試験のために何度か通っているゲートも、こうして制服を着て見上げてみると、まったく違った景色に映る。
(花が咲いてる。門から先、ずっと桜だ。空、青いな……)
正直、落ちたと思ったのだ。筆記も実技も、倍率300の上澄みに残れる気はしなかった。
雄英は
——雄英高校校長として、氷叢凍彦くんに合格をお知らせするよ!
だから合否通知の
さもなくば
ここに立っている今ですら、現実感が遠い。
「あ、あの」
はたと意識が引き戻される。
いつのまにか正面に、ちょうど目線の高さが同じくらいの男子生徒がいた。
髪も瞳も深緑。洒落っ気のない無造作な縮れ毛に、表情豊かな大きな目。気弱そうな顔がそわそわと落ち着きなく揺れている。
「どうかした?」
「え!? ええっと、それはこっちのセリフっていうか……その、そんなところで立ったままで、何かあったのかなって思って」
「ああ、そっか。こんなところで止まってたら、邪魔になっちゃうよな」
ここが正面ゲートのすぐ手前で、道幅が広いとはいえ、人通りが多い場所だという事実を思い出して歩みを再開する。
深緑の彼も慌てて隣についてきた。
「いやべつに、邪魔とかじゃなくて、具合が悪いんじゃないかとか心配になっただけで。お節介かとも思ったんだけど、つい……」
腑に落ちる話だった。不健康そうな蒼白い顔に濃い隈をこさえた誰かが、往来で立ち止まってぼんやりしていたら俺だって病気を疑う。
「心配してくれてありがとう。こんな顔でも俺は元気だよ」
「そ、そっか……それなら、よかった」
あまり仕事をしない表情筋を動かしてギリギリの愛想笑いを浮かべてみれば、それでも相手を安心させることはできたようだ。
深緑の彼はほっと息を吐いて歩調を落とし、さりげなく離れていった。
桜の道を通って玄関へ入り、案内板で教室を見つけて順路をおぼえる。
校舎の中は廊下の幅が道路くらい広いし、天井は木を育てられそうなくらい高い。天井が高いぶん階段もやたらと長いが、ヒーロー科としてはエレベーターに頼って身体を鈍らせたくはないところだ。
(なんだろう……まだついてくる)
深緑の彼は用が済んでからも、二歩ばかり下がった位置をひたすら追ってきていた。
(というか、もしかして、目的地が同じなのか)
雄英は学科ごとに制服の細部が異なるが、凍彦はそんな差異など把握していなかった。自分の行き先にしか関心がなかったので、案内板で見たはずの、ヒーロー科と他科教室の位置関係もおぼえていない。
足は止めずにくるりと向きだけ反転すると、深緑は小動物じみてびくりと身を縮める。
「あのさ、君も一年生?」
「あ、うん。一年……A組」
「じゃあ同じクラスだ。一緒に行こうよ。俺は氷叢凍彦。君は?」
「……! 緑谷出久! よろしく、氷叢くん!」
「よろしくね、緑谷」
深緑改め緑谷は、おどおどしていたのが嘘のようにパッと顔を輝かせ、凍彦に並んだ。
「クラスが同じってことは氷叢くんもヒーロー科なんだ」
「うん。まだ実感ないけどね。
通り過ごす教室のドアを目で示す。異形の〝個性〟でなければ人が三列で通れそうな幅があり、高さは凍彦や緑谷が背伸びをして手を伸ばしたところで半分にも届かない。
「バリアフリーすごいよね。さすが最高峰って思う」
「こういうのって雄英が特別なの? 他の学校は違う感じ?」
「うん? たぶんそうだと思うよ。ここまで進んでるのは珍しいんじゃないかな……僕は雄英一本で受験したから、他の高校は見たことないんだけど」
長い廊下をひたすら歩くのも、意外とおしゃべりな緑谷がいるので少しも億劫に思わない。
クラスメイトとの会話という人生初のイベントに内心はドキドキしていたけれど、話し相手がいちいちオーバーリアクションを見せてくるのが微笑ましくて、緊張する暇がなかった。
「へぇ、緑谷はオールマイトのファンなんだ」
「うん、だから高校は絶対雄英! って決めてて……あ、氷叢くん、教室ここだよ!」
「おっと、通り過ぎるところだった」
「ここに……あの受験者数から選ばれた人たちが……」
「このドア、開けて入っていいのかな」
「あ、開けないと入れないよね……よし!」
意を決したように緑谷はスライド式のドアに手をかけ、取っ手を握りしめて動かした。
じわりじわりとやけに時間をかけて隙間が開いていく。
(ドアがよっぽど重いのかな)
手伝おうと思って凍彦も取っ手を握り、力を込めた。
スパン!!
