氷叢分家のなりすまし   作:仁絵乃羊

10 / 10
雄英体育祭、おしまい編

 騎馬戦は観衆の期待を裏切らない熱戦だった。

 予選一位に与えられた桁違いのポイントを巡っての首位争奪戦と、その隙を突く入賞狙いの謀り合い。開幕直後は二位以下をB組チームが席巻した。クラスぐるみでA組に対抗すべく、予選では順位を捨てて観察と対策に徹していたらしい。

『策としちゃ悪くねえ。だが、妥協なく常に頂点を目指す者とそうでない者。その執念の差を覆すには足りなかったな』

 終わってみれば、B組のチームは入賞の枠に残っていなかった。気持ちだけで勝敗が左右されるわけはないけれど、実力が拮抗するかぎりでは相澤先生の寸評のとおりなのかもしれない。

 一位は緑谷チームと一騎打ちの場を整え、脇目も振らず1000万を奪取した焦凍のチーム。

 二位はB組と派手にやりあったために首位争いに加われなかった爆豪チーム。

 三位は終盤から密やかにポイントを回収しはじめた心操チーム。

 そしてボーダーラインの四位に、焦凍から鉢巻2本を奪い返した緑谷チームが残った。

 

 

 競技が終わって昼休憩となると、ステージからも客席からも人が()けていく。

 凍彦はひとりで観戦席にいたから、ひとりで階段を降りてクラスに合流しようとした。

 けれど慣れない場所で道に迷った。堂々巡りをするほどじゃない。ただ辿り着いた場所が、目指した出口と違う出口だっただけ。

 そこに、なぜだか立ち尽くしている爆豪の姿。

 通路の奥から現れた凍彦に気がつくと、爆豪はいつにない剣幕で目を吊り上げて威嚇してきた。寄るなということか。こちらを無視して出て行けばいいものを、そうしないのはできない理由があるのか。

「個性婚、知ってるよな」

 やや遠く、反響してぼやけた声がした。焦凍の声だ。

 事情を察した。

 凍彦は爆豪の威嚇(きづかい)を無視して近づいて、曲がり角を覗き込んだ。

 

 扉のない出口から差し込む日溜まりの淵で、焦凍と緑谷が壁に背を預けて向き合っている。

 焦凍の口から語られるのは、歴史のおさらいのような内容だ。

 超常以降、第二、第三世代の間で、倫理に(もと)る結婚が横行した。優れた〝個性〟の掛け合わせだけを求めて配偶者が選ばれたのだ。多くの不幸が生まれては育ち、次世代による暴露本や記事が流布しだすと慣いは急速に廃れた。

 一昔前の社会問題の話が、緑谷にしてみれば唐突に、轟家に繋がる。

 

「実績と金だけはある男だ……親父は母の親族を丸め込み、母の〝個性〟を手に入れた」

 これは爆豪は兎も角、凍彦が立ち聞きをするのはまずい。

 俺はわざと靴を鳴らした。

 はっとふたりが振り返り、姿を現した凍彦を見た。

「その親族っていうのがね、うちの本家」

「氷叢くん……!?」

「いたのか」

「ごめん、個性婚の(くだり)から聞こえてた。外したほうがいい?」

「ああ」

「じゃあお先。緑谷、俺も関係者だから、聞きたいことあったらいつでもおいで」

「あ、うん……」

 

 手を振ってふたりの間を通り過ぎる。

 爆豪は隠れたまま出て来なかった。無粋な真似を好む性格ではないだろうに、凍彦に便乗するのが嫌だったのか、ふたりの話によほど関心があって離れがたいのか。

(どっちもかな)

 おそらく、あの場の主題は焦凍でなく緑谷の事情だ。凍彦を遠ざけたのは、聞き手が増えれば緑谷の口が重くなるから。焦凍が話していたのは前払いの対価。襟を開かなければ腹を割ることはできない。

(でも……〝個性〟を貰ったのが、本当なら)

 二つの想定がある。そのどちらかが正解なら、緑谷は喋るわけにいかない。

 ひとつは、緑谷の〝個性〟がオールマイトと同じ起源を持つ場合。荒唐無稽だが、彼らの距離感を思えばなくはない可能性だ。もし天賦の英雄と謳われるオールマイトが人為的に作り出されていたのだとしたら、その()()()()を巡って戦争が起きかねない。

