命令を伝えること。軍隊などで命令を伝達すること。また、その人や兵士。
将軍から直々のブリーフィングがある。我々のような後方勤務の伝令兵で、その上新米となれば将校の顔を見る機会すらほとんどない。
「なあ、将軍直々になんてどういう風の吹き回しだと思う?」
声をかけてきたのは同期の仲間だ。
「さあね、偉い人の考えなんか分からないけど…」
そこで言葉を切ってあたりを見回す。ブリーフィングルームには我々のように集められた伝令兵が十数人集まっている。
「どうも集められたのは俺やお前と同じ新兵ばかりのようだ」
あまり良い予感はしない。
扉が開き将軍が入室した瞬間、一同が踵を揃えて敬礼する。将軍はそれを見て軽くうなずいて話し始めた。
「伝令兵諸君、先の戦闘にて南部戦線と我々中央司令部をつなぐ電話線が切断された。しかし南部戦線の戦況は激化しており復旧には時間がかかる見込みである。そこで諸君らには徒での伝令任務を命じる」
任務はこうだ。南部戦線は現状こちらの優勢にあるが、いささか戦線が伸びすぎている。こちらの偵察機が敵部隊後方の空港に爆撃機が配備されているのを発見した。このままでは伸びて薄くなった戦線が爆撃機により綺麗に掃除されてしまう。そこで我々は戦線を下げるよう命を伝えに徒で最前線に向かえ。前線で戦っている1600人の命がかかっている。
「なお諸君らはこの作戦において伍長に昇進するものとする」
嬉しくない昇進だ。
※
装備として支給されたのはライフル一丁とコンパス、地図、水筒、双眼鏡、指令書を収納するメッセンジャーバッグ。前線に近づけば近づくほど敵がどこにいるのかいないのか分からない。そんな場所をライフル一丁を頼りに歩くのは心細い。
トラックで途中の町まで送ってもらう。
「ここから先は敵が潜んでいるかもしれないので」
車が止まりドライバーが声をかけてくる。ドライバーは民間の者だった。子供が全線で戦っているからと協力を名乗り出たのだ。
「ああ、ここまでで大丈夫だ」
この先は度重なる戦闘で道が荒れている。トラックが入るのも容易ではないだろう。そのうえいつ敵に攻撃されるかもわからない。私はドライバーにわずかばかりの駄賃を握らせ、早く帰るように促した。
去っていくトラックを見送り、コンパスと地図を見比べ目的地に向かって歩き出す。
一緒に任務を受けた仲間は別のルートから向かっている。ここから先は私一人。
※
一日目
ライフルを担ぎ直して道なき道を進む。方角さえあっていればいずれは前線部隊と合流できるだろう。あとは敵の残留部隊と遭遇しなければ…だが。
この辺りは開戦当初に大きな戦闘があった場所だが、今でも散発的に撃ち合いが起こる。少しでも巻き込まれる可能性を下げるために身を隠しながら進まねばならない。しかし廃屋は敵兵の塒になっている可能性もある。目下の急務は前線に近づきつつ飲料用の水と食料をを確保することだろう。地図上ではこの先に井戸が点在しているが、いまだに使える物の近くには残存部隊がいる可能性がある。それが味方の部隊ならいいのだが。
大昔の東洋の伝令は500㎞の距離をわずか四日ほどで駆け抜けたというが、私もそれ程ではないがかなりの速さで駆け抜けなければならない。およそ300㎞の行程、期限は四日。普通なら歩くような距離ではないし、もし歩くなら十日以上はかかるだろう。
こんな作戦と言うほどでもない無謀な任務だ、司令部も差し迫った状況なのだろう。我々十数人の新兵が一人でも辿り着くことを神に祈っているだけなのだ。
私はいつ崩れるかも分からない瓦礫の山に身を隠しながら進むしかないのだ。いや、身を隠している時間はないのだ。いつ銃弾の雨が降るか恐怖に身を曝しながら最短距離を走るしかない。まだ体力があるうちに距離を稼がなければならない。どこかで味方と合流して補給できればいいのだが。
幸か不幸か、どれほど進んでも人影はない。遥か遠くでライフルの銃声が聞こえたが戦闘に巻き込まれることはなかった。ともに任務を受けた仲間たちは巻き込まれていないだろうか。
今日は夜通し走る事にしよう。視認性が悪い夜間の内に、闇に紛れて走るのだ。
水はどこかで調達できるだろう。
※
