季節外れのコート男
「パパなんか大っ嫌い!」
ハツミはそう言い捨てるとドアを思いきり開けてリビングから出ていった。そのままの勢いでガレージに行って自分の自転車にまたがると、飛び出すようにして道路に出る。むしゃくしゃした気分のままに思い切りペダルをこいで車道を進んでいった。
中学一年生が金曜日の夜に十二時まで起きてゲームをしているなんてそんなに珍しいことじゃない。第一ハツミの友達なんてみんな(まあホントにみんなかは知らないけれど)そうしているはずだ。あの子もあの子も。
でもどうしたわけか、パパが本屋かどっかで子育ての本を立ち読みしてきたからなのか知らないけれど、いつもは何も言わないのに今日に限って突然「もう遅いんだから寝なさい、第一ゲームのやり過ぎだ」と言ってきた。しかも「ゲームをやり過ぎるとダメな人間になるぞ」とのお小言のおまけつきだ。
ハツミは、五歳のときママが病気で死んだので、パパとおばあちゃんと三人で暮らしている。年の離れたお兄ちゃんがいるけれど、遠いところにある大学に入学してからは、寮に入ったとかで年に二回くらいしか帰ってこない。おばあちゃんはとってもやさしい。ただ、最近のティーンの事情とかは全く知らないけど。パパは、くそ真面目というか、お堅いというか、何かというと四面四角なことばかり言う。
お兄ちゃんが出ていってからはケンカする相手がいなくなってしまったハツミには、家にいるのが退屈でしかたがなかった。八十のおばあちゃんと遊ぶわけにもいかないし、パパは会社から帰って来てからも仕事が残ってるとかでいっつも難しい顔でパソコンを睨んでいる。そんなこんなで、友達との遊びの約束が取り付けられなかった日なんかは死ぬほどつまらなかった。
そこで仕方なくお兄ちゃんが置いていったパソコンでゲームをしていたらパパがお説教してきたので、ついついこっちもヒートアップして「みんながやってることをどうしてやっちゃいけないの?第一今時スマホもニンテンドーもXBoxも持ってないのなんてわたしだけ。こんなダサい家耐えられない!」と言ってしまった。そしたら向こうも売り言葉に買い言葉で「そんならこの家に居なくていい!誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ!」と来た。それでハツミは飛び出してきたというわけだ。
ハツミは、季節も十月に入り涼しくなってきた夜気を頬に感じながら「ったく中学生はスマホ持つ必要はない、とか、あのオッサンどんだけよ」とつぶやいた。「いま二千四十九年なんだよ?頭の中五十年くらい遅れてるんじゃないの」
商店も閉まって、頼りない街灯だけに照らされたサンルイスの町をしばらく勢いよく走っていたら、ハツミはやっと落ち着いてきた。でも、すぐに引き返すのもしゃくに触るので少し時間をつぶすことにした。
ハツミはメインストリートに入ると、マクドナルドの駐車場に自転車を止めた。さすがに今の時間店に入るの勇気がいるので、駐車場の、明るくてそれでいて車の陰になって目立たないところに座り込むと、自分の携帯電話を取り出した。小学四年のときおばあちゃんにもらった折り畳み式の携帯電話だ。
「起きてる?」
ハツミは親友のナオミにラインを打ってみた。
「起きてるよ。今何してんの?」
ものの数秒で返事が来る。
「今家出中」
すると「なにそれうそでしょ」と顔文字付きで返事が来た。
「親とケンカしちゃった。ゲームしすぎだって。いつもはこっちのことなんか気にもしてないのに突然言ってきたりするのがうざい」
「あ~わかるわかる」
