探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 アグネスタキオンというウマ娘を担当することは、彼女の抱える脚の不安と向き合いながらもトレーニングメニューについて熟慮することのみならず、予測のほぼ不可能なタキオンの振る舞いを前に対処の用意を常々より可能な限り済ませておくことにも難しさが見いだされるものである。京都記念という一大レースが近づくにつれ、まだクラシック級のタキオン自身は出走しないものの、彼女が周囲を巻き込んで共に観戦する相手を求めることは予測された。そんな日の朝、鷹木の身にまたも予想外の現象が起きることとなる。


光り得るは、現ならず

 マンハッタンカフェやダンツフレームら新たな世代のウマ娘たちがレース本番での活躍を見せている一方、2月の中旬を過ぎてシニア級ウマ娘たちの舞台も再び幕を開く。

 

 京都記念、2月16日。昨年の末に世間からはそろそろ引退されるのではないかと評されながらも、現役続行の意を表したナリタトップロード、そしてアドマイヤベガが出走する今年最初のレースである。

 

 自分の担当ウマ娘が出走するわけではない鷹木であったが、その日は朝目覚めた瞬間から警戒心が自ずと尖ったままであった。

 

「今度は、タキオンが誰を観戦に巻き込むつもりなのか……。」

 

 アグネスタキオンは、レースの中継観戦を行う際、ほぼ常に誰かしら同期のウマ娘、時には先輩のウマ娘にも絡みに行き、共にレース観戦を行おうとするのが恒例となっていた。

 

 むろん、ビッグレースが行われる日に、自分のトレーニングを一旦中断してでも観戦したいと望むことは他のウマ娘においても決して珍しい習性ではない。

 

 とはいえ、アグネスタキオンの場合は……レース観戦中、自分以外のウマ娘を観察対象とすることもまた目的に入っているのか、担当トレーナーたる鷹木とふたりきりでの観戦で済ませることは今のところほぼ無かった。

 

「あらかじめ誰と共に観戦するつもりなのか連絡を入れておいてくれれば、こちらもトレーニングメニューの調整がつきやすいんだがな。」

 

 タマゴやハムを挟みこんだサンドイッチという、手軽かつほぼ毎日同じ朝食を齧りつつも、鷹木は片手でタブレット画面を操作し、今日行うタキオンのトレーニングスケジュールを確認していた。

 

 以前決めた方針の通り、直線とコーナーにて走り方を切り替える必要なく攻略できるタキオンの長所を生かすため、コーナーを走る際の遠心力に関わる体重を抑える必要がある。

 

 筋肉を増量しすぎないようにすると同時に、本気の走りに体格が耐えられるだけの筋力を維持するため、トレーニング時にどの程度の負荷を掛けるべきか、細心の注意を払わなければならない。

 

 練習で走る際も、本番と同じ条件で走りを繰り返していれば、脚にかかる負荷が左右のいずれかに偏ってしまう。弥生賞に向けて練習を続けているタキオンの場合は、右回りコースでの走りを繰り返しがちとなることにも留意すべきであった。

 

 タキオンとて、それらの懸念事項は理解していただろうが、それでも自らの好奇心や探求心を優先する彼女が、鷹木の作ったスケジュール通りに従ってくれるかと言われれば望み薄であった。

 

「仕方がない、他の子を練習場に連れ込んでくるのであれば、一緒にトレーニングにも参加してもらおう。俺がチームトレーナーではない以上、練習相手が居る環境自体が貴重なんだから。」

 

 鷹木は半ばあきらめ顔で首を振りながら、洗面台へと向かう。

 

 テイエムオペラオー、そしてアグネスタキオン、と戦績に秀でたウマ娘を立て続けに担当することとなった鷹木。が、担当の戦績はあくまでウマ娘自身の能力が飛び抜けているが故である、という言説に今のところ反論の余地はない。

 

 自身のトレーナーとしての能力が認められ、ウマ娘チームを任せられるようになる日はまだまだ遠そうだ……と考えながら洗面台で歯ブラシを手に取り、鏡を見た鷹木は暫し硬直した。

 

「……俺の歯、なんか光ってないか?」

 

 トレセン学園トレーナーの朝は早い。まだ日が昇りかけたばかりの薄明りが窓から差し込んでくる洗面所、鏡に映った自分の姿の中でも確かに歯だけがやけに白く、くっきりと見えていた。

 

 以前、タキオンに妙な液体を飲まされた時の、ふたつの記憶が次々に蘇る。

 

 1度目にはうっすらと爪の先が光を帯びている程度だったのが、2度目には両手全体がハッキリと発光していた。いずれも目覚めて数分で消えてしまったため、今となっては日々の多忙もあり、寝ぼけて夢の延長を見ていたのだとまで感じていたのだが。

 

 そして今、鷹木の歯はぼんやりと白い光を放っている。洗面所のブラインドを閉め、窓からの光を遮断すればますますそれは明瞭な現象となった。

 

 歯だけではない、眼球の白目の部分も、暗がりの中に浮かび、鷹木の動揺そのままに鏡の中でぱちくりと瞬きしている。

 

