探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 信じられぬ現象を認識させられた京都記念の日から一夜明け、早くも鷹木には例の非現実的な異変が存在したことを信じる思いが薄れてきていた。朝を迎えればこれまで通りにトレーナーとして出勤し、担当ウマ娘のトレーニング指導を行う……その日常に変わりはない。が、己を探求者たる存在として確固たる意地を有しているアグネスタキオンは、鷹木に異変を忘れさせることを許さなかった。


理解を望めばこそ、観測は遠のいて

 翌朝、まだ明けきらぬ薄暗がりの自室にて、鷹木は目覚めきっていない体を半身持ち上げてスマホを手にした。

 

 検索したい情報をこれと決めていたワケではないのだが、望みもしないのに待ち受け画面へと勝手に流れてくるネットニュースの見出しを眺めただけで、昨晩感じた恐れが未だ水面下にあり続けていることを知った。

 

「全く騒ぎが起きていない、よな……。」

 

 昨日の京都記念は、確かに一年前と全く同じ展開、そして全く同じ結果をなぞっていた。

 

 ビッグゴールドが出走取消し、アドマイヤベガは大外からではなくウチ側から前を目指して三着となり、ナリタトップロードとマチカネキンノホシはほぼ並んでゴール、審議の後トップロードが一着と確定する……という結果。

 

 それだけではない。レースのたびに多少なりと言い回しが変わるはずの実況アナウンサーの言葉選びまで、寸分たがわず同じであった気がする。ばかりか、数万人もの単位で集まった観客たちの行動、レース結果の映し出される掲示板の背景の空に浮かぶ雲の形まで、まるきり同じだったような……。

 

 URA公式、トレセン学園のデータベースをいくら漁っても去年の京都記念の記録が見つからないことと、世間がこの不自然さに気づいていないことが、気味の悪い一致を示していた。

 

 昨日、タキオンと対話した際、そもそも昨年と全く同じ出走ウマ娘が勢揃いしている非現実性に、鷹木自身が気づいていなかったこともまた不気味さを強めていたが。

 

「現実、だよな?俺がまだ眠っていて、夢の中にいる、とか……?」

 

 アグネスタキオンの担当トレーナーとなる前、テイエムオペラオーを担当していた頃から、疲れの蓄積から妙に現実味のある悪夢を見る事を繰り返していた鷹木。

 

 昨日見た京都記念の結果が、やはり変わらず去年と全く同じであることを画面に表示して確認しつつ、自分の頬をつねってみる。

 

「あいたた……いや、でも、こんなやり方で、現実と夢の違いが分かるもんだろうか?」

 

 自分が見ている現実を信じられない人間のリアクションとしては、もはや古典的にも過ぎるやり方であり、現実性に確証を持つ過程としてはあまりに頼りなく感じられた。

 

 そも、今から自分の頬をつねろうと意識した上で、その通りの行為を実行すれば、相応の感覚が発生したように錯覚することだって十分にあり得るのではないか。

 

 今自分が居る世界が、本当に現実であるか否かを確かめるためには、全く自分の予測できない現象が発生したことを確かめる他にない。

 

「たとえば……このタッチペンを机に転がしたりして……」

 

 タブレット画面での入力に用いるタッチペンは、完全な円柱形ではなく手に馴染みやすい不規則な膨らみが持ち手のラバーに成形されている。

 

 鷹木が転がしたペンは、確かに不規則な転がり方を見せた。ただ、これが今自分の居る世界が確かに現実であることの証明になるかと言われると、あまりに些細すぎる現象であり、やはり心もとない。

 

 それに、無意味にペンを机の上で転がし続けている内に、寝起きでボンヤリしていた鷹木の意識もすっかり覚醒状態へと移っていた。

 

「……何やってんだ、俺。無駄な事してないで、サッサと出かける支度しないと。」

 

 着替えたシャツのボタンを留めながら、冷蔵庫から食材や牛乳を取り出し、いつも通りの手っ取り早い朝食を済ませる準備をいそいそと進める鷹木。

 

 眠気のせいでボーッとしていたためとはいえ、無駄に時間を費やしたために平常時よりも数分間遅れての支度となっていた。

 

 冷え固まったままのバターをパンの表面に無理やり擦りつけながら、鷹木は今さらながらに自分自身へと愚痴る。

 

