トレーナーとしての重要な役目のひとつ、ウマ娘ごとにオーダーメイドされた蹄鉄をキングヘイローと共に受け取りに行く鷹木。その先で、彼は今までになく風変わりなウマ娘と遭遇することになる。
年が明け、祝賀の名残りもそこそこに、新たな年のレースへの第一歩を踏み出したウマ娘たち。
まだトレセン学園の新年度が始まる4月には遠かったため、相変わらず鷹木は担当ウマ娘無しの状態ではあったものの、桂崎トレーナーのサブとして指導の手伝いは続けていた。
そして、昨年末にトレーナーとなることを周囲へ告げた、キングヘイローも共に。
彼女なりにトレーナーらしい出で立ちを考えたのだろう、動きやすい濃紺のジャージ姿に首からストップウォッチを掛け、練習場に姿を現したキングヘイローは、早くもなにやらエリートトレーナーの風格のようなものを漂わせていた。
「本日よりトレーナー見習いとしてお世話になりますわ、キングヘイローです。桂崎トレーナーのご指導をしっかりと拝見し、私自身がトレーナーとしてトレーニングに関わる時に向けての糧とさせていただく所存です。」
「そう言われると緊張してしまいますね、僕はこれといって特別なことをやっているわけではないから……。ともあれ、これからよろしく。」
鷹木がサブトレーナーとしてあてがわれたのも、キングヘイローが見習いとして経験を積むための指導現場に選ばれたのも、桂崎トレーナーが実際に"特別なこと"をやっているわけではなかったがためだったろう。
他のトレーナー達はといえば、例えば片桐トレーナーは彼なりの直感がトレーニング内容を定めることが多く、結城トレーナーなどはウマ娘たち自身に練習内容や目標を定めさせてから是非を判断するなど、トレーナーとしては異色な存在であることがしばしばだった。
個々のウマ娘の脚を見極め、最適なペース配分やコース取りを提案し、ウマ娘へと伝える。無茶なスケジュールも、イレギュラーなトレーニングも無く、安定感のある戦績へと繋ぎ続けている。
天才や異才と呼ばれるウマ娘でなくとも、着実に努力を積み重ね、結果につながる練習を地道に続けられる環境を整えられる、まさに模範的なトレーナーである。
「うひょぉぉ、ようこそです、キング先ぱ……いえ、キングヘイロートレーナー!私を先導してくださっていた方が、こうして直接指導に携わってくださるだなんて、デジたんは感無量ですよ!」
「自身が長距離から短距離まで様々な走り方を模索し続けていたし、教えてもらえることはホントに多そうだ。よろしく、キングヘイロートレーナー。」
殊に、アグネスデジタルとナリタトップロードのようなウマ娘には、ピッタリの練習環境だったろう。仮にテイエムオペラオーやメイショウドトウのように強烈すぎる個性を有するウマ娘を担当させられても、桂崎トレーナーがたじろいでいる姿は想像できなかったが。
声が上ずっているアグネスデジタルはその感激が分かりやすく伝わってきていたが、落ち着いた声色のナリタトップロードもキングヘイローに練習を見てもらえる状況に昂揚しているだろうことは、ピンと前に向けられた耳から分かった。
今まさに教え子となりつつある後輩たちからの歓迎を、すまし顔で受けようとしつつも照れたような表情を隠しきれずにいるのもキングらしさであった。
「いえ、私がすぐさま指導に入るというわけにも参りませんので……私自身の経験と、教えるべき内容が全く同じであるわけがありませんし。今は桂崎トレーナーの指導方法に、学ばせていただく段階です。」
「そう慎重にならなくても大丈夫ですよ、デジタルもトップロードも、既に自分自身の走りというものを確立したウマ娘です。告げられた練習や調整に違和感があれば、彼女ら自身がその点に言及してくれます。」
それも、鷹木やキングがこの練習場にあてがわれた理由であったろう。
入学したばかりの段階では真面目なウマ娘であるほどに、トレーナーから告げられた指導が仮に現状にそぐわぬものだったとしても律儀に実行してしまい、本番での戦績が振るわぬ結果に陥ってしまいかねない。
