一年の終わりが近づく冬のトレセン学園、会議室を借りたトレーナーの面々は昨年度同様、パーティ用の飾りつけに悪戦苦闘していた。
昨年はテイエムオペラオーの年間無敗と年間最優秀ウマ娘受賞を祝し、また共に走り続けてきた彼女の好敵手たちの戦績をも讃えての飾りつけを行ったのだが、ネットの装飾例を見様見真似で作ったカラーテープの飾りは壁面に固定できず床に散らばったままであった。
その反省を踏まえ、粘着テープに頼らず場を華やかに飾れるだろう花束を買い込んできた鷹木トレーナーと片桐トレーナーは、殺風景な会議室をまんべんなく彩るつもりで花束をほどき、花をテーブル上に一本一本等間隔に並べ……そして後悔していた。
「やはり花束というものは、色味のバランスや配分を考え抜かれて作られているものですね。バラバラにしてしまっては、華やかさが減退するというか……我々のセンスが無いだけかもしれませんが。」
「等間隔に並べたのが、いけなかったのかも。小ぶりな花を集中させるように配置して、花弁が大きく目立つものを広い間隔で設置すれば……。」
トレーナーたる人間の性なのか、一定の法則性や数値面の正確さがまず思考に上がってくるのが、鷹木も片桐も避けられない様子であった。
どう並べようとも散り散りになった花が寂しげであることには変わりなく、幾枚か床に散った花弁の上で右往左往して悩んでいる二人の姿を、遅れてやってきた桂崎トレーナーは苦笑と共に眺めていた。
鷹木と片桐も気まずそうな苦笑だけで返し、しばらく沈黙が続いたが、現状が抱える問題を時は解決してくれない。何と声を掛けるべきか分からずにいる鷹木に先んじて、片桐が口を開いた。
「これは、桂崎トレーナー。今回の祝賀パーティの主役を迎えるにあたって、いかなる飾りつけを提案なさるおつもりですかな?」
「お二人が花束を用意してくるとのことだったので、自分は色とりどりのバルーンを持って来ました。」
おそらく生真面目な桂崎トレーナーゆえに、パーティ用のグッズを充実させている店など知らなかったのだろう。彼が差し出したビニール袋の中には、駄菓子屋で売られていそうな原色鮮やかな大量のゴム風船が入っていた。
少なくともパーティ用の、アルファベットの形を模したものや金銀華やかな色味のものではない、子どもが遊ぶためのゴム風船であることは、流石の鷹木や片桐にも見てとれた。
「……とはいえ、会議室に彩りが増えることには違いありません。せっかく桂崎トレーナーが新たな選択肢を増やしてくれたんですから、自分たちに出来ることを進めましょう。」
「ですね。」
その後は、成人男性が3人そろってゴム風船を膨らませ続ける、息を吹き込む音だけがただただ続く地味な絵面が続いた。
最初のひとつふたつまでは大して疲労も感じなかったものの、風船を膨らませ続けるのは相応に体力を消耗する。肺活量のみならず、寒いなかで硬くなったゴム風船に息を吹き込んでいる間、頬の肉にも嫌な痛みを伴う疲労が溜まりはじめた。
「ようやく膨らませた風船、10個程度ですか……こちらは既に、ウマ娘のトレーニングに付き合って走り回った直後のような疲労感です。」
「肺活量は並みの人間以上には鍛えられているつもりでしたが、これは慣れない息の使い方のためか、堪えますね。」
「ウマ娘たちが到着する頃には、我々3人そろって酸欠で倒れてるんじゃないでしょうか。大量の風船を膨らませようとして男3人が病院に搬送、年末の珍ニュースで真っ先に上げられますよ。」
片桐のそんな軽口も、あながち冗談として笑い飛ばせないような実感はひしひしと迫りつつあった。
昨年度は、一年を通して走り通したウマ娘たちをねぎらうはずが、結局のところウマ娘たち自身に飾りつけを担当させる羽目になってしまった。今年こそはと意気込んだつもりのトレーナー達であったが、日がな数値や映像とにらめっこしている男どもには無茶が過ぎた。
やがて、風船を膨らませ続ける体力にも現実的に限度が見え始めたころ、ガチャリと開いた扉の向こうにはウマ娘が2名立っていた。
