!」

 

 ライナーは金槌で頭を殴られたように放心していた。

 自分の立っている地面が本当はひび割れたガラスだったのではないかと、疑心でどこにも視線を向けられない。

 

 そんなライナーを見て、次に自分が墓まで持って行くつもりだった事実を打ち明けてしまったことに身を焼かれるほど後悔をしているマルセルを見て。

 

「やっと言ってくれたんだね、マルセル」

「……えっ?」

「ありがとう。ちゃんと自分のこと、話してくれて」

 

 私は不謹慎にも、少しほっとしていた。

 

「いやぁ、これでも私だって君と結構仲良くしてるつまりだったんだよ。

 でも全然頼ってくんないし、何にも相談してこないし、ぶっちゃけちょっと悲しかった」

「え……ごめん」

「これからはあんまり抱え込まずに、辛くなったら誰でもいいから相談しなよ。

 あ、あとライナー! 君、鎧を貰ったのが自分の実力じゃないとか思ってるかもしれないけど、多分そうじゃないからね!」

「「えっ?」」

 

 ライナーだけでなく、マルセルも同時に疑問の声を上げた。

 そんなにおかしいだろうか。

 

「だって妥当な差配でしょ。こう言っちゃアレかもだけど、ポルコとライナーでどちらが鎧の巨人に相応しいかってなると私でもライナーを選ぶと思うよ」

 

 実際、マガト隊長が適任だと判断したからライナーに鎧が託されたのだ。

 突っ走りがちなポルコは攻撃型の顎が似合っているけど、その枠はすでにマルセルがいたし。

 

「隊長はたとえ戦士候補生の進言だとしてもコロコロ意見変える人じゃないよ。あの人は戦士一人一人をよく見てるから。

 鎧の巨人の役目はマーレの盾になることだもん。ライナーが今まで必死に努力してる姿をちゃんと見ていてくれたから、マガト隊長は君を鎧に推したんだ」

「あ……そう、なんだ」

 

 ライナーは糸が切れたようにストンと座り込み、震える両手で顔を覆った。

 

「あぁ……ビックリした。ちくしょう……なんだよ、くそぉ。許さねぇからな、お前……マルセル、お前」

「すまない……ライナー」

「いいよ、もう……もう、何が何だかよくわかんねぇよ……」

 

 ライナーの声は怒りとも、悲しみとも、落胆とも、安堵とも、嬉しさともつかない複雑な声色をしていた。

 それを一言で言い表すには、まだ10年という人生は短すぎる。

 

「んー! なんだか私も色々話したい気分だなー! よく考えれば初めて監視とかない任務だし!」

「おいおい……これ以上爆弾を落とすのはやめてくれよ」

「え〜、そんなこと言われたら逆に言いたくなっちゃうじゃん。

 よし、言うわ。

 私、実は戦士監察補佐官じゃなくて対戦士粛清執行官なの」

「え、何その物騒な役職名」

「簡単に言えば戦士が背信行為をしそうになったら背中からぶっ刺すお仕事だよ」

「「最悪じゃねぇか!」」

「おっ、調子戻ってきたじゃん。その感じだよマルセル、ライナー!」

 

 なんだか私は楽しくなって、あっはっはと盛大に笑ってしまった。

 

「でも、いいの? それ言っちゃダメなことじゃない?」

「おー、その通りだよベルトルト。これバラしたら首飛ぶ話なんだよね〜物理的に。笑っちゃうよね!」

「笑えないよ……」

「んふふ、心配してくれてんだ。優しいねぇベルトルトは!」

 

 私はベルトルトのことをよしよしと撫でてあげた。

 彼は赤面して三角座りをしている腕に顔を埋めた。

 

「まぁ別にもうバラしちゃってもいいと思うんだよね。

 正直、黙ってるのも辛いなぁってなってきてたし。

 何より、さ。わかるでしょ? 巨人化能力を持ってる戦士ならともかく、私みたいなただの人間が生きて帰れるわけないってこと」

「……」

 

 そう言った途端、みんな黙ってしまった。

 ミスったかな。そんなつもりじゃなかったんだけど。

 

「あはは! ちょっとしんみりしないでよ〜。

 別に私、自分が不幸だとかこれっぽっちも思ってないし。むしろやっと務めを果たせるんだーってワクワクしてるぐらいなんだから!」

「……怖くないのか?」

「マルセル?」

「俺は、怖いよ。お前の言う通り、こんな任務は本来死ぬしかないものだ。だからポルコを遠ざけた。

 どうして……お前はそんなに勇気があるんだ」

「うーん。勇気、とかじゃないけどなぁ」

 

