灰になりたかったんだ   作:シン・タロー

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第19話 むじな

 強風が吹いた。

 

 カナリーはミルバスを振り返ると、非常に穏やかな表情で髪を押さえ、馬車のステップから足を下ろした。

 セリンが何か言いたげに歩み寄るも、カナリーが頷くと道を開ける。

 

「いいえミルバス様。そのような事実はありません」

 

 聖女を体現したような微笑みは、今まさに殺人の容疑を向けられた顔にそぐわない。

 図抜けた胆力はやはりツティスと似た性質に思う。

 

 俺と話すときの人懐こいカナリーと。

 どちらがより本当のあんたに近い姿なんだ?

 

「……そうでしたか。失礼いたしました」

 

 ミルバスは申し訳なさそうに頭を下げた。

 持ち上がった顔にはにっこりと不気味な笑みが貼りついていて、乗車準備をしている兵の一人へ向き直る。

 

「空言を吐き、聖女の立場を貶めようとした罪は重い。この者はこの場で極刑といたしましょう」

 

 不穏を察したセリンが叫ぶ。

 

「ミルバス殿!」

 

 微かに金属の擦れる音を響かせ、ミルバスが腰の直剣を引き抜いた。

 

 騎士が剣を抜く意味を、その場の誰もが理解しているのだろう。

 凍りついた全員の視線が、まだ若い一人の兵士へ集中する。

 

「……あ――……ち、ちがうんです、俺は……」

 

 見る間に青ざめた兵士が、足をもつれさせて後退した。

 抜き身の剣をだらりと提げたまま、ミルバスは躊躇なく兵へ向かい歩を進めていく。

 

 斬ってしまえばいい。

 と、冷静にそう判断した。

 

 そうすれば、ミルバスにこれ以上カナリーを追求する権利は無くなる。

 事実がどうあれ、逃げ切れる。

 聖女といえど賊を殺した罪なんかで処刑や投獄は無いと信じたいが、行動に制限をかけられたりすれば俺には不利だ。

 

「お待ちください」

 

 その声を望んでいたとばかりに、ミルバスは兵の目前で足をぴたりと止めた。

 

「人は誰しも間違いや思い違いを起こすものです。わたしは水神様の代弁者として、聖女の権限をもって赦します」

 

 カナリーならそう言うだろうと、きっとミルバスはわかっていた。

 そして俺にも、どこかホッとした気持ちがあるのは事実だ。

 むしろカナリーにそういう人間であってほしいと心のどこかで願っていたのかもしれない。

 

 そんな人間とこれまで出会わなかったからこそ、カナリーにそのお人好しな人格を守り通してもらいたいのか。

 すっかり頭に刷り込まれてしまった神聖性を、壊されたくないとでも思ってるんだろうか。

 

 自分の望む姿を押しつける。

 だとしたら、まるで信者と同じだな。

 

「聖女の権限……ですか」

 

 実際にそんな権利をカナリーが持っているのかは別にして、不当な扱いを受けた本人に許すと言われては、ミルバスも迂闊な真似は出来ない。

 

 ミルバスが剣を納めると、助けられた兵士はカナリーの元へと駆ける。

 

「か、カナリー様! 信じてください! こんなつもりじゃ――」

「長旅の上、襲撃を受けた。極限状態の中、よく守ってくださいました。わたしには感謝しかありません」

 

 唇を噛みしめ、俯く若い兵士にカナリーは優しい声音で続ける。

 

「体も心も、疲弊が色濃く見えます。どうか王宮へお戻りになって、ゆっくり休んでください」

 

 命の危機は去っても、周囲の兵達から向けられる目は冷たい。

 これ以上旅に同行しても、この兵士に居場所は無い。

 立場を失くした者が抱える孤独は、耐え難い辛さだとカナリーはわかっている。

 

「……申し訳、ありません。ありがとうございます」

 

 若い兵士もそれは理解しているのか、顔も見えないほど深く腰を折った。

 

「いいのです。セリン」

「はい」

 