「担当ウマ娘の本番レースが来月の頭に迫ってるってのに、無意味なことで遊んでいる場合じゃない。まったく、タキオンの変な癖が俺にまでうつったのか……?」

 

 そこまで口にしたとき、朝食を準備する鷹木の手は一旦止まった。

 

 そう、アグネスタキオンは入学して以来、奇妙な“実験”を繰り返していた。正確には、実験と称して奇行に走っているようにしか見えないものばかりだったが。

 

 階段の上から色付きのゴムボールを大量に転がして散らばり方を確認したり、バケツ一杯の水をコンクリートの地面に注いで広がり方を観察したり。

 

 あれらの行為は、今しがた鷹木が試みたように、自分の予測できない現象が発生していることの確認が目的であったのではあるまいか。

 

「ずっと前から、タキオンは気づいていたのか?……それとも、俺が今まで気づいていなかっただけなのか?ウマ娘レースの結果に、不自然なものが含まれることに。」

 

 思い返せば、自分以外のウマ娘が活躍するレースに対して、タキオンが相当な熱中を示していたのも、そのレース結果が間違いなく初めて確定する現実であると認められるためであったろう。

 

 間違いなく、出走したウマ娘自身の実力によって導き出された結果、ウマ娘の歴史に刻まれた戦績であると確かめられたためだったろう。

 

 昨日の京都記念、昨年と全く同じレース結果が出た様を確認したとき……タキオンはこれまで見たこともないほどに沈んだ目の色をしていたのだ。

 

「一度尋ねてみるか、タキオンに。」

 

 安易な質問を投げかけたところで、彼女が直接的な答えを伝えてくれるか否か定かではなかったが、すくなくとも担当トレーナーたる自分がたどり着いた理解だけは明瞭に示しておくべきだ。鷹木はそう考えた。

 

 バターの染み込んだパンに野菜と目玉焼を雑に挟んだサンドイッチを牛乳で喉に流し込み、歯を磨いて身なりを整えた鷹木は早足でトレーナー寮を出た。

 

 歩きながらも鷹木目を走らせるタブレット画面には、タキオンの出走予定レースである弥生賞、それに向けてのトレーニングスケジュールが表示されている。

 

 と同時に、タキオンが出走しないながらも他のウマ娘が参戦するレースのスケジュールも。

 

 明日はタップダンスシチーが九州まで行き、小倉レース場にて関門橋ステークスへ出走する。来週はダンツフレームが阪神レース場にてアーリントンカップを走る。そしてマンハッタンカフェは、タキオンと同じく来月の弥生賞に出ることが決まっている。

 

 いずれも、昨年には決して起こりえない出来事だ。去年の今頃は、まだタップダンスシチーもダンツフレームもマンハッタンカフェも、トレセン学園に入学していなかったのだから。

 

「去年入学したタキオンがクラシック路線に向けて走り始めることだって、今年初めての出来事に間違いない。クラシック級三冠を狙えるのは、一生に一度きりのことなんだ。去年と同じことを繰り返しているだなんて、そんなことあるわけない。」

 

 鷹木は自分自身にそう言い聞かせていた。

 

 幾度も確認してしまった以上、京都記念のレース展開が昨年と全く同じであったことは、もはや厳然たる事実となってしまっていたのだが。

 

 タブレット画面を睨みながら歩く視界の隅に、鮮やかな緑色の制服の裾がチラと入り、思わず鷹木は顔を上げる。目の前には毎朝の日課である掃除を終えて、箒を片付けに向かう駿川たづなの姿があった。

 

「おはようございます、トレーナーさん。ちょっとお寝坊ですか?」

 

「えぇまぁ、目が覚めたのはいつも通りの時刻だったんですけれど、疲れが溜まってるのかボーッとしていまして。」

 

「お体には気をつけてくださいね、担当ウマ娘さんの心配はおひとりで抱え込まずに。タキオンさんは、もうじき弥生賞への出走ですね。」

 

「そうなんですよ、マンハッタンカフェとも競うこととなるので、油断ならない状況でして……」

 

 いつもながら、トレセン学園に所属するトレーナーたちの状況、担当ウマ娘たちの出走予定を把握している駿川たづなの記憶力には舌を巻きながら、鷹木は無難な返答ばかりを口にしていた。

 

