氷叢分家のなりすまし   作:仁絵乃羊

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落花は枝に帰らない

 土砂災害ゾーンを抜けた三人はその場で散り散りに別れた。

 葉隠は完全に『透明化』して、未だ閉ざされているはずの入場口へ。

 焦凍はイレイザーヘッドのいる主戦場へ。味方を巻き込まない範囲に限定して『氷結』をぶっ放し、初手で敵の二割を凍らせた。

「来るな! 生徒は避難しろ!」

「出口を押さえられました。先生を守って勝つのが最善という判断です」

 そして凍彦は、焦凍が敵の気を引いている間に死角へ回り、噴水の陰に身を伏せた。

 この位置はちょうど死柄木弔の背後にあたる。

 しかし噴水池が大きすぎるのと、噴き上がる水が遮蔽になっている。仕事を果たすには少し回り込まないといけない。

 好位置を探るため、音は立てないように、噴水の陰を這いずっていく。

「子ども……範囲攻撃持ちか……厄介だな……」

 面白がるような弔の声に焦燥を覚える。

 ヘイトを稼ぎ過ぎれば、対オールマイトの主力が焦凍に向けられかねない。

 ——救援待ちの耐久戦だ。なるべく長く侮ってもらわないと勝てないぞ。

 ——ああ。全力は出さねえ。

(全力じゃなくてもやりすぎだ!)

 別れる前にもっと打ち合わせるべきだったか。

 

 水の帳が切れる位置で、噴水池の縁から戦場を覗き込む。

 凍らずに、動いてもいない(ヴィラン)が二人いた。

 一歩引いて戦局を見ている弔と、同じようにただ立ち尽くしている大男。

 見覚えのない、嘴を持つ異形型だ。頭蓋が開いていて脳が剥き出しという、生物としてあるまじき形態の。

(十中八九、あれがそうだ。オールマイトを殺せる何か)

 弔を知る俺だからわかる。黒霧さえ前線に出ているこの状況で、怠惰が許されている。彼が特別な信頼を寄せている根拠。さもないと癇癪を起こしていないとおかしい。弔はとても情緒が不安定だから。

 墨ほど黒い(はだ)の下には隆々と筋肉が盛り上がっているのに、気配に獰猛さがなく、あまりにも大人しい(ヴィラン)だ。異形ゆえか感情が読み取りづらく、ぼんやりと虚ろな気配がする。

 だからか、イレイザーヘッドの培ってきたヒーローの勘では、危機感が湧かない。

(一撃入れて気づいてもらうはずが……今撃ったら兄さんを刺激しすぎる)

 

「いい生徒を持ったなぁ、イレイザーヘッド」

 弔が嘲笑う。

 ぎくりとしたが、背後に気づいたわけではなさそうだ。

「その〝個性〟じゃ……集団との()()決戦は向いてなくないか? 普段の仕事と勝手が違うんじゃないか? 君が得意なのはあくまで、奇襲からの()()決戦じゃないか? 子どもはちゃんと気づいてたみたいだ……」

 一方的に話す間にも有象無象の(ヴィラン)たちは数を減らしていた。絡め取られ、凍りつき、無力化された者たちが累々と転がっている。

 数が多くとも弱すぎた。

 追い詰めすぎてはいけない縛りで、焦凍は極力手を抜いたはずだ。それでも孤軍から比べて制圧力が格段に上がってしまった結果。

「かわいそうに。せっかく強がって、真正面から飛び込んでみせたのに……頑張ったのになぁ……同情するぜ。少しも信頼されてなかったなんて」

 雑兵のほとんどが倒されて、弔が前へ出た。

 イレイザーヘッドは焦凍を庇う位置に立ち、操縛布を鋭く投じた。

 けれど布先は見切られて危なげなく掴まれてしまう。

 武器を取られたことに舌打ちひとつ。次の手としてすかさず深く踏み込み、布を短く持ち直すと思い切りよく引いた。

 ぐい、と弔の身体は引っ張られ、鳩尾に強烈な肘打ちを見舞われる。

 凍彦はその様子を弔の背中越しに見ていた。

 だから次の言葉が弔から、堪えた様子もなく発されて血の気が引いた。

「動き回るのでわかりにくいけど、髪が下がる瞬間がある」

(やっぱり『抹消』には隙があった! 兄さんはとうに気づいていた!)