「なっ、なんだ、これ……タキオンの奴、また俺に何かしたのか?」

 

 しかし、あれ以降、タキオンから変な薬品のようなものを飲まされてはいない。もちろん、タキオンも鷹木が警戒するだろうと考えているためか、無理に勧めてくることもない。

 

 が……だからこそ、鷹木の内面での焦燥は募った。前日に何も変なものを口にしていないにもかかわらず、未知なる現象が我が身に起きたとなれば、恒常的な異変が鷹木の身体に残留していることになる。

 

「さすがに、これは校医さんに診てもらおう……来月にはタキオンの弥生賞があるってのに、大事な時に俺が病気で倒れてたらダメだ。そのタキオンが元凶なのかもしれないけど。」

 

 それに、何よりも以前よりはずっと、症状が現実的である。

 

 前回の件では、「自分の両手が蛍光灯みたいに光り輝いていた」……などと医者の前で説明する自分の姿を想像したことが、鷹木がトレセン学園の医務室に向かわなかった主たる理由であった。

 

 鷹木は自分の両頬をぴしゃぴしゃと叩き、自分が寝ぼけていないこと、白目と歯が薄っすらと発光していることが夢ではないことを改めて確認した。

 

 タキオンには、諸事情で自分の練習場への到着が遅れるから先にウォーミングアップを始めておくよう旨を送信し、鷹木はトレセン学園の医務室に向かう。

 

 深夜に急な症状に襲われるウマ娘や、早朝から自主練に励むウマ娘たちの万一に備え、24時間常にスタッフが詰めている医務室。

 

 ちょうど夜勤からの引き継ぎ業務を終えたばかりだったのか、鷹木が扉を開けた向こう側では白髪の校医が湯気の立つコーヒーのカップを手に椅子に座ったところであった。

 

「おや、鷹木トレーナーじゃありませんか。アグネスタキオンさんが、どうかなさいましたか?」

 

「いえ、今日はタキオンについての件ではないんです。」

 

 担当ウマ娘を出走させるたび、神経質なまでに精密検査を依頼してくる鷹木の顔は、もはや見るだけでアグネスタキオンの検査へと思考が直結するほどになっていたらしい校医。

 

 まだ2戦しか出走していないとはいえ、もはやアグネスタキオンはホープフルステークスの勝ちっぷりが世間に知れ渡り、次世代のGⅠウマ娘のなかでも活躍間違いなしとの評も得ている。

 

 そんなタキオンに異変が見いだされたのか、と校医の表情には若干の緊張が走っていたのだが……担当ウマ娘ではなく鷹木トレーナー自身が身体を診てもらいたがっているのだ、と知ると途端に表情は和らぎ、コーヒーを啜りながらの聴き方となっていた。

 

「……それでですね、歯を磨くために洗面台に向かって鏡を見たら、自分の歯がやけに白い色に浮き上がってるように見えまして。実際、部屋を暗くしてみたらはっきりと白く光っていたんですよ。」

 

「はぁ、そうですか。ちょっと口を開けて見せてください、今はどんな感じですか?」

 

 一応は手元に口腔内を見るための検査鏡を引き寄せつつも、校医は鷹木の口の中を覗き込み、すぐに小さく頷きながらコーヒーを啜る作業に戻った。

 

「問題はなさそうですな、虫歯も無ければ、歯列の歪みも無い、喉の奥が腫れている様子もない、健康そのものです。」

 

「いや、そういう点で見てもらいたいんじゃなくってですね、歯が光ってるだなんて現象がおかしいってことなんです。歯だけじゃない、白目の部分も同じぐらい光っていて……」

 

「今は、そういった現象は見られませんな。しかし実際に光っていたとしても、心配するほどのことはありません。現代においては、特に派手な色の飲料や菓子なんかには蓄光成分が含まれている場合がありましてな。」

 

 鷹木があまりに執拗に食いついてくるので、若干面倒に感じつつも校医は目の前のキーボードを叩き、モニターに画像検索結果を示す。

 

 そこには、ブラックライトで照らされた部屋の中で、たしかに鷹木が言った通り、人物の歯や白目の部分だけが浮き上がっている写真がずらりと並んでいた。

 

「こういったパーティー会場で、歯ばかりが光っているのを見てびっくりする人もおられますが、普段から飲み食いするもので蓄光物質を摂取していれば十分にあり得ることです。鷹木トレーナーも、そういった蛍光色の駄菓子なんかを口になさったんでしょう。」

 

「いえ、自分は普段から必要な栄養価の摂れる食事以外、あまり口にすることはありませんが……」

 

 それはトレーナー試験に向けて勉強漬けとなっていた学生時代から、ずっと続く習慣であった。ウマ娘のトレーニングに付き合えるだけの健康を、トレーナー自身も有していなければならない。

 

 炭水化物とタンパク質を中心に、ビタミン、カルシウム、ミネラル……それらを時間のない中で、他の作業をしながらも一括で摂取できる手段を探った結果、朝食は具を分厚く挟んだサンドイッチと牛乳ばかりとなっていた。昼食も夕食も変わり映えのしない、見ていて退屈な、健康には良い内容である。

