探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 京都記念にて見いだされた非現実的な異変を確認し、少なからずショックを受けたタキオンと鷹木は、暫く自分たちの認識を確かめ合う時間が必要だった。たびたび他のウマ娘を無理に引っ張り込んで練習および休憩中のレース観戦へと誘うタキオンも、今日ばかりは自分とトレーナーだけの時間を望んでいる。彼女の思いは、簡単に理解されるものではない、複雑に絡み合った理屈の奥に隠れていたが、鷹木は凡人そのものな思考力でありながらどうにかタキオンの真意に触れようと努めていた。


筋書きは語られず、しかし確と暗中に

 アグネスタキオンはレース観戦を行うたびに、他のウマ娘を観戦仲間として引き入れるのが通例となっていたのだが、先日の京都記念での件を経験したことで不安を覚えるようになったらしい。

 

 自分だけが違和感に気づき、同じレースを観戦していた仲間が何の異変にも気づかずにいる状態。

 

 まさに、自分だけがこの世界の理から切り離されたかのような孤独感そのものに通じる経験だろう。

 

 いや、別種の不安もそこには抱かれ得る。自分自身もまた過去に、異常に気付かぬまま観戦していたレースがあったのではないかという不安だ。

 

「あの京都記念の中継番組を、真隣りで観戦していたダンツフレームがあれだけ何事も感じずに見終えていたんだからな……自分も例外じゃないかも、とタキオンなら考えるだろう。」

 

 その日は独りきりで練習コースを走っているタキオンの姿を見つめながら、鷹木は彼女の胸中を慮っていた。

 

 世間が異変に気付かぬのなら、自分自身で気づかないことにはそれを見いだせない。

 

 レースの展開、レース結果、ばかりか天候やバ場状態といった自然現象に至るまで、過去に定められた運命をなぞるかのごとく、全く同じ状態が再現されているということ。

 

 今のところ、タキオンも、そして鷹木も、先日の京都記念においてのみ確認できた現象に過ぎないが、それが実際に起こったのならば他のレースでも発生しうる。

 

「ウマ娘レースの結果、ウマ娘が辿る将来への道……それが予め定められているようなこと、あるはずがないし、あってはならないんだが……。」

 

 鷹木にとっては先日初めて実感した現象に過ぎなかったが、今回の異変が起き得る可能性を以前から見出していたタキオンは、もう少し探求を進めているはずでもあった。

 

 ほとんどイタズラに近いような彼女の“実験”の数々が、どれほど事態究明の助けとなっているものか、全く心もとない限りであったが。

 

 しかし、ボールを無作為に転がすこと、あるいは平坦な地面に水を流すことなど、自分の予測できない現象が発生していることを確かめる実験については、この世界が確かに未観測性を有している様を見出す上で有用ではある。

 

 それに、駄菓子屋で購入できるものだけを混ぜ合わせた液体を飲まされ、鷹木の身体の一部が短時間ながら発光したことなども、考えてみれば非現実性を確認する実験でもあるようだ。

 

 レースでの勝敗、そして選手生命の行く末を、間違いなくウマ娘自身の力で定めているのだと確証を得るため、タキオンは様々な手法での探求を続けてきたし、今後も続けるのだろう。

 

 思えば、タキオンがたびたび口にする“特異点”とやらがカギを握っているのだろうか……。

 

「トレーナーくん……トレーナーくん!ボンヤリしていてもらっては困るねぇ、今のトレーニングの負荷はどんなものだい?引き続き走りに行くべきかい、それともこのまま休憩し、タップくんが出走する関門橋ステークスの中継が始まるまでノンビリ待たせてもらっていいのかい?」

 

「あっ……あぁ、スマン、えぇと……」

 

 間近にまで近づいてきていたタキオンの声で我に返り、鷹木は手元に構えていたストップウォッチの画面を見る。

 

 他の事にボンヤリと思慮を巡らせている間も、練習コースに設定したゴールをタキオンが通過した際に、鷹木はきちんとストップウォッチのボタンを押していたらしい。無意識のうちにもトレーナーとして必要な行動を実行できているのは、職業病的とはいえトレーナーとしての成長であったかもしれない。

 

 タイムと走行距離を照らし合わせれば、タキオンがかなり走りを緩めてコースを回っていたことは一目瞭然だった。この負荷であれば、もう1セット練習を繰り返しても問題はないだろう。

 

 ……しかし、鷹木は休息させることを選んだ。

 

 走り終えたばかりのタキオンの目の色には、変わらず慢性的な不安の色が淀み続けていた。走りを緩めていたのはサボりではなく、先ほどまで鷹木が考えを巡らせていたのと同種の心配事を抱え続けているためだろう。

