探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 京都記念を観戦してすぐの時には表情こそ繕えていたが、アグネスタキオンも少なからずショックを受けたらしかった……1年前と全く同じレース展開が、現実に発生したという事実には。しかし今年でしか起きないはずの出来事が確かに存在するのもまた事実であり、鷹木もタキオンも現状を正確に把握しきれていない。そもそも自分たち以外に異変を把握している者が居ない今、互いに出来ることは混乱した思考を寄せ合って確かめ合うことばかりであった。


解のあるべからざる、架空ではない課題

 アグネスタキオンから、スマホに通話が入ったのはその日の夜遅くのことだった。

 

 京都記念のレース中継を見終えて、ダンツフレームと別れた後もしばらくタキオンは鷹木と共に練習場に居て、ほとんど気を紛らわせるためだけのトレーニングを続けていたのだが、お互いにほぼ無言のままであった。

 

 鷹木もタキオンも、今しがた見たばかりの京都記念について気づいたことについて、易々と口に出すのを畏れていた。結局、タキオンとは最低限の言葉だけを交わしたのみで、各々の寮の自室へと帰ったのだった。

 

 タキオンは、あの中継を見終えてすぐ独りきりになることに怯えているのだろう……いつも鈍い鷹木も、さすがにそれは読み取れていた。

 

 画面に「アグネスタキオン」との発信者名が表示されているのを確認しつつ、鷹木は通話ボタンをタップする。時刻は既に、日付が変わる直前であった。

 

「……話か?タキオン。」

 

「あぁ。少しばかり、ね。」

 

 耳に当てたスマホのスピーカーから流れてくるタキオンの声は、今まで聞いたことの無いような響きであった。

 

 そもそも、タキオンとこうして通話越しにやり取りすること自体が初めてだった。彼女は大抵、スマホ経由では素っ気ない短文メッセージを送ってくるばかりで、実際に会わなければマトモに応答してくれない……一度喋りはじめれば、怒涛の勢いで喋りまくるのだが。

 

 が、今のタキオンは、自分の顔を直接見せることなく鷹木と会話する手段を選んだのだろう。言葉を選んでいるのか、あるいは通話を掛けたは良いものの切り出し方を見いだせないのか、暫しの沈黙が続く。

 

 静かな中とはいえ、鷹木なりに思考をフル回転させたうえで、彼はタキオンのスイッチが入りやすい領域を刺激することにした。

 

「こうやって通話で喋るのは、なんだかんだ初めてか。なんか、いつもと声が違う感じだな。」

 

「おや、知らないのかいトレーナーくん。スマホ等の通話においては本人の音声がそのまま届くのではない、音源とフィルタに分解されたうえで、発話者の音源に最も近い音声波形を固定コードブックの参照によって作り出しているのさ。可能な限り元に近い音源を再現するよう改良は重ねられているが、あくまでも本人の声ではないということだねぇ。」

 

「そっか、じゃあ俺は今、タキオンにそっくりな音声を聞かされてるってことになるんだな。」

 

 気持ちの沈み切っていた最初の声とは全く異なり、急に饒舌になったタキオンの声は、やはりいつも鷹木が聞き慣れた声そのものであった。

 

 と言っても、そのことはタキオンに伝える気はなかった。直接会って向かい合うことなく、ここでは通話越しでの会話をタキオンが望んでいるのだ。

 

 タキオンそっくりの人工音声と会話している、という建前を置いた状態の方が、よほど彼女も喋りやすかったろう。

 

「……トレーナーくん。再度の確認となるが、まず聞いておきたい。本日の京都記念は、確かに昨年度と全く同じ展開になっていたね?」

 

「…………とても信じられないんだが、その通りだ。」

 

 いざ、自分が返答すべき状況になると、鷹木の方が言葉を発するのに多大な勇気を要した。

 

 京都記念の中継観戦を終えて、何も気づいていない様子のダンツフレームが帰り、そしてタキオンとも別れてトレーナー寮に戻った後……鷹木が真っ先にしたことは、トレセン学園のデータベースにアクセスすることであった。

 

 去年の京都記念の結果と照らし合わせれば、すぐにわかることだった。

 

 ビッグゴールドがレース直前に出走取消したこと、ナリタトップロードとマチカネキンノホシが大接戦で一着争いとなり、アタマ差でトップロードが勝利したこと。アドマイヤベガは、コースのウチ側から追い上げたものの先頭から約1バ身差を付けられ三着となったこと。

 

