藤原秀郷って誰だよ   作:モッティ

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遅ればせながら


祈りの王と加茂憲正

 

 

 

 強さ。

 

 強さには様々な区分があり、その価値基準は人によって異なる。

 腕力、技量、或いは意志。

 多くの人間は表出する物理的な現象に気を取られ、だが心の在り様には得てして興味を持つことは少ない。

 弱肉強食、適者生存、自力救済の三つに支配されているこの平安の世ともなれば、尚更のことである。

 

 加茂憲正(かものりまさ)

 彼もまた、若さ故に視野が狭く、内面を軽視して外面を重視する、ごく一般的な人間、ごく常識的な術師であった。

 程度の違いはあれど、禪院直行(ぜんいんなおゆき)と五条(みつる)の両名もまた同様だった。

 

 故に、藤原秀郷に師事してから、彼らは己の不見識を心から呪うことになった。

 

 

 

「ハァ、ハァ……ッ、あ、兄者!」

「どうした憲正、刻限はまだ先だぞ」

「これは、些か……グッ……乱暴が過ぎる、というものではないか? 

 意識が薄れ……じきに木偶の坊となろう! 

 流石にこれ以上は……!」

 

 

 赤血操術による体外での血液操作を辛うじて維持しながら、加茂は肩で息をしつつ抗弁した。

 全身に汗で濡れていないところは無く、所々血で滲んですらいる。

 だが彼はまだよくやっている方だ。

 術式の加減が利かず時々気を失っている五条や、卯ノ刻から正午までで完全に沈黙した禪院に意識を向けつつ、最後まで術式を解除しなかった。

 

 今行っているのは、秀郷が考案した反転術式の鍛錬である。

 まず術師に生得術式を継続して発動させる。

 脳が焼き切れる寸前になったところで秀郷が祝力を用いて回復させる。

 

 基本的にはこの二つを、術師が反転術式に目覚めるまで永遠に繰り返す。

 自身の術式に対する理解を深めると同時に体が死に近づくことによって呪力の核心へと迫り、尚且つ祝力という正の呪力の塊による回復によって体に正の呪力の感覚を行き渡らせ、習得への道程を大幅に短縮することができるという理屈なのだが、短時間で習得させるということは当然それに至る鍛錬もよりハードに、より濃密になるということであり、その壮絶さは筆舌に尽くしがたい。

 

 常に脳の血管が切れていくのを感じ、度々体に力が入らなくなる。

 気力はこれ以上落ちることはないだろうという底値を毎日更新し、グラフに表せば断崖もかくやという大暴落ぶりを見せたことだろう。

 ある程度の実力を持つことはこの鍛錬を耐え抜く前提条件ではあるが、継続していくには体力よりも気力の強さが遥かに重要となってくる。

 

 それでも三人が──休憩を切に望みつつも──鍛錬を止めようとはしないのは、あの日の背中が眼に焼き付いているからだ。

 あの男のようになりたいという夢だけは、曲がることがないからだ。

 この程度の鍛錬、藤原秀郷という男ならばやってのけるだろうと確信しているからだ。

 

 故に、幾ら弱音を吐こうとも、彼らは明日も鍛錬を続けるだろう。

 

 

「そうだな、今日のところはこれで終わりだ。

 さあ皆の衆! 飯の時間だぞ!」

 

 

 そんな彼らの情熱に素直に喜びを感じているのが、この藤原秀郷である。

 彼の前世では兄弟がいなかった。

 優しい両親の存在によって寂しさは感じなかったものの、時折見かける歳の近い兄弟と思わしき一行を見て、羨望の念を感じることもあったのだ。

 

 それがこの今生においては、目の前の三人、そして亨子が自らを慕い、頼り、付いてきてくれたのだ。

 勢い余って自分のことを兄と呼んでくれと願う程度には、秀郷は喜んでいた。

 血は繋がっていないが、この者達と血よりも固い絆を結びたい──秀郷がそう思うのに、そう時間はかからなかった。

 

 そこに加えて彼らの習熟速度の早さである。

 本来この鍛錬は元服後の術師に推奨されているものである。

 それを、他を遥かに圧倒する才能を持っているとはいえ12〜14歳の子供が、曲がりなりにも喰らい付いているのである。

 これは本来あり得ない事態であり、秀郷を上機嫌にさせるのには十分過ぎるものだった。

 尤も、彼らはそうは思っていないのだが。

 

 

「兄様、夕餉はこちらに」

「おう、では頂こう。

 お前達も来い、米を食わねば力が出んぞ!」

 

 