 ()()()()()()()()()()。脅威の見落としに加えて、『抹消』の弱みをさとられた。

「一アクション終えるごとだ。そしてその間隔は段々短くなってる」

 弔の〝個性〟が発動する。

 五指で触れたものを『崩壊』させる強力な〝個性〟。弔の受け止めた肘は深手を負ったことだろう。イレイザーヘッドはもう右手が使えない。

「無理をするなよ、イレイザーヘッド」

 その上、無駄話とダメージのせいで、意識はますます弔へ釘付けになってしまう。

 

(警戒すべきはそっちじゃない!)

 俺はおよそ十日振りに、強く深く〝個性〟を抑え込み、溜めて、立ち上がった。

(溜めなしで練習してきたことに、最大出力を込める!)

 立ち上がり、前へ翳した右手から、全力で『氷結』を解き放つ。

 ズドンと重い音を立てて、瞬発的に伸びた氷の柱が異形の背にぶち当たった。

 手のひらの一点に集中し、高圧で押し出された超低温の氷は硬く、目で追いきれない速度で目標を捉えた。

 けれど異形の身体は異様に重くて、揺るがすことも叶わない。

 おそらく〝個性〟の相性で、俺の攻撃は裏目に出た。

 衝撃はベクトルを反転させて、より軽い凍彦のほうを勢いよく押し出した。

「ぐぅっ……!!」

「氷叢!!」

 弾き飛ばすつもりが逆に飛ばされた。

 凍彦は後方に広がっていた大きな水溜まりに背中から落ちた。

 船の浮いていた水難ゾーン、自然の地形を模したプールの深みへ。

 

 ドボンと盛大に飛沫をあげて、凍彦の身体は沈んだ。

 着水の衝撃で息を吐いてしまい、鼻から口から入ってきた水をなすすべなく飲んだ。

 反射で咳き込もうとする身体がどんどん肺へ水を送る。

 ゆらゆらと揺れる水面へ、大小の泡の群れが昇っていくのが見える。

(溺水からの救助は5分で死亡率が跳ね上がる)

 予習をしたばかりだ。

(〝個性〟の制御……全開からの停止、やっとできたのにな)

 妙に落ち着いた思考を最後に、俺の意識は途絶えた。

 

 

 

 氷叢が〝個性〟を使うのを、はじめて見たような気がする。

 初日の体力テストでも見たはずなのに。

 そのときは正直言って、俺の半分のさらに劣化版みたいな〝個性〟だと思った。やたら丁寧に凍らすから精度はあったけど、とにかく遅かったから。

 テスト以外の授業ではもっと辛そうだった。コートを着るようになってからだ。不調はないと言いながら、小さな塊ひとつ凍らすのにも集中が要るようになっていた。

 そんな奴が一瞬で、あの質量を凍らせて、指向性まで完璧にコントロールした。

 俺にもできないことをして見せた。

 動きを止めずに済んだのは、氷叢からの攻撃は「致命的なミス」のサインだと打ち合わせていたから。

 実際、『氷結』による砲撃じみた攻撃を受けながら、脳ミソを晒す異形の(ヴィラン)は小揺るぎもせず平然としている。

 逆にダメージを受けたのは攻撃を仕掛けた氷叢本人だ。叩き込んだ衝撃が跳ね返って、自分のほうが飛ばされてしまった。

「氷叢!!」

 落下先は水場。救けに向かわないとマズい。

 だが目の前の(ヴィラン)二人も放置できない。プロヒーローの相澤に傷をつけたリーダー格と、不意打ちの痛打を受けて平然としている異形の男。

 『氷結』の範囲を伸ばすと、敵二人は地を伝う冷気を察して飛び退った。

 突っ立っているだけだった異形があまりにも鋭く素早い。『氷結』を当てることさえできれば。しかし予め動きを止めないと無理だ。

(氷叢の読みが当たってた! 『抹消』が潰されてワープまで揃ったら、生徒(おれたち)の〝個性(ちから)〟じゃどうにもなんねぇ!)

