某日某所。
『弟さん観に行ってあげたらどうです?』
「あぁ?」
電話越しの軽薄な声にイラッとする。一つ下のこの男を協力者に選んだのは俺だが、ときどき後悔するくらい性格の相性が悪かった。
『ほら、もうすぐ体育祭でしょ。合法的に覗き見できるいい機会じゃないですか』
「用がねえなら切るぞ」
『待った待った、ちゃんとお仕事の話ですって。はー……もうちょい仲良くできないもんかな』
「ヒトサマん家に嘴突っ込む鳥とはできそうもねえな」
『そんなに怒ることないでしょ。こっちはお願いを聞いてあげてる立場なんだけ——』
切断ボタンをタップすると、すぐさま掛けなおしてくる。
震えるスマホを放り出して深く息を吐いた。
わかっている。だからって、膿んで腐ってもう治りやしない傷を突き回されて、腹を立てずにいられるかって話だ。
俺の頭が冷えるまでに、着信が切れたりはしなかった。
応答ボタンをタップ。
『お。じゃあ本題行きますよ。今回職場体験の指名に参加するんで、手隙のあなたが見繕ってきてください。多忙な俺の代わりに』
「……なんでだよ。せめて免許持ちを遣れよ」
『言ったでしょ、手隙のって。そういうワケで、嫌でも見に行ってくださいね、話題沸騰中の一年生会場。出張手当は色付けますから。じゃ』
そいつは言うだけ言って通話を切った。
俺は天井を仰いで、ソファの上にだらりと伸びた。
§
はや五月。襲撃事件からの二週間は息をつく間もなく過ぎた。
髪が伸びた。短く刈り上げていた襟足がふかふかしている。柔らかく空気を含む猫っ毛が、毛先を跳ねさせながらも丸いシルエットを形作るようになった。
(ちょっと燈矢に似てきたな)
父の下にいた頃は肩にかかる長さだったから、今がいちばん似ている。顔色の悪さと目の隈をどうにかして、頬にふっくらと肉をつければもっと近づくだろう。
けれど、どんなに食べても肉づきはよくならなかったし、そもそも胃が小さいのか大食できないし、身体はずっと疲れているしで見込みはない。それに燈矢の時間は止まってしまったので、何をしたって遠ざかっていくのだ。
来場者と視聴者の都合を鑑みてか、本日は日曜登校日。
『群がれマスメディア! 今年もおまえらが大好きな高校生たちの青春暴れ馬……雄英体育祭が始まディエビバディアァユウレディ!?』
パイプ椅子と折り畳みテーブルの並ぶ控え室。プレゼントマイク先生の賑やかな司会が壁を隔てて響いてくる。入場を待ち侘びる空気もすっかり温まった。
「コスチューム着たかったなー」
残念がる声も聞こえるが、他科からの編入の糸口でもある舞台。格差是正ための体操服指定だ。サポートアイテムは申請すれば持ち込めるようだけれど、青山がベルトを申請したほかには誰もそこまでしなかったようだ。
「緑谷」
焦凍の声がした。見れば緑谷は隅っこでガチガチの緊張と格闘しているところだった。
焦凍がそちらへ近寄っていくと、珍しい人物の珍しい行動にクラスの注目も集まる。
「轟くん……何?」
「客観的に見ても実力は俺のほうが上だと思う」
「へ!? うっ、うん……」
突如はじまった穏やかならぬやり取りに、俺は崩れ落ちた。
ガン! とテーブルに額を打ちつける。
「氷叢くんすごい音したよ。大丈夫?」
「平気……気にしないで葉隠……ありがとね」
痛む額を押さえるていで顔を覆う。
焦凍の
「おまえ……オールマイトに目ぇかけられてるよな。べつにそこ詮索するつもりはねえが……おまえには勝つぞ」
「おお!? クラス最強が宣戦布告!?」