「えっ」
「あっ」
大きなドアは想像を絶する軽さで、気持ちのいい音を立てて一息に全開になった。
ずらりと並んだ席から、たくさんの目がこちらに集まる。
「ヒッ」と緑谷の短い悲鳴。
「あ?」と誰かの低い声。
「……ンでてめぇが」
声の主、こちらを睨め付けてくる赤い三白眼の男子は、実技試験で見た顔だ。
ひとりだけこちらを見ていない長身で眼鏡をかけている男子が、三白眼に向かって神経質に怒鳴りつけている。
「聞いているのか!? 机に足をかけるなと!」
「るっせーわ! てめーどこ中だよ端役が!」
「ボ……俺は私立聡明中学出身、飯田天哉だ」
「聡明〜〜? くそエリートじゃねえか。ブッ殺し甲斐がありそだな!」
「君ひどいな、本当にヒーロー志望か!?」
飯田は聞く耳を持たない三白眼に呆れ果て、新入りに気づくとハッとして
「俺は私立聡明中学出身の……」
「聞いてたよ! あ……っと、僕、緑谷。よろしく飯田くん……」
「氷叢凍彦です」
思わず敬語になったのは、たぶん緑谷の腰が引けていたから、つられて警戒してしまったせい。気のせいか、凍彦との初対面と比べて怖がっている様子だ。
半歩前に出てやると、思惑に乗って飯田はこちらへ意識を向けて怪訝な顔をした。
「緑谷くんに氷叢くん。君たちふたりは知り合い同士か」
「あ、その、氷叢くんとはたまたま、ゲートのところで知り合って」
「ぼうっとしてた俺を、緑谷が心配してくれたんだよ」
凍彦の薄ぼんやりとした愛想笑いと、緑谷のぎこちない苦笑を見比べて、飯田は「なるほど」と独り言ちた。
「……緑谷くん、君は普段の心がけから
(気づいてた?)
そう意を込めて見やれば、緑谷はぶんぶんとかぶりを振った。気づかなかった、もしくはわけがわからないの意思表示と取る。
「君を見誤っていたよ!! 悔しいが君のほうが
(あれ、なんかいい子っぽいな。前のめりな勘違いがすごいけど……あと俺は眼中にないっぽいけど)
噛み締めるあまり歯軋りをしている飯田からは悪意を感じないし、すでに凍彦への関心は失っているようだ。
それならひと足先に席に着いてしまえと教室に踏み込む。
「あ! そのモサモサ頭は!!」
あとから来た女子の声にちらと振り向くと、また緑谷に縁のある生徒らしかった。
今度は何やら嬉しげで、真っ赤に照れた顔を隠しながら笑っている。
(これはなおさら邪魔できない感じ。がんばれ、緑谷)
心の中だけでそっと応援して、静かに足を進めた。
空席を探して教室を見渡したところで、ひとりの生徒が目を引いた。
左右で髪と目の色が違う男子だ。白髪に黒目の右側と、赤毛に碧眼の左側の。
(あの子……焦凍)
凍彦は彼のことを知っている。本家の大奥さまが言ったのだ。フレイムヒーローエンデヴァーの末子が同学年で、雄英に進学するはずだと。
だから、左目の周りの大きな火傷跡にぎょっとしてしまった。
だって彼は父親譲りの〝個性〟と、それを使いこなすのに充分な耐性を備えているはずなのに。
不躾にまじまじと見てしまった凍彦に、焦凍は気づいた。
けれどすぐに目をそらして、こちらへと返す関心は持たず見せずの様子。生まれからして特別な焦凍は、好奇の視線に晒されることにきっと慣れてしまっているのだ。
(挨拶……同じクラスで過ごすんだから、そのうち機会はあるだろ。大勢の前で込み入った話はできないし……今じゃない)
気を鎮めて空席に着き、荷物を置いたところで大人の声がした。
「お友達ごっこしたいなら他所へ行け」
まだ入り口近くに立っていた緑谷と女子が廊下へ振り返る。
開きっぱなしのスライドドア。凍彦の席からその向こうには誰の姿も見えないが——
「ここは……ヒーロー科だぞ」
同じ声に続いて大きなイモムシ、いや、寝袋にくるまった男が立ち上がった。
寝袋を脱ぎ捨ててあらわになったのは、くたびれた黒のツナギに灰色の襟巻きという格好。髪は伸び放題のうねりっぱなしで肩にかかっていて、顎まわりは無精髭まみれ。
その異様さに言葉を失った生徒たちへ向けて、男は気だるげに名乗る。
「担任の相澤消太だ。よろしくね」