「轟! 救助優先!」

先生(あんた)がやられたら全員ヤバいでしょう!」

 敵が踏み込んできたら最速で凍らせられるように集中を続ける。『抹消』の視線を遮るような派手な『氷結』は使えない。素早く敵だけを凍らせて止めるしかない。

 

 双方睨み合った数秒の間に、何分も経ったような気がした。

 どこからかワープ使いの声が届く。

「死柄木弔」

 姿は見えない。『抹消』を警戒しているんだろう。

「黒霧、13号はやったのか」

「行動不能にはできたものの、散らし損ねた生徒がおりまして……一名逃げられました」

「……は? 黒霧、おまえ……」

 死柄木と呼ばれたリーダー格の男は、深く長くため息を吐いて頭を掻きむしった。顔を()で覆っているために視線や表情はわからないが、全身から落胆と苛立ちが見て取れる。

「おまえがワープゲートじゃなかったら粉々にしたよ……さすがに何十人ものプロが相手じゃ敵わない。ゲームオーバーだ。あーあ……()()()ゲームオーバーだ」

 そしてぴたりと動きを止めた。

「帰ろっか」

 ひどくあっさりと、まるで散歩か何かを切り上げるような言いざまだった。

(引き下がるってのか? ここで?)

 意図がわからない。目的が叶わないから退くというなら、標的(オールマイト)の不在を確かめた時点でそうしているはず。中途半端に暴れて手の内を晒し、戦力のいくらかを削られてすごすごと帰るなんて馬鹿馬鹿しい幕引きをするだろうか。

 校舎からUSJまで、バスが走ったのは私有地内の道。信号もなく平坦で、5分とかからなかった。雄英教師は緊急出動に慣れたプロヒーローばかり。順調にいけば数分で到着する。

 しかし数分もあるのなら、今この場で何らかの爪痕を残すには充分だろう。

「けどもその前に……聞きたいことができた」

 赤い色をした目が、手指の間から覗く。

 

「氷の〝個性〟……そいつじゃない、水に落ちた子どものほうだ……ハイネとかいう名前じゃないよな?」

(氷の〝個性〟の、ハイネ……?)

 氷結系は炎熱系と同じく〝個性〟としては珍しくもない。だが雄英ヒーロー科に三人もいるなんて話は聞いたことがない。他科の生徒の話だとすると場にそぐわない。

「そいつはおまえたちの何なんだ」

「俺()()じゃない。()()、弟だ……別に答えなくていいぜ。子どもに聞くからな」

 会話を引き延ばすのは無理そうだ。

 少しでも情報を引き出そうという先生の目論見は外れた。

「……あいつはハイネなんて名前じゃないな」

「そっ……かぁ。じゃあもういいや。助けに行きたいんだろ、イレイザーヘッド」

 死柄木は気色の悪い()を纏わせた腕を上げ、相澤先生を指差した。

「送ってやるよ。黒霧、脳無」

 瞬きの間に、真っ黒い膚の巨体が拳を振り上げて、目の前まで迫っていた。

(早……ッ!?)

 『氷結』が間に合うとかのレベルじゃない。目で追えない。反応できない。

 標的にされた先生は腕を構えて防御姿勢を取っていた。

 背後に黒モヤのワープゲート。

 異形型の拳が振り抜かれる。

 直後、噴水の向こう、水難ゾーンの奥で、爆発したような飛沫が上がった。

 

 ——最悪を想定するんだ。

 ——侮ってもらわないと勝てないぞ。

 全然できてなかった。なんでそんなに必死なんだって思ってた。

 ナメてたんだ。(ヴィラン)も、たぶん、ヒーローも。

 

