「どうやらもうすぐだ」
潅木の間を縫いながら凹凸のある荒れ地を十五分ほども走らせると、ガンボットはジープのスピードを落として言った。「ここらへんで車を停めよう」
ガンボットは潅木の横にジープを停車させ、車から降りた。ハツミも降車し南の方角を眺めた。水無川がくねくねと蛇行してゆく先の五百メートルほど向こうに、まばらな木立に囲まれて、ダムの壁のようなコンクリート構造物が見える。もっとも、長らく手入れされていないらしく構造物はあちこちが崩落しており、ハツミが立っている場所から眺めるとまるで人類文明が消滅したあとの光景を思わせた。
「あれがそう?」ハツミは指差して聞いた。
「いや、もっと右だ」ガンボットは後部座席のドアを開け、コートを脱ぎながら答えた。
ハツミが視線を移すと、川の右側にある少し小高い場所に、やはりコンクリートの構造物が見えた。こちらは四角い井戸を巨大にしたような形だ。距離は一キロ弱だろうか。
「鉱石の試掘のために作られた施設らしい。そこを昔ある金持ちが買い取って自分用の核シェルターに改装したが、後に破産したので手放したということだ」
「博士がどこにいるか見当はついてるの?」ハツミは尋ねた。
「見取り図を見る限りでは四百メートルの竪穴がありその東西南北に坑道が走っている。ノヴァク博士がいるとしたら前の持ち主が居住スペースに使っていた場所だ。坑道の一つの先端にある」
ガンボットはリュックの中からショルダーバッグをたくさん取り出すと、三十二発ドラム弾倉をその中に二つづつ詰め、それらをいくつも襷がけに肩に掛けた。それに加えて、八発入箱型弾倉が入った小さなポーチが並んでつけてあるベルトを、自分のガンベルトの上から付ける。
さらに、腰のところにある大きめの物入れにはファイア・フュリーの筒を二つ入れる。その上からまたコートを着ると、ロボットはまるでダルマのように着膨れして見えた。
「君はどうする?」支度を終えたガンボットは言った。
「ついてきてもいいが、今までに比べると危険は格段に大きい。博士の施設は地下にあるから情勢が不利になっても君を抱えて窓から脱出というわけにはいかない」
「ガンボット」ハツミは顔を上げた。「お願いがあるの」
「何だ?」
「ミュータント細胞を破壊して。絶対あいつらに渡しちゃダメ」
「なぜだ?」ガンボットはもう一度ベルトを締めなおし、弾倉を入れたショルダーバッグの位置を調整しながら訪ねた。
「なぜって」ハツミは言葉に詰まりながらも続けた。「あいつらがそれを手に入れたら今度は国ぐるみでミュータントを造るっていうんでしょ?」
「あいつ『人間の友』を造るとか言ってたけどわたしは絶対信用できない。だってあいつら大人たちそのものがいっつも誰かと争ってるんだから。それで争いに勝つためにミュータントを利用する奴らが絶対出てくるよ。そうでしょ?」
ハツミは続けた。
「あいつら新しいオモチャを見つけた男子と同じだよ。それがどんなに危ないって言われても絶対捨てられない。それを使ったら世の中がどんなふうに変わっちゃうかも分かってない。そもそも、自分たちが生きている間に名誉とか地位が得られれればあとはどうでもいいのよ。きっとそうだよ」
「どうやらそのようだな」ガンボットは同意した。「俺もあのロドリゴという男はずいぶんなナルシストだと思った。自分の名誉のためには他人を犠牲にすることも厭わないタイプだ」
「ならわかるでしょ?」ハツミはガンボットの顔を見上げた。「あいつらにそれを与えちゃダメ。あいつらが手に入れる前に破壊しなきゃ。それができるのはあんたしかいない」
「お断りだ」ガンボットは即答した。「それは俺のミッションではない」
「どうして?」ハツミは叫んだ。「ミュータントを狩るのがあんたのミッションでしょ?」
「その通りだ」
「じゃあミュータントなんかそもそも造れないようにしちゃえばいいじゃない。どうしてそれができないっていうの?」
