去年と全く同じ出走者およびレース展開を見せた京都記念、そして阪神大賞典。マンハッタンカフェの目には、出走した面々の全員が、まるで“お友だち”であるかのように映っていたらしい。
他のウマ娘にとり憑く“お友だち”の存在はこれまでにもカフェの口から語られたことはあったが、レース出走ウマ娘自身が“お友だち”そのものとして見えることは彼女にとっても初の現象であった。
語り終えたカフェが再び机に置いたコーヒーカップに、かなりの飲み残しがあるのを見ながらタキオンは質問を重ねる。
「それは無論、レース終了後には本来の姿に戻って見えたのだろうねぇ?アドマイヤベガ先輩も、ナリタトップロード先輩も、ちゃんとトレセン学園に帰ってきているのだから。」
「はい、レース本番の熱狂が冷めたころ……もう、皆さんがお友だちのような姿に見えることはありませんでした。」
カフェの言を信じるなら確かに実在する、しかし物理的に存在が認識されることはない“お友だち”。
タキオンが勝手に立てている仮説に従えば、それはこの現実とは別の世界、「可能性世界」にてウマ娘が辿る運命を象徴するような存在だと解釈される。
今のカフェの話を聞いて、ますます自らの説の裏付けが得られたのだとも感じたのか、タキオンは満足げに頷いた。
「聞いたかいトレーナーくん!やはり、大舞台におけるレース場、あの一種異様な熱狂、幾万人もの願いや期待、そして感情が渦巻き沸き立つ場であればこそ、可能性世界への扉は開かれるのだよ!」
「事はレース中に起きているんだから、熱狂してるのは当然だろ。」
それは後付けの解釈をこじつけただけじゃないか……とまで言いそうになった鷹木は、直前で言葉を呑み込んだ。タキオンの討論スイッチを入れてしまうと、また話が長くなる。
会話の場はカフェとタキオンに譲りながら、鷹木はノートPCを開け、今日行われる春の天皇賞の配信ページへと繋いでいた。発走時刻はそろそろ近い。きっと、タキオンもカフェと共に観戦するつもりだろう。
一方でカフェは、未だ自分が見たものを全て語り切っていないらしかった。
「もうひとつ……このことは、お友だちの存在を疑わないあなた方だからこそ、お伝えできる内容なのですが……。」
「何だい、言ってみたまえ。この私には、カフェの証言を全て真実として聞き入れる準備があるとも、さぁさ遠慮なく……」
「阪神大賞典の時には、ひとつ例外がありました。お友だちのような姿となっている出走者の皆さんの中でも……アドマイヤベガ先輩だけは……ジャングルポケットさんのような見た目のお友だちへと変わっていたのです。」
そう語るマンハッタンカフェ自身の表情には、半ば諦めのような色があった。
レース中、アドマイヤベガが、ジャングルポケットのような姿に変わっているように見えたという現象。そんなことを、他の誰に話しても到底、信じてもらうどころか、突拍子もなさ過ぎて聞き入れてすらもらえないだろう。
カフェが語る“お友だち”についての内容を、疑ったり笑ったりしないタキオンと鷹木トレーナー相手であればこそ伝えたが、流石の二人も今の内容をすぐには呑み込めないだろう……カフェはそう考えていた。
が、タキオンにとっては、ますます既存の説を強化する裏付けが得られた証言に他ならなかった。
「……やっぱり、だねぇ……!」
「や、やっぱり……?」
「そうとも!カフェ!私と暫く会うことの無かったキミだからこそ、この奇妙な一致が他の要因に流された結果ではないと証明される!私も同様の仮説を立てていた、すなわち可能性世界においてはジャングルポケット君が阪神大賞典に出走していた、との仮説だねぇ!」
興奮して一気にしゃべったあまり、咳き込みかけたタキオンは、手元のテーブルに置いてあったカップを手に取り、飲み物を口につける。
