最後のメール
ハツミは靴も脱がないままいつのまにか眠ってしまったらしい。ガンボットが何度も呼び掛ける声で起こされたのはもう夜も一時を回ったころだった。
「え?」ハツミは体が冷えているのに気付いた。ガンボットは床に座り込んでいる。首の後ろから電気コードのようなものが伸びていて、粗末な壁に造りつけられたコンセントにつながっていた。
「もう、見てないで毛布くらいかけてくれればいいのに」
「充電中で動けなかった。戦闘が一日に二回もあったからな」
ハツミは起きてシャワーを浴びた。シャワーは思い切り栓をひねってもチョロチョロとしかお湯が出ず、ハツミはブツブツ言いながらどうにかこうにか頭と体を洗い、パジャマを着て歯を磨いた。
「はああ、眠い」ハツミは毛布に深く潜り込むと、本格的に寝息を立てて眠ってしまった。
夢の中でハツミはあの国境の壁に沿って歩いていた。太陽が照り付けているのに、なぜか暑くない。向こう側からはナオミの声が聞こえた。ハツミは普通にナオミと世間話をしているのだが、二人は国境の壁で隔てられ、こちらからはナオミの顔が見えなかった。
「今度一緒に遊ぼうよ」ハツミは言った。
「でもハツミには大切な用事があるんでしょ?」ナオミは残念そうに答えた。「本当はうちだってハツミと遊びたいよ。でもうちなんかよりもっと大事なことがあるんじゃない?」
「そっかあ、そうだね」ハツミは夢の中で、その用事というものが何なのかもわからないまま答えた。
ふと目が覚めると、もうすっかり日は上っていた。ガンボットは部屋にいない。ハツミがベッドから出て伸びをし、顔を洗って服を着替えたところでロボットは戻ってきた。
「今何時?」
「朝九時だ。今日はコックがいないので朝食は出せないらしい。外で朝食だ」
「了解。わざわざ聞いてきてくれたの?」
「ああ」
「ありがと。でもひょっとすると、あんたが機械油とか歯車を食べると思ってあのご主人そう答えたんじゃない?」ハツミはガンボットと一緒に部屋を出ながら言った。
「それはないだろう。子供に食べさせる食事だとちゃんと理解していたぞ」
「子供って、まさかわたしあんたの子供ってことになってるの?」
「いや、どうやらあの亭主は俺をベビーシッターロボットだと思っているらしい」
「まじ。わたしベビーじゃないんですけど」
「だがそう思わせておいたほうが都合がいい。ガンマンロボットなんてものを歓迎する宿は多くはないからな」
ハツミとガンボットは表通りに出ると、結局一番近くにあるメキシコ料理屋に入った。朝から辛い物を食べるのはちょっと気が進まなかったが、それほどメニューが豊富でもないのでタコスにした。とにかく腹が減っていたからだ。
「昨日は儲かった?」ジュースが運ばれてくるとハツミは聞いた。
「ぼちぼちだ」
「なんなのよその答え方」ハツミはその答えを聞くと、思わずジュースを吹き出しそうになった。
「何ドル何セント儲けたかまで知りたいか?」
「いい。どっちにしてもそのおかげでわたしが朝ごはん食べられるんだよね。どうもありがと」
「どういたしまして」
「ねえガンボット、あんたは自分の楽しみのために何かお金を使うことってないの?」
「特にない。俺に必要なのは電力と弾薬だけだ」 ガンボットは言った。「特に電力は重要だ。それがないと動けなくなる」
「それで昨日充電してたんだ」ハツミが合点がいった。「でもあんたってめっちゃくちゃ電気喰いそうだね。宿のご主人が来月請求書見たらぶっ倒れるかもよ」
「かもな。だが充電禁止のルールはどこにも見当たらなかった。だから問題ない」
「『問題ない』ってよく言うわ」ハツミは呆れた。「やれやれ。あんたってほんとに嫌な奴……じゃなかった、嫌なロボットだね」
「人間たちはみなあちこちでスマートフォンの充電に励んでいるじゃないか。俺も電気製品の一種だぞ。差別されるいわれはない」
