マンハッタンカフェ、遂に初勝利を得てメイクデビューを果たす。午前の東京にて行われた未勝利バ戦の一報は、同日、京都レース場に居たダンツフレームのもとにも届いていた。
この時期、新年度の訪れる4月までにはデビューを果たしたいと願うウマ娘は、数多い。
その中の一名に過ぎないカフェであったのだが、彼女のデビューがスマホ画面に流れてくるネットニュースの記事のひとつになっているのは、マンハッタンカフェというウマ娘に向けられる世間の注目が相当なものであることを示していた。
もとより、レジェンド的存在である結城トレーナーによって早々に才能を見出されたウマ娘であり、体調が芳しくなかったためデビュー戦が遅れた分、掛けられる期待も膨れ上がっている。
さらには、同期ではアグネスタキオン一強となりかねない状況を前に、彼女と十分に比肩し得るだけのウマ娘の出現を世間は求めていた。
「凄いなぁ……カフェさんの話題で、いっぱいになってる。」
むろんダンツフレームは同じ日の午後に発走を迎える、きさらぎ賞本番の準備を進めなければならないため、画面を眺めるのはそこそこにしてスマホをしまった。
それでも、マンハッタンカフェがついにデビューしたという事実が世間の話題をかっさらい、同じ日に自分たちが走るレースにはさほど注目が集まらないのではないかという思いは脳裏をよぎった。
発走時刻まで残り数時間となった京都レース場、出走者用の専用出入口へと踏み込みながら、ダンツフレームは顔を振って意識を切り替えようと努める。
「だめだめ、これから走るレースに集中しないと。出るからには、勝ちたいんだもの。」
きさらぎ賞とて、42年前から続いている由緒正しき重賞レースである。
レースのたびに来場する数万人のファンに支えられているウマ娘レースにおいて、レース結果と並んで看過できない要素、世間からの注目度もまた十分すぎるほどのGⅢレース。
出走者も侮れぬ存在ばかりである。OP戦や限定戦をのみ走ってきたとはいえ、1番人気、2番人気のウマ娘は共にデビュー以来無敗であり、連勝を飾っている。
「私も、初めてのデビュー戦は二着だったけれど、デビュー出来てからは負け無しで来てるんだから……今日も本気で行かなきゃ。」
未勝利バ戦、ききょうステークス、野路菊ステークス、と3連勝している点はダンツフレームも同様であり、彼女は今回3番人気となっていた。
現時点で連勝続行中のウマ娘が、1番人気から3番人気を占めていることとなる今回のきさらぎ賞。レベルの高いレース展開が期待されるのは必然である。
……それでも、GⅠレースでの圧勝を見せたアグネスタキオンや、彼女に及ばずとも競えるだけの脚を見せたジャングルポケットの名と比べれば、やはり世間的な知名度はまだまだ届かないのも事実であったが。
自分が今から走るレースから気を散らすわけにはいかない、と意識しつつも、やはりダンツの集中力は途切れていたのだろう。
「あれ?ゼッケンが……ない?」
出走者用の控室、更衣スペースの中で、ダンツフレームは着替えを入れたバッグの中を探り、そして見る間に青ざめていった。
GⅢ以下のグレードのレースでは、勝負服の着用は無く、運動服にゼッケンをつけた姿で走ることとなる。
ゼッケンは出走登録書類が確認された後で出走者に渡されるものであり、当然ながら紛失してしまってはレースに出ることはできない。
「え、えぇと……えぇと!?」
運動服への着替えだけは済ませていたダンツフレームは更衣スペースのカーテンを開き、顔を出した控室の中はガランとして誰もいない。
個々の控室の中には、レース直前の準備をする担当トレーナーや応援に来た仲間が座るためであろう椅子やテーブルが用意されているのだが、今のダンツフレームには専属のトレーナーなど居ない。
がらんとして誰もいない控室の光景は、ますます心細さを助長するものであった。
「おっ、落ち着いて、思い返して……ちゃんとレース場に到着して、すでに出走登録を済ませてある確認も順調に進んで、それからゼッケンを受け取って……」
チームに所属しているウマ娘であれば、単独であったとて担当トレーナーが存在するウマ娘であれば、こういう状況で頼れる存在が心の支えとなる。
どこかにゼッケンを落としたのなら、すぐさま控室から出ていって周囲を手分けして探し回る仲間の存在が心強いだろう。担当トレーナーが、ゼッケンを再度発行してもらうよう交渉に向かうことも出来るだろう。
