【完全版】相棒〜杉下右京の幻想怪奇録〜 作:初代シロネコアイルー
第1話 謎の手紙
目が覚めた時、すでに彼女はこの世界に存在していた。
生い茂る木々に囲まれ、舗装もされていない獣道にポツンと取り残されている。頭上から降り注ぐのはの紫に彩られた月の妖光。
あぁ、またか。彼女はため息をついてから一歩前へと踏み出す。
落ちている枝を踏み、音が立つたび、背中が粟立ってつい周囲を確認してしまう。
不気味なだけではない、そう離れていないところから
しばしの間、歩き続けると彼女は開けた空間に出る。獣道を抜けた証拠だった。これで幾分かマシになったと、ホッと胸をなでおろす。間を置かず、辺りに獣たちの遠吠えが響いた。
背中に無数の殺気を浴びた彼女は、そのままドン、と突き飛ばされたかのように駆け出した。
後方から足音が迫る。大地を照らす妖光と同じ色をした瞳を背後に向ければ、獣に混じって見たこともない異形や火の玉の姿を確認できる。
焦った彼女は左脇の茂みに飛び込んだ。その中をかき分けるように突き進み、やがて視界の端に小さな空洞を捉える。
動物か何かが木の下に掘ったねぐらのようなもので、人ひとりならぎりぎり隠れられそうな広さだった。
彼女は咄嗟に空洞の中に体をねじ込んでから奥に集められていた枝や草を使って可能な限り入り口を塞いだ。
時を同じくして追手と思わしき者たちの戸惑う声が聞こえ始める。人語や鳴き声が騒がしく飛び交っており、まるでコミュニケーションを取っているかのようだった。息を潜めて彼女は、怪異が過ぎ去るのを待った。
それがどれほどの時間だったか、定かではないが、彼女にとって非常に長い時間であったことに変わりない。
しばらくすると騒音が遠ざかっていき、周囲に静寂が戻る。彼女は大きく息を吐き、リラックスできる体勢を取った。小休止を挟み、彼女はカバンから懐中電灯を取り出して自らの手元を照らす。
小石を手で払い、砂を指でなぞってみると、赤茶色の柔らかい砂が指先に付着した。やはりこの空間はなにかのねぐららしい。
――こんなとき、あの娘も居てくれれば……。
口を衝いて出た言葉に思わず自嘲するも彼女は再びカバンの中を漁り、ペンとピンク色の用紙を用意する。体を動かしていないと落ち着かなったというのもあったが、きっと今はこうするのが一番なのだろう。そう考えて乱れる心を落ち着かせた。
そうして彼女はカバンを下敷きにしてペンを走らせる。頭の中に浮かんだ
☆
時は2019年1月下旬。
寒さのピークは過ぎたものの、依然として肌を叩く冷風に支配される首都東京。それは千代田区霞が関も同様であり、登庁を急ぐ公務委員たちも凍える風に手を擦り合わせて耐えている。
彼らが目指す先は東京の警察組織を統率する機関たる警視庁。刑事部や交通課、広報課等様々な部署が軒を連ねるが、中には聞き慣れない特殊な部署が存在する。
その名を生活安全課、
しかしながら、他者を凌駕する圧倒的な推理力で数々の難事件を解決へと導き、一目置かれるところもある。
そんな彼を一部の関係者たちは『和製シャーロック・ホームズ』と例える。
今日も右京は特命係の仕事部屋で優雅に紅茶でも飲みながら新聞に目を通しているのだろう。彼の部下である
「おはようございます。ってアレ?」
時刻は朝八時半。いつも通りのギリギリ出勤。
上司は時間にうるさく、遅れると小言を言ってくるために駆け足で仕事場へと駆け込んだはずなのだが、その姿が見えない。
出勤ボートを確認しても出勤している様子はない。
「遅刻かな~?」
珍しそうに首を傾げた亘は、自分の席に着く。そこへ別の部署から顔を出したメガネの男が声をかけた。
「杉下なら出かけたよ」
「マジですか!?」
男は
角田は特命係の部屋に置かれるコーヒーメーカーを起動してコーヒーを愛用のマグカップに注ぎ、亘へと歩み寄る。
「右京さんはどこに行ったんですか?」
体ごと振り向いた亘が上司の居場所を尋ねた途端、相手は改まったような態度を取った。
「聞いて驚け。……長野県だぞ」
「長野県!? 何でまたそんなところに……」
その問いの返しにと角田は、目を細めて両手を奇妙な形に折り畳む。
「なんでも、幽霊が出る場所があるんだとよ」
「えっ、また幽霊絡みですか」
幽霊のポーズに息を呑む亘。面白がった暇課長は幽霊役を解除し、両人差し指をピンと立てたまま、左右の即頭部へ添えた。
「それだけじゃない。妖怪まで出るそうだ」
「なんですか、そのオカルト全開の場所は!? 大体、幽霊なんているわけないじゃないですか」
