落第騎士の備忘録   作:悪事

14 / 24
 桐原くん、騎士やめるってよ(嘘)。ちなみにサブタイは“桐原静矢の英雄譚”。次々と諦めていく同期、絶望し、嘆き、逃げ出したいと思う桐原静矢の逃避を留めたのは一体、なんだったのか。今回、それが明らかになります。

 一輝くん?いつも通りです。


十三話

 

 リングへとゆっくり歩んでいく。去年は立つことさえ許されなかった舞台、七星剣武祭へ出場する者を決める選抜戦。去年、遠巻きに眺めることしかできなかった場所に僕は立っているのだ。と言っても、模擬戦のリングとして使っているので、厳密には何度も使ったことがあるところだった。

 

 観客席はがやがやと騒がしい。

 

 これから戦うであろう騎士たちの決闘を心待ちにする期待の眼差しやギラギラとした好戦的な視線も散見している。申し訳ない、そのような気持ちが浮かんできた。僕が振るうは、超常的な異能とはかけ離れたどこまでも平凡な技巧。天地をひっくり返し、物理法則や因果律さえ捻じ曲げる騎士の異能のぶつかり合う場において、どこまでも場違いなありふれたもの。

 

 恥ずべきことなんだろう、それでも勝たねば卒業の道はない。

 

 勝率なんて欠片もあるか怪しいくらい。挑むは人知を超えた異能、異才を行使する修羅。おまけに今日、戦うのは僕たちの世代の最高峰。去年は主席を務め、七星剣武祭に一年生で出場した輝かしい戦績を持つ騎士。

 

 さんざめく栄光に彩られた桐原くんを相手取る僕は、去年は成績と単位の不足で落第した落ちこぼれ。はき違えてはいけない。この戦いは対等なんてものではなく、あくまで挑戦するのは僕のほうなのだ。

 

 試合の開始前。数百の視線が向けられる中、なじみ深い気配に惹かれ、そっちの方を見ると珠雫、アリスとステラたちを見かけた。

 

 ふらふらと手を振ると、身体ごと跳ねた珠雫が控えめに手を振り返してくれる。アリスはそんな珠雫をにこにこと見守り、ステラは試合に集中しろ、とリングの方を何度も指差していた。

 

 

 やがて、観客席の歓声を凌駕する音圧で実況の声が空間に伝播した。

 

 

『みなさま、大変長らくお待たせしました!!本日、行われる選抜戦の最終カードにして、最も注目度の高い対戦、第四試合が開始されます!!』

 

 実況の煽りを受け、観客席のボルテージも一層、高まっていく。歓声が空間を揺らすほどの音響を起こしており、この一戦の関心が如何ほどかを示していた。ただ、あまりの喧しさに珠雫は口をへの字に曲げ、不機嫌そうに眼光を尖らせている。

 

『実況は引き続き私、放送部の月夜見。そして、解説の西京寧音先生で進行して参ります!では、此処から選手の紹介です。昨年、七星剣武祭において“唯一の一年生選手”!三回戦まで勝ち抜き、武曲学園の俊英、昨年の七星剣王を終始圧倒!!惜しくも勝利を譲りこそしましたが、その実力を疑う者はいない昨年度主席!』

 

『え~、まぐれじゃねぇ~~?』

 

『仕事してない解説はほっといて、勝てる相手を倒し、確実に勝利を手にする!“狩人”の二つ名は伊達じゃない!七星剣武祭代表最有力候補、二年、桐原静矢選手!!』

 

 観客席からは黄色い歓声が上がり、二年の多くは手を合わせ、祈るように桐原を応援している。

 

『おっと、さすが桐原選手。容姿の良さと類まれな実力を合わせ持つことから、女子受けは抜群です』

 

『え~、うちはもっと野性味あふれる感じがいいな~。ワイルド系で、もっとガツガツしたのじゃねーと燃えないんだよ』

 

『さぁ試合の決着が早いか、解説が不適切な発言(セクハラ)して退場するのが早いのか、別に注目しなくていいポイントです』

 

『ひどくね?』

 

『では、狩人に対峙するもう一人の注目選手の紹介です。昨年度、唯一の落第生!ランクは最低評価のFランク、公式試合記録ゼロ。正体不明の実力を持ち、今年度に入ってからその実力の片鱗をたびたび垣間見せました。Aランク、紅蓮の皇女、ステラ・ヴァーミリオンと深海の魔女、黒鉄珠雫。二人のAランクを模擬戦とはいえ次々と下した落第騎士(ワーストワン)!!ただのまぐれか、実力か!謎めいた彼の真の実力、そのヴェールが明かされます。一年、黒鉄一輝!!』

 

 