「歩いてしゃべって銃をぶっ放すスマホなんてわたし見たこともないんですけど」
そうこうしているうちに料理が来た。ハツミは無我夢中でタコスに食いついた。「辛いけどおいひい」ハツミは手についたソースをなめた。
「ねえ、前から聞きたかったんだけど、あんたってどうしてロボットなのに服着てるの?」ハツミはタコスにかぶりつきながら尋ねた。
「それは俺が電気製品だからだ」
「でも他に服着てるロボットなんて見たことがない」
「それは他のロボットが室内用か、あるいは毎日人間の世話を受けられる立場にあるからだな」
「どういうこと?」
「電気製品は本質的に、直射日光、風雨、酸、埃、衝撃などに対して脆弱だ」ガンボットは説明した。「しかも人間と違って自然治癒力というものがない。だから一度損傷を受けたらその影響は不可逆的で、専門家の修理を受けなければならなくなる」
「それで?」
「だから不必要な損傷を最小限にするために服を着ているのさ。俺には常に行動をともにして修理してくれる人間などいない。ミュータントどもと戦闘するたびに、俺みたいなロボットを直せる数少ない修理工を訪問するためアメリカ大陸を縦断するのは御免だからな」
「ふうんそうなんだ」ハツミはもぐもぐとタコスをかじりながら言った。「でもね、ごめん。本当にハッキリ言っていい?」
「何をだ?」
「その服めっちゃダサい。最悪」
「ファッション性で選んでいるわけではない。このコートは消防士の服に使われる防炎素材だ」
「そうなんだ。でももうちょっとなんとかならないの?」
「これが一番いい。奴らに撃たれた時だけじゃなく、自分が強力な火器を使う際にも予期せぬ損傷を防げる」
「でもねえ。あんたもちょっとおしゃれすれば、初めて会う人から怖がられずに済むんじゃないのかなあ」ハツミはジュースをもう一口飲みながら言った。「わたしが初めて見たときも超怖いって思ったもん」
「信じようと信じまいと君の自由だが、俺はこれでも人間に不快感を与えないよう配慮しているのだ」ガンボットは強硬に言い張った。「服の下は鋼鉄製のシールドを着ている。服がなければ昔の映画に出ていた殺戮ロボットみたいに見えるだろう」
「映画?映画も見るの?」ハツミは素っ頓狂な声を上げた。
「映画は見る。それで多少は人間のことがわかるからな。ただアニメは難し過ぎるので見ないが」
「へええ、驚いた」ハツミは妙に感心してしまった。
「でもさ、それだったらわかるでしょ?今の季節そんなトレンチコート着てる人いないよ」
「人間にとっては今の季節は暑いのだろうが、俺には冷却装置が備わっているから外気の上昇はあまり影響しない。それよりも危険なのは雨だ」
「雨?」
「俺は一般的に電気機器の防水仕様というものを信用していない。防水とはうたっていても、慎重を期するなら濡らさない方がいい。これがロングコートを着ているもう一つの理由だ」
「じゃああんた日本へは行けないね」
「日本?そこにもミュータントがいるのか?」
「そうじゃないけど。アリゾナと違って雨がよく降るっておばあちゃんが言ってた」
「なら必要がない限り行きたくはないな。俺には日本語の辞書も入っていない」
「ああおいしかった」ハツミは皿を平らげてしまうと、呟いた。「でもこれから一週間も何すればいいんだろ。暇だなあ」
「俺は、君の安全に影響がない範囲で狩りを続けたい。もっと南にいくと、群れからはぐれたワニどもが街はずれや川や湖沿いでうろうろしてることがある」
「いいよ。どうせ暇だし。見学する」
「君は本当に俺の助手になるつもりか?」
「面白そうじゃん。ミュータントハンターの助手なんて。クラスでそんなのやってる子いないし」ハツミは言った。「ねえねえ、今度ちょっと銃撃ってみてもいい?」
