落第騎士の備忘録   作:悪事

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 一月に投稿と言ったな、あれは嘘だ。
 反応が良かったんで性懲りもなく書きました。
 できたら、別連載の方もよろしくお願いします。(ダイマ)。



四話

 

 

 兄の話をしよう。

 

 私には二人の兄がいる、長兄は滅多に顔を見せず、記憶に鮮明なのは次兄の方だった。幼き頃に見た兄の姿、その退屈そうな表情がいまだに忘れられない。

 

 

 有象無象は言っていた、“あれこそは魔力をまったく持たない落ちこぼれ”。黒鉄家、英雄を排出した家に生まれながら、“騎士の素養を塵芥と持ち合わせぬ凡愚”。意気揚々と他者を(そし)る有象無象はあまりに醜く、あまりに愉快そうで吐き気がした。

 

 でも、仮にも自分の兄妹のはずだ。同じ兄妹の私を持ち上げる一方で、憐れになるほど悪しざまに言われる兄の姿を見ようと思い立ったのも自然な成り行きかもしれない。

 

 どんな人なのだろう?

 

 あの醜い有象無象どもの言う通りの人なのか?

 

 騎士の素養がない、無様で、しおらしい顔をした惨めな人なのかと──。

 

 

 

 遠目から初めて兄を見た時、それは兄が敗北を重ねているところだった。黒鉄家の親戚の子供や指南役、大人に延々と同じように負け続ける。最初は有象無象のいうとおりなのだと、ため息を漏らして帰ろうとした。けれど、兄、黒鉄一輝を取り囲む大人、子供たちの表情が暗く、しおらしく、悲し気なモノであることに気づいてしまったとき、ようやく事の異常さに私は気づいた。

 

 “同じ”なのだ。

 

 兄の負け方が先ほどから寸分違わず、同じ場面を焼き回し続けている。何度も何度も、時間が捻じれ狂ってしまったように。

 

 兄の対面の相手が斬りかかる、三合打ち合い十二秒ほど鍔ぜり合った後に十合ほど斬り合ってから兄の竹刀が手元を離れる。兄の対面の相手が斬りかかる、三合打ち合い十二秒ほど鍔ぜり合った後に十合ほど斬り合ってから兄の竹刀が手元を離れる。繰り返し、繰り返す、時の流れが迷子になったような繰り返し。

 

 その(おぞ)ましさと異様な光景にわたしは恐怖を抱いて逃げ出した。

 

 

 それから、私は兄と距離を置くようになった。兄の剣を見ることは恐ろしかったが、それ以外の日常では有象無象にいくら罵倒されようと、無視され、居ない者と扱われようと誇りなど微塵もないように兄はひたすらに笑っているだけ。

 

 黒鉄家という小さなセカイの中で、何をしようと許される私とは雲泥の差。

 

 

 でも、たった一度だけ兄は怒ったことがある。

 

 私が親戚の子の玩具を目の前で壊したとき、兄は真っすぐにこちらの目を見て怒ったのだ。褒め、持ち上げるだけの有象無象と違い、兄は私の目を見て怒ってくれた。ただ一人の黒鉄珠雫として、自分を見てくれた。兄の怒りの言葉は私の(あやま)ちを真摯に怒り、凪いだ心を熱く揺らした。

 

『間違ったことをしたら、謝らないと。それは君が(いだ)いた思いさえ、間違ったものにしてしまうよ』

 

 

 子供特有の潔癖さだろう。私は正しくありたかったし、周囲にも同じように正しくあれと願った。でも、皮肉なことに現実はその正反対。伐刀者(ブレイザー)の才覚に恵まれただけの小娘に頭を垂れ、自分の正しさを曲げる者、間違いを笑って許す者、それに怒りを覚える日々。

 

 有象無象と見下し、蔑んだ親戚の子供や大人たち、みんな下らない。あぁ、人間なんて汚らわしいとさえ思った。そんな大嫌いな存在と同種である自分自身にも、うんざりしていた。でも、兄だけは間違いを間違いと怒り、在りのまま私に向き合ってくれた。

 

 正しくありたい、そう生きていきたい、この思いは嘘に、間違いにしてはいけないのだと、私は兄の言葉で気づかされたのだ。

 

 兄に着いていこう、例え家の者たちが兄を微塵も認めずとも、私だけは兄の理解者となろうと決意を固める。

 

 甘やかされずとも、厳しくてもいい。ただ、お兄様について行けば、私はあの大人たちと違う、何者かになれるのではと思えたんだから。

 

 

 

────ホントウに?