ハツミはナオミとは小学校からずっと親友だった。同じ日系人だからというだけではなく、家の環境もちょっと似ていたからだ。ナオミは両親がずいぶん前に離婚してママと二人暮らし。でも、ハツミはナオミがうらやましかった。ナオミのママは日本人で、美人で、サバサバしてて、平日はバリバリ働いているけれど、週末遊びに行くと飛び切り美味しいケーキを焼いてくれた。しかも冗談をいっぱい言って笑わせてくれるので、ハツミだけではなく同級生の子たちみんなに人気があった。無口でしかめ顔のハツミのパパとは大違いだ。
「ナオミんちっていいなあ。あんなママと一緒に暮らしたい」
「うちはうちでけっこううざいよ。なんかスイッチ入っちゃうと意味わからないキレかたするし」
「へえ~見えない」
「あ、なんか後ろから覗かれてた。コラ、人聞きの悪い、だって(笑)」
「よろしく言っといて。またおばさんのケーキ食べたい」
「ハツミちゃん今夜うちに泊まればって言ってるよ」
「ええ~なんか悪いよ」
「でも物騒だし最近ヘンな事件多いじゃん。ワニ人間とか」
ワニ人間というのは頭がワニで体が人間という正体不明の怪物だ。数年前からアリゾナ州近辺で頻繁に目撃されるようになった。それで最近ハツミの学校はワニ人間の噂で持ち切りだった。家の前でガサゴソ音がしたので窓から見てみると、ワニ人間がゴミ箱を漁っていたとか、コロラド川にワニがいたので観察していると、そいつが突然二本足で歩きだしたとか、あげくのはてには知り合いの知り合いのそのまた知り合いがワニ人間の二人組に誘拐されてそれ以来見つかっていないらしいとか。ひとたびその話題になるとクラスの物好きな生徒たちがそれぞれ勝手に自説を述べたてて喧々囂々の議論になるのが常だった。
「ワニ人間(笑)。あんなの本当にいるのかな」
すると、ナオミはニュースの記事を添付して送ってよこしてきた。ハンターに捕まったワニの写真があると思ったら、よく見ると胴体はなにか人間っぽいし、手足もワニにしては長すぎる。
「これホンモノらしいよ。国立公園で死体が見つかったんだって」
「ワニじゃないなら、コモドオオトカゲとかじゃないの?それか恐竜の生き残りとか」
「まあ、一体何なのかは、うちもよくわかんないけどね。でもこんなのが町にまでやって来てたら怖くない?きっと夜行性で、人間の子供が通ったら物陰で待ち構えててバクッて」
「やめてこわい(泣)」
「あとさ、ちょっとハツミに手伝ってほしいんだよね。明日の式典うちダンスチームで出るから」
「式典?なんだっけそれ」
「うそ、聞いてないの?世界平和条約二十周年って今日教頭先生言ってたじゃん」
「へえ」
「すごくない?世界から戦争がなくなって二十周年なんだって」
「そうなんだ」
ハツミは気のない返事を打った。だいたいハツミの中では毎週金曜日で学校は終わりだから、土曜日も出席なんてまったく苦行でしかない。
「あんま興味ないなあ。でもナオミのダンスは見たい」
「でしょ?メイクとか髪手伝って欲しいんだ。編み込みとかムッチャ時間かかるし」
「わかった」
「あと、ママが午後ケーキ焼くって」
「じゃあ絶対行く」
「わかりやすっ(笑)。じゃああとでね」
結局こうしてハツミは泊めてもらうことになった。ハツミのパパも、保護者会とかの学校行事で何度もナオミのママに会っているからちゃんと報告すれば大丈夫だろう。
ハツミは二十四番通りに入ってナオミの家に向かった。やがて家々が途切れ左右が荒地になっている場所に差し掛かる。
ところが、ハツミは自転車の様子がおかしいことに気づいた。ガクンッガクンッと前輪が音を立てている。
「やだなあパンクかな……」