「やめておけ。俺の銃は強装弾だ」
「なに?そのなんとかって」
「火薬量が極めて多い。メインで使っているM五〇〇は地球上で一番威力の高い拳銃だ。その弾はほとんど拳銃弾とは言えないくらいのサイズだ。反動がひどすぎて射手の健康は保証しかねるとメーカー自身が言っている」
「なにそれこわっ。撃つだけで怪我するの?」
「その可能性はある。不慣れな者が撃った後手から銃が吹っ飛んで前頭部を直撃したなんて例もあるらしい」
「銃を撃って自分が怪我するなんて、それじゃ意味ないじゃん」
「だから人間、特に子供には向かない。予備のM二十九はそこまではいかないが猛獣狩りのサイドアームとして使われている。これも子供に扱えるものではない」
「つまんない。じゃあ何すればいいの?」
「君は人間を相手にするのがいいだろう。人間は俺が助けようとしても怖がることが多いからな。特に女は」
「そっか、たとえば誘拐された人を介抱したりとか」ハツミは手を打った。「いいコンビじゃん。あんたがワニを倒してわたしが人を助ける」
「そのやり方はうまく機能するかも知れない」ガンボットは同意した。
「でもさ、どうしてあいつら誘拐なんかしてるんだろう」ハツミは身を乗り出して尋ねた。
「あいつら電話して身代金要求したりできなさそうじゃん?あの紫の奴もめちゃくちゃ頭悪そうだったし」
ガンボットはしばらく考えてから言った。「もしかすると労働力として使うのかも知れない」
「奴隷ってこと?」ハツミは顔をしかめた。「ひどくない?それ」
「だが可能性は高い。連中は服や武器を持っているが、いくら原始的なものしかないとはいえあいつらだけの知能で揃えられるとは思えない。ただ」ガンボットはそこまで言うと少し言葉を切った。
「ただ?」
「それだけだと説明できない部分がある」
「何?」
「奴らは君も誘拐しようとした。労働で使役するだけなら子供を誘拐するのは合理的とはいえない」
「わたしがチビだから役に立たないってこと?」ハツミは憤慨した。
「別に君だけではなく全般的に子供は重労働に向かない。そこで、これはあくまで俺の推理だが」
「なになに?」ハツミはますます身を乗り出した。「推理とか謎解きってわたし大好き」
「ミュータントと人間の混血の個体を造りだすため、という可能性もある」
「え?」ハツミは一瞬言っている意味が理解できなかった。
「昨夜の女たちの話を聞く限りでは、奴らは女だけを狙って誘拐した。しかもさらわれたのは若い女たちばかりだ。何人かは君とそうそう歳の変わらない少女だった。それが何か不自然だと俺は考えていたが、奴らがミュータントを改良し、より人間に近づけるという計画を進めているのだとしたら説明がつく」
「意味わかんない。それと誘拐となんの関係があるの?」
「ハツミ、俺は十年あいつらを狩ってきて、今まで出会ったのはノコギリと鉄砲の二種類だけだ。おそらく奴らはクローンだ」
「それはわたしもそう思った。あいつらみんな瓜二つだもんね」
「だがあの紫の奴が今回突然現れた。あんな奴は見たことがない。外見も違えば知能も格段に進歩している。だから遺伝子もワニどもとは全く違うはずだ」そこまで言うとガンボットは珍しく身を乗り出した。
「あの紫の奴はおそらくミュータントと人間の遺伝子融合の産物だろう。あいつを見て俺は気づいた。奴らは、より人間に似たミュータントを造ろうとしている 。そしてそれを続けることで奴らは進歩を遂げようとしているんだ」
「何なのよそれ」ハツミは絶句した。「融合?一体何のこと?」
だがガンボットは説明を先に進めた。「わかるか、ハツミ。知的生物が繁栄するには多様な遺伝子構成が必要なんだ。科学者たちの経験上、単性生殖では高等な生物は生まれないことがわかっている。だから高度な知性を持つミュータントを生み出すには異性間交配を生産プロセスに入れることが奴らにとって必須になるんだ」
