探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

116 / 278
 アグネスタキオンらの世代がトレセン学園へ入学して、そろそろ一年が経とうとしている。無論、タキオンは皐月賞に向けて余念なく練習に励むべき時期ではあったが、彼女の好奇心が向かう先は尽きることが無かった。その中でも最たるものが、まもなく訪れる4月、新年度の開始とともに入ってくる新入ウマ娘たちへの興味である。後輩ウマ娘たちの中でも、特異点たり得る可能性を有する存在が現れたとなれば、じっとしているタキオンではなかった。


無垢なる来訪者、探求の掌へ

 3月も半ばを過ぎ、4月から始まる新年度が近づくにつれて、新たに入学を控えているウマ娘たち……すなわち、タキオンらの後輩に当たるウマ娘たちの姿も学園敷地内にて見かけるようになる。

 

 昨年同様、シューズや体操着を着用してのグラウンド試走日になれば、入学予定の面々で練習場も賑わうことになるのだろう。

 

 が、そうではない日に学園へと招かれる入学前のウマ娘となれば、少々特別な存在である。

 

 ますます春めいていく若葉が窓外に揺れる理事長室にて、トレセン学園理事長秋川やよいは結城トレーナーに向きあい、一名のウマ娘を紹介していた。

 

「端粛!お忙しい中わざわざ来てもらってすまない結城トレーナー、こちらが今年の4月からトレセン学園に入学予定の子だ!」

 

「Greetings.It's a pleasure to meet you.―――シンボリ、クリスエス……だ。お目に、かかれて、光栄……だ。」

 

 結城トレーナーは目を瞠りながら、自己紹介している褐色肌のウマ娘を見上げる。おそらく言葉は学んでいる最中なのだろう、流暢な英語の後に続けた挨拶はたどたどしい。

 

 見上げる、というのも決して比喩ではない。隣に立つ理事長、秋川やよいの小柄な身体と比べればなおさらのこと、シンボリクリスエスと名乗ったウマ娘は相当な高身長を誇っていたのだ。

 

 無数の小皺に囲まれた結城トレーナーの目が瞬間的に鋭くなり、シンボリクリスエスの目の奥を覗き込んだ後、平素の柔和な笑みを浮かべて彼は返答した。

 

「こちらこそ、キミに会えてうれしいよ。シンボリの名を冠するということは、かの“皇帝”の血筋に当たる子かな?」

 

「貴慮!さすがのお察しだが、シンボリクリスエスは海外から招聘した留学生だ!親族というわけではないが、しかし無論ながらシンボリ家の一員とは言えよう!」

 

 結城トレーナーと秋川理事長が言葉を交わしている間も、シンボリクリスエスは緊張のためか、あるいは生来の性格のためか、動かぬ表情を顔に貼り付けたまま直立不動を続けている。

 

 ただ、理事長の口から「シンボリ」の名が出てくるたびに、その深く碧い瞳の奥には熱が覗かれるようであった。

 

 この中央トレセン学園へと自分を導いたシンボリ家に向ける思いは並みならぬものなのだろう。URA史の生き証人とも呼べるほどの存在、結城トレーナーのことももちろん彼女は知っていた。

 

「Trainer―――結城トレーナー、あなたの、名は、アメリカでも聞く。」

 

「ありがたいことだね、僕はもうかつてのように、大規模なウマ娘チームを率いてはいないけれど。見ての通り、すっかり老いてしまったからね。」

 

「饒給!結城トレーナーは、まだまだ現役そのものだ!このトレセン学園においてのみならず、URA界が誇る名トレーナーであり続けている!」

 

 理事長からの言葉に対し、謙遜するように首を横に振りつつ微笑を浮かべている結城トレーナー。

 

 この時点で、結城トレーナーは自分が理事長室まで呼び出された理由に察しがついていた。入学予定のウマ娘と直接対峙し、理事長から直々に紹介を受ける、名門によって招聘されたウマ娘。

 

 間違いなく、秋川理事長はシンボリクリスエスの担当として、結城トレーナーこそ相応しいと考えているのだ。そんじょそこらの若手トレーナーに任せるわけにもいかない、と判断するのは必然であった。

 

 シンボリクリスエス自身の思いは、やはり表情の動かぬ状態からは窺い知れなかったが、意思に満たされたように静かな輝きを湛えた瞳を前にしては、担当を断ることはやりづらくなる。

 

 理事長が押しにかかる前に、結城トレーナーは機先を制するように口を開いた。

 

「成長途中、だね。国内には小柄なウマ娘たちも多いけれども、キミの場合はこれからもっと筋肉をつけ、さらに頑丈な身体を目指せる余地がある。」

 