「急にケンカ腰でどうした!? 直前にやめろって……」
「待って待って切島。大丈夫、喧嘩じゃない。俺が言ったんだ。思ってることちゃんと話したほうがいい、って」
「ええ……?」
困惑顔で振り向いた切島に手を合わせて頭を下げる。
「言葉選びに慣れてないんだよ。ちょっと多めに見てやって。っていうかこんな話、始まる前の今のうちでないとできないだろ」
緑谷にそれをするとは俺としてもまったく予想外。なので内心は動揺しきりなのだけれど、今回は動かない表情筋がいい仕事をしてくれた。
「あー……それはそう……か?」
「そうそう。いや、同じ『氷結』使いとしちゃ差し置かれて忸怩たるものがあるけどな俺も」
「氷叢には前に言っただろ」
「まあそう。おまえの立つ瀬なんかなくしてやるみたいなこと言われてる」
「言ってねえ……」
「どっちだよ!」
誰かがくすりと噴き出した。軽口に紛れて不穏な空気は消えてくれたようだ。
「……言いかたキツかったか。すまねえ」
「あ、ううん……びっくりしたけど……」
ぽかんと呆気に取られた緑谷が口ごもり、うつむく。それから思い詰めたようにぎゅっと眉根を寄せた。
「轟くんが何を思って僕に勝つって言ってんのかわかんないけど……そりゃ君のほうが上だよ」
宙ぶらりんに揺れていた両の手が、腰元で拳を握る。
「実力なんて大半の人に敵わないと思う……客観的に見ても……でも皆、他の科の人も本気でトップを狙ってる。僕だって遅れを取るわけにはいかないんだ」
足下ばかり見ていた顔が上がる。気弱で自己評価が低くて、些細なことに躓きがちな緑谷だけれど、今日は元気が良さそうだ。強敵、焦凍をまっすぐ見返す目には、強い光が宿っている。
「僕も本気で、獲りにいく!」
「……おお」
そのとき、舌打ちにも似た小さな息遣いが聞こえた。
そっと振り向いた先では爆豪が苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。焦凍の背中と緑谷の顔を睨みつけながら。
入場口の先に光と声が溢れている。
皆それに引き寄せられるように、飾り気のない廊下を歩いていく。
凍彦はA組の一番最後をついて行った。
入場口から踏み出す瞬間、よぎるのは兄、弔のこと。
(結局あのとき、兄さんは俺に気づいたんだろうか)
警備システムのアップデートと、全国から集められたヒーロー。厳重化した警戒を潜り抜けて侵入してくるとは考えにくい。しかし会場には中継のテレビカメラも入っているという。リアルタイムで視聴するかはわからないが、雄英を標的にしているのだから情報源として扱うはずだ。
最初の一歩がひどく重かった。
『一年ステージ、生徒の入場だ!! どうせてめーらアレだろ、コイツらだろ!?
プレゼントマイクの声が途切れても、降り注ぐ歓声が絶えず大気を震わせる。
開いた天井に円く切り取られた青空。
ステージを囲む高い壁の上、何段もの観客席と人、人、人。席前は色とりどりのスポンサーロゴで埋め尽くされている。
「わあああ……ひ、人がすんごい……」
緑谷の震える声。
「これもまたヒーローの素養を身につける一環なんだな」
まだ空回っていない飯田。
「めっちゃ持ち上げられてんな……」
そわそわと落ち着きをなくした切島。
「なんか緊張すんな……なァ爆豪!」
「しねえよ。ただただアガるわ」
普段と変わりない人もいる。
注目を浴びての反応はそれぞれだ。
続いて同じくヒーロー科のB組が入場し、普通科、サポート科、経営科もフィールドに整列していく。
