「
漆黒に艶めく
視点が違う。
立ち位置が違う。
干渉できる範囲が違う。
認識している尺度が違う。
内包する世界観からして異なる。
自分たちとは異なる場所に立つ孤独な魔刃。
かつて死の間際、曽祖父はそんな兄へ呪いを残した。
「起きろ、
漆黒の、液状のナニカが兄の足元に現出する。真っ黒な何処までも黒い液状のナニカ。ビリビリと形を取っていないにも関わらず、肌を灼く圧倒的な危険の予兆。それは遠く離れた客席の観客も感じ取ったのだろう。がやがやと騒がしくなる。些細な喧騒は無視した。漆黒の液体が流動し、一振りの太刀へ変わる僅か十秒を待つ。
“間違っても、霊装展開までの十秒を隙と思ってはならない”。
十秒後、兄の手には鞘に収まった光さえも呑み込むほどに黒い太刀が存在した。何処までも黒く、昏く、心臓が止まりそうなほど美しくも恐ろしい太刀。そっと鞘がゆっくりと走り、太刀が抜かれる。
「──よし、じゃあ、やろうか?」
「はい、どうかご存分に」
珠雫は兄の霊装が抜かれた後、全力で兄が待つ
その光景に、客席のステラ・ヴァーミリオンは慌てて立ち上がって、離れる指示のようなジェスチャーをする。もっとも、リング上の若き少女騎士は黙殺したわけだが。
兄、黒鉄一輝には弱点がある。正確には弱点を作らされたという方が正確だろう。珠雫の師匠である闘神・南郷寅次郎は語る。かつて、黒鉄龍馬と黒鉄一輝の三日間の稽古の折、二日目にして龍馬は一輝へ情操教育を施したのだ。
その際に黒鉄龍馬は戦い方にも数点の指導を行った。指導以前の黒鉄一輝の戦い方には、相手を尊重する意思に欠けていた。それは、相手方が黒鉄一輝に尊重されるほどの強さを持たないのだから、仕方ないと言えばそこまでだが。
とにかく、黒鉄一輝の戦い方、勝ち方、負け方は残酷過ぎた。主にその被害を受けた黒鉄龍馬と南郷寅次郎が語るのだから間違いない。
ゆえにその戦い方の指定を受けて、黒鉄一輝の戦い方には後から幾つかの弱点が作られたのである。まず、自他の生命の危機に準ずる場合以外での本気、全力戦闘の禁止。黒鉄一輝は本気を出すことができない。
次に、相手の繰り出す攻撃を捌ききること。
相手を刹那のうち、一瞬で殺し、倒してしまわないよう、黒鉄一輝は相手の持ちうる技、繰り出す技を真っ向から打ち破らなくてはならない。つまりは、どれほど隙がデカく、溜めに時間を要する技も兄は完成まで待たなくてはならないということだ。
相手の剣を理解し終わるまで攻勢に入れないことも一応、弱点とされているが、これはごく短時間で完了されてしまうため実用的な弱点とはされない。他にも細々としたものがあるが、もっとも重要な弱点は、反射的な対応を兄自身が封じるところにあるだろう。
兄の反射速度は光の速度域を凌ぐ。それでも、相手を瞬時に撃退してはいけないという制限のために、黒鉄一輝の戦闘は反射的に動いてしまう自分の行動を制限してから、行動しなくてはならないという余分な工程が挟まれるのだ。
兄と斬り合う、漆黒の小太刀と太刀、互いに分かれた半身のごとき類似の霊装は、激しく剣戟を交えていく。黒い刃が重なり、弾け、花火めいた火花を散らす。手数が足りない、手元へ水を出現させ瞬間的に凍結。凍結させ、密度を高め、高め、高め、鋼よりも、金剛石よりも、堅く凍り付かせる。
物理法則を越える強度で凍結した氷塊を形成。
固有霊装の宵時雨と寸分たがわぬ形状へ研ぎあげる。一輝は珠雫の手元で作られる氷の小太刀を興味深そうに注視する。
「
小太刀二刀流、漆黒の小太刀と白氷の小太刀がまばゆい光となって舞い踊る。もはや
速度という土俵では太刀に通常、不利が生じるはずだが、一輝の剣腕はそれをものともせず、黒鉄珠雫の二刀の小太刀を弾き、見切り続ける。一応、白と黒という正反対の色彩で、距離感と間合いを狂わせようとしているのだが、一輝の視座を前にしては無意味と言わざるを得ない。
やはり、剣の技量において、珠雫は一輝の影にすら届かない。