「意味わかんない。意味わかんない。意味わかんない」ハツミは頭を抱えながら言った。
「つまり奴らは地球上に人間に匹敵するような新しい知的種族を造ろうとしているんだ。その目的のために奴らは人間の女を拉致しようとしている。改良ミュータントを造るための遺伝子の源にして、女のミュータントを造るつもりかも知れない。それとも、拉致した女たちを母親にして改良ミュータントを出産させようとしているのかもな」
「新しい種族?出産させる?何?なんなのそれ? 」ハツミの頭は混乱と恐ろしさでいっぱいになってしまった。
「言葉を解し、より賢く、しかも多様な遺伝子を持つミュータント」ガンボットは呟いた。「それが奴らの最終目標だろう」
「つまりあの紫の奴みたいのがこれから先もっと増えるってこと?」
「そうだ。それに加えて、あいつより外見も中身も格段に人間に近いミュータントもだ。俺の予想ではな」
ハツミには、ガンボットの言っていることの半分くらいしか理解できなかったが、それでも、本当に本当に恐ろしいことが今行われようとしていることだけはぼんやりとわかってきた。
さっきまではもう少し何か食べようかと思っていたのに、今はすっかり食欲がない。そして、あの紫の怪物の醜い顔と、そいつがしゃべり始めた時の衝撃や、コンテナーを開けた直後に見た女達の絶望しきった顔がまざまざと目の前に思い出された。
「食事が終わったら宿をチェックアウトしよう」ガンボットは話題を変えた。「どうもあの宿には利点が感じられない。君もそう思わないか?」
ハツミは返事をしなかった。黙って、じっと目の前のテーブルの上を見つめている。
「ハツミ?どうかしたか?」ガンボットは尋ねた。
「ガンボット」ハツミは真剣な面持ちで顔を上げた。「お願い。あいつらを倒して」
「それは言われるまでもない」ガンボットは答えた。「ミュータントどもを撃つのが俺のミッションだ」
「そうじゃないの。あいつらを完璧にやっつけて、ひどいことを二度とできないようにしなきゃ」ハツミは言った。「絶対許せない。好き勝手させちゃいけないよ」
「奴らの全個体を駆除しろということか?」ガンボットは尋ねた。「それは近い将来には実現できない。今のペースで狩りを続け、なおかつ奴らの個体数が増加しないと仮定しても数年はかかる。実際には増加分が俺の狩る個体数を上回るかもしれない」
「そうじゃなくて。奴らがもうこれ以上女の人を誘拐するなんてことをやめさせてほしいの」
「誘拐を防止するのは俺のミッションではない。俺のミッションはあくまでも奴らを狩ることだ」ガンボットはにべもなく答えた。
「でも今この瞬間にも誰かがさらわれてるかも知れないよ?」ハツミは両手をテーブルに突いて今にも立ち上がらんばかりだった。「そんなのんびりしたこと言ってられないよ」
「誘拐は今起こっているかもしれないし、起こっていないかもしれない」ガンボットは言った。「目の前で誘拐が起こっていれば奴らを撃って阻止できる。だがそうでなければできない。だから現実的には全ての誘拐を防ぐのは不可能だ」
「だからそんなことじゃなくて」焦れてきたハツミは足踏みをした。「あんたは感じないの?そのええっと。あれ」
「何だ」
「あれよ。義憤ってやつよ。世の中にひどいことが起こってるっていうことを知って、居ても立ってもいられないっていう。どうにかしなきゃ、って思わないわけ?」
「俺には憤りという感情はない。それに俺には正義というものはプログラムされていない。付け加えるなら、正義というのは人によって微妙に定義が異なる。だからプログラムされていても君の言う正義と同じとは限らない」
「もうバカ!」ハツミはとうとう怒り出した。「あんたはどうして人の気持ちがわからないの?」