 

「ちょっと早いが、休憩にしよう。クールダウンを始めておいてくれ、俺も今の練習データをまとめつつ、タキオンのお望み通りに関門橋ステークスの中継観戦を準備してやらないといけないからな。」

 

「ふゥん、随分と殊勝なことじゃないか。これだけ要求を繰り返し続けていれば、流石に毎度毎度急かさずとも良いのはある種の必然かねぇ。」

 

 タキオンの口ぶりは相変わらずであったが、振る舞い自体は鷹木の指示に対し従順であった。

 

 ノートPCとタブレット画面を前に練習データの整理を行っている鷹木の傍らで、おとなしくアイシング作業を行っている。タキオンが、鷹木の思い遣りを理解している可能性は高かった。

 

 やがて鷹木は作業をひと段落させ、本日タップダンスシチーが出走する関門橋ステークスの配信画面をノートPCに表示し、タキオンにも見えるようにベンチ前のテーブルに置き直す。

 

 確かに休憩時間を開始するには早すぎた。画面内ではゲートインも始まっておらず、実況解説の声が時おり流れる中で小倉レース場内の様子が映っているばかりである。

 

 じっと画面を見つめているタキオンと共に過ごす沈黙を埋めるため、そして先ほどまでの思考で浮かびかけた新たな疑問を明かすため、鷹木はひとつの質問を投げかけた。

 

「今さら……なのかもしれないが、タキオン。“特異点”って、何なんだ?」

 

 どうでもよいことならばこちらに視線を向けもせずに気安い返答のみを与えるアグネスタキオンは、今ハッキリと鷹木の方を向いていた。

 

 とはいえ、すぐさま答えを与えるつもりはないらしい。それぐらいなら、鷹木にも予測できた。

 

「トレーナーくん。キミが現時点でどの程度の認識を有しているのか把握させてもらえないことには、伝えられないねぇ。少なくとも今後、私の近くに居る人物に、誤った理解の過程を経てもらっては困る。」

 

「単純に、ウマ娘レースの歴史に大きく刻まれるほどの戦績を残す、強いウマ娘が“特異点”だと考えていたが……いや、今は違うんだ、俺なりに考えた結果、そんな単純なものじゃないって分かったんだ。」

 

 タキオンの表情に明確な失望の色が浮かびかけたのを見て、鷹木は語調を速める。

 

 勝利すること、速く走ること、最後まで失速せず走りぬくこと、それらに拘るのはタキオンに限った話ではなく、全てのウマ娘に共通する関心事である。

 

 タキオンが敢えて気に掛けるのは、レースでの勝敗以上に、ウマ娘が辿る命運そのものへの干渉であるだろう。鷹木は自分が理解している段階を可能な限り正確に示そうと、懸命に頭を絞りながら話した。

 

「タキオンが前から“特異点”だと示している存在は、テイエムオペラオー、ネオユニヴァース、そしてゼンノロブロイだ。皆、間違いなく歴史に名と戦績を残すウマ娘に違いないが、それだけじゃない。」

 

 テイエムオペラオーは、クラシック級の年に皐月賞を獲り、しかし同年内には勝ちきれぬレースが続いた。彼女の能力をトレーナーが引き出しきれていないと見られたためか、翌年は一敗でもすれば担当を外すと宣告され……大勢の予想を裏切って、オペラオーは翌年の全レース無敗という記録を打ち立てた。

 

 ネオユニヴァースもまた、優れた能力を有するウマ娘だと評されてはいたが、流石にクラシック級から出走して勝利した者のいない宝塚記念を制するとまでは思われていなかった。しかし、ユニヴァースは見事に宝塚記念を勝ち、ばかりか菊花賞の栄冠も手にして三冠ウマ娘となった。

 

 ゼンノロブロイはネオユニヴァースの活躍の影に隠れるかと思いきや、同じくクラシック級の学年でありながらシニア級のレースへと路線を定めた。そしてクラシック級の年に、秋シニア三冠を達成するという前代未聞の偉業を成し遂げた。

 

「……事前の評判や予想を、大きく上回った結果を示したウマ娘たちだ。だから、単に強いウマ娘というだけじゃない、まるで自分に本来与えられていた運命をも書き換える力があったかのような……」

 

 話している自分自身が混乱してきそうな内容ながら、懸命に言葉を探しながら伝えてくる鷹木を、タキオンはじっと見つめていた。

 

 彼女は、鷹木の言に否定も肯定も与えなかった。下手に肯定してしまうと、その認識で固定されてしまう。自分のすぐ傍らに居続ける人物に、誤った確定を与えたくはなかったのだろう。

 