ハツミは、以前お兄ちゃんから「もし自転車がパンクしたら絶対に降りて押すんだぞ」と厳しく言われたことを思い出した。チューブが傷だらけになって修理できなくなり、チューブごと取り換えることになるらしい。
「最低!ついてないなあ」
ハツミはしぶしぶ自転車から降りると押し始めた。サッと走れば十五分くらいで着くのに、これじゃあ何倍時間がかかるかわからない。どうしようか、やっぱりバツが悪いのを我慢して家に帰ろうか、それともナオミのママに車で迎えにきてもらおうか。
すると、背後からコツコツという足音が聞こえてきた。人気もなく、車もときどきしか通らない二十四番通りに、男が一人歩いている。西部劇のガンマンみたいな、時代遅れの、つばの広い帽子を被り、季節外れの長いトレンチコートを着ていた。
その服装がちょっと異様で、まるでその場に合っていない感じがしたうえに、男の歩き方がどこか不自然なのを見てハツミはぎょっとしてしまった。リズムが音楽の授業で使うメトロノームみたいに異常なほど一定で、なにか機械みたいな歩き方だった。
ハツミは迷った挙句、自転車に飛び乗って走り出した。ガクンガクンと揺れて乗りにくいのをこらえて、なんとかコートの男から距離を取ろうとする。しかし百メートルくらい走った後、車輪のチューブに残っていた空気が完全にゼロになってしまったのか、ガクガクという揺れがますますひどくなってしまい、ハツミはまたあきらめて自転車から降りざるを得なくなってしまった。
あのコート男はペースを変えずにこっちに近づいてくる。自分を追いかけているのかどうかはわからないけど、今の季節あんな恰好をしている男はたぶん、いや絶対に不審者に決まってる。急にひどく恐怖がこみあげてきて、ハツミは左右を見回し、道路の脇に生えている太い木の陰に自転車ごと身を寄せると息をひそめた。
コツコツという足音が接近するにつれて、ハツミはひどく後悔した。
「ああ、こんなことになるなら最初からパパとケンカなんかするんじゃなかった。神様どうか助けてください」
しかし案に相違して、コツコツという足音は、ハツミが隠れている木の前を通り過ぎると、そのまま小さくなっていき、やがて聞こえなくなった。コート男は最初からハツミを追いかけていたわけでもなんでもなかったのだ。
ハツミは大きく安堵のため息をついた。そして外泊する気などすっかり失せてしまい、隠れていた大木の陰から道路に出て、物寂しい二十四番通りから遠くのほうにある住宅街を見ると、もう自転車なんて放り捨てて走って家に帰りたくなってしまった。
すると、ハツミはムっとするような生臭い匂いに気づいた。腐った魚のような、よどんだ沼地のような奇妙な匂い。ふと振り返ると、自分がついさっきまでいた道路脇の暗がりの地面近くに、光る眼が四つ浮かんでいる。爬虫類特有の、感情のない嫌な目つき。
「ワニ?」
ハツミは恐怖で身がすくんだ。しかし同時に、その眼と眼の間隔から、ワニの大きさはそれほど大したことはないだろうと心のどこかで冷静に見当をつけていた。小さめのワニだったら、思い切り走れば追いつかれないかも知れない。
しかし次の瞬間、その光る眼四つが、急に宙に浮きあがると地上二メートルくらいのところで停止した。ハツミは一瞬何が起こったのが全く分からなかった。宙を飛ぶワニ?
すると、四つの眼がずいっと近づいてきたかと思うと、暗闇から背の高い二頭の爬虫類動物たちがぬうっと姿を現した。
ワニの頭に、ゴリラみたいな筋肉質の上半身。二本の脚で立って、下半身にはズボンまで履いてる。しかも肩には、鉄でできた筒から棒が飛び出てその先端に円盤がくっついた、奇妙な道具のようなものまで背負っている。
ワニ人間!