「俺は人ではなくロボットだ。わからなくて当然だろう」
「ああもう」ハツミは横を向いてテーブルを手で叩いた。「わかった。それはいいよ。でも、でもだよ」
「例えばさ、あいつらを全部一ぺんにやっつけられなくてもだよ。あいつらのボス、つまりあいつらを造り出して、誘拐やなんかを命令している奴を探し出してやっつけてやれば、それで解決するんじゃない?」ハツミは再びガンボットのほうを向くと説得した。
「だってあいつら頭悪そうだもん。ボスが死んだらきっとバラバラになって何もできなくなるよ」
「そうかも知れない。だが問題が二つある」
「何?」
「一つ、俺たちはそのボスというのが何者かを知らない。二つ、俺たちはそいつの居場所を知らない」ガンボットは淡々と言った。
「そんなの調べればいいでしょ!」ハツミはとうとうバンとテーブルを叩いて立ち上がった。まばらに入っていた他の客たちがハツミのほうを見た。
「もういい。わたしが自分で行って調べてくる」
ハツミはテーブルから離れると急ぎ足で店を飛び出した。昨夜行った貯水池の方向に見当をつけ、通りを曲がって東のほうに向かう路地に入る。ガンボットは店の勘定を済ませて後から追いかけてきた。
「俺は車を回してくる」
「あんたも一緒に来て調べてくれるの?」
「俺は調査ロボットではない。ただ君の安全に懸念があるから同行する。鉱山に奴らが残したミュータント虫やミュータント魚がいるかも分からないからな。それに昨日の銃声を聞いて警官が来ているかも知れない」
「わかった。じゃあ先に歩いてる」
ガンボットはほどなくジープに乗って追いかけてきた。ハツミが乗ると加速し、住宅街を抜けると、その先にある貯水池の脇に車を付けた。切ってあるフェンスの隙間から二人はもう一度敷地に入り込み、横穴まで向かった。鉄格子がどけられているのもそのままにしてあった。地下道を抜け、壁の割れ目から坑道を抜けて鉱山に入るのに今回は一時間あまりしかかからなかった。
鉱山の竪穴の中は何もかもが昨夜のままだった。あちこちにミュータントたちの死骸が累々と転がっている。ハツミは最初にあの紫の奴を調べることを提案し、すり鉢状の竪穴に切られたらせん状の通路を降りていった。ガンボットは五メートルもありそうな段差をまるで階段を降りるようにしてぴょんぴょんと降りてあっという間に竪穴の底面に到着した。
「これは今度こそ本当にグロテスクだぞ。蠅がたかりはじめている」ハツミが追いつくとガンボットが警告した。
「でも調べないとしょうがないでしょ」強烈な悪臭が漂ってきたので、ハツミはハンカチを口にあてて紫の奴の死体に近づいた。
まるで小山のような紫の怪物の背中には、爬虫類を思わせる斑点模様が浮かんでいた。毒々しかった色は死んだせいなのか色あせている。ハツミは、そいつの右肩に何か入れ墨が彫ってあることに気づいて指さした。
「ねえ、何だろこれ?」
「G…R…A…N…K…O…M…E…A…U」ガンボットは読み上げた。「聞いたことのない単語だ。地名ではない。人名か組織名だな」
「グランコ……ミュー?」ハツミは言った。「こいつの名前かな?」
「分からない。その下にはグラナドスと書いてある。これは地名だろう。ここから百キロほど南にある」
ガンボットはハツミの顔を見た。「少なくとも場所の見当はつきそうだ。こんな連中が大勢巣食っている場所があったら周辺の住民も被害を受けているはずだからな。行けばわかるだろう」
「グランコミュー」ハツミはもう一度声に出した。「ミューはミュータントのミューじゃない?」
「そうかも知れないな」ガンボットは言った。「こいつのポケットの中は昨夜調べたが何もなかった」
「なんか気取った感じの嫌な名前」ガンボットと一緒に歩き去りながらハツミは決め付けた。
「こんな図体でっかくてうすのろなのにね」