 鷹木の発言がうやむやな途切れ方を示した後、タキオンはおもむろに口を開いた。

 

「トレーナーくん。“特異点”という表現は、本来あまりに広すぎる定義を有する語だ。数学の分野においても、その中で解析学や幾何学といった分野ごとに“特異点”の意味するところは異なるし、物理学や工学など他の分野においてもまた違った用法がある。」

 

 いつものタキオンなら、その一つ一つを口角泡飛ばして早口で説明し始めただろうが、今の彼女の口調は静かであった。

 

 彼女が視線を戻した画面内では、ようやく関門橋ステークスのゲートインが始まっていた。映像の中でも、タップダンスシチーの堂々たる体格は際立って見えた。

 

「私の場合は、そうだねぇ……まさに運命の女神『Parcae』の名を冠したシャカール先輩のシミュレーションプログラムの存在に引っ張られたのだろうねぇ、技術哲学的な用法で“特異点”を用いている。厳密な科学ではないが、もはや運命などという表現の介在を許容している以上、今さらかねぇ。」

 

 エアシャカールの組んだシミュレーションプログラム「Parcae」についても、以前から不明な挙動はしばしば見出されていた。

 

 特定のレースに対してのみ、シミュレーション結果が表示されなかったり、本来出走していないはずのウマ娘データを入力すれば、実際のレース結果とほぼ同じ展開が再現されたり。

 

 タキオンは、先日の京都記念においてこそ「Parcae」がいかなる処理を下すのか知りたがっていたろうが、彼女にも躊躇いはあったのだろう。

 

 先輩ウマ娘たちの中に、去年と全く同じレース展開が示された京都記念に気づいている者がどれほどいるのか。全く居なかったとしても、幾名か居たとしても、確認することには勇気が要った。

 

「技術哲学的な意味での“特異点”は、人工知能が人間の知性を超えることと一般的に認識されているねぇ。」

 

「あぁ、単純に人間の仕事を取られるんじゃないかって心配されたり……。」

 

「まったくトレーナーくんのような働きぶりでは、人工知能に取って代わられかねないかもしれないねぇ。さておき、“特異点”において議論される本題はそこじゃない。人工知能が自ら、より優れた人工知能を生み出すことを繰り返した結果、人間の能力を大きく凌駕する知性が誕生するのではないか……という仮説だ。」

 

 タキオンの語りを聞きながら、鷹木もまた関門橋ステークスの様子が映し出されている画面へと視線を向けていた。

 

 ゲートインは続々と進み、いよいよ発走時刻も間近といったところである。タキオンもまた画面から目を離すことなく、しかし滔々と語り続けていた。

 

「もちろんウマ娘は人工知能ではない、生物の一種に過ぎないがね、だがこの世界によって生み出され、この歴史に従って運命をたどっている以上、神なる存在の想定を超えることは出来ないものだよ……おっと、ついに“神”だなんて表現まで口にしてしまったねぇ、どうもこの話題は科学の領域を容易に逸脱してしまうようだ。」

 

「まぁ、三女神と呼ばれるウマ娘が過去に実在したことは間違いないんだし……」

 

「彼女らの在り様とはまた違った概念で私は述べたのだがねぇ、まぁいい、要するに私が特異点と呼ぶ存在は、自らに定められた運命、喩えればプログラムのようなものを自ら書き換える、ばかりかこの世界、この歴史そのものをウマ娘が走り続けられるような舞台として再構築する……そんな能力を有するウマ娘さ。これもあくまで、仮説だがねぇ。」

 

 自分たちが居る場所、そして時間を、望むがままに書き換える。まさに神のごとき能力、空想上の域からとても出で得ない仮説である。

 

 しかし鷹木には、いつも科学者を気取っているタキオンが、そんな絵空事そのものな発想を語るに至った思いの出処だけは理解できた。

 

 夢半ばにして走れなくなり引退するウマ娘の存在、ひいては自分自身も長く走り続けられなくなる不安を抱えていること。それらが常に思考の真ん中に居座っていれば、自身の運命どころか歴史そのものを変えたいと感じることは充分にあるだろう。

 

 同時に、鷹木にも完全な空想だと断じきれない思いは僅かながら抱えられていた。

 

 ウマ娘レースが開催されるたび、幾万人もの観衆が詰めかけ、空間そのものを震わせるような熱狂、喝采、歓声が響き渡る。

 

 あれほどの膨大な思念や感情が一気に爆発する現場を一度でも体感すれば、ウマ娘レースには歴史を変える力があると信じることは充分に可能だった。

 

 タキオンと鷹木、互いに考えが通じ合いかけた沈黙の中、関門橋ステークスの実況中継が始まる。

 