「ミュータントを造るか造らないかはそもそも人間が決めることだ。俺が決めることではない」
「言ってる意味がわかんない」ハツミは首を振った。
「俺にプログラムされているのは個々のミュータントを狩ることまでだ。もしそれ以上のことをすれば俺はロボットとしての自分の存在意義を否定することになる」
「なんでよ?」ハツミは尋ねた。「ミュータントなんてないほうがいい決まってるじゃん」
「それは君の意見だ。ロドリゴはミュータントは造り方によっては人類の役に立つものとなり得ると言った」ガンボットは答えた。
「人間はそれぞれがそれぞれ異なる意見を持つ。俺はどの意見も否定しないし、支持もしない。それをしてしまえば俺は人間たちの上に立って価値判断を下すことになってしまう。俺はそんなふうにプログラムされてはいないし、ロボットとしてあってはならないことだ」
「よくわかんないけど」ハツミは戸惑った。「じゃあわたしの言うこともロドリゴの言うことも、あんたにとってはどっちも同じ価値しかないってこと?」
「そうだ。俺がある人間の利益になることをすれば、多くの場合他の人間の利益を多少の差こそあれ害することになる、ということに大分前から俺は気づいていた」
「人間に仕えるというロボットの存在意義を考えれば、俺が存在し行動し続けること自体が常に矛盾に陥る危険を孕んでいる」
ガンボットはハツミのほうを向いた。
「わかるかハツミ。俺はこれ以上自己矛盾に陥るようなジレンマに自分を晒したくない。だから俺は俺に最初に与えられた基本的なミッションを超えるようなことについて判断を下すことはしない。これは決めたことだ」
「だけど」ハツミは食い下がった。「今ミュータントが造れないようにすれば、将来誰かが死んだり傷ついたりするのを防ぐことができる。あんたはこの先たくさんの人から感謝される。それはわたしが保証する。あんな欲張りの政治家の言うこと聞くよりよっぽどそのほうがいいじゃん」
「それ以前の問題がある」ガンボットは言った。「将来誰かが俺をどう評価する、といった問題に俺は興味はない。それは起きるか起きないかもわからないし、第一俺の耐用年数がそれまで切れていないという保証もない。だから俺には全く関係のない話だ」
「なんであんたってそんなにひねっくれてるの? 」ハツミは言い返した。「自分に関係ないことは知ろうともしないし、調べようともしないし、関わろうともしない」
「わたしはそれがあんたの一番悪いところだと思う 。今のうち直したほうがいいよ」
「一体君に俺の何が分かる」ガンボットは突然大声を出した。
その剣幕にハツミは思わずたじろいでしまった。
「別に怒らなくたっていいじゃん」ハツミはそう呟いて目を逸らした。
「怒っているわけではない」ガンボットは口調を戻して言った。「だが君はロボットというものを理解していない。俺がミッション以外のことについて判断を下すのは俺の存在理由に反する。そのわけは説明した通りだ」
「じゃあわたしの言うことは聞いてもらえないの?どんなに言っても?」
「君は俺のオーナーではない。俺に命令したければまず俺のオーナーを探し出して所有権を譲り受けることだ」
「わたしはあんたに命令なんかしたいわけじゃない」ハツミは大声で叫んだ。
「じゃあ何なんだ」ガンボットは聞いた。
「お願いしてるの。友達として」ハツミは言った。「あんなおぞましいものがこれからもずっと世界に残っていくなんてわたしは嫌。だからあんたにお願いしてるの。勝手なお願いだってことはわかってる。でもそうしないではいられない」
「ねえ、技術だ進歩だっていって、いったいどれだけの人たちがこれから死ななきゃいけないの?どれだけの人たちが大事なひとや家族を失って泣かないとならないの?わたしはそんなの耐えられない。絶対に耐えられない」ハツミはガンボットをまっすぐ見つめた。