 

 

 

 

 

 

 魔剣の話をしよう。

 

 

 遠い過去、過ぎ去ったどうにもならないかつての魔剣の御伽噺(おとぎばなし)

 

 

 とある冬の日、兄の五歳の誕生日。

 

 

 兄は常のように無視され、いないものとして扱われていた。でも、父が兄と話をしてから、少しして家が騒然とする。庭先から鳴る轟音、凄まじいほどの破壊音が鳴り響き、我が家の離れが崩落した。

 

 ドタバタと霊装(デバイス)を携えた大人たちが慌ただしく庭先を飛び出していく。大人たちが取り囲んでいたのは、彼らが普段から蔑んでいるはずのお兄様だった。兄、黒鉄一輝へ血相を変えて取り囲む無数の騎士たち。

 

 

 でも、騎士たちの奮闘も空しく、彼らはあっけなく蹴散らされた。

 

 多勢という利点、魔力の多寡、騎士として積み重ねた経験、全て、総て、無為。抵抗という抵抗も出来ず、冬景色に沈みゆく多くの騎士ら。両断された本邸、倒れ伏す騎士らを冷徹に見降ろし、兄は父へ向かい微笑みかけた。

 

『父さん。僕、こんなことができるんだよ?』

 

 

 微笑む兄に悪意はなく、ただ底知れぬ強さと悪意無き邪悪だけがあった。恐れ、怯える私と違い、普段から私が嫌悪さえ抱いていた父は厳然と兄へ立ち向かい、兄と同様に相手を真摯に見据えて言葉を紡いだ。

 

『一輝、一輝、お前は何もかもできてしまうのだろう。望みさえすれば、その強さは全てに、星の彼方にさえ手が届くのだろう。だからこそ……だからこそ、お前は何もしてはならない。何も、するな』

 

 

 厳正な掟の執行者然とした黒鉄厳の言葉が兄に刺さる。その宣告に兄は僅かばかりの動揺の後、兄は瓦礫の山と化した黒鉄家を後にした。兄が立ち去った本邸は、恐怖に震える者と、安堵に浸る者で二極化された。

 

 破壊を為した兄の存在を忘れようと、大人たちが黒鉄家の復旧に駆けずり回る三日間。慌ただしくも、穏やかな三日間は瞬く間に過ぎていき、四日目にすべての平穏と兄を取り囲む環境は変わり果てた。

 

 

 

 四日目の朝、兄が帰ってきてしまったと、父の下へ伝令に来た大人たち。それを受け、長兄よりも、父よりも先に、私は駆け出した。恐怖が足に絡みついている、それでも、兄の顔がどうしても見たくて。願わくば、日常で見たあの笑顔をもう一度だけ見たくて。

 

 帰ってきた兄ともう一人を見たとき、私は自分の愚かさを知った。

 

 

 兄は曽祖父、黒鉄龍馬、黒鉄家において英雄と語られる伝説的な騎士を背負って帰ってきていた。白い冬景色に一条の赤い道のりが刻まれている。夥しい流血による赤い血路は、曽祖父の血潮によるものだった。

 

 

 腰から下を裁断された曽祖父は何処を見るかも判別付かない胡乱な目で、兄、黒鉄一輝に背負われている。私に遅れ、やってきた父、長兄、大人たちがこの異様な光景に絶句する。誰一人として言葉を発することを許されない静寂の中。

 

 死に瀕した曽祖父の弱弱しい呟きが静寂を破った。

 

『すまん、すまん、一輝よ。儂を許せ』

 

『大丈夫だよ、お爺さん。僕は何も怒ってないし、何も憎んでいないよ』

 

『許してくれ、許してくれ。剣に生涯を捧げ、お前の飢えに、強さに付き合うことができなかった。儂の弱さを、怠慢を許してくれ』

 

『……お爺さん、もういい、大丈夫だよ。……あぁ、でも、もしもお爺さんが若いころに僕と会っていたら、それはきっととても楽しかったんだろうなぁ』

 

『すまない、すまない、お前の強さに、剣の鋭さに、儂は追いすがれなかった。強さゆえの孤高、強者故の孤独、お前をその地獄に置き去ってしまう不甲斐なさを、どうか許してくれ』

 

 曽祖父の言葉の意味するところを、幼い私はその時、理解できなかった。でも、兄の想像を絶する孤独だけを理解し、私は自分が胸に秘めた“、私だけは兄の理解者となろう”という決意がどれほど身の程知らずだったのかを知ることとなる。