 セリンが御者を呼び寄せる。

 馬なり馬車なりを手配してるんだろうが、一兵士に対する待遇としては破格だ。

 カナリーは、なぜそこまで……。

 

「感服いたしました。いや、ご立派です」

 

 大げさに手を打ちながら、ミルバスがにこやかに行為を称える。

 直前まで兵士を斬ろうとしていた者だと思えば、あまりに白々しい。

 

「しかし、遠征の大事な兵員を減らす羽目になってしまいましたね。……私も責任の一端を感じております」

 

 のうのうとよく言える。

 一端も何も、こいつさえかき乱さなければこんなことにはならなかった。

 

「そこで、いかがでしょう? 私が信頼する兵をぜひ、遠征に加えていただきたい。――ゴヴィン」

 

 ミルバスの背後から、兵の一人が前へ歩み出る。

 

 ゴヴィンと呼ばれた男はヘルムを外し、カナリーへ軽く頭を下げた。

 白髪交じりの黒髪と、顔には年季の入ったしわが刻まれている。

 俺より十は上だろうか、壮年の男だ。

 

「忌憚なく、私の右腕です。昨日はセリンに同行を断られましたが……お詫びの印に受け取っていただかなければ、自責の念が晴れません」

 

 知ったことじゃない。

 と言いたいところだが、相手はカナリーだ。

 

「……わかりました。ご助力、感謝いたします。ゴヴィン様も、よろしくお願いいたします」

 

 当然、受け入れる。

 

 けれど、そうか。

 ミルバスは最初からこの男を送り込むつもりだったのか。

 ということは、もしカナリーが止めなければ平気で兵を斬り捨てていた可能性が高い。

 頭数さえ減らせればいいのだから。

 

 笑みの裏側に剥き出しの本性を垣間見て、背筋が寒くなる。

 どいつもこいつも、ろくな人間がいない。

 

 暗鬱な気持ちでカナリーの顔を盗み見た。

 これまで隙のなかった表情に、初めて疲れのようなものが見て取れた。

 

 聖女の幻想に亀裂が走る。

 それでいい。

 その方が俺にとって都合がいいとわかっていながら、なぜか歯噛みしている自分に気がつく。

 

「くれぐれも迷惑をおかけすることのないように、頼んだぞ」

「いやぁ出来ますかねぇ? 不安ですなぁ……」

 

 ゴヴィンは顎の剃り残された無精髭を撫でつつ、さっさと馬車の方へ進んでいく。

 

「ま。あっしのことはくたびれたおじさんとでも思って、気にせんでくださいよ」

 

 飄々とした、掴みどころのない男だった。

 どうやら俺達と同じ馬車に乗るようだ。

 

 カナリーがミルバスへ頭を下げ、馬車を振り返り乗車する。

 セリンも、ジェイも、困惑を隠せないままそれに続く。

 異物が混ざる違和感を、もはや誰も取り除くことは出来ない。

 

 曇った暗い空を一羽の鳥が、強風に身を煽られながら駆けていく。

 

 少しずつ、闇へと追いやられていくような――。

 言いようのない不安を振り切って、俺は馬車のステップに足をかけた。

 

 

◇◇◇

 

 

 出発して数時間、車内は一人を除いて静かだった。

 

「それにしても寒いですなぁ。幌の隙間からこう、風がびゅうびゅうと。ミルバス様には良くしていただいてんですが、何が辛いってこの気候が辛い。暖かい故郷が恋しくてたまりませんよ」

 

 両肩をさすり、ゴヴィンは返答が無くともずっと一人で喋り続けている。

 

「チ……なんなのアイツ、うるさすぎ。ちょっとアンタ黙らせてよ」

「無理言うな。俺にそんなこと出来るわけないだろう」

 

 囁きを返すと、ヨタはまた舌を鳴らし、腕を組んで頭を垂れた。

 寝るつもりか? よく眠れるな。

 

 しかしこんな男を寄こして、ミルバスは何がしたいのだろうか。

“右腕だ”などと言っていたが、これまでの行動を見る限りその片鱗も感じない。

 

 もしや単純に戦力を貸してくれたのか?

