探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

131 / 278
 ネオユニヴァースが春の天皇賞にて劇的な勝利を飾った頃、名古屋レース場の現地トレーニング施設ではアグネスデジタルが興奮の度合いを全身で表現していた。推しのレースの様を観戦することについては余念のない彼女も、昨年来の長期休養を終えていよいよレースの場へと戻ってくる。世界を驚かせたオールラウンダーが復帰戦に選んだのは、かきつばた記念。新世代の才能が開花しつつある中で、なおも現役の舞台に立ち続ける強さを証明する場でもあった。


いかに離れど昂揚は分かたれず

 その春の天皇賞を、ネオユニヴァースが勝利した様は、当然ながら一瞬にして全国的なニュースとなった。

 

 むろん、天皇賞の結果を遍く世間が最大の関心事としていることは例年通りであったが、いつもさほど表情を変えないネオユニヴァースがレース後に見せた、本当に希少な笑顔も相俟ってのことだろう。

 

 トレセン学園から離れ、名古屋レース場近くのトレーニング施設で休憩しつつ観戦していたアグネスデジタルも、すっかり興奮しきってテレビ画面の前を歩き回りつつ喋りまくっていた。

 

「ひょぉおお!幾度思い返しても、あの追い込み!震えますねぇ!ほとんどセーフティーリードかと思われた、あの差を最後の直線だけで一気に詰めた加速!だって最大15バ身ほども引き離されてたんですよ!これはネオユニヴァースさんがウマ娘の神に守護されている証、いやネオユニヴァースさん自身が神!?」

 

「あぁ、今のレース、最終コーナーを回る時点では誰もがイングランディーレの勝利を確信していただろう。トレーナーとして見ても、あの局面から勝てるウマ娘がいるとは思えなかった。」

 

 喋りと全身で昂揚を表現しながら歩き回っているアグネスデジタルを前に、桂崎トレーナーもいつになく見たものに圧された様子で、椅子の背もたれに体重を任せて天井を仰いでいる。

 

 一般観客よりも、プロであるトレーナーであるほど、今の天皇賞の展開は圧倒される内容であった。全くネオユニヴァースは規格外の走りを見せつけたのだ。

 

〈スフィーラ。“NEBX”の中で、ずっと一緒だったのは“SETO”。『ぼく』が届かせたかった“XACF”だよ。〉

 

〈……な、なるほど!観客席の皆さんも、ネオユニヴァースさんの勝利を大歓声で讃えておられますね!〉

 

〈まだ、フライバイ。『わたし』を取り巻くスターフルイドの行方は“GENY”だよ。〉

 

 画面内では、ネオユニヴァースの相変わらず独特な言い回しを前にアナウンサーが苦心しつつも勝利ウマ娘インタビューが進んでいたが、桂崎トレーナーはある程度のところまで見てテレビのスイッチをオフにした。

 

 アグネスデジタルは延々と見続けてしまいそうなほどにのめり込んでいたのだが、当のデジタル自身、ノンビリしていられる状況ではない。

 

「休憩は充分に出来ただろう、クールダウンとはいかなかったかもしれないけれどね。明日のレースに向けて、最後の追い込みだ。」

 

「……ハッ!そうです!何といっても、私にとっては1年以上ぶりのレース出走ですからね!長いお休みをいただいたからって、腑抜けた走りを見せるわけにはいきません!あんまり気合い入れ過ぎてもいけませんけど!」

 

 一昨年の末から昨年にかけ、国内のみならず海外のレースでも活躍を見せたアグネスデジタル。

 

 芝とダートの両方で走るという前代未聞のスタイルで世界を驚かせ、香港ではエイシンプレストンと並んで、URAにアグネスデジタルありと世界中にその名を轟かせた。

 

 とはいえ度重なる海外遠征は、さすがの精力的なアグネスデジタルにも相当な負担を蓄積させた。そのため、彼女の体調が万全に戻り、再び十分なトレーニング負荷を掛けられるようになるまで1年以上の休養を取ったのだ。

 

「明日は先行策、得意の速度維持を活かしたレース運びだ。条件は全く違うが、あのネオユニヴァースのように後方から追い込んでくるウマ娘に交わされないようにな。」

 

「もちろんですとも!いやしかし、さすがに緊張しますねぇー!私が休んでる間も、ずっと走り続けてきた子たちが相手ですし!」

 

 口にした言葉とは裏腹に、まるで緊張しているようには見えないアグネスデジタル。挫けることがあっても立ち直りの早い彼女には、ベテランの風格も備わってますます安定感が身に着いていた。

