灰になりたかったんだ   作:シン・タロー

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第24話 悪意なき笑顔の果て

 暖かな水膜に全身を包まれるような、心地の良い感覚。

 周囲の時の流れが緩慢になり、言葉を介さずとも皆の想いや体験を共有出来る。

 

 水神に祈りを捧げるとき、カナリーはいつもそんな不思議な体験を得るのだ。

 

「――……はぁ……っ」

 

 満足気に息を漏らし、瞳を開く。

 他の子供達はとうに祈りを終えていたようで、礼拝堂に一人残っていたカナリーは、水神の像を見上げてにっこり微笑んだ。

 

 貧しい生活が続いても、常に笑顔であるように。

 誰に教わるでもなく、カナリーは自然とそう心がけていた。

 笑顔は伝播すると本能で知っていた。

 だからこそ山間の寂しい村において、この孤児院では明るさが絶えなかった。

 

「カナリー! テナムゥ様が来てるよ!」

「はやくはやくー!」

「あ、うん! すぐ行くね」

 

 子供らの呼びかけに応じ、礼拝堂を飛び出すカナリー。

 表にはすでに子供達の輪が出来ており、つま先立ちでぴょんぴょん跳ねるカナリーに気づいた男が、輪の中心で嬉しそうに声をあげる。

 

「おおカナリー! 元気だったかい?」

「うん元気だよ! テナムゥ先生は!?」

「もちろん元気だとも」

 

 テナムゥは屈んで頭を撫で、カナリーを頭上高く持ち上げる。

 風と一体化するこの瞬間がカナリーは大好きで、それは他の子供も同様だ。

 

「あー! カナリーばっかりずるーい!」

「つぎはおれだよ先生!」

 

 たちまちたくさんの小さな手に組みつかれ、苦笑したテナムゥは衰えが見え始めた筋肉を酷使する羽目になる。

 疲弊していても、その表情は幸せなものだった。

 

 貴族の生まれながら元々の生活に馴染めず、半ば屋敷に引きこもっていたテナムゥは、親から疎まれ追放に近い形でここビダの村へ領主としてやってきた。

 辺境の村でもやることは変わらず、なるべく他人との接触を避けひっそり生きてきたのだが、ある転機が訪れる。

 

 気分転換に深夜、一人で村を散歩していたところうずくまる幼子を発見したのだ。

 どこから来たのかもわからず、かといって捨て置けるほど非情にもなれず。

 途方に暮れて棒立ちするテナムゥの下衣の裾を、幼子はきゅっと握って離さなかった。

 

 仕方なく、未婚ながら幼子を育てる決断をテナムゥが下したのは、もう三十年は前の話だ。

 仕事にも自分にすら興味を示さなかった男が、世話好きの好々爺へと転じるには十分な時間だった。

 

 肉親はすでに他界し、かつての幼子も十五歳を過ぎた頃に村から巣立っていったが、今では私財をなげうって建てた孤児院がある。

 寂しくは無かった。

 

 以前の出不精だった姿など、当のテナムゥが忘れてしまった。

 

 テナムゥは近隣のみならず時には遠方まで足を運び、行き場のない子供を受け入れ続ける。

 人数が膨れ上がってもすべての子供を愛し、やがて来る門出を祝福した。

 惜しみない愛情を注いでくれるテナムゥを、子供達もまた愛していた。

 

“血の繋がり”を除く、他の要素を抜き出して彼らの関係性を語るならば、確かに“家族”という言葉しか当てはまらないのだ。

 

 悪意や打算は、どこにも存在しなかった。

 

 

 

 涼しげな日の正午過ぎ。

 十二歳を迎えたばかりのカナリーは、村を訪れるツティスと名乗る女性に見出された。

 とても綺麗な人だと思ったことを、カナリーは今でも覚えている。

 

「聖女様はね、“神託の巫女”、もしくは“託宣の乙女”と呼ばれるとても栄誉ある存在だ。ぜひお受けなさい」

 

 余暇を皆で過ごしながら語り聞かせる、テナムゥの顔がカナリーには少しやつれて見えた。

 聖女になれば、カージュという街にある王宮で暮らすことになるのだという。

 

 カナリーだって興味が無いわけではない。

 村の外を見てみたいし、美味しいものを食べて、暖かいふかふかのベッドで寝てみたい。

 人並みの欲求に心が揺れ、テナムゥが語る湖畔の王宮に思いを馳せる。

 

「カナリー……いなくなっちゃうの……?」

「なんでだよ! ずっとみんなで暮らそうよ!」

 

 けれど、簡単に決断を下せる話とは違った。

 常に在院するわけにもいかないテナムゥに代わり、孤児院の中心人物は疑う余地もなくカナリーを置いて他には無かった。

 

 皆をまとめ、よく目が届き、何よりカナリーが存在するだけで周囲はパッと華やぐ。

 たまに見せる大胆な行動は大人の手を焼かせたが、異性からも一目置かれ友情を育むのに一役買っていたのだ。

 

 孤児院の子供達はカナリーを必要としていたし、カナリーもそれは理解していた。

 聡い子供だった。

 

 そして聡いからこそ、気づいてしまう。

 