 

 

 曽祖父から流れる血潮が収まり、いや途切れていく。

 

 生命の終着、生涯の間際、最期の瞬間。英雄、黒鉄龍馬はその両断された体に残る最後の力を振り絞って、兄を永劫縛り付ける願い(呪い)を口にした。

 

『一輝よ、お前は騎士になれ……騎士になり、多くの人のために剣を振るえ。そうすれば、きっといつか、お前の孤独(つよさ)を癒す者が────』

 

 

 静寂が蘇り、一人の老爺が彼岸を渡り去って逝った。全ての事象が死に絶えたと錯覚するほどの静寂の内で、兄は曽祖父の亡骸をそっと横たえて何処かに去っていく。

 

 

 追いかけよう、追いかけなくては、そう思っても、脚は言うことをきいてくれない。此処で追いかけなくては、兄が本当の一人になってしまう。だからこそ、追いかけなくては、そう思い必死で手を伸ばしたとき、振り返った兄と視線が交差する。

 

 振り向いた兄は哀し気に笑っていた。

 

 あの今にも泣きだしてしまいそうな笑顔が今も鮮明に思い出せる。その日を境に私は兄と同様に家を飛び出し、曽祖父に並ぶ伐刀者(ブレイザー)である南郷寅次郎氏に弟子入りし、剣技と魔術を鍛え上げた。姉弟子である“雷切”にさえ並び、発動さえ“間に合えば”師である南郷寅次郎氏を撃破する伐刀絶技(ノーブルアーツ)も編み出した。

 

 

 弱くてはダメだ、強くならなくてはいけない。

 

 ただ一人、強さの極致に至った兄を救うために私は兄を越えるほどの強さを持たなくてはならない。いいえ、きっと強くなるんだ!

 

 

────ウソツキ。

 

 

 

 

 

 

 破軍学園、一年の教室。新たに入学した生徒たちが話す中、肩身が狭そうに窓の外を見る男子生徒。黒鉄一輝、彼は“二度目”となる一年時の始業式を、微妙な心境で乗り切ろうと心を閉ざしている真っ最中だった。

 

 ふと、隣の席に目を向ける。

 

 空席となっているそこは、海外の留学生の席だというではないか。いや、その席の持ち主が数日前に手合わせした赤い髪の女の人だということに驚きだ。世の中、なんとも狭いものだと嘆息する。周囲のヒソヒソとした声は落第生の自分に向けられたものだろうし、これから七星剣武祭で優勝するまでこの調子だと思うと気が重い。

 

 

 肩身の狭さが限界を超えるより先に、元気よく扉を開いて勢いよく教卓に一人の女性が立つ。

 

「新入生のみんな~、入学おめでとう~~!!」

 

 ウェーブと艶がかった血色の良い美女、昨年からお世話になっている女性教師の姿を見て、一輝は静かに頭を下げた。声なく一礼をした一輝にそっと手を振って、一年クラスの担任である彼女は自己紹介を始める。

 

「みんなの担任の折木有里(おれきゆうり)で~す。担任を持つのは初めての、みんなとおんなじ一年せ~い、ピッチピチの新任教師なの~。気軽にユリちゃん、って呼んでくれたら超うれし~な♪」

 

 あんまりにも元気すぎる姿を見て、初めて出会ったときの病弱さが嘘みたいに思える。まぁ、自分の手で“治した”のだから、本当なのだということは理解しているわけだけど。

 

 

 気負い過ぎて、だだスベりしている有里先生は、ハイテンションのまま生徒手帳の各種機能、そして七星剣武祭の詳細について説明をしてくれた。有里先生の説明を受けているうちに去年の七星剣武祭のことを思い出す。大勢の人たちの熱気と歓声、凄まじいまでの盛り上がり。客席の空気とあの時の空模様。

 

 テレビでは連日、七星剣武祭が報道のネタになっていたし、会場で食べた屋台の焼きそばは美味しかった。

 

 また、食べたいなぁ、とか思っているうちに始業式が終わっていた。気が抜けていると反省しながらも、にこやかな有里先生の元に歩み寄る。

 

「こんにちは、有里先生。お元気そうで何よりです。これから一年、よろしくお願いします」

 

「あ~、ダメじゃない一輝く~ん。ユ・リ・ちゃん、だぞ?」

 

「去年はしてなかった要求をしないでください。無理にテンション上げなくても大丈夫ですよ」

 