 

 だからこそ、駄菓子屋で購入できるものを混ぜ合わせたと称する蛍光色の液体をタキオンから飲まされた際に、酷い胸灼けに襲われたのであったが。

 

「……タキオンから実験と称して、妙にどぎつい甘さの蛍光色の液体を飲まされたことはあります。」

 

「あぁ、その蓄光成分が原因でしょうな。現状、先ほど見せていただいた口腔内にも異状はないですし、顔の血色も健康そのものですし、気にすることはないでしょう。」

 

 割と深刻な悩みだと感じていた鷹木は、あまりにもアッサリと話題が流されそうになっている今、口にすべきか否か迷っていた内容までも校医に告げようと決断した。

 

「その、実は、以前タキオンから変な液体を飲まされた翌日、指の爪先が光っていたり、両手が光っていたりするという現象に見舞われたこともあるんです。それも、別に異常ではないと……?」

 

「そりゃ歯が光るぐらいですからな。それに、朝起きたばかりであれば、瞳孔が縮んでおらず過剰に視界が明るく見えてしまうということも影響するでしょう。あるいは単に、慣れないものを口にしたために変な夢を見ただけかもしれませんな。」

 

 やはり、校医からの返答は素っ気ないものであった。既にコーヒーを啜り終えて、その日入っている検査依頼に目を通す作業を始めている校医。

 

 結果的には怪我も病気もなく、健康体そのものである鷹木が、これ以上彼の仕事時間を邪魔することは出来なかった。

 

「……それでは、自分は特に異常なしということで……お騒がせしました。」

 

「まぁ、担当ウマ娘さんの提案に付き合うのもほどほどに、ですな。蔑ろに出来ないのはわかりますが、それが原因で調子を崩していては本末転倒ですから。あなたも良い大人なんですし、妙なものを無警戒に飲み食いせんことです。」

 

 自分の両手が光った件を診察してもらうか否か迷っていた時、鷹木が医者から言われるだろうと予想していた通りの言葉をそのままに告げられながら、彼は医務室を出て扉を閉めた。

 

 やはり考えすぎだった、と小さい溜息をついて自分の胸中に残るわだかまりを無理矢理流し去り、練習場の方へ行こうと向き直った目の前に立っていたのがアグネスタキオンであった。

 

「うわっ……タキオン!?練習場で待ってるように伝えたはずじゃないか。」

 

「あぁ、1秒ほど待っていたとも。だがトレーナーくんが医務室に向かったのを目撃してしまったから、つい心配になってきてしまったんだよ。」

 

 タキオンに居るよう告げた練習場から、医務室へと続く廊下は見える位置に無い。

 

 鷹木が練習場に来るのが遅れると知った時点で、アグネスタキオンは彼の身体に異変があった事を察していたのだろう。確かに、いつもタキオンが来るのを待つ側であった鷹木の方が、タキオンより到着が遅くなることなど担当開始して以来、初めてのことであった。

 

「それで、だ!ちょっと扉の前で聞き耳を立てさせてもらっていたんだがねぇ?今朝は歯と目が光っていたんだそうだねぇ!」

 

「最初から全部聞いてるんじゃないか。ウマ娘の聴力なら丸聞こえだったかもしれないが……。」

 

 実に嬉しそうな表情を浮かべながら、鷹木の顔を覗き込んでくるアグネスタキオン。例によって、既に鷹木の身体の発光現象は収まっており、実際に光っている様子を彼女が見ることは出来なかったが。

 

 それでも……鷹木はやはり、アグネスタキオンのノイズの走ったような目の中に、落胆の色は見いだせなかった。

 

 以前、自分の両手が光っていたと告げた時も、その様子をスマホ等で撮影していなかったことについて、タキオンは口先では残念がっていたものの、心の底にはなぜか安堵を抱えているようであった。

 

「それにしても、医者というものは夢の無いことばかりを言うものだねぇ!単なる蓄光成分に過ぎないだの、瞳孔が開いていたから明るく見えただけだの、あげく変な夢を見たんだろうだの、実に現実的で、つまらない憶測じゃないか。本来発光しないはずの生物が発光していること、その現象を事実と認める所から探求は始まると思わないのかねぇ!」

 

「そりゃ医者なんだから、現実的なことを喋るのが仕事だろ。もう、この件はいいから、今日のトレーニングを始めるぞ。開始時刻が遅れたら、それだけスケジュールが押してしまう。」

 

 鷹木はタキオンを急かしつつ、練習場へと歩を速める。

 

 むろん言葉通り、本来既にウォーミングアップを進めているはずのタキオンが医務室の前にいたため、トレーニング開始予定が遅れてしまっているという理由もある。

 

 が、やはりタキオンがその好奇心とは裏腹に、鷹木の発光現象を事実として確認できなかったことをむしろ安堵しているらしい内心には、触れるべきではないと感じたためでもあった。

 

 彼女の普段の振る舞いとの明確な齟齬、そこにタキオンが表に出さない本心が隠れていることは間違いなかった。

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