探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 無敗を誇ったその翌年も自らを破る勇者の到来を待ち、レースを走り続けた世紀末覇王、テイエムオペラオー。激戦に次ぐ激戦の果て、ジャパンカップにて三度目の敗北を喫し、遂に引退が確定する。
 が、すでに彼女の身体は走り続けられる状態になかった。疲労蓄積による骨折が発覚したオペラオーは、レース終了後即座に病院へと搬送された。
 担当である鷹木トレーナーは、骨折に至らしめるまでオペラオーを走らせ続けた自らの判断を悔いながらも、彼自身これから先いかにすべきか見えてすらいないのだった。世紀末覇王の凄絶なる進撃に添い続けるだけで、精一杯だったのだから。


凩と共に玉座を去って

 街路の樹々はすっかり枝ばかりの姿となり、乾ききった落ち葉が靴の裏でザクザクと無遠慮な音を響かせる。

 

 ようやっと顔をあげた鷹木トレーナーの視界の中央、病院の建物はこちらへのしかかってくるように重く聳えていた。12月が始まったばかりの街は、色彩を忘れつつあるかのごとく、空の灰色に染まっていく。

 

「……会いに行かなければ。」

 

 鷹木トレーナーが、この病院を訪れるのは二度目のことである。

 

 一度目は、当然ながら自分の担当ウマ娘、テイエイムオペラオーが骨折で運ばれた時のことである。11月末のジャパンカップに敗れたオペラオーはレース直後、自力で歩けなくなり、病院に搬送され疲労蓄積による骨折が確認された。

 

 既に、3度目の敗北を喫したら引退すると宣言していた通り、骨折如何に関わらずオペラオーがレース場に戻ることはもうない。前年度のグランドスラムかつ年間無敗を成し遂げた世紀末覇王、テイエムオペラオーの引退は大々的に報じられた。

 

 とはいえ、オペラオー自身が報道陣の前に姿を現すことはなかったが。ウマ娘専用の病院が、関係者以外を敷地内へ招き入れることは決して無く、ニュース記事に添えられる画像はレース直後の姿である。

 

 異変を鋭敏に感じ取ったナリタトップロード、メイショウドトウ、そしてアドマイヤベガに取り囲まれ、そのレースの勝者であったエアシャカールが背を預け、オペラオーの体重を支えている姿。不安げな周囲を余所に、あくまで勝者を讃えようとオペラオーが保っている笑顔。

 

「全然、無事なんかじゃない。」

 

 救急車に運び込まれる直前まで、オペラオーが脚の痛みなど一切訴えることなく、エアシャカールに賞賛の言葉を送り続けていたとしても、鷹木トレーナーは何ら意外ではなかった。

 

 担当トレーナーに対してさえ、舞台上の覇王としての姿をのみ見せ続けるのが、テイエムオペラオーというウマ娘であった。

 

 救急車の中でも、容態の確認と応急措置に努めている救急隊員たちへ、朗らかに話しかけ続けていたオペラオー。さすがに安静にするよう叱られた後も、彼女の目の輝きに翳りなど見出されなかった。

 

 だからこそ、鷹木はオペラオーの顔を直視出来なかった。レースデビューから今に至るまで、ずっと彼女のことを見続けてきた自分ならば、オペラオーの瞳の奥に朗らかさの対極の色を見つけ出してしまうのではないかと思ったためだ。

 

 現に、見えてしまっていた。無言のままではなく、オペラオーに何か一言でも伝えなければと鷹木が視線を上げた時……こちらをずっと見つめていた彼女と目があった。

 

 不意打ちのようにぶつかり合った視線は、もうレース場へ戻ることが出来なくなったウマ娘の、無念や痛恨を、見透かしてしまったのだ。

 

「何も言えるはずがない。」

 

 慌てたように視線を逸らし、冗談を口にし、改めて救急隊員から叱られるように仕向けていたオペラオーの心の中へ、踏み込んでいける鷹木ではなかった。

 

 結局、ジャパンカップにて敗北し、そのまま引退していくオペラオーに対し、一言も発することなく鷹木は搬送されていくストレッチャーを見送るしか出来なかった。呆然と立ち尽くしていたところ、病院の警備員から促されてようやく鷹木はその日立ち去ったのだった。

 

 無言のままの自分へ、オペラオーが向け続けていた視線を痛烈に感じていたことこそが、さほど日を置かずに鷹木がオペラオーの見舞いに来ることが出来た理由でもあった。

 

「だから、あのまま、別れるわけには……。」

 