「対平和の象徴、改人〝脳無〟」

 そう言った死柄木の目が、ニタリと笑ったように見えた。

 もう『抹消』は頼れない。

 俺は身体に霜が降りるまで『氷結(右半分)』に力を込めた。

 固体化した水分子の軋る音がして、地から天井に向かって分厚い氷壁が立ち上がる。

 意味があるかはわからない。この程度、脳無とやらはぶち抜いてくるだろう。ワープは一瞬で背後を突ける。

「強い〝個性〟だなあ……スゴいスゴい。さすがはヒーローの卵」

 案の定氷から逃れたらしい死柄木の声。視界への配慮を怠ったせいで、敵の姿を見失ってしまった。氷壁の向こうか、見当違いの位置へワープしたか。

「脳無」

 呼び声に応えて氷壁が砕けた。

 のっそりと鈍重に振る舞う巨体が風よりも速く動くのをもう知っている。

 目を逸らしたら、瞬きひとつでもしたら、殺される。

「強い〝個性〟だけど……左側(こっち)じゃ使えないんだろ」

 ひたり。

 死は目の前でなく、背後から忍び寄ってきた。

 乾いた指先が頭に添えられて、相澤先生の肘が()()()さまが目に浮かんだ。

 

 ごう、と炎が噴き上がる。

 何かを考えたり思ったりするより先に〝個性〟を使っていた。

 

「……ッ()()()()!! 天然モノかよクソが!!」

 死柄木は悪態を吐いて手を引いた。

 同時に俺も前後双方の敵を視界へ収めようと横へ跳ぶ。

 

 うるさいくらいに心臓が鳴っている。

 痛みはない。傷は負っていない。

 どういうわけか、敵の〝個性〟は発動されなかった。

 いや、それよりも、

(親父の〝個性〟に……救けられた……!)

 絶対に『炎熱(ひだり)』は使わないと決めていたのに。

 あっさりと誓約を破った自分に失望して、頭の中が真っ白になった。

 

「なんだよ……ヒーローの矜持をへし折ってやろうと思ったのに……」

 苛立たしげにガリガリと頭を掻く死柄木の声には、裏腹に愉快そうな響きがあった。

「本ッ当かっこいいぜイレイザーヘッド」

 水難ゾーンの浅瀬に、ずぶ濡れの相澤先生が立っていた。

 脳無の攻撃を防いだ両腕は折れているようで、だらりと力なく下がっている。

「溺れた子供は見捨ててきたか?」

「……俺の生徒は()()()()みたいな問題児ばかりじゃない」

 相澤先生が苦々しく告げた次の瞬間、

「SMASH!!」

 横合いから割り込んだ小柄な影に、脳無の巨体が吹き飛ばされた。

 

 

 

 ワープで水難ゾーンに飛ばされていたのは、僕——緑谷出久と峰田実くん、そして蛙吹梅雨ちゃんの三人。

 水中で(ヴィラン)の待ち伏せを受けてあわやというところから、『蛙』の蛙吹さんに救けられて船の上に退避。知恵と持てるすべてを振り絞って作戦を立てた。

 僕は恐怖に震える身体を叱咤して、骨が耐えられるギリギリの威力5%で水面を叩き割った。一点に流れ込む波を起こすためだ。

 流された(ヴィラン)たちはひとかたまりに集まり、峰田くんの『もぎもぎ』——粘着力と弾力のあるボールみたいな髪の〝個性〟で、くっついて一網打尽となった。

(訓練を見てもらえたおかげで、手を壊さずに戦えた)

 まだ衝撃の余韻が残る左手をぐっと握る。

 万一壊しても戦えるように利き手を温存したけど、保険の必要はなかった。

 それからまた蛙吹さんに引っ張ってもらって、ようやく僕らは浅瀬に足をつくことができた。

「体調いいと超くっつくからな。今朝快便だったし奴ら一日はくっついたままだぜ」

「あれで全員だったのは運が良かった……すごいバクチをしてしまっていた……普通なら念のため何人かは水中に伏せとくべきだもの。冷静に努めようとしていたけど……」

「緑谷ちゃんやめて。怖い」

 ついいつもの早口でブツブツ声に出していたところ、蛙吹さんの言葉で我に返った。

「次どうするかじゃないかしら?」

「そうだね……とりあえず救けを呼ぶのが最優先だよ。このまま水辺に沿って広場を避けて——」

 ドン、と大気を震わす衝突音。

「氷叢!!」

 続いて、焦ったような轟くんの声。

 どちらも広場のほうから聞こえて、僕は咄嗟に振り向こうとした。

 広場に焦点を定めるより前に、灰色と蒼のコスチュームが頭上を通り過ぎていくのを、ギリギリ目の端で捉えた。

 それから、先の戦闘で沈没した船の近く、大きな水柱が立つのを見た。

 

