【完全版】相棒〜杉下右京の幻想怪奇録〜 作:初代シロネコアイルー
里で人が殺されたという噂はあっという間に広がっていた。そのせいか住民たちは警戒して自宅を出ない者が多かった。
おかげで十時近くになっても自宅に人がおり、聞き取りまでの流れがスムーズになった。
敦宅から見て左隣に住んでいた老夫婦宅を訪ねたところ白髪の妻が対応した。彼女の名前は小鳥遊恵理子。夫の小鳥遊幸之助は狩人であった。
今日はたまたま休みだったらしく夫は自宅に居た。妻同様、スーツを着たよそ者を怪しむように見やり、腕を組んでいた。
緊張を解すべく、右京がやや硬めのスマイルを添える。
「僕は杉下右京と言います。少々お話のほうよろしいでしょうか?」
軽い自己紹介と共に訊ねるも、恵理子の警戒は解けず夫のほうをチラチラ見ているだけだった。埒が明かないと判断した慧音が間に入り、何とか会話ができる段階まで漕ぎつける。
どうやら敦が死亡したことを知っていて、警戒が強まっていたようだった。
気を取り直し、刑事が質問する。
「昨夜、何か変わったことはありませんでした?」
本来、表の刑事たちは時間を指定して『その時間、どちらにいましたか?』などと尋ねるのが定石なのだが、殺人事件が起きたことがない地域でそれを聞いてしまうのは、かえって不安を煽ってしまうとの判断から遠回しな質問に変更した。
彼の問いに恵理子は「うーん。これといって特には――あ、そういえば夜に何度か外で物音がした気がするわね。人の足音や扉が開く音みたいな」と答えた。
「何度かと言いますと?」
一瞬、考えてから恵理子が言った。
「二回……かしらね」
「何故、二回だと?」
「物音で二回、目が覚めたからよ」
続けて右京は「聞こえた方向は?」と質問する。
「そうねぇ……正面通りだったような気がするわね。よく覚えてないんだけど」
彼女は自宅正面通りで音が鳴ったと説明した。
隣にいた半袖短パン姿の幸之助にも訊ねてみたが「熟睡していたからわからん」とぶっきら棒な返事を返される。
「この人、どんなところでも寝れるのよ」
ごく自然に恵理子が旦那の肩をポンポンと叩いた。そんな彼女を横目で見つつ幸之助は「だからお前の隣で寝れるんだよ」と小言を漏らす。
先ほどから組まれる彼の腕の中にチラチラと無数の傷が見え隠れしていた。
右京の興味はそこへ移った。
「やはり狩人をしてらっしゃると指先などの怪我が増えますか?」
「ああ、しょっちゅうだよ。昨日の早朝、狩りの最中に木の枝に引っ掛けちまったんだよ」
そう言いながら右腕と指の傷を見せてくれた。左腕にも切り傷、左人差し指にも怪我、左中指にも大きなタコができていた。
「なるほど。仕事熱心でいらっしゃるのですね。感心させられます」
「そうなの。この人、いつも傷だらけで帰ってくるのよ。でも昔っから腕はいいって評判で。おかげで知り合いの孫から弟子入りまで志願されてねぇ。だからここのところやたら張り切っているの」
「余計なことは言わんでいい」
幸之助は補足を入れる妻を牽制する。
「何よ、褒めてるんだからいいじゃないの」
「そういうのは慣れてないんだよ、俺は」
「まー、可愛くないわね。いつもはもう少し素直なんだけど」
恵理子が肘で彼の腕を小突く。夫は肩をすくめて言った。
「初対面の御仁の前なんだ、勘弁してくれぇ。それに若ぇのが亡くなったんだ。あまりお茶けるな。不謹慎だぞ」
「それはそうだけど。でも、こうでもしていと、気が気でなくって……」
視線を落とす恵理子に夫は「わ、悪かったよ……」とフォローした。
「藤崎くんとは交流がお有りで?」