一年生会場の主審は18禁ヒーローミッドナイト先生だ。ボンデージ風のコスチュームは目に刺激が強い。露出部分はタイツに覆われているのだけれど、見慣れるまでは毎度ぎょっとした。放送倫理大丈夫か。
「選手宣誓!! 選手代表、1-A、爆豪勝己!!」
呼ばれた爆豪がジャージのポケットに手を突っ込んだまま前へ出ていく。
「えええかっちゃんなの!?」
「あいつ一応入試一位通過だったからな」
瀬呂の理屈に納得する。
遠い記憶になりつつある入試、同じ会場だった爆豪は他の追随を許さなかった。彼のような人間が求められるなら、凍彦などお呼びでないだろうと悲観させられた。どうして今この場に立っていられるのか改めて不思議に思う。
舞台と呼ぶのが相応しいような大きな朝礼台。爆豪はその上に登って、愛想のかけらもない無表情で一年生一同を見下ろした。嘲笑いもせず、苛立ちもなく。
「せんせー。俺が一位になる」
「絶対やると思った!!」
「何故品位を貶めるようなことをするんだ!!」
反射で切島が喚き、飯田からも非難の声が上がる。さらには、
「調子乗んなよA組オラァ!!」
(あーあ、飛び火した……)
各クラスからも数々の罵倒を浴び、爆豪のとんでもない宣誓は盛大に顰蹙を買った。
「せめて跳ねのいい踏み台になってくれ」
締めの言葉は首をかき切るジェスチャーを添えて。
(……わかってたけど聞いてもらえないなあ)
凍彦が肩を落とす理由は誰も知らない。
選手宣誓だけの短い開会式はブーイングの嵐で終わる。
「さーてそれじゃあ早速行きましょう! まずはいわゆる予選よ。毎年ここで多くの者がティアドリンク!! 運命の第一種目、今年は……コレ!!」
ステージ上空、投影されたスクリーンに「障害物競走」の文字が並ぶ。
「計11クラスの総当たりレースよ! コースはスタジアムの外周約4km! わが校は自由さが売り文句! コースさえ守れば
普通に走って15分というところ。
(……入試よりはやりやすい)
同じようにライバルを蹴落として進まなければならないが、入試にはなかったゴールがある。目指す場所に救けるべき人や、解決すべき問題の根があると仮定すれば、気持ちは割り切れる。これは
『氷結』は移動に有利な〝個性〟ではない。けれどヒーローに機動力は重要だ。
だからこの二週間、特に先週月曜に相澤先生から
「さあさあ位置につきまくりなさい!」
客席を貫いて場外へと向かうスタートゲート。その上部に黄色く灯る三つのランプがひとつ消えた。パズルじみたギミックの扉も、音を立てて開いていく。
ゲートの幅は生徒が数人も並べば肩が触れあうほどしかない。11クラスの総数は、ヒーロー科クラスが他科の半数に抑えられているとはいえ、概算で約400名。とても一度には通りきれない。
先陣には凍彦を含むA組と、編入を狙う少数の意欲的な生徒が入り混じる。
(なんだろう。B組が少ない)
他クラスの顔ぶれは把握できていない。わかっているのは、教室まで来ていた威勢のいい鈍色の男子くらいだ。彼は前へ出ている。他にも数人、知らない顔がある。だが先頭付近にいるのはほとんどがA組だ。
(スタートダッシュの効かない〝個性〟が多い? ……爆豪がアレだったったからなあ。個人競技だけど集団戦を……それはないか)
他科は兎も角ヒーロー科にとっては進路に関わる一大事。この局面での自己犠牲は将来を犠牲にするに等しい。仲間同士だからって安請け合いはできないし強いていいものでもない。
B組の意図は読みきれないが、俺は凍彦の勝利に尽くさなければならない。