「氷叢くん!?」

「救けに行くわ」

 蛙吹さんが素早く潜水したから、飛び出しかけた僕は踏みとどまることができた。心得もない僕じゃ一緒に溺れていたかもしれない。

「なんだよぉ!! 敵にやられたのか!? なんで生徒が広場から飛んで来んだよ、先生(プロ)が戦ってたはずだろぉぉ!?」

「わからないよ! けど轟くんの声がした。ワープで一緒だったんだ。あの二人なら僕らより素早く(ヴィラン)に対処できたと思うし、だから……先生に加勢しに行ったのかも」

「なんっっでだよ! 轟はクソヤベェけど、氷叢はクソ弱えだろ!?」

「氷叢くんは強いよ! 〝個性〟もそうだし……持ってるものを()()()()()のが上手い。戦闘訓練(Aチーム)で飯田くんを捕まえた()、あれは氷叢くんが持たせてくれたんだ」

 ——『無重力(ゼログラビティ)』で包帯(これ)浮かせとくだけで飯田(『エンジン』)はやりにくいと思う。ガーゼも同じ感じで使えるかも。

 氷叢くんが言ったとおりになった。事前の相談はモニターに写らないから講評で言われなかったけど、彼は人や物を()()ことに長けている。

 放課後の個性訓練だって、学校の先生を頼るという考えが僕にはなかった。

 僕はもう他の先生(オールマイト)に師事しているから。というのもあったけど、頼ろうにも僕じゃ相澤先生は頷かなかったんじゃないか。そんな気がする。

「なあ……緑谷」

 峰田くんが青くなって震えている。

「それってなお悪くねーか。ヤベェ奴と強い奴が組んでて、プロもいんのに、ぶっ飛ばされたってことだろ……?」

 ——殺せる算段が整ってるから、連中こんな無茶してるんじゃないの? そこまでできる連中相手に、オールマイトが来るまで持ちこたえられるのかしら? オールマイトが来たとして……無事に済むのかしら。

「蛙吹の言ったとおり、俺たちもうダメなんじゃねーかぁぁ!?」

 

 峰田くんが死にそうな顔で滂沱したところで、蛙吹さんが氷叢くんを引き上げて戻ってきた。

「ヒッ、氷叢……まさか死んで……」

「緑谷ちゃん手を貸して。意識がないわ」

「担ぐよ!」

 背負った身体は水よりも冷たかった。〝個性〟を使っていたせいだ。濡れた衣服越しに容赦なく体温が奪われていく。長時間の接触は僕のほうが保たないだろう。

「大丈夫……氷叢くん低体温は平気だって言ってた……」

 蛙吹さんが躊躇なく息を吹き込むと、救助が早かったおかげか氷叢くんはすぐに水を吐きはじめた。

 

 応急処置を続けながら足は止めず、一刻を争って岸を目指した。

 その最中、僕の肩にかかる腕の包帯に気がついた。

 ジャケットの上から巻かれた包帯に、ぶら下がっているものがある。

「女子の手袋とブーツ?」

「なんでそんなもん氷叢が持ってんだよぉ!!」

「透ちゃんのだわ。彼女も一緒にいたのね」

「葉隠さん……装備を外した本気モードでどこかに潜んでいる? ……違う。氷叢くんなら()()を一番に考えるから一か(ばち)かみたいな賭け無防備な誰かにさせないはず……『透明化』……なら、見つからずに……!」

 水をかき分けて進みながら、顔だけ振り向いて言う。

「あすっ……ゆちゃん、峰田くん!! 葉隠さんは救けを呼びに行ったんだ! 狙われてるオールマイトだけじゃない、大勢のプロヒーローが来てくれる! それまで——」

 言い終える前にまた、ドッ、と水飛沫が上がった。

 