 だとしてもこちらにはセリンやジェイがいる。

 騎士ならともかく、たった一人の兵がもたらす増強などたかが知れてる。

 

「空気も悪いですなぁ、なんとも血生臭くて(・・・・・)たまらん」

 

 一瞬、場が凍りついたように思う。

 ゴヴィンは知ってか知らずか、へらへらと続ける。

 

「あ。この中で賊が死んでんですっけ? 死体はどの辺に? 嫌ですねぇ、幌を開けたいが、そしたら寒いですし。いやぁ、まいったまいった」

 

 こいつ……探りにきたのか?

 ミルバスは、なんとしてもカナリーに殺人の罪を着せたいのだろうか?

 

 素知らぬ顔をしている当のカナリーへ、ゴヴィンは目を向ける。

 

「ところで……カナリー様は平気なんです?」

「ええ。わたしは寒さに慣れていますので」

 

 血の臭いと寒さと、どちらに対してか不明な質問も、カナリーは当然のように後者として応じた。

 

「へぇ、そりゃよかったです。この先のビダは極寒だと聞いてますんで」

「アタシだって寒さには強い」

 

 驚いて隣を見ると、ヨタがカナリーを睨みつけていた。

 

 寝てなかったのか。

 というか何に対抗心を燃やしているのか相変わらず謎だ。

 

「ヨタ様もですか! 羨ましいなぁ。そういや、獣人どもも寒さにゃ強いんですかねぇ? 毛皮暖かそうだし、剥いじまいてぇな」

 

 物騒なゴヴィンの感想には誰も返事をせず、再び内容の見えない一人語りを延々と繰り出す。

 うんざりするが、意外にもカナリーにそれ以上踏み込みはしないようだ。

 

 しかし得体の知れない存在は無視出来ない。

 動向に意識は向けておく。

 

 

 

 適宜挟まれる休息も、ゴヴィンはふらふら兵や聖女の周囲をうろつくので、以前のようにカナリーと落ち着いた時間を過ごすことが難しくなる。

 これは多大なストレスだった。

 

 なんとかカナリーと二人きりになれる状況を作りたい。

 一人曇り空に向かい深呼吸をするが案は浮かばず、早々と馬車へ戻ることにする。

 

「よぉ。もう戻るんですかい? あんたたしか、レグルスつったっけ」

 

 ゆるりと脈絡なく馬車の脇から現れたゴヴィンは、気さくに片手など挙げた。

 メイルやヘルムはとっくに外したようで、身軽な革製の服にガントレットとグリーヴのみ装着している。

 

 こいつは注意しなければならない男だが、逆に目をつけられると厄介だ。

 軽く頷くにとどめ、足早にすれ違う。

 

「まぁ待ちなよ。ほら、おれなんてここじゃ新顔でしょ? やっぱどうにも居心地が悪くてね。あんた、騎士でも兵士でも無いらしいじゃないですか。話し相手になってくれりゃ嬉しいんですがね」

「……だからこそ護衛でいっぱいいっぱいなんだ。悪いが他を当たってくれ」

 

 振り向いて言い放つと、ゴヴィンは納得したのか「ははぁ」と手を打った。

 気を取り直して、馬車へ歩みを速める。

 

「じゃあ……何しにこんなとこ来たんです?」

 

 足が止まる。

 何しに? 今も答えただろ。

 しつこい男だ。

 

「だから、ヨタ様の護衛で来た。仕事だよ。怪我して傭兵やれなくなった俺を雇ってくれた恩が――」

「アパリュ丘陵国境戦。あの戦場にあんたみたいな傭兵、いたっけなぁ」

 

 瞬間的にだが、言葉に詰まる。

 唾を飲み込んだ音が、やけに大きく聞こえた気がして動揺する。

 こいつ、戦場にいたのか?

 

「……参加した傭兵、全員の顔でも覚えているのか?」

「ぶわっはは! まさか! しかし、あれは激しい戦闘でしたなぁ。嵐かと思うほど大量の矢が恐ろしくて」

 

“レグルス”の怪我が矢傷だと知っている?