 だが、それらの情報はデータベース上に残っていなかった。正確には、昨年の京都記念のレース結果を載せているはずのページが存在しない、というべきだったが。

 

「トレセン学園、URA公式のデータベースを漁っても、確認できなかったんだが……俺の記憶では間違いない、ちょうど1年前の京都記念も、今日のレースと全く同じ展開を辿っていたはずだ。」

 

「私も記憶している、当然ながらトレセン学園に入る前から、あらゆるウマ娘レースはチェックしていたのだからねぇ。しかし昨年のレースの記録が公式にも残っていないというのは、どうしたことだろうねぇ。」

 

「分からない、単にアクセスが集中しすぎて繋がらないだけなのか、機器のトラブルか、管理側が誤ってデータ削除したのか……いや、とはいってもGⅡレースの記録なんか、そうそう消えるはずないんだけどな。」

 

 あらゆるウマ娘の軌跡を永久に記録すべく、トレセン学園のデータベースには中央はもちろん、地方開催のレースについても結果や映像が集積されている。果ては、一定以上の規模で開催された野良レースまでも、記録の希望があればアーカイブに追加される。

 

 そんな中で、URA主催となる中央ウマ娘レース、それもGⅡ、60年前から続く由緒正しき重賞レースである京都記念の昨年のデータが消えるなどということは、まずありえない現象のはずであった。

 

 鷹木は同時に、ウマッターなどのSNSにて世間一般のつぶやきにも目を通してみたが、この件を明確に異変として判断している声は無かった。ほとんどが京都記念での熱戦を語り合っている者たちばかりで、昨年と同じ着順であることについて言及しているものはない。

 

「そりゃあ、昨年と同じ着順になることは、全くの偶然というわけでもないだろう。一種の必然だ、1年前と同じコースで、同じ実力を有する、同じ出走ウマ娘たちが競っているのだからねぇ。」

 

「……なぁ、今さらなんだが、前年度の開催時と全く同じ出走ウマ娘だけが集まったレースって、いまだかつて有り得たのか?」

 

「私に聞かないでくれたまえ、むしろトレーナーくんの方が詳しいはずだろう、既に明確に答えは出ているはずだろう……そんなことは、まずありえない、と。」

 

 レースへの出走ウマ娘は、出走条件を満たしたウマ娘の中から、個々のウマ娘自身の判断、そして各々の担当トレーナーの判断によって決まる。

 

 むろん出走枠にも上限があるため、出走資格を有したウマ娘が全員出られるわけではない。

 

 京都記念の場合は、地方トレセン出身ウマ娘や海外ウマ娘は優先出走権を有する者だけ、中央トレセン所属ウマ娘の中でも続くGⅠレースの前哨戦として勝てる自信がある者ばかりである。

 

 その年の出走スケジュールや、身体の状態に応じての判断など、様々な条件が重なる中で1年前ときっかり同じ出走ウマ娘が顔をそろえることは、前代未聞……いや、非現実的であった。

 

「……だよな。去年とまるきり同じレース展開だってことには気づけていたのに、去年と全く同じ出走ウマ娘が揃っていることについては、なんで驚かなかったんだろう、俺たち。」

 

「さてねぇ。だが、現状の世間と同じなのかもしれないねぇ。去年と全く同じレース結果となっている点に、誰も驚かず、気づいてすらいない現状と。」

 

 タキオンと共に状況を整理するごとに、世間一般のみならず自分たち自身の認識までもが、正確な現状把握を逃していることに気づいてきた鷹木。

 

 とはいえ、現実になってしまっている結果で、それを信じないでいるのが困難であることもまた事実であった。

 

「トレーナーくん。何故だと思う?」

 

「何故、って……?」

 

「世間や我々の認識が、先ほどの不自然さを把握できていなかった件についてはこの際、脇に置いておこう。去年とレース展開、レース結果までもが全く同じになってしまったことについては、何故だと思う?」

 

 もちろん、鷹木は答えられなかった。

 

 非現実的なまでの偶然が重なった結果とはいえ、昨年と同じ条件で開催されたのなら、同じレース結果が出る確率はゼロではない。しかし、ナリタトップロードも、マチカネキンノホシも、アドマイヤベガも、そして他の全ての出走ウマ娘たち、各々が一年間かけてトレーニングを積み続けてきたのだ。

 

 全ての出走ウマ娘が全く同量の鍛錬を積んだとしても、少なくとも着順が出るまでのレース過程については変化があっていいはずだった。

 

 鷹木は、ごく率直に答えた。今は、タキオンが語ろうとしている仮説に余計な不純物を加えたくなかった。

 