 興奮と歓喜を報せる歓声が音高く木霊するが、別にどうでもいい。

 

 

 今は対峙する桐原くんに真摯に向き合うことが優先だ。

 

 

「やぁ、桐原くん。こうして、正面から向き合うのは去年の鍛錬の時以来か。…参ったな、第一試合から桐原くんほどの実力者とかち合うなんて、我ながらくじ運が無いにもほどがある」

 

「ハッ、君はちゃんと理解しているのかい?君と僕が対峙するのは、鍛錬の場でしかなかったろう。…………模擬戦も、実戦も君と僕が戦ったことは一度たりとも無かった」

 

「そういえば……でも、桐原くん(狩人)が戦場に立つということの意味はよく理解しているつもりだよ」

 

「どうだか…………この場に出てきたということは、相応の覚悟をしてきた、と受け取るよ」

 

「うん、覚悟はとっくにしてきた」

 

 楽しそうに朗らかな表情を作る一輝に対し、桐原静矢の表情は重く苦しそうな顔をしていた。いいや、彼だけではない。観客席にいる二年、一部の生徒たちは鎮痛そうな悲嘆と諦めの貼りついた表情をしており、歓声が鳴る観客席において、そこだけはまるで葬列の一団がごとき雰囲気をしていた。

 

 

 選手たちの会話が終わったのを見計らい、実況の月夜見はマイクを強く握りしめた。本日の下馬評において、もっとも勝敗の分からない対戦。実況として、この試合の全てを観客に伝えるため、彼女は喝采を送るように宣言した。

 

『本日、最終戦。第四試合開始!!』

 

 

 

「起きろ、隕鉄」

「狩りの時間だ、朧月」

 

 互いに霊装(デバイス)を顕現。だが、同時に霊装(デバイス)を呼び出したにも関わらず、先に武器を握ったのは桐原静矢の方が早かった。(みどり)の色合いをした弓、朧月。それを手にした桐原静矢は、眼前で悠長に棒立ちしている黒鉄一輝を前に動こうともしない。

 

 いいや、彼は知っていたのだ。黒鉄一輝の霊装、隕鉄が顕現するまでの間、絶対に干渉してはならないという事実を。

 

 一輝が動くより早く、桐原の姿がリングから霞のように消え去った。

 

 

 姿を消した対戦者を気にも留めない黒鉄一輝の足元に漆黒の流体が現れる。液体金属に似た“それ”は、ゆっくりとしなやかかつ、反り返った形状を取っていく。しかし、一輝の霊装(デバイス)は常のモノと違い、鞘や柄、刃も無ければ、刀の形状ですら無かった。

 

 

 本体の大部分に当たる漆黒の弓幹、矢を放つための黒々とした弦。

 

 

 それは何処からどう見ても刀ではない、刃物ですらない。

 

 

 夜を削り出したような漆黒の“弓だけ”が一輝の手には握られていた。

 

「────あれ?」

 

 思案顔の一輝は、困ったように弦を引いたり、離したりして感触を確かめている。それから、周囲をきょろきょろと見回し、何かを探す素振りをして。

 

 

 肩を落とした。

 

「弓だけあっても、矢が無ければどうにもならない気がする……」

 

 

 気の抜ける調子の一輝の呟きに、観客席にいた大勢の生徒たちが揃ってこけそうになった。一輝の間の抜けた台詞を聞いて、それでも様子を変えなかったのは、二年生の一部と黒鉄珠雫、一輝の実力の一端を知る者たちのみ。

 

 

 

 

 

 弦を引っ張り、ふらふらと身体を揺らす一輝、姿を消した桐原静矢。試合の開幕から五分ほど経過して、試合は完全に凪いでしまっていた。というか、実況と解説からすれば、先に言及しないといけないことがあった。

 

『お、お待ちください…。たしか、黒鉄選手の霊装(デバイス)って、日本刀型との情報が──』

 

『…いんや違う。多分だが、黒坊の霊装(デバイス)には決まった形がねぇんだ』

 

『えっと、西京先生、形が無いというのは?』

 

『言った通りだ。決まった形を持たない霊装(デバイス)、相手の戦略や相性に応じて、形を変えることで相手と戦う。とんだ変わり種だな~。少なくともプロの世界でも見たことがねーよ、あんな特殊過ぎる霊装(デバイス)

 

『ちょっ、ちょっと、お待ちください!?そんなことがありえるんですか、騎士の霊装(デバイス)は持ち主の魂の具現。それが、決まった形を持たないなんて……ましてや形をたびたび変えるなんてことが』

 

『でも、そうとしか考えらんないだろー。すっげぇな、アイツよっぽど器用なのか、いかれてるかのどっちかだぜ。おんもしれ~!』

 

 あっけらかんと笑う西京だが、実況の月夜見や観客の大半は絶句していた。魂の具象たる霊装(デバイス)が変幻自在?ころころと形を変える?