「あ、あのぉ、キングヘイローさん?トレーナーさんたち、顔色が悪いみたいですぅ……。」
「あなたたち……その量の風船を、全部自分たちで息を吹き込んで膨らませようとしてらしたの?おマヌケね、風船用のハンドポンプぐらい用意なさいよ。」
メイショウドトウと、キングヘイロー。他のウマ娘たちは今も自主トレーニングを続けている中、一足先にパーティ開催場所の会議室に顔を出したメイショウドトウは、昨年引退したキングヘイローに付き添われていた。
去年の有馬記念をラストランとして引退したキングヘイローは、現役時代の勝負服を彷彿とさせる、碧と濃紺を基調とした私服に身を包んでいた。
顔を上げた鷹木の視界で、その色味が若干薄く見えていたのは、さんざん風船へと息を吹き込み続けた鷹木が貧血になりかけていたためだろう。
「はぁ、はぁ……は、ハンドポンプ……?」
「唇の色が真っ青じゃないの、いったん休憩なさい、全員!せっかく年間最優秀ウマ娘を迎えようとしている場で、顔色の悪いトレーナーが3人並んでる光景なんて見たくもないわよ!」
「わ、私、トレーナーさんたちのために、お飲み物を持って来ますぅ……!」
「ドトウさんも座ってらして!」
昨年と同様、パーティーグッズを満載した紙袋をドサッと机の上に置いたキングヘイロー。
トレーナーたちのためを思って行動しようとしたドトウがお得意のドジによって二次被害を引き起こさないように牽制しつつ、ちょうど持ってきていた紙コップのパックを抱えてキング自らウォーターサーバーのもとへ走っていった。
やがて水を飲んで息を整えているトレーナー達の前で、キングヘイローは手際よくハンドポンプを使って風船を次々に膨らませていった。無論、彼女が選んで買って来た、アルファベット型の金色のバルーンが優先であったが。
「駄菓子屋で売ってそうなゴム風船を膨らませて、そのうえ、わざわざ花屋さんがアレンジメントしてくださった花束をほどいて、パーティ用の飾りつけが出来ると思ってらしたの?」
「いや、我ながら不甲斐ない。昨年度の反省を生かして、壁面に貼り付けるタイプの飾りは避けて選んだんですがね。」
「それだけで解決する問題ではないでしょうに……明確な原因をひとつひとつ見つけて解決に導くのは、トレーナーさんらしい考え方なのかもしれませんけれど。」
いつも通り、あまり悪びれた様子もなく言い訳をする片桐の前で、小言を並べながら膨らませたバルーンを会議室正面のホワイトボード上端に吊るし、色とりどりのリボンを捻じりながら垂らしていくキングヘイロー。
彼女の手による飾りつけで、『CELEBRATE』のバルーンの金文字がリボンの彩りとともに華やかさを纏っていた。ついでキングは手を休めることなく、鷹木と片桐が散り散りバラバラにほどいた花を拾いながら、手に持ったリボンで色味の配分を考えつつまとめていく。
みるみる色彩に溢れていく室内を眺めわたすほどに、飾りつけのセンスが無いトレーナーの面々の目には、永遠に至れぬ境地のようにも映った。
桂崎トレーナーも、感服したように頭を下げながら詫びを口にする。
「いや、本当に済みません、キングヘイローさん。もしかしてですが、我々が準備するパーティ会場の有様を懸念して、わざわざ来てくださったのですか?」
「それも理由としては8割ぐらいありますわ、アグネスデジタルさんから招待状を受け取った瞬間、去年のことが蘇りましたもの。けれど、そうね……本日の主役の存在感を薄れさせてしまわないように、先に私自身の事を伝えておこうかしら。」
「キングヘイロー自身の……?」
「私、昨年からずっと勉強を続けて、トレーナーの資格を取ったんですの。もちろん、すぐにトレーナーになるというわけにも参りませんから、しばらくはトレーナー助手としてお手伝いしつつ経験を積むことになりますけれど。」
先ほどまで風船との苦闘によって顔が蒼ざめていたトレーナー達だったが、キングヘイローからの報告を聞いて急に顔色を取り戻した。