「そーかな~。えへへ、まだまだ調子が良すぎちゃって、元気が有り余ってるんだよ~」

 

 “ありがとうね、一輝くん”、と言われ、有里先生が頭を優しく撫でてくる。子供のようなあやし方に気恥ずかしくなるが、恩師の行いを無碍(むげ)にはできないと、しばらく為されるがままになる。

 

 

 

 去年、破軍学園へ入学する際、魔力の測定値がFを切る自分の入学で面接を担当し、重病の身でありながら自分と戦ってくれた折木有里先生。日に一リットルの吐血と激痛が走る病身でありながら、騎士として凛と立ち、僕と向き合ってくれた尊敬すべき騎士の一人。

 

 かつて、強い騎士として初めて出会ったのが曽祖父、黒鉄龍馬ならば、脆弱過ぎる騎士として出会った騎士が彼女、折木有里先生だった。剣を鍛える以前から、備わっていた人体理解の眼力。それは折木有里という女性の身体の脆弱性をあますことなく理解させた。騎士の身体活性があっても生存に辛うじて適合できる水準の脆さ。身体に数多巣くう病魔の数々、骨密度や血管の弱さ。

 

 そんな身でありながら、騎士となり自分の先達として立ちふさがる勇姿。

 

 

 初めて彼女を見た時、黒鉄一輝は声も出せずに感動した。生まれながらの弱さと闘い、病魔という欠陥を抱えながら、騎士であり続ける彼女の姿に涙を零した。

 

 

 ゆえに黒鉄一輝は折木有里という尊敬にあたう伐刀者(ブレイザー)との戦いで、彼女の弱さ(強み)を真っ向から打ち破る方法を模索し続けた。思考、思索、検討、模索、悩みに悩みぬく黒鉄一輝をして最も手こずった一刻という時間。

 

 曽祖父、黒鉄龍馬との決闘ですら、これほどに思い悩むことはなかったと断言できるほど、悩み迷い、時間をかけた決闘。

 

 

 一刻という時間を使い、折木有里という尊敬すべき恩師の攻撃、伐刀絶技(ノーブルアーツ)を耐え凌ぎ、ついに魔剣は完了する。

 

 

 “第五の魔剣、告死病(こくしびょう)が崩し、剥死病(はくしびょう)

 

 

 対病理魔剣、剥死病(はくしびょう)

 

 浸透勁(しんとうけい)を細胞単位にまで撃ち込むことで病魔を根絶し、身体機能を常人以上に活性化させる工夫。寿命は当然の事、体調、各種生体機能に後遺症を残さないための多様な工夫をこらした黒鉄一輝の“第五の魔剣が崩し”。敵対者にとっての疫災となる第五の魔剣は、剣理の反転により治癒魔剣としての新生を見る。

 

 

 

 結果、折木有里先生の伐刀絶技(ノーブルアーツ)、“血染めの海原”は効力を失い、先生を捕縛することで無力化。無事、合格と先生の快癒が実現する運びとなった。それ以来、先生は落ちこぼれの僕のことを目にかけてくれるようになった。

 

 まぁ、別に大したことではない。

 

 

 

 魔力がある人なら、もっと楽に治せただろうし。

 

 魔力がない人でも、僕にできるなら他の人でも治せるんだから。

 

 

 

 存分に僕の頭を撫でて満足した有里先生は、にこやかにスキップしながら教室を後にしていった。なんだか、ドッと疲れてしまった僕が自分の席に戻ろうとすると、眼鏡をかけた女の子が抱き着いてくる。

 

 反射的に心臓へ撃ち込みそうになった拳を開く。違う意味でドッと疲れた。

 

「黒鉄せんぱ~い!」

 

 抱き着かれ、彼女の大きな胸の感触を腕に感じる。呼吸心拍は共に正常、体重は48といったところ、身体構造及び体脂肪率はう~ん、戦闘向きではない感じか。

 

「やぁ~っとお話ができると思うと、嬉しさ爆発してつい抱き着いてしまいました」

 

「はぁ、えっと君は?」

 

「ふふ、私、日下部(くさかべ)加々美(かがみ)って言います!先輩のだ~~いファンなんですよ~♪」

 

「……なんと、それは初耳だ」

 

「…プッ、アハハ!そうですよ、だって今言ったばかりですから!」

 

 彼女は楽しそうに笑っているが、ファンなんて初めての存在にどうしたものかと考え込んでしまう。差し当たっては何をしたらいいんだろう。

 