 

 

 ありえない、それが解説を聞いた生徒たちの共通認識だった。

 

 

 

 それは一輝のルームメイトであるステラでさえ同じ。ゆえに彼女は自分よりも黒鉄一輝に詳しい少女に話を聞くことに。

 

「シズク、今の話、本当なの?」

 

「事実です。日本刀の形状はお兄様が最も使い慣れた形であるというだけで、それ自体が本当の形を顕しているわけではありませんから。大体、ステラさんもお兄様が霊装(デバイス)の形を変えられることを知っていたでしょうに」

 

 竜殺剣、ステラとの模擬戦で一輝が用いていた異形の武装。日本刀とかけ離れた姿を見ながらも、ステラは常識的な先入観(バイアス)から日本刀の形を基礎に、そこから形を変えているものと認識していた。

 

 しかして、最初から形が無かったなどと誰が予想できよう──。

 

「あれがイッキの伐刀絶技(ノーブルアーツ)……なのよね?」

 

「私も詳しくはありません……いえ、前提条件としてお兄様ですら、ご自身の伐刀絶技(ノーブルアーツ)の正確な能力をご存じではないのです」

 

 珠雫の爆弾発言にステラとアリスはギョッとした顔をするが、問い詰めたい気持ちを抑え込んで二人はリングに視線を戻した。術者本人ですら把握していない異能の真価を、珠雫に尋ねても満足のいく回答は望めまい。

 

 

 落第騎士。否、魔剣、黒鉄一輝は未だにその力の底を明かさない。

 

 一輝の事情、その戦闘能力と反比例した自信のなさ。そのちぐはぐさにステラがしかめっ面をしていると、ふと全く無関係な疑問が浮かび上がった。

 

「ねぇ、そういえば、どうして珠雫はイッキの控室に応援に行かなかったの?」

 

 そう公然と、明け透けに兄、黒鉄一輝を愛すると宣言している珠雫が、七星剣武祭に参加するための最初の戦いに出る彼の元を訪れなかった。相手は、昨年度の首席でイッキ自身がこれ以上ないほどに激賞した二年生。

 

 戦い方、その流儀と性格はステラも気に食わないが、実力と積み重ねた実績は桐原静矢の力が確かなものであると示している。だというのに、珠雫は何故、応援に駆けつけなかったのだろう。

 

「……お兄様の評価基準と相手への賞賛は参考になりません。それに何より、七星剣王も、プロの世界に生きる騎士も、兄の足元にも及ばない。ましてや、あの程度の相手と戦うくらいで心配するなど、兄と“兄に敗北してきた大勢の者たち”に失礼というものです」

 

 

 

 

 

 熟達した弓使いを相手に、漆黒の弓(だけ)を持った黒鉄一輝は所在なさそうに弦を引っ張ってみたりしていた。なお、黒鉄一輝は弓を扱った経験は無い。弓道、もしくはアーチェリーなど経験はゼロである。

 

 それは実況席でリングにただ一人立つ一輝を見ている月夜見と西京の両名も容易に見て取れた。少なくとも黒鉄一輝は弓術の素人である、と。ただ試合が開始して、十五分が経過したが一向に戦闘が始まる気配がない。一輝はフラフラとしたまま弓を触るだけだし、桐原に関しては試合が始まって早々に姿を消してから音沙汰も、気配も、行動もない。

 

 これはいわゆる玄人受けする展開なのかと、一年生たちが固唾をのんでいると解説を務める玄人中の玄人である西京寧音は駄々をこね始めた。

 

『つまんにゃーい!桐やんも黒坊もさっさとやりあえよー、にらみ合って勝負がつくわけねーじゃん!姿を隠してコソコソしてる狩人と、弓はあっても矢がない射手。これ、勝負になる以前に、勝負がはじまんのか~?』

 

『そうですね、試合が始まってはや十数分が経過しましたが、両雄ともに動く気配はありません。これは膠着状態ということなのでしょうか?』

 

 困惑している月夜見の横で、とうとう欠伸(あくび)を隠すことなくし始める西京は頬杖を突いたまま、つまらなそうに眼下のリングを眺める。前々から注目していたはずの、黒鉄家の落ちこぼれくんはふらふらと身体を揺らしているだけ。

 

 さっさと試合らしい試合をはじめろよ、などと呆れ混じりにため息を吐いていると、ふと黒鉄一輝の足元に小さな点があるのが見えた。

 