二日目
夜通し走って疲れた体を瓦礫の陰で休ませる。時間は正午を回ったくらいだろう。昨日よりも減った水筒の水を舐めながら石のように固いパンを齧る。井戸は発見できなかった。大規模な戦闘のどさくさで潰されてしまったのだろう。
今は少しでも体を休めなければならない。日が暮れて涼しくなってから走り出そう。少し目を閉じて夕暮れに備える。
此の苦しい伝令の任務は神に与えられた運命なのだろうか。
※
三日目
失態だった。目を閉じるだけのつもりが気が付けば零時を回った時間だった。この調子ではこの後は少したりとも休む時間は取れないだろう。
良いこともあった。生きている井戸を発見できたのだ。これだけの水があれば前線までたどり着けるだろう。
前線に近づけば近づくほど、打ち捨てられた遺体が目に付く。戦場の真っ只中にいる彼らを弔う余裕は此処にはないのだ。私が彼らの仲間になっていないのは神の思し召しだろうか。仲間たちは皆無事だろうか。いずれ彼らと再会してこの任務が笑い話の酒の肴にでもできればいいのだが。…楽観的なことでも考えていないと気がおかしくなりそうだ。昨日よりも銃声が近くに聞こえてくる。私は今死神に囲まれているのだ。
進めば進むほど遺体からの強烈な腐臭が強くなってくる。最近あった戦闘の犠牲者だろう。白骨化の進んでいない彼らは、私に此処が戦場なのだと意識させる。
自分と同じメッセンジャーバッグを持っている遺体がある。我々の前任者か、それとも同じブリーフィングルームにいた仲間たちの誰かか。それが私の数刻後の姿でないことを願う。
歩きながら石のように固いパンを齧る。この後は食事をとる時間などないだろう。これが最後の晩餐にならなければいいのだが。
水で流し込みすぐに走り出す。
※
四日目
前線司令部のある天幕まであとわずかな距離だが、此処では何時でも銃弾の雨が降り注いでいる。地面は泥と敵か味方の物かも分からない血と糞尿でぬかるんでおり、頭上をを通り過ぎる銃弾のせいで這い蹲って進むしかなかった。この先は荷物になるからと、ライフルは昨日のうちに捨ててしまった為、迎撃することもできない。さらに此処からは背負った荷物すらも邪魔になるだろう。支給された水筒も食料も地図もコンパスもすべて捨てて、メッセンジャーバッグだけを持って走るしかないのだ。
立ち上がって走り出す。体を掠める銃弾を感じながら走り出す。今の私には神の御加護があるのだろう。降りしきる弾丸が私の身体を避けて飛んでいるのだ。
天幕を目前にして突然身体から力が抜ける。神の御加護は幻だったのだろう。私の身体は多くの銃弾を受けていた。興奮した私の脳が体に負った重傷を晦ましていただけだったのだ。それでも私は這ってでも前へ進む。命を受けた義務感からではない。この四日間の地獄の日々が最後で無に帰すのが嫌だったのだ。最後に自身を支えるのは命を受けたからでも、神より定められた運命だったからでもなく自分自身のプライドの問題であった。
這い進んでいた私は天幕の味方の目に留まり、味方達に引き摺られて辿り着くことができた。
私は震える手でバッグから指令書を取り出し、霞む目で誰かも分からない私を引きずる人物にしわくちゃになった其れを押し付けると、途端に意識が暗闇に落ちるのを感じた。
疲れ果て傷だらけの身体。私は明日、目を覚ますことができるだろうか。
※
南部戦線は長く続く戦闘行為により、敵国近くまで長く薄く伸び切っていた。そこで敵国は地上戦力と爆撃機による航空支援をもって我が国の前線司令部を直接攻撃するという策に出たが、それを察知した中央司令部は一時撤退し戦線を下げるよう指令を出した。おかげで前線で戦っていた1600人の兵士に大きな損耗はなく、その後の戦闘において前線を押し返すことに成功した。
当時は前線と中央を結ぶ連絡手段はか細い電話線に頼っており戦闘によって切断されることが度々起こっていたのだ。そんな状況で徒で伝令を届ける兵は重要な生命線のひとつだっただろう。
戦後、戦没者慰霊碑の他にかつて中央司令部であった施設の裏庭にもう一つ慰霊碑が作られることとなった。
その慰霊碑にはこう刻まれている
―メイヲハコブサダメナレバ―