氷叢分家のなりすまし   作:仁絵乃羊

7 / 10
良い子、悪い子の流儀

 氷叢凍彦の朝は4時から始まる。

 ベッドから降りたら、まずは冷え冷えの湿気た布団に乾燥機を入れる。ニュースチャンネルを流しながら部屋の掃除。洗濯機を回してから外へ出てジョギング。帰宅してシャワーで埃を落とし、朝食の準備。

 朝夕は自炊している。ただしレパートリーは一種類。冷凍野菜と鶏胸肉のレンジ蒸し。シリコンの蓋つき容器に材料を詰め込み、レンジに入れたら洗濯物を干す。干している間に調理が終わる。日曜にまとめて炊いた冷凍ごはんも温めて食べる。

 食器を洗って片付けると6時になっているので登校の支度。制服とコートに着替え、持ち物の確認をしてアパートを出るのが6時半。

 7時の開門すぐ職員室で訓練室の利用申請をして、40分のパルクール練習。それから教室へ行って、8時25分のホームルームまでできるかぎり授業の予習。

 学校から帰宅するのは、放課後の都合によって17時前から18時過ぎまでまちまち。

 19時までに夕食と片付けを済ませる。調理中は宿題がなければ英語教材と睨み合う。食休みに20分ほどまた英語。

 その後ストレッチと筋トレをこなして、20時からおよそ10kmのランニング。タイムはだいたい40分前後。

 22時までに入浴等の雑事を済ませて就寝。

 つくづく思うが時間が足りない。

 

 

 臨時休校の翌日、金曜朝のSHR。

 相澤先生のギプスは取れていて、すっかり普段通りの様子に俺は安堵した。

「気を抜いてる暇はねぇぞ。まだ戦いは終わってねぇ」

 不穏な口ぶりに、まさかまだ(ヴィラン)がと教室がざわつく。

「雄英体育祭が迫ってる!」

「クソ学校っぽいの来たぁぁ!!」

 冷めていた空気がにわかに沸き立つ。

 その流れに少し驚きながら手を挙げる。

「本当に開くんですか? (ヴィラン)の襲撃があったばかりで……体育祭は部外者を招く催しですよね?」

「氷叢くん、雄英体育祭見たことないの!?」

「たぶん……」

「マジかよ!? そんなことあるか!?」

雄英(うち)の体育祭はヒーロー科にとって最大のチャンス。(ヴィラン)ごときで中止していい催しじゃねえ」

 

 先生もクラスもすっかりいつも通り、かと思いきや、

「いや、そこは中止しよう?」

 いつも通りでもなかった。峰田が震える小声で異を唱えていた。

 このクラスにも弱気を見せる者がいるほどだ。他科も含めれば相当数が不安を覚えているに違いないが、

「逆に開催することで雄英の危機管理体制が盤石だと示す……って考えらしい。警備は例年の五倍に強化するそうだ」

 曰く、〝個性〟ありきの超人社会が開かれたことで、従来の無個性前提のスポーツの祭典が廃れた。それに代わって今、日本で全国を熱狂させているのが雄英体育祭。最難関のヒーロー科で最高の教育を受ける若者たちが〝個性〟を駆使して競いあう姿というのは大衆の娯楽になるらしい。

「当然、全国のトップヒーローも観ますのよ。スカウト目的でね!」

「卒業後はプロ事務所に相棒(サイドキック)入りがセオリーだもんな」

「当然名のあるヒーロー事務所に入ったほうが経験値も話題性も高くなる。時間は有限。年に一回……計三回だけのチャンス。ヒーロー志すなら絶対に外せないイベントだ!」

 

 

 ということで、ただでさえ何もかもが足りない俺は、生活時間と自主訓練内容の見直しを迫られてしまった。

 昼休み、改めて盛り上がるクラスの中で、ひとり紙に線を引きながら頭を抱える。

「氷叢くん、食堂行かないの?」

「ああ、緑谷……うん、もう行くよ」

「それは?」

「時間割。学校以外のね。あとで先生に相談しようと思って」

 四つ折りにしてコートのポケットにしまう。

「学校以外って、自主訓練とかの?」

「とかの。俺は弱いから……そうだ、聞いたよ。救けてくれてありがとう、ヒーロー」

「えっ! ぼ、僕は何も……! 氷叢くんを救けたのは蛙吹さんだよ!」

「梅雨ちゃんには真っ先に伝えたよ。峰田にも」

 なぜか峰田は恨めしげな目でよくわからない呪詛を吐き出して、梅雨ちゃんに舌でしばかれていた。ラッキースケベがどうのこうの、まったく心当たりがない。

 