(天井は充分に高いな)
凍彦は手と膝をついてクラウチングの姿勢をとった。
『さーて実況してくぜ! 解説アーユーレディ!? 大注目の1-A担任、イレイザーヘッド!』
(相澤先生、マイク先生に弱みでも握られてるのかな……)
メディア嫌いな担任はどんな顔で実況席に座っているのだろうか。
三つのランプの最後の光が消えると同時、
「スタート!」の掛け声とブザー。
そして凍彦の身体は斜め上方へ向かって勢いよく弾き出された。
『1-A氷叢、飛び出したぁー!! だがその勢いでコースアウト……しねえぇ!? なんだありゃ!?』
『……氷だよ。瞬間的に伸ばして身体を押し出したんだ。ゲートを出ると同時に凧を張って軌道修正……器用になったもんだ』
相澤先生の呆れたような褒め言葉に気分が良くなる。
足を起点に氷の柱を伸ばし、反動で自身を打ち上げるジャンプ。USJでの
(名付けるならパイルロケットというところ)
この閃きがあったから、訓練では手以外を起点とする〝個性〟の発動に注力した。ものにできたのは焦凍と訓練するようになったおかげだろう。教えろと言われたのに、結局教わることのほうが多かった気がする。
課外授業の及第で
(この凧にも名前があったほうがいいかな。鳥もどき……滑翔する鳥といえば
滑空しながらちらりと下を観察する。
スタジアムにぽっかりと口を開けたゲート。幅狭く天井ばかり高いその空間は思ったとおりの大混雑。先を争って押しあい圧しあい、詰まってしまって身動きどころではない。
さらにはそつなく地上の先頭に踊り出ていた焦凍が、地を伝う冷気で後続の足を凍りつかせていた。なんという暴挙。正当な妨害行為ではあるのだけれど。
「甘いわ、轟さん!」
「そう上手くいかせねえよ半分野郎!!」
A組の面々はうかうかと捕まるヘマはせず、凍りついた集団から続々と抜けていく。
他にも難を逃れているのがB組だろうか。それにしては数が多い。なるほど、他科でも本気の生徒は侮れない。
普通科の紫髪男子も無事だ。なんと数人の生徒に担ぎ上げられている。
(カリスマ……とは違う)
支えている生徒たちはぼんやりしている。やる気もなければ不平不満も伺えない。〝個性〟だとすると、口田の『生き物ボイス』のような使役系か。対象に少なくとも人が含まれる。
(なんで俺を採って彼を落としたんだ?)
〝個性〟で対象を無力化できる時点で、イレイザーヘッドの『抹消』に並ぶキラーカードだ。命令できるなら並ぶどころか汎用性で優る。実際にヒーロー活動をするなら
(
考えうる発動条件は、音声、視線、接触、そのいずれかもしくは複合。不明時点で取れる対策は目を向けないことと接近しないこと。彼より前をキープして振り返らないのが最善だ。
凍彦は最初のコーナーを大きく膨れながら曲がりきり、降下角度をつけて再加速。着地の直前で翼を砕いた。
「おお! 羽どうすんのかと思ったら!」
体力テストでも気にかけてくれた切島だ。
凍彦は走り出しながら親指を立てる。
「最重要課題のひとつだったからな」
着地時の失速で数人に追い抜かれた。
その一人がクラス一煩悩にまみれた峰田。地面に投げた『もぎもぎ』を踏んで、自分だけは跳ね返るという特性を活かして勢いに乗っていく。
「轟の裏の裏をかいてやったぜ、ざまあねえってんだ!! くらえ、オイラの必殺……」
妨害への報復として焦凍に狙いを定めた直後、クラス一小さなその体躯が横合いから突撃を受けた。
「峰田くん!!」
吹き飛び転がるさまを見て、人のよい緑谷が慌てる。