 その小さな点に目を凝らしてみると、突然、点、いいやリングに何かが突き刺さったような穴が音も気配もなく“発生した”。

 

 

 ガタンッ、解説席の西京が突然、無言で立ち上がる。

 

 突然のやる気のなかった解説の起立に観客席の視線までもが集まってくる。

 

『おいおい、嘘だろ?いつからだ、いつからアイツら、戦い始めてやがった…』

 

『えっと、西京先生、詳しい解説をお願いします?』

 

『──はっ?うちが、ひよっこの学生どもと同じように此処まで戦闘を認識できなかった、だぁ?……っざけんな!?攻める方も、守る方も学生騎士なんてレベルじゃねーぞ』

 

 西京寧音の尋常ではない様子に実況、月夜見と観客の大勢も遅れて理解する。そう、戦いはとっくの昔に始まっていたのだ。

 

『し、信じられません!!まさか、まさかの落第騎士と狩人の決闘は既に始まっていたというのです!!で、でも~、ホントに戦っているんでしょうか。正直、私から見るとリングの上では使い慣れてない弓をフラフラした足取りで扱おうとしている黒鉄選手しかいないように見えるんですが?』

 

『…………黒鉄の足もとだ。透明で見えにくいだろうが矢の跡が残ってる。此処まで攻撃していたことを気取らせねぇ桐原も大したタマだが、黒鉄の方も最小限の動作と信じらんねぇくらいの読みで桐原の攻撃を避け続けてやがる』

 

 恐るべきは数百名にも及ぶ観客や百戦錬磨のプロ騎士の観察眼すら、その隠形によって騙しての奇襲を実行する狩人。

 

 恐るべきは不可視の攻撃を避け続けておきながら、攻撃されたという事実を余人に感じさせないほどの自然体と最小限の身動きで矢を避け続ける落第騎士。

 

 共に人並外れた技術と異才を放つ修羅。

 

 両騎士の見えざる決戦を遅れて認識した西京寧音は驚愕を露わにしていた。それもそのはず。つい先ほどまで彼女は観客席にいた学生たちと同レベルの感想しか言えていなかったのだ。辛うじて最初に気づくことはできたが、偉ぶることはできないだろう。

 

 

 なにせ、試合が始まって十数分もの間、桐原の攻撃も黒鉄の回避にも気づけなかったのだ。実戦で想定するなれば、これは致命的な隙と油断。すなわち、これはある事実を示していた。狩人、桐原静矢の一射は初見であり、姿を隠遁した状態に限るならば“魔人(デスペラード)”にすら届き得る練度であることを。

 

 もちろん、致命傷までは期待できまい。されど、手痛い傷を残すことは可能だ。常人ではありえない戦功。学生騎士では望みえぬ奇跡に指を掛ける技量。二年、桐原静矢は知らず知らずのうちに世界の頂を、その射程圏内に納めていたのである。

 

 

 また、今を以て魔人、西京寧音は桐原静矢が何処に潜んでいるのかを把握することが出来ずにいる。矢が放たれているのは分かるが、射手は移動を続けているため狙撃点の割り出しが困難。

 

 不可視と完全な情報遮断。光学的にも、魔術的も、狩人の隠形を破る手段は現実に存在し得まい。恐るべし、狩人の森(エリアインビジブル)

 

 

 

 ゆえに、桐原静矢の技量に驚くと同時に西京寧音は苦笑する。

 

『──黒坊よぉ。おまえ、なんで見えない狙撃を避け続けてられんだ?』

 

 

 魔剣、黒鉄一輝の人知すら及ばぬ戦闘本能が漆黒の輝きを放った。

 

 

 

 

 

 舞台上で透明な何かを避ける一輝は、実のところ矢を明確に察知していたわけではなかった。確かに黒鉄一輝の認識能力は運命、概念、見えざる因果律さえ容易に捉える。だが、そんな一輝の眼を以てしても捕捉不可能を実現する桐原静矢の伐刀絶技(ノーブルアーツ)

 

 

 狩人の森(エリアインビジブル)は今もなお難攻不落であった。

 

 

 ゆえに一輝は正確に認識するのを諦め、“認識できないモノを認識することに全力を注いだ”。

 

 誰がどう聞こうと理解し得ない矛盾である。

 

 だが魔剣、黒鉄一輝にはその矛盾は通用しない。

 

 黒鉄一輝は森羅万象を明瞭に読み取る絶対の眼力と理解力を持つ。ゆえに見えないものという不自然を、明らかな違和感を一輝は決して見逃しはしなかった。総てが明確に見えるからこそ、見えないナニカを正確に視ることを魔剣は可能とする。

 

 