そのカップは必然的に、先ほどカフェが置いた飲み残しのコーヒーだったのだが……カフェが止める間もなく、紅茶派のタキオンはコーヒーを口に含み、盛大に表情を歪めた。淹れたタキオン自身も、まるで美味くないと感じざるを得なかったようだ。
さておき、タキオンは口に含んだコーヒーを辛うじて吐き出すことなく飲み込み、咳払いひとつして言葉を継いだ。
「エェ゛ッヘン!私は、その阪神大賞典をポッケ君と一緒に観戦したのだよ!彼女は普段と全く異なるアドマイヤベガ先輩の走りを瞬時に理解し、自分自身も出走しているなら同じ作戦を選ぶだろうと感じたらしい!さらに私は仮説を強化すべく、シャカール先輩のParcaeによってもシミュレーションを行ってもらったんだ!」
「エアシャカール先輩の作った、シミュレーションプログラム……ですね。」
普段は同じ結城トレーナーの下で、シャカールと共にトレーニングを行っているマンハッタンカフェにも、Parcaeによる予測の信頼性は実感があるところらしい。
予測を超え得る能力を有するウマ娘が含まれない限り、非常に正確なレース結果予測を打ち出すParcae。
とはいえ、大舞台のレースに出走するウマ娘はいずれも規格外の面々ばかりであるため、殊にシニア級となればほとんどのシミュレーションはエラーを吐いてしまう。
「その阪神大賞典についても、出走者そのままでシミュレーターを動かせばエラーが出ていたらしいが、しかしアドマイヤベガ先輩をジャングルポケット君に置き換えて再度試行した時、きちんと結果が表示されたのさ!去年と今年、二度繰り返した着順と全く同じ結果がねぇ!」
「で……では……私が、アドマイヤベガ先輩に限って、ジャングルポケットさんのような姿のお友だちに見えたのは……気のせいではなかった、と……?」
奇妙でありながらも見事すぎる一致を見せた現象は、タキオンをますます興奮させ、一方でカフェを気味悪がらせていた。
可能性世界。ウマ娘の運命を、現実のトレーナーやウマ娘たちが知らぬ間に定めている、仮想の世界。
その可能性世界に存在するウマ娘の姿を“お友だち”として垣間見ることのできるマンハッタンカフェは、タキオンの仮説通り、ジャングルポケットが実際よりも早く生まれ、シニア級しか出走できない今年の阪神大賞典に出走していた様を観測した……ということだろうか?
考えを進めるほどに、マンハッタンカフェの表情がすぐれぬものになっていくのを見た鷹木は、この話題を一旦中断させるために口をはさんだ。
「……そろそろ天皇賞の発走時刻が近いぞ、タキオン。カフェと一緒に観戦するつもりじゃなかったのか?」
「おぉ!すっかり興奮していたせいで失念していたよ!観戦準備は出来ているのかい、流石に準備が良いじゃないかトレーナーくん。さぁさぁカフェ、今回のレースでも面白く奇妙な現象が見れるかねぇ?」
「その奇妙な現象から一旦離れるために、天皇賞の観戦をするんじゃないのか。」
天皇賞が始まるという響きに、多少なりと顔色を持ち直しているマンハッタンカフェの方を気遣いながらも鷹木は言い返した。
そして、今年の春の天皇賞においては、昨年と全く同じ展開になるという非現実的な異変は起きないだろうと、ある程度の予測があった。
ナリタトップロードとアドマイヤベガが出走するのは昨年同様だが、エアシャカールは同じく5月にある金鯱賞への出走のため、天皇賞には出ない。その他のウマ娘たちも、昨年の出走メンバーとは全く違う。本来は、それが自然な流れであった。
何よりも昨年との大きな違いとしては、ネオユニヴァースとゼンノロブロイも参戦しているという点がある。
タキオンが言うところの「特異点」……可能性世界の定めから脱し、自ら運命を新たに切り拓き得るウマ娘。その最たる面々が顔をそろえているレースでは、全く新しい展開が控えていて然るべしであった。
