探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 鷹木トレーナーは自分が助言を得さえすれば、状況の打開策を実行できるわけではない。想定していなかったプランを現実的な選択に入れてもらうため、アグネスタキオンを説得する必要があった。様々に難解な状況を経験してきたトレーナーにとっても、アグネスタキオンの説得……それを成し遂げなければならない状況は、何にも増して困難であることは明白である。が、為さないわけにはいかなかった。自分の担当ウマ娘が、活躍し続ける道を選ぶためならば。


もはや探求者は導かれない

 皐月賞まで一週間を切り、残り数日となった。もちろん皐月賞出走ウマ娘と担当トレーナーにとっては本番に向けての最終調整に余念のない日々が続き、ますます気持ちを一つに奮闘せねばならない時期ではある。

 

 が、その日、アグネスタキオンと鷹木が向かい合う一室は、重苦しい空気に包まれていた。

 

 練習場の騒がしさが響く場所では真剣な話題に集中できない、と鷹木はタキオンの実験室に来ていた。実験室というのはむろん、トレセン学園内にてタキオンが勝手に占拠している理科準備室のことであるが。

 

 トレーナーが自主的に実験台にでもなりに来たのか、とニヤニヤしていたタキオンであったが、鷹木が本題を切り出すや否や、見る間に彼女の表情は曇っていった。

 

「タキオン、トレーナーである俺の仕事は、担当ウマ娘に怪我をさせることなく、トゥインクルシリーズを走り抜けてもらうことだ。タキオンの脚に負荷がかかるのを承知していたのは、あくまで本番レースで一着になること、勝利することが目的だったためだ。」

 

「……。」

 

 言葉を尽くして自分の意図を伝えようとしている鷹木とは対照的に、アグネスタキオンは黙りこくって俯いていた。

 

 タキオンが口を噤んで考えに耽るのは、相応に複雑な思索を要する対象を見出した時だけである。当然ながら、中央トレセン学園所属トレーナーであることを除けば凡人そのものな鷹木の発言を前に、タキオンが考え込むことなど、まずありえないことであった。

 

 それだけ、鷹木がその提案に踏み切る決断を下すことが、タキオンの想定に無かった振る舞いである証だった。

 

「既に弥生賞で、タキオンが本気で走った時の能力は俺も目にしている。そして、来週の皐月賞に出走するウマ娘の名前も出揃ってる。トレーナーとして、これは断言できることなんだ、タキオンは本気で走らずとも勝てる。」

 

「だから、皐月賞では私に本気を出させず、余力を残した状態でゴールせよと言いたいのかい?」

 

「そうだ。……返答としては、それだけになってしまうが……俺なりにタキオンの考えていることについては、全く分かっていないつもりはない。タキオンにとって、本番の舞台にて本気で走ることは、ウマ娘の限界を超え、特異点に至る手段なんだろう?」

 

「……。」

 

 またもタキオンは返答を寄越さない。

 

 自分の抱いている仮説はそう単純に表現できるものではない、との思いもあったろうが、それよりも鷹木の考えがどこまで至っているのかを聞き切ることを優先するためであるとも思われた。

 

 目は伏せられていたが、タキオンの両耳はしっかりと鷹木の方へ向けられていた。

 

 浅い考えでしかなければ、今まで通りにタキオン流の理屈で言いこめることもできる。だが鷹木が心底からタキオンの意図に反する思いを抱いているとするなら……タキオン自身、それをほぼ恐れていた。

 

「タキオンがどれほど大勢の観客から歓声を浴びるか、どれだけの着差をつけてライバルに勝利するか、だなんてことにこだわるウマ娘じゃないことは、ハッキリ分かってる。勝敗にすらこだわっていないのかもしれない、と俺は思ったことすらある。」

 

「……あながち間違いではないねぇ。」

 

「自分の出し得る速度の限界、その先の世界を見ることで、運命のようなものをも超越したい、そう考えてるんだろう?……あ、いや、間違っていたら、すまない。」

 

「トレーナーくんの言い回しでずいぶんと簡素化されてしまったが、私の思惑としてはそれも間違いではないさ。」

 

 タキオンは頷いていたが、しかし鷹木の喋る内容が自分の考えに沿っていることを確認するほどに、表情はますます暗さを増していった。

 

 単なる無理解であれば、相手との考え方の齟齬として片づけることもでき、隔たりを埋める選択肢も生まれ得る。しかし、自分をここまで理解したうえで、なお異なる結論に至ったのならば……。

 

 早くもタキオンの思考の片隅には、鷹木と袂を分かつ選択肢が顔を覗かせつつあった。

 

「根本的な事を考えてくれ、タキオン。君の想定から抜け落ちていることは無いと思うが……タキオン自身が走れなくなったら、もうウマ娘の限界を追い求めることは出来なくなるんだぞ。」

 

「当然、それも想定済みさ。プランはある、消去法的に見出されたプランではあるが。」

 

「プランって……?」

 

「私自身が走る必要はない。私の代わりに、別のウマ娘が特異点に到達することだってできる。そも、私がレースから降りれば、その観測に専念することが可能なのだからねぇ。」