 今度は先とは比較にならないほどの規模。まるで爆弾でも投げ込まれたようで、大きくうねる余波に僕らは押し流されそうになる。大小の雫が雨のように降り注ぐ。

「今度は何だよぉ……!!」

 身体の小さな峰田くんは蛙吹さんの舌に捕まえられてことなきを得た。

 氷叢くんを背負う僕は、膝と手のつく深さでなんとか踏みとどまって耐えた。

「とにかく岸へ!」

 姿勢を低くして水底にしがみつくような歩きかたで、広場を避けて進む。

 そうして僕らは隣のゾーンへたどり着いた。

 屋内アトラクション風の、大きなドーム。大きいといってもUSJの一画に収まるサイズなのだけれど。

 その裏手、敵の目につきにくそうな林へ駆け込んで氷叢くんを下ろした。

「あすっ……ゆちゃん!」

「ええ、任せて」

「あとお願い!」

「えっ……緑谷ちゃん!?」

 

 駆け出した脚に勝手に力が入る。

 だって、見てしまったから。二度目の水飛沫の後、広場から先生がいなくなっていたのを。戦場にあったのは、壁のように聳え立つ大きな氷と、白い霜にまみれながら身構える轟くんの姿だけだった。

 ここから遠目に、その氷が砕けて、黒い異形の大男が立ちはだかっているのが見える。

 いつも『氷結』しか使わない轟くんから、今は真っ赤な炎が噴き出している。

 先生(プロ)と轟くんが苦戦するような敵だ。僕に何ができるかわからない。それでも今、仲間が危機に瀕しているのを見過ごせない。

 ピリッと痛みが走ったのを堪えて、脚の力を加減する。少し傷めたかもしれない。〝個性〟のコントロールは腕でしか練習していないから。

 けれど痛むだけでまだ走れる。

 

 ひと蹴りでシーンが切り替わるような速さで、僕の身体は広場へ飛び込んでいく。

 ——私が笑うのはヒーローの重圧、そして内に湧く恐怖から己を欺くためさ。

 僕も笑っていないと。そう思っても、ガチガチに強張った情けない顔しかできない。

 ——ケツの穴グッと引き締めて、心の中でこう叫べ!!

 オールマイトの教えと、今日までの訓練のすべてを拳に乗せる。

「SMASH!!」

 ガラ空きの胴体へ吸い込まれるみたいに、スマッシュが綺麗に決まった。

 まともに不意打ちを食らった敵は、倒壊した建物の並ぶゾーンまで吹っ飛んでいった。

 

 

 

 敵の姿を()ながら、みっともない濡れ鼠のボロ雑巾で立ち尽くす。

 陸へ上がったはいいものの、両腕が使い物にならない俺は前に立つことができない。前に出ても戦いようがない。無謀に動く問題児たちに下がれと言って聞かせることも無理だろう。

「は……?」

 死柄木が間の抜けた声をあげた。

「オイオイオイ……待てよ、『ショック吸収』だろ? なんでぶっ飛ばされてんだ」

(『ショック吸収』……そういうことか)

 人一人を飛ばす衝撃で微動だにしないなら、異形の枠に括れない、何らかの防御能力を持っていて当然だ。

 氷叢が一撃を入れてくれたおかげで、自分の不明に気づけた。

 それまで、脳無とやらの〝個性〟をただの異形と侮っていた。イレギュラーな複数持ちなど度外視してしまっていた。

 吸収だというなら、氷叢が跳ね返されたのは運が悪かったのだろう。放ったのが()()()攻撃であれば、いや、()()()攻撃でさえなければ、止まるに留まっていたはずだ。

(そんなこと、今考えても合理的じゃない)

 腹の底から怒りが湧く。己の不甲斐なさに。

 生徒に救けられた挙句、その生徒を見殺しにして立っている、情けなさに。

 警戒を引き上げたから、あれほどの威力に腕だけで済んだ。折よく『ショック吸収』を『抹消』することもできた。氷叢の攻撃が効かなかった脳無は、緑谷の強打でゴム毬のように撥ね飛ばされて、倒壊ゾーンへぶち込まれた。

「馬鹿! 避難しろ!」

 我に返って怒鳴りつけた轟に、緑谷がありったけ張り上げる。

「できないよ!! 君がひとりで戦ってるのに!!」

 それに続くように、大階段の上、USJ入り口の扉が()()()()ぶち破られた。

 

 分厚い自動扉がひしゃげて外れ飛び、画風の違う男がようやく登場した。ジャケットを脱ぎ捨てただけの通勤スーツ姿で、コスチュームに着替えてもいないのに、圧倒的なトップヒーローの風格を持って。