知っていた、届かないことなど、このまま剣の技量を比べ続けるだけでは、自分は無為に消耗し敗北することを。幼いころ、まず始めに剣を鍛えた。実家の有象無象の連中が、兄の剣技を否定したことへの意趣返しとして。でも、すぐに打ち止めが来た。剣の技はそう簡単に伸びるものではない。兄が異常であるだけで、幼子が修練を重ねた達人を越えるなど、修行の密度と精神論でどうにかできるものではないのだ。
でも、わたしにはすぐに力が必要だった。
だからこそ、私はわたしの“才能”をとことん突き詰めた。
白氷の小太刀が弾かれる、二刀の連撃に次ぐ連撃で拮抗していた剣の打ち合いが、此処で一輝側へと傾いた。がら空きとなった珠雫の左胴へ幻想形態の隕鉄をするりと、通して勝負は決する……。
ことはなかった。
隕鉄が胴を抜けた瞬間、珠雫が霧散する。文字通り、形容や誇張抜きで霧散したのだ。それが一体、どういうことなのか。珠雫が水を扱う
「自分の身体を……“気化”させた?」
ステラは初めて、自分以外の
水を操作する
誰かの畏怖を込めた呟きがステラの耳朶を叩く。
「────
あぁ、その呼び名は確かに珠雫にこそ相応しい。物理的な攻撃を完全に無力化する肉体の分子レベルでの分解・再構築・操作・干渉という最上位の騎士にのみ行使を許される
そうなると、不利なのはかの落第騎士の方だ。
どれほど破壊力のある剣技だろうと、形なき水は捉えることが出来まい。どれほど正確な太刀筋も、無形の水を前にしては空しく通り過ぎてゆくだけ。
ステラは確信とともに告げた。
「……勝負あったわね。この勝負、珠雫の勝ちよ!」
珠雫は客席の方から聞こえる呑気な有象無象たちの楽観にふける声に舌打ちをしてやりたかった。身体を形状無き水に変える程度、今の珠雫にとっては児戯に等しい。だが、物理攻撃を無効化する絶技の最中にあって、背筋と心臓に寄り添う死の香りに珠雫は苛まれていた。
この程度で勝てるのなら、黒鉄家に生まれた剣魔はとうの昔に“闘神”や“英雄”によって、無敗の物語を破られている。
魔剣の真骨頂は此処からなのだ。
兄は黒の太刀を構え直して、下段から腰だめに薙ぎ払うようにゆるく剣を振るう。その超低速の太刀に心臓が握りつぶされる悪寒を感じるや、すぐに液体化を解いて実体へと戻る。危なかった……。なんの不備もなく戻れたことへの安堵よりも、今は兄の攻撃をいなせたことに安心の吐息を付く。
客席の観客は揃いも揃って、なんで有利な液状化を解いたのだと騒いでいた。
冗談じゃない、あの脆い液状化のまま兄が発生させた正体不明の斬撃を受けていれば、確実に倒れていたことだろう。兄の本当に恐るべき力は剣の才能からくる万象への対応能力!
焔、水、風、雷、重力、自然界に存在する能力も、兄は少しの観察から対処法を確立する。もしも、兄に敵う存在がいるとすれば、騎士の能力において最高峰の反則である“因果干渉”系統くらいだろう。
液状化と再変換の繰り返しは魔力を激しく消耗する。このまま繰り返しても、兄の攻撃をあと三回ほどやり過ごすのが精々。ならば、此処だ。乾坤一擲、勝負に出る、自分の全魔力と全存在を賭ける瞬間。兄の剣技を真っ向から打ち破る黒鉄珠雫の
師、南郷寅次郎を倒すに至った“対魔剣奥義”。
魔剣の話をしなくてはならない。
本当は魔剣なんて、どこにも存在しない。
第一の魔剣、
第二の魔剣、劣化の太刀打ち。剣技ですらない、相手の技量を理解すれば、惰性で行使される通常技に過ぎない。魔剣落第。
第三の魔剣、
第四の魔剣、
第五の魔剣、
第六の魔剣、
第七の魔剣、“■■”。詳細不明、正体不明。七つある魔剣の中で、唯一どのようなものか分からない謎の剣技。
これらこそ曽祖父が兄を人たらしめるために、奥義という型枠に嵌められた虚剣。あれなるは奥義にあらず、秘剣魔剣にあらず。兄にとって七つある魔剣など単なるありふれた一太刀に過ぎないのだ。
それでも、越えなくては。