 

 タキオンの言葉は淀みなかった。まるで、その内容を喋る時に備えて、前々から用意しておいた言葉のようであった。

 

 自分の考えをペラペラと喋るのは平常通りのタキオンであったが、これまで彼女の担当トレーナーとして接し続けてきた鷹木には、普段の喋り方との差異は明白に聴きとれた。

 

 得意げになって語る時のタキオンは、喋りに合わせて小刻みに目が動くのだ。自分の脳内に渦巻いている膨大な思考を整理し、具体的な形で取り出し言語化するプロセスを、喋りと同時に行っているためである。

 

 完全に目が据わった状態で語られた、たった今のタキオンの返答は、それだけ鷹木の発言が用意に想定され得る凡庸な懸念に過ぎないことをも示していた。

 

「ネオユニヴァースやゼンノロブロイのように、既に特異点へと到達したと思しきウマ娘も存在するじゃないか。将来いつ脚に限界を迎えるとも知れぬ私が延々居座るよりも、ウマ娘としての限界に可能な限り近づく私の姿を見せ、私のライバルたちがたどり着く先を確認するほうがよほど現実的なプランだ。」

 

「……ウマ娘の限界に可能な限り近づくのが、皐月賞で予定していることなのか?」

 

「そうとも。現に、今の私の身体はこれまでになく仕上がった状態にある。きっと、本番のターフの上を全速力で駆け抜ければ、ずっと追い求めていた特異点すら覗けるだろう。むろん最後のゴールラインを越える前に私の脚が砕けてしまっては計画は成就しないが、トレーナーくんはその点に関して保証を与えないわけではないのだろう?」

 

 鷹木は頷くと同時に、深く俯いた。もとより彼は嘘のつけない性格であるし、タキオンに対して虚偽の懸念を抱かせるつもりもなかった。

 

 今のところ、タキオンの脚に異状は無い。定期的に検査を受けさせており、皐月賞出走直前にも怪我の予兆が無いか確認する検査を予約している。タキオンが全力で走ると怪我に繋がる見込みがあるのなら、そもそも皐月賞には出走させない。

 

 だが、そうではない以上、タキオンが本番レースにて本気で走ることを、鷹木が止める理由は担当トレーナーとしての懸念以外に無かった。

 

「以前も私はトレーナーくんに言ったねぇ、私ひとりでは本気で走る機会は得られなかったろう、と。自分の脚の限界を恐れるあまり、練習では力を制御して走る他になかった。トレーナーくんが、全力で走ってもいいとの保証を与えてくれるからこそ、私は本気の走りを実現し、そして自らの限界、ウマ娘として行き着く先を垣間見ることが出来ると……」

 

「俺はタキオンにとって必要なトレーナーではあるべきだが、タキオンの思い通りになるトレーナーであってはいけないんだ。」

 

 タキオンの言葉を遮った鷹木の言葉に、一瞬タキオンは眉根をひそめたが、すぐに鷹木の真意が想定より深いところにあるのを感じ取って、真剣な眼差しを再び鷹木の目に向けた。

 

 常より小心者な鷹木が、ただ意地を張るような真似をする人間ではないことを、タキオンは知っていた。

 

「今さら、自分自身を顧みてのことなんだが……今まで俺は自然と、タキオンのためを思っての選択ではなく、タキオンに好ましく思われる選択を採っていたんだと思う。もちろんタキオンの判断はほとんど正しいから、それで問題は無かったんだが、今回に関しては違う。いくらタキオンに求められても、『全力で走ってもいい』との保証は出せない。」

 

「オペラオー先輩からの入れ知恵かい?」

 

「えっ……?なんで、それを……。」

 

 昨日、練習を一日休みとして外出した際、誰に会いに行くのかはタキオンに伝えていなかった。

 

 むろん、タキオンは鷹木から練習を休みとする旨のメッセージを受け取った直後から午睡を貪り、昼下がりにのそのそ起き出してきて寝不足をすっかり解消していたのだから、鷹木の後をつけているはずもない。

 

 テイエムオペラオーに会い、タキオンへと伝えるべき方針についてアドバイスを受けていたことも、もちろんトレセン学園に帰って来た鷹木は喋っていないのだ。

 

「そう驚かないでくれたまえ、私とてトレーナーくんが盛大に悩んでいることに気づいていないわけじゃない。助言を受けるならば先輩や同期のトレーナーも居るだろうが、そこまで親しい関係性をトレーナーくんは有していないからねぇ。トレセン学園の外へと向かったのならば、必然的にテイエムオペラオー先輩が助言者の候補として一択じゃないか。過去に担当した他のウマ娘には、目覚ましい戦績も出せなかった故そも顔向けが出来ないというのがキミの本心だろうし。」

 

「……。」

 

 タキオンが状況証拠を元に、鷹木の動向を間接的に把握することはこれまでにもあったが、その内容に少々棘を含んでいたのは、自分の内面を少なからず揺るがされたことへの不満も含まれていたためだろう。

 