「もう大丈夫。私が来た!」

 鬼気迫る顔でネクタイを引きちぎる彼に、生徒たちが快哉を叫ぶ。

「オールマイト——!!」

 そして耳に届いた死柄木の不穏な呟き。

「あー……コンティニューだ」

 

 俺はかろうじて動く肩で折れた腕を振って操縛布を投げた。

 布先はするりと広場の二人、轟と緑谷を絡め取ってこちらへと引き寄せる。

 俺の存在に気づいていなかった緑谷はぎょっとした。

「先生!? 腕が……!!」

 敵から目を離せないから、不安にさせている生徒に向き合ってやることもできない。

 緑谷と轟はわかっているのだろう。視界を遮るような位置には立たなかった。

「相澤くん、すまない! ……ムッ!?」

 広場に降りたオールマイトに向かって、何かが弾丸のように飛び出してきた。

 倒壊ゾーンから現れた黒い巨体は、公称220cmのオールマイトに高さも幅も優っている。緑谷に強烈な一撃を叩き込まれたはずの脳無だった。

「そんな……!? あの脳ミソ(ヴィラン)、ワン……っ僕のパワーで殴ったのに!」

 愕然とする緑谷と同じことを思う。あの威力にまるで堪えた様子がないのは奇妙だ。

 あまりに不自然だが、異形と『ショック吸収』の他にも〝個性〟を持っている可能性が浮かぶ。あるとすればダメージを無視するか、回復するもの。

CAROLINA(カロライナ) SMASH!!」

 オールマイトの攻撃に合わせて確実に『抹消』を入れる。

 交差させた両腕によるクロスチョップを頭部に受けて、脳無は地に伏せた。

 叩きつけられた床面がひび割れている。これで昏倒せず起き上がってくるようならいよいよ異常だが、どうか。

 

「おまえたちは救助と避難だ」

「あ! 相澤先生、氷叢くんは救助しました! 蛙吹さんが!」

 緑谷からの思いがけない朗報に、ゴーグルの下で目を見張ることになった。

「そうか」

 短い返しに安堵で緩んだ息が乗る。

 ハッタリに吐いた言葉は嘘じゃない。今年のA組は、まだ一人たりとも除籍者を出していないのだから。しかし、まさか救助済みとは思わなかった。

「僕と蛙吹さん、峰田くんがちょうど水の上に飛ばされていて」

「……なら今要救助者についているのは二人だけか。オールマイトと蛙吹たち、増援が必要なのはどっちだ」

 はっと息を呑む気配がする。

「でも、先生はその傷で……!」

「オールマイトに生徒を庇わせるな! 行け!」

「……ッ、はい!!」

 緑谷とその後に続いて轟が駆け出していく。

 

(これで、あとはワープさえ防げれば……)

 ズキズキと骨折の痛みが突き上げてくる。一瞬気が緩んだあたりから脳内麻薬(エンドルフィン)が落ち着いて、感覚が戻ってきてしまった。目を瞑ってしまいそうになる。

 だがもうじきだ。オールマイトに続いて同僚(ヒーロー)たちが必ず来る。

(絶対に逃がさねぇ)

 奮い立てた気力をかき集めて、俺は厄介な敵を視続けた。

 

 

   §

 

 

 真白い部屋で目が覚めた。

 ピッ、ピッ、という一定間隔のシグナルが聞こえている。

 知らない場所だけれど、病院の個室だとすぐにわかった。(ヴィラン)犯罪被害者の氷叢凍彦として保護されて、最初に送られた場所が病院だったから。

 そのときも、特に不調がなくてもこういう機械を取り付けられていた。俺の身体は〝個性〟の影響で()()()()()が多く、診断が難しいらしい。

 ナースコールを押すとすぐに医師と看護師がやってきて、簡単な問診と聴診をした。

「あの、どうして俺はここにいるんでしょうか」

「そういうのは、このあと説明できる人が来るからね」

 彼らの用が済むと、入れ替わりに相澤先生が入室してきた。

 両腕が白い巾で吊られている。

「先生、その腕は……焦凍は、皆はどうなりましたか」

「安心しろ。おまえ以外は全員無事、軽傷だよ。俺も大したことない。おまえに説明するついでで一泊入院したようなもんだ」

 先生は吊ってある右手を挙げてひらりと振って見せた。

 肘より先はギプスで固められていた。ということは、まだ動かしてはいけないのだ。生徒を安心させるために、この人はまた無理をしている。

「……一泊?」

「襲撃から一晩経ってる。今日は臨時休校だ。(ヴィラン)は……俺のミスで主犯ともう一人取り逃がした。後のことは警察に引き継がれたよ」

(兄さんと黒霧は逃げたのか……)

