灰になりたかったんだ   作:シン・タロー

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第26話 天頂の星

「期日は今日まで、でしたね」

 

 付き従えた護衛騎士のアダラに確認を取りながら、ツティスは上階へ向かう。

 聖王の私室へと繋がる回廊には人通りもなく、別段声を抑える配慮はしていなかった。

 

「……は。夕刻には報せが届くかと。しかしなぜ“寝取り屋”などという得体の知れない者を使ってまで、遠回りをなさるのです」

 

 視線や表情は窓の外へ置き、あくまで季節の花々で彩られた空中庭園を楽しむ風情で、ツティスは微笑を浮かべる。

 

「遠回り? 歩む道は最短ですよ」

「あの聖女も斬首に処した方が、よほど合理的かつ迅速だと思いますが」

「それでは、私の築き上げてきたものが無にされかねません。“聖女”の中から国家反逆の罪人など出してしまえば、民衆の印象は著しく下がるでしょう。王宮内での立場の確保も容易ではなくなります」

 

 とはいえツティスも、寝取り屋などに大きな期待を寄せているわけではなかった。

 

 成功すれば儲けものというだけで、失敗するようならアダラの提言通りにカナリーを処刑してしまえばいい。

 そうすることによって生じる懸念を並べ立てはしたが、覆せないほどの危機だとは感じていない。

 

 たとえるなら平坦だった道のりに、ほんの少しだけ起伏が生まれるに過ぎないのだ。

 

「何事も完璧にこだわるから面白いのですよ」

 

 王の私室前に近衛騎士の姿を認めたツティスは、そう言ってアダラとの会話を締めた。

 

 

 

 聖王ムリフェインは、蒼白い顔を俯かせて憔悴していた。

 勝手知ったる顔で聖王の私室へ踏み入ったツティスは、ムリフェインの傍まで歩み寄ると彼の頭を抱き寄せる。

 

 絢爛なソファよりも柔らかな胸もとへ、ムリフェインは恥じもせず己を(うず)めた。

 

「お可哀想に。どうか、今だけは王の重責をお忘れになってくださいませ」

「ああ……ツティス。どうしてこのようなことになってしまったのか。私はどうすればよかったのだ」

 

 王の威厳などかなぐり捨てて、ムリフェインは教えを乞うようにツティスを見上げる。

 聖女の笑みを湛えたツティスは、子供と接する母のそれと同様にムリフェインの頭を撫でる。

 

「聖王様は、何もお間違いになっておりませんよ」

 

 聖司教として王宮に仕えていたムリフェインが、聖王に選出されて二十年余。

 広く貴族や民衆の支持を得ていたかつての姿は、どこにもなかった。

 

 ただツティスの胸へ抱かれ、ムリフェインはうわ言のようにぶつぶつと繰り返す。

 

「……なぜ、カナリーが……」

「まだカナリーが首謀者と決まったわけではありません。処刑した九十一名、誰一人としてカナリーの名は口にしなかったのでしょう?」

「だ、だから何だというのだ! 全員があの孤児院の出自なのだぞ!? 明確に証拠は出揃っているではないか!」

 

 突然のムリフェインの怒りも、ツティスは動じず受け流した。

 ツティスがじっと見下ろしているだけで、ムリフェインは言葉に詰まり、また胸へと還る。

 

「私にすべて、お任せくださいませ」

 

 いつからこうなってしまったのか、自問してもムリフェインに答えは出なかった。

 

 布教や教義のために街中を奔走していた頃と比べれば、今の体たらくは考えられなかった。

 聖司教という立場がありながら、水神様と共に目線はいつも民衆の高さに合わせていたはずだ、と。

 

 聖王となり、王宮の外へと出歩くことが無くなってしまったからだろうか。

 布教の役目をツティスが負うようになって、歯車が狂ってしまったのか。

 現在の礼拝の体系を考案したツティスが、聖女の数を増やそうと提案してきた頃だろうか。

 

 あるいは、もっと昔――。

 聖王へと選ばれる少し前、まだ十二のツティスが目の前で初めて微笑みかけてくれたあのとき。

 あのときから始まってしまったのか。

 

 ムリフェインには答えが出なかった。

 

「聖王様、こちらへ……」

 

 耳障りの良い声音と、甘い香り。

 思考すれば背すじをぞわりと冷たい蛇が這い、言いようのない焦燥に駆られるのだが、その都度ツティスにこうして誘われてしまう。

 ムリフェインが長く妻を娶らないことも、ツティスの存在は無関係ではない。

 

 ムリフェインの首に腕を絡ませ、ツティスは彼をそっと引き倒した。

 ツティスの膝を枕に、柔らかなベッドへと寝転がり、天蓋を見つめるムリフェイン。

 上から顔を覗かせたツティスが、ムリフェインの瞳いっぱいに映し出される。

 

「時に、よくない情報が一つございます。近々アパリュ丘陵に獣人が集結するという噂です。これまでの競り合いとは比較にならない大部隊……メランポスが、ついに仕掛けてくるかもしれません」

「……なぜ……こんなときに……」

「大丈夫。私が知恵を絞りましょう。何も心配なさらないでください。――ただ一つだけ、お力添えをして頂きたく存じます」

 

 なぜ(・・)こんなときに(・・・・・・)笑っているのだ(・・・・・・・)――。

 ムリフェインはそう問おうとした。

 