 もうひとつは、あり得るけれどあってほしくない。

 もしも、緑谷に〝個性〟を与えた誰かが、(ヴィラン)だったなら。

(どうやって救えばいい)

 冴え冴えと青い空の下、俺は先の見えない闇の中に迷い込んだ。

 

 

 

 あっさり通り過ぎていった背中を唖然として目で追っていた。とんでもない打ち明け話を挨拶のように流されたら混乱しても仕方ないと思う。

「……氷叢とおまえ、仲いいよな」

「う、うん、良くしてもらってる……」

「言っても仕方ねえけど、羨ましいと思う」

 威圧感のあった低い声が、萎むみたいに力をなくした。

 不思議なことを言うと思った。親戚というのは知らなかったけど、最近のふたりは揃って下校するようになって、クラスでは氷結コンビが定着しつつある。この月曜は相澤先生の課外授業にまでついて来たものだからびっくりした。

「轟くんと氷叢くんも仲いいんじゃ……」

「あいつは……ややこしいんだ。クソ親父は自分にできなかったことを子どもに代わらせようって魂胆だ。横槍が入らねえように、向こうの家には不干渉を約束させた。氷叢が俺に構うのはルール違反で、奴がその気になれば排除されちまう」

「排除って……!」

「させるつもりはねえ。あんなクズにあいつの人生まで滅茶苦茶にされてたまるか」

 深い怒りと憎しみが伝わってくる、重苦しい声だった。僕に向けられた感情じゃないとわかっているのに、身体が竦んだ。

 

 轟くんは左目の周りに触れて続ける。

「誰かが母を救えていたら、この火傷はなかった……『おまえの左側が醜い』と俺に煮え湯を浴びせるまで、母は追い詰められた……」

 ぞっと肝が冷えた。それが悍ましい虐待の痕跡だなんて、誰が思うだろう。僕にとって母はいつも味方でいてくれる人だ。世の中にはそうじゃない親もいるなんて、知ってはいても実感のない遠くの話だった。

「ざっと話したが、俺がおまえにつっかかんのは見返すためと、たぶん……嫉妬ってやつだ。俺には碌でもねえ親父が呪いみたいに纏わりついてくんのに、おまえの側にはオールマイトがいる。氷叢ともしがらみなく付き合える」

「……」

「なんでだ、ってガキみてえに思う」

「……」

 

 目の前に突然、知らない世界が現れたみたいだった。

 いったい何が言えるだろう。本当のことは話せないし、話したってそんなの、僕がどれほど恵まれてるかの自慢にしかならない。

 俯いて口を引き結ぶばかりの僕から、轟くんは顔を背ける。

「言えねえならべつにいい。おまえがオールマイトの何であろうと、俺はおまえの上に行く。クソ親父と同じ炎は使わねえ。使わず〝一番になる〟ことで、奴を完全否定する……時間取らせたな」

「僕は……」

 いったい何が言えるだろう。このまま何も差し出さずに見送るのだけはだめだ。轟くんが打ち明けてくれた話に見合うものなんて持ってない。けれど。

「ずうっと助けられてきた。さっきだってそうだ……」

 騎馬戦で四位に残れたのは、最後の最後に常闇くんが鉢巻を奪ってくれたおかげだ。発目さんのサポートアイテムを借りられて、麗日さんがいたからそこまで戦い抜けた。

 この体育祭だけじゃない。ついこの間の襲撃でも、授業や訓練でも、入試でも、それまでの毎日も、いつだって。

「……僕は誰かに救けられてここにいる」

 

 轟くんは立ち止まって、半分だけ振り返って僕を見た。

 言わなきゃいけない。今。正しい答えなんかわからないけど。

「オールマイトは……憧れで、目標で。彼のようになりたい。そのためには一番になるくらい強くなきゃいけない。君に比べたら些細な動機かもしれない……でも僕だって負けらんない。僕を救けてくれた人たちの思いに応えるためにも……!」

 顔を上げて、真っ直ぐに見る。

「さっき受けた宣戦布告、改めて僕からも……僕も君に勝つ!」

 勝って、示さなきゃいけないことがある。

 