 私は少し考えてから、胸の内を曝け出した。

 

「例えばさ。

 マーレ人に生まれて、裕福な暮らしをして幸せに生きていても。

 エルディア人に生まれて、差別の苦しみにもがいて生きていても。

 いつか死ぬじゃん。

 幸福でも、不幸でも、ただ生きてるだけの人生だったら、私が生まれた意味がない」

 

 ゴミのように消費されていった家族達を思い出す。

 軍人として処理してきた命達を思い出す。

 

「きっとみんな、空から私を見守ってくれてる。

 私は彼らが繋いでくれた命を運んでいるだけに過ぎないよ。

 マーレのために死んだ彼らによって私は今、生きることを許されている。

 だから私もマーレのために死んで、誰かが今日も生きることを許したい。

 それがきっと、私が生きてる意味なんだ」

 

 そうやって繋いでいく命のバトンこそ、私達が生きてきた歴史そのものなんだと思っている。

 そうでなければ、あまりに失われた命達が報われない。

 

「…………気持ち悪いね」

「アニ?」

「あんたのそういうところ、本当理解できない。他人のためだけに生きてるあんたを見てると虫唾が走るよ。

 一度きりだから人生なんだろ……自分のために生きなきゃ、それこそ無意味だ」

「おい、そんな言い方……」

「あはは! いーのいーの。アニの言う通り、私は多分もうどっか壊れちゃってるんだと思うから」

 

 普通の人は自分が生きる意味とか考えない。

 そんな無意味なことを考えながら、意味を求めて死に場所を探している私は、どこか人として大事な何かを学ばずにここまできてしまったのだろう。

 

「本当はこういうこと言うつもりなかったんだけどね。どうしても話したくなっちゃったんだ。

 死ぬ前に……初めて友達になってくれた君達に、私の考えてること全部伝えたかった。わかんないけど、今しかないって思ったんだよ」

 

 常々思っていたことだ。

 私は数え切れないほどの命を背負って生きて、そして祖国のために死ぬ。

 そこまではいい。

 

 けれど、もしこの考えを誰にも伝えず死んでしまったら。

 その時、誰も私のことを覚えていてくれなかったら。

 私の背負っている全部が、誰にも背負われずになくなってしまうのではないかと思ったのだ。

 

 それは、それだけは嫌だった。

 容認できなかった。

 だから、いつか誰かに話したかった。

 話して、背負った翼を預けたかった。

 預けた人には一生私のことを覚えていてほしくて。

 また別の人に背負ったものを託してくれる人に話したかった。

 

 それが、命を賭けても守りたいと思える友達であってほしかった。

 

「ねぇ。マルセル、ライナー、アニ、ベルトルト。

 わがままでごめん。

 でもさ、もし。もし、君達の重荷にならないなら。

 私のこと、死ぬまでずっと覚えていてくれたら……嬉しいな」

 

 いつしか空を覆っていた雲は晴れていた。

 焚き火の燐光が星の海へと溶けていく。

 身体が軽くなったような気がして、今なら本当に、自由に空を羽ばたけるかもしれないと。

 そう思った。

 

---

 

 そして明朝、出立の準備の最中。

 ソレは起きた。

 ライナーの背後、その足元。

 地鳴りと共に地面がひび割れ、ただ人を食うばけもの(巨人)が顔を覗かせた。

 

「ライナー!」

 

 呆然とするライナーを助けるため、彼を真っ先に突き飛ばしたのはマルセルだった。

 しかしその代償として、巨人に体を掴み上げられる。

 突然のことで気が動転していたのだろう。

 巨人を引き継いでまだ日が経っていないことも理由かもしれない。

 とにかく、マルセルは咄嗟に巨人化をすることができなかった。

 

「放せえぇぇっ!!!」

 

 けれど、私だって今まで必死に鍛錬を積んできた。

 パラディ島襲撃、そして始祖奪還計画の過程で無垢の巨人に襲われる可能性も考慮している。

 私は対巨人用にマーレ軍から支給された2刀のサーベルを構え、今まさにマルセルを噛み砕こうとする巨人へと跳躍した。

 

「ガァアアア!!!」

「ぐぉ!?」

「マルセル! 大丈夫!?」

 

