身なりを整えることは、まず最低限。
これが出来ない奴に恋愛をやる資格は無い。
「え、髪を切るところ……ですか?」
「ああ。出来れば腕のいい人間を紹介してくれると助かる」
宿に戻って店主の娘にたずねると、目を丸くして驚いていた。
たぶん意外に思われてるんだろう。
それだけで、普段どういう視線を向けられていたのかわかる。
何かを悩んでいるらしく、娘は唸るような声を出したのち、おそるおそる上目遣いでこちらをうかがう。
「よかったら、その……あ、あたしが切りましょうか? 髪」
「え?」
冗談――というわけでもなさそうだった。
今度はこっちが悩む羽目になる。
せっかくの申し出だが、失敗の出来ない依頼が懸かっているんだ。
腕に自信のある者にやってもらいたいのが本音だった。
「あ、けっこう上手なんですよ? お父さんの髪も切ってあげてますし……」
心を読まれたかのような発言。
宿の店主といえば、頭頂にはほとんど毛が残っていなかったように思うが……。
カウンターテーブルを挟んで、娘がじっと目を覗き込んでくる。
人の視線は苦手だ。
まるで奥底を探られてる気持ちになって、壁の木目へと顔をそむけた。
けれど、しかし、と考える。
時間が無いことは確かなんだ。
今から腕の立つ人間を探して、すんなりと見つかる保証もない。
カナリーの人間性も掴めていない現状で、無駄に時間を浪費するのは避けたいところだった。
「それなら……よろしく、頼むよ」
渋った末の決断に聞こえやしなかっただろうかと心配するも、娘はパッと表情を明るくした。
「浴室で待っててください。鋏取ってきますから! あ、せっかくならお髭も剃らなきゃ」
「いや、髭は自分で――」
言い終わらない内に階段を駆け上がる娘。
自室に道具を取りに行ったんだろう。
そういえば今日は店主の姿が見えないな。
俺の髪を切っている間、宿を放置することになるがいいんだろうか?
ともかく言われた通り、浴室に向かって待機することにした。
「あの……服は……」
「このままでいい」
「で、でも、隙間に入り込んじゃうとチクチクしますよ」
「大丈夫だから」
恥じらってるつもりはないが、できることなら肌は見せたくなかった。
絶対に折れないとわかってくれたのか、襟首に冷たい金属が触れる。
自分から申し出ただけはあり、娘は手慣れた様子で小気味よく鋏を扱った。
他人に髪を切ってもらうなんて、何年ぶりだろうか。
髪がリズムよく裁断されていく心地よさに肩の力も抜け、いつしか身を任せていた。
「……お客さん、近頃はよく外出されてますよね。お仕事、決まったんですか?」
俺は沈黙も苦に思わない人間だが、ここまで世話になって無言をつらぬくほど図太くはない。
「まあ……そんな感じかな」
「やっぱり! なるほど、それで髪を切ろうと思ったんですね? よかったじゃないですか」
宿屋の娘としては、宿泊費を取りっぱぐれるような事態に陥ってしまう可能性が減るだけでも、歓迎すべき話なんだろう。
幸い、仕事の内容には触れてこなかったので嘘をつく必要はなかった。
「前髪をもっと短くしてくれないか」
「あの、街ではこれくらいの長さが主流っぽいですよ」
「……たとえるなら、騎士に憧れて街へやってきた田舎者。そんな感じでどうだろう」
「はぁ……ど、どうだろうと言われても、変わったご趣味ですね」
理解は得られなかったものの、言う通りの長さにはしてくれる。
「……あ。でも思ったより、いいかもです。あとは髭が無くなれば、なんかかわいい感じで」
かわいい……では、少し厳しいな。
それにお互いの立場を考えても、一応は客である俺を悪しざまに言うはずがない。
「そういう対象には見れそうか?」
「? そういう対象?」
「つまり、恋愛する相手になり得るかが聞きたい」
「れ――……っ!?」
娘が取り落とした鋏が、浴室の床板に突き刺さった。
肝を冷やしながら弁明する。
「その、たとえばの話だ」
「たとえ話ですか!? 先に言ってください! あたし十五なのでまだよくわかりません!」
十五。
早熟な女なら恋愛の一つや二つ経験してそうなものだが、雰囲気から察してそれ以上の追求はしなかった。
娘は途端に無言となり、それからは髪を切る音だけが浴室に響く。
「――どうですか?」
「上出来だよ、ありがとう」
持ってきてくれた手鏡で髪を確認し、娘に礼をのべた。
髭は自分で剃り落とした。
我ながら、やはり髪や髭がサッパリするだけで若返って見える。
道具を片づける娘に、懐から取り出した一枚の銀貨を差し出す。
「謝礼だ」
「え? い、いいですよお金なんて。あたしから言い出したことですし」
「そういうわけにはいかない。俺の依頼に応えたのだから、契約は成立してる。だから報酬を受け取ってくれ」
「で、でも、街でもこんな値段しませんよ」
「仕事に見合うだけの対価だ。俺のためだと思って、頼むから」
今回の依頼を期に、俺は変わりたいんだ。
これを成し遂げれば、何も無かった自分から脱却できる気がしていた。
だからこそ譲れない。