 

 

 客席には明らかに人が増えた。雄英体育祭はここからが本番なのだろう。一対一の対決なら、未来のヒーローたちをじっくりと眺めることができるから。呑気に屋台など巡っていた層も、ここからは見逃せないはずだ。

 今年の趣向はトーナメントバトルで、16名が四回戦を勝ち上がっていくという。

 A組の観戦席も賑やかになったので、凍彦も見世物を楽しんだ。

 緒戦から、緑谷対心操という個人的に大注目のカードで素直に興奮した。

 プレゼント・マイクがルールの説明をしている間にも、四角いフィールドの上で心操は()()を始めていた。スタートの合図で仕掛けては圧倒的に不利な〝個性〟だし、そのくらいのグレー行為は許されるだろうか。緑谷の顔が強張っていく様子から察するに、きっと穏やかでない物言いをしている。

『レディィィイイスタートォ!!』

「なんてこと言うんだ!!」

 開幕と同時に声を張り上げた緑谷は、駆け出そうとした足を止めてしまった。

 

「ああ緑谷、折角忠告したってのに!」

 前の席の尾白が頭を抱え、尻尾をびたびた跳ねさせる。騎馬戦で心操チームに入っていた彼は競技中の記憶がなく、自分の勝利に納得できないという理由でトーナメント出場を辞退していた。

『緑谷、開始早々完全停止!? アホ面でビクともしねえ!! 心操の〝個性〟か!?』

 凍彦は席を移り、女子のほうへ声をかける。

「耳郎、心操が何言ってたかわかる?」

 耳のいい彼女は眉間に皺を寄せながらフィールドを見下ろしていた。凍彦に問われると三白眼をキッと吊り上げて振り向く。

「馬鹿にしてたよ……尾白と、氷叢のことも」

「そっかぁ。それは光栄だ」

「光栄って……腹立たないの? アンタ、逃げ出した腰抜けとか言われてんだけど」

「俺を貶めれば緑谷の怒りを買えると見込まれたんだよ。取るに足らない奴だと思ったらそんなことしないだろ」

「……だからって喜ぶ?」

 むすっとした表情からは、一定の理解と反感が窺える。

 

『全っっっっ然目立ってなかったけど彼、ひょっとしてやべえ奴なのか!!』

「……そのまま場外まで歩いていけ」

『ああー! 緑谷、ジュージュン!!』

 司会の声が響き渡って、心操の声は途切れ途切れにしか聞こえてこない。なんなら観戦席の声援や無遠慮な野次も押され気味だ。

 くるりと反転した緑谷は、ゆっくりと外向きに歩いていく。

 その様子に胸がざわつかないわけじゃない。緑谷ははじめてできた友だちで、救けてくれたヒーローで、負けてほしくなんかない。それでも。

「マイク先生の言うとおりここまでいいとこなしだし、一勝くらいしてほしいな」

「緑谷の応援しないんだ。薄情な奴」

「薄情かな? だって緑谷は負けてもいなくなったりしないけど、心操は評価されないとヒーロー科に入れないだろ」

 耳郎は目を丸くして、毒気を抜かれた顔になった。

 

 そのとき、ごうと強い風がフィールドから吹き上がってきた。前触れなく何かが爆発したみたいに。

 あと一歩踏み出せば場外というところで、緑谷が左腕を撥ね上げてよろめいた。心操も煽られて頭を庇っている。

『これは……緑谷、とどまったああ!?』

 凍彦は前列の座席を飛び越して前壁に張りついた。遠目にも緑谷の異変は見て取れた。左手の指が何本か、潰れたように色を変えて腫れ上がっている。体力テストのときと同じ〝個性〟による自損だ。

「暴発! いや、わざと……?」

「すげえ無茶を……!」

 騒然とするのも仕方ないだろう。戦闘訓練を行ってきたヒーロー科とはいえ、骨を折るような大怪我は滅多にないのだから。前例のある緑谷でなければ、A組の動揺もこの程度では済まなかったはずだ。

 

「——! 指動かすだけでそんな威力か、羨ましいよ!」

 〝個性〟の解けた緑谷に心操は呼びかけを続けるが、緑谷は口を開かない。

(そりゃ二度はないよな)