「でもね、今わたしたちが少し、ほんの少しのことをすれば、これは防ぐことができる。あんな忌まわしいものはもうずっとこの先も生まれない。そうでしょ?だとしたら何もしないでいることなんてできないはず」
ガンボットはしばらく黙っていた。
「いくらロボットのあんたでもわかるでしょ?お願い。わたしの言うことを聞いて? 」ハツミは言った。
「それはできないな」だがガンボットは軽く首を横に振った。「そもそもロボットにとって友達というものは存在しない。その理由もまた説明したはずだ」
「まだそんなこと言ってるの?」ハツミは少し目に涙をにじませた。「あんたって本当に最低。こんなに頼んでるのに」
「君が今言ったこともまた君個人の意見であり君個人の感情に過ぎない。君の感情は君の物であって俺の物ではない。だからその感情は君自身が解決すべきだ」ガンボットは淡々と言った。
「君の意見にしても、それは俺ではなくむしろロドリゴに言うべきだろう。君がノヴァク博士を説得するつもりだというなら、君はロドリゴもまた説得するべきだ。あいつが耳を傾けるとも思えないが、手順としてはそれが正しい」
「もういい」ハツミは声を上げると、車の助手席のドアを開けて乗り込み、叩きつけるようにしてドアを閉めた。
「あんたがこんなにわからず屋だとは思わなかった。もう勝手にすれば」ハツミは腕組みをするとシートに身を沈めた。
「ここに残るのか?」ガンボットは声をかけた。「気温が上がる。水分をよく補給しろ。食糧の残りは後部座席下の物入れにある。あともう一つ」
ガンボットは助手席の窓から覗き込んだ。「デトニクスの使用方法を教えておく必要がある。警察の連中がどこか近辺にいるから一応は安全だと思うが、万一ミュータントが通りがからないとも限らないからな」
「いい。やり方はもう聞いたから」ハツミは顔を背けた。
「構え方や狙い方は教えていない」
「いらない」
「オモチャの鉄砲みたいに撃てばたいてい当たるというものでもないぞ」
「もしワニが来たら車ではねて逃げるから。キーだけ挿しといて」
ガンボットはしばらくハツミのほうを見ていたが、やがて後部座席から銃を取り上げると扉を閉めた。砂地を歩くガンボットの足音が聞こえなくなるまで、ハツミは野球帽を目深にかぶり、腕組みをしてシートの上から動かなかった。
「何なのあいつ」ハツミは呟いた。「意味不明なんですけど。なんであんなに頑固なの?」
次第に怒りが湧き上がってきて、ハツミはシートから身を起こして前を向いた。ポツポツと生えた潅木の間に見え隠れしていたガンボットの後ろ姿が次第に遠くなっていく。
「ばか」ハツミはその後ろ姿に向けて叫んだ。
「あのバカロボット。ほんとうにむかつく」ハツミは唸った。「石頭。ポンコツ。わからずやの大バカ野郎」
「バカ。 バカ。 バカ。 バカ。 バカ。 バカ。 バカ」そう言いながらハツミは助手席のダッシュボードを両手でバンバン叩いた。手が痺れるころになってやっと叩くのをやめると、ダッシュボードの下にある物入の蓋がパカっと開いた。
ハツミは何気なく物入の中を探った。中に小さな紙片が入っている。取り上げてみると、紙片は古ぼけて変色した写真だった。
写真には、三人の人物が並んで写っている。中央には、逞しい体格をし、軍の礼服を来た背の高い青年、左側には銀髪で眼鏡をかけたいかにも知的そうな壮年の痩せた男、そして右側にはハツミと同じくらいの歳の少女が写っていた。
写真の裏側を見ると、「親愛なるスティーブン。卒業おめでとう。あなたの父と妹より」と書いてあった。
ハツミはもう一度写真を見た。中央の青年の顔をしげしげと眺めると、うぬぼれ屋で鼻っ柱が強そうで、それでいて瞳の奥にはやさしさを覗かせている。なんだか、ガンボットの強化ガラス製ののっぺらぼうの顔と、このスティーブンの顔が二重写しになったような気がした。