 烏鷺が丼に味噌汁と米をよそい、一同は円になって食べ始める。

 米も味噌汁も秀郷の宝具から生み出されたものであり、念じれば一瞬で用意できるという破格の性能を持っている。

 自らの手料理を食べてもらいたい烏鷺からすれば複雑な事態であり、当初は全て自分で用意したいと駄々を捏ねていたものだったが、『幼い妹分をこき使わせる兄が何処にいる』と秀郷に突っぱねられ、食事の用意と後片付けを任せられるという方向で渋々納得したのだった。

 

 もりもりと米をかっこむ秀郷に微笑みながらおかわりを用意する烏鷺とは対照に、男子三人の顔は暗い。

 この鍛錬を始める前に彼らはそれぞれ武具を貸し出された。

 加茂は無尽矢の強弓を、五条は矢避けの鎧を、禪院は秀郷の愛刀を。

 その三つは彼らの長所を伸ばす、或いは短所を打ち消すために秀郷が渡したもので、秀郷はまずその武具を用いた体力作りを進めた。

 

 肩慣らしかと落胆に近い感情を持ったことは否定できないだろう。

 しかしこれは確かに必要な前提条件だったのだ。

 基礎体力を底上げし、己の術式と武具とを重ね合わせて理解を深めること。

 彼らが反転術式の鍛錬に耐える水準に達していなかったからこそ、秀郷はそれをやらせたのだ。

 

 再び思い知った、自らの不見識。

 彼らの肩にはそれが重く圧し掛かっていた。

 

 

「……兄者」

 

 

 決意を固めて、加茂は唐突に腹案を切り出した。

 

 

「兄者の血を頂きたい」

「おう……まあ、良かろう」

 

 

 少し不思議がりながらも躊躇無く着物をはだけさせる秀郷。

 その傷一つ無い黄金律の玉体に生唾を飲みつつ、顔を赤らめつつ、そして若干の未練を残しつつ、加茂は咳払いをして止めた。

 

 

「……違うぞ兄者、服を着てくれ」

「なぁんだ、てっきりそっちかと……」

 

 

 脱衣を止めた加茂に抗議の目を向ける烏鷺を無視しつつ、加茂は話を続ける。

 

 

「俺の術式は『赤血操術』、血の扱いには他者より一日の長がある。

 正の呪力の塊である祝力を含んだ兄者の血を取り込み、正の呪力の核心を掴むことで反転術式習得の足掛かりとしたいのだ」

「このままいけば、じきに習得できると思うが?」

「駄目押しだ、早いに越したことはないからな」

「……分かった、暫し待て」

 

 

 秀郷は鏃で人差し指の腹を切り、流れ出た血を盃で受け止めた。

 

 

「これで良いか?」

「ああ、充分だ」

 

 

 加茂は恭しく盃を受け取り、一気に呷った。

 瞬間、加茂の肉体は硬直し、電流が流れたように体を跳ねさせた。

 

 

「──ッ!?」

「加茂!」

「加茂さん!」

 

 

 五条と禪院はすぐさま駆け寄る。

 そして瞬時に、加茂の身体中に漲る祝力と、蠢く血液の気配を感じ取った。

 体中を唸って回る加茂の血液は、細胞の一つ一つに祝力を運び、少しずつその変化に体を適応させていった。

 加茂はただ、抗わずにその変化を制御し、ゆっくりと宥める。

 

 暴力的とすら言える体の変質は、次第に心の臓腑へと収束する。

 心臓の鼓動と変質の跳動がやがて一つとなり、傍に寄り添う二人の手を取って、加茂がよろめきつつ立ち上がる。

 

 

「……これは」

 

 

 爆発──そう、加茂から迸るエネルギーはもはや爆発と評して相違無かった。

 高密度の呪力が立ち昇り、加茂の長髪が逆立ってすらいる。

 

 呆気に取られる傍の二人と烏鷺。

 満面の笑みを浮かべた秀郷は立ち上がり、加茂と相向かう。

 

 

「掴んだか?」

「いや、まだその域には達していない」

 

 

 いかにも暴走寸前といった趣の加茂は、地に足をしっかと踏み締め、不意に踵を返した。

 

 

「少し離れる。

 待っていてくれ」

 

 

 夜に消えていった加茂。

 その後ろ姿が消えたのを見ても、秀郷はただ静かに腕を組み、立ち続けた。

 

 

「……加茂は大丈夫でしょうか」

「五条さん、俺……」

「まあ待ってろ。

 加茂があんなツラしてんだ、信じてやれよ。

 なあ、兄貴」

「おうともさ」

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 不規則な足音が夜の森に響いていく。

 熱く猛々しくこみ上げる呪力を抑えきれずに、加茂は地面に膝をついた。

 

 

(赤鱗躍動は使っていないというに、なんだ、この熱さは?)