「You're person of discernment.―――その、通りだ。私は、体の強さが、まだ、足りない。」

 

「滄茫!シンボリクリスエスは既に立派な体格だと見えていたが、海外のウマ娘の基準は易々と計り知れないものだ!」

 

 自分の不足部分を指摘されたような形となったシンボリクリスエスであったが、彼女はむしろ瞳の輝きを増していた。

 

 アメリカから渡航して以来、自分の体格の大きさばかりが際立つ状況を、少なからず経験してきたのだろう。そんな中で、自分が自覚している体の弱さを、出会って間もない結城トレーナーが的確に見抜いたことは、彼女の中に信頼感を芽生えさせていた。

 

 しかし、既に結城トレーナーの意は決していた。

 

「シンボリクリスエスは、まずは身体づくりのためにじっくりとトレーニングを積み重ねる必要がある。早々にデビューして活躍とはいかないだろうね、少なくとも本領発揮できるのは来年の秋以降からだと思う。」

 

「高批!なればこそ、その大切な時期の指導を結城トレーナーに……」

 

「僕ではなく、細やかに鍛え方を伝えるトレーナーに任せるのが良いだろうね。自己分析、自己管理能力は充分にあるようだから、彼女に敢えてトレーナーを付けるのならば、より効率よい鍛錬手段を的確に提案できる人物だろう。」

 

 秋川理事長は先んじて提案の拒否を行った結城トレーナーの顔に視線を注ぎながら、口を半開きにしたままポカンと見つめていたが、やがて表情は渋らせながらも小さく頷いた。

 

 たしかに、シンボリクリスエスの性質を考えれば、結城トレーナーに担当させることが最善の選択とは言えなかった。

 

 彼の指導方針は、基本的にウマ娘自身の判断を最優先としている。指導者に言われた内容を鵜呑みにして、自ら足りぬ部分に気づけないウマ娘が十分な実力を身につけることはない、という考えからだ。

 

「それにシンボリクリスエス、キミはターフの上でこそ、自分自身の走りを見出すべきだ。トレセン学園を挙げて招聘され、こうして理事長室にて僕と向き合わされているあたり、キミがURAデビューを目指すに至った経緯には目的が強く出ているんじゃないかな。」

 

「Exactly as you said.……私には―――任務がある。シンボリと……URA,ウマ娘レースのため。」

 

「だろうね。昨今はますます、国内のウマ娘レースを世界と並ぶ水準へと押し上げようとする動きが活発になっている。海外からの招聘ウマ娘をトレセン学園に入学させるという判断も、そうやって下されたのだろう?」

 

 秋川理事長は、わざわざ視線を向けられる前から繰り返し頷いていた。結城トレーナーならば分かっていて当然であった。

 

 そもそも、結城トレーナーというレジェンド級の人物が喋った内容を、相対するウマ娘が絶対視してしまうことへの危惧も、結城トレーナー自身の中には存在した。

 

 彼が現在担当しているアドマイヤベガ、そしてエアシャカールは元より自身でトレーニングメニューを組み立てることを得手としている。トレーナーの喋った内容を鵜吞みにせず、まず自分の判断を通してから納得へと至らせる習慣も十分に身に着いている。

 

 結城トレーナーはウマ娘ら自身が定めた方針に首肯し、行き詰まりが見えた際に助言を与える。そうやってアドマイヤベガもエアシャカールも、自分の現状の走りを分析し、新たな作戦や想定外のレース展開にも対応する力を身につけていた。

 

 おそらくシンボリクリスエスにも、そういった能力は充分に備わっているだろう。

 

 が、芯の強さがその瞳の奥に見出されたからこそ、そして走りの技術を磨く前に基本的な身体づくりを長期間続ける必要があるからこそ、より多岐にわたってウマ娘へ積極的な干渉を行うトレーナーが担当する方が相応しい。

 

 自分のような指導スタイルは、彼女には合わない……結城トレーナーは、そう判断した。

 

「僕のところに来ても、シンボリクリスエスは自分で必要だと感じるトレーニングを淡々と続けて、練習時間が終われば寮に帰る……というのを繰り返すばかりになるだろう。効率は良いが、それだけではいけない。彼女には強くなってもらうと同時に、学園生活を送らせるべきじゃないかな?理事長。」

 

「塁塊、私も国内レースの水準を引き上げるという目的のために、ひとりのウマ娘の青春を故郷から引き離した決定には思愁があった。むろんシンボリクリスエス自身の賛同を得てのことではあったが、彼女は真面目過ぎるゆえな。」

 