攻撃を加えたのはゴールを競いあうライバルでなく、コースの先から現れた大型自律ロボット。
『ターゲット……大量!』
「入試の仮想
『さぁいきなり障害物だ!! まずは手始め第一関門、ロボ・インフェルノ!!』
前衛には人間よりもひと回り大きな、センサーのある頭部とアームが一対のロボット。入試で1ポイントが割り振られていたそれが数体。
さらに向こう、後衛にはビルほども巨大な鋼鉄の
「入試んときの0ポイント
「ヒーロー科あんなんと戦ったの!?」
「多すぎて通れねえ!!」
「一般入試用の仮想
「どこからお金出てくるのかしら……」
ヒーロー科でも推薦入学の焦凍や八百万は初見らしい。それでいて落ち着き払っているのはさすがだ。
大きすぎる障害物を呆然と見上げている他科生に、前衛ロボットが襲いかかる。
凍彦は咄嗟に氷壁を立てて庇った。
「さすがに武装は解いてあるね、銃火器類」
「銃!? マジかよ!?」
ところでロボットを体育祭という場で見せているということは、次回の入試には使わないのだろう。追い詰められて判断力の低下した受験生が墓穴を掘らなければいいが。
(試すのに余念がないな、雄英)
それは兎も角。
前方で焦凍が姿勢を低くした。足の先でも『氷結』を使えるのに、あえて指先で地に触れるのは大技の予備動作だ。俺も焦凍も、やはり手を起点にしたほうが効率よく出力と精度を上げられる。
地面をなぞり、腕を払い上げると、まるで大きな波が立つように真っ白な氷、いや
『なんと瞬殺!! 1-A轟、この程度じゃ足止めにもなんねーってか!?』
(上手いな。俺にはできないやつ。でもこれは)
氷はびっしりと機体を覆い尽くしているが、大質量の塊に封じ込めたわけではない。
巨大な図体がぐらりと傾ぎはじめ、後続のライバルたちの上へ倒れ込もうとしている。
それに気づかない見知らぬ誰かが、動きを止めた足元だけに注目して叫ぶ。
「あいつが止めたぞ! あの隙間が通れる!」
(……ちょっと、レベルが違いすぎる)
焦凍は
(言ったよねえ!
凍彦は再度パイルロケットで飛び出した。
こちらへ向かって倒れようとする筐体の、頭頂ギリギリを目掛けての体当たりコース。衝突寸前で跳ねて飛び移ると、長く伸びた柱の先が鉄くれに突き刺さる。
柱は
「ハァ!?」と非難に満ちた怒号が上がる。
同時に、ロボットの胴体関節が、上部から伝播した衝撃でへし折れた。
足場ががくんと縦に揺れて、凍彦は氷を接着剤のようにして鋼鉄の肌にへばりつく。
(思ったより冷えてたな)
金属の中には低温
崩れ落ちようとする足場から次の
壊れたロボットは自らの破片を足下に積み上げながら、みるみる身長を縮めていく。間もなく地を揺るがして土煙を上げることになった。
『またしても1-A氷叢! 飛び出すついでに後続妨害! えげつねぇ!!』
「妨害するつもりはなくて!」
思わず実況に抗議した声は、はたして誰かに届いただろうか。本当にほんの少し転倒方向をずらすだけのつもりで、こうなるとは思わなかった。
それでも目的は果たせた。
ちらと窺った地上には、迂闊にロボットへ近づこうとする様子は見られない。眼前の危険はしっかり認識されている。人が下敷きになって死ぬような重大事故は防がれた。
「わざわざ道塞いで行きやがって……!」
「A組のヤロウは本当嫌な奴ばかりだな……!」
(うう……まあ、このヘイトが焦凍へ向かなかったと思えばまあ……うーん)
——救ける相手を蔑ろにして嫌われてたら、伸ばした手を掴んでもらえなくなるのに?