 なんとかなる、なんて一度目は思ったかもしれない。けれど実際に受けてみれば、自力で解くのは無理だとわかる。今の暴発だって偶然の成功だろう。でなければ追い詰められる前に対処していたはず。

「俺はこんな〝個性〟のおかげでスタートから遅れちまったよ! 恵まれた人間にはわかんないだろ……誂え向きの〝個性〟に生まれて、望む場所へ行ける奴にはよ!」

 その言葉を受けて緑谷は歯を食いしばり、痛みを堪える顔をした。

 けれどそれだけだ。

 緑谷はそれ以上〝個性〟を使わないまま、素の力で心操をライン際まで追いやり、背負い投げで場外へ叩きつけた。ろくに指導も受けていない普通科生が、多少なりとも訓練を積んだヒーロー科生に敵う道理はなかった。

 

「心操くん場外!! 緑谷くん、二回戦進出!!」

『イヤハ! 緒戦にしちゃ地味な戦いだったが、とりあえず両者の健闘を称えてクラップユアハンズ!』

 審判と司会の声により、観客席から拍手が注がれる。

 凍彦は手摺りから身を乗り出して、ゲートへ向かう後姿に思いきり声を張った。

「心操ー!!」

 コートのフードを取り払い、大きく腕を振る。気づいた心操は振り向いて、濃い隈をつけた目を見開いた。唇が微かに動いたのは、呼び返しでもしてくれたのか。さすがに都合良く捉えすぎだろうか。

「待たないから、急いで来いよ! ヒーロー科!」

 心操はぐっと眉間に皺を寄せて、何事かを言った。

 拍手と声援で掻き消えて、ほとんど聞き取れやしない。先の凍彦の叫びも、正しく伝わってはいないかもしれない。

「絶対、おまえらより立派に——!」

 はっきりわかったのはそれだけだ。

 何より聞きたかったことだけが聞こえた。

 

 

 焦凍は緑谷の次、第二試合で瀬呂と当たった。刹那早く『テープ』に絡め取られたものの、『氷結』はノーモーションで発動できる強みがある。身振りを添えるのはやりやすいからであって、必要はない。瀬呂は焦凍を場外へ放り出そうと踏み出したところで、氷に固められて行動不能と判定された。鮮やかな瞬殺だった。

 印象深かったのは、試合後に焦凍から心当たりのないことを言われたことだ。

「おまえに助けられた」

「何の話?」

「試合の前だ。親父が来た」

「差し支えがないならもうちょっと詳しく」

「べつに変わったことがあったわけじゃねえ。いつもどおり、左を使えってうるさく言ってきただけで……ただ、おまえのこと思い出したら、相手すんのが馬鹿らしくなって気が抜けた」

「言い返したりしたの?」

「いや、無視して素通りした」

「なるほどなぁ」

 親子の不和は根が深く、俺を悩ませる。

 

 

 そうして八試合が一巡し、二回戦の第一試合。物語なら早すぎるタイミングで、焦凍と緑谷の因縁がぶつかった。

 開幕直後、氷結のぶっ放しに合わせて緑谷は指を弾き、強烈な風圧で相殺した。刺すような冷気が余波で吹き上がり、客席に「寒い!」の声が飛び交う。

「え、緑谷どうした。また指折れてねえか」

「なんで……!? デクくん、怪我しなくなってたのに……」

「間に合わないって判断かな」

「間に合わない?」

 麗日が腫れぼったい目で(一回戦の最終試合で敢闘した直後だ。察するに余りある)不安そうに聞いてくる。緑谷とも仲はいいはずだけれど、訓練のことはあまり話さないのだろう。

「慣れが足りないんだよ。出力制御は部位制御みたいに無意識でできるようにはまだ……たぶん暴発で調子が狂ってなおさら」

「いやいやいやこえーよ!! だから指ぶっ壊そうってなるかよ普通!?」

 クラス一非常識な峰田がこればかりは常識的に思える。

「体力テストからそういうとこあったからなあ緑谷……」

「入試でもそうだったよ、デクくん……あんなになっちゃうのに……」

 わくわくと楽しみにしていた気持ちはたちまち萎れてしまった。血みどろの戦いが見たかったわけじゃない。

 