「あんなことがあったけど、皆もう体育祭に夢中だね」

「うん。すごいノリノリだ……」

「君たちは違うのか? ヒーローになるため在籍しているのだから、燃えるのは当然だろう!?」

 ぬっとやってきた飯田も様子がおかしい。いつもはキビキビという感じがぐねぐねしている。通りすがりの梅雨ちゃんから「飯田ちゃん独特な燃えかたね。変」と突っ込まれたほど。

 飯田も来たなら麗日も来るだろうか。そう思って席を見やると、ちょうど立ち上がるところだった。

「デクくん、氷叢くん、飯田くん」

 麗日の周りにゆらめく陽炎のようなものが見えた気がした。普段の柔和さは鳴りをひそめ、真剣を通り越して触れれば切れそうな気配があった。

「頑張ろうね、体育祭」

「顔がアレだよ、麗日さん!?」

「皆!! 私!! 頑張る!」

「おおーけどどうした、キャラがふわふわしてんぞ!!」

「全然うららかじゃないよ麗日」

 バッと拳を突き上げる空回りように、クラス中が困惑した。

 

 

「麗日さんはどうして雄英に?」

 食堂への道すがら、緑谷が何気なく問いかけると麗日は挙動不審になった。

 飯田を見て、凍彦を見て、それからスッと目を逸らして高速で頭を掻きはじめる。

「ヒーローって……公務員で一番、お給料いいんだよ。副業もOKだし」

「お金欲しいからヒーローに!?」

「究極的に言えば。あー……なんかごめんね不純で……! 皆立派な動機なのに私恥ずかしい」

「何故!? 生活のために目標を掲げることの何が立派じゃないんだ?」

「うん……でも意外だね……」

「ね。お金目当ての人ってそう言わない気がしてた」

「え?」

「うん?」

 緑谷と凍彦は顔を見合わせてきょとんとした。意外の方向性がいくらか違ったようだ。緑谷は麗日という個人に、俺は人間の心理に対して違和をおぼえていた。

 

「見栄張ってもボロが出るし……ウチ、建設会社やってるんだけど、全っ然仕事なくってスカンピンなの。こういうのあんま人に言わんほうがいいんだけど……」

 真っ赤になって顔を覆ったと思えば、また忙しなく髪を掻く。

「建設……」

「麗日さんの〝個性〟なら、許可取ればコストかかんないね」

「ああ、資材運搬に高所作業に大活躍しそう」

「でしょ!? それ昔父に言ったんだよ! でも、私には私の夢叶えてほしいって……だから、私は絶対、ヒーローになってお金稼いで、父ちゃん母ちゃんに楽させたげるんだ」

 そう言った麗日はもう真っ直ぐ前を見つめていた。

 夢でなく現実を見てこの道を進む瞳は、力強く輝いて見えた。

 胸を打たれたのは俺ばかりでなかったようで、飯田は両手を大きく振って拍手しはじめた。

 

「麗日くん……! ブラーボー!!」

「かっこいいなぁ。俺も聞かれたらお金って答えようかな」

 顎に手を当てながらこぼすと、麗日はぎょっと目を剥いた。

「ええ!? わざわざウソつくの!? 氷叢くんちゃんとした動機あるのに!」

「嘘でもないよ。っていうか、たった今嘘じゃなくなった。お金を稼いで……そうだな、基金でも立てようか」

「稼いだお金でさらなる人助けを……!!」

「発想がもうヒーローだよ!!」

「割と私欲も入ってるよ。俺は家族いないから、誰かと深く……は無理でもせめて長く、繋がりを持ちたいんだ。救けて終わりじゃなくて……皆の幸せの中に、俺も一緒にいたいなって」

 ヒーローになった後のことなど考えもしなかったけれど、これはなかなかいいのではないかと思った。

 ぼんやりと想像してみれば自然と目が細まる。

 そんな凍彦の顔を見て、三人はぽかんと呆気に取られた。

 