八秒のタイムロスをカウントし、それを以て合理性に欠くとの評を生徒たちに下した相澤は、なぜか、たった今まで自分が入っていた寝袋から、なぜか、体操服を取り出して、
「早速だが」
と切り出した。
担任に言われるがまま体操服に着替えてグラウンドへ出た一年A組は、入学式をすっ飛ばして個性把握テストを実施するという。
「雄英は〝自由〟な校風が売り文句。そしてそれは〝先生側〟もまた然り」
ざわつく生徒たちをそう言って黙らせ、三白眼の男子を「爆豪」と呼びつける。
爆豪はデモンストレーションとしてボール投げを申しつけられた。
位置について振りかぶり「死ねえ!!」の掛け声とともに投げられたボールは、手のひらの爆発に弾きとばされて700mを超える飛距離を記録した。
「なんだこれ!! すげー
そう叫んだのが誰かは定かじゃない。問題はそこじゃなかった。
「面白そう……か」
次々と上がる浮かれきった明るい声が、みるみる相澤の顔を曇らせていった。
「よし。トータル成績最下位の者は見込み無しと判断し、除籍処分としよう」
地を這うような声だった。
生徒たちはようやく自分たちが教師を怒らせたことに気づいたが、それに怖気付くよりも反感を抱く者のほうが多かった。
「はあああ!?」
「生徒の如何は
これまでの気怠げな態度を引っ込めて露悪的に笑う相澤。
威圧感のある剣呑な光を湛えたその目と、バチっと視線がかち合った。
(え……あの、もしや、俺の除籍、ほぼ確定しておりませんか?)
中学でもやっていた体力テストと言われても、行ったことのない俺にはわからない。通常禁止されている〝個性〟を解禁して行うというのも、基本を知らずに応用をこなせと言われたようなもので逆風だ。
愕然としたけれど、よくよく考えてみれば不思議でもなんでもない。
(
そんなこじつけに、すべての教師が納得などするものか。凍彦のような劣等者は、これから相澤ら教師に認めさせなければならないのだ。
(できる気がしないな……)
嫌な緊張で腹の中がひきつり、喉の奥が苦くなる。
「相澤先生、競技のルールを説明していただけますか」
「やったことないやつは見よう見まねでいいぞ」
駄目元はやはり駄目。
引き攣るのどから飛び出しそうな弱音を飲み込み、一礼をして離れる。
(見よう見まねでできることなの?)
「体育テストやらない中学とかあんの?」
「中学に通っていない人間なら、ここに……」
「ええーっ! そんなことあるんだ!」
「よく雄英入れたなー!」
声を上げれば透明人間の女子と金髪黒メッシュの男子が盛大に驚いてくれた。
どうせいつかはバレてしまう特異性だ。ここで伏しとおすには甲斐がない。
「では氷叢くん、待機時間に少し練習しよう! 特に立ち幅跳びと反復横跳びは動きに慣れておいたほうがいい」
「ありがとう、飯田! 本当に、本っ当に助かる……よろしくお願いします!」
「ああ、任せてくれ! 頑張ろう、氷叢くん!」
「次、蛙吹と飯田、早よ」
相澤は容赦なく生徒を急かしていく。
第二種目までの50m走と握力測定は単純明快で『氷結』の活用法は見出せなかった。
ちなみに50m走は爆豪の『爆破』に煽られてコースアウト、転倒。リトライとなり緑谷と並んで走った。緑谷とは〝個性〟を使わない同士対決。半歩差で負けた。
出席番号の都合、焦凍の実演を事前に見られるのはラッキーだ。焦凍は父親の『
その焦凍も、この二種目では〝個性〟を使っていない。
ただ素の身体能力が半端なかった。張り合うのも馬鹿らしいくらいだ。自己流で訓練して一年足らずの凍彦が、プロヒーローに鍛えられてきた焦凍に敵うものかという話になるが。
しかし第三種目に俺は光明を見た。
飯田が難しいと言い、練習でそれを実感した、立ち幅跳び。
ここでようやく、焦凍が『氷結』を使った。
足下で氷塊を育てて身長よりも高い踏み台を作り、着地が乱れないあたりを見計らって跳んでみせたのだ。
首位はベルトからビームを撃って後ろ向きに30m飛んだ男子だが、それに次ぐ大記録になった。
そして次の番が17番爆豪と18番氷叢。