「いや、ハツミ、こっちを見てみろ」ガンボットは竪穴の底面の壁際に倒れていた鉄砲ワニの死骸を指差した。
「何?」
「全く同じことが書いてある」
ハツミが近づいて見てみると、仰向けに倒れているワニの右肩に同じ文字列が入れ墨されていた。
「来る途中の廃墟で会った奴らにはこんなのなかったね」
「いい観察力だ。俺のデータもそう言っている」
「じゃあどういうことなんだろ?」
「この鉱山を占拠していた一隊はそのグランコミューという奴の支配下にあるか、あるいはそういう名前の部隊だろう。奴らの本拠グラナドスから送られてきた先遣隊だったんだな。北上してもう一つの拠点をここに構築しようとしたんだろう」
「ねえ、あの穴、昨日調べてみた?」ハツミは、鉱山の竪穴の底面から横に掘られた穴に気付いて、その入り口を指差した。縦横三メートル四方くらいで、つい最近掘られたらしく、周囲に新しい土が散らばっている。
「いや、手付かずだ 。俺が前回来たときにはなかったし、昨晩も人質たちの世話で早々に切り上げたからな」
ハツミは穴の中を覗いてみた。奥行きは二十メートルほどで意外と深い。突き当たりには何らかの資材のようなものが雑然と積まれている。
ハツミとガンボットは注意深く穴の奥まで進んでいった。喰い散らかされた家畜の骨らしきものが散らばっている中に木の箱が置いてあり、その上には見慣れない機械が設置してあった。正面のパネルの真ん中にテンキーがあり、周囲にいくつもの調整ツマミがついている。電話の受話器のようなものがコードでつながっていた。
「軍用無線機だ」ガンボットが言った。「あいつにこんなものを扱えたとはな」
「ほら見て」ハツミは機械の横を指差した。ガムテープのようなものが貼られ、その上には汚い字で「グランコミュー」という文字と、何桁かの数列が書かれていた。
「周波数だろう」ガンボットも文字列を指差した。「ほぼ決まりだな。グランコミューというのは奴らのボスの名前だ。おそらくこの種の先遣隊を統括するミュータントどもの上級将校だ」
「そいつを探し出してやっつける」ハツミはガンボットの顔を見上げた。「次のミッションはそれで決まりね?わたしも手伝うよ」
「それは問題ない。俺も廃墟から廃墟へと奴らを訪ね歩くよりよほど高確率でミュータントの群れに出会えるからな。だが」ガンボットは言葉を継いだ。
「ハツミ、君は本当にいいのか?」
「何が?」
「プランを変更して、こっちから奴らの本拠に戦闘をしかけに行くとなると一週間で帰れる保証などなくなる。それに家に帰れる日が遅くなるだけではない」
ガンボットはよく言い聞かせるように少し間を空けてから言った。
「わからないか? 君自身の生存の確率も確実に減るぞ」
「わかってるよ」ハツミは答えた。
「わかってる。でもわたしがこのまま無事に家に帰れたって」
「君は無事に帰れればそれでいいじゃないか。何の問題がある?」
ハツミは言葉を捜しながら押し出すように行った。「でも、それで学校行っている間にも友達と遊んでる間にも、あいつらに誘拐されたり苦しめられてる人たちがいるって思ったら、わたしは平気でいられない」
「それは合理的とはいえない」ガンボットは指摘した。「俺は奴らを狩るのがミッションだ。だが君はそうではない。それに奴らが何をしようが君の責任ではない。君は未成年だ。奴らのことなど関知せず自分の生活を続けるべきだ」
「そんなの知ってるよ。でも」
ハツミは言葉に詰まった。何か今まで感じたこともないような、激しい激しい怒りが腹の底から燃え上がってきて、自分自身を永遠に変えてしまったように感じた。それまでは、行き当たりばったりで、お気楽で、他人のことなんか親しい友達のこと以外考えたこともなかったのに。
「わたしはこのまま家には帰らない。帰れない」彼女は再びガンボットの顔を見上げた。