 それもほんの一瞬。

「おお!! 緑谷少年がいた!!」

 あたりに響き渡る声量に、一同はびくりと身を震わせる。

 廊下の角から現れたのはオールマイト。画風の違う雰囲気はそのまま、仕立ての良い黄色のスーツという装いで、弁当の包みを指先でつまみ持って。風呂敷に包まれた箱が彼の手にあるとまるでおもちゃのように小さく見える。

「ごはん……一緒に食べよ?」

 ちょこん、とでも擬音がつきそうな様子に「乙女や!!」と麗日が噴き出した。

 名指しされた緑谷は不思議そうな顔をして「ぜひ」と答えた。

(……あれ?)

 ほんのりと奇妙な感じがした。

 らしくない反応だと思ったのがひとつ。

 緑谷は熱狂的なオールマイトフォロワーで、その熱量は迂闊に語らせると止まらなくなるほど。ヒーローオタクの知識を頼ろうとして何度もその暴発を浴びたから、その程度は理解したつもりだった。

 それにしては、緑谷からオールマイトへの反応はファンじゃない。もっと親しい相手に対する態度に見える。

(教師のオールマイトに慣れてきたのかな)

 

 ひとまず違和感のことは忘れて、ふたりが去ってしまう前に声をかける。

「オールマイト先生、放課後は職員室におられますか。ご相談がありまして」

「なんと、氷叢少年が私に相談!!」

 ぐるんと振り返る動作にまたびくりとする。この先生は身体そのものも声も動きも無闇に大きいので、近くにいるだけで振り回されている気分になる。

「頼ってもらえて嬉しいぜ! ただ、ちょっと忙しいかな! できれば手紙にして相澤くんに預けてくれないかい!?」

「ではそのようにいたします。お耳をお貸しくださりありがとうございます」

「礼儀が大変よろしい! そんなに畏まらなくていいからね!」

 ビシッ、とひとつ手を掲げると、オールマイトは風のように去っていった。

 緑谷を手荷物のように引っ提げて。

 

 

 もうすぐそこだった食堂へ入ると、今日も今日とて蕎麦に並んでいる焦凍を見つけた。

(一度だけ誘ってくれたけど、いつもひとりなんだよな)

 凍彦は凍彦で、いつのまにか緑谷たちと食べるのが恒例になってしまった。そうするとこちらから行く機会もなかなかない。仮に行ったとして煙たがられるのは嫌だ。

 あちらも凍彦に気づいたけれど、飯田と麗日が一緒なのを見てすぐに目を逸らしてしまった。

(うーん、寂しい……)

 なんとなくひとりで待つのが嫌になって、今日は席を押さえないまま皆して列に並んでしまう。

 

「デクくん何だろね」

「わからないが、オールマイトに気に入られているのかもな。あの緑谷くんなら不思議はない。蛙吹くんが言ってたように、超絶パワーも似ているし」

「案外もう個人指導とか受けてたりして。そのほうがさっきの距離感に納得いくよ」

「だったらもっと嬉しそうにしそうだけど。デクくんオールマイト大好きだし」

「内緒なのかもね。人気者の特別扱いなんてまた警報が鳴りかねない」

「あー……」

 あれは(ヴィラン)連合による襲撃の下準備だったわけだけれど、(ヴィラン)が関与しなくとも報道記者の暴走は起きうる。毎朝ゲート前にできる人集りは途絶える気配もないのだ。

「噂にするのはよくないな」

「うん、そだね」

 幸いにも耳目を集めたような様子はない。

 俺たちはそっと口をつぐんで空気に紛れた。

 

 

 その日は放課後にも一悶着あった。

「何事だあ!?」

 素っ頓狂な麗日の声は、下校しようと開かれたドアの外、廊下にひしめく生徒たちに驚いてのもの。

「出れねーじゃん! 何しに来たんだよ」

 身体の小さな峰田が困惑の声を上げる。身長が凍彦の胸にも届かない彼の体格では、この混雑はかき分けて通るのも難しそうだ。

「敵情視察だろザコ」

 一刀の元に切り捨てたのは言わずもがなの人物だった。

(ヴィラン)の襲撃を耐え抜いた連中だもんな。戦いの前に見ときてぇんだろ」

(戦いって……まあ先生も言ってたけど)