 引退したウマ娘と担当トレーナーは、もちろん今生の別れになるわけではない。いかにトレーナーが多忙であろうとも、競技生命を共に抱えて走り抜いた絆は固く、引退後ウマ娘がトレセン学園に顔を出したり、トレーナーに会いに来たりすることは珍しくない。

 

 とはいえ、それぞれ別々の暮らしがあるということも事実である。

 

 殊に鷹木のようなトレーナー……担当ウマ娘がいかな偉業を達成したとはいえ、まだ若手であり、ウマ娘チームも任されないようなトレーナーでは、世紀末覇王テイエムオペラオーとはあまりにつりあわない。

 

 おそらく、オペラオーの脚が完治し退院した暁には、マスコミはこぞって彼女の元へ押しかけ、インタビューを迫り、次いで番組等への出演を迫るだろう。現状のスペシャルウィークがウマ娘レース番組に引っ張りだこの様子からしても、その様は容易に予想できる。

 

 そのような生き様を選ぶかどうかはオペラオー自身の意思に委ねられてはいるものの、讃える声を無視する覇王では決してあるまい。

 

「今のうちに、会いに行かなければ。」

 

 入院中であるテイエムオペラオー自身へのインタビューが叶わなくともなお、その担当トレーナーであった鷹木へとインタビューのマイクを向けるマスコミが居ないことを鑑みても、時間が経つほどに鷹木がオペラオーと会いに行くことが難しくなるだろうことは確実だった。

 

 自分がオペラオーと顔を合わせに行く理由を、こうして心の中に並べたてながらようやく病院の窓口へとたどり着いた鷹木は、自分が見舞いの品を一切手にしていないことに今さら気づいた。

 

 窓口の事務員が、鷹木の提示したトレーナー証をトレセン学園勤務者名簿と照合し、関係者である確認を取っている間も、鷹木は落ち着きなく周囲を見回していた。そんな彼の挙動不審な態度が、ますます事務員による確認作業を念入りにしていたことは間違いない。

 

 オペラオーに会うためにこの場所に来たのだ、という実感が湧かない理由は明白であった。あまりに静かだったのである。

 

 トレセン学園においては、オペラオー自身の姿を見ずとも、その歌声が常に響き渡っていたため存在を感知することはごく容易であった。最初に出会った時からそうだった、自分が新たに担当することとなったウマ娘の声を、自己紹介より先に歌によって聞いたのだ。

 

 病室へと案内される途中でも、歩行リハビリ用で廊下に設置されている大きな鏡の前で、自らの姿に見とれてトレーニングをサボッているオペラオーが居ないことが不自然でならなかった。

 

「あの。着きましたよ?こちらの病室です。」

 

「……あぁ。すみません、どうも……。」

 

 訝しげな視線を残しながらも立ち去っていく事務員の背にあやふやな言葉を投げかけ、鷹木は静かに閉まっている扉を改めて見つめる。

 

 扉一枚隔てた程度では、テイエムオペラオーの声量を抑えることなど不可能である。自分が今会いに来たのは、本当に今まで担当していたウマ娘であろうか。見舞いの場へと近づくにつれ、ますます薄れていく現実味とともに、鷹木は病室の扉を開いた。

 

 もしかすると、オペラオーは寝ているのかもしれない。いくらじっとしていることが苦手な彼女でも、骨折した脚で歩き回ることは出来ないだろうし、長い長い競技生活で疲労の蓄積した体力を回復させる必要もあるだろう。

 

 しかし、鷹木の予想は何もかも外れていた。たしかにその病室には、かのテイエムオペラオーが居たし、彼女は眠ってなどおらず、しっかりと目を開けて窓外の景色を見つめていた。

 

「……。」

 

 ウマ娘たちの殆どが音に敏感であることを考慮してか、扉は分厚く音を通しにくくなっていた。だからこそ部屋の入口で鷹木が出した声も聞こえなかったろうし、ごく静かにスライドして開いた扉の音も聞こえなかったのだろう。

 

 オペラオーが口を閉じてじっと静かにしているところを見るのは、鷹木にとっておそらく二度目であった。一度目は、結城トレーナー個人の所有する合宿所へとヘリコプターで向かった際、慣れない移動方法に緊張したオペラオーが口数少なくなっていた時のことである。

 

 あの時は完全に引きつった表情となっていたが、今は違った。長きにわたる闘いを終え、一線を退き、静けさと物思いの中で仄かな憂いを浮かべる、覇王と呼ばれたウマ娘が沈んだ目の中へ初冬の光を迎え入れていた。

 