 テナムゥの表情が晴れないことの意味を。

 以前に孤児院から巣立ち、出戻りで子供達の世話をしている大人もいたが、彼女らとて完璧に平静を装えてはいなかった。

 

 孤児院はもう、立ち行かなくなっている。

 貧しいのは昔からだとしても、食事の質の低下、いつまでも修繕されない老朽化した建物、さらに前述した大人達の表情を見ればすぐに察せられる。

 

 事実、ツティスがビダを訪れた理由は、王宮の命により滞っている税を徴収するためだった。

 払えないなら相応の維持費を要する孤児院を潰すよう、厳命が下された。

 

 こうなることはテナムゥも予想しており、厳しい土地ながら定住してくれた数少ない住民には、すでに金を渡し治安の良い村や街を紹介していた。

 彼が気掛かりなのは、子供達だけだ。

 

「カナリー。君は聖女になるべきだ。よく考えなさい」

 

 最後にもう一度いい含め、テナムゥは席を立つ。

 

 

 

 テナムゥの言葉に従い、カナリーは懸命に考えた。

 あれほど活発だった少女が閉じこもり、三日――十日……三十日。

 周囲の心配をよそに、とある日の夕食後に皆を呼び止めたカナリーは、朗らかに笑って宣言する。

 

「わたしね、聖女様になるよ」

 

 悲嘆の声が多く挙がるが、喜ぶものも少なからずいた。

 テナムゥは肩の荷が一つ下りた気持ちで、カナリーを祝福した。

 

 つい先日、子宝に恵まれない王宮貴族へ養子として引き取られることが決まった少年も、同じ街へ移住するカナリーを歓迎して握手を求める。

 それには応じず微笑みを返したカナリーは、全員の顔を見渡した。

 

「まだ続きがあるの。みんな聞いて、あのね――!」

 

 カナリーが嬉々として語った計画は、実に子供らしく突飛で、驚きに満ちたものだ。

 互いに顔を見合わせ、ざわめく子供達。

 内容は理解出来ても、果たして実現が可能なのか判断がつかないのだろう。

 

「――……これならみんな一緒にいられると思う。どうかな? テナムゥ先生」

 

 テナムゥは真剣な面持ちでしばらく顔を伏せ、やがてカナリーの瞳を見据えると、頷く。

 

「いい案じゃないか。みんなはどうだ? カナリーの提案に乗ってみないか?」

 

 信頼を寄せるテナムゥの言葉が後押しとなり、子供達がワッと歓声をあげた。

 カナリーは彼らにとって中心であり、リーダーなのだ。

 ほんの少し背中を押してもらえれば、反対の声などあるはずがなかった。

 

「みんな、わかっているかい? この計画を現実のものとするためには、それぞれの努力が必要だ。一時は離れ離れでも、頑張らなくちゃいけないよ」

 

 子供達の希望に満ちた表情を眺めつつ、テナムゥは感心する。

 カナリーがどこまで本気でこの願いを口にしたのかわからない。

 けれど間もなく全員に訪れる別れの時が、悲壮なものにならず済んだのは紛れもなくカナリーの計画があったからこそだ。

 

 本気ならば、それでもいい。

 たとえ実現が叶わず、計画が破綻しようとも罪に問われるような内容ではない。

 なぜならカナリーの願いには、悪意や打算の一切が無かった。

 不幸になる者など誰もいないのだから。

 

 もしかすると立場のある自分だけは処罰を受けるかもしれないが、別に構わないとテナムゥは考える。

 老いた自分がいなくとも、孤児院の子供達は希望を胸に生きていけると信じるに至った。

 

 テナムゥは今日、カナリーの姿に聖女の光を確かに見たのだ。

 

 

 

 のちに孤児院の子供達全員の移住先が決まり、テナムゥは村を棄てた。

 自身は一人で森を切り開いて移り住み、新たな領地を主張した。

 

 もはやわずかな税を取るために人を遣わせる意味は薄く、かといって王宮へ呼び戻すほど有能な貴族でもない。

 ビダの村ごと、王宮はテナムゥを見限った。

 

 

 一方で、カナリーは“聖女の見習い”として王宮に勤めた。

 今のカナリーと同じく、十二歳の時にツティスは聖女として人前に立っていた。

 聖女に見習いの制度など、元より存在しなかったのだが――。

 

「一生懸命お勉強して、自信がついたら聖女様になります」

 

 他ならぬカナリーが、ツティスにそう申し出たのだ。

 以降、修行の名目でカナリーは、ツティスに付き従うようになる。

 

 明朗でよく気が回り、驚くほどの速さで王宮に溶け込んでいくカナリーを、ツティスもいたく気に入った。

 礼拝にも当然のように同行させ、聖女と信者の関係性――そして礼拝の“仕組み”を吸収していくカナリーに自身と同様の素質を確信するツティス。

 早くに独り立ちさせる意味でも、次々にカナリーへ自由を与えた。

 

 カナリーは行動範囲の広がりに伴い、街の人間とも親睦を深めていく。

 早朝には街へ出向き、雑談に興じて悩みを聞き、人々に心の暖まる笑みを返す。

 のちに聖女となるカナリーの習慣は、この頃にはすでに完成していたのだ。

 