「その真面目さがあるおかげで、安心してトレセン学園を占める熱量の渦中にも送り出せるのではないかな?毎年毎年、面白く、風変わりな子たちが入学してくるものだし。」

 

 周囲に流されやすいウマ娘であれば、不真面目な雰囲気に浸っている内に学業も鍛錬もおろそかとなり、期待されていた成績も残せずじまいになってしまう恐れはある。

 

 だがシンボリクリスエスには、そういった懸念は不要であると思われた。誰にも急かされずともトレーニングには向かうだろうし、必要な分量を済ませるまで集中を切らしそうにもない。

 

 長年にわたり、ウマ娘レースの歴史を見てきた結城トレーナーは、ウマ娘たちの生涯で最も輝ける時期が苦悩と辛酸で満たされる様を目の当たりにしてきた時期も長かった。

 

「先ほども言ったが、僕の見立てではシンボリクリスエスが本領発揮できるようになるのは、少なくとも来年の秋からだ。それまでになかなか戦績が振るわずとも、気にしすぎることはないからね。じっくりと体を鍛えながら、トレーナーや学友と共にトレセン学園での日々を楽しく過ごしていくのが一番いい。」

 

「楽しく……過ごす―――Difficult to think……」

 

 シンボリクリスエスは、やはり無表情のまま、言われた内容を理解しようとして首を傾けたが、その真意までは掴めない様子であった。

 

 ただ、アメリカまでも噂が届くほどのレジェンドトレーナーが自分の担当とならなかったことについては、少し残念そうではあった。その場を引きついで、秋川理事長が口を開く。

 

「棲遅、レースへと向ける思いがひたむきであるだけに、行き着くまでの道程で息を切らせぬよう計らうことも重要だな。結城トレーナー、貴重なご指摘、重ねて痛み入る!」

 

「すまないね、理事長の期待に添えなくて。特に今は、マンハッタンカフェがアザレア賞に向けて調整中なんだが、こちらからも目が離せなくてだね……。」

 

「了察、時間を取ってもらってすまない!カフェの活躍にも、期待を寄せさせてもらおう!」

 

 歳を取ったと言いつつも、白髪を戴いた背は曲がらず、スタスタと早足で歩き去っていく結城トレーナー。

 

 彼が理事長室から出て行った後も、シンボリクリスエスは直立不動の姿勢のままであった。たしかに彼女に効率よいトレーニングを心がけるよう指示すれば、従順に、黙々と、そして楽しみにも目を向けず実行し続けることだろう。

 

 元々は、担当に決まった結城トレーナーに練習場へと連れて行ってもらい、先輩ウマ娘たちのトレーニングを見学する予定であったのだが、結城トレーナーが担当出来ない今、そのスケジュールは成り立たない。

 

 とはいえ、そうそう易々と途方に暮れる理事長ではなかった。

 

「深慮、シンボリクリスエスの担当トレーナーについては、また後日新たな候補をこちらで探しておこう!少し予定が早まってしまったが、入学すれば暮らすこととなる美浦寮に行って見学してもらおうか!」

 

「―――理事長、私は……寮の位置を、知らない。」

 

 シンボリクリスエスは、この日初めてトレセン学園を訪れたのだから、それも当然のことである。

 

 しかし、無論のことながら理事長とて承知のうえである。シンボリクリスエスの強さを信じ、目的のため整備された一本道だけを歩かせるのではなく、トレセン学園という場所を彼女の居場所にするため、最初に与える試練でもあった。

 

 それに予定していた時間はたっぷり空いている。理事長は片目を閉じてみせながら、シンボリクリスエスを促すように理事長室を出る扉を手で示す。

 

「任務!この部屋から出て、他者へと質問するなりして、美浦寮の位置を探ること!今の時間帯は練習場に出ているウマ娘も多い、さほど混雑していないから喧噪に巻き込まれることもないだろう!校舎内をウロついているのは、どうせヒマしている面々がほとんどだ、遠慮なく声をかけるが良い!」

 

「任務……了解、した。Intelligence operation、美浦寮へと、到達する。」

 

 シンボリクリスエスの方も、自分がこの学園内の様子を知るために必要な活動として、受け取ったらしい。

 

 困惑することもなく、理事長に促されるがまま、理事長室から廊下へと出るため扉に手をかけて開こうとして……そのまま動きが止まった。

 

「怪訝、何かあったのか?不安なことがあれば、私にすぐ話してくれ!」

 

「Suspicious―――扉の外に、誰かが、いる。」

 

 シンボリクリスエスが緊迫感のある声で語るだけで、その言葉は妙な緊張感を伴った。

 