「……ちなみに、トレーナーくん。現時点で、昨年度の春の天皇賞のデータは閲覧できるかい?」
「あぁ、問題なく表示される。去年はアドマイヤベガ一着、エアシャカール二着、ナリタトップロード三着……という結果だった。」
「そうだったねぇ、私とカフェがトレーナーくんに連れられ、共に現地で観戦したのだからしっかり記憶しているよ。」
マンハッタンカフェが、一着でゴールしたアドマイヤベガを見ながら「あれは、私だ」と呟いたのも、ちょうど去年の春の天皇賞のことである。
今回は京都レース場現地にて実際に観戦するわけではなく、ネット上での配信画面越しであるため、マンハッタンカフェが“お友だち”の姿を見る可能性は低い。
タキオンには、それが少々物足りないようであった。
「今となってしまっては遅いが、しかしトレーナーくん。昨年と同じように、私とカフェを京都レース場まで連れて行ってくれるというプランはなかったのかい?」
「覚えてるだろ、あの人混みの凄まじさを。タキオンもカフェも、もう無名のウマ娘じゃないんだ、気づかれたらちょっとしたパニックが起きる……それに、タキオン、お前は脚の故障のために長期休養中なんだから。」
「別にいいじゃないか、走るのを控えるべきだというだけで、ただ歩くだけなら別に普通に可能なんだからねぇ。」
「トレーナーの立場としても、その程度の症状で収まっているのを喜ぶべきなんだが、世間体ってものがある。三冠ウマ娘となる可能性を蹴ってまで長期休養しているタキオンが、のんびりとレース観戦を楽しんでいる……だなんて情報がSNSに流されたら収まりがつかなくなる。」
自分で言いながらも、ウマ娘からの要求より世間体を気にする自分自身に小物臭を感じつつ、鷹木は正直なところを口にした。
タキオンを前に下手な取り繕いをすること自体、悪手である。もっともらしい理屈を述べるよりも、本心を直接伝えた方が、タキオンのように相手の思惑まで想定に含めるウマ娘にとっては納得へと至りやすい。
「ふぅン、ま、確かに、レジェンド結城トレーナーのごとく、一般の観客に遭遇することのない専用の移動手段を用意できるわけでもないからねぇ、トレーナーくんは。」
「悪かったな下っ端トレーナーで。」
タキオンと鷹木の掛け合いを聞き流しつつ、マンハッタンカフェは鷹木がこちらに向けたPC画面、天皇賞のURA公式による配信に視線を注いでいる。
もはや誰も手に取らないコーヒーカップ……カフェがさほど気乗りしない様子で飲み残し、タキオンも一口飲んで顔をしかめたコーヒーが入っていたそれを、鷹木は部屋の隅にある流し台へと持って行って洗い始める。
元々が理科準備室であるだけに、詰まりづらい太い排水管と、妙に水圧の強い蛇口が設置されていたのも、タキオンにとって都合の良い環境であった。
洗い物をトレーナーに任せて実況中継の視聴に集中していたタキオンは、いつもと違う点に早々と気づいたらしい。
「おや?今回は、実況席に特別ゲストを呼んでいないのかねぇ?実況アナウンサーと、解説のスペシャルウィーク大先輩が並んでいるのはいつも通りだが。」
「去年などは、オペラオー先輩を解説兼ゲストとして招いていましたね……今年は、スケジュールの都合が合わなかったのでしょうか……?」
「トレーナーくん、キミのかつての担当だろう?何か事情を知らないかい?」
「いや、別に……。」
鷹木は一応そう答えておいた。かつての担当ウマ娘とはいえ、既にオペラオーはトレセン学園を離れ、自らの道を歩み出している。彼女のスケジュールなど、鷹木が知る筈もない。
とはいえ、全く思い当たる節が無いわけではなかった。
皐月賞にタキオンが挑む前、助言を請うために鷹木がオペラオーに会いに行った際、彼女は都会のトレーニング施設にて走る練習を行っていたのだ。