依頼や報酬、契約という型にこだわりたかったのかもしれない。
半ば押しつけるように銀貨を渡したが、複雑な顔をしつつも娘は受け取ってくれた。
「体を流してから出るよ」
一人にしてもらい、湯を浴びる。
浴室から出ると、ローブを纏っていつものように目深くフードをかぶった。
娘はカウンターに戻っていて、俺の姿を見つけると顔を曇らせる。
「あ……やっぱり、気に入りませんでした……? あたし、ごめんなさい、押しつけがましくて」
「いや……そうじゃないんだ。すまない、ちょっと出てくる」
理由を説明することは難しいので、そのまま宿を出る。
“レグルス”へと変貌する途中の姿を、大っぴらに人目に晒すわけにはいかなかった。
頭上に輝く陽を見上げて、目を細める。
……どのみち。
整えた容姿でやろうとしてる事は不貞行為。
気落ちした娘を慰める意味が、どこにあるというんだ。
被服店に入り、物色する。
真新しい衣類ばかりだったので、店主を呼んだ。
「着古した服も置いてあると聞いたんだが」
「ああ、どうしても買い取ってくれと言われりゃ買いますがね。売れねぇんで奥に置いてんですよ」
本当に売り物にする気はないようで、戸板つきの薄暗い小部屋へ案内された。
埃っぽさと、微かなすえた匂いに思わず咳き込む。
穴が空いた衣類や、ほとんど焼け焦げたような服が山積みとなっていて、かき分けながら目当ての宝を探した。
「……これなんかどうだろう。いかにも戦場帰りといった感じじゃないか?」
「そりゃまあ、戦場帰りの傭兵から買ったもんですから」
「ちょうどいい。俺は傭兵になりたいんだ」
「……だったら新品買った方がよくねぇですか?」
それじゃ“演出”出来ないだろう。
三十日しかない短期決戦なんだ。
“出会い”がもっとも大事な要素となる。
購入した衣服にその場で着替える。
店主は眉をひそめていたが、これでも物乞いに間違われていたローブよりはマシというのが悲しいところだな。
「本当に傭兵になるつもりで?」
「ああ。だから剣もいる。いい店を知らないか? もちろん中古品を扱う店で」
それから数軒の武器屋を巡って、無事にこうして帯剣するに至った。
あれほど忌々しく思っていた剣を、まさか腰にぶら下げて街を歩く日が来るなんて思いもしなかった。
よもや物乞いには見られないはずだ。
ただ、いくら傭兵にランクアップしたとはいえ、聖女を相手とするには依然として身分差がある。
それでいい。
物乞いは論外だが、ぎりぎり色恋の対象に入れれば、それで。
俺の見立てでは、傭兵はその
身分の差は、大きければ大きいほど超えてはいけない一線として背徳感情を刺激し、恋愛をより劇的なものへと進化させる。
身分差や地位を利用するなら、上に立つ方が優位に立ち回れるのだろうが、聖女の上ともなればもう王族くらいしか思い当たらない。
王族を騙るのはさすがに現実的ではないだろう。
残すは“レグルス”完成への仕上げのみだ。
俺は冒険者ギルドへ足を運んだ。
「――あんたがジェイか? ここらで一番の弓の名手だと聞いた」
“レグルス”の皮をかぶりつつあった俺は、緊張を押し殺して、ギルドの片隅で弓の手入れをする男へ声をかけた。
髪の無い、卵のような頭に、浅黒い肌。
猛禽を連想させる鋭い視線がゆっくり持ち上がり、俺の目を真っ直ぐに射抜く。
「……なんの用だ?」
「俺からの依頼だ。射ってもらいたい人間がいる」
「依頼だと。オレは殺しはやらんぞ」
「いや、殺されては困るんだが」
怪訝な顔をするジェイという男に、詳細を説明した。
気味が悪い依頼だと思われたに違いない。
最初は取りつく島もなかったが、複数枚の金貨を握らせて承諾を得る。
「――お前はイかれてる」
引き絞った矢尻の狙いは、完璧に俺へと定められている。
「……何度も言うが、
「外しちまったらすまんな。まあここでお前が死んでも、見てる奴は誰もいないわけだ」
「そのときは、あんたの一族を根絶やしにするまで呪ってやる。……必ずだ」
心臓が激しく踊る。
フードで隠した顔はきっと蒼白で、もしジェイに見られでもしたら嘲笑されていたことだろう。
「動くなよ――……」
いつ、矢が放たれのか視認は出来なかった。
空気を裂くような風切り音の直後、左肩に灼熱の激痛が走る。
「ぐッ、ぎ……ッッ……」
すぐにでも倒れ込んで転げ回りたい衝動を、歯を食いしばって耐えた。
押さえた肩から止めどなく生ぬるい血液が溢れ、意識まで遠ざかる感覚に襲われる。
弓を下ろして、俺の元まで歩いてくるジェイ。
ジェイは無言のまま、刺さった矢の処理、傷口の洗浄から止血まで施してくれる。
「熱が出たら、これを飲め」
液体が入った小瓶を立て置くと、ジェイは踵を返して去っていった。
ジェイの姿が完全に見えなくなって、大の字に寝転がった。
熱があるかも判別はつかなくて、すぐに小瓶の液体を飲み下す。
「はあー……はあー……はあー……っ」
待っていろ、カナリー。
あんたの運命を変える男が、もうすぐ目の前に現れる。
急激な眠気に身を任せながら、俺は引きつるような笑い声をあげた。