氷叢分家のなりすまし   作:仁絵乃羊

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課外授業とその翌日

 昨日のこと。

 職員室は教室と比べると雑然としていて、広いのに狭く感じる不思議な場所だった。並ぶ机は物の置かれかたがそれぞれ違っていて生活感を醸している。

「授業とは別に、先生に指導をお願いすることはできますか」

 相澤は面倒くさそうに顔を顰めた。

「内容によるよ」

「事故防止のために〝個性〟制御の訓練をしていただきたいんです」

「……緑谷の件か」

「あ、いえ、緑谷にも必要でしょうけど……俺自身が深刻で」

 相澤は不可解そうに片眉を上げた。

 それから、机に向かっていた猫背をほんの少し伸ばし、椅子の向きを変えてきちんと向き合ってくれた。億劫そうな顔をしているけれども。

「入試と体力テストでは、それらしい問題もなさそうに見えたが」

「出力が上がると、暴走というか……自分で〝個性〟を止められなくなるんです」

「前例があるような言い(ぐさ)だな」

「前は氷に呼吸を塞がれて心臓が止まったそうです」

「いつのことだ」

「おぼえていませんが、13歳の頃に」

 これは嘘でもない。凍彦でなく、かつての俺の身に起きたことだ。それに心臓が止まった記憶など本人に残っているわけがない。

 相澤は小さくため息を吐く。

「おまえの記憶障害については把握してる」

 つまりは凍彦の境遇をご存知だということだ。嘘を重ねなくて済むのがありがたい。

「……なるほどね。そうと知りながら〝個性〟使用に躊躇はないと」

「躊躇するようではヒーローになれないと考えました」

 凍彦は深く頭を下げた。

「お願いします、相澤先生」

 相澤はそれほど渋らず「わかった」と言った。間髪入れず「ただし」とも続けた。

「課外授業を受けるなら、当然内容に応じた試験も受けてもらう。一年生の個性訓練開始時期に合わせて……いや、ちょうどいい。期末の実技で採点項目を増やすとしよう。その上で、期末で赤点をひとつでも取るようなら——」

 

 

 そして今日、のこのこと凍彦についてきた緑谷は、説明を聞いて真っ青になった。

「除籍!?」

 ここはグラウンド。特になんの仕掛けもない平らな運動場で、つい昨日、個性把握テストでさんざん脅されたばかりの場所だ。

 凍彦は精一杯微笑みを目指した薄ら笑いを浮かべる。

「そう。この試験に合格しても、英語で赤点取ったら俺はおしまい」

「聞いてないよ!?」

「おまえは最初からそのつもりだったが、緑谷。いつまでもできないから仕方ないで済ませてやるつもりはないよ」

 さらりと差し挟まれた相澤の言葉。

 緑谷はハッとして、それからぎゅっと口を引き結んでうつむいた。

「まあ、期末までは三ヶ月。一年の四分の一もある。その間に最低限、怪我せず〝個性〟を扱えるようにしろ」

「……はい!」

 返事は元気よく顔を上げて。キリリと意気込みを感じさせる緑谷の表情に、俺も気持ちが引き締まる。

「あとこれは氷叢にも言っておくが、おまえらに()()()()助言はしてやれない。『抹消』は1か0かだからな……調整の経験がない。俺は安全装置としているだけ、見てるだけになる」

「はい」

「じゃああとは交互に休憩を入れながらやってくれ。5分区切りでいいだろ」

「はい! よろしくお願いします!」

「よろしくお願いします。俺が先でも構いませんか。確かめたいことがあるので」

「じゃあ僕は後で」

 

 3mは離れてから振り向いて、相澤に呼びかける。

「先生、この状態で俺に『抹消』を使ってみてください」

「今か?」

 訝しむ相澤の瞳が赤く光り、伸び放題の髪が逆立つ。

 途端にふっとかき消えた感覚。

 俺の〝個性〟の感覚は呼吸に似ている。

 肺を拡げるように、身の内にある器を膨らませ〝個性〟を収めると、冷気の出力が下がる。器を萎ませて中身を絞り出すと、その量や勢いに応じて氷結する。器の動きを止めると出力は一定に固定される。

 不思議なことに、出力をどんなに下げても停止には至らない。0に近づけるほど下げるのに必要な力は大きくなり、ある程度からは誤差程度にしか動かない。俺の〝個性〟は完全停止ができないのだ。