遠くない過去に吐いた言葉が痛い。
とはいえ今は妨害行為も容認された競走中。いち早くゴールへ辿り着くことが正義。
凍彦は頭を振って憂いを払い、凧を張って風に乗った。
調子が良かったのはそこまでだ。
第二関門の綱渡りや第三の地雷原は、いずれも安全な着地が見込めず、ひとっ飛びとはいかなかった。氷の凧は風の影響を強く受けるし、重量が嵩むのでさほど飛距離が伸びない。万能の翼とは到底言えないのだ。
そんなわけで結局焦凍には追いつけないまま、爆豪と緑谷に鮮やかに追い抜かれて、順位を四位まで落としてのゴール。
緑谷はなんと焦凍まで抜かして堂々の一位。
身体に真っ白い冷気を纏わりつかせた焦凍は無言のまま、前の背中を見つめている。
汗だくで荒い息を吐く爆豪は、屈辱に震えながら握りしめた拳を押さえつける。
俺は悔しさと誇らしさのあまり楽しくなった。
「緑谷、おまえまで空飛んじゃうとかびっくりだよ」
冷え切った白い息を吐きながら駆け寄ると、緑谷はあたふたしだした。
「あ、あれはたまたま……! 使えそうと思ったものが使えただけで……」
「ロボットの装甲だよな、あの板。わざわざ持ってきてたの?」
「うん、武器にも盾にもなって結構使いやすくて……こんな序盤に〝個性〟で
超パワーの制御ミスで骨や筋を傷めると、リカバリーガールの『治癒』に体力をごっそり持っていかれるらしい。
「えっ、まさか〝個性〟なしで一位?」
「そ、そうだけど運が良かっただけっていうかその……!」
「そこで言い訳しちゃうのが緑谷って感じ」
続々と生徒たちが場内へ戻ってくる。
「デクくん……! すごいねえ!」
「麗日さん!」
息を切らせて麗日が戻ってきた頃には、A組は半数以上がゴールしていた。
麗日に続いてまたA組。八百万が尻に峰田をくっつけたまま屈辱に顔を歪めている。
「くっ……こんなハズじゃあ……」
「一石二鳥よオイラ天才!」
「サイッテーですわ!!」
不思議なのは、20人近い完走者の中に他クラスがまだ4人しかいないことだ。他科は兎も角、B組はどうしたのだろう。同じヒーロー科同士でここまでの格差が生じるのは不自然だ。
彼らの意図は、このあと第二種目の進行中に明らかになる。
凍彦はひとりぼっちの観戦席で、実況からそれを知ることになった。
第二種目は騎馬戦。予選通過は43名。察するにヒーロー科の生徒数に編入審査枠を加えた数だ。その中で2人以上4人以下からなる騎馬を組み、鉢巻を奪い合うチーム対抗戦だと説明を受けた。
制限時間はチーム分けと実競技で15分ずつ。
凍彦は説明を聞いたあと、しばらく呆然と立ち尽くしていた。チーム作りに奔走する皆の様子を眺めながら、どうしたものかと悩んだ。
「氷叢くん、よかったら組まない?」
声をかけてきたのは葉隠だ。体操服は五分袖で手袋もしていないので、肘を大きく振ってアピールしている。隣には耳郎もいた。ふたりはもう組むと決めたのだろう。
凍彦は緩く頭を振った。
「ありがたいけど、俺じゃ足手纏いになっちゃうよ。理由は……手でも腕でもどこでもいいから、ちょっと触ってみてくれる?」
「うん?」
右手を差し出すと、手のひらの上に温かくて柔らかなものがぽんと置かれた。
「えっ、何これ!? 大丈夫!?」
「俺は平気。でも15分騎馬組むのは難しいよね」
耳郎が怪訝な顔をしているので、そちらへ左手も差し出す。彼女は握手のように軽く握ると、気だるげな目をぎょっと見開いた。
「……氷叢、チームどうすんの」
「考え中。誘ってもらえて嬉しかったよ。ありがとうね、葉隠、耳郎」
とは言っても、どうにも打つ手なしの詰みが見えている。
手を振り背を向けたふたりも察しているのだろう。耳郎の表情は悔しそうだった。
まず以て頼れる相手が少なすぎるのだ。
(可能性があるのは焦凍、八百万、常闇)
焦凍と凍彦の組み合わせでは、戦術の幅が極端に狭まってしまう。
八百万との相性は悪くないけれど、総合力とデメリットで焦凍に劣っている。
見れば、ふたりは当然のように互いをチームに選んでいた。妥当だ。