「分からない。」

 

「私は可能性世界という表現を使ってきたが、この際わかりやすく『運命』という非科学的な用語を使おうか。我々ウマ娘のレース結果は、何者にも予測し得ない。だが、運命とやらが実在するならば、そこに定められた通りのレース結果へと導かれるのではないか?」

 

 それは幾度となく、タキオンから伝えられてきた内容である。

 

 彼女が自分以外のウマ娘の走りへ異様なまでに執着し、自分は出走せずとも世間を賑わせるレースならば欠かさず観戦してきたのは、レース結果が間違いなく出走ウマ娘自身の脚によって導き出される結末であることを、確認するためだったのだろう。

 

 だからこそ、今、鷹木に通話を掛けてきたタキオンの声は、これまでになく沈み切っていた。

 

 ウマ娘たちが走る軌跡、彼女らの戦績が、運命、タキオンが言うところの可能性世界によって既に定められていた……など、トレーナーの立場からも決して認めたくはない仮説である。

 

 だが現に、京都記念は去年と今年で、全く同じ、微塵も差異の無いレース展開を示した。定規で引いたかのように、全ての出走ウマ娘が昨年と同じ走りを見せたのだ。

 

 信じたくない懸念を振り払って、鷹木は、可能な限りすぐに返答した。それでも、一拍の沈黙は生まれたが。

 

「そんなはずはない。俺たちトレーナーは、担当ウマ娘のトレーニングを一番近くで見続けて、その上でレースに送り出すんだ。勝敗は結果が出るまで分からないし、勝因や敗因は、トレーニング傾向から分析することも出来る。」

 

「レースの中だけじゃない。ウマ娘がどのレースに出走して、どのレースを回避するか。レースで活躍するにしても、芝とダートの選択、短距離路線、マイル路線、ティアラ路線、クラシック路線……どの道に進むのかさえ、運命によって定められているのではないかと、思わぬこともないねぇ。」

 

「そりゃもちろん、担当するウマ娘の適正を吟味して、判断するんだ。担当トレーナーが居ない子は、自分の走りを自力で分析して、得意分野を割り出すことになるし。」

 

 鷹木はタキオンに向けて言葉をかけているつもりでありながら、まるでもっと大きな、この世の摂理に対して反論しているような気分になっていた。

 

 優れた能力のウマ娘は、よほど得意分野が絞られてでもいない限りは、大抵のレースに出て勝利することが出来る。特定のレース場でのみ勝てる、特定の距離でのみ勝てる、といったウマ娘の方が多いことは事実だが。

 

 タキオンの前に鷹木が担当していたテイエムオペラオーは、芝2000mから3000mまで、数々のレース場に対応してグランドスラムを獲った。常にオペラオーの背後、二着を獲り続けていたメイショウドトウも同等の能力を有していたことは間違いない。

 

 変幻自在のオールラウンダーことアグネスデジタルは、ダートと芝の両方、国内と海外を問わずGⅠ勝利を挙げている。すなわち、こうしたウマ娘たちにはレースを選ぶ幅があるのだ。

 

 何によって出走レースが決まったか……細かな話を言えば、日程や他のレースとの兼ね合いなども関わってきたが、そうした全てが合わさってウマ娘の戦績という歴史が刻まれることを、運命と称するのは自然なことであるようにも思われた。

 

 沈思している鷹木の傍らで、タキオンはまた脈絡もなく異なった切り口からの話題を持ち出した。

 

「サイレンススズカ。彼女のことを、知っているかい……いや、トレセン学園のトレーナーなら、聞くまでもないねぇ。」

 

「当然だ。」

 

 あまりに唐突に出てきた話題ではあったが、その返答に多くの言葉は要らなかった。

 

 抜きん出て並ぶ者無し、この言葉は彼女のためにあると言ってよかっただろう。ウマ娘レース界の至宝とも称されるべき存在、サイレンススズカ。

 

 逃げて差すと評された走りを身につけた彼女は、古今東西あらゆるウマ娘を集めても決して真似できない、天性の才能が弛みなき鍛錬で磨き上げられた絶対的な速さそのものであった。

 

 5年前の秋の天皇賞、沈黙の日曜日と呼ばれたあの日、彼女に降りかかった運命を悔やみ、憾まなかった者は居ないだろう。全世界が運命の神の名を呪っただろう。

 

「当然ながら彼女は走り続けているべきだった、彼女が走ることは全世界から望まれていた。サイレンススズカに関わる者たちは、彼女が走れなくなる可能性を完全に排除しきっていたはずだった。」