 2本のサーベルをそれぞれ巨人の眼球に突き刺し、視界を奪う。

 巨人は堪らずその巨体を振り乱し、マルセルを手放した。

 

「全員早く逃げて!」

「アーラは!?」

「プラン通り! ここで時間を稼いで死ぬ!」

 

 そう。確かに予定外の事態ではあるが、想定外の事態ではない。

 ちゃんとプラン通りだ。

 

 壁に到達するまで、まだ距離がある段階で無垢の巨人に襲われた場合。

 私が囮になって死ぬ。

 なぜなら緊急事態ゆえ、馬や食料を捨てて逃げなければならないからだ。

 速やかに壁を襲撃するため巨人化を乗り継いで到達する必要がある。

 そのため、無駄な戦闘のための変身は絶対にしてはいけない。

 もし到達直前で余力がなくなってしまったが最後、壁の周囲にたむろしている無垢の巨人の群れに対処し切れず、全員喰われてお終いだ。

 

 そうならないため、私が囮になって無垢の巨人を引き付ける。

 この中で生身の運動能力は私が最も高い上、なにより私は戦士じゃない。

 死んだところでマーレの懐は痛まない。

 これ以上ない適任だった。

 

「ほら、早く行って!」

「でも……!」

「早く!!」

「っ、すまない……!」

 

 マルセルは歯を食いしばりながらそう言い残して離脱した。

 それと同時に、巨人も眼球の再生を終えたようだ。

 

「グオォォォ!!!」

「来なよデカブツ。私もタダで死ぬつもりなんてないからね。

 素っ首叩き落としてやるから覚悟しろ!」

 

 幸い、相手は5m級の小型の巨人だ。

 素早く小回りが利く点は脅威だが、頑丈さはそれほどでもない。

 まずは足の腱を削ぎ、動きを止める。

 次に手首、肩、それからうなじだ。

 問題はそれまで刃が持つかどうかだが……それは考えないようにしよう。

 

 私はサーベルを構え、身を低くして蛇のように肉薄する。

 巨人もまた私を食い殺すために走り出し……

 

「グルァァ!!!」

「はっ……!?」

 

 私を素通りしてマルセル達が逃げた方角へと駆け出した。

 

「くっそ、目の前の人間に目もくれないとか……これが噂に聞く奇行種ってやつ!?」

 

 少々動揺したが、そういうことなら逆に都合が良い。

 こっちを狙ってこないのなら余裕を持って切り刻める!

 

「はぁあああ!」

 

 背を向けた巨人に踊りかかった。

 相手が隙だらけである以上、一撃で急所を刈り取れる。

 まだマルセル達も遠くへは行っていないはず。

 こいつを速攻で処理して全力で追いかければ、もしかしたら間に合うかもしれない。

 

 

 まだ、みんなと一緒に居られるかもしれない!

 

 

「あ……れ?」

 

 

 なんで私……〝生きたい〟なんて思ってるんだろう?

 

 

 そんな疑問を感じた瞬間、同時に骨が軋むほどの衝撃と激痛が私を襲った。

 

 

「は……ごふっ、え?」

 

 

 意識が朦朧とする。

 どうやらあの巨人に吹き飛ばされたようだ。

 距離にして10m。

 ほんと、馬鹿みたいなパワーだわ。

 

「グルル……」

「はは……えらく気合い入ってんね……。君、ほんとは知性巨人だったりしない……?」

 

 私の精一杯の冗談に巨人は何も返さない。

 ただただ殺意のこもった瞳でこちらを見つめている。

 

「ガァッ!!!」

「舐めんな!!!」

 

 飛びかかる巨人は先程とは比べ物にならない運動性能をしている。

 まるで何者かが憑依しているかのようだ。

 手負いの私では、交錯の瞬間に片腕を切り刻む程度が関の山だった。

 その腕も数秒あれば再生してしまう。

 何より、残るもう一本の腕で身体を掴まれた。

 

「あーあ……ここまで、かなぁ」

 

 手にしたブレードは根本からへし折れ、私は巨人の手の平に収まっている。

 大蛇に締め上げられるような息苦しさだ。

 数秒ごとに圧力は強まり、ミシミシと体のあちこちから異音が上がる。

 必死に全身の筋肉を強張らせて耐えているが、今にも握りつぶされてしまいそうだ。

 