 繰り返し身に迫る氷結に対して、緑谷はすかさず風圧で打ち消していく。右手の拇指以外が潰れてしまうのにさほどの時間もかからなかった。

 相手の利き手を潰しきった焦凍は次の氷結を放つと、同時に前へ出た。迫り上がる氷を踏みながら駆ける。緑谷の左手指が弾かれると高く跳んで風圧を躱し、その勢いで拳を振り下ろす。緑谷は横っ跳びに避けたが、その足が地を踏むのを待たず氷結が追い打つ。

 氷が緑谷の爪先を捉えた。畳み掛ける攻撃に対応が追いつかない。

 緑谷の反撃は空中で身を捻りながら、左腕を犠牲にして放たれた。段違いの衝撃が氷を砕き、余波を焦凍に浴びせる。

 焦凍は緑谷が指でなく腕を構えたのを見て、背後の氷壁を分厚く重ねる判断を咄嗟に行った。詰めた距離がまた開いてしまったが、場外はない。

 

「もう両手……あんな範囲攻撃ポンポン出してこられたらな……」

 次回の対戦相手に軽口を叩いていた切島が言った。それを受けた爆豪が眉を顰める。

「ポンポンじゃねえよ。ナメんな」

「ん?」

「筋肉酷使すりゃ筋繊維が切れるし、走り続けりゃ息切れる。〝個性〟だって身体機能だ。奴にも何らかの限度はあるハズだろ」

 何の意図があってか、爆豪の視線がこちらへ寄越された。

 驚いた。はじめて敵意以外の目を向けられた。ライバルの情報が欲しいのだろうか。凍彦は首を傾げる。

「売っても構わないけど、買うの?」

「金輪際てめーからは何ひとつ買わねえ」

「意思疎通が難しすぎる」

 

 フィールドでは両者が言葉を持っていた。派手な見世物にざわつく空気で、内容は観戦席まで届かない。

 ちらりと焦凍が観客席を見上げた。クラスからはずいぶん離れた一般客席のほう。そこに揺らめく赤色を纏った人影。遠すぎて、公称195cmが米粒のようだ。

(エンデヴァー、そこにいたのか……)

 凍彦はフードの端を引っ張って目深にした。気持ちの問題で意味はない。

 

 小休止のような間を置いて、先に仕掛けたのはやはり焦凍だった。

『圧倒的に攻め続けた轟!! とどめの氷結を——』

 右足から床を伝い迫る氷。決着を確信する実況の声。

 しかし予期された未来は訪れない。

 緑谷はまたも風圧で反撃した。既に壊れている指を無理に使って。

 右手指は全て折れて潰れていて、どう見ても動かしていい状態ではない。にも拘らず、先の攻撃と遜色ない衝撃が氷を砕き、その先の焦凍の身にまで届いた。緑谷が威力を上げたわけじゃない。折れた指で上がるはずもない。

 押し負けたのは焦凍の問題だ。許容量(キャパシティ)限界——体温低下の影響が出てしまっている。

 緑谷の脅威性を認めている焦凍は、常に背後に氷壁を張って備えている。攻撃を受けてからでは間に合わないおそれがあるからだ。それが普段よりも早い消耗を招いていた。

 

 緑谷が何事か問いかけたが、焦凍は答えない。

 沈黙は肯定と看做され、怒りに焚べられる。

「……っ!! 皆本気でやってる。勝って……目標に近づくために……一番になるために! 半分の力で勝つ!? まだ僕は君に傷ひとつつけられちゃいないぞ!」

 赤黒い紫色に変色した右手が、力いっぱいぐっと握られた。

「全力でかかってこい!!」

 緑谷の挑発を受けても、焦凍は揺るがない。

「……左は使わねえ」

 短く告げて、再度接近戦に持ち込もうとする。

 しかし冷えた身体の動きは鈍っている。それを見逃すほど緑谷は甘くない。

(悪手だよ、焦凍)

 緑谷は焦凍の攻勢が整う前に懐深く飛び込み、胴体ど真ん中ストレートに拳をぶち込んだ。自身も氷結を受けたが、凍ったのは折れてぶら下がっている左腕だけだ。

 