「明るい子だったからね。よく立ち話をしたわ。舞香ちゃんの好みとか聞いてきてねえ。『気があるの?』って言ったら『いや、いつもお世話になってるんで』って顔を赤らめていたから可愛いなって思っちゃって。応援してたんだけどねぇ――」
鉛のように重い息が吐かれた。どうやらショックを隠すために取り繕っていたらしい。
「恵理子、無理はするな」
夫が肩を抱いて彼女を励まし、同時に刑事へと視線を送る。
意図を察した右京が「参考になりました。ご協力感謝します」と礼を言って同行者と共に小鳥遊宅を離れた。
二件目は右隣りの家である。慧音が言うにはここの主は小説家を目指す小田原信介という人物らしい。普段は新聞のコラムを書きつつ、生計を立てており、生活にはあまり余裕がないらしい。
右京が戸越しに声を掛けたところドタンと何かが動いた音が鳴った。人がいるのだと理解した四人は顔を合わせつつ、戸が開くのを待った。
一分ほどしてから引き戸がソロソロと開けられる。
出てきたのは酷い寝癖をした眼鏡の青年だった。
「な、なんですかっ?」
毎日執筆活動をしているせいなのか本や衣服が散乱しており、足の踏み場が限りなく少なかった。転がる書物に目を移せば恋愛について書かれた物が大半を占めている。
そのため一行は彼が現在進行系で恋愛小説を執筆しているのだと解釈した。
寝巻姿で出てきた信介は寝不足なのか目に大きな隈を作っていて日差しが視界に入り込むの嫌がり、咄嗟に左腕で陽光を防いだ。
右京は挨拶の後「昨夜、何か変わったことはありませんでしたか? 例えば、不審な物音とか」と訊ねた。
「えっ、寝てたんで知りませんよ」
信介は寝巻の裾で両眼を擦りながら右京の質問に愛想なく答えた。
「おつかれですか?」
「あ……すみません、最近スランプで……」
さすがに相手に気を使わせたと感じたのか、気まずそうに謝罪した。
足の踏み場がないほどに散らかっている室内をひと目見ればそれも頷ける。右京は室内の情報を素早く収集、流れるように彼の指先に焦点を合わせた。
「おや、指先に何か付いてますねえ」
確かに彼の白っぽくて荒れた両手の甲にはまだ乾き切っていない赤い液体が付着していた。
刑事の指摘を受けて信介が両手を袖の中に隠す。
「ほ、放っておいてくださいよ! 俺、元々こういう肌荒れ体質なんですから!」
「申し訳ない。つい細かいところが気になってしまいましてね。僕の悪い癖なんですよ」
右京が謝罪するも、信介は意に返さず「もうこれでいいですか? 俺、眠いんで!」と話を早々と切り上げて右京らを外へと追いやった。
戸が閉められる寸前、右京が質問をねじ込んだ。
「ああ、あと一つ、隣人の藤崎くんのことですが――」
「し、知りませんよ、あんなヤツことなんて!」
そうして信介は勢いよく戸を閉めた。いきなりのことに四人は困惑が色が隠せなかった。
「何よ、人が死んだってのに」
青年の非協力的な態度に霊夢が眉間にシワを寄せる。
「すまないな。彼はああいう子なんだ」
信介は寺子屋出身者だったらしく慧音が言うには、元々神経質な子で寺子屋時代もよく馬鹿にされていたらしい。
成績は悪くなく、座学だけなら上から数えたほうが早かったので彼女の印象にも残っていたそうだ。
一旦、納得した右京は信介への聞き込みを諦め、次の家をあたることにした。
三軒目は敦宅の裏側にある家で、慧音が言うには身綺麗で整った容姿をした二十代半ばの女性が住んでいる。
名前は七瀬春菜と言うらしく、少し前まで小さな劇団の女優を務めていたのだが、自分には向いていないと考えて仕事を辞めて求職活動をしているとのことだ。
「御免ください。どなたかいらっしゃいますか」