 私は苦悶の声を上げながら、掴み上げる巨人の瞳孔を垣間見た。

 〝無垢の巨人〟の名に似つかわしくない、ある種の苛立ちみたいなものを感じさせる瞳だった。

 何かの八つ当たりでもしているのか、果実をじっくりと絞るように私の身体を握り潰そうとしていく。

 

「ぐぅ……おえっ……!」

 

 ギリギリと肺が圧迫される。

 酸欠か、目前の景色も次第に霞んでゆく。

 しかしそんな朧げな視界でも、汚らしい涎を垂らす巨人の口腔が、じりじりと迫ってくる感覚は如実に感じられた。

 

 明確な、死。

 避けられない終わり。

 そんなどうしようもない待ち望んだ景色を前に、私の心臓は早鐘を打つ。

 それは祖国の礎となれる歓喜ではなく、なんてことない、死への恐怖に他ならなかった。

 

「おか、しい……でしょ、それは」

 

 なんで一丁前に怖がってるんだ。

 事前に決めていた通りじゃないか。

 私はここで死に、戦士達に意味を託す。

 その結末を誇りに思い、友に心臓を捧げられることに安堵さえしたはずだ。

 

 私は笑って死ぬべきなのに、涙が溢れてしかたない。

 声は震えて、心臓は張り裂けそうで。

 脳裏によぎるのは昨晩、言葉を交わした友達の顔と、声と、匂いと、思い出。

 

 マルセルはいつもみんなのことを気にかけてたな。

 チームが不安な時は矢面に立ち、苦しんでいるメンバーが居れば寄り添って。

 その分傷つくことや悩むことも多かったみたい。

 私は戦士としてのマルセルを頼りにしていて、しかし人として悩むマルセルを支えてあげたかった。

 最期まで、彼に頼られることはなかったけれど。

 

 ライナーは訓練でよく泣いていて、でも決して戦士を諦めようとはしなかった。

 誰かのために必死に戦おうとしている彼は、誰がなんと言おうとマーレの戦士に相応しいと思う。

 最期まで、彼を導くことはしなかったけれど

 

 ベルトルトは戦士の中で最も優しい子だった。

 病気の母のため戦士になり、仲間を気遣い、敵にさえ同情を示すこともあった。

 世界の残酷さに苦悩しながら、それでも大切な人のために立ち向かう勇気を私は尊敬している。

 最期まで、相談に乗ることさえしなかったけれど。

 

 アニとは結局あまり仲良くなれなかった。

 個人主義の彼女とは気が合わなかったのだろう。

 しかし私はブレない自分を持つ彼女を、どこか羨ましく思っていた。

 最期まで、戦う理由すら知らなかったけれど。

 

 死に際の、一瞬にも満たない走馬灯。

 彼らだけじゃない……マーレに残してきた人達も含めて、数えきれない思い出が。

 それが止めどなく溢れてくる。

 みんなとの思い出が溢れて、決壊して、恐怖すら濁流のように押し流した。

 後に残ったのは、汚泥のような後悔だけ。

 

 

「ううっ……あああ、あ!」

 

 

 どうしてもっと顔を見てなかったの?

 

 どうしてもっと声を聴いてなかったの?

 

 どうしてもっと匂いを嗅いでこなかったの?

 

 どうしてもっと知ろうとしなかったの?

 

 どうしてもっと助けになろうとしなかったの?

 

 

 ずっと目の前に居たっていうのに、どうして私は彼らのことを何にも……何にも、知らなかったんだよ。

 そんな疑問に対する答えは、嘘みたいに簡単なことだ。

 

 

 私は、真剣に〝生きて〟いなかった。

 

 

 ずっと死ぬことだけを考えていたから、いつの間にか生きることさえ忘れていたんだ。

 それだけの、単純なこと。

 

 馬鹿だなぁ。

 こんなことにすら、死ぬ前になって初めて気づくなんて。

 

 あぁ、嫌だ。

 死んでしまう。

 こんなところで死にたくない。

 まだ何も彼らのことを知らないのに。

 もっと力になりたいのに。

 

 ……もっと、私のことも知ってほしいのに。

 

 景色が暗闇で包まれる。

 唾液と胃酸の悪臭が、私の末路を物語る。

 

 死にたくない。

 死にたくない。

 

 せめて……もう一度。

 もう一度だけでいいから、彼らに会わせて。

 マルセルに、ライナーに、ベルトルトに、アニに。

 みんなに。

 それで、もっと……。

 

 

「もっと、いっぱい話したかったよぉ……!!!」

 

 