 けれども一輝は“いつも通り”内心、動揺していた。見えない存在という常識外の現象。生まれ落ちた時より世界の全てを明瞭に理解する眼を持つがため、桐原静矢が行使する不可視の法則を一輝は苦手としている。

 

 何度、対処しても、一輝にとって“狩人の森(エリアインビジブル)”は騎士の異能の中で最高峰と断言するに余りある脅威の異能だった。

 

 

 ああ、だが残酷なるかな。此処で魔剣は“適応”を終えた。

 

「──なるほど、君を倒すにはこうすればいいんだね?桐原くん」

 

 

 刃剣を持たずとも魔剣の鋭さに陰りはない。相手を撃滅する至上最適解を、弓を持った剣士は弾き出す。

 

 

 

 矢をつがえていない弓を引いた。

 

 僕にできるのは異能とは無関係の並の人にできることくらい。

 

 それで桐原くんをどうにかしようなんて、無理が過ぎると我ながら呆れてしまう。まぁ、常人にしかできないことを積み重ね、奇跡と偶然、幸運とまぐれがあったなら、僕でも桐原くんに届くかもしれない。

 

「紙を折り曲げ続ければ月にも届くって与太話があったっけ──」

 

 

 まぁ、やれるだけやってみよう。空を引いた弓を構える。その状態のまま待機。感覚は認識できないモノを感知できないまま認識しようと鋭さを増す。深く息を吸う、ゆっくりと吐き切り、不可視の、空白の何かが迫るのを感じた時。

 

 僕はその方向に弓を回し、張り詰めた弦を放した。

 

 

 

 

 水面に映る月影はただの残像だが──。

 

 真実、月を見たことのない者にとってホンモノになり得るのではないか──。

 

 

「うん、弓は大体、できるようになった」

 

 

 

 一輝が弓を空撃ち、いや空引きしてから虚空より痛烈な叫びが反響した。

 

“ギィアァァァァァアッ!!!”

 

 それが桐原の叫びだと観客たちが認識するまでに数秒、そして、一輝が何をしたのかを理解しようとして、理解を諦めるまでに更に数秒の時間が経過する。客席にいたステラ、アリス、三年の生徒会に属する生徒たちも一輝のしたことがなんなのか、理解が及ばない。

 

 

 珠雫だけは、“兄ならば有り得る”として魔剣の為したことを凡そ、予測はしていたが種明かしが解説の口よりアナウンスされる。

 

『黒坊のヤツ、マジでぶっ飛んでやがる。一日でこんな驚かされたのなんて、久しぶりだぜ』

 

『……も、申し訳ありません。事態の不可解さと、意味不明さで実況が追いつけませんでした。それで西京先生、一体、リング上では何が起こったというのでしょう?』

 

『何が、って言ってもおこちゃまたちも見てたろ?黒鉄が攻撃する場面を』

 

 そう言われ生徒たちは唯一、攻撃らしいパフォーマンスである弓の空引きを思い出す。だが、あれの正体は、意味するところは一体?

 

『こりゃ、確実な話だが、黒鉄も桐原のいる位置を正確に把握できてねぇ。つーか、うちだって狩人が何処にいやがるのか、わっかんねぇしなっ!だから、黒鉄は矢だけに対処を全振りしたんだろ。ステルスに特化した認識不能の弓兵っても、放たれた矢の射線上に必ず射手は存在する。……黒鉄はな、“飛んできた矢をそのまま弓につがえて、射手が動く前に撃ち返したんだよ”』

 

『…………………………………は?』

 

 月夜見女史の一言は観客たちの総意でもあった。だって、そうだろう。理屈としては正しいかも、いいや理屈としたって誰も考えようとしない。それは飛んでくる銃弾を弾き返して銃口にいれようとするようなもの。

 

 ましてやコトは魔力で強化された伐刀者(ブレイザー)の一矢だ。

 

 

 装甲車の鉄板ですら貫通する高速の矢を、どういう思考でそのまま撃ち返そうという結論に至るのか。どういう技能や能力があれば、その空想を現実に持ってこれるという!?