 しかしあれは鼓舞の意味を込めたユーモアの面が強かった。生徒たちの目を悪い過去から良い未来に向かせる良い使いかただったと思う。

 爆豪は違う。無闇に敵愾心を募らせるのはヒーローとして好ましくない。

「意味ねェからどけモブども」

「知らない人のこととりあえずモブって言うのやめなよ!!」

 相手を選ばない暴言は、毎度のことながら飯田の注意もどこ吹く風だ。

 

 案の定気分を害したらしい誰かが、人の間を縫って一歩出る。

「どんなもんかと見に来たが、ずいぶん偉そうだなぁ。ヒーロー科に在籍する奴は皆こんななのかい?」

 紫の髪の男子で、着ているのは普通科の制服。隈の濃い目元にシンパシーを感じる。

 気のせいか見覚えがあるけれど、有名人だろうか。緑谷が無反応なのでヒーロー関係ではなさそうだ。

「こういうの見ちゃうとちょっと幻滅するなぁ」

「ああ!?」とキレる爆豪を意に介さず、彼は淡々と話し続ける。

「普通科とか他の科って、ヒーロー科落ちたから入ったって奴結構いるんだ。知ってた?」

 曰く、そのように躓いた生徒にも学校は機会を残してあるらしい。体育祭の成績によってはヒーロー科への編入や、逆にヒーロー科からの脱落も検討される。

 ありうる話だった。教師の裁量で生徒の除籍が行われるほどなのだから。

 しかし除籍や退学とどちらが辛いだろうか。そもそも学校へ通えないのと、元クラスメイトたちの躍進をほど近くで眺め続けるのは。

「敵情視察? 少なくとも俺は、調子乗ってっと足元ゴッソリ掬っちゃうぞっつー宣戦布告しに来たつもり」

 

 そしてまた一人、人垣の向こうから威勢の良い声と拳が上がる。

「隣のB組のモンだけどよぅ!!」

 隣ということは同学年のヒーロー科クラスだ。雄英高校は各学年のA・Bの二クラスがヒーロー科に割り当てられている。他科は三クラスずつで一クラスあたりの人数も多いので、ヒーロー科は看板でありながら圧倒的少数派だったりする。

(ヴィラン)と戦ったっつうから話聞こうと思ってたんだがよう!! エラく調子づいちゃってんなオイ!! あんまり吠えすぎてっと本番で恥ずかしいことんなっぞ!!」

 

 爆豪は廊下に漂う敵意も、クラスから集まる抗議の視線も無視して教室を出て行こうとする。

「待てコラどうしてくれんだ! おめーのせいでヘイト集まりまくっちまってんじゃねえか!!」

「関係ねえよ」

「はあー!?」

「上に上がりゃ関係ねえ」

 返された言葉に切島はぐっと押し黙る。

「く……!! シンプルで男らしいじゃねえか」

「上か……一理ある」

「いや、ないだろ」

「騙されんな! 無駄に敵増やしただけだぞ!」

 何を思ってか同調を示した常闇に、反論が口を()いて出た。一瞬自分がおかしいのかとも思ったが、上鳴が正気らしい台詞を吐いてくれたので安心した。

 けれど火種を撒いた張本人は背後でのやりとりなど意に介すことなく、群衆を押し退けて行ってしまった。

「爆豪!」

 凍彦はペンを置いて席を立った。

 

「ごめん、通して! 待てよ爆豪! 待てって、ああもう……」

 目が合えばキレるくせに、呼びかけて応えてもらえた(ためし)がない。

 凍彦が人混みを抜けた頃には、爆豪の姿は見えなくなっていた。

 早足で廊下を進み、階段を駆け下り、ようやく玄関を出ていく後ろ姿に追いついた。

 外靴を出していたらまた見失うと思った俺は、少し格好は悪いけれど、これなら効くだろう一言を腹の底の底から思い切り吐き出した。

 

「爆豪ー!! 逃げんなーッ!!」

「ざっっけンなてめこのクソザコごっこ遊び野郎が!!」

 