「先生にも一目置かれ、かのAランク騎士の留学生を始業式前に撃破!いや、勝ち方がすごかったって、風の噂で聞いたんですけど、その辺の詳しい事情をぜひ、お聞かせください!!」

 

「一目っていうか、有里先生は去年の僕の入学時の試験官でその時の流れで仲良くしてるだけだよ。それに前の決闘も別に大したことじゃあ」

 

「私、新聞部に入ろうと思ってるんですよ!その記念すべき入学最初の記事は黒鉄先輩の独占インタビューで書きたいんです!見出しは“驚異の伏兵、噂の超新星を一蹴”って感じので!」

 

「もう見出しまでできてるのかー」

 

 判断が早い、早すぎる、これは断り切れないかも。どうしようかと迷っていると同級生、いや一歳ほど年下のクラスメイトの女子が自分を取り囲んでいる。どうしたものか、動きにくい。いや、気づかれずに抜け出そうと思えば容易いのだけど。

 

 どうしようかと悩んでいると、視界の端で苛立ち紛れに立ち上がろうとする男子たちを数人みかける。刹那、瞬きよりも更に短い僅かな時の狭間。身体機能を数時間ほど麻痺させる殺気を校長や先生たちに気づかれない程度、加えて呼吸器や心臓、各種臓器を停止させないよう、気を付けて静かに剣気を発する。

 

 電流にも似た不可視の痺れで急に硬直した男子たちが、席に座り込んだ。

 

 

 

 なんで、怒っていたのかは分からないけど、これで良し。

 

 

 あとは、女の子たちをどう言い聞かせたものか考え始めると教室の扉が急に開く。

 

「────お兄様」

 

「えっ?」

 

 

 本気の不覚、ここ数年で久しぶりに作ってしまった意識の空白。脳裏に巡る懐かしさと、過去と変わっている少女の現在の立ち姿、声に全思考回路が五秒ほど理解に(つい)やされる。あの銀糸の髪、端正なビスクドールを思わせる美しい顔立ち、背はかつての頃より伸び、ショートカットになってこそいるが黒鉄一輝が見間違うはずもない。

 

 

 血を分けた実妹、黒鉄家の才に愛された清流の媛。

 

「……珠雫かい?」

 

「はい、この日、この時を、ずっと待ち焦がれていました」

 

 美しい銀糸の少女の出現、それに周囲の女性陣が黄色い声を上げようとした時、少女の姿がその場にいた黒鉄一輝を除く生徒の視界から消失する。多数の人波を抜けて、珠雫は兄との距離を一瞬で零にまで詰める。

 

 無意識のうちを突く歩法、抜き足。

 

 闘神、南郷寅次郎が得意とする技巧の一つ。しかして、黒鉄一輝はその抜き足を五歳の時点で容易に看破している。例え、本家本元と言える南郷寅次郎が行使する抜き足であろうと、剣魔に魅入られた黒鉄一輝の無意識を突くことは不可能。

 

 

 事実、黒鉄珠雫渾身の抜き足は黒鉄一輝の認識下にあった。

 

 だが、認識はできようと反応はできなかった。黒鉄珠雫が身内であること、血を分けた実の妹であること、自分が兄であるという自覚、珠雫の行動に敵意を感じなかったこと、彼女の視線から感じる親愛を越えた強い愛情。

 

 多数、存在する複雑な前提条件。どれか一つでも欠けていたのなら、魔剣、黒鉄一輝の不意を突くことはできなかったと言える難行。

 

 それらの複雑な条件と珠雫の胸に秘め続けてきた愛が、生まれながらにして剣に愛された黒鉄一輝の反応を僅か、ほんの僅かに狂わせた。

 

 

 反応と思考の間隙。存在するはずのない(すき)の構築。

 

 

 黒鉄一輝の不覚を突き、黒鉄珠雫は彼の唇を奪うことに成功した。

 

 




 備考:黒鉄一輝について

 黒鉄一輝の固有霊装は隕鉄(いんてつ)

 伐刀絶技(ノーブルアーツ)の名称は、隕鉄(あらた)メ。
 
 能力は固有霊装の形状の変化。黒鉄一輝は相手の技量に合わせることを主眼として、この伐刀絶技(ノーブルアーツ)を使うことにしており、戦闘向きではないと公言する。事実として戦闘で使われたのは曽祖父との一戦でのみ。

 通常形態は漆黒の液体状で、戦闘時に一振りの黒い太刀に変化する。太刀に変化し終わるまで十秒ほど時間を要するが、使用者である一輝本人は特に不便とは思っていない模様。


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