「最近体が重くてねぇ。そろそろ人手を増やすことも考えないと」

「うんうん、体は大事にしなきゃ。じゃあわたしもいい人を見つけたらご紹介しますね!」

 

 焦りはしなかった。

 慎重に、時期を見極めて一年……二年。

 三年が過ぎる頃には、かつて孤児院で共に生活した“家族”の約五分の一がカナリーの伝手により街で仕事を得ていた。

 

 長期に渡るカナリーの計画は周囲に違和感を抱かせることなく、着実に進んでいく。

 

 五年が経過し、王宮での立場も確立されたカナリーはさらに深部を目指した。

 

「鍛冶のお手伝いを探しているとお聞きしました。街に腕のいい鍛冶師がいるのです。名をシッティというまだ若い人材です」

「へえ、そりゃあぜひ連れてきてもらいたいね。さすがカナリー様は顔が広くてみんな助かってるよ」

「ふふ、散策が趣味ですから。王宮の人材不足の助けになるならわたしも嬉しいです」

「そういや、たしか料理人も手が足りないって……」

「では、そちらも街であたってみますね」

 

 事は順調に運んでいた。

 カナリーだけの功績ではない。

 貴族の養子となった少年が騎士となり、助力をしたのも大きかった。

 何より個々人が王宮での働きに足るよう、必死で努力した。

 

 すべては貧しい生活を抜け出し、家族でもう一度共に暮らすという夢のため。

 長年に渡り研鑽を続ける忍耐と、カナリーへの揺るぎない信頼が可能にした偉業なのだ。

 

 

 カナリーが王宮に来て、十年の時が流れていた。

 眼下に広がるカージュ湖へ向かい、カナリーは祈りを捧げる。

 

 こうして祈りを捧げれば、あの頃と同じように家族と繋がる感覚が得られる。

 カナリーにとって、最も大事にしている時間だった。

 

“みんな元気でいるだろうか”と。

 今や孤児院の家族は全員が王宮で過ごしているが、関係性を隠しながら接触することすら避けている現在は、念願が叶ったとは言えない。

 

 いつの日か、誰に咎められることなく皆で暮らせる毎日を願い、カナリーは遙か先を見据えている。

 

 あとは時の流れが計画を成就させてくれる。

 現段階でカナリーの計画は破綻なく実を結び、間もなく花を開かせることを家族の誰もが信じて疑わなかった。

 

「カナリー。本日はあなたの初めての礼拝です。そろそろ出掛けましょうか」

「はい。すぐに向かいます」

 

 ノックに対し返事をすると、金の髪を撫でつけ、聖女のみが着用を許されるローブのしわを伸ばす。

 部屋の扉を開けたカナリーを、ツティスが出迎えた。

 

「ようやくこの日が来ましたね。あなたより先に二人も聖女となって……ずいぶん待たされました」

 

 聖女になれば礼拝が始まる。

 皆が王宮に集うまで、カナリーは自由を奪われる訳にいかなかった。

 

 そんな思惑に気づいた者はいない。

 

「わたしがここまで来れたのも、すべてツティス様のおかげです。本当に感謝しています」

 

 カナリーの、これは心からの言葉。

 その言葉の裏を読もうなどという輩はいない。

 

 なぜならば、カナリーの計画には悪意が無かった。

 誰も不幸にならないどころか、獣人との確執により人材不足に悩まされる王宮にとって、益にしかならない。

 元より隙のないカナリーの行動も合わさり、違和を持つ者などいるわけがなかったのだ。

 

 ――ただ一人を(・・・・・)除いては(・・・・)

 

 立派に成長したカナリーの後ろ姿を、足を止めてツティスがじっと見つめる。

 瞳に未来への希望を映し出したカナリーが、その視線に振り向くことはなかった。

 

 

◇◇◇

 

 

 ……あと十年。いや、五年。

 それで皆の願いは叶うはずだった。

 どこで道を間違えたのか。

 なぜ皆が死ななければならなかったのか。

 

 水底で窒息するような感覚から目覚めたカナリーは、ひどく咳き込み、寒さに肩を震わせる。

 鼻をすすり、ここがどこかもわからず立ち上がり、目眩がして崩折れた。

 

 冷たい石床についた両手が歪んで見え、吐き気を催す。

 

「カナリー」

 

 声をかけられて、初めて同じ空間に誰かいたことをカナリーは知った。

 四つ脚の獣のような姿勢で、声の主をすがり顔をあげる。

 

 男はカナリーの視線まで屈むと、石床にカツカツと爪を打ち鳴らすか細い手に、自らの手を重ねた。

 

「……俺と、家族になろう。俺はあんたと一緒に、この先を生きてみたい」

 

 ――……レグルス。

 

 出会ったときと同じ、闇色の瞳に今度こそ取り込まれながら。

 カナリーの体内に甘く、甘く。

 男の言葉は溶けていく。

 

 恐怖も絶望も、一緒くたに混ぜ合わさり薄れていくような。

 抗い難い誘惑に、カナリーは身を委ねた。

 

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