 

『黒鉄め、はじめから狙ってやがった』

 

 

 

 

 

 “偶然である”。

 

 

 黒鉄一輝に弓を扱った経験はない。いわんや、弓での実戦経験などあるはずもなく。

 

 仕方がないので、黒鉄一輝はこの場で弓を極めることとした。

 

 

 やむを得ず、弓に触れてから一輝は実地で把握することに勤しんだ。弓という武器の使用用途、性能臨界、実用上の理論最適、自分が使用するときの問題点、弓の場合の固有戦略。それらを“桐原の攻撃を(さば)く”片手間に習得。

 

 

 武芸百般、剣理を極めた黒鉄一輝はそれ以外の武器を剣技の応用で、ある程度の所まで極めることを可能とする。隕鉄、自身の霊装(デバイス)が何故か、弓の形をとったのには驚いたが彼は問答無用で適応した。

 

 

 その理由として、霊装(デバイス)が剣以外の形になることに慣れていたというのも大きい。偶にではあるが、剣の倒し方以外を思いついてしまうと、隕鉄が基本形態である日本刀以外の形になることはままあるのだ。正直、剣の方が使い慣れているし、勝手に形が変わるのは面倒だが、困るというほどでもない。

 

 あっさりと魔剣は弓の戦い方を覚え、桐原静矢を圧倒する。

 

 

 矢が飛んでくる、気がした。飛んできた方に弓を構え、矢を急いで掴んで手元でくるりと反転。矢を弦につがえ、放つ。その間、僅か一秒以下。矢が透明ということもあり、傍目には弓を空引きしているようにしか見えないだろう。

 

 

 都合、十七発。桐原が何度も苦悶の声を上げ、矢を放ち続けるも一輝は避けることをせず、淡々と矢を撃ち返し続けた。そして、全身を血みどろにした桐原が透明化を解除して、姿を現した。

 

 制服を流血に染め、痛みに顔を歪める彼は、とても試合開始前の同一人物には見えなかった。

 

 

「……桐原くん。もう決着だ。これ以上やれば、出血多量で死んでしまうよ?」

 

「……はっ、随分……お優しい言葉だ、ね。でも、これは“実戦形式”の決闘だ。命のやり取りが前提の戦いで、そんな口が叩けるなんて……余裕じゃないか」

 

「まさか、第一試合から随分な綱渡りをしてしまった。もう一度やれ、なんて言われても自信がないよ」

 

 

 本心からの呟きと共に首元に手を当てる一輝へ、桐原静矢は血を吐くように吠え挙げた。

 

「そんなわけないだろっ!!黒鉄、お前は強いよ!強いんだ!伐刀者(ブレイザー)でもこんなことできる奴はいない、普通の人間なら尚更だ。なのに、なんでお前は、自分を落ちこぼれと、落第生だって言い切れる!!」

 

 地獄の底で助けを求める声にも、死の間際の断末魔にも聞こえる桐原の叫びに正面から向かい合い──。

 

「“だって、桐原くんが言ってたじゃないか?”」

 

 困ったように一輝は微笑んだ。

 

 

 ぎらり、と。

 

 真っ黒に輝く星がそこに存在した。

 

 リング上の黒鉄一輝と桐原静矢を眼下にする観客たちは一様に違和感、いいや言い知れぬ恐怖を抱いた。理由は分からない、恐怖の対象すら判別付かない。ただ、怖い。漠然とした恐怖と狂気だけが実感として残った。

 

 

 困った顔で桐原の質問に回答する一輝の言葉には、責める意思や憎悪は皆無である。事実を事実と確認するための虚無に似た音だけが単語の羅列として発声された。確かに桐原静矢は去年から今の今まで黒鉄一輝を虚仮にし続けてきた。本心と真実を、虚飾でかき消そうと必死で罵倒を重ねてきた。

 

 

 

 ──此処に因果は応報する。

 

 

「は、ははははっ、そっか、全部、僕の自業自得か……」

 

 無垢なバケモノは、罵倒の裏に隠された本心を理解しようとせず、文面だけをそのままに解釈し、その上っ面だけを事実と誤認した。桐原はひざを折る、そのまま朧月を手放し、リング上にうずくまった。

 

 

 それを訝しそうに見ていた一輝は不思議そうに首を傾げ、心の底から善意の言葉を紡いだ。

 

 

「どうしたんだい、桐原くん。まだ戦えるだろう?」

 

 

 うずくまった桐原が弾かれたように顔を上げる。

 

 上げた視線の先、そこには一輝の輝くような眼差しがあった。

 

 無垢な期待と憧憬が一輝の瞳には溢れている。その瞳の中には、景色の一要素として桐原静矢は映り込んでいても、桐原静矢という一個人は──。

 

 何処にもいない。

 

 

 

 自分の魂の具現である、“朧月”を掴み取った。

 

 

「僕を見ろ……」

 

 折れた心が、“諦めろ”と甘美な誘惑をする。

 

「僕を見ろよっ!!」

 

 枯れた信念は、“無駄なこと”だと冷静に諭す。

 

 満身創痍の身体は、今にも崩れ落ちそうなほどに痛みを発している。

 

 痛いのなんて大嫌いだ。勝負なんて楽に勝てるものしかしたくない。正直、こんな怪物とやりあうのだったら、いっそのことじゃんけんなんかで勝敗をつけたいくらいだ。諦めれば楽になる。諦めることさえできれば、良かったはずなのに。