「ハツミ、この種の決断は慎重に考えろ。すくなくとも一日だ」ロボットは言った。
「これは何を食べるかとか何を着るかとかそういう決断と本質的に違う。君の生存に関わる」
ガンボットはハツミに向かってもう一度言った。
「ハツミ、悪いことは言わない。一日ゆっくり考えた方がいい」
「一日なんてのんびり考えてらんない」だがハツミは首を振りながら言った。「そんなことしている間にも誘拐される人とか苦しむ人が出てくるかもしれないもの」
「ならせめて一時間はゆっくり考えろ」ガンボットは言い張った。
「わかった。考える。でもここにじっと座って考えるの?」
「いや、宿でいい」
ガンボットとハツミは再び坑道を通り、地下水路を抜けて車を止めてある場所に戻った。二人ともほとんどしゃべらなかった。車で宿に戻ると、ガンボットは近くにいると言い置いてハツミを部屋に残して外に出た。ハツミはベッドにひとり腰掛け、言われたとおり考えていた。生来考えるのは苦手だったが、それでも考えることにした。
「君自身の生存の確率も減る」
ガンボットがそう言ったのは、冗談でも何でもなく、電子頭脳の冷徹な計算の結果だということは嫌というほどわかった。
死ぬかも知れない?そう考えた次の瞬間、ハツミはまた別のことを考えた。わたしは誘拐されかかっていたところをガンボットに助けられた。もしあいつに助けられていなかったら、いまごろミュータントの実験材料にされて、そして、確実に死んでいただろう。
また、昨日まさにそうなる寸前だった女たちをハツミは見た。そして救った。ハツミが女たちを捜索することを主張しなかったらやはり彼女たちは確実に死んでいただろう。
いま、本気で奴らを退治しようとしている者がどれだけいるだろう?メキシコの警察は、命のやりとりをしてまでミュータントを撃退しようとするなんてことはないらしい。そうすると、奴らを本気で止めようとしているのはガンボットだけなんだ。
そして、奴らに誘拐された人たちを本気で救いたいと思ってるのはわたしだけなんだ。
ハツミがそれを考えたとき、もう答えは決まった。
この決断には危険が伴うとガンボットは言っていた。だとしたら、まずはパパとナオミに、自分がどこにいて、何をしようとしているのかを知らせよう。ハツミはそう思って携帯電話を取り上げた。
「あ、電源入れるの忘れてた」ハツミは真っ暗な画面を見てつぶやいた。昨晩坑道に潜入するとき電源を切っていたのだ。電源ボタンを長押しして、画面がオンになるのを待った。
画面がつくと、今度は五十件ほども未開封の通知があると出てきた。見てみると、パパと、ナオミ、学校の先生、多数の女子生徒たち、そしてちょっとアドレスを交換しただけで一回もやりとりをしたことのない男子たちの何人かまでラインやメールを送ってよこしていた。
だが、昨日から充電していないハツミの携帯電話は、電池のメーターがひとつしかなかった。これからガンボットと一緒に、電話が通じないような荒野に向けて旅をするのだから、今は家族とナオミに返信しておこう。これを逃したら、もうチャンスはこないかもしれない。
ハツミはまず、パパからのメールに返信することにした。パパからのメールは、昨日の夜中届いたものが最後だ。ハツミは改めて読んでみた。
「ハツミのことが心配で心配でたまらず、ハツミを思わない時は一瞬もない。警察には届け出たが、もしこのメールを見たら、どこにいるのか、無事なのかどうかを一言でもいいから返信してほしい 」
要約するとそういった内容だった。いちいち文章が長く、難しい言葉がたくさん入っているのは相変わらずだったが、普段のパパの話しぶりよりずっと愛情がこもっているように感じられた。