 相澤の『抹消』を受けてはじめて、〝個性〟が停止するとはどういうことかを知った。

 その感じは、息を吸わず吐ききらずで喉を閉じたような。

 力を入れても抜いても〝個性〟は少しも動かない。

「ありがとうございます、先生。お陰さまでひとつ掴めました」

 相澤の目と髪が元に戻り、〝個性〟の感覚も戻ってくる。

 凍彦の全身から、凍結に至らない程度の冷気が(にじ)み出す。

「俺は何をさせられたんだ」

「〝個性〟が停止する感覚を教えていただきました。完全に力が抜けた感覚も。薄々わかってはいたんですが……〝個性〟を()()()使()()()()()()状態は、これくらい冷気が出てしまうらしいです」

「ずいぶんと癖の強い〝個性〟だな」

「あっ……!」

 緑谷が声を上げかけ、相澤と凍彦の視線に怯んで口を塞いだ。

「何に気づいた、緑谷」

「……今日の戦闘訓練のとき、一瞬だけヒヤッとしたんです。かっちゃんが壁を壊して風が吹き込んできたところで……外気のせいと、爆破の威力に怯んだ気のせいだと思ったんですが、もしかして」

「うん、俺のせいもあったと思う。意識飛んでたから」

 もしかしてハンデのルール違反で勝敗が覆らないかとふと思ったが、あれは勝負でなく訓練だったし、凍彦はハンデを守って使っていないつもりだった。過去に遡及する意味はないだろう。

 

「じゃあ氷叢くん、普段はずっと〝個性〟に力を込めてるの……?」

「大きく息を吸い込んで、そのまま止めてる感じが近いよ。酸欠みたいなのはないから、本当に息を止めるよりは全然楽……で、使うときは——」

 さらに2mほど歩いて先生たちから遠ざかり、まだ不安を感じるのでさらにさらに2歩進む。

 それからグラウンドの中央へ向かって、膝を折り手を突き、器いっぱいに〝個性〟を押し込めて——

「——一気に、吐き出す!」

 キン!

 澄んだ音を立てて、グラウンドに氷山が聳え立った。

 もしも目の前に人が立っていたなら、軽く数人は閉じ込めてしまっただろう規模。一番高い頂までは、オールマイトを3人積み上げれば届くだろうか。

 込めた力は入試の0ポイント(ヴィラン)へ向けた初手と比べて倍ほど。リスクが怖くてとても試せなかった未検証の域だ。

「これくらいならまだ制御できるみたいです」

「全力だとどの程度になる」

「やってみます」

 位置をずらして結果が重ならないように気をつけ、再び〝個性〟を収め、今度は一切合切すべてを出し切った。

 瞬間現れたのは、戦闘訓練で使った五階建てのビルが丸ごと収まって余るほど巨大な氷だった。

(なんだこれ……!?)

 この場で一番驚いているのはもしかすると俺かもしれない。正直なところ、こんな規模の力だとは思っていなかった。

 先の結果と比べて高さが優に3倍、接地面の径は5倍近く。質量比にするなら10倍ではきかないはずだ。この質量が出せていたら、0ポイント(ヴィラン)だって瞬く間に閉じ込めてしまったに違いない。

「あの……! 今、出せるだけ出してみたんですけど……冗談みたいな話、振り絞ればまだいけそうな感じがあります」

 パキパキと鳴りながら、氷は徐々に温度を下げて成長を続けている。先端は枝分かれして、地獄の針山のごとくいくつもの棘を形作る。

「そういうのは追々〝個性〟伸ばしの訓練でな。で、その出力だと止められないか」

 背中に落ち着いた声がかけられる。寒さを感じない凍彦と違って相澤たちは凍えているはずなのに、欠伸(あくび)でもしていそうな呑気さで。こちらまで気が抜けてしまいそう。

「止まりません! 今、引っ込めるつもりで、力を込めて……いますけど!」

「相澤先生、『抹消』しなくていいんですか!?」

「あと40秒で5分になる」

 緑谷が焦っている風だが、相澤の調子は変わらない。

「余裕で()ちますよ! これだけやって疲れる感覚はまったくないです。正直言って自分の力って実感がありません。何かバケモノが俺の中から出てきたみたいな……こんなに大きいと思わなかった! こうまで意思が通らないなんて!」

「苦手意識は持つなよ。止まらない()()なんてのは個性暴走にしちゃ可愛いもんだ」

「正気で(おお)せですか!?」

「出力はブレもなく一定、影響範囲も、やや拡がりはすれど当初から逸脱なし……素直で大人しいもんだ。あと10秒、9、8……」

 カウントダウンを聞きながら「止まれ」「収まれ」と念じる間にも、氷はめきめき育っていく。

(俺の〝個性〟のくせに……!!)