ハツミはほとんど息が止まりそうになりながら ひい と悲鳴を上げた。するとワニ人間の片われがにゅうっと手を伸ばしてハツミの腕を掴んだ。どんなにもがいてもビクともしない。まるで万力のような力だった。
もう片方のワニ人間が、腰につけたポーチを開けて、中からなにかを取り出した。
誘拐される――
なんでワニ人間が腰にポーチなんかつけているのか、まるでわけがわからなかったが、ハツミは、いかにも不器用そうなワニ人間が、折りたたまれた麻袋を取り出して広げはじめたのを見てそう確信した。
麻袋を取り出したワニ人間は、どこに袋の口があるのかよくわからないらしい。ハツミを押さえつけているほうのワニ人間は、相棒が要領悪く袋をいじくりまわすのを見て、「早くしろ」とばかりにバフッバフッ、と吼えた。
そのとき、ハツミの視界に人影が見えた。
あのコート男が、ここから何十メートルかのところに立ってこっちを見ていた。
「助けて」
ハツミは、もう好き嫌いを言っていられないと心を決め、コート男にむかって叫んだ。
「誘拐されちゃう。警察呼んで」
すると、コート男はこちらに向かって走り出した。
その走り方は本当に奇妙だった。こんな切迫した事態なのに、またもやメトロノームみたいに安定したリズムを刻みながら、ドッドッドッと一直線にこちらに向かってくる。
コート男の足音に気づいたのか、ワニ人間たちはハツミから手を放すと後ろへ振り返った。邪魔者が近づいてきているのを見ると、グルルルルとうなり声をあげて、背負っていた筒状の道具を肩から降ろして構えた。キイーンという回転音が鳴り、棒の先っぽについた円盤が回りはじめる。回転ノコギリだ。
すると、コートの男はジャンプした。地面を蹴るドンッという音とともに、その男が軽々と五メートルくらい飛び上がったのを見て、自分は今何かおかしな夢を見ているのだろうか、とハツミは一瞬思った。男は空中で宙返りを打ち、そのコートの裾が風を切る音が聞こえてくる。
ババン ババン
突然、ものすごい銃声が四発響いた。その音が、陸上競技大会で聞くようなピストルの音の百倍くらいうるさかったので、ハツミは思わず耳を両手でおおって座り込んでしまった。
ドスンドスンと、地面に何か大きなものが倒れる音がすると、またすぐに静寂が戻ってきた。ハツミがふと顔を上げると、ワニ人間たちは二人とも地面に倒れていた。口からだらりと舌を突き出して、微動だにしない。
その傍らにはコート男が立っていた。右手に持ったピストルからは白い煙が上がっている。男は銃のグリップの前にあるスイッチを押し、蓮根みたいな形の振出式弾倉を取り出すと、左手で銃を下から支えて弾倉の中心から突き出ている棒を押した。まだ煙を立てている空薬莢が飛び出してきて、道路に落ちてカランカランと音を立てる。
コート男は右手をコートのポケットに突っ込むと、拳銃の弾を掴みだし、まるで手品師のような器用さであっと言う間に弾倉に込めた。カチンと音を立てて弾倉を戻すと、銃を腰につけたホルスターに仕舞う。
「あ、あの、助けてくれてどうも……」
そこまで言いかけて、ハツミは言葉を失った。
つば広の帽子の下に見えるはずの、男の顔が、ない。のっぺらぼうなのだ。
のっぺらぼうというのは、日本生まれのハツミのおばあちゃんが、そのまたおばあちゃんから子供のころにもらったという絵本に載っていたお化けだ。日本人がちょんまげをつけていたころ、夜中に出歩いていた男が女の人から声を掛けられ振り向くと、顔が真っ白で目も鼻も口もない「のっぺらぼう」だった、という話。
しかし、絵本ののっぺらぼうと違い、その男の顔はガラスででもできているのか、街灯を反射して黒味がかった緑色に輝いていた。耳や側頭部や首元のあたりは、金属製らしく黒っぽく鈍く光っている。
「あ……りが……」
ハツミはもうほとんど気絶しかかっていた。クラっと来て倒れそうになったところで、のっぺらぼう男は手を伸ばしてハツミを支えた。
「怖がることはない。俺はロボットだ。君を攻撃することはない」そいつはしゃべった。
「俺の名は『完全自律型人工知能戦闘ロボット試作機X1』だ」
「……は?」辛うじて気を失っていなかったハツミだったが、相手が何といったのか聞き取れなかった。
「呼びにくいか?」ロボットは考えるようにして数秒黙っていたが、やがてこう言った。
「なら俺のことはガンボットと呼んでくれ」