「本当に愛している。自分は今まで仕事ばかりで良い父親ではなかったが、もしもハツミが戻ってきてくれるのなら、これからは世界で一番良い父親になれるよう精一杯努力する」そんな言葉も入っていた。
ハツミはそのメールを見て、しばらく考えていたが、やがて返事を打ち始めた。
「親愛なるお父さん
パパが無事だとわかって何よりです。私は今国境の南にいます。心配かけてごめんなさい。でも心強い味方がいるし、元気です。国境を越えてそちらに行く方法も知っているので、近いうち帰れると思います。
でも、私にはやるべきことがあります。どうしても、それをするまでは帰れません。多くの人たちの命がかかっているからです。それが終わったら、必ず無事に戻るので、どうかお父さんも元気でいてください。
ハツミより
P.S.こないだは口答えしてごめんね。わたしもいい子になるよう頑張ります。愛してる」
メールを送信してしまうと、今度はナオミの番号を呼び出した。ナオミとは直接話したい。電話をかけると、今度は十回ほど呼び出し音が鳴っても出なかった。日曜なのでどこかに出かけているのだろうか。
だが切ろうとした瞬間、電話がつながって「もしもし」という声が聞こえた。
「もしもし、わたし。ハツミよ」ハツミは言った。
「ハツミ?」ナオミは声を上げた。「本当にハツミなの?」
「本当よ」
「ハツミどこにいるの?無事なの?」
「大丈夫。元気だから。ちゃんとご飯も食べてる」
「本当に?」
「本当だってば」
「よかった」ナオミはすすり泣き始めた。「よかった。よかったよお」
いつも冷静で自分のお姉さんのようにふるまっていたナオミがひどく取り乱しているのを聞いて、ハツミにはとても申し訳なく思えた。
「ナオミ聞いて」ハツミは安心させようとして言った。「わたしは無事。近いうち帰れると思う。今は国境の南にいるの」
「国境の南?」
「そう。わたしは大丈夫。ちゃんと国境を越える方法もわかってるから。でもね、今わたしはやらなきゃいけないことがあって」
「何?何て言ったの?」
「わたしはやらなきゃいけないことがあるの」
「何?何をやらなきゃいけないの?」
「聞いてナオミ。わたしね」
その途端、電話はプチっと切れた。
ハツミが携帯の画面を見ると電池の目盛りはゼロになっていた。ハツミは、何度も発信やライン送信を試みようとしたが駄目だった。もう携帯には電力が残っていないのだ。
「ナオミ、ごめんね」ハツミはため息をつくと壁に向かってつぶやいた。「きっと生きて戻るから。待っててね」
ガンボットはきっかり一時間後に部屋に帰ってきた。
「わたしは行くよ」ハツミは相手が何も言わないうちから告げた。
「きっと君はそう答えると思っていた」ガンボットは言った。
「じゃあなんで考えろなんて言ったの?」
「君は家族や友人に連絡しただろう」
「どうしてわかるの?」
「俺にだってそれくらいのことはわかる」ガンボットは答えた。「危険な場所に覚悟して赴く者たちは家族や友人に手紙を書く」
「それも映画で見たの?」
「ああそうだ」
「わたしも行く前にちゃんとそうしたほうがいいって思ったんだね」
「ああ。俺には家族や友人というものはいない。だが君にはいるだろう」ガンボットは言った。「人間にとって家族や友人は極めて重要なものらしいということだけは俺にもわかる」
「あんたってロボットのくせに変なとこで気が利くのね」
「俺は人間を理解しようと努めている。人間は俺を理解しようとしないがな」ガンボットは部屋に散らばった荷物をまとめながら言った。「行こう。出発前にいろいろやることがある」
「ガンボット」ハツミは言った。
「何だ?」
「ありがとう」
ガンボットはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「その言葉は全てが片付いて俺が君を無事に家に送り届けてから言ってくれ」