 肺に残った最後の酸素と一緒に吐き出した。

 私の後悔全部が詰まった断末魔。

 全部全部出し切って、それでもまだ心に汚泥を残したまま、なけなしの意識はすうっと闇に溶けていき……。

 

 

 肉を裂き、骨を押し砕く轟音があたり一面に飛び散った。

 

 

「ぁ…………ぇ……?」

 

 

 光が差した。

 暗闇が霧散し、太陽が目蓋の裏を焼く。

 身体を締め上げていた圧力が緩む。

 

 私は困惑に従って、震えながらも片目を開く。

 

 そこに私を喰らおうとした巨人の口蓋はすでになく、代わりにあったのは剛爪を振り抜く見知った巨影。

 

「マル、セル……?」

 

 それは顎の巨人の能力を解放したマルセルだった。

 とっくに逃げているはずなのに。

 なんで、ここに。

 

「アー、ラ!!!」

「な、ん……」

「イイカア、ツカアレ!!!」

 

 地面にへたり込んでいる私に、顎の巨人は血のついていない方の手を差し伸べる。

 私の頭は未だ状況をよく飲み込めず、疑問が(あぶく)のように湧いてはたちまち消えていく。

 

 定まらない思考のまま、それでも私は吸い寄せられるように無我夢中でその大きな手の平に飛び込んだ。

 

---

 

「ぅ……」

 

 ズシン、ズシン。

 大地を踏み鳴らす足音と、飛び上がるほどの振動で目が覚めた。

 肌を刺す乾いた風と硫黄の匂い、そして時折り聞こえてくる唸るような叫び声が微睡んでいた私の意識を呼び起こす。

 

「ここ、は……」

「! マルセル! 目を覚ました! アーラが目を覚ましたよ!」

「本当か、ベルトルト!?」

「良かった……これで一安心だな」

 

 薄く目を開けると、最初に飛び込んできた景色は心配そうな顔をしたマルセルだった。

 隣にはベルトルト、それから奥にはライナーの姿も見える。

 足下に目を落とすと巨大な指が私達を包み込んでいた。

 多分、消去法的にアニの継承した女型の巨人だろう。

 

「あまり動かなくていいぞ。ひどい怪我だから」

「マルセル……」

「悪いがもうすぐ壁に到達する。起きたばかりですまないが、これからかなり揺れると思う。俺が抱えているから、しっかり掴んで離さないでくれ」

「……うん」

 

 もうすぐ壁内。

 その言葉を聞いて進行方向に目を向けると、しばらく先に何十メートルにも及びそうな巨大な壁の影を捉えられた。

 数百年にも及び内に湛えた楽園を守護してきたその外殻は、夕陽に照らされて神秘的なオーラを纏っているようであった。

 

 景色を見て、音を聞いて、匂いを嗅いで、熱を感じて。

 そして何より数刻前と変わらぬ仲間と接することで、私はようやく自分が今生きていることを自覚した。

 

「私……生き残ったんだ」

「ああ。間一髪だった」

「……なんで私なんかを助けたの」

「は?」

 

 思い出すのは先ほどまでの自身の醜態。

 みっともなく涙と鼻水を撒き散らし、普段から死を誇りにすら思うと豪語していた癖にいざとなったらあの様だ。

 あまりの情けなさに吐き気を催す。

 今まで培ってきた価値観全てが砂の城みたいにあっけなく崩れてしまったような気さえする。

 私の人生全部を私自身で否定し尽くしてしまった気分だ。

 

 何より……何より許せないことは、こうしてまたみんなと話ができていることにこの上ない安心を感じてしまっていること。

 それがこの心地よい空間にあって、真綿の縄で首を括られているような気を起こす。

 

 生き残って嬉しいのに、心のどこかであの恐怖を抱いたまま死んだ方が良かったと思う自分がいる。

 本当に気持ち悪い。

 なんでこんな半端な——

 

「アーラ。俺はお前が生きていてくれて嬉しかった」

「え……?」

「ライナーを庇ったとき、俺は死にたかったんだ。

 俺がライナーを地獄に連れてきちまった。そして、これから壁内の人類を大勢殺すのも俺の責任だ。

 全て俺の罪になるんだ。

 それが怖くて怖くて仕方がなかった。だから逃げたかったんだよ。

 ここで死ねば、俺はもうこれ以上自分の責任や選択に苦しむことは無くなるだろうって。楽になれるだろうって」

 