『モロだぁー!! 生々しいの入ったあ!!』

「一発入れやがった!」

「どう見ても緑谷のほうがボロボロなのに……」

 息を吹き返した司会につられて観客席もどよめき、戦場の会話は遠くなる。

「あの手でまだ攻める気かよ……」

 切島の声は引いている。辛うじて腕が折れていないだけの壊れた手で拳を振るえる人間なんて、世の中にどれほどもいないはずだ。

 ただ、俺は気がついた。

()()()()なら緑谷の勝ちだな」

「え!?」

「今のパンチは〝個性〟が乗ってた。制御する余裕が出てきてるんだ」

「たしかに右腕は骨折してねえけど、勝ち敗けまで言い切るか?」

「焦凍がもうまともに動けないとしたらどう?」

「……!」

 

 ジレンマだ。放たれた氷結は、相殺でなく回避で対処されてしまうほど勢いが弱まっている。これ以上使えば自身の首を絞める。しかし使わなければ押し負けてしまう。

 焦凍に攻勢を許すまいと緑谷は果敢に攻める。氷結の隙を与えてしまっても相殺する。指の損傷はもはや気にしていない。やがて曲げることすらできなくなると、まだ残っていた親指を口の端に引っ掛けて弾くなんて荒技を使い始めた。

 定石も型もない無茶苦茶な動き。わずかな隙をついて、脚のバネを利かせた痛烈な拳や頭突きが打ち込まれる。もう気力しか残っていないだろう状態でも、緑谷は止まらない。

「なんで、そこまで……」

「期待に応えたいんだ……! 笑って応えられるようなカッコいいヒーローに……なりたいんだ!! だから全力で! やってんだ、皆!」

 自身は一撃も食らっていないのに顔面まで血塗れにして、訴え続けている。

(刺さるといいな、この言葉)

 今の焦凍は自己肯定のため、自分のため()()に戦っている。けれどヒーローの戦いはそういうのじゃない。自分以外の誰かを守り救うために戦うのがヒーローだ。

(何のために誰のために戦うのか、本当に正しいことなのか、考えなきゃいけないよ)

 

 

 

 ——兄さんらとは違う、おまえは最高傑作なんだぞ!

 一回戦の前。不思議といつもの煮え返るような怒りは遠かった。凪いだ気持ちで親父の前を素通りできたのははじめてだ。

 このときばかりじゃない。雄英に入ってから、穏やかでいられることが増えた。

 ——どちらを選んでも、俺は焦凍の味方だよ。

 何の力もない、本心がどこにあるかもわからない言葉だ。それなのに、守られていると思う。母がいなくなってから、俺には味方なんていなかった。ずっとひとりで抗い続けてきた。自覚もしていなかった心の隙間に、氷叢はすんなり入り込んできた。

 母から受け継いだ、氷叢と同じ右の〝個性〟で戦い抜く。その意志はより強くなった。

 なのに。

 

「君たちの境遇も、君の決心も、僕なんかに計り知れるもんじゃない……でも、全力も出さないで一番になって完全否定なんて、フザケるなって今は思ってる!」

 格下のはずの緑谷相手に、躓いている。

 振り絞った力を右側に込めるが、身体に霜が降りるばかりで氷にならない。こと許容量(キャパ)において俺は氷叢に劣っていた。同じ血統の同世代なら、氷結に特化した〝個性〟のほうが優れているのかもしれない。それでも勝たなきゃいけない。氷叢(あいつ)にも、緑谷(こいつ)にも。

 力を内に押し込めていく。溜めて放つやりかたは教わっている。発動が遅れすぎるから実践してこなかったが、こうなるともうやるしかない。

「……どう思われようが、俺はもう選んだ。それをあいつも望んだ!」

 溜めた力をひと息に放つと、なけなしの氷が迸った。勢いはいい。けれど質量と広がりが足りずに、紙一重で躱され捉え損ねる。

 いよいよ凍えきって動けない俺に向かって、右拳を構えた緑谷が突っ込んでくる。

 

「氷叢くんがそんなこと、望むわけない!!」

 

 ぐちゃぐちゃで握れてもいないくせに、馬鹿みたいに重い一撃が胴体にぶち込まれた。モロに食らったのはこれで二発目。吹っ飛ばされて無様に這いつくばるのを今度は堪えきれない。