しかし現状、ダンツフレームに担当トレーナーは居なかった。トレーナー無しでレース場に赴くウマ娘は、不意の事態に遭遇した際の心細さも尋常ではない。
GⅢレースの出走にまで漕ぎつけて、その直前に出走権を失う恐れを突きつけられれば、仮に事態が解決したとしても動揺は大きくレースでの走りに響く。
「どうしよ、どうしよう……廊下を移動してる時に落としちゃったのかも、もしも見つからなかったら、出走登録確認の事務員さんに話を伝えないと……!」
大慌てで控室の扉を押し開けたダンツフレームは、思いもよらず扉の前に立っていた別のウマ娘に激突しそうになった。
勢いよく開いてしまった扉を、そのウマ娘にぶつけてしまわなかっただけ、まだ幸いであった……レース直前に、他の出走者を怪我させたともなれば、もはや出走権を失うどころの騒ぎではない。
既に顔面蒼白となっていたダンツフレームは、相手の顔もマトモに確認する余裕もなく、頭を下げながら謝罪する。
「すっ、すみません!ちょっと慌てちゃってて……!」
しかし、そのウマ娘は、まるでダンツフレームが大慌てで飛び出してくることを予見していたかのように、扉がぶつからないギリギリの位置で立っていた。
それどころか、ダンツフレームの控室前を通行している最中というわけでもなく、まさにダンツフレーム自身に用があるかのように、真っすぐ視線をこちらに向けて待っていたのである。
輝かんばかりの金色の毛並み、アンテナのごとくピンと立った一束の髪、宇宙を封じ込めたかのように深い碧眼……いかに精神的余裕のないダンツフレームでも、その特徴的すぎる外見のウマ娘が何者であるか、気づくのに時間はかからなかった。
「“NEBX”が、道をあけている。“TZK”のピースが“今周期”から欠けることはないよ。」
「ねっ、ネオユニヴァースさん……!?」
ネオユニヴァース。昨年度のクラシック三冠、さらに宝塚記念をクラシック級の年に獲るという前代未聞の戦績を打ち立てたウマ娘、ほかならぬネオユニヴァースがダンツフレームの目の前に立っていたのだ。
相変わらず、その発言は難解を通り越して意味の片鱗すら読み取れなかったが。彼女と難なくコミュニケーションを行えるタキオンが異質過ぎるのかもしれないものの。
そんなことよりも、ネオユニヴァースが手にしているものに、ダンツフレームの視線は吸い寄せられていた。
「そっ、それ、私が今から出るきさらぎ賞のゼッケン……。」
「“ペイロードフェアリング”が“CORD”の隅で『風に乗っている』していた。」
ネオユニヴァースの発言の半分はやはり分かりにくかったが、最後の言い回しだけは何となく理解できた。
出走登録書類や自分の着替えなどを、担当トレーナーの居ないダンツフレームは独りきりで全て持ち運ばなければならない。ごちゃごちゃとした荷物を抱えて控室へと移動する最中、風に飛ばされて廊下の隅にゼッケンを落としていたのだろう。
それを拾ったのが、ネオユニヴァースだったということだろう。存在することをまるで予測されない場所に、不意に現れるこのウマ娘は、今のダンツフレームにとっては天恵そのものであった。
彼女から差し出されたゼッケンを、ダンツフレームはしっかりと受け取って、繰り返し頭を下げる。
「あっ、ありがとうございます!私がぼーっとしているせいで、先輩ウマ娘のネオユニヴァースさんのお手を煩わせてしまって……。」
「“重力圏”に『歪が生じる』を観測したから“MABTE”に見ることが出来た。“SERR”が済んだなら“SISR”だよ。」
「そ、それは、どうも……。」
やはりダンツフレームにはネオユニヴァースの発言が理解できなかったが、彼女がダンツフレームのゼッケンをどうやって見つけたのか、伝えてくれているということだけは分かった。
そもそも、前年度のクラシック三冠かつ宝塚記念覇者……ついでに昨年のきさらぎ賞勝者でもあるネオユニヴァースが、周囲から全く騒がれることなくここに姿を現しているのも少々不自然である。彼女の姿が現れるだけで、黄色い歓声が上がるのは必然だ。
そんな彼女が、偶然ながら出走ウマ娘の控室が並ぶ廊下を訪れ、偶然ながらダンツフレームが落としたゼッケンを拾う。
ダンツフレームにとっては幸運なこととはいえ、出来過ぎた偶然の重なり過ぎている状況のようにも思われた。
……あるいは、ネオユニヴァースは、本来出走できるはずだったウマ娘が出走取消となる可能性を“観測”して、それを阻止するために偶然ではなく意図してこの場所を訪れていたのかもしれない。