「人間の人格に似せたロボット?」ハツミはダッシュボードに写真を戻して呟いた。
「何のためにそんなもの造ったんだろう。かえってかわいそうじゃん」
人工知能がどうとかいう話はハツミには全く縁遠い話だったが、ガンボットが極めて人間臭い部分といかにもロボットという部分とを併せ持つ、中途半端なロボットだということだけはわかってきた。
人間でもなく、かといって単純なロボットでもない。全てにおいて命令を聞くだけの単純なロボットだったら、ガンボットみたいに悩んだりはしないだろうし、あんな面倒な理屈を捏ねて自分の行動に理由をつけたりする必要もないだろう。
ガンボットは、本当はもっと人間らしくなれるはずなのに、自分を見失うまいとして無理にロボットであろうとしているのかも知れない。あるいはもしかすると、自分の醜い姿が人間には決して受け入れられないのだということを学習し、ある程度以上は絶対に人間らしくなることはしないと自らに課しているのかも知れない。だからあんなに頑なに友達を作ろうとしないのかもしれない。
「人間に似せるんだったら外見も人間っぽくしてあげなきゃだめじゃん。それか、人間の中に溶け込めるようになるまで誰かがそばにいて面倒みなきゃだめだよ」
それを考えると、ハツミの怒りは、だんだんガンボットのオーナーに向かっていった。
「ほんとふざけてるよ。造ってすぐに見捨ててどっか行っちゃうなんて最低」
ハツミは頭の後ろに手を組んで背もたれにもたれかかった。「何よ。わたしなんてあいつのオーナーでもないのにこんなに長い間あいつに付き合ってやってるんだよ」
ハツミは、大事な人から置いていかれてしまったときに感じる痛みをよく理解していた。自分が五歳のときママが亡くなったのは、病気のせいだからしょうがないということはわかっていた。しかしそれでも、たいせつな人が自分を置いて行ってしまったという感情が、心の奥底に疼痛のように残っていることを時々感じることがあった。
人間は、常に寄り添ってくれる人がいなければ生きていくのは難しい。ハツミはパパのことを思った。あの、頑固で、堅物で、説教くさくて仕事人間のパパでさえ、ママのいないハツミにとってはとてもとても大切なひとだった。
しかし、ガンボットには誰もいなかった。人間の人格に似せて造られたのに、造られた直後に独りぼっちにされて、今まで生きてきたのだ。
「わたしがあいつを見捨てたらダメなんだ」
ハツミは心に浮かんだことを呟いてみた。
「わたしがあいつを見捨てたらダメ」
ハツミはもう一度口に出して言ってみた。その言った言葉をまるで自分の中で咀嚼するように数十秒黙ったあと、ハツミはさらに繰り返した。
「わたしは。あいつを。見捨てない」
ハツミはしばらく目の前のフロントガラスを睨んでいたが、やがて後部座席に手を伸ばすと自分のデイパックをつかんだ。彼女はドアを開けて車から降りるとデイパックを背負って、ガンボットが向かっていった四角い構造物に向けて歩き始めた。
巨大な構造物は歩いても歩いても近づいてこなかった。思ったより遠いらしい。ハツミはデイパックからミネラルウォーターを取り出すと、砂地を歩きながら水を飲んだ。日差しはいよいよ強く、昼時が近づいたのか空腹を覚えた。食料を置いてきてしまったことに気づいたが、戻ってからまた同じ方向に歩くのはもっと大変そうなので結局そのまま進むことにした。
二十分ほども歩くと、ようやく構造物への到着が近づいてきたことがわかった。遠くから見た印象よりずっと大きい。おそらく一つの辺が三十メートルほどもあろうかという立方体で、入口らしきものは一見どこにもない。だがハツミがその周囲をぐるりと回ってみると、南側の面に十メートル四方ほどの開口部と素っ気のない造りのファサードがあった。