もはや現役ウマ娘の中ではベテランの域に達しているアグネスデジタルやナリタトップロードだからこそ、練習内容が自分自身の方針に合っているかどうか判断できるというものだ。
「さて、立ち話はそこそこにして、トレーニングを開始しよう。今年最初のレースは、トップロードは2月の京都記念、デジタルも同じく2月のフェブラリーステークスだ。」
「えぇと……京都記念は芝2200m、フェブラリーステークスはダート1600mのレース、あら、今年は1日違いで京都レース場と東京レース場でそれぞれ開催ですのね。」
今のところ一言も喋っていない鷹木は、キングヘイローが持参した手元のメモを軽くめくっただけで正確なコース内容を言い、そして日程を確認した反応速度に舌を巻いていた。
もちろん鷹木とてそれなりの経験を積んだトレーナー、各レースについては頭に入っている。だが、確実に間違いのない情報を言えと告げられれば、大慌ててタブレット画面をタップしはじめる羽目になったろう。
そして、桂崎トレーナーの設定したスケジュールについても同様に、鷹木はかなわぬ思いを抱いていた。ウマ娘はそれぞれのレース開催地に余裕を持って移動するだろうが、トレーナーは1日違いで京都と東京の大舞台へそれぞれ向かわねばならないのだ。
「トップロードとデジタルは、それぞれ全く違う条件のレースを目指して調整を進めなければならない。どちらも国内レースであるおかげで、片方を見れないような状況は避けられるが、しかし今は手伝っていただけると本当に有難いです。」
「えぇ、存分にこのキングの力をお使いください。まだ現役からさほど衰えているつもりもございませんから、併走練習の相手だって務めさせていただけますよ!」
「とても魅力的な提案だけれど、やっぱりトレーナーとして見ていてほしいかな……デジタル、ウォーミングアップを始めようか。」
「はい!」
アグネスデジタルを連れてウォーミングアップへ向かったトップロードからの指摘で、図らずもレース本番の情景をイメージした自分が現役時代同様の興奮を呼び起こしつつあったことに気づいて、多少顔を赤らめているキングヘイロー。
傍らで、指導される側のウマ娘が2名、指導するトレーナーが3名という状況の中、自分自身の存在意義に自信を失いつつある鷹木。
そんな彼に向かっても明確な頼みを持ち掛ける様を見るにつけても、桂崎トレーナーは理想的な指導者であった。
「二人はしばらくウォーミングアップに時間を使うし、まだ本格的な指導は始まらない。鷹木トレーナー、キングトレーナーと一緒に蹄鉄の受け取りに向かってもらえますか?」
「……あ、そうですね、はい。」
「あら、蹄鉄を?確かに、今まではトレーナーさんが練習場に準備しておいてくれていることばかりで、自ら蹄鉄の製作現場に向かったことはありませんでしたね。」
ウマ娘シューズに打ち付けられる蹄鉄は、苛烈な負荷がかかるレース本番は当然のことながら、毎日繰り返される鍛錬の中でも摩耗し、あるいは形が歪んでいく。消耗品ゆえに、取り換えるための予備は常に準備されていなければならない。
そして、ウマ娘の走りを支える備品であるだけに、粗雑な扱いは決して許されない。搬送中にぶつけるなどして生じた僅かな歪みが、レース本番での命取りになることもある。
トレセン学園では専用の業者を雇って、学園から程近い蹄鉄メーカーの工場から搬送を行わせてもいたが、慎重なトレーナーは運送会社に任せることなく、担当ウマ娘に合わせてオーダーメイドされた蹄鉄を自ら受け取りに行く。
ある種の大役を、キングヘイローと鷹木トレーナーは仰せつかったのである。同じくGⅠレースの大舞台を知る者として、この両名には託して良いと桂崎は判断したのだろう。
「自分が用いていた蹄鉄が作られる場所へと向かうのは私、初めてのことです。鷹木トレーナー、案内をよろしくお願いします。」
「あぁ、こっちだ。」
もちろんこれまでトレーナーとしての務めを続けていた鷹木でなければ為せない案内ではあったが、蹄鉄の製作場所はトレセン学園から驚くほど近い。
前述の理由もあり、搬送に手間のかかる距離であってはならないため、学園の敷地から出て徒歩ですぐに到着できる場所に、その製作所はひっそりと建てられていた。来客や見学者のたびたび訪れる学園の近くにありながら、商店街の奥、一般人はそうそう立ち入らない入り組んだ路地を進んだ先である。