単なる趣味としてなのか、あるいは社会人レース等に出るつもりなのか、詳細を尋ねることはしなかったが、オペラオーが昨年までの仕事をそのまま引き受けられるほどには暇ではない様は見てとれた。
さすがのタキオンも、顔をこちらに向けず、コーヒーカップを拭きながら一言返しただけの鷹木の胸中は、推察しきれるものではなかったらしい。そのまま、中継画面へと意識を向けていた。
〈世界最大の長距離レース、天皇賞、春。今年の天皇賞も発走時刻が近づいてまいりました。改めまして解説のスペシャルウィークさん、よろしくお願いいたします。今年のレースはどのようにご覧になっておられるでしょうか?〉
〈はい!やっぱり3月の阪神大賞典で一着となったナリタトップロードさん、そして去年は大活躍を見せたネオユニヴァースちゃん、ゼンノロブロイちゃんとの対決に大注目です!アドマイヤベガさんも、昨年の天皇賞では見事な勝利を見せてくれましたから、連覇に期待がかかりますね!〉
〈今年は日経賞を勝利したゼンノロブロイ、そして大阪杯を勝利したネオユニヴァースが、それぞれ2番人気、1番人気と上位を占めています。昨年のあのGⅠタイトルを総なめとした走り、今年の天皇賞でも見られる瞬間を、観客席の皆さんも今か今かと待ち望んでいるところであります。〉
既にパドックでの紹介は終わり、地下バ道から出てきたウマ娘たちがスターティングゲートへ向かっていくところである。
クラシック級で出走するウマ娘はいないが、昨年とは打って変わってシニア級に上がったばかりの面々が顔をそろえ、大ベテランとなるナリタトップロードやアドマイヤベガが纏う風格は相対的に増していた。
が、今年シニア級に上がったばかりのウマ娘のひとり、ネオユニヴァースは別格であった。マンハッタンカフェは、画面を凝視しながらポツリと呟く。
「なんだか……ネオユニヴァースさん、輝いているように、見えます……。」
「確かに、彼女の輝かんばかりの金髪はいつ見ても美しいねぇ。しかしカフェ、キミが言いたいのはそういうことではない、かな?」
カフェは黙ったまま、頷いた。単なる外見上の話をしたのではないだろうことは、布巾で手を拭きながら席に戻って来た鷹木にも聴きとれた。
とはいえ、それを正確に表現する手段は簡単に見つかるものではなかったのだろう。
鷹木もようやく画面の中のネオユニヴァースの姿を見て……画面越しでありながら、彼女の方から輝く風が吹き寄せてきたかのような、そんな感覚を味わった。
口に出来たのは、あくまでトレーナーとして語れる部分だけの内容であったが。
「完璧に状態を仕上げてきたな、身体の筋肉のつき方が、完全に長距離レースの理想通りだ。レースの教科書に載りそう、いや来年度から載るんじゃないか?」
「なるほどねぇ、ユニヴァース自身の気迫もさることながら、彼女の担当トレーナーの指導が良かったのだろうねぇ。一度会ってみたいものだねぇ、場合によってはウチのトレーナーと交換してもらうことも検討せねばならない。」
「冗談だよな?」
あくまでタキオンのいつも通りの際どい軽口として鷹木は受け取りながらも、鷹木はネオユニヴァースの担当トレーナーのことについても不明点が残っていることを思い出していた。
ネオユニヴァースは、常にトレーナーと連絡を取り合っている様子でありながら、彼女の担当トレーナーが直接姿を見せたことは、ただの一度も無かったのだ。
一時は、担当トレーナーなど実在せず、ネオユニヴァースは独りでトレーニングを行っているのではないかとも思われたが……しかし担当トレーナー無しで、クラシック三冠や宝塚記念の出走登録、そして勝利するまで至ることは非現実的である。
戦績のみならず、平生から尋常離れしたウマ娘をターフ上に、いよいよ春の天皇賞はゲートが開く瞬間を迎えようとしていた。