常闇にとって凍彦は自分の長所を少なからず潰す選択肢だ。それを補って充分な活躍を凍彦は約束できない。確かなことを言えるほどは彼の〝個性〟を知らない。
(いや、なに諦めてんだ。相談しろ。ノーリスクの行動を惜しむな)
気を持ち直して踏み出そうとしたところ。
「なあ、あんた。A組の氷の人」
横合いから馴染みのない声がかけられた。
振り向けば、凍彦と同じくらい濃い隈をこさえた顔があった。使役系〝個性〟の紫髪君だ。近くへ寄ると少し見上げる長身で、目線は焦凍と同じくらい。飯田ほどの高さを感じるのは無造作に逆立てられた髪型のせいか。
(視線と音声は無害。接触が条件か? もしくは〝個性〟を使う意思がない……おや)
不躾な思考をさとられたか、歩み寄りが止まった。
(観察力がある。いいなあ)
本当にどうしてヒーロー科から落とされてしまったのか、首を傾げてしまう。
ちらと時計を見た。チーム分けの残り時間は11分43秒。まだ余裕はある。
「氷叢凍彦だよ。君は——」
名前を尋ねようとした口が仕事を放棄した。
「……おい」
はっとする。紫髪は眉間に皺を寄せていた。いつの間にか彼の近くに人が増えている。尾白ともうひとり、推定B組の誰か。どちらもぼんやりと覇気のない表情だ。
凍彦はじっとりと汗をかいていた。皮膚表面が
時計を見た。残り時間がちょうど6分を刻むところだった。結露具合からしても間違いない。およそ5分余りの記憶が抜けていて、その間は〝個性〟の制御を解いていた。
結露した水滴を瞬間的に凍らせ、細かく砕いて払い落とす。
どうやら凍彦は彼の〝個性〟にかかっていたらしい。
(なるほど、接触じゃなく、応答が発動条件か)
使役系の強力な〝個性〟だが、使い勝手はなかなか癖が強そうだ。
「あんたも早くチームを決めたほうがいいぜ」
「ああ、いいんだ、俺は」
頭を振ると彼は訝る顔を見せた。
一応、場内を見回して常闇を探してみる。チームごとにまとまってきているので、すぐに見つけた。緑谷、麗日、プラス誰かと一緒に話し込んでいる様子だ。もう凍彦が入り込む余地はない。
「もともと棄権するつもりだったんだ。君に声かけてもらえたし、もう満足。あ、名前教えてよ。クラスも」
「……おまえ、俺に何されたかわかって言ってんのか?」
「そりゃまあなんとなく」
ここにはチームの上限人数が揃っている。この顔ぶれでいざ騎馬を組もうとして、凍彦の身体が冷たすぎることに気がついたのだろう。
今の凍彦は極端に体温が低下している。霜でなく結露で済んでいたことから、氷点以上に戻っているようだが〝個性〟を使えば使うだけ下がる。普通の人間はこの肌に触れながら15分もコンディションを保てない。
もしかすると強い冷感刺激で〝個性〟が解けてしまうこともあるかもしれない。いずれにせよ凍彦は駒に向かない。
「そういうのもさ、また今度お昼でも食べながら話そうぜ。今は手の内晒したくないだろうし、君はチームメンバーもうひとり見つけなきゃいけないし……」
相手は困惑しきりだが、あまり長々と話してはいられない。
「改めて、俺はA組の氷叢凍彦。君のクラスと名前は?」
「C組……心操人使」
「よろしく、心操。それじゃあまたね。応援してるよ」
凍彦は手を振って、軽い足取りで踏み出した。
別れ際も心操はずっと苦い顔をしていた。
主審のミッドナイトは「体調不良による棄権」をつまらない嘘と一蹴したが、
「では全員に断られて失格して参ります」
「……それはもっとつまらないわね」
渋々ながらも認めてくれた。
A組の観戦席は空っぽだ。隣のB組も同じで、その一画だけぽっかりと空いている。
だから、ひとりきりで涙を拭い続ける生徒をカメラが見つけるのは容易なことで、エンターテインメントにとってそのカットは最高のスパイスに違いなかった。
後日になって、マスメディアのデリカシーのなさを見誤ったと気づくことになる。
それは導火線の束にガソリンをぶっかけるみたいな、とんでもない手違いだった。