開口部に近づいてみると、その奥にはガレージがあり、ランドクルーザーが一台止まっている。だが長い間使われていないらしく、タイヤの空気も抜け、ガラスも汚れ放題だった。ガレージの奥には大きめのエレベーターの扉と、非常階段を示すマークの付いたドアがあった。
日光が遮られたガレージの中は涼しそうだ。だが薄暗いぶんだけどこかからミュータントかあの巨大虫が襲ってくるのではないかという感じがして、ハツミはちょっと躊躇った。ハツミはデイパックを探ると中から拳銃を取り出して手に持ち、デイパックを背負い直しながらそろそろとガレージの中に進入していった。
物音は全くしなかった。ガンボットが行ってから三十分は経過しているのだから、もし突入したのなら今頃は大騒ぎのはずだ。だが銃声どころか、ミュータントの喚き声も、足音すらも全く聞こえない。
ハツミは目の前にある、エレベーターの扉と、非常階段のドアのうちのどちらを選ぶべきか迷った。だが、小さい頃お兄ちゃんが見ていたアニメで、エレベーターで扉が開いた途端外で待ち構えていたエイリアンが沢山襲ってくるというシーンがあったのを思い出し、階段を選ぶことにした。
ガレージの奥に進んでドアに手をかけ、そうっと開ける。覗いてみると、鉄製の階段が四角いらせん状にずっと下まで続いていた。内部の照明は薄暗い。
ハツミが非常階段に一歩足を踏み入れようとした瞬間、背後に気配を感じた。
だが、振り向いてみても誰もいない。ハツミは再び向き直って足を踏み出した。
その瞬間、後ろからガサガサという音がした。ハツミは振り返って音のしたほうに銃を向けた。
駐車してあった車の陰から 、ニ匹のミュータントがぬっと姿を現した。一匹は麻袋を広げてこちらに向かって来ている。
ハツミは ひい と声にならない声を上げながら拳銃を突き出して引き金を引いた。だが弾は出なかった。パニックに陥って何度も何度も引き金を引いたがピクリとも動かない。踵を返して逃げようとしたところでハツミはずるっと足を滑らせ拳銃を取り落とした。
ミュータントがハツミの頭から麻袋をかぶせた。袋の紐がギュッと締められると、ハツミは軽々と抱えあげられた。大声で叫び、どうにか逃れようと手足をジタバタさせたが、ミュータントは丸太のような腕でハツミの胴体を捕まえていたので、全く効果は無かった。
麻袋に入れられ何も見えないままだったが、ミュータントたちはどうやら非常階段を降り始めたようだ。上下に揺られる動きが二・三分ほど続くと、やがて鉄扉が開閉する音がした。ミュータントに抱えられたままくねくねと曲がる廊下を進んでいったと思うと、ハツミは突然床に横たえられた。次の瞬間誰かが袋の紐を解いて、乱暴に袋を上に引っ張ったのでハツミは背中から床に落とされた。
「やれやれ。私が侵入者に気づかないと考えるとは呑気なものだ」
しわがれた声が聞こえ、ハツミは痛む腰をさすりながら身を起こした。
ニ匹のミュータントを従えて、痩せた老人が廊下の中央に立っていた。白衣を着て、長い白髪を後ろになでつけ眼鏡をかけた風貌はいかにも知的そうだったが、眼鏡の奥にある目には何の表情も浮かんでおらず、まるで人形を思わせた。
「ようこそ。小さな泥棒さん」老人はにっこりと微笑んだ。「この施設の周辺には監視カメラを多数設置してある。素人目には絶対分からないように偽装してあるがね。だから君があのロボットと一緒にいたということは先刻承知だったよ 」
老人の顔を数秒見つめていたハツミの脳裏に、スティーブンの隣に写っていたあの写真の男が浮かび上がった。
「ノヴァク博士?」ハツミは尋ねた。
「いかにも私がノヴァク博士だ」老人は答えた。「君は一体誰だね?なぜあのロボットと行動を共にしている?」
「わたしはハツミ」ハツミは身体を起こすと精一杯の勇気を振り絞って博士の顔を正面から見据えた。
「あなたが造ったミュータントに誘拐されそうになった。だからあなたに言いたいことがあって来たの」