 枕元の小卓には、二つの花瓶が並び、どこかチグハグな印象の花束が活けてある。おそらく、オペラオーを見まいに来たウマ娘たちが残していったのだろう。病室は訪問者たちの賑わいを忘れたように静まり返っている。

 

 それにつけても、本当にオペラオーは美しい顔をしていた。鷹木はそんな言葉を、迷わず口にすることが出来る人間では決してなかったが。

 

「……あ、あの、お、オペラオー……。」

 

「うん?おぉ!ようこそ、鷹木、誉れ高きトレーナー!なんと思いがけぬ邂逅だろうか、驚くじゃないか!雲に乗り、雷を鳴らしながら、この岩山へ来てくれなければ、ボクの美しさを手に入れに来た勇者には気づけない!」

 

 聞き慣れた声であったはずが、数日会わなかっただけでその声量は早くも鷹木の聴覚を想定以上の音圧で脅かしていた。のけぞっている鷹木の背後で、足早に戻ってきた看護師が開きっぱなしの扉をそそくさと閉めている。

 

 テイエムオペラオーが口を開いたと同時に、さきほどまでの静けさ、物哀しい病室の情景はアッサリと吹き飛ばされた。

 

「あぁ!やはり鷹木だ!キミはもう、ボクに会いに来てくれないのかと思ったよ!炎のような血潮の流れが、胸を焦がしてしまいそうだ!さぁ、そんな暗がりに立っていないで、近くへ!」

 

「お、おぅ……。」

 

 普段と一切変わりなく饒舌なオペラオーに対し、こちらもいつも通りに言葉が出てこない鷹木。殊に、トレーニングを見ている時とは違い、伝える必要がある内容が浮かばない状況で、言葉を探すことは至難の業であった。

 

 もしも見舞いに行ったら喋ろうと思っていた内容も、病院に到着するまでの道程ですっかり忘れ去ってしまっていた。そも、見舞いの品も持たず、オペラオーに対してどんな言葉をかけるべきか、自分がこの病室に何をしに来たのか、鷹木はほとんどわからなくなっていた。

 

 自分を担当していたトレーナーの登場を、オペラオーが喜んでいたことは演技ではない様子だったが。

 

「何をしり込みしているんだい?堂々と振舞っておくれよ、世紀末覇王の参謀だったのだから、キミは!奇跡のように素晴らしいトレーナー、持ちきれないほどのものを、ボクにくれたじゃないか!」

 

「言い過ぎだって。現に、お前が引退した直後も、俺には一切インタビューも何も来てないんだから。」

 

「それは当然だろう、ウマ娘やトレーナー個人への干渉は、トレセン学園が止めているさ。ニュースを見ていないのかい?取材を引き受けてコメントしているのは、秋川やよい理事長や、スペシャルウィーク先輩がほとんどだよ。」

 

 鷹木は自然と項垂れさせていた顔を上げる。そういえば、ジャパンカップの日から今に至るまで、たかだか数日とはいえ、鷹木は世間の声を恐れるように、耳を閉ざすように過ごしていた。

 

 自分が恐れていたのは、非難の声であった。もはや最も有名なウマ娘の一員となったテイエムオペラオーの担当トレーナーが、自分の担当していたウマ娘にかかっている負荷を管理出来ていなかったのか、だから骨折に至らしめたのではないか……と。

 

 オペラオーの引退が決定されたことをトレセン学園から告げられて以来、必要な手続きや書類仕事に手を付けながらも、自分に向けられる声を極度に恐れ続けていた。

 

 一方、当のオペラオー自身は、何ら臆することなく世の声に耳を傾けていたようだった。玉座を追われ、病室に居て、脚をギプスで固定されていながらも、覇王としての振る舞いは抜けていないらしかった。

 

「あぁ、この世界はボクたちを祝福する声で溢れている!理事長も、スペ先輩も、ボクが成し遂げた前人未到の偉業を讃えてくれているのさ!ボクの名声は追い風を受け、空の上へ!そして、ボクのために舵を取った強きトレーナーへの称賛もね!」

 

「本当に、か?」

 

「そうとも!あるいは、キミは自身でその声を聴かなければ気が済まない、と言いたいのかい?なるほど、自身への直接インタビューを待ち焦がれているわけだ!ボクの方から学園へ連絡を入れ、鷹木トレーナーへの取材許可を広めてもらってもいい!」

 

「待っ、待て待て!」

 

 枕元のテーブルからスマホを手にしたオペラオーを、鷹木は慌てて止めた。オペラオーの行動力は、制止されない限り言葉通りの内容を実行してしまう。そのことも、よく分かっていた。

 