 しかしいつものように、口に出そうとした言葉は優しく塞がれた。

 ムリフェインの顔を撫でながら、ゆっくりと蒼い髪が離れていく。

 呆然とも恍惚とも取れる表情のムリフェインを見下ろし、ツティスは目を細める。

 

「“破軍”を使いましょう。先手を打ち、アパリュに送り潜ませておくのです」

 

 一瞬だけ、ムリフェインの顔に正気の色が戻る。

 

 破軍。

 一軍にも比肩し得ると言われる最高位の魔術師。 

 当代の聖王以外には、名も居住も人数も秘匿され、新たな聖王にのみそのパーソナルが引き継がれるという噂だった。

 

 存在すら怪しむ者も多いが、ツティスは実在する前提で問いかける。

 

「お教えください、ムリフェイン様。破軍とはいったい、どこの誰なのですか?」

 

 

◇◇◇

 

 

 照明を落とした自室にて、ツティスは窓辺に立ち夜空を見上げている。

 扉の近くに控えるアダラから、報告を受けた直後だった。

 

「“寝取り屋”――……レグルスと言いましたか。本当にやり遂げるとは、報酬を用意せねばなりませんね」

「……必要ですか? 消してしまった方が得策かと」

「ふふ。野蛮ですよ。それに、それではあまりに憐れでしょう」

 

 上機嫌に笑っていたツティスが、ふと笑みを殺す。

 他の聖女の私室に比べて豪華すぎる寝台、姿見に一枚板のテーブル、ソファなどを順に見渡し、息を吐いた。

 すべてムリフェインより贈られた調度品だ。

 

「破軍の正体については口を滑らせませんでした。私が心より欲するものを頂けないとは、手のかかるお方です。……でも、レグルスのおかげで道は開けた」

 

 アダラは黙して続きを待つ。

 彼が纏う殺気に似た性質の闇が、レグルスの名に反応して炎のように揺らいだこともツティスはわかっていた。

 わかっていて、楽しんでいる。

 

「カナリーはまだすべてを曝け出してはいません。彼女が送り込んだ孤児院の仲間は、おそらく九十二(・・・)名」

「残り一名……それが破軍だとお考えなのですか?」

「ええ。庭師のモア――テナムゥは、魔術によって顔を変えていました。ですが、処刑された者の中に魔術師はいなかった」

「それだけで根拠の材料にはなりません」

 

 フッと笑みをこぼし、ツティスは頷く。

 

「ですから、最後は私の“勘”――ということになりますね」

 

 己に絶対的な信頼を寄せている者の目。

 ツティスが盲信しているのは神でも王でもなく、自分自身である。

 威圧的で、すべてを見通すかのような瞳は、他者にもそうと信じさせる力に溢れていた。

 

「……だとしても、破軍が動きますか?」

「動きますよ。カナリーが窮地に陥れば、必ず。あれらには、それだけの絆とやらを見せられましたから。十年間も」

 

 ふと、ツティスはいつ頃からカナリーの策略に気づいていたのかと考え、アダラは背を凍らせる。

 

 聖女の地位向上――いわゆる“人気取り”のために散々カナリーを利用し、いよいよと謀反の芽を出す前に摘み取る。

 いや、そもそもカナリー達に謀反を起こす気持ちがあったのか?

 反乱や革命など企てなくとも、孤児院出の者が集結しているという事実だけを用いて処分するつもりだったのでは――と。

 

「報告は以上ですか?」

 

 ツティスに問われ、アダラはハッと顔をあげた。

 顔全体を覆うローブはアダラの表情を漏らすことはなかったが、任務へ徹するよう彼は人知れず気持ちを切り替える。

 

「先ほど冒険者が三名、宮殿まで言伝に来ていました。“アパリュの丘で、獣人が大部隊を編成している”と。“必要であれば他の冒険者にも声をかけておく”とも。ひとまずは誰にも会わせぬよう客間に通してあります」

 

 ツティスにしてはめずらしく、落胆をあらわに大きな息を吐いた。

 

「気負い過ぎですね、獣の王は。餌に飛びつくのはもう少し待ってもらいたいものですが」

「いかが致しますか? 冒険者の内、一人の女は、先日教導隊長に任命された男の妻だと聞き及んでおります」

「でしたら、ちょうどよかった」

 

 まるで問題はすべて解決したとばかりに、パッと表情を明るくさせたツティスは、再び夜空へ視線を移す。

 

「反乱分子の一員ということで、早急に処理して頂けますか?」

 

 つい今しがた、レグルスの処分を提案したアダラに対し“野蛮だ”と断じたツティスは、同じ口で迷い無く言い切った。

 だからこそ、ツティスと共に在るアダラも逡巡など見せず応じるのだ。

 

「では、今すぐに」

 

 満ち足りた微笑を浮かべながら、ツティスは去りゆくアダラを呼び止める。

 戯れに、褒美でも与えるかのような穏やかな声音で語りかけるツティス。

 

「ご覧なさい。今宵は星がとても美しく見えます」

 

 促されても、アダラは空を見上げずにじっとツティスの横顔を見つめていた。

 

「ああ……暗夜に生きる(・・・・・・)あなたには、無粋でしたか」

 

 薄闇の中、蒼白く浮かび上がるツティスの姿に、確かに神々しい王の器をアダラは垣間見た。

 

「我が星は、貴方様を置いて他にありません」

 

 獣じみた呼気(・・・・・・)を吐き出して、刹那の後に、アダラはツティスの前から姿を消した。

 

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