凍彦は今回、焦凍の真似をして高所から踏み切るので、50m走と同じ轍は踏まない。
台の高さは焦凍と同じくらい。この高さでこの幅の氷なら、凍彦よりずっと強い焦凍の力で蹴っても倒れたりしないとわかっている。足が滑らないように踵止めの突起も作っておく。
そうして、凍彦は両手を広げた。
両腕を骨組みとして氷を纏わせ、長さは正中から指先までの倍以上に引き延ばす。
さらに薄くした板状の氷を胴体に向かって広げれば、
「うおお!! 鳥か!? あいつ飛べるのか!?」
「氷の翼やべぇ、カッケェー!!」
男子たちに大ウケだ。
(滑空しかできないから、鳥じゃなくて凧なんだよな。残念ながら)
記録は100m超と、次点に3倍以上の差をつけた。
出席番号最後の女子が本物のハンググライダーを出すまでの、儚い首位だった。
ところで、俺の〝個性〟はただの『氷結』。凍らせることができても溶かすことはできず、出すことができても消すことはできない。
一族皆類似〝個性〟の氷叢本家には、いつでも後始末の用意があったし、氷を粘土のように捏ねられる〝個性〟もいた。だから氷を纏ってもそれで困るなんてことは起きなかった。
それが特殊な環境だということを失念して、いつもの調子でやってしまった。
骨のない羽先はすぐに折れたけれど、身体についている部分の処理が悩ましい。
十字架の
「よう、氷叢……だったよな名前。俺ぁ切島鋭児郎。手伝いいるか?」
切島は〝個性〟で自分の手を硬く鋭い形に変えて見せた。
朗らかにその手を振ってくれるのに、情けない格好で苦笑する。
「氷叢であってる。氷叢凍彦。手伝いは……ありがたいけど、触らないでね。強度重視で目一杯冷やしてあるから凍傷になる」
「それおめーは大丈夫か!?」
「俺は平気。冷気耐性振り切れて……あ! やった、右肘割れた!」
「おお!」
あとは力が入りやすくなった右肩を割って、自由になった右手で氷同士をぶつけて砕くだけ。
切島は塊が礫になっていくのを興味深そうに眺めている。
「案外脆いんだなー氷」
「そうなんだよ。だから氷の剣とか鎧とかはファンタジー」
「鎧はわりとアリじゃねえ? 接触でダメージくらうって、近接メインだとかなり攻めにくいぜ」
言われてはじめて気がついた。相手によるところが大きいけれど、それはどの戦いかたでも同じこと。見せ札で相手を誘導するのが有効な場面はあるかもしれない。
「なるほど、おぼえとく価値はあるかも。ありがとな、切島」
「んや、手伝うっつって何もできなかったしな」
「気持ちだけでもすごく嬉しかったからさ」
次の種目の反復横跳びは工夫を凝らす余地なしで、付け焼き刃ではやむなしの最下位。
ボール投げは焦凍のやりかたが身体能力ありきだったので、凍彦は真似を諦めた。
馬鹿のひとつおぼえで高い足場を作って投げたところ、立ち位置の円を氷で埋めてしまって、次の緑谷がすぐにはスタートできなかった。
ざっくり割った氷を転がしながら思う。
(もっと手早い始末の仕方、考えないとな。こんな悠長に時間かけてたらだめだ)
課題は残ったが、立ち幅跳びとボール投げのおかげで最下位はかなり遠のいた。
対して出席番号が次の緑谷はいずれの記録も伸びておらず、種目が移るたびに表情を曇らせていた。
(そういえば、緑谷も)
教室へ入ってすぐのこと、飯田は入試の件で緑谷に詰め寄っていた。緑谷が
(
相澤を見れば元通りの覇気のない態度で、誰がどんな記録をだしても顔色を変えない。目が合っても特に感情が透けたりということはなく、真意を窺わせてくれない。
競技場に立つ緑谷についての話題で、飯田と爆豪はまた言い合いになっていた。
「緑谷くんはこのままだとマズいぞ……?」
「ったりめーだ。無個性のザコだぞ!」
「無個性!? 彼が入試時に何を成したか知らんのか!?」
「は!?」
「俺知らない。緑谷何したの?」
凍彦が割り込んで問いかけたのとほぼ同時、緑谷が振りかぶって投げた。
飯田は眉間に皺を寄せながら競技場を見守っている。