鷹木も前々より、キングヘイローは指導者に向いているのではと感じることが度々あった。最強と名高い黄金世代のライバルたちとしのぎを削り、勝ちきれないレースを幾度も乗り越えた先、血の滲むような努力の末に勝利を手にした彼女ならば、後輩ウマ娘たちへ教えられることも多いだろう。
にしても、資格だけは既に取っているというのは意外だった。キングヘイローは昨年の有馬記念を最後に引退しているので、あれからほぼちょうど1年が経ってはいるものの。
「ですから、これからは私の先輩トレーナーとなる皆様方への挨拶も兼ねて、顔を出させていただいた次第です。結果的に、さっそくパーティ会場の飾りつけでお役に立たせていただいてますけれどね。」
「えぇと、もしかして、引退してからの1年でトレーナー資格の試験に合格したってこと……ですか?」
「昨年から、と申し上げましたでしょ。引退する前から勉強を続けてましたの、実際に自分が走る際に意識すべき点にも関わりますし。」
すなわち、本番のGⅠレースに出る練習の傍ら、資格を取るための勉強も続けていたということだ。
たしかにあの劇的な勝利を収めた高松宮記念以降、キングは一着こそ取れてはいなかったものの、その後の安田記念では三着、そして引退レースとなった有馬記念ではオペラオー、ドトウ、アドマイヤベガに続く四着にまで食い込んでおり、決して走り自体もおざなりにはなっていない。
レースに打ち込んだ現役時代から引退してもなお、自己鍛錬を怠らない。あらためて、このキングヘイローというウマ娘がいかに並みならぬ努力家であるか、実感させられる事実であった。
鷹木が多少打ちのめされたように目を開いている隣で、片桐が頷きながらキングの意気込みを讃えている。
「さすがのキングヘイローさんだ、あなたの指導を受けたがるウマ娘たちは続々と現れるでしょうね。」
「どうかしら、結局私はGⅠを一勝しただけのウマ娘ですもの。三冠ウマ娘、はては七冠ウマ娘を志す子達には、力量不足と見られるかもしれませんわ。」
「あなたがあの世代で他に残した戦績の凄さ、分からない子もそうそう居ないとは思いますがね。」
「あ、あのぉ……パーティの主役さんが到着する前にお伝えするといえば、私もあるんですけどぉ……。」
先ほどからキングの隣でそわそわしていたメイショウドトウだったが、押しの弱い彼女もどうしても伝えたいことがあるのか、おずおずと手を挙げている。
思えば、他のウマ娘たちがまだ練習を続けている最中、先んじてキングと共にこの場へやってきたドトウ。キングヘイローは彼女から既に話を聞いているのか、心得顔で口を閉じ、話を促すようにドトウの顔を見た。
もちろんドトウの担当トレーナーたる片桐も把握しているらしく、桂崎もなんとなく察しているように黙ってドトウを見ている。
察しの悪い鷹木だけが、見当違いな話題を口にしていた。
「あぁ、分かっているさ、ドトウ、有馬記念の勝利おめでとう。」
「あ、ありがとうございますぅ、光栄ですぅ。」
「鷹木トレーナー、話の腰を折らないでください。ドトウが言いたいことは、別の件です。」
「えっ……そうですか、すみません……。」
もちろん自分に向けられた祝福を拒むドトウではなかったが、片桐から窘められた鷹木が口を閉じた後の静寂の中で、改めて伝えるべき内容のために言葉を選び始めた。
ドトウがその本題を口にするまで、数秒は沈黙が続いた。
「私……引退します。その……片桐トレーナーにも、キングヘイローさんにも、相談に乗ってもらったうえでの事なんですけど……。」
「えぇ、あの有馬記念での勝利、ラストランに相応しい。まさに有終の美、ですよ。それに、ドトウはこれまでかなりハードなスケジュールで頑張り続けてくれましたから。」
それはテイエムオペラオーを始めとして、アドマイヤベガ、ナリタトップロードが活躍し脚光を浴びていたデビュー当初まで遡る話である。