「……1、そこまで」

 ぱちん、と膨れきったシャボン玉のように〝個性〟が消えて、身体から溢れていた冷気が途絶える。

 どくどくと心臓が鳴っている。『抹消』という歯止めがあるとわかっていても、命の危険をおぼえる所業だった。

 

 冷えきった凍彦の身体には霜が降りていた。

 白くなった体操服を払って振り向くと、緑谷は震えていた。寒さによるものか、恐怖によるものかはわからないが。

「ありがとうございます、先生……緑谷、交代」

「う、うん……!」

「その前に向こうへ行くぞ。ここは整備ロボに片付けさせる」

「はい」

 出現した氷山そのものは『抹消』しても消えない。

 夕方の傾いた陽を乱反射して、グラウンドの四半分近くをまだらな影に染めている。

 今なお大気から熱を奪い続けるそれは、しかし風上の日向に移動してしまえば、無闇に大きいだけの燃えないゴミに過ぎなかった。

 吹きさらしであるこの場所に、冷気が籠ることはないのだ。

 

「おまえは怪我をしたら終わりだ」

 そう告げられた緑谷は、1分経ってもまだ〝個性〟を発動していない。

「……割れない……イメージ……電子レンジで、卵が割れないイメージ……」

 ブツブツと小声で何かを唱えてみたり、拳を握ったり開いたり、深呼吸してみたり。

 『抹消』を受けているわけでもない。相澤の身に〝個性〟の発動に伴う変化が起きていないからわかる。

 恐る恐る力を込めては発動に至らずというのを無為に繰り返す間に、緑谷は見る見る自信をなくしていった。

(俺とは真逆の苦労……〝個性〟が使えないってどんな感じなんだろう)

 逃避的な思考ばかりが活気づいてしまう。他人にかまけるより自分をどうにかしないといけないのに、考えたところで制御がうまくいく想像はできないままだ。

「緑谷ー、何か手伝おうかー」

「えっ……手伝うって、訓練を?」

「雪だるまとかサンドバッグにどう?」

 ほんの小さな力を込めて、手のひらの上に薄氷の器と、真っ白な()()()()の山を作ってみせる。器からこぼれた粉雪がはらりと舞った。

「かき氷!?」

「人間サイズで1分くらいかな……細かい作業だから」

「出せるのは氷塊だけじゃないのか」

 隣の相澤から声がかかる。ささやかな芸だったが、意外にも驚かせたようだ。

「小さな結晶をたくさん作っただけですよ。集中をわざと散らしながら、ごく弱い力を小刻みに込めるとこうなります。手遊(てすさ)びでよくやっていました」

「……ほう」

 出力を上げられないので、低出力で小回りを利かせる訓練ばかりしていたのだ。おかげで鼻歌くらいの労力で雪もどきを出せるようになった。

 本家の大人たちに言わせると、これはなかなか珍しい特技らしい。一族の中でも氷塊を出せたり操れる者はたいてい、雪のように細かな氷は苦手に感じるそうだ。

「もしかすると、緑谷は標的がないからうまく発動できないのかもしれません。最初の手がかりとしてサンドバッグは有用ではないでしょうか」

「緑谷、どうする」

「え、えっと……あれば、いいかもしれないと思うんですけど、その……!」

「時間前だが交代だ。氷叢、5分で作れるだけ作れ」

「わかりました」

「……っ、はい」

 俯き気味で悄然とする緑谷。すれ違いざまにも目さえ合わせてもらえなかった。

 

「それから、氷叢(おまえ)は極力〝個性〟を()()()()。授業時間と関係なく当面の間、周囲への影響は気にせず()()()()過ごすように」

 この指示には驚いて手が止まってしまった。

 抑えないとは、冷気を垂れ流しにすることだ。温度計で正確に測ったわけではないけれど、冷蔵庫程度には冷たいはずなのに。

「いいんですか?」

「いいからやれ。早よ」

「はい」

 凍彦は言われたとおりに脱力し、まったくの自然体で雪もどきを積もらせていく。

(抑えるのに力を使わないぶん、いつもより〝個性〟が軽い気がする)

 手のひらから微細な結晶をさらさらと降らせるのは、気分からして鼻歌を口ずさむようなものなのだ。力はほとんど要らないし、なんなら楽しくなると無意識にはらはらやってしまう。