「……いや、外野の口からこれ以上語るべきではないな。緑谷くんに余計なプレッシャーを与えかねないことだし」
結果は奮ったとは到底言えない記録で、投げた当人が困惑している。
緑谷から相澤を指して、抹消ヒーローイレイザーヘッドという名前がこぼれた。どうやら緑谷は相澤から〝個性〟による妨害を受けたらしい。
「イレイザー?」
「名前だけは見たことある! アングラ系ヒーローだよ!」
担任の正体に生徒たちはにわかに沸き立ち、競技場で交わされている会話が聞こえなくなってしまった。
何ごとかの注意に対して反論しようとした緑谷が、相澤の襟巻きの布に絡め取られる。
よほど厳しい言葉を聞かされているようで、緑谷の顔は険しさを増していった。
「除籍宣告だろ」
冷ややかな声で不吉を述べる爆豪に、凍彦は首を傾げる。
「まだ最下位は決まってないのに?」
「決まってんだよ。こっからクソデクに何ができる」
「それはわからないけど。だとしたら最下位以外も除籍——」
「SMASH!!」
緑谷の掛け声とともに放たれた二投目のボールが、デモンストレーション時の爆豪にも劣らぬ勢いで空を切り裂いていく。
わっと待機勢から歓声が上がった。
「やっとヒーローらしい記録出したよー」
「指が腫れ上がっているぞ。入試の件といい……おかしな〝個性〟だ」
諸手を挙げて快哉を上げる女子も、言葉では訝るような飯田も、緑谷の除籍回避の希望に安堵の息を吐いたようだ。
反対に爆豪は開いた口が塞がらない様子で、緑谷目掛けて一直線。
「どーいうことだ!? こら、ワケを言え、デクてめぇ!!」
先生に〝個性〟と布で捕まって怒られている。彼にこわいものはないのだろうか。たとえば除籍も教師の自由だと言ってのけた担任などは。
爆豪が行ってしまって間が空いたので、飯田のほうへ一歩寄る。
「入試でもあんな怪我してたんだ?」
「ああ、しかし、あれとは比較にならないほど重傷だったな」
「私を助けようとしてくれて——」
割り込んできたのは鳶色の髪が丸いシルエットを作っている女子。先ほど快哉を上げた子で、たしか教室では緑谷に話しかけていた。
「——0ポイントの敵を、思いっきり殴ってしまって……」
「殴って……まさか、殴ってどうにかしたの? アレを!?」
「しちゃったの! 一撃で! すごいパワーだった!」
入試のことはまだ新しい記憶である上、一番大きな仮想
「想像できないな……」
「ボ……俺も見ていなければ信じなかったかもしれない。しかし、彼はやったんだ。あの一瞬、彼は会場内の誰より〝ヒーロー〟だった……」
そう語る飯田の表情は悔しげだったが、緑谷を見つめる目には穏やかな光もあった。
(尊敬するライバルって感じかな。本当はクラスのみんな、そうあるべきなんだろうな)
残る三種目、長座体前屈、上体起こし、持久走は普段の自主訓練に含まれる動作で、多くの〝個性〟が活かしづらいものだったのでまずまずの好成績に終わった。
「んじゃ、パパっと結果発表」
相澤の言葉に緑谷はぎゅっと目をつぶってしまった。
ボール投げで良い記録を出したものの、あとの種目に怪我が障ってしまったので一進三退といったところ。
(種目の順番さえ違っていたら……緑谷はもっとやれたはず)
「トータルは単純に各種目の評点を合計した数だ。口頭で説明すんのは時間の無駄なので一括開示する」
(これで除籍になるなら、きっと俺もすぐ……)
ブン、と相澤の手の中で投影機が音を立て、空中に順位表が映し出された。
「ちなみに除籍はウソな」
さらりと添えられた言葉。
全員の注目が順位表から相澤へと移動する。
相澤は鼻で笑った。
「君らの最大限を引き出す合理的虚偽」
「はぁ————!?」
腹立たしさから安堵から、いろいろな気持ちが吹き出して、生徒たちはそれぞれに声をあげた。
もちろん一様ではなかったが。
虚偽に気づいていたらしい女子は「ちょっと考えればわかりますわ……」とこぼしていた。普通の学校を知らないでその考えに至るのは無理があると思うけれど。
とはいえきっと、知らない、考えられない無能こそがいけないのだ。