 

「あぁ。どれだけ、怪我の恐れが無いことを事前に確認していても、常識を超えた速度によってウマ娘の脚にかかる負担は、想定を超えていく……」

 

「いや、それすらも想定できていたはずだねぇ。何といってもサイレンススズカのことを最も近くで見ていた担当トレーナーが、居るはずなのだから。」

 

 言葉を遮ったタキオンの目が、自分の顔を真正面から見つめているような心持ちを鷹木は味わっていた。実際は、スマホ越しに声が響いていただけなのだが。

 

 現状の鷹木も、タキオンの速度が彼女の骨格に負担をかけるリスクを承知の上で、レースへと送り出している。

 

 トレーナーがいかに懸念を並べ立てても、走らずにはいられないウマ娘の本能を消し去ることは出来ないのだ。

 

「そう、5年前のことだ。思い返すに、私も幼かったねぇ、サイレンススズカというかけがえのない至宝を、ウマ娘レース界から奪い去った運命とやらを、大いに呪い、恨んだものさ。」

 

「……全てのトレーナーにとっても、同じ思いだった。いや、もちろん、現在のサイレンススズカは無事だけどな。骨折も治って無事に退院して、時々、スペシャルウィークたち黄金世代の仲間と会っているらしい。」

 

「それは良いことだねぇ。さておき、誰も望んでいないのにウマ娘の選手生命を唐突に断つ運命なるものを、己の意思で退けることが出来れば……そう私が考えずにいられなかったこと、理解してくれるかい?」

 

「あぁ。」

 

 通話越しのタキオンには見えるはずもないのに、鷹木は深く頷いていた。

 

 今までのタキオンの言動を繋ぎ合わせれば、何とはなしに見えてきていた意図でもあった。自身の、いつ壊れるとも知れぬ華奢な脚が抱える不安を解消するためだろう、と鷹木は単純に考えていた……タキオンが奇妙な探求を開始したきっかけを話してくれたのは、これが初めてだった。

 

 道半ばにして、レースで輝くという夢を運命に奪われるというのはむろん他のウマ娘にも起こった出来事である。ケイズドリーム、そしてタガノテイオー。彼女らもまた走り続けることを望まれながら、唐突に引退せざるを得ない故障をその身に得てしまっている。

 

 勝てる運命ならばまだしも、勝つことのできない運命、走ることの出来ない運命というものが定められているとしたら、何が何でも払い除け、新たなる道を切りひらきたいと考えるのは自然であった。

 

 しかし……運命は退けられるどころか、むしろごく明瞭にウマ娘の走る軌跡を定めて見せたのだ。

 

 京都記念は、確かに去年と今年、全く同じレース展開となった。まるで、どこか別の世界で既に決まってしまった結果を、そのまま再現するかのごとく。

 

「京都記念に纏わる奇妙な現象の解明は、難航しそうだねぇ。さて……私は来月、弥生賞に出走する。私は確かに、私自身の脚で、レースに勝ちに行く。少なくとも、そのことに間違いはないね、トレーナーくん?」

 

「間違いなどない、タキオン。タキオンが出走する弥生賞は、今年にしかありえない。レース本番での作戦も、俺とタキオンで決めたものに他ならない。最後に勝つために走り抜く速さは、トレーニングを重ねた成果に違いない。」

 

「心地良い言葉は信じない性質なんだがねぇ……まだ語りたい内容は蟠っているんだが、もう夜も遅い。寝不足になるわけにもいかないからねぇ。」

 

 時計を見上げれば、既に時刻は深夜1時を過ぎようとしていた。

 

 一昔前の鷹木ならば、さっさと通話を切り上げて寝るように急かしていただろうが、今はタキオン自身から告げられるまで時間の経過に気づかなかったのだ。

 

「うわ、本当だ。早いところ寝ないと、タキオン。俺も一緒に寝不足になる所だった。」

 

「まったく、この現実世界の摂理が揺るがされようとしているというのに、気楽なものだねぇトレーナーくんは。……むしろ安心させられたよ、おやすみ。」

 

 タキオンが言い終わると同時に、通話は切られた。

 

 練習データをまとめる途中だったパソコンでの作業を急いで進めながら、鷹木は脳の奥に理解しきれない混乱がこぢんまりと転がっているのを感じていた。

 

 それは一旦ほどいて展開すれば、気づいてしまったことを後悔する困難に直面する類の無理解でもあった。鷹木は寝床について睡魔に包まれるまで、極力それに意識を向けぬよう努め続けていた。

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