 

 

 それでも。

 

 桐原静矢は、諦めることだけはできなかった。

 

「情けなくても、弱くても、みっともなくても、これが僕だ。僕なんだよ」

 

 去年、多くいた同世代の伐刀者(ブレイザー)たち。輝かしい才能を目覚めさせた多くの騎士たちは皆、諦めて去っていく。でも、桐原静矢だけは。

 

 彼だけは……。

 

「みんな、諦めた。でも、僕だけ、諦めきれなかった。お前が言ったんだぞ、すごいって。どんだけバカにしても、お前は憧れを込めた目で信じてきてさ。ノせられた僕はまんまと七星剣武祭にまで行って……。分かってるんだ、僕はそこまでの器じゃない。でも、お前が“すごい”って、言ったばっかりに僕は逃げられなくなった」

 

 狩人の瞳に戦意が宿る。桐原静矢は最後の力を振り絞って、“狩人の森(エリアインビジブル)”を展開する。姿は消え、発生源も分からないほど距離、方向がぐちゃぐちゃになった声が会場に空しく響く。

 

「だから……本気で来い。僕は、今の君がどれだけの力で戦ってるかすら分からない。半分か、三割?一割?それともそれ以下?少なくとも本気じゃないんだろ。いいや、そもそも“戦ってる”って思ってるのか?」

 

 一輝から質問への回答はない、ぎこちなく誤魔化すような笑いをするだけだ。

 

「来いよ……本気で。勝てるかどうかなんて知ったことか。僕を見ろ、お前が見てこなかった。見えなかったもの。全て、見せてやる。だから、僕を、本当の僕を見ろよっ。黒鉄一輝ぃぃぃぃぃ!!!」

 

 

 桐原の叫びとともに観客の内、二年の生徒たちが立ち上がって声援を送った。

 

“勝って!桐原くん!!”、“いけぇ!!桐原!!”

 

“お前にできなきゃ、誰ができるってんだ!!”

 

“桐原様!負けないで!”、“お前ならやれるっ!!”

 

 会場を揺るがすほど桐原静矢を応援する声が高まっていく。それに負けじとステラや一輝のクラスメートたちも応援の声を上げるが、リング上の両者にその声援は届かない。実況席の月夜見は此処こそが勝負の分かれ目と確信し、マイクに言葉を乗せる。

 

『桐原選手の放つ攻撃は悉くが黒鉄選手に撃ち返されてしまいます。攻撃がそのままカウンターにされてしまう以上、闇雲な攻撃は己の首を絞めるだけです。果たして、桐原選手には何か、策があるんでしょうか……』

 

“無いんだよなぁ……”

 

 実況の声に桐原は苦笑する。策なんてものはない。

 

 自分の異能を完全に無力化する魔剣を相手に、生半可な技なんて通じるはずもない。大体、今の桐原静矢の戦闘スタイルを完成させたのは黒鉄一輝との鍛錬でだ。長所短所、攻撃の傾向から、回避の癖まで知り尽くされている。

 

 

 一年、自己流で鍛錬を行ったが、やはり黒鉄一輝との鍛錬ほどの分かりやすい成果は手に入らなかった。それでいいと思う、これでいい。負けることは覚悟の上、でも負けを前提に戦う気はない。

 

 

 せめて、自分の全霊を黒鉄一輝に見せてやろうとして、対面の一輝が寂しそうに表情を陰らせるのを目にする。背筋が冷え込んだ、もしかして、今、僕は何か大きな間違いを──。

 

 

 

 

 

“逆なんだよなぁ……”

 

 まるで桐原くんが不利だというような実況を聞き、僕はため息を漏らす。

 

 もう既に僕の魔力は空っぽ。こうして、今、手にしている霊装もどきも、がらんどうのハリボテだ。隕鉄の最大展開時間は三分。三分を過ぎれば、ミサイルの直撃にも耐久しうる霊装の超強度は失われ、普通の武器くらいの強度に成り下がる。そして、このハリボテを消してしまえば、魔力が回復しきるまでハリボテすら呼び出せないときた。

 

 並の強度の弓で桐原くんの攻撃を撃ち返すのは神経を使う。一回でも“しくじれば”、僕の霊装もどきなんて粉々になるのだ。そう、実況さんは勘違いしているが、不利なのは僕の方で、攻撃を続ければいいだけの桐原くんの方が優勢にある。

 

 では、どうするか。このまま撃ち返すだけでもいいが、桐原くんの思いに応えるためには……。

 

 

 僕の秘奥と呼べる“あれ”を出した方がいいのかな?