 とはいえ今は気落ちした緑谷の目の前なので、そんなに愉快な思いはしていない。

 雪もどきをもりもりどさどさ出しながら、休憩中の姿を見やる。

 相澤はこちらを向いているようでいて、視線を隣へやっていた。

「……で、緑谷(おまえ)は何を考えてる。それは授業時間を浪費する価値のあることか」

「ない、です……でも」

 緑谷は握りしめていた拳を解き、手のひらに目を落とした。

「どうしても、悪い想像が消えなくて。氷叢くんに協力してもらっても無駄にしちゃうんじゃ……とか。何の進歩もなく怪我して終わりになったらとか……」

「何の進歩もない怪我はさせてやらないよ」

「えっ」

「……ったく、何のための『抹消(おれ)』だと」

 相澤は小さくため息を吐いた。

「個性把握テストでやったように、俺はおまえが怪我をするより早く『抹消』できる。今はテストじゃなく訓練だからな、指一本でもあの威力を察したら消す」

 緑谷の瞳に光が戻るのが見えた。

 じんわりと俺の胸にも快い気分が沁みて、仕事をしない表情筋が勝手に笑おうとしているのがわかる。

「どうせ身体を壊すなら、せめて違う力加減を覚えろ。合理的にやれ」

「……はい!」

 ぶわりと気持ちが溢れた。手の先ばかりか全身から粉雪もどきが舞い出して、慌てて気を引き締めることになった。

(いけない、いけない。これは制御の訓練なんだから)

 集中すると、今度は手から出る量があからさまに増えた。先ほどまでもりもりどさどさだったのが、今はじゃんじゃんどばどばという感じに。

 結局あまりに気分が良くて、5分間で8体もの等身大雪だるまを作ってしまった。

「ずいぶん作ったな」

「相澤先生が格好良かったので」

「は?」

 相澤はきょとんとした。

 その直後、緑谷が一殴りで雪だるま3体を消し飛ばし、保健室送りになった。

 

 

   §

 

 

 雄英のゲート前は連日、報道陣で埋め尽くされている。

 これはオールマイトが教師になったがためであり、例年はそうでもないらしい。

「〝平和の象徴〟の授業はもう受けた?」

「教壇に立つオールマイトは、テレビで見る彼とは違っていた?」

 登校中に進路を塞がれマイクを向けられて、どうしたものかと困ってしまう。

 春だというのに凍彦はダウンコートを着てファスナーをきっちり上げた冬の完全装備。制服など膝下くらいしか見えていないのに、どうしてヒーロー科の生徒だと思われたのだろう。

 ちょうど登校してきた普通科の男子が迷惑そうに素通りしようとしたので、ままよとその後へ続かせてもらう。

 すると凍彦も普通科の生徒と思い込んでもらえたのか、追及の手が追い縋ってくることもなかった。

(ありがとう、紫の髪の君)

 見ず知らずの相手に心の中で礼を告げ、彼とは別の方向へ。

 

 A組の教室へ入ると、何人かのクラスメイトが凍彦を見てぎょっとした。

「おはよ……氷叢くん冬だね!? どうしたの?」

 麗日は戦闘訓練で組んでから、何かと気を遣ってくれるようになった。

 彼女の態度が変わったというよりは、俺の変化だろうか。相手に関心を持つようになって、気がつくことが増えたのだ。

「おはよ。ちょっと冷気漏れしてるから、その対策だよ。みんなが寒くないように」

「もしかして〝個性〟の調子悪いとか」

「いや、ただの体質。むしろ体調はいい感じ」

 緑谷といい、飯田といい、先生といい、ヒーロー科には優しい人間がたくさんいる。

(なのに爆豪は何なんだろうな、あれ)