 だがそんな屈辱よりも、緑谷の物言いに腹が立った。

 咳き込みながら喉を震わせる。

「知ったような、口を……!」

「君だって! 知らないはずないだろ!? 彼は手を引いてくれる。背中を押してくれる。でも立ち止まってはくれない! 優しいけど、無力で居続けるのを許してはくれない!」

 腹が立つ。けれど。

「そんな人が、言うわけないだろ!! 半分でいいなんて、君を弱くすることを!!」

 

 緑谷の言葉に、まだ真新しい記憶が揺らぐ。

 ——焦凍、左を使うのやめよう。

 確かにそう言ったはずで、だから俺は。

 ——さあ、選んで、焦凍。

 あのとき。

 ——俺の口車に乗って父親の思惑を外すか、他人の言いなりを厭って炎を使うか。

 あいつは、何を選ばせようとしていたんだ?

 

「氷叢は……」

「ここにいるのは君で! それは君の〝個性(ちから)〟じゃないか!!」

 

 

 

 A組観戦席で凍彦は目深にしたフードの下で顔を覆っていた。

「メディア露出考えてよぉヒーロー……これお茶の間に流れてるんだよ……なんで第二種目にも出られなかった奴の名前が出てくるの……」

「こう小さい画面でさ、障害物競走の映像とか出てんじゃね?」

「やめて上鳴……やめて……」

 後日知るところだが、競技どころかひとりぼっちの泣き顔まで挿入されていた。マスメディアにデリカシーはないらしい。

 

「本当はどうなのかしら、氷叢ちゃん」

「梅雨ちゃん……」

「轟ちゃんに何を言ったの?」

 思ったことを言っちゃう子のまあるい目に覗き込まれて、フードの端を引っ張りながら顔を上げる。

「プライバシーもあるから全部は話せないけど、焦凍は父親嫌いでさ。父親譲りの炎も嫌いで、使わないって決めちゃった。だから俺は、使うなって言った。逆方向から圧をかけることにしたの」

「絶対に押すなよ、ってやつかしら」

「そんな感じ。でも、わざわざ迂遠なこと、しなくてもよかったな」

 

 前を向いた顔が熱い。

 羞恥のせいじゃなく、フィールドの上に炎が渦巻いているせいだ。

「緑谷が全部やってくれた」

 魂から叫んだような声に応えて、膨れ上がった光と熱。

 焦凍の左側が燃えている。茫茫と、赫赫と。

 目映い赤色に照らされて、緑谷が笑っている。子犬のような顔を獰猛に歪めながら。

 

 炎は客席からも上がった。

「焦凍ォオオオ!!」

 雄叫びめいたエンデヴァーの声とともに。

「やっと己を受け入れたか! そうだ、良いぞ! ここからがおまえの始まり! 俺の血をもって俺を超えていき、俺の野望をおまえが果たせ!!」

 ズンズンと階段を降り、前壁の際までやってきた父親に、焦凍は無反応だ。

『エンデヴァーさん急に激励……か? 親バカなのね』

 実況も当惑。

「轟ちゃんの気持ち、わかる気がするわ」

 込み入った事情を知らずとも、あんな父親は嫌だと思うらしかった。

 

 

 大変なことになった試合が決着すると、数名が席を立ち、リカバリーガールの元へ搬送された怪我人を見舞いに行った。次に対戦する爆豪と切島は控え室へ。

 それから、なぜだか慌てきった様子で観戦席へ駆け込んできた焦凍。

「氷叢……!」

「焦凍!? 着替えは!?」

 焼け焦げて大穴の空いたボロ切れをかろうじて引っかけているだけの危うい格好に、女子たちが悲鳴を上げる。

「氷叢さん、こちらを」

「ありがとう、八百万」

 『創造』してくれたバスタオルを焦凍に被せてやって、廊下へ押し戻してから大きく息を吐く。

「はーびっくりした……どうした? そんなに慌てて、らしくもない」

「……氷叢に……」

「俺に?」

「聞かなきゃいけねえと、思って」

「うん。何を聞きたいの?」

 焦凍は目が泳いでいて、すぐには言いたいことがまとまらないようだった。

「ゆっくりでいいよ。混乱してるのはわかるし、理由も見てたからなんとなく。考えて、やっぱなしってなっても気にしない」

 