 

 

 

 

 

 気は進まないが、仕方ない。

 

 

「うん、分かった。なら、僕も見せよう。お爺さんにも見せなかったもの──」

 

 決して手を抜いていたわけではない、ただ、使うのは色々と不便なために一輝はこれまで敢えて使ってこなかったというだけなのだ。だが、此処で一輝は全ての制約を取っ払って、桐原静矢という唯一の学友に応えることを優先する。

 

 これまでの不完全な顕現ではない。

 

 完全な霊装(デバイス)の顕現を実行する。

 

「僕の……ほんとうの魂の在り方を」

 

 

 

 剣理執行、魔剣完了。

 

「“目覚めろ、黒夜隕鉄”」

 

 

 弓の形をした霊装(デバイス)が融解し、黒鉄一輝の足元に流出する。

 

 仮初の形を失い、漆黒の液体は新たなる形へと移行していく。足元を蠢いていた液体は黒鉄一輝の肢体を覆い、漆黒の軍装へと新生を遂げた。

 

 夜空よりも昏く、奈落よりも深い黒の軍服。純黒のインバネスコートに同色の軍帽。外套が生き物のようにはためいた。変化はこれに留まらない。

 

 纏われなかった黒の流体はリングの外に流れて、またもや形状を変える。

 

 液体は円形の柱、いや、それが複数交差して鳥居のような姿を取る。漆黒の鳥居が舞台を取り囲む形で四方に出現。観客たちの歓声が、感情の揺らぎが喪失する。彼ら、彼女らはただ、今起こりつつある変化、変容をただ目撃するのみ。

 

 

 やがて、リングにいた一輝と桐原を隠すように漆黒の領域がヴェールとなって、二人の若き騎士を覆いつくした。

 

 十二秒、漆黒の領域が展開され、それが崩壊するまでの間。

 

 

 観客たちがざわめき出す直前、黒の領域が崩壊していき、二人が現れる。

 

 

 軍装を纏う騎士はひどく冷たい眼差しで軍帽を目深にかぶり、無言で佇む。

 

 

 それから対峙していたはずの桐原静矢が現れて

 

 斬。

 

 肩口から腰部にかけて、赤い線を引かれた桐原が吐血するや、彼の身体がゆっくりとズレていく。ぐちゃり、半分になった桐原静矢が舞台へ転げ落ちた。誰もが悲鳴や叫びを上げそうになるも、必死で、それこそ命がけで声を抑えた。怪物はまだ、そこにいる。退屈そうに、それでいて寂しそうに。

 

 

 漆黒の軍装は風のように薄れて消えていき、制服姿になった黒鉄一輝は舞台を後にした。それから、止まっていた時間が再び動き出すように悲鳴や絶叫が響きわたり、瀕死の重傷を負った桐原を救おうと教員、生徒たちが動き始める。

 

 珠雫はただ目を閉じ、改めて魔剣と己を隔てる差を噛みしめて、この場を言葉なく去っていった。そして、ステラは衝動的に、ただ本能のままに駆け出していく。

 

 なんのために?

 

 どうして、走る?

 

 

 やらなくては、言わなくてはいけないことがあるからだ。

 

 

 

 ステラはどうにか、控室を出て寮の自室に戻ろうとする直前の一輝へ追いついた。大きく息を荒げ、膝に手を乗せ、疲労しているステラは驚く一輝の正面に立って、宣言する。紅玉の瞳を大きく見開き、強い意思と願いを以て、赤竜の皇女は魔剣へ告白を捧げた。

 

 

「イッキ、私が必ず、貴方を倒すわ。私の全てを、身体も、命も、想いも、未来も、過去も、願いも、夢も、全てを懸けて、貴方を倒して見せる」

 

 

 ステラの告白に一輝は、彼女と同じように目を大きく見開いて、曖昧に微笑んだ。

 

 

 

 魔剣の鋭さは欠片と損なわれず、刃の心理は未だ不変。

 

 その孤独は、未だに癒えぬままである。

 




 備考:黒鉄一輝について

 黒鉄一輝の霊装(デバイス)の真の姿、“黒夜隕鉄”。曽祖父、黒鉄龍馬すら目撃したことはなく、史上初めて目撃したのは桐原静矢のみ。

 能力、不明。実態、不明。攻撃規模、不明。
 展開時間、魔力量に左右されるが最大時間は二十秒?



 黒鉄一輝は自身の霊装について、こう語る。

“すごく使いにくい。炎とか、雷とか、そういう派手なヤツの方が良かった”

次に投稿するかもしれないエピソードについて

  • ラスベガス水着剣豪七色勝負
  • 本作一輝VS原作一輝
  • エーデルワイス戦
  • 連載
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。