デビュー後も小規模なレースでなかなか勝つことが出来ず、大舞台へ上がることもまだ考えられなかった頃。片桐トレーナーは、ドトウに自信と実践経験を積ませる目的で、次々にレース本番への出走を登録していた。
時には、1か月に2度のペースであった。一度本気の走りを実行したら、少なくとも数か月は準備期間を空けるのが理想とされる中で、それはかなりの無茶とも言えるスケジュールだった。
ドトウの身体にも、相当に無理の後が蓄積していることだろう。尋常ならざるメンタルを備えたオペラオーならまだしも、自らの脚を壊してレース場を去るような経験を、片桐トレーナーはドトウにさせたくなかったのだろう。
宣言したは良いものの、他のトレーナー達から示される反応を窺いつつ、メイショウドトウは不安げな表情を浮かべている。が、その目は泳いでおらず、彼女の決断は固いことが見てとれた。
片桐に続いて口を開いたのは、桂崎トレーナーであった。
「ドトウさんの選んだ道ですから、僕も賛辞をもって送り出しますよ。僕が見ているトップロードがドトウさんに勝つことなく、引退されてしまうのは少々心残りですけれどね。」
「すみませぇん、私のライバルさんたちのことも考えたんですけれど、やっぱり、全力の私がレース場を走れなきゃ、本当の勝負じゃないと思いましてぇ……。」
ドトウの身体に蓄積した負荷は、怪我のリスクを増やすのみならず、開花した能力の全盛期を早々に過ぎ去らせようとしている。そのことを、ほかならぬドトウ自身が明確に感じ取っているのだろう。
あまりに強すぎるライバル、並び立つ好敵手たちの中で揉まれ、なおも執念で先頭に立ったウマ娘らしい引退の決断でもあった。キングヘイローは、少し顔を俯けたドトウの手を取り、若干沈んだ空気を吹き払うように明るい声を出した。
「じゃあ、このパーティは、アグネスデジタルさんの年間最優秀を祝うだけでなく、ドトウさんの引退祝いにもなるわけね!本日の主役の名前に、ドトウさんも書き足さなければ……あら?そういえば、祝われるウマ娘の名を記した幕のようなものは、作っておられませんの?」
「あ、そうだ、作ってきてたんだ。」
「どうしてそれを真っ先に飾っておられませんの!?」
部屋の隅に放置していたバッグのもとへ鷹木が急ぎ、この日のためにと布地に『アグネスデジタル 最優秀ウマ娘おめでとう』の印字を施した横断幕が巻かれた筒を取り出すと同時に、会議室のドアが開いた。
見れば、練習を終えて到着したのか、ナリタトップロード、アドマイヤベガ、エアシャカール、そしてアグネスデジタルが次々と入ってくるところであった。
「うひょぉお、今年の忘年パーティーは華やかですねぇ!去年はなんか中途半端な飾りだけでしたけど!」
「おおかた、キングヘイロー先輩が大半の飾りつけを済ませたのだろうけれどね。」
「だよな。たった一年で、トレーナー共が飾りのセンスを身につけるだなんて、ロジカルじゃねェぜ。」
おりしも、鷹木が部屋の真ん中で横断幕を広げかけて突っ立っているところであった。
何かと手を出したがるアグネスデジタルが彼の様子に気づき、そそくさと駆け寄っていく。
「あーあー、その長い横断幕、ひとりで飾ろうとすると皺が寄っちゃったりしますよ!私も手伝いますから!」
「す、済まない、デジタル、じゃあそっちの端を持っててくれるか?」
「だから、どうして祝われるはずのウマ娘自身に飾りつけを手伝わせるんですの!?他のトレーナーさん方も座ってないで、一息ついたら手伝ってくださいな!」
「す、すみませぇん、私も座ってないで手伝いますぅ。」
「あなたは座ってなさい、ドトウ。」
慌てて立ち上がりかけているドトウが、早くも椅子を背後に倒そうとしているのをアドマイヤベガが手で止めながら座らせている。
やがて広げられはじめた横断幕に『アグネスデジタル』の文字がデカデカと現れ始めたのを、当のアグネスデジタル自身は若干照れつつ見つめ、若干遅れた飾りつけは参加した者たち皆の手によって完成することとなった。
ドトウの引退によって、徐々に覇王の世代も去りつつあることを実感させる年の暮れであった。