未確定の可能性を、まるで既に知っているかの如く走る彼女ならば、それぐらいはやるだろうとも思われた……この場にタキオンが居れば、その仮説を得意げに語り始めていただろう。
いつもながらさほど表情を動かさぬネオユニヴァースであったが、今は少々和らいだ表情を浮かべ、ゼッケンをつけているダンツフレームの様子を見つめていた。
「えぇと、それじゃあ私、これからパドックに出なきゃなので……本当に、ありがとうございます!きさらぎ賞、走ってきますね!」
「マージナルを『気にしない』できているね。“REEN”の渦中に、“GDLK”を贈るよ。」
言葉はさておき、ネオユニヴァースの表情と口ぶりからは、明確にダンツフレームを応援していることは伝わってきた。
ネオユニヴァースによる訪問が、ダンツフレームの精神的な動揺を大幅に和らげたことは間違いない。
パドックに姿を現したダンツフレームは、控室での狼狽振りをすっかり解消して、12名の出走者のなかで3番人気に選出された評価以上の自信と気迫をアピールできていた。
もちろん彼女に劣らぬ佇まいであった1番人気、2番人気のウマ娘の姿も会場を大いに沸かせている。きさらぎ賞は、やはり十分すぎる大舞台であった。
〈枠入りが進んでまいります、今年のクラシック路線を占う一戦のひとつ、きさらぎ賞、GⅢレースであります。今回も楽しみなメンバーが揃いました、連勝に期待の掛かるウマ娘が3名、特に1番人気アグネスゴールドは今世代のGⅠ最強格とも目されるアグネスタキオンに並ぶかとも評されています。さぁ、続々とゲートインが進み、間もなく発走といったところであります。〉
ダンツフレームは一番外側、12枠にてゲートが開く瞬間を静かに待っていた。
担当トレーナーもおらず、中央トレセンから遠く離れた京都レース場には直接応援に来る仲間もいない。
先ほどの動揺を引きずっていては、そこに更に加わる心細さによって大いに集中力も乱されてしまっていたことだろう。
(大丈夫……トレーニングには一生懸命に打ち込んで、本番の条件で何度も何度も練習を重ねたんだから。勝てる。)
昨年度の覇者でもあるネオユニヴァースからの、独特とはいえ応援の言葉を受け取った今は、ダンツフレームの精神面にほどよい余裕が生まれていた。
〈全ウマ娘、ゲートイン完了……スタートしました!全員揃った綺麗なスタートとなっています、京都レース場1800m、その半分にも及ぶ900mの直線が延々と続く独特なスタート位置となっています。さぁまずは誰が先頭へ行くか、まずはフサイチオーレ、そしてウチからアトミックコールか、しかし外の方から押しながらシュアハピネスが先頭に立ちました。2番手にアトミックコール、そして2番人気シャワーパーティーが続く形です。〉
実況でも言及された通り、京都レース場の芝外回り1800mのコースは、前半が長大な900mの直線で構成されている。
その中でもスタート直後から600mは平坦なコースが続くため、先頭で飛ばすウマ娘はみるみるスピードを上げていく。が、それは3コーナーに入る前に上り坂があるため、そこでの減速を見越してのペースだ。
(焦っちゃダメ……1番人気の子は、確実に最後で本気の追い上げを仕掛けてくる。戦えるだけのスタミナを、十分に残さないと。)
今回のきさらぎ賞、1番人気はアグネスゴールドである。
アグネスタキオンの親戚にもあたるウマ娘であり、今でこそGⅠ勝利を果たしたタキオンの方が世間的な知名度は高いものの、こちらもいずれタキオンに並ぶ才能を有していると目される存在である。
最終直線におけるタキオンの追い込み、その加速の凄まじさはダンツフレームも昨年のホープフルステークスにて存分に味わっていた。アグネスゴールドが、タキオンと同等の能力を有しているのならば、生半可な余力では太刀打ちできないだろう。
ダンツフレームは中団、全体の順位で言えばちょうど真ん中あたりの位置で、いつでもコース外側に出られる位置をキープし続けていた。
〈フサイチオーレが早くも上がってきて2番手を奪取、3番手にシャワーパーティーとなりました。アトミックコールは徐々に下げていく、外側からダービーレグノ、間からタイムトゥチェンジが続いています。マイネルカーネギーが中団なかほどの位置、その外に3番人気のダンツフレームが並ぶ形、その後にウチを突いてスギノタイコウ、外に並んでビッグハンター、続く形で1番人気アグネスゴールド、大きく離れて最後方、シルキーファングといった展開であります。〉