魔剣を越えなくては、私の思いは届かない。
届かせるため、鍛えるべきは自分に備わる才覚だった。
強者故の孤独、それゆえの欠落。癒すために必要なのは、魔剣を越えるほどの力。でも、私の剣技は兄はおろか、南郷先生にも届かない。元より分かっていたことだ。黒鉄珠雫に剣の天賦はない。生涯を剣に捧げようとその技量は、超一流という存在には遠く及ばないだろう。
だからこそ、黒鉄珠雫は自分だけの天賦に目を向けざるを得なかった。
実家を出て、実家の教えを否定し続けた二年間。成長の停滞、頭打ちになる剣技。苦悩、絶望、憤怒、憎悪、全てを飲み下し、実家の有象無象が語った騎士として卓越する才能を磨くことに力を入れる。
そこから騎士としての天賦の開花、比例して剣技の上達も始まる。
高等部入学の数カ月前。ついに黒鉄珠雫は対魔剣奥義を完成させた。
発動させるまでの時間が問題であり、泣き所だが、その問題点の解決策を考える必要はなかった。
魔剣には弱点がある、“どれほど強大な技であろうと発動させたうえで対処しなくてはならない”という戦場では致命的なものが。発動までの隙を考慮する必要無し、ゆえに求めるは真の必殺。出せば、そこで勝利の確定する必勝の剣理を追求した。
強者故の孤独、理解されることなき兄の孤高。
だからこそ、彼へ愛を刻みつけるのは──。
「“
迷彩などという余分な工程を全短縮、全開で魔力を振り絞る。体内を巡り、深海のごとく底知れない自分の魔力を枯らす勢いで魔力をイメージのままに出力。ありふれた通常の魔力変換。ただ、全魔力をひたすら水へと変え続ける。水が高熱を持つとか、毒性があるとか、光の透過で透明になんて無駄なことはしない。
ただ、物量を、ただ大きく、多く、ひたすらに。
人の身に宿る運命だけで嵐海の波濤を再現する!
客席の人間たちは嵐の大海原へと一変した会場から、血相を変えて逃げ出していく。どうにか、客席にしがみついて流されないようにとステラや一部の強者たちもいたが、やがて彼ら彼女らも、完全にリングが莫大な水量で客席から見えなくなった段階でやむを得ず会場を離脱した。
巨大な大津波が四方から一輝へ迫る。巨大な防波堤も粉々にする波濤を一輝は一つ一つ、丁寧に打ち払う。払われる水を操作しながら、更に珠雫は水を増やし続ける。増水、増加し続けた水の総量は推定20万トンを超えた。
客席もリングも水没する中、黒鉄一輝の間合いだけは聖域がごとく、水の侵入を欠片と許されていない。だが、膨大な水流の召喚によって、珠雫の対魔剣奥義の結界の下準備は終わった。珠雫は、大きく息を吸う。全魔力を操作、巨大な
「行きますっ、対剣士、対剣豪大結界!」
水柱が一輝を呑み込む。
妹の最大火力、いや最大水量を受けて、一輝は静かに笑みを浮かべた。
「剣圧にて海を為す。
魔剣は剣技だけでは勝ちえない。魔力という騎士の特有技能がどうしても必要となる。兄が持ちえず、否定される要因となった才能、それを行使することを屈辱と思いながら、珠雫は兄へと捧げる対魔剣結界を構築した。
強者ゆえ誰の思いも触れられない孤独、愛を教え与えるには魔剣に土を付けるしかない。そのために自分のこれまでの研鑽を全て乗せ、いざ、いざ!!
「いざ────魔剣破り、
魔道、邪法、天魔に堕ちた剣士を完膚なきまでに凌駕し、圧倒し、叩き潰す魔導秘剣。またの名を対剣士対剣豪大結界・
10万トンの瀑布を浴び、兄は身動きを取れずにいる。もう半分、今の自分が制御できる限界量の10万トンの水を超高圧で一条の斬撃として放つ。高圧の
「強くなったね、珠雫……」
備考:黒鉄一輝について
魔力操作、霊装の顕現速度。どれをとっても三流以下。黒鉄一輝に騎士の才能は皆無である。ただし、剣士としての直感からくる魔力探知の技能は人知を超えていると言っても過言ではない。適性がないからこそ、見えず感じないからこそ、何よりも際立った違和感として黒鉄一輝は魔力を認識する。