 とはいえ流石に言い過ぎたと感じたのか、彼女はすぐに謝罪を挟んだ。タキオンが他者へ謝罪の言葉を述べるのは、本当に稀なこと……鷹木が知る限り初のことであった。

 

「……いや、済まない、キミも、当時の担当ウマ娘も、全身全霊で、懸命に走った結果、辿りついた結末だ……。それを経験しているトレーナーくんが、この私には本気を出さず走れと伝えているのだから、その助言が本気であることは私にも理解できる。」

 

「俺の方も、言いかたが良くなかったかもしれない、悪かった。決して、タキオンが俺のことを思い通りに操ろうとしてた、だなんて意味じゃないんだ。タキオン自身も必死で考えた結果、皐月賞を最後にしてでも自分の限界に近づこうとするプランを立てたんだろう。けれど、だからこそ、懸念があるんだ。」

 

 互いに他者との付き合いがさほど上手くない者同士であるためか、タキオンも鷹木も互いの本心へと踏み込んでいこうとするほど、むしろよそよそしい物言いへと変わっていく。

 

 しかし普段の砕けた物言いが、一定の間合いをもって投げ交わされるものである以上、お互い易々と踏み込まれたくない域に言及する際は真摯さが伴われて然るべきではあった。

 

「さっき語ってくれたプランは、タキオンがトレーナーに出会わなくても……つまり俺に出会わなくても、立てていたプランだろ?」

 

「そうだ。私の脚が頑丈でないことは幼い頃から自覚していたし、与えられた運命を超え得る特異点を求める思いはその時から抱き始めていたものだからねぇ。」

 

「だとすれば、タキオン。自分の限界へ可能な限り近づくため、皐月賞を最後に引退する羽目になっても本気で走ろうと決断すること自体が、タキオンに定められた運命そのものなんじゃないのか?」

 

 タキオンは暫し視線を宙に揺蕩わせていたが、ハタと気づいたように目に光を宿し、鷹木へと顔を向けた。

 

 それはタキオン自身が語った理屈とも通ずるものであった。ウマ娘が辿る運命が、仮に別世界で既に定められているとしたら、それを崩す要素が運命を変える上では必要である。

 

 担当トレーナーとは、ウマ娘の練習をサポートするのみならず、彼女らの行く末をより栄光に彩られたものとするために、重大な存在ではなかろうか……それがタキオンの仮説のひとつではあった。

 

「なんで気づかなかったのだろうねぇ……いや、気づかないのも必然だ。私にとって、ウマ娘にとって、どうしようもなく走りへと駆り立てられる思いは、根源的に備わったものだろうからねぇ。」

 

「実際のところ、本番レース中に速度をセーブすること自体、かなりの我慢を要するかもしれない。けれど、タキオン、もしも皐月賞を最後に引退するのがタキオン本来の運命だとしたら、俺は担当トレーナーとしてそれを打ち消さなければならない。トレーニング内容の調整だけじゃない、タキオン、きみ自身が判断した決定事項を覆すことまで必要なんだ。」

 

 またしてもタキオンは口を噤んだまま脳内の考えをまとめている様子であったが、表情は明るさを取り戻していた。

 

 大前提となる、あくなきウマ娘の限界の追及を覆した後のプランは、そうすぐに立てられるものではない。だが、新たなプランを構築することの億劫さとは裏腹に、タキオンの口角は徐々に上がっていった。

 

「確かに私自らがウマ娘の本質に囚われていては、観測者としての立ち位置に居られない。皐月賞で私が引退するのが定められた通りの運びであれば、その様を見たジャングルポケットくんやダンツフレームくん、そしてカフェが将来的に進む道も、本来の運命を超えうる可能性は低い。気づかせてくれたことに礼を言うよ、トレーナーくん。」

 

「礼ならオペラオーに……いや、言いに行かなくていい、オペラオーも今は仕事で忙しい様子だった、タキオンが邪魔しに行っても歓迎はしてくれるかもしれないが。」

 

「さすがの私も、皐月賞前に練習時間を放り出すような真似はしないねぇ。」

 

「皐月賞が終わったら会いに行くつもりってことじゃないだろうな。」

 

 タキオンの声が朗らかさを取り戻し、鷹木との間にも平常通りのやりとりが戻ってくる。

 

 確かに鷹木という担当トレーナーを得たことは、タキオンが将来的にたどり得る運命を切り替える要素には違いないようだった。

 

 オペラオーからの助言がなければ、鷹木はタキオンのため本当に下すべき決断に気づき得なかっただろう。そんな鷹木からの諫言がなければタキオンも、運命を超えようという思いに囚われること自体が、運命に定められた通りの振る舞いであると気づけなかっただろう。

 

「さて、ならばオペラオー先輩流の勝ち方を、作戦に組み込まなければねぇ!限界まで速度を引き上げるだけならばシンプルなのだが、僅差で勝てとなれば、なかなかに器用な速度調整が求められるじゃないか。」

 

「今後、他のレースで走り続けるためにも必要なスキルだ、皐月賞まで一週間を切った今となっては練習時間も限られているが……やるぞ、タキオン。」

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