「それはそれは気の毒だったね」他人ごとのように博士は言った。「で、おじょうちゃん。言いたいこととは何かね?」
「博士、もうミュータントを造ったり外に放すことはやめて」ハツミは呼びかけた。「たくさんの人たちがミュータントのせいで傷ついたり死んだりしている。大切な人を連れ去られて泣いている人もいる。わからないの?どうしてあいつらに誘拐なんかさせたの?」
「彼らを手伝う人間が必要だったのだよ」博士は悪びれずに言った。「私の施設はオートメーションが進んでいる。だが、ミュータントたちが自分達の手で拠点を築くにはやはり多少なりとも人の手が必要でね。用が済んだら解放するつもりだったはずだよ」
「嘘。女の人たちを誘拐させたのは違う理由でしょ?」ハツミは叫んだ。
「あれはもともとグランコミューが発案したことでね」ノヴァク博士は答えた。「彼は伴侶を求めていた。孤独を感じていたのだよ。世界にたった一人、知能の高いスーパーミュータントである彼を造り出してしまった私の責任でもあるがね」
「だからといって誘拐するなんて最低」ハツミは睨みつけた。
「それは見解の相違というものだね」博士はことも無げに言った。「この世界を放置しておけば、資源は枯渇し、環境は汚染され、人間は互いに殺しあうようになる。早急に解決策が必要だ。そのためには一件の誘拐未遂の是非を論じている暇は私にはない」
「信じられない」博士の答えにハツミはただただ唖然とした。
「それにしても君たちにはだいぶ邪魔された。おかげで予定外の仕事が増えて忙殺されたよ」博士は大して腹を立てているわけでもなさそうな口調で呟いた。
「だがミュータント増産の目途はついている。グランコミューも新しくデザインし復活させる。少しの遅延はあったが全ては元通りに進んでいくだろう」
「ガンボットがそんなことはさせない」ハツミは言った。「ミュータントもグランコミューも全部あいつが倒すから」
「あのロボットならさっき火だるまになって奈落に落ちていったよ」ノヴァク博士は言った。
「そんな」ハツミは驚きのあまり目を見開いた。
「監視カメラの映像で見た限りではね。後でいずれ確認するよ」博士はそう言うと少し身をかがめてハツミの顔を覗き込んだ。
「君はいい遺伝子を持っているようだね。有効に活用させてもらう」
「ふざけないで」ハツミは精一杯の怒りを込めて博士を睨みつけた。
だがノヴァク博士は「閉じ込めておきなさい」とミュータントに指示を与えると、踵を返し、ハツミに背を向けて歩き去っていった。
ハツミは絶望のあまりがっくりと膝をついた。ミュータント共はハツミを両脇から抱えあげると、粗末な鉄の扉がずらりと壁に造りつけてある一角に連れて行った。ミュータント共は扉の一つを開け、中にあった狭い部屋にハツミを放り込み、乱暴に扉を閉めた。
部屋は三メートル四方もないくらいだった。コンクリートがむき出しになっており、家具も何もなく、天井の灯りはぼんやりとしていて今にも消えそうだ。
ガンボットはもういなくなってしまった。そしてハツミは、完全に頭の狂った科学者の研究所の牢屋に閉じ込められてしまった。
「遺伝子を活用する」とはどういう意味なのだろうか。ハツミには想像もつかなかったが、絶対にろくなことではないというのは嫌でもわかった。きっと切り刻まれるとか、血を全部抜かれるとか、そういういうのに違いない。
どうしてこんな場所に来てしまったんだろう。いや、どうしてガンボットが国境を越えてアメリカに送り届けてくれると申し出た時に、素直にその通りにしなかったんだろう。
そもそも、どうしてパパとケンカして家出なんかしたんだろう。
ハツミは声を上げて泣いた。こんなに幼い子みたいに泣いたのは久しぶりだった。泣きながら、ひどく喉が渇き、空腹を感じた。ひとしきり泣いてしまうと、抗い難いほどの疲労感が襲ってきて、ハツミはいつしか床に横たわると眠ってしまった。