 いや……そうとも限らない。

 カマをかけられてる疑いも捨て切れないし、簡単に同調してみせるわけにいかない。

 

「情けない話、大局はよく知らないんだ。接敵した少数相手にやられて、あとは意識も朦朧としていた」

「ああ……なるほど。よくわかりますよ。戦場ってのはそういうもんだ。生きてただけで儲けもんでさぁ」

 

 目尻にしわが寄り、ゴヴィンが目を細める。

 この男の表情はいまいち読みにくい。

 こちらからも動揺を誘えないか、一つ真っ直ぐに投げかけてみる。

 

「あんたこそ、目的はなんだ? わざわざ単身で同行するなんて、あの騎士からずいぶん買われているんだな」

「はみ出し者ですよ。体のいい厄介払いってやつ。おれが見る限りじゃ、あんたも似たようなお人に思えたんですがね」

 

 のらりくらりと、やはりこちらの質問に答える気はないらしい。

 ならば用はない。

 話を切り上げようとした直後、ゴヴィンがグッと身を寄せてきた。

 

「……ここだけの話なんですが、どうも王宮がきな臭いことになってるらしいですよ。つまりおれは、その調査で潜入したってわけ」

 

 王宮がきな臭い?

 初めて聞く情報に、脳の処理が追いつかない。

 信じるにはまるで値しないものの、話が話だけに辺りを警戒して小声を返す。

 

「具体的には? ここに潜入したということは、俺達の中にその怪しげな人物がいるのか?」

「ま、それを調べるのがおれの仕事ってね。……こんな重大事項、あんただから話したんだ。なんかあったら協力頼んまさぁ」

 

 結局確かなことは何一つ語らず、ゴヴィンはまたふらふらとどこかへ行ってしまった。

 

 なんだ、あの男は。

 やっぱり信用出来る人間性じゃない。

 ただ、頭の片隅にまた一つ懸念が植え付けられてしまったのも事実だ。

 

 そしてあのゴヴィン。

 自身の素性は隠しつつ、懐に飛び込む距離感は手慣れたものに感じた。

 

 ……なるほど。

 もし同業なら厄介な男だったろうな。

 奴の言う通り、少しは似ているところがあるのかもしれないと率直に思った。

 

 

◇◇◇

 

 

 車輪の回転を止めてしまうほど積もった雪を、都度馬車から下車しては除去を行う。

 なかなかの重労働に、寒さも相まって疲労が蓄積される。

 

 だけど旅の終わりは近い。

 誰もがそれを予感、期待して、最後の行程に臨んだ。

 一人焦りを募らせる俺と、口数で隠した目を光らせるゴヴィンだけが異質で、皆と想いを共有出来ないでいた。

 

 真っ白に染まった地平を、幌の隙間から眺める。

 

 終焉が迫っているのは俺も同じ。

 もし、このまま依頼の期限を迎えてしまったら俺はどうなるのだろう。

 自然と脳裏に描かれた、最悪の光景を振り払う。

 

 まだ終わっちゃいない。

 そう自分を奮い立たせるが、同時に別の疑問が湧いてくる。

 

 俺は依頼を諦めない。

 必ず寝取りを成立させる。

 そうしたら、カナリーはどうなるのか。

 

 視線をカナリーへ向けてみても、当人は飽きもせずやはり外を見ていた。

 セリンはゴヴィンが同乗して以降いっそう沈黙を貫いているし、ジェイはそもそも表情の変化に乏しい。

 ヨタはヨタで、敵意がありありと込められた瞳をカナリーへ向けている。

 

 浮いているのは俺とゴヴィンのみだと考えていたが、どうやら違うのかもしれない。

 ここへきて、誰の心情も解き明かしてはいないのだと気づく。

 

 それぞれの思惑を乗せて馬車は走る。

 ようやくビダの村へ到着したのは、予定より一日半遅れた深夜だった。

 

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