右京が引き戸をノックすると中から「はーい」という女性の声が響き、戸が少しだけ開いた。
「どちら様でしょうか?」
女性は戸の隙間からこちらをジッと見やっている。一人暮らしとあってか見知らぬ男性の訪問に警戒している様子だった。
「こんにちは。僕は杉下と言います。少々お伺いしたいことがあるのですが、お時間のほうよろしいでしょうか」
「えーと……」
一軒目の恵理子と同様、女性は突然のことに困惑を隠せない様子だった。
右京は後ろを振り向いて「上白沢さん、お手数ですが」と再び慧音を頼り、横に移動した。空いたスペースに彼女がスッと入る。
「あら。あなたは寺子屋の」
「はい、そうです」慧音は続ける。「実はちょっと調べていることがありまして。この方に協力して貰っているんです」
「それって、もしかして敦くんの件?」
「……はい」
慧音が小声で答えた。
「そう。わかりました」
彼女が手短に訪問の理由を話すと女性は、すんなりと戸を開けて外に出てきた。華奢だがスラッとしたモデル体型の女性で、なんてこともない普段着であるはずの着物が一段と豪華に見えるほどだった。
女性は下腹部辺りで手を組んでから右京のほうを見た。
「七瀬と申します。警戒してごめんなさいね。お茶でもお出ししましょうか」
「いえ、それには及びません」
玄関から見える室内は綺麗に片付けられており、チリ一つ残っていない。座卓の上にも本が一冊ほど置かれているだけだ。確認できる情報を脳内に記憶してから刑事はすぐ質問に移る。
「隣人の身に起こったこと、ご存知であられましたか」
「外で皆が騒いでいましたから。聞きたくなくっても耳に入ります」
春菜はため息をついて肩を落とした。
「敦くん、いい子だったから残念でならないわ」
「交流がお有りだったのですね」
春菜が首肯する。
「彼、外来人だけど気さくな子だったわ。顔を合わせるたびに挨拶してくれたのよ。だから話すこともあってね。よく恋愛相談に乗ってたあげたわ。彼、舞香ちゃんに気があったから」
「そうでしたか。昨夜、何か変わったことはありませんでしたか? ほんの些細なことでもよいので思い出して頂ければ」
「そうしたいのは山々なのだけど、自宅で寝ていたものでして」
「何か大きな物音などは聞いておりませんか?」
「わからないわ。ごめんなさい」
謝罪する春菜の顔はどこか暗く、精神的な負担が掛かっているのは明らかだった。隣に住んでいた子がいきなり亡くなったのだ。それもそうだろうと、女性陣三人は同情を示した。
そんな中、右京は室内の座卓に視線を移す。
「ところで、読書がお好きなんですか」
「人並みには」
「ちなみにあの本は?」
「落語の本ですよ」
「おやおや。タイトルは?」
「『鹿野武左衛門口伝咄』ですよ」
「それは、それは――鹿野武左衛門の代表作ではありませんか」
鹿野武左衛門とは江戸落語の基礎を作った人物と言われる存在で、今の身振り手振りによる仕方噺は彼によって編み出された。落語好きなら知っている者も多いだろう。右京も大の落語好きなので、その方面には明るい。
春菜が読んでいる鹿野武左衛門口伝咄は本の表紙から明治時代の技術で作られた物だと想像できる。
幻想郷の誰かによって再編されたかあるいは明治に出版された品なのかは不明だが、非常に状態がよい。右京は「さすがは幻想郷ですね」と内心思った。
関心を寄せる右京の表情を正面に捉えつつ春菜が笑った。
「表の紳士さんも落語がお好きで?」
「ええ。とても」
「あらあら、そうなのね」
そこから右京と春菜は落語の話題で盛り上がる。彼女も落語が好きなようで刑事が振る話題について行けるだけの知識量を誇っており、いつの間にか上級者同士の会話になっていた。