 下校中の生徒たちがまるでモーセに割られた海のごとくドン引いた。無理もない。雄英生にあるまじき野蛮な不良児にしか見えないだろうから。

 けれど首尾よく爆豪は振り返り、(まなじり)を鬼のように吊り上げた。

「誰が逃げるかボケ!!」

「現に逃げてるだろ!」

「喧嘩売っとんのか!!」

「そうだよ!」

 堂々と言い放てば爆豪は目を見張り、それからどす黒い怒りのオーラを放ちはじめた。

 凍彦はいかにもナメていますという風情で斜に構えて挑発する。仕草が大袈裟で芝居がかっているのは、喧嘩の作法なんてコミックや小説でしか知らないせいだ。それは喧嘩にかぎらず社会生活全部がそうなのだけども。

「わかってて逃げてんだろ。俺にその気がないときしか絡んでこないもんなぁおまえ!」

「上等だてめぇ……ブッ殺したらぁ!!」

「じゃあ運動場(グラウンド)申請してくるから。勝手に帰るんじゃないぞ」

「は……? いや待てや!! てめーだけに行かすか!」

 彼は職員室へ向かう凍彦に追いつくと、後につくのも横へ並ぶのも気に食わないようで一歩追い越して前を歩いた。

(想定通りだけど……だからわけがわからないんだよなぁ爆豪(こいつ)

 

 

 ヒーロー科生徒の自主訓練の名目なら、運動場(グラウンド)の使用許可はすぐに下りる。

 バチバチにキレている爆豪と特に仲良くもない凍彦の組み合わせに相澤先生は何かを察して「ほどほどにしとけよ」と小言を添えた。

「大丈夫です。俺は〝個性〟使わないので」

「てめー人を虚仮(こけ)にすんのも大概にしろや」

「じゃあ〝個性〟使わせたらおまえの勝ちな」

「おまえら職員室で私闘の算段をするな」

「私闘なんてしません。訓練です」

 

 そんなこんなで体操服に着替え、もはや慣れ親しんだ運動場(グラウンド)へ。爆豪にとっては初日ぶりだろうか。物を壊す心配がなくて気に入っている場所だけれど、特別な設備が何もないので訓練場としては不人気らしい。授業でも体力テストでしか使っていない。超常以前のさまざまなスポーツが生き残っていれば違っただろうに。閑話休題。

 立ち合えば、まあ当然のように凍彦は敗ける。

 パワー、スピード、タフネス、テクニック……ありとあらゆる面で俺は劣っている。自惚れられるのはせいぜい洞察と推理の力。戦闘の前段階で活きる能力だ。それだって父の(もと)で錆びて腐っていたのを、にわか仕込みで研ぎ直したもの。

 そもそも〝個性〟なしでの勝ち筋なんて、戦闘訓練で把握した右の大振りにカウンターを決めるくらいしかなかった。それだって俺の実力では決めきれず、わずか一瞬怯ませるのが精々だった。

 

 爆豪の〝個性〟は汗にニトロのような爆発成分が含まれるという。

 最初の威力は膚で受けても痛いだけで済んだ。

 身体が温まるほど目に見えて威力が上がり、やがて直接手のひらを当てるのでなく、爆風で加速した拳撃や蹴撃のみを繰り出すようになる。

 手加減をわきまえているのだ。どの程度の威力から人に向けるべきでないのか、彼は自分なりの基準を定めて戦っている。攻撃的な気性をしているけれど、振るうのは無秩序な暴力ではない。

 そして、その(たが)は必要に応じて外される。

(相手の本気を誘うとき、爆豪は自分の全力を見せる)

 ほとんどやられっぱなし。一方的なリンチのような戦いだった。腹にも顔にも手痛いのを食らった。緑谷はよくこれを捌き切ったなと今さらに感心する。

 やがて充分に温まったと見える爆豪は、それでも〝個性〟を使わない凍彦に苛立ちをぶつけてくる。

「てめーが売った喧嘩で、本気も出さずにやられっぱなしってなぁどういう了見だ」

「そりゃ想定どおりの流れだからな。〝個性〟を使う必要がない」

「あぁ!? 上等だ、ブッ殺したらぁ!!」

 爆豪は爆風に乗った恐るべき瞬発力で距離を詰め、『爆破』を燻らせた右手を直に向けてきた。

 直撃すればただではすまない威力の攻撃。

(これを待っていた!)