雄英ヒーロー科の生徒は全員、何千人ものライバルを蹴落としてここへ来たのだから。
着替えて教室へ戻る途中で思い出した。
(そうだ、挨拶)
グラウンドでそのまま放課になったのだから、今なら時間が充分にある。
焦凍はクラスのお喋りに混ざろうとしないので着替え終わるのもいち早く、教室には荷物の消えている席がひとつあった。
凍彦は駆け足で玄関を目指した。
奇しくも入学式やガイダンスといった行事の裏であるため、このあたりに余人の気配はない。
廊下の途中で見つけた、よく目立つ紅白ツートーンの後ろ頭。
「焦凍! 轟焦凍!」
呼びかけに立ち止まり、振り返る焦凍。
火傷のある顔に感情らしい表情はなく、凍彦を見る目は冷ややかだ。
「おまえは……」
「氷叢凍彦。はじめまして。やっと話ができる」
「なんの用だ?」
「いや、本当に挨拶だけ。大奥さま……焦凍のお婆さまに、言われてて」
焦凍の目が細くなり、声が一段低くなった。
「……誰のことだ?」
「まあ知らないよね。親戚づきあいもないし」
「親戚……」
「そう。さっきも言ったけど、大奥さまは焦凍のお婆さま。お母さまの母に当たるかた」
「……その人がどうかしたのか」
「特に何かあったわけじゃないよ。以前からずっと、お嫁に出したお嬢さまのことを案じていらして……たまたま俺が焦凍の同級生になれたから」
「母の……恨みごとでも言いにきたか?」
ぎょっとする。見知らぬ相手が身内を名乗るのだから、芳しくない反応は想定していたけれど、これは方向性がだいぶ違う。
「なんで!? 違うよ。恨みどころか、気に病んで……あー、言っていいのかな……」
頭を抱える思いで、下手くそな愛想笑いも引っ込めて続ける。
「氷叢家っていうか、大旦那さま……焦凍のお爺さまにとって、エンデヴァーって大恩人なんだ。轟家に関してはエンデヴァーに任せろ、お嫁に行った娘や孫のことで差し出口をするな、って言われていてね、お嬢さまから救けを求められても、大奥さまは何もできなかった……」
焦凍は顔色を変えず、ただ黙って聞いている。
「えーと、ここまで、何かわかんないことある?」
「何かっつーか……わかんねぇことしかねえ」
「だよね!? じゃあまあ、もし興味あったら聞いて! 今は大事なことだけ言うね」
「ああ」
「俺は、焦凍の味方になる。誰を敵に回しても」
「……いや、やっぱわけわかんねえよ」
「身も蓋もないこと言うと、俺の学費とか生活費とか諸々、その約束と引き換えなんだ」
凍彦は両親の遺産目当てに引き取られた子供であり、本来ならこれほど手厚くは遇されないはずだった。大奥さまの裁量がなければ、雄英など出願すらできなかったのだ。
「心情的には、エンデヴァーへの反感もある」
「知ってるのか、親父が……何したか」
「全部は知らない。知りようもない。ただ——」
声を潜め、響きやすい廊下を憚って続ける。
「——子供を蔑ろにして……死なせたのには、怒ってる」
「……そうか」
「うん……こんなとこかな、挨拶は!」
気詰まりをした息を深く吐き出して、また不器用な愛想笑いを貼りつける。
「気分の悪い話でごめんな」
「まあ、
「それはそう……じゃあ俺職員室行くから」
「ああ」
「またね」
ひら、と右手を軽く振れば、焦凍も小さく返してくれた。
(……また、明日も会える)
歩き出す。
足取りは軽やかだ。跳ねるように踊るように。
ずっと、話を聞かされるたびに思ってきた。
どんな子供なのか、好きになれるか、仲良くできるか。
実際に会ってみてまた思う。
(どんな子なんだろう。好きになれるかな。仲良くできるかな)
踊り場の上で立ち止まる。
壁に張り付いたガラスの向こう、左右逆さまの世界で、頬を染めた顔がご機嫌な薄ら笑いを浮かべている。
まろやかな頬の膨らみ。小ぶりな鼻と口。少し長めの下まつ毛。目尻の垂れた瞼の形。ほんの少しだけうねり癖のあるふわふわの髪。何もかもが真っ白な中、瞳だけが作りものめいて碧い。
瞬きひとつで幻を払う。鏡に映っているのは、隈の染みついたやつれ顔だ。
(ねえ、燈矢。おまえには似てなかったね)