 とはいえ、オペラオーの側も鷹木の性格をよく分かっていることに変わりなかった。笑みとともに連絡するようなそぶりを中断した彼女は、いくぶん低めた声量で口を開く。声に共鳴して小さく振動していた花瓶の動きが、ようやく収まった。

 

「……鷹木、そろそろ行かなくていいのかい?」

 

「えっ。」

 

 まだこちらからは何もオペラオーに会話らしい会話を持ち掛けていない、と言いかけて、やはりオペラオーに伝えるべき言葉が浮かんでこない事実に気づく鷹木。

 

 むしろ、オペラオーの側から鷹木へと与えた言葉の方がずっと多かった。鷹木は、この稀代のウマ娘に会い、自分の側が言葉を賜るためにそもそも病院へと来たのではないかと感じさせられつつあった。

 

「みなまで言わせる気かい?キミは名トレーナーなんだ、このボクを玉座に押し上げたのだからね!キミに見てもらいたがっているウマ娘、キミの指導のもとでトレーニングを行いたいウマ娘は今なおトレセン学園で無名のまま、待ち続けているはずだ!」

 

「オペラオー……」

 

「時は待ってくれなどしない、次のレース、来年のレース、将来の大舞台へ向けて練習する時間は、今も刻々と過ぎていく!さぁ行くんだ鷹木、覇王は既に敗れ、玉座を降りた!世紀末を超えた舞台で、新世代を切り開く勇者たちが待っている!」

 

「……いないんだ。」

 

「うん?」

 

「俺には、今、担当ウマ娘がいないんだ。」

 

 どれほど心強い太鼓判を世紀末覇王から押されようとも、現実が変わるわけではない。

 

 自身が自覚している通り、トレーナーとしてはまだ若手の鷹木が、テイエムオペラオーの功績の立役者であると信じる人間は少ない。鷹木もまた、オペラオーが有する天賦の才が、勝利を引き寄せた要因のほぼ全てであろうと感じている。

 

 ゆえに鷹木は、ウマ娘チームを担当するどころか、複数のウマ娘を同時に担当すること自体を今なお任されておらず……テイエムオペラオーが引退すればすなわち、またも担当ウマ娘無しのフリーのトレーナー状態へと戻っていたのだ。

 

「もちろん、トレセン学園所属トレーナーとして、仕事が無いわけじゃないんだが……その、指導する相手が居ないことは事実でだな……」

 

「だから、この覇王に助言を乞いに来たのかい?これは参ったね、流石のボクも、トレーニングを見ていないトレーナーとしての過ごし方など、想像もつかないよ!ハーッハッハッハ!」

 

 鷹木が浮かべている表情が暗ければ暗いほどに、オペラオーの高笑いは朗らかに響く。それは以前までと一切変わらない反応であった、相手がどれだけ落ち込んでいようとも、分かりやすい気遣いなどを示す覇王ではない。

 

 だが、その朗らかさが、聞く者に顔を上げさせ、屈した膝を伸ばして立ち上がらせるだけの活力を投げかけてくることは間違いなかった。

 

「ならば、既に担当トレーナーが居る勇者たちを見に行くのはどうだい?覇王無き後の舞台を彩るのは、彼らの役回りさ!ドトウに、アヤベさん、トップロードくん、デジタルに、そしてシャカール!まだ今年の大舞台は残っているだろう、皆の活躍が待ち遠しいんだ、ボクは!」

 

「それは……そうだな。なんで今まで、そのことが浮かばなかったんだ、俺は。」

 

「それはもちろん、このボクの輝きを忘れられなかったからさ!だが、もう既にボクからの言葉は告げ終えた!さぁ今度こそ行くんだ、素晴らしきトレーナー!忘れないでおくれ、キミの持てる力を、キミが勇敢であることを!」

 

 鷹木は返答しようと口を開きかけたが、オペラオーの高らかな宣言の後には何を付け加えても蛇足であるかのように感じ、頷きだけを返して立ち上がった。

 

 オペラオーは、自分を担当していたトレーナーの目に、ずいぶんと明るい光が戻ってきているのを見て満足げに頷いていたが、鷹木が病室から出ていく時、それでも短く呼び止めるように声をかけた。

 

「キミはボクに、持ちきれないほどのものをくれた。だからキミが望むなら、ボクは何を差し置いてでも、いつでも会おう。」

 

「あぁ、次に会う時は、せめて、頼りない姿は見せられないな。」

 

 振り返った鷹木は、オペラオーが常通りに自信に満ちた笑みだけを浮かべているのを見た。

 

 扉が閉じた後、寂しげな色が目の光の内に浮かんだ様を、オペラオーは彼に見せなかった。

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