今のところ最も警戒されるアグネスゴールドは、大きく離れた最後方のウマ娘に次ぐ、後ろから2番手の位置につけていた。
かなり後ろに下げた位置ではあったが、前を塞がれる心配などしていないのだろう。京都レース場は下り坂と共に3コーナーから4コーナーへと入るため、速度の出た集団は遠心力でばらけるのが常であるためだ。
(2番人気の子は……前の方で頑張ってるけれど、かなりきつそうだね。私は焦っちゃダメ、集中して……仕掛けどころをミスらないように。)
逃げ、先行のウマ娘たちは、スタート直後から今なお続いている直線を走り抜けるため、かなりの速度を維持して飛ばし続けている。
むろん、彼女らもアグネスゴールドの存在を警戒し続けているのだろう。前を行く以上、上り坂やコーナーで失速する前に可能な限りのリードを稼いでおかなければならない。
しかし、互いに先行争いを続けた結果、想定以上のハイペースとなってしまっていた。早くもスタミナが限界近いのか、ウチ側をアトミックコールがじりじりと下がってくる。
〈さぁ坂を上りましてこれから3コーナーといったところ、1番手は変わらずシュアハピネスでありますが、先頭集団はほとんど固まって互いにほぼ差がない状況です。フサイチオーレ2番手、シャワーパーティー3番手、残り800を切りました。中団も徐々に詰まって来たか、ダービーレグノ、タイムトゥチェンジ、そしてダンツフレームが並んでコーナーを回っていきます。さらに外を通ってビッグハンター、アグネスゴールドも外に出した、いよいよ仕掛ける準備といったところでしょうか。〉
3コーナーを回りながらも下り坂となり、坂の頂点でいったん抑え目となったスピードも再び増し始める。
そろそろ前へと向かう位置取りを意識し始めたダンツフレームの、さらに大外のコースを背後のビッグハンターが並びかけてきた。
(だよね、来るよね、ここで……!)
自分が仕掛けようとしていることを見透かしたように並ぶ競争相手も脅威ではあったが、やはりダンツフレームの神経はずっと後ろ、アグネスゴールドの蹄音に向いていた。
直接振り返って見ることが出来ずとも、最も警戒すべき存在の足取りは、殊に響く蹄の音で判別できる。
それに、コーナーを回るほどに近づいてくる観客席からの大歓声……ついに、アグネスゴールドが仕掛けるのだ。
〈さぁ外からアグネスゴールド、アグネスゴールドがここで仕掛けた、ほぼ最後方からぐんぐん上がってくる!いよいよ4コーナーを抜けようといったところ、先頭はまだシュアハピネスでありますが、しかしその外へシャワーパーティー、フサイチオーレ!内からタイムトゥチェンジ、外からダンツフレーム!さらに並んでダービーレグノ!そしてビッグハンター!さらに外からアグネスゴールド!何という熱戦だ!全員がほぼ横並びで直線に向いた!〉
GⅠに及ばずとも、GⅢレース出走ウマ娘の能力、本気の走りの競り合いは、やはり限定戦やOP戦とは比べ物にならなかった。
ダンツフレームは、十分すぎるスタミナの余裕を残し、そして仕掛けどころに遅れることもなく、完璧なタイミングでラストスパートをかけて直線に向いていた。
だが、それは周囲の競争相手も皆同じであった。
(全員が……私と並んで……!?)
4コーナーの出口にて集団が遠心力でばらけやすいこともまた、京都レース場に出走するウマ娘なら全員が前もって学んでいることである。
そのタイミングを狙って前へ出るコースを見出した面々が、ほとんど同時に直線でのラストスパートを開始するのも必然だった。
(作戦勝ちだけじゃ、勝ちを狙えない……本気の勝負!!)
全員が、理想的なペースを成立させている。作戦を成功させている。
自分の能力の限界まで、余力の全てを燃やし尽くす競い合いに、残り404mにて火がついた。
〈ウチ側をシャワーパーティーが進むが、先頭に立ったダンツフレーム!ダンツフレーム先頭、しかし外からアグネスゴールド!外からアグネスゴールド!見事な加速だ、アグネスゴールド!ダンツフレームを交わして先頭に立った!ダンツフレーム食い下がる!ダンツフレーム粘っている!3番手以下のウマ娘たちは、もう届かない!アグネスゴールド!ダンツフレーム!勝負は2名に絞られた!並びつづけている!〉
「アアアァ゛ァ゛ァ゛ッ!!」
ダンツフレームは、自らの胸中から突き上げてくる闘争心に猛らされるかのごとく、吠えていた。
残りわずか、アグネスゴールドには並び続けている。引き離されはしない、もう半バ身前に出られれば、十分に勝てる!