 学級委員長を決めるホームルームでも、多数決の投票結果に苛立ち震えていた。

 緑谷が最多3票で、爆豪は推定自選の1票のみだったからだ。

「なんでデクに……!! 誰が……!!」

「まーおめぇに入るよかわかるけどな!」

 隣席からのコメントには誰もが同意しそうだ。

 凍彦は学級委員長がどんなものかわからないので立候補を控えておいた。

 大半の生徒が前のめりに手を挙げるのだから、よほどやり甲斐のある役目なのだろうけれど、勉強や訓練に人一倍の課題を抱えながらこなせる気はしない。

 焦凍も無関心な様子で手を置いたままだった。

 なので、投票先は個性把握テストで世話になった飯田にしておいたのだが。

「1票……いや!! これを不服と思っては、入れてくれた誰かに失礼になる……!!」

 開票後の飯田は打ちひしがれていた。

「自分の票どこやったの……」

「他に入れたのね……」

「おまえもやりたがってたのに……何がしたいんだ飯田……」

 飯田が自分に入れていれば、2票で二位に並んでいたのに。

 その二位は八百万。戦闘訓練の講評でA・Dチームに厳しくも的確な指摘をくれた、ポニーテールのお嬢さまだ。

 ——氷叢さんは捨て身が過ぎましたわ。命があったのは、甘えの許される訓練だったから。実際の(ヴィラン)は容赦などしてくれません。

(八百万さまの仰せのとおりです)

 反論の余地なく深々と刺さった言葉とともに、彼女の名前も胸に刻まれたのだった。

「じゃあ委員長緑谷、副委員長八百万だ」

「うーん、悔しい……」

「ママママジでマジでか……!」

 寝袋でモゾモゾしながら相澤が告げ、朝のホームルームは終わった。

 

 

 午前の授業が終わって昼休み。

「氷叢くんも一緒に食べよ!」

 戦闘訓練で組んだ気さくな面々(爆豪除く)に学食へ誘われた。

 二つ返事をしても良かったけれど、緑谷の向こうに紅白の特徴的な色彩が見えた。

 珍しいことに焦凍が凍彦に意識を向けている。俺はこれを無視できないのだ。

「今日は用ができちゃった。また誘ってよ」

「そっか、じゃあ先行くね!」

 手を振って歩いていく緑谷たちと別れ、さほど離れてもいない目当てのほうへ足を寄せる。

「焦凍は学食?」

「ああ」

「じゃあ一緒に行こう」

「おまえ今、緑谷たち断ってなかったか」

「なんとなく、焦凍が話したそうに見えたから。違った?」

「……なんでわかんだ」

「わかりやすいよ。焦凍、あんまり他人に関心ないでしょ。俺にも。だから、それがこっちに向いてるとすぐわかる」

 焦凍は少しだけ目を見張った。

 すぐには返す言葉が見つからない様子だ。

 凍彦は気にせず「行こう」と促し、先導して廊下を歩きだした。

 

 訪れるのも二回目となる学食。入り口には「LUNCH RUSHのメシ処」の看板。

 一流料理人でもあるプロヒーロー、ランチラッシュのメニューが安価で味わえるとあって、昼休みは全校生徒と教職員で大盛況だ。

 幅も奥行きも教室の数倍という広さに、長テーブルが整然と並んでいる。席数は充分そうに見えるけれど、出遅れると満席になっていることもままあるらしい。

 隣り合う二席を押さえて焦凍に財布を預ける。

「なんでもいいよ。焦凍と同じやつで」

 そう頼んだのに、買ってきたのはざる蕎麦と温かい蕎麦の二種類だった。

「なんで?」

「おまえは(ぬく)いほうがいいだろ……その格好、冷気がこもって寒いんじゃねぇか」

「えっ、優しい……」

 なんと今度は俺が驚かされる番だった。

 実のところ寒くはないのだけれども。俺には耐性があって、寒いという危険信号を身体が発しはじめるのは、体温が氷点近くまで下がってからなので。

 そんな事実を明かすのは、べつに今じゃなくていい。

「そういえば、コスチュームにヒーター付いてないのも気づいてくれたっけ」

「『氷結』しか持ってねぇなら、俺より必要になるだろ」

「うん。修理に合わせて改良申請出したよ。ありがとね」

「そうか」

 

 席に着いて静かに蕎麦をすする。

 周囲の生徒たちは友達同士楽しくやっているので、食堂は賑やかで人の熱と声に満ちている。連れがいながら黙々と咀嚼しているというのは、なかなかに浮いているかもしれない。俺も焦凍もそんなのは気にならない性質らしくてよかった。

 焦凍の話したがる素振りは、今はもう鳴りをひそめていた。

 ただ凍彦を気遣ってくれただけなのかもしれない。

 そう思うと少し……苦しくなった。

「お兄ちゃんになりたかったな」

 ぽつりとこぼれた言葉に、焦凍が微かに眉を動かす。

「氷叢は兄弟いないのか」

「いないよ。氷叢凍彦は一人っ子なんだって」

「なんで伝聞系だ?」

「お医者さまによると解離性健忘っていう状態らしいよ。俺ね、去年の夏より前のこと、なんにも思い出せないの」

「……それ、聞いていい話か」

「やめとこ。食事中にするなら楽しい話がいい」

「楽しい話……思いつかねぇな」

「黙ってても、焦凍といるのは結構楽しいよ」

「……楽しいか——?」

 