 

 

 制御できていたはずだった。

 だがこれはどうだ、抑えても抑えても上限をぶち破って成長し続ける呪力総量は。

 

 ──いや、厳密に言えば呪力ではない。

 溢れ返る呪力が独りでにぶつかり合い、生み出された正の呪力だ。

 

 

(呪力の練りが滞る。負の感情の制御が利かない。

 ……いや、正の感情によって、負の感情が掻き消されているのか?)

 

 

 秀郷が言うところの祝力に近いものが、加茂の体から湯水のように湧いて出ている。

 苦しくはない──寧ろ快感に近い。

 放っておけば気を失ってしまいそうなほどの悦びに襲われているのだ。

 

 

(……そうか、これが、『核心』か)

 

 

 加茂は仏のような微笑を浮かべた。

 

 今この場にはただ己一人がある。

 だが人に限らず捉えれば、己の周りには数多の命がある。

 己の中にすらも。

 血液の一滴に至るまで、命があるのだ。

 

 己は生かされている。

 だが、今まで誰かを生かして来たことが有っただろうか? 

 親に命ぜられるがままに鍛錬を積み、家の為に尽くせと来る日も来る日も言い聞かされてきた。

 自分で決めたことなど、片手で数えられるほどだ。

 心の底から誰かのためになどと、考えたこともなかった。

 

 

「……すまない」

 

 

 それは誰に宛てた謝罪だったろうか。

 判然としない脳内に祝力を運び込んだ血液が、答えも共に運んできた。

 

 

「すまない。

 我が血、我が肉体よ。

 ──我が力よ!」

 

 

 情熱の色をした液体が体から溢れ出した。

 いつの間にか蓋をしていた想いを、力を、この時加茂は解放した。

 

 

「今こそ俺は生かしてみせる!」

 

 

 この瞬間、彼は掴み取った。

 

 壁の向こうの景色を。

 

 

「……やってやれないことはない。

 この数刻が勝負だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずどん、と音が木霊する。

 

 秀郷一行が加茂を見送ってから暫く時を置いて、連続して鳴り続けている轟音。

 それはまるで重機が地面を転圧しているよう。

 

 ずどん、と音が木霊する。

 

 それは次第に大きくなり、一層聴く者の不安を掻き立てる。

 何回も、何回も続いたのち、唐突にそれは終わった。

 

 

「……来たか」

 

 

 静かに胡坐をかいていた秀郷が立ち上がり、闇の向こうの一点を見つめる。

 黒と赤が交わる、その一点に──加茂憲正は現れた。

 体中に血を纏って。

 

 

「成ったか?」

「ああ」

 

 

 手短に言葉を交わす。

 加茂は笑みを浮かべ、両腕を広げた。

 

 

「兄者、一つ、手合わせ願いたい」

「……良い顔だ、男になったな、憲正よ」

 

 

 それだけで十分だった。

 こののちは、最早行動あるのみ。

 

 

 

「──参る!」

 

 

 加茂は両手を前に突き出す【穿血】の構えをとる。

 同時に、秀郷は全身に祝力の盾を構築する。

 僅か1秒に満たない動作から、二人の戦いは始まった。

 

 

「【穿血】」

 

 

 繰り出される血液は正確に秀郷の心臓に向かい、しかし虚しくも濃密な祝力の塊によって行く手を阻まれる。

 握り拳ほどの直径を誇る加茂憲正の穿血であろうとも、秀郷の肉体にはかすり傷一つつかない。

 

 だが一瞬。

 秀郷ほどの武勇を誇る益荒男であろうとも、インパクトの瞬間に僅かに意識をそこへ向ける。

 人間の本能である。

 

 加茂はその一瞬に勝負を賭けた。

 

 秀郷が気づいた時には、構えは既に終わっていた。

 穿血を握った左手の中指と薬指の間から射出し、空いた右手の人差し指が秀郷に向けられていた。

 

 最初に両手で穿血を放ったのは、これ以外に技は来ないと思わせるためのブラフ。

 そしてそれは、確かに秀郷に届いた。

 

 

「──俺の血を操るか!」

 

 

 秀郷の右腕の血管がのたうつ蛇のように暴れ回り、外皮を貫かんとする。

 痛々しく蠢くそれを、だが秀郷は意に介さない。

 無理矢理祝力でもって押さえつけ、一直線に加茂目掛けて足を踏み出した。

 10メートルほどの距離を、僅か一歩の踏み込みでもって縮める。

 加茂も素早く対応し、全身から血液を網目状に射出して素早く後退する。

 

 

(間違いなく皮膚を突き破る威力だったはずだ。

 全くもって理外の豪傑──だがまだこれからだ)

 

 