大外から他の競争相手とは桁違いの加速を披露し、完璧な追い込みで上がってきたアグネスゴールド。
彼女が圧勝するだろうという観客席のムードを、ダンツフレームの想定外の粘りが一変させていた。
〈残り200を切った!アグネスゴールド!ダンツフレーム!どっちだ!どっちだ!アグネスゴールドか!ダンツフレームか!両名の後ろは既に2バ身以上開いている、独壇場だ!アグネスゴールドさらに加速!しかしダンツフレーム離されない!まだ食らいつき続けているが、アグネスゴールド、半バ身のリードのままゴールイン!勝ちましたのはアグネスゴールド、無傷の連勝記録が続行中です!〉
レース場全体に轟く喝采の中、ダンツフレームはアグネスゴールドに並んだまま、ゆっくりと減速していった。
アグネスゴールドもまた走りを緩めながら、大きく観客席に向けて手を振っている。
親戚のタキオンと比べれば、こちらは随分と明るい性格であるらしい。レース出走者の中でも圧倒的な能力を示したアグネスゴールドであったが、自分に本気で食らいついてきたダンツフレームの方をも振り返り、屈託のない笑顔を見せた。
一方のダンツフレームは、最終直線の走りで精魂を燃やし尽くしたかのような心持ちで、観客席を眺めていた。
ちらほらとダンツフレームに向けても激走を讃える声が飛んできていたため、笑顔を作っては手を振り返していたが、大多数の賞賛はもちろんアグネスゴールドへと向けられている。
「……あとちょっと、届かなかったな……。」
レース後の休息とウイニングライブの準備のため、控室へと戻ってきた後も、暫くダンツフレームは半ば茫然とした状態で着替えを続けていた。
心の中は空っぽのようであり、と同時に大舞台での力走を披露できた直後の巨大な感情に占拠されているようでもあり、整理がつかなかった。
レースを終えて戻ってきた彼女を、迎え入れる担当トレーナーの存在があれば、あるいは応援に駆けつけてくれる仲間が居れば、ダンツフレームの胸中を受け止め、言語化してくれる相手もいただろうが、控室の中でダンツフレームは独りきりだった。
「“METI”良い走りだった、スターフルイドの中で『強く輝く』していたね。」
「わっ!?」
茫然自失の体であったためか、控室の扉を開きっぱなしにしていたダンツフレーム。
彼女にそのことを警告することも兼ねてか、またしてもネオユニヴァースが廊下にたってこちらを覗き込み、そしてネオユニヴァースなりの賞賛の言葉を口にしていた。
着替え途中だったダンツフレームは慌てて衣装のボタンを閉めながら、赤面しつつ返答する。
「ど、どうも、ありがとうございます、ネオユニヴァースさん……。」
「大きな“REEN”を感じたよ。そして、ダンツフレームに『情報伝達』がある。」
ネオユニヴァースは、スマートホンを手元に構え、画面だけをダンツフレームに見せる。
控室の中に入らなかったのは、レース出走前後に、出走者自身のスマホを持ち込むことが禁じられていたためだ。外部との連絡を取る必要がある場合は、付き添いのトレーナーや仲間のウマ娘が通話を行うほかにない。
廊下に立ったままのネオユニヴァースの構えるスマホ画面は少々遠かったものの、そこに映し出されている存在、そして声は充分に個性的であったためすぐに誰が通話を行っているのかは分かった。
アグネスタキオンは、トレセン学園にて常通りにレース観戦をしていたところだったのだろう。かなり興奮した様子で、喋りまくっていた。
〈やぁやぁダンツくん!初の重賞おめでとうと言いたいところだったが、惜しい所でアグネスゴールドくんに先着されてしまったねぇ!しかし、最後の君の走りはレース結果をひっくり返すほどではないかと思われるほどの可能性を秘めていたよ!ついては京都から帰ってきてすぐに、私の研究室に来てくれないだろうか!キミのように都合の良い、いや将来性のある実験台、いや協力者はなかなかに得難いものだからねぇ!〉
「あ、あはは……じ、時間が空いてたら、ね……。タキオンちゃんも私の走り、見ていてくれたんだ、ありがと。」
タキオンからの誘いに乗るか否かは別の話として、独りきりで京都レース場にて戦っていたダンツフレームは、ようやっと自分の走りを後押ししてくれる存在を実感したような思いであった。