 俺は真正面からその手を取りにいって、利き腕を駄目にした。

 

 戦闘訓練のときとは違う、速さも重さも乗った『爆破』だった。それが接触状態で炸裂して、右腕は熟れた柘榴(ざくろ)のように裂けた。この威力で手のひらが破れない本人の強靭さは生まれつきか鍛え上げたものか、いずれにせよ驚嘆に値する。

 爆豪は目を見開いて頬を引き攣らせていた。俺が自ら迎えに行った傷のほどは、攻め手の想定を上回ったらしい。

 痛みは我慢できる。だから痛むのがわかっていても躊躇せずに済む。

 赤が滴るのに構わず腕を掴んだが、血脂で(ぬめ)って易々と振り解かれてしまう。

 胴を蹴飛ばされて息が詰まる。地を転がる。

 傷口についた砂粒がざりざりと神経を撫でる。

「……クソが! イカレてんのか!?」

「っは……言葉は、要点を押さえなよ。俺の、何が、イカレてるって?」

 出血量が多く派手に見えるが、赤黒い静脈血がだらだらと染み出すばかり。太い動脈は無事だ。骨や筋、神経にも異常はない。

 ちょうどいい塩梅(あんばい)の傷を負うことができた。

 放置すれば命に関わるが、切迫した状態ではなく、適切に処置すれば問題ない。

 立ち上がって足を肩幅に開き、腕は両肘を伸ばしきらない程度に曲げておく。武芸の型を持たない俺は、無闇に構えないほうが動きやすい。

 たらたらと血の雫が垂れ落ちる。

 睨み合い。爆豪は次の出方に迷っている。

 

 凍彦は極力安全に重きを置き、傷や痛みには敏感に対応してきた。当初からコスチュームに救急用品を備えてある者は他にはいなかった。クラスメイトたちはそんな備えや振る舞いから、凍彦に臆病な印象を持っているに違いない。

 その印象は間違ってないと俺も思う。

 そして、今、身の安全を顧みない俺を前に、爆豪は動揺している。彼の中の「ごっこ野郎」の人物像が揺らいで、正体不明の脅威を感じ取っている。

 もちろんただの錯覚だ。

 普段は意識的に自重をして、無茶をしない印象を植え付けていた。その芽を今刈り取って、揺さぶりをかけるのに使った。

(こんなことのために打った布石じゃないんだけどな……)

 一番油断させておきたかった相澤先生も、今後は警戒を強めることだろう。

 

 動きがないのをいいことに本題を切り出す。

「ちょっとお話ししようぜ、爆豪」

 勝ち敗けがかかっている以上、爆豪は相手から意識を逸らさない。放課後の運動場(グラウンド)という空間なら余人の耳目もない。センシティブな内容でも気兼ねなく話せる。

「俺言ったよな。ちゃんとヒーローやれって。耳を貸す価値のない言葉だったか?」

 首を傾げれば爆豪は舌打ちをした。

「意味わかんねんだよ……アホらしいヒーローごっこを俺もやれってか」

「甘ったれんなっつってんだよ」

「あぁ!? 俺のどこが甘えっつんだクソが!!」

「そういうところだよ。いつまで『ヒーローになりたい子ども』でいるつもりだ。ごっこじゃねえだろ、()()になるんだから」

「……ンだそりゃ……クソ弱えザコのくせに本物気取りかよ」

「俺は偽物だよ。来年、二年生の教室に、たぶん俺はいない」

 爆豪の吊り上がった目が僅かに丸くなった。

 何かしら少しは届いただろうか。そうであってほしい。体を張った甲斐があったと思いたい。

 血まみれの右手で指をさす。

「おまえがモブ呼ばわりした人たちを、おまえは守って救けなきゃいけないんだぞ。ヒーローってそういう仕事だろ。上へ上がれば関係ない? 救ける相手を蔑ろにして嫌われてたら、伸ばした手を掴んでもらえなくなるのに?」

 ため息が落ちる。

 自分の吐いた言葉が自分に突き刺さるようだ。

「……何言ったって無駄なのはわかってる。俺は爆豪に嫌われてて、差し出口なんか望まれてないから。でもこのままだと爆豪もそうなるんだ。早く気づけよ」

 