 ……たづなが返した言葉には、鼓動が止まるかのごとき心持ちを覚えることとなったが。

 

「昨日の京都記念は……」

 

「……!!」

 

 まさか、あの不自然さに気づいているのが、自分やタキオンだけではないのか。

 

 去年と全く同じレース展開になるという、非現実的な現象が世間を騒がせていない以上、それは広く一般には認識されていないものと思っていた。そうであれば、多少無理があったとしても、自分やタキオンだけが変な思い違いをしていたに過ぎないのだ、と思い込むことも出来た。

 

 単なるレース結果のみならず、その道中のタイムもコンマ一秒違わず、ばかりか実況に用いられた言葉、幾万人もの観衆たちの行動、天候や風向などの自然現象、その全てが一年前と同じであることなど、わざと実行しようと思っても可能なはずがない。

 

 だが、全くタキオンの考えに触れていない第三者が、同じく昨日の京都記念にまつわる非現実性を見出していたとしたら、いよいよあり得ないことが現実に起きたと認めざるを得なくなるのではないか……。

 

 たづなは、目を限界まで見開いて固唾をのんでいる鷹木の表情には気づかぬ様子で、言葉を続けていた。

 

「……とても白熱した展開でしたね。ナリタトップロードさんもアドマイヤベガさんも、マチカネキンノホシさんもデビューから長いですが、まだまだ身体能力に衰え無し、といった印象でした。」

 

「…………そう、ですね。」

 

「タキオンさんもクラシック路線を走り切れば、そんな先輩ウマ娘たちと競い合うことになりますし、担当トレーナーさんも彼女を支えてあげるため健康管理を疎かになさらないでくださいね。」

 

「はい……もちろんです。」

 

 あまりにも鷹木の返答が上の空であったためか、たづなはチラと視線をこちらへ向ける。

 

 鷹木は慌てて笑顔を作り、今までトレーニングスケジュールの確認に没頭していたかのようにタブレット画面を凝視し直しつつ、たづなに向かって会釈で返した。

 

 移動時間も無駄にせずトレーニングのことを考え続けている鷹木トレーナーの邪魔をすまい、と駿川たづななりに考えたのか、彼女も笑みだけを返してスタスタと理事長室の方へ歩み去っていく。

 

 ……結局、昨日の京都記念は、世間的には何事も不自然なことなど無く進行したことになっているらしかった。

 

「いや、昨日のレース映像を見る限りは、何もおかしなことなんてないんだ。全員、確かに全力で走っているんだ、わざと去年と同じ順位になろうとするだなんてあり得ない。」

 

 鷹木が口に出したのは、少なくとも自分の認識の内でのみ明確となっている要素についてだけであった。

 

 トレーナー業を続けてきたために、ウマ娘が全力で走っているか否かの差は一目見ればすぐわかる。去年あたり、普段からタキオンが練習で手を抜いて走っている様をちょくちょく見てきたおかげで、その点については余計鋭敏に感じ取れるようになっていた。

 

 昨日の京都記念では、本来疑うべくもないことではあれど、全出走ウマ娘が全力を出し切って走っていることには間違いなかった。去年と同じ結果が出たのも、偶然だろう。

 

「……単に、普段から俺がタキオンに変な考えを吹き込まれてるせいで、おかしくもなんともないことに拘っているだけかもしれない。そんな気がしてきた。」

 

 その時の鷹木は、レース展開のみならず、レース時の天候や風向といった自然現象までも去年と同じだったことを、極力意識から排除しようと必死であった。その点にまで思考が及んでも、やはり偶然に過ぎないと一蹴するつもりだったのだが。

 

 しかし、いざ練習場に到着し、アグネスタキオンがいつも通りの表情を取り戻しているのを見て小さく安堵した彼は、タキオンの口から明確な異常の在り処を告げられることとなる。

 

「トレーナーくん。去年の2月16日は、何曜日だったか、覚えているかねぇ?」

 

「え……いや、さすがに、そんなの覚えてないが……。」

 

 タキオンからの唐突な言葉に面食らうのは、もはや日常茶飯事ではあったのだが、今しがたタキオンに尋ねられた日付がまさに昨日、京都記念の発走日であったことは少々嫌な予感を呼び起こした。

 

 そういえば、ちょうど1年前の京都記念も同じ、2月16日の実施であったような……。

 