「俺もそう思う。だが、杉下は何かを感じ取ったみたいに『これは行かねばなりませんねえ』って言って出て行ったんだよ」
「怖! てか、職務ほったらかしで行くとかありないでしょ普通!」
「俺だってね、同じことを言ったよ。そしたら手紙を見せられて『これも立派な職務です。ここに書いてあることが事実ならば非常に興味深い。足を運ぶ価値があります』って突っぱねられたんだよ」
理屈とは到底かけ離れた屁理屈を振りかざし、単独行動に走る。彼の部下を一度でも経験すればこれが日常茶飯事であることは理解できる。
故に亘の関心が幽霊から他のものへと移った。
「手紙、ですか。で、その手紙の内容って……?」
「なんか、女の字で書かれた手紙だったな……。パッと見じゃ読めなかったが」
「幽霊に女の字――うぅ、寒気が……」
以前、幽霊を目撃してすっかりオカルト嫌いになってしまった現相棒に幽霊、妖怪、女の字の古典的怪談要素の三連撃を受け止める気力はない。
「どうだ? 詳しい行先は本人から聞いてるけど――」
「いや、結構です! 右京さんが帰ってくるまで待ちます!」
もう無理だ! 一刻も早くこんな不気味な話は忘れたい、お土産話で十分だ。心の中でそう言い切った彼は上司の後を追うのを躊躇い、この場に残ることを選択する。
その後、亘は角田や遊びにきた元特命係の青木と一緒に雑談、もとい右京の愚痴こぼしで時間を潰した。
☆
「のどかな村ですねえ~」
昼下がりの午後。
杉下右京は長野県のとある村を訪れていた。
都会的要素がほとんどなく、美しい緑と白い雪、青い空に囲まれた郷愁を感じさせる村だった。右京は目に入るものを隅々までチェックし、近隣住民に声をかけられたら軽く会釈して目的の場所まで歩く。
しばらくすると鳥居が視界に入った。
「あそこが手紙が落ちていた神社でしょうか」
右京の眼前に古びた神社がひっそりと佇んでいた。周囲を囲むスギの木が神秘性を後押ししているように思えた。
鳥居をくぐり、境内をグルグルと散策する。特に変わったものはなく、よくある田舎の神社だった。
賽銭箱の前で足を止めた右京は、懐にしまっていた差出人不明の封筒から手紙を取り出す。
「一体、誰が書いた手紙なんでしょうかねえ」
手紙を読み返すとそこには、このように書かれてあった。
『私は今、怪異が存在する世界に足を踏み入れている。単眼の化け物、二足歩行する犬や猫、宙に浮く火の玉の形、これらの化け物は間違いなく妖怪や幽霊といった現実から消え去ったものたちだろう。そう、ここは表の世界ではない。その裏にあるとされる伝説の秘境「
文章はそこで途切れていた。右京は手紙をそっと元の場所に戻す。
はるばる都会から旅行目的でこの村を訪れ、この神社を通りかかった女性が偶然発見した差出人不明の手紙。そこに書かれていた謎の文章。
村の駐在に届けようにも不在かつ、帰りのバスが迫っていたため、仕方なく持ち帰ってしまい、改めて中身を読むとオカルトめいた内容が書かれてあった。
不気味に思った女性が警視庁に相談するも悪戯だと笑われて取り合って貰えなかった。それを偶然にも通りかかった右京の耳に入り、手紙を預かって
澄み渡る青空を仰ぎながら彼は宣言する。
「見つけてみせようじゃありませんか――この手紙を書いた人物と怪異が存在する伝説の秘境、幻想郷を」
ホームズフリークにどっぷり浸かっている身である以上、これほど美味しい話はそうそうなかった。もしも、裏が取れたのなら論文でも書いてイギリスの学会に提出してやろう。
野心をたぎらせた和製ホームズは一旦神社を離れ、近隣住民への聞き込みを開始する。
場所が場所であるが故に人通りは少なく、出会うのは皆老人ばかりだった。
老人たちはスーツ姿の右京を見て「都会の方がやって来た」と珍しそうにしていた。おかげで人が集まり、情報を得られる可能性がグッと高まる。
右京は老人たちに訊ねた。
「あそこの神社で幽霊や妖怪の目撃情報はありませんでしたか?」
彼らは冗談だと思ったのか「そんなのある訳ない」と笑い飛ばした。次に駐在所を訪ね、駐在と面会する。
事情を話して何か情報を聞き出そうとするも「そんな事言われても……」と困惑され、まるで相手にされなかった。
駐在所を出た右京が一人呟く。
「困りましたねえ。手掛かりが一つもないとは」
仕方ないので再び、神社に向かい、何か見落としがないかを調べる。小さい神社なので調べるのも容易ではあったが鳥居、境内、賽銭箱を隅々まで探すも変わった物は見当たらない。