身振り手振りで落語の話をする右京をおかしく思ったのか「まあまあ、博識でいらっしゃるのね」と両手でそっと口元を押さえた。
付添の二人は「表から来た人間なのによくこんなに落語を語れるな」「ちゃんと捜査する気あるのかしら?」と苦笑いしていた。それに気が付いた右京は振り返って「申し訳ない。つい」と謝った。
「ですが、やはり演劇がお好きなのですね」
「やはりと言いますと?」
春菜は首を傾げた。
「前職が女優であったとお聞きしたものでして」
「そうでしたのね」
彼女は顔色一つ変えずに対応した。
「ちなみに、どのような役をお演じに?」
「杉下さん、それは捜査なんですか?」
質問の意図が読めない霊夢がツッコミを入れる。
「捜査です――と言いたいところですが、個人的な興味もありますね」とぶっちゃける刑事。
「「……」」
二人の白けた目が右京の背中に突き刺さる。けれど、右京はそれを意に返すことはない。
その光景に初対面の春菜でさえ呆れ顔を見せていたが、言葉を選ぶような素振りをしたのち「主役を少々」と小さくつぶやいた。
「そうでしたか。では――」
「こほんこほんっ」
あまり余計なことは聞かないでくださいね。牽制するように慧音が咳払いをした。右京がそれとなくアイコンタクトで了承する。
「よろしければ、両腕の裾を捲って見せて貰えないでしょうか? 少し気になったもので」
彼女は一瞬、間をおいてから、このように回答する。
「会ったばかりの男性に肌を見せるのはちょっと……。私、肌荒れが気になるから」
霊夢と慧音は右京が何故、そんなことを言うのかイマイチとピンとこなかったが、きっと事件解明に必要なのだと思い、代わりに自分たちが春菜の肌を見ると提案した。
その流れで霊夢が春菜の肌を触ろうと手を伸ばす。
「あなたみたいな若くて可愛い娘にジロジロ見られるなんてなんだか嫉妬を覚えちゃうわね~」
春菜は冗談交じりに目を細くしながらスッと手を引いてみせた。
少女は思わず「可愛いだなんてそんなー」と照れていた。呆れた慧音が咳払いして霊夢を横に追いやり、春菜の前に立った。
「ちょ、ちょっとぉ」
せっかく褒められたのに、と苛立ちを隠せない巫女。その足元には短いながらも雑草たちが生えていた。
「これでいい?」
春菜は先に右手で左手の裾を捲くってから今度は反対の手で同様のことをしてみせる。そうして差し出された両手に焦点を合わせた慧音が、彼女の手を直接触りながら調べた。少しして慧音は右京に「指が少し荒れて赤くなっているだけで特におかしな点はありませんでした」と伝える。
刑事はほうほう、と相槌を打って感謝を述べた。
これ以上、とどまっても意味がないと踏んで、その場を後にしようとするが、右京は何かを思い出したように人差し指を立てた。
「後一つだけ、よろしいでしょうか?」
春菜は笑顔で応じる。
「いいですけど」
「その本はどこで購入されたのですか?」
「この本は鈴奈庵という貸本屋さんでお借りしました」
「なるほど。その店はどちらに?」
「大通りにあります。目立つ店構えなのですぐにわかるかと」
「そうですか。後で伺わせて頂きます」
そう言って右京たちは春菜への聞き取りを終えた。
一旦、敦の自宅正面に戻って、右京が口を開く。
「ここからはバラバラに別れて聞き込みましょう。そのほうが得られる情報が多いでしょうから」
「わかりました」「はい」
霊夢、慧音は彼の提案を承諾。それぞれ別方向に散っていった。
彼女らの姿を見送った紳士は自身も聞き込みへと向かう。
それに合わせるかのように後方の物陰からスッと影が動いたような気がした。