 タキオンはいつも通りのニヤニヤ笑いを作りながら、言葉を継いだ。彼女なりに、不安を紛らわすための笑顔であるように見えた。

 

「私は覚えている。土曜日だ。」

 

「そうだったのか?まぁ、今年の京都記念も、土曜日の実施だったし、そうだったかもな。」

 

 ウマ娘レースの日程は、基本的に出走ウマ娘の出走スケジュールを重視して決まる。

 

 有力なウマ娘であれば、重要なレースが立て続けに存在する場合、十分に疲労を休養させるためいずれかは出走回避せざるを得なくなる。

 

 そのため、レース日程は毎年変わることになる。慣例的に、大勢の観客が来場できるように土曜日か日曜日に決まることが多いが、1年前と全く同じ日に実施されるというのは珍しい……いや、ほぼない。

 

 しかしタキオンが気づいていた違和感は、そこではなかった。もっと明白に、非現実性を浮き彫りにする事実であった。

 

「いや、そんなはずはないんだよトレーナーくん。1年前の同じ日付が、同じ曜日であるはずがない。」

 

「え?……あ……。」

 

 1年が365日である以上、曜日は翌年になれば一つズレるはずである。うるう年であれば、二つズレることになるが。

 

 少なくともタキオンの言う通り、去年の2月16日が、今年の2月16日と同じ曜日になることは、偶然の入り込む余地もない、絶対にあり得ない現象のはずだった。

 

 鷹木は、顔から血色が変わるのを感じつつも、タブレット画面の右下、カレンダーをタップして去年の2月を表示させる。しかし、そこには現実的な結果が表示されているだけだった。

 

「うーん?……去年の2月16日は、ちゃんと金曜日になっているな。タキオン、お前の記憶違いじゃないのか?」

 

「そこに表示されるカレンダーなど、現在時点から逆算しているのだから、本来の正しい暦が表示されるに決まっているじゃないか。それに、だとしたらより不自然だ。」

 

「何が……いや、そうか、URA主催のいわゆる中央ウマ娘レースが、土曜日と日曜日以外に開催されるはずがない……。」

 

 それに関しては、鷹木もタキオンから言われずとも分かった。去年の2月16日金曜日、京都記念が開催されることはほぼ有り得ない。

 

 土日以外の曜日に開催されるのは、基本的に地方ウマ娘レースだけである。むろん例外的に、祝日などであれば他の曜日に中央レースが開催されることもあるが。

 

 しかし2月16日が特別何かの祝日というわけでもなかった。昨年のカレンダーを見返してみても、やはり平日のままである。

 

 鷹木はこの問題について考えるのを切り上げたく感じていた。単なる思い違いである可能性のほうが現実的であったし……タキオンが言っている異常が実際に起きていたとしても、自分には何もできない。

 

「……去年の京都記念、2月17日だったんじゃないのか?」

 

「2月17日実施は一昨年の京都記念だねぇ、トップロード先輩が1番人気で挑んだが三着、11番人気のマックロウが勝利したレースだよ。間違いなく私は覚えている、去年の京都記念は2月16日だ、見いだされた結論にこじつけるため事実を捻じ曲げるのは止したまえトレーナーくん。」

 

「ごめん……。」

 

 タキオンの表情が急速に不機嫌な色を濃くしていったため、鷹木は即座に謝った。

 

 とはいえ……タキオン自身も、その事実を確たるものとしたところで、対処できるわけではなく、そもそも是正する必要性自体を見出せるものではないと理解していたらしい。

 

 眉間の皺を緩めて、タキオンは小さく溜息をついて、いつも通りの笑みを取り戻した。

 

「さて、練習を開始しようか。私自身がレースで勝てる実力を維持していなければ、ウマ娘レースに纏わる可能性を最前線で見続けることが困難になってしまうからねぇ……今の話は、頭の片隅にでも置いといてくれたまえ。」

 

「あぁ、分かった。」

 

 話したところでどうしようもない内容であると分かっていてなお、タキオンは鷹木へと話題を持ち掛けているのだ。

 

 独りきりで抱え続けるには、あまりにも規模が大きく、そして解決の目途の立たない問題であるからこそ……担当トレーナーである鷹木は、彼女の言葉を受け止める責務の重さを感じていた。

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