 相澤先生は脚で椅子を寄せてベッド脇に腰掛けた。

 

「溺れたおまえを救助したのは蛙吹と峰田、それと緑谷だそうだ。他の奴の頑張りは学校で本人たちに聞いてやれ」

「俺はまだ学校に通えるんですか」

「……なんで通えないと思った」

 声調が低くなった返しに、俺は言葉を詰まらせる。

 途中で脱落したせいで、襲撃が学校にいかなる情報をもたらしたのかがわからない。

 学校は俺のことを把握していないのだろうか。把握した上で、先生は知らぬふりをしているのではないか。勘繰ってしまう。

「……勝手に判断し、自ら破滅しました。不用意に仲間を危険に晒したこと、避難すべき生徒に救助を行わせたこと……ひどすぎる失態です。除籍されても仕方がありません」

 しおらしく項垂れる凍彦の頭に、先生の指先が触れた。

 ポンポンと軽く撫でるように叩かれて、おずおずと(おもて)を上げる。

 先生は人の頭に手を置いたまま、普段どおりの無気力そうな目でじっと見つめてくる。

「教師として、おまえの行動は褒められない。だが救けられた者として、おまえを責めるわけにもいかない。今回、俺の負傷がこの程度で済んだのは……おまえの無茶のおかげだからな」

「……お役に立っていたならさいわいです」

「喜ぶんじゃない。誰が救かっても、救けた奴が犠牲になるようじゃダメだ。俺の怪我が軽くなっても、かわりにおまえが倒れてたら意味がないんだよ」

 

 ふつり、と頭の中で何かの糸が切れた。

「相澤先生が仰せになるんですか。おひとりであんな無理をなさっておいて」

「それはそれ。先生には生徒を守る義務がある」

「だとしても! 仮に退路を断たれることなく避難できていたとして、先生が喪われていたら……皆後悔するところでした! 指示になど従うのではなかったと!」

 目の奥がツンとする。

 口を開くほどにぼろぼろと、涙が頬を伝って落ちる。

 袖や手で拭っても拭っても、壊れた蛇口のように止まらない。

「生きることを罪深く思ってしまう。心が折れてヒーローを諦めるならきっとまだマシです。誰かを犠牲にする前に……なんて考えるようになったらっ最悪ですよ! 皆が、死にっ急ぐよう、なって、しまった、らっ……!!」

 しゃくりあげてしまって息が苦しい。うまく声にならない。

 

 先生の手が凍彦の頭から下りて、泣き顔を拭った。

 ギプスの包帯が冷たい雫を吸う。

「悪かった。先生が間違ってた。もう苦しんでるおまえに言うことじゃなかった」

「言葉っなんて、どうでも、いいっ……!」

「……気をつけるよ。その苦しみは俺だって知ってる」

 いつも厳しく突き放すような態度でいるのに、今日の先生はやさしかった。

 あたたかくてやわらかな、傷つきやすいところで触れてくれたみたいだった。

「氷叢。生きててくれて、ありがとね」

「先生が、皆が、生きてて、よかった」

 俺はひとしきり泣いた。

 たぶんこれが、生まれてはじめて上げる声だった。

 




 あけましておめでとうございます。昨年からこれまでお読みいただきありがとうございます。本年も書き続けますのでよろしくお願いいたします。

 前話副題(USJ)で上下編にするつもりでしたが、「捧ぐ」では意味合いが過去に遡及しないと思い下編の副題をこのようにしました。
 相澤先生が好きならスピンオフのヴィジランテは買って後悔しないと思います。喪う前と後、乗り越える前と後、相澤消太に関してはとにかく行間を読むのが楽しいです。
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