長年、トレセン学園へオーダーメイドの蹄鉄を作り続けている職人は口数の少ない老年の男であったが、鷹木と共に姿を見せたキングヘイローの姿は多少気に掛かったのか、チラと片目から視線を向けた。
鷹木が話しかけても、ほぼ返答が一言で済むのもいつも通りのことである。
「桂崎トレーナーからの使いで来ました、ナリタトップロードとアグネスデジタルの蹄鉄を受け取りに……。」
「それだ。」
職人の男は製作所の隅、律儀に名前が記された付箋を貼り付けてある帆布の袋を顎でしゃくって示し、すぐさま手元の作業へと視線を戻した。
キングヘイローが自己紹介しても、彼はもう自分の仕事に没頭している様子であった。
「あの、私はキングヘイローと申します、このたびトレセン学園所属のトレーナー見習いとして働かせていただく運びとなりまして、いずれ私も担当ウマ娘の蹄鉄をお頼みしに来ることになります、どうぞよろしく……。」
「あぁ。」
あくまでも職人としての作業にのみ打ち込む彼へ、それ以上かける言葉も見つからない。
もちろん普段から喋りの達者ではない鷹木も同様であり、両名はそれぞれ頼まれた蹄鉄の入った袋を手に取って製作所を出た。相手からの応対は質素なものだったが、キングヘイローは彼女なりに感銘を受けていたらしい。
「あの場所で、これまで数多の名場面を生み出して来たウマ娘たちの足元を支える蹄鉄が作られて来たのですね。少し見渡しただけで、私、あの場に籠る気迫のようなものに呑まれてしまいそうでした。」
「そう……なのか。俺は特に気にせず、ちょくちょく足を運んでいたが……。」
鷹木は自分の感性の鈍さを実感しつつも、言葉を途中で途切れさせた。
キングヘイローの表現に対して的確な返答を思いつけなかったためでもあるが、それ以上に気になる存在が視界の中に入ってきたためである。
蹄鉄を受け取りに来た際には居なかったはずの、真っ白な服を着こんだ何かが製作所の外でしゃがみこんでいた。背後からも、頭の上に飛び出た耳が確認できるあたり、その存在がウマ娘であることはすぐに分かった。
そのウマ娘は、製作所の外、積み上げられた蹄鉄のひとつを持ち上げてしげしげと見つめていた。それは打ち損じや、注文された規格に合わなかったものが一時的に積まれているものであり、実用に耐えない代物である。
相手が何を考えているのかは分からなかったが、鷹木は反射的に声を掛けていた。それはウマ娘の走りを長らく見て、ウマ娘の脚を気に掛け続けてきたトレーナーだからこその言葉であった。
「ちょっと、君、その蹄鉄は作り損じだろうから、実際に使ってはいけないよ。」
「そうですよ、蹄鉄は自分に合ったものを使わなければ、脚の故障の引き金にもなりかねませんもの。……あなた、トレセン学園の生徒かしら?」
キングヘイローも鷹木同様の心配事を口にしたが、その途中で違和感の正体に気づく。
トレセン学園の生徒ならば、大抵は体操用のジャージや制服姿である。休みの間は、私服姿であることもあったが、いずれにせよ目の前のウマ娘はそのどれにも当てはまっていなかった。
彼女は白衣を着こんでいたのである。少々丈の長すぎるそれを羽織った彼女は、立ち上がってその余った裾を示すほどになお、最初の印象よりも小柄に見えた。
そのウマ娘は、まるでノイズが走ったようにも見える不思議な目で鷹木の顔を真っすぐに見つめ、そして至上の歓びに衝き動かされるように口をにっと開き、すぐさまに笑い声とともに言葉を迸らせた。
「アッハッハ!タイムラインの詐欺師、特異点の導き手!ようやく私へ興味を持ち、私へ関連したのだね!いよいよもって、この世の摂理にカンパイを引き起こせるというものだ!」
「……へ?」
もちろん、鷹木は目の前のウマ娘が何を言っているのか、さっぱり理解できなかった。
だが、少なくとも、テイエムオペラオーを越えるほど変わったウマ娘には、今後そうそうのことでは巡り合わないだろうという安易な予測が、あっさりと打ち崩されたことだけは事実であった。