 そのとき、言葉を遮ってけたたましい警報が鳴り響いた。食堂ばかりでなく、学校中に揺るがすような大きな音で、ウゥー、ウゥーと繰り返し。

 椅子を蹴立てて周囲に警戒を巡らせる。

 同様に身構えている生徒の中には1-Aのクラスメイトも何名かいた。

『セキュリティ3が突破されました。生徒の皆さんは速やかに屋外へ避難してください』

「3!?」

「セキュリティ3て何ですか?」

 放送の意味が理解できない下級生——飯田に、上級生が焦りもあらわで答える。

「校舎内に誰か侵入してきたってことだよ! 三年間でこんなの、はじめてだ!! 君らも早く!!」

 あとはもうパニックだ。避難を急ぐ人の群れが出入り口に殺到した。

 さほど体格の良くない一年生など、揉みくちゃにされて押し流されてしまう。

「氷叢!」

 咄嗟に焦凍が伸ばしてくれた手も掴みそこね、凍彦は溺れるように群衆に沈む。

(これ……まずいな。誰か倒れでもしたら()()()が起きるぞ。そうでなくても長引くだけで圧死者が出る)

 痛いだの押すなだのと悲痛な声が飛び交う中、凍彦は息を吸い込むのもままならない。吐く息がなければ声は出せない。

 大人たちの——ヒーローの対応を待つしかないか。

 そう諦めかけたとき、頭上を通って誰かが吹っ飛んでいった。

 誰かは高速回転しながら非常口の上に激突し、そのまま壁に張り付いて声を張った。

「……大丈ー夫!! ただのマスコミです!」

(飯田!)

 食堂中に響き渡る明瞭な言葉に、ざわついていた空気が塗り替えられる。

「何もパニックになることはありません、大丈ー夫!! ここは雄英!! 最高峰の人間に相応しい行動をとりましょう!!」

 安全と知れれば流石は雄英生。狭き門より入ったヒーロー科高校の生徒らしく落ち着きを取り戻した。密集状態は端から解れていき、負傷者や体調不良者は手を貸しあって保健室へ。

 そうこうしている間にも時間は過ぎる。

 人騒がせのあったせいで、凍彦たちはせっかくの蕎麦を食べきれなかった。

 

 

 午後のホームルーム、がちがちに緊張していた委員長緑谷は、初仕事の前に自主的に役目を降りた。

「委員長は、やっぱり飯田くんがいいと……思います!」

 皆はおおむね納得した顔で、反論の声は上がらない。

「あんな風にかっこよく人をまとめられるんだ。僕は……飯田くんがやるのが()()()と思うよ」

「あ、いいんじゃね!? 飯田、食堂で超活躍してたし! 緑谷でも別にいいけどさ!」

「非常口の標識みてぇになってたよな」

 口々に雑談に近い言葉が出始めると相澤先生に睨まれてしまったが、決定を覆すことに否やは言われなかった。

「委員長の指名ならば仕方あるまい!!」

「任せたぜ非常口!!」

「非常口飯田!! しっかりやれよー!!」

(差し置かれた副委員長が不服そうだけど、大丈夫かな)

 その八百万も、その時間のうちには納得できたようだ。

 元気に空回りしがちな飯田と、しっかりしている八百万というのは、なかなかいいコンビに見えた。

 

 

 

 侵入者である報道陣は、通報を受けた警察がやってきて取り締まられるまで校内に居座ったらしい。

 その彼らの侵入を許したゲートを、下校の前に目の当たりにした。

 雄英バリアーと渾名される、侵入者を阻む四重の隔壁が、無惨にも崩れ果てていた。まるで長きの時を経て風化したように、鈍くなった断面を晒して。

 ぞっと怖気が走り、呼吸が浅くなる。

(まるで()()()の〝個性〟みたいな……まさか、どうして、お父さん)

 ——僕は君の父親として、我が子の夢を全力で応援するとも。

 父の言葉が嘘だなんて、とっくに気がついている。それだけはわかっている。

(どうして今なんだ。まだ何も、芽吹くどころか根付いてすらいない。種を蒔いたばかりの土を掘り返すような真似だぞ)

 元から顔色が悪いおかげで、血の気が引いたのに気づいた者はいなかった。

 

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