 そこまで言ったら気が済んだ。

 この上何をしたところで、俺が爆豪を動かすことは無理だろう。学校が性格矯正プログラムでも組んでくれればいいのだけど、特定の生徒に肩入れはしない方針のようだし、難しそうだ。

 〝個性〟に力を込める。ズタズタの右腕を氷で覆って、溢れる血に蓋をする。

「はい、これで一敗。〝個性〟使わせたおまえの勝ち。二回戦はどうする?」

「あぁ!? てめ……!!」

 爆豪が爆発した。勝敗が決まるや否や平静をかなぐり捨てて、凍彦の胸倉を取って踵が浮くまで吊るし上げた。

「ふ……ッざけんなクソが!! ンな意味ねえ勝ちはいらねんだよ!!」

「じゃあどうすれば意味のある勝ちになる?」

「本気でやれ!! 全力の実力で完膚なきまでに俺が勝つ!!」

「本気でやったよ。おまえと話したかったから、片腕を賭けた」

「ンな妙な賭けしてねぇで〝個性〟を使えっつー話だ!!」

「そうしたら、勝っても敗けてもひとりで勝手に納得して、俺の話なんか聞いちゃくれなかっただろ。今こうして聞いてくれてるのは、納得いかなくて理由が欲しいから」

 俺はまっすぐ爆豪の目を見返したまま告げる。

「その理由はさっき言った。俺はおまえに、ちゃんとヒーローをやってほしい」

 

 初めから、この喧嘩は暴力の競い合いじゃなかった。

 爆豪の勝利条件は、凍彦に〝個性〟を使わせた上でねじ伏せること。

 凍彦の勝利条件は、爆豪に話を聞かせること。

 俺の頭がもう少しマシだったなら、双方勝利で終わらせることもできたかもしれない。けれど、どうしても爆豪の勝利の上に自分の勝ち筋を見出せなかった。それで思い至ったのが敗けの引き分け。どうせならとことん爆豪を怒らせて、凍彦を無視できなくしてしまおうと考えた。

 概ね予定どおりだ。ただ少し、思ったよりも良心が痛む。

 爆豪は言葉を失っている。怒り、驚き、困惑、僅かな怯え、さまざまな負の感情が混ざりあってどす黒い顔色と凶悪な表情を作り上げている。

(ヒーローの顔じゃないなぁ……)

 とは思っても口に出さない。あれこれ言いすぎれば本題が埋もれてしまう。

「で、二回戦はどうする? 仕切り直しても〝個性〟は使わないよ。おまえが望む全力を出すと俺は死ぬんだ。おまえじゃなくて、俺がね」

「は……?」

「体力テストの緑谷、おぼえてるだろ。あれと似たようなデメリットを俺も抱えてる」

 そう告げた途端、激昂していた爆豪の熱が、急激に冷めた。

(何だ? 何が琴線に触った? 緑谷?)

 予期しない反応に少し戸惑う。

 

「てめぇとデクはどういう関係だ」

 凍彦の胸ぐらを掴んだまま、打って変わって静かな調子で尋ねてきた。

 俺は当惑を隠さず首を傾げて答える。

「どういうって……友だち?」

「まさかてめぇまでふざけたこと抜かすんじゃねえだろうな。〝個性〟を貰っただとか」

「〝個性〟を……?」

 思わず大きく目を見張ってしまう。

「いや、ありえないだろ。どういうことだよ」

「知るか! あのクソナードが言ったことだ!」

「……あのさ、それ、内緒の話だったんじゃないか?」

「やっぱてめえも……!」

「違う、推理だよ。嘘でも本当でも言いふらされて困るのは緑谷だろ。おまえに約束を取りつけるのは難しそうだけど、大っぴらにならないように気をつけて話すくらいはしたはずだ。違うか?」

 返答は沈黙を以てのイエス。

 凍彦は小さなため息をまたひとつ。

「だよな」

 爆豪は舌打ちをして手を離した。

 凍彦の踵が地に落ち、それからふらついてたたらを踏む。

「俺はそんな嘘つかないよ。〝個性〟は生まれつきだし」

「……てめぇはデクと同類だ。何考えてんだかわかりゃしねえ」

「わかろうとはしてくれてるんだ?」

 そうではあるまいと思いながら笑ってやる。

 爆豪の顔は憎々しげに歪んだ。

 

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