 

 だが、彼女自身が言った通り、ウマ娘にとっての長期休養は大きな枷でもある。

 

 誰よりも担当ウマ娘を走らせたいと考えているトレーナーが、休養期間を挟まなければならないと下した判断は充分な根拠を備えている。そのまま走らせては、脚を壊し、下手をすればレースどころか立って歩く事自体がままならない状況に陥るためだ。

 

 しかしウマ娘の身体能力が本格化している時期は限られている。具体的には、トレセン学園の在籍期間が、多くのウマ娘が活躍できる時期に合わされている。

 

「といっても、私もまだまだデビュー5年目ですからねぇ。明日のかきつばた記念も、私よりも先輩ウマ娘さんが出走する予定じゃなかったでしたっけ?」

 

「ああ、キンノステージやアイリッシュパークは、デビュー8年目だ。他にもデジタルの1つ年上、2つ年上のウマ娘だって居る。」

 

「こりゃあ負けていられませんよぉ、まだまだ引退なんて考えてもいないんですから!」

 

 長期休養に入って、そのまま引退という流れもウマ娘の中では珍しくない。アグネスデジタルが休養している間も、数は多くないが彼女の引退の可能性を囁く噂が流れたこともあった。

 

 デジタル自身も、ちょっとだけ不安に思うことはあったが……今年に入って、桂崎トレーナーのもとで本格的な練習を再開した時、芝で、そしてダートで地面を蹴り出し走る自分の身体能力が維持されている実感を得たことで、引退への不安はすっかり霧消したのだ。

 

 デビューから5年目、既に引退しているウマ娘も多い年であるが、しかし10年近く活躍を続けるウマ娘だって存在する。

 

「タキオンちゃん、カフェちゃん、タップちゃんも、デビュー2年目で早々に休止期間に入っちゃいましたけれど……私の走りを披露して、ぜんぜん不安に思うことなんてないんだ、って伝えたいですし!」

 

「そうだね……とはいえ、タキオンとタップに関しては、いちいち不安がる性格でもなさそうだけれど。」

 

 後輩ウマ娘たちのことを気遣うのもアグネスデジタルらしい考え方ではあったが、彼女のことを見続けてきた桂崎トレーナーには、何よりもデジタル自身に発破をかける言葉であるように聴きとれていた。

 

 アグネスデジタルの軌跡は、まだ終わっていない。

 

 翌日、名古屋レース場の空は綺麗に晴れていた。ダートにおけるバ場状態は、芝とは逆に晴れであるほど重くなる。

 

 土というよりも砂が敷き詰められている日本のダートコースは、雨が降らなければ表面が固まらず、脚が埋もれやすい。さらにGⅢ相当のかきつばた記念が行われる前には、特別競走や限定戦のレースも行われるため、砂の暑さも均一ではなくなる。

 

「3枠ですからねぇ、コース条件によってはウチ枠から走らせていただけるのは有難いんですけど、砂の表面が荒れた後になってる懸念もありますし……まっ、昨日の天皇賞で世間の話題は持ち切りでしょうし、気楽に行かせてもらいましょうかね!」

 

「あぁ、プレッシャーを感じる必要はない。トレセン学園の方からは、タキオンと鷹木トレーナーから応援のメールが届いてるがな。」

 

「ひょぉお!タキオンさんに鷹木トレーナー!あの方々もマメですねぇ!」

 

 桂崎トレーナーがデジタルへ向けたスマホ画面には、タキオンに無理やり引っ張りこまれたのだろう、鷹木が服の襟元をタキオンに掴まれた状態で自撮りの画面内に映っている姿があった。

 

 自分のことを応援する面々の思いを受け取り、控室を出ていくアグネスデジタルの脚は自然と弾んでいた。

 

〈いよいよ発走時刻を迎えます、かきつばた記念。4年前に新設されました、この中央・地方全国指定交流重賞競走。今年で5回目の開催となります、1番人気ビワシンセイキ、東京大賞典やフェブラリーステークスで見せた実力の持ち主にも注目が集まる所ではありますが、やはり本日名古屋レース場に詰めかけた多くの観客が待ち望んでいたのは、今回は4番人気となりました、アグネスデジタルの復帰でしょう。〉

 

 実況がアグネスデジタルの名に言及すると同時に、観客席からは歓声と拍手が巻き起こる。

 

 世界の舞台でもない、地方ダートレースの場ではあったが、アグネスデジタルは自分の走りを見に来たファンたちへ手を振り、そして深々とお辞儀をしてからゲートに入