 手を引いて控え室まで歩かせながら、落ち着くのを待つ。

 階段を降りたあたりで、ぼそりと小さな声がこぼれ落ちてきた。

「……呆れて、ねえか」

「え?」

 あまりに弱々しく悄気込んでいるようだから、それにこそ呆気に取られてしまった。

 焦凍は喉の奥から絞り出すみたいに続けた。

「本当に右しか使わずにいたら、おまえは俺を見放したんじゃねえか」

「それはない」

「ない……のか」

「ない。ただ……」

 足を止めて振り返る。

 じっとこちらを見つめていたらしい目と、視線がぶつかった。

「責任持って叩きのめして、考えを変えさせるつもりでいたよ。大して強くもない俺が焦凍に勝ち越せるようになるまで、長い道のりだったろうけどな」

 

 首を傾げる。

「俺が味方だって、信じられなくなった?」

「……わかんねえ」

「いいよ、信じなくても。俺が焦凍に望んでるのはそんなことじゃない」

「じゃあ、何なんだ」

「ふたつある」

 目の前に、右手の人差し指を立てた。

「俺の家族みたいに、(ヴィラン)に殺されないでほしい。それがひとつめ。おまえが意地を取って命を捨てたりしたら、俺は簡単には立ち直れないよ」

 

 続けて隣の中指も立て、ピースサインを突きつける。

「ふたつめを当てられたら、もうひとつ秘密を打ち明ける。何かひとつ、嘘も誤魔化しもなしに答えるって約束する。ヒントはね……」

 突きつけた右手を上へと伸ばして、左頬に添える。火傷痕の縁を指先で撫でる。こんなことをしても逃げないなんて、懐かれたものだと思う。

(じきにいなくなるのに、懐かせてどうするんだよ……)

 嬉しいのに喜べないため息をひとつ。

「ヒントは、おまえのことが大好きってこと」

 くしゃりと前髪を掻き回して手を離した。

 

 歩みを再開し背を向けた凍彦に、声がかかる。

「兄さん」

 俺はもう一度足を止めて、ゆっくりと振り返った。

 焦凍は神妙な顔をしている。いつもと同じに。

 意図を問うべきだ。俺が凍彦ではない可能性に気づいたなら、()()()()へ進むことができる。進まなければいけない。そう思っても、舌が言葉の紡ぎかたを忘れている。

 黙ったままじっと見合ってどれほど経ったか。焦凍が首を傾げた。

「……弟が欲しいみてえなこと、言ってたから」

 気づいたわけじゃない。安堵と落胆で頭の中がぐちゃぐちゃになった。

「めちゃくちゃグッときたけどそれじゃねえな」

「違ったか」

「違ったなぁー。マジで嬉しいけど……」

 言葉と一緒にぼろぼろと、涙が出てくる。

 焦凍はぎょっとして固まってしまった。

「嬉しいけど……それじゃないな」

「……」

「あんまり俺を喜ばそうとするなよ。恥ずかしいことになるから」

「なんか……悪ぃ……」

「おう。許した」

 ようやっと金縛りの解けた焦凍は、八百万製バスタオルを凍彦の頭に被せてくれた。

 

 

 全試合を終えて表彰台に上ったのは、有言実行の爆豪。二位に焦凍、三位に常闇。同率三位に飯田もいたが、急用で早退して欠席。

 決勝で焦凍の炎を引き出せなかった爆豪は不本意な一位に暴れ散らかし、拘束具で柱に縛り付けられ口を塞がれてお出しされていた。このざまをメディアに晒してよかったんだろうか。

 表彰式から流れるように閉会式。

 そのあと、終礼のために教室という日常へと戻り。

「おつかれっつうことで明日明後日は休校だ。プロからの指名等をこっちでまとめて休み明けに発表する。ドキドキしながらしっかり休んでおけ。以上、解散!」

 いつもと同じ風景が戻っても、祭りの熱がゆるく燻っている。

 そんな中、相澤先生は凍彦に向かって手招きをした。

「氷叢はちょっと来い」

「はい?」

 何だろうと首を傾げてあとに続いた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。