「何もありませんね」
やはり悪戯の類なのか。そう考えていた右京がふと神社の裏側に目をやった。
そこは雑木林になっており、木々の隙間から覘くと、どこまで続いているように見えた。
「行ってみますか」
手に持ったカバンを木で擦りつけないよう慎重に林の中を進んで行く。
彼の動きは年齢の割に機敏。むしろ、やたらパワフルだった。伸びた枝も何のその。ひたすら掻き分けていく。
その速度で十分以上歩いた右京だったが、次第に違和感を覚えて来た道を引き返す。
しかし、いつまで経っても神社へ戻れない。
「おかしいですねえ。そろそろ着いてもよいと思うのですか……」
右京は決して方向音痴ではない。それに真っ直ぐ歩いて来た道をそのまま戻っているのだから道に迷うなんてあり得ない。
彼は首を傾げつつも歩き続けた。すると開けた場所に出た――が、そこは神社ではなかった。
「はて、ここはどこですかね」
眼前に広がるのは見覚えのない空間だった。無造作に置かれた石と散乱する骨のような物体と纏わりつくような不気味な空気、そして何よりも雪が積もってなかった。
その異様な光景に右京は身構えた。
「これはひょっとすると」
長年に渡り事件を解決してきた刑事は、手紙の女性が怪異に遭遇した場所ではないかと直感した。
周囲を警戒しながら骨が埋まっている場所まで静かに歩き、骨を手に取ってその形から骨の主を想像する。
「……動物の骨でしょうか?」
骨を片手に推察を開始する。
無数に落ちている白骨を拾っては置いて、拾っては置いてをそれを繰り返した。動物の骨もあれば人骨に近い骨も確認出来る。
現役の刑事である彼はすぐさまスマートフォンを取り出して警察に連絡を入れようとするのだが、圏外だったので繋がらない。
仕方なく現場の写真を撮り、急いでその場を立ち去ろうと背を向けた。
――その時だった。
冷たい何かが頬に触れた。慌てて振り返るも、何もない。さらに後方から弾力のある物体が接触する。
そちらに視線を移すも、その先に物体はない。
また地面を見ると群れなすネズミ、周辺の木々にはゴキブリやムカデを中心とした無数の虫たちが張り付いており、右京の行く手を完全に塞いでいる。
「囲まれましたか」
和製ホームズはようやく自分が包囲されていることを理解した。見えない物体、ネズミ、虫。それだけでもホラー映画のワンシーンであるというのに、どこからともなく聴き覚えない歌まで響いてくる始末。
怖い物知らずのこの男もさすがに身の危険を感じた。
「おやおや、これは……非常にマズイ状況ですね」
ジリジリと詰め寄る謎の怪奇。通常の人間ならここでパニックに陥るはずだ。
しかしながら天下の杉下右京は踏んできた場数が違う。彼は常人離れした頭脳を駆使――突如、ひらめいたかのようにスマートフォンをタップして、アラームの音量を全開に設定。周囲に響かせた。
突然の警報音に戸惑ったのか、冷たい空気が散らばっていき、ネズミたちが一斉に背筋を伸ばし、虫たちが行動を停止、歌声もピタリと止んだ。
この隙に右京は林と反対の方向へ全力疾走――その場からの脱出を図った。
ネズミや虫たちに怯えることなく、綺麗なフォームでその小さな頭上を飛び越える。地を這う小物どもはその姿に恐怖したのか、自ら道を開けた。
そのまま右京は、現役短距離走の選手にも匹敵しうる速度でこの場を急速離脱する。
遠ざかる人影を追う者は誰一人として現れなかった。
☆
怪異を撒いた紳士は息を切らしつつも山道らしき場所をゆっくり歩いていた。
「ふう、心臓に悪い」
謎の現象に見舞われて心身共に疲れているようだった。ハンカチで顔を拭きながら休める場所を探した。
そこから数分。一風変わった家を見つける。
「あそこは何の家でしょうかねえ?」
昔の日本家屋を思い起こさせるような作りだが、どこか中華の印象も受ける。作り手の好みか不明だが、なかなかのこだわりを感じさせる建物だった。
「綺麗な建物ですね。掃除も行き届いているようですし……。博物館でしょうか?」
右京はその建物を田舎の博物館だと認識した上で入ってみる決意を固めた。
――カランカラン!
「どなたかいらっしゃいますか」
来客の声を聞きつけた店主らしき人物が奥からやってくる。
その人物はある意味、田舎に似つかわしくない服装した男性だった。
「いらっしゃいませ。ようこそ
「おやおや――」
和製ホームズと店主は互いの見慣れない服装に戸惑い、言葉を詰まらせた。