 おそらく扉の外にも、たった今喋った内容が聞こえただろうことは明白であった。シンボリクリスエスは間髪を入れず扉を勢いよく開き、つい先ほどまで盗み聞きを続けていたウマ娘……すなわち、アグネスタキオンの姿を露わにした。

 

 彼女の背後には、きまり悪そうな鷹木トレーナーの姿もある。またしても、タキオンの突拍子もない行動を止められずにいたのだろう。

 

 一方のタキオンも、流石に理事長室内からの視線がそのまま自分の一身に注がれる状況は想定外だったのか、焦燥を隠すつもりか一気に口数多く喋りはじめた。

 

「やぁやぁようこそトレセン学園へ!私がアグネスタキオンさ、知らないかな?まぁ今のところはさほど有名というわけにもいかないだろうが、いずれ天才的な研究者として名を馳せるつもりだから覚えておいて損はないよ?しかし想像以上の行動力だねぇ、全く不慣れな学園敷地内の寮を自力で見つけてこいだなんて、普通は大いに躊躇し、理事長にヒントを乞うものだと思っていたのだけれどねぇ。」

 

「だから、盗み聞きなんて早く止めろって言ったんだ……申し訳ありません理事長、タキオンがお邪魔をしてしまい……。」

 

「無射!早々に質問し得る相手が見つかったのならば、問題はないだろう!……アグネスタキオンは、来月の皐月賞に向けたトレーニングを怠れない立場だとは思うが。」

 

「それは、もう、もちろん。シンボリクリスエスさんに寮の場所をお教えしたら、すぐに練習に戻らせますので。」

 

 鷹木までもシンボリクリスエスの名を知っていたのは、もちろんアグネスタキオンから知らされたおかげであった。

 

 タキオンは、またしても詳細不明な独自ルートで情報を仕入れ、アメリカから留学してきたウマ娘が今日、トレセン学園に来ていると知っていたのだ。

 

 これもまた、彼女がウマ娘レースの歴史に干渉しうるほどの存在“特異点”を希求する過程の一環であったろう。早くもタキオンはシンボリクリスエスへと間合いを詰めて、あれこれと口早に話しかけていた。

 

「どうやら随分と緊張しているようだけれど、何も心配に当たることはないねぇ。アメリカから留学してくる、あるいは留学という形ならずも単独で渡航してきたウマ娘ならばちょくちょく居るのさ。タップダンスシチー君は言葉が通じぬのを覚悟の上で単身乗り込んできたのだし、アグネスデジタル君などはもはやトレセン学園を代表する優駿に名を連ねるほどとなっているねぇ。」

 

「AgnesDigital……!知っている―――彼女は、この学園に、いるのか?」

 

 国内レースのみならず、ドバイ、そして香港でも名を轟かせたアグネスデジタルのことを、アメリカ出身のシンボリクリスエスも知っていた。

 

 まるでとても手の届かぬ存在であるかのごとく世界的に有名なウマ娘として挙げられるアグネスデジタルが、5年前にトレセン学園の裏口からおずおずと顔を覗かせた、名も知らぬ小柄なウマ娘と同一であることを思って、鷹木は時の流れの早さを実感していた。

 

 そんなことに思いをはせている暇など無く、タキオンは早くもシンボリクリスエスの手を取ってどこぞへと連れて行こうとしていたが。

 

「当然じゃないか、トレセン学園生なんだから。アグネスデジタル君は暫く長期の休養が続いているが、そろそろ今年の中旬あたりから復帰するんじゃないかと噂されているねぇ。たしかに復帰に向けてトレーニングに専念するためか、最近はあまり自由に歩き回っている様子を見ないが、まぁ私の名を出せば彼女の練習場にも入れるだろう。せっかくトレセン学園に来たんだ、遠慮なく良い思い出を作っていってもらいたいねぇ。」

 

「いやちょっと待て、なんでお前の名を出せば自由に入れると思ってるんだ、タキオン……!」

 

 このまま放っておいては、理事長直々に迎え入れるほどのウマ娘であるシンボリクリスエスを、タキオンの自由奔放な行動に付き合わせる羽目になってしまう。

 

 鷹木は大いに焦りながら理事長室の中へと視線を向けたが、当の秋川理事長は笑顔で頷くばかりであった。シンボリクリスエスに、鍛錬以外の物事への興味や賑やかさを得る機会があるのならば、当初の思惑から外れてはいないのだろう。

 

 しかしシンボリクリスエスを含めた管理責任が鷹木に移ったことには違いなかった。

 

 その日、鷹木はシンボリクリスエスの手を引っぱってあちこちへと連れ回すタキオンを追い回す羽目になり、久々にトレセン学園中を駆けずり回る姿を披露することとなった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。