〈全ウマ娘、ゲートイン完了……スタートしました!まず先頭に立ちましたのはタマモヒビキ、大外11枠から一気に上がってきました。続いて2番手はグランパドドゥ、こちらも外枠13番から先頭争いに参加、1番人気のウマ娘です。そのウチ側ほとんど並んで、今回は2番人気となりましたタップダンスシチーが続きます。さらにウチ側、3番人気ファイトコマンダーも並んで、まずは直線472mを一気に駆け上がっていきます。〉

 

 小倉レース場の芝2000mは、正面スタンド前直線をたっぷりと使えるポケットからのスタートとなる。

 

 スタート直後から長い直線が続き、コース全体で見ても直線が占める割合は高い。したがってペースは速めとなるが、タップダンスシチーはいつも通りに自分のペースを守って先頭付近に位置どっていた。

 

「万葉ステークスで3000mを走り切った経験があるだけに、このハイペースの中でも安定したスタートを見せているな。」

 

「そうだねぇ、最初からこぞって全員が前に上がろうとしていても、焦ることなくコース取りを確定できているねぇ。」

 

 タキオンの言葉は、先ほどまで語っていた踏み込んだ内容の反動ゆえか、当たり障りのないものと化していた。

 

 それにこのレースは、既存の結果と同じ展開を辿る恐れとは無縁の状態で観戦できるものだった……何しろ、タップダンスシチーは昨年トレセン学園に入学したばかり、このレースにも初めて出走するのだから。

 

〈最初のコーナーを回って先頭は変わらずタマモヒビキ、続く2番手はグランパドドゥ、3番手にタップダンスシチーとファイトコマンダーが並んで、この形は変わらず。4番手5番手にはエイシンワンシャン、そしてキゼンホマレ、スリルファイターが横並びとなっています。全体はかなり詰まったかたち、8番手にドラゴンジェット、そのすぐ後にアフターユー、すぐ外に並んでテンファイターといった形です。〉

 

「小倉は、たしか最初のコーナーを回り切ればもう坂は無かったねぇ。」

 

「あぁ、下り坂になりながら向こう正面、そのまま平坦な3、4コーナーを回って直線だ。スピードが落ちる要素はない。」

 

 タップダンスシチーにとっては、まさに自分に求められる能力を全力で試せるコースであろう。

 

 後半に坂道もなく、長い直線。瞬発力で勝負してくるウマ娘は仕掛けどころを誤るはずはなく、自分と近い逃げの位置に居るウマ娘とはスタミナをすり減らしあう勝負となる。

 

 タキオンに言わせれば必然の勝利を手繰り寄せるタップダンスシチーの走りは、運命を書き換えるとまでは形容できぬとも、間違いなく彼女の意思が宿ったレースであった。

 

 その後は、後続のウマ娘たちの中で順位の変動はあったものの、実力者揃い、人気度上位のウマ娘たちで固まった先頭集団は、最終コーナーまでほぼ変わらぬ形のままであった。

 

〈さぁコーナーを回り切って最後の直線!後続は追い上げて来るが、先行する面々には届きそうもない!先頭は1番人気グランパドドゥ!タップダンスシチーもスタート時からずっと彼女に並び続けている、譲らない!ウチを突いてファイトコマンダーが上がってきた!ファイトコマンダー、グランパドドゥ、タップダンスシチー!ほぼ並んだままだ!エイシンワンシャンも外から競りかけるが、ファイトコマンダー先頭でゴールイン!勝ちましたファイトコマンダー、昨年の日高特別以来の勝利です!〉

 

 タップダンスシチーは、二着となったグランパドドゥに続く形での三着だった。

 

 勝てこそしなかったものの、見返せばスタート時点から全く順位を変えず、タップダンスシチーは自分のペースを乱さぬままに走り抜くことが出来ていた。

 

「これほどのハイペースで飛ばすレース、2番人気ともなれば多少なりとマークもされただろうに、ゴールまで位置取りを守り続けるとはねぇ。」

 

「タップの大柄な体格だからこそ、場所を奪われるようなこともないんだろうな。速度維持して走り切る能力にもますます磨きが掛かっているし……。」

 

 鷹木の言葉を聞きつつもアグネスタキオンは頷きながら立ち上がり、練習再開のためのストレッチを始めている。

 

 他の競争相手の走りに影響されることなく、自分のペース、走りのスタイルを貫いてゴールまで向かうタップダンスシチーのレースもまた、タキオンの容易くは解かれようもない不安に対する解法のひとつだったのかもしれない。

 

 戦績としてはなかなか勝ちきれないレースが続くタップに、タキオンが注目を続けている理由は鷹木にも理解できつつあった。

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