 マルセルは私の背を支えながら言った。

 私は彼の顔を見ずとも、引き攣っている様がありありとわかった。

 

「でも巨人に掴まれて喰われそうになったとき、俺は思わずお前達に手を伸ばしたんだ。

 無意識だったよ。俺は死にたくないって思ってた。

 それで気づいたんだ。みんな一緒のはずだって。

 死にたくないって思うことが罪になる、そんなわけがあってたまるかよ……」

「……それでも、私はもう自分のことすらわからないんだ。

 今まで背負ってきたもの全部放り投げて、あなた達に押し付けて、死ぬつもりだったのに生きたくなった。

 ねぇ、マルセル。

 私は結局何を背負って生きてきたんだろう? 何を背負って生きていくつもりなんだろう?」

 

 背負ったところで、いざというとき放り出すような無責任な奴に、奪った命を背負って生きる資格があるのだろうか。

 その重みに、私は耐えきれる自信がない。

 

「わかんねぇよ。俺にも」

「はは、だよね……」

「けど、はっきりしていることもある。

 人一人が背負うには、命ってのはあまりに重いってことだ」

 

 肩を握る力が強くなる。

 熱をより近く感じた。

 

「だから、みんなで背負おう」

「みんなで……?」

「ああ、そうだ。

 一人じゃ重くて耐えきれなくても、みんなで背負えば軽くなる。

 一人じゃ背負った荷物の名前がわからなくても、みんなで繋いでいけばいつかは名前がわかるかもしれない」

 

 マルセルはそう言って震える腕に力を込めた。

 

「だから俺達は誰一人だって欠けちゃダメなんだよ。

 誰か一人でも欠けちまったら、きっとバラバラになってしまう。

 俺達は一人も欠けずに、生きて故郷に帰るんだ」

 

 私はその震えの中に、生まれたての子鹿のような猛々しさを見出した。

 彼は今、最も苦しく困難な〝生きること〟に正面から向き合うことを決意したのだ。

 それは紛れもないマルセル自身の〝戦士〟としての覚悟である。

 

「俺達はこれから、壁を破壊する。

 数えきれないほどの壁内人類を殺すんだ。

 悪魔の末裔だって、死ぬ時は断末魔ぐらい上げるだろう。

 自分で地獄を創りに行き、自分で創った地獄の中を生きることになる。

 きっと死んでしまいたいと思うことだって一度や二度じゃ済まない」

「……」

「でも、お前らが居てくれたら。支えてくれたら。

 一緒に戦って、一緒にいっぱい殺した責任を背負ってくれるなら。

 俺は……俺は進むぞ。

 〝戦士〟として、俺は俺にできることを精一杯やってやる。

 そして生きて、弟に、家族に会うんだ」

 

 強い人だと思った。

 ライナーやベルトルト、アニもきっとそうだろう。

 みんな、生きて帰って叶えたい願いがあるから地獄に向かって進むことができるんだ。

 

 私はどうだろう?

 私の生きる目的は?

 

 それはあの瞬間脳裏に浮かんだ、素朴でありふれた願い。

 

「うん、生きて帰ろう。

 生きて、帰ったら、色んな話をしよう。

 どんなことでもいい。くだらないことでも話して、みんなと一緒にまた笑い合えるなら……」

 

 私はもうちょっと、頑張りたいと思える。

 生きてみたいと思える。

 

 だから。

 

「マルセル、ライナー、ベルトルト、アニ。

 私の心臓はみんなに預ける」

「俺も、お前達みんなに俺の心臓を預けよう」

 

 背に持つ命と夢を預ける。

 全部なんて無責任はもう吐かない。少しずつだ。

 少しずつ分け合って背負えば、たとえ重くて羽ばたけない翼であっても、いつかきっと飛べる。

 

 白亜の壁はもうすぐそこだ。

 女型の巨人が〝叫び〟を上げる。

 無垢な殺気がそこら中から立ち昇る。

 

 迫る敵地を目前に、私は決意を新たにする。

 未だ張りぼての覚悟であっても、私は決めた。

 選択した。

 もう迷いたくないという、縋るような願望を胸に。

 

 

 友よ。

 かけがえのない私の友達よ。

 この心臓を預けます。

 代わりにあなた達の心臓も、私が死ぬまで預かります。

 

 

 地平線に陽が傾き、燃えるような夕焼けを空に映す。

 そんな空を見上げれば、白い鳥が一羽、飛んでいた。

 


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