 左手を天に掲げ、加茂は高らかに叫んだ。

 

 

「【天赫】!」

 

 

 またも加茂の全身から血液が迸り、加茂の半径10メートルほどの頭上に、網目状に血液が展開していく。

 それは、秀郷がその領域に踏み込んだ時点で効果を発揮した。

 

 秀郷の頭上から無数の小さな血液のレーザーが飛来し、秀郷の突進を阻害する。

 

 

「【地赫】!」

 

 

 加茂は攻めの姿勢を崩さない。

 地鳴らしと共に広がった血液は、今度は地面へと広がり、下からの血液でもって秀郷を攻め立てる。

 

【天赫】【地赫】双方の連撃で上下から足止めを喰らった秀郷は、深い笑みを顔に浮かべた。

 

 

(畳みかけるように面での攻撃、攻めの要諦を心得ているな。

 だが、これでは血液の消耗が激しかろう。

 短期決戦にて勝ちを捥ぎ取るつもりか?)

 

 

 どちらにせよやることは変わらない──秀郷は祝力を爆発的に拡散させ、迫り来る無数の小さな穿血を霧散させた。

 赤い霧が周囲に充満し視界が悪い中、秀郷は歯を出して笑う加茂の姿を捉えた。

 

 

「失望するにはまだ早いぞ、兄者!」

 

 

 両手を広げて秀郷へと掌を向けた加茂。

 彼の今にも倒れそうな青白い肌が、途端に赤みがかっていくのを見て、秀郷は膝を打った。

 

 

「反転術式による血液の補充──やるではないか、憲正!」

 

 

 褒め言葉に応えるように、加茂は素早く新たな構えをとる。

 右の掌を天に、左の掌を地に。

 漲る呪力をその二点へ集め、加茂は奥義を繰り出した。

 

 

「──【天地煌々】」

 

 

 刹那の一時。

 展開していた【天赫】、【地赫】、そして周囲に充満する血液の霧が鈍く光る弾幕となって秀郷へ集中する。

 秀郷へ到達したその瞬間、その赤に黒が混じり、辺り一面が赤黒い衝撃で満たされた。

 

 

 ──黒閃

 

 

「──ッッ!!」

 

 

 術式を回した当人ですら僅かにダメージが入るほどの威力の奥義、【天地煌々】。

 発動には【天赫】と【地赫】双方の同時展開に加え、血液は加茂本人の総量五人分を必要とする。

 反転術式を習得し、元々多かった呪力総量が更に増えた今の加茂でさえ、反転術式を回しながらでなくば一瞬で枯れ木になる技である。

 生み出したばかりとはいえ、今の加茂にとって極ノ番に等しい、正しく必殺技だった。

 

 これが通じなければ、勝ちなど望むべくもない。

 

 

「……最早、遠慮はいらんな」

 

 

 土煙の中、彼の兄の言葉が薄く響く。

 加茂は呆れ笑いを零さずには居られなかった。

 

 

(兄者、貴方は、やはり──)

 

「気張って耐えろ──【大豊来穣】」

 

 

 黄金の奔流が闇夜を照らし、加茂を飲み込んで吹き飛ばした。

 祝力はあくまで邪を祓い人を癒す力であり、人に当たったとて死ぬことはない──が、エネルギーであることに変わりはない。

 

 巨木を何本も薙ぎ倒し、岩石に体を叩きつけられる加茂。

 倒れ伏し微かな息だけを発する彼に、秀郷は静かに寄り添い、両腕に抱き上げた。

 

 

「……合格だ、憲正」

「あ、に、じゃ……おれは、よく、できた?」

 

 

 幼子のような喋り方でそう問う加茂に、秀郷は優しく答えた。

 

 

「ああ、よく頑張った」

「……そうか」

 

 

 満ち足りた顔で、加茂は静かに意識を失った。

 戦いが終わって駆け寄ってきた一同が、俄かに声を荒らげた。

 

 

「兄貴!」

「落ち着け、気を失っただけだ」

 

 

 祝力で加茂を包み込む。

 加茂同様に、秀郷も満たされた気分だった。

 

 

「全く、げに末恐ろしき精神よ。

 下手を打てば己が死にかねん技を、こうも連発するとは。

 長じれば俺に匹敵するやも……はは、こんなにも俺を昂らせるとは、兄孝行な弟よな」

 

 

 愛おしげに加茂の頭を撫でる秀郷。

 それを見て、禪院と五条、烏鷺は密かに決意を固めていた。

 

 

「禪院」

「分かってますよ、次は俺たちの番でしょ?」

「……私も抱かれながら撫でられたい」

 

 

 動機が不純な者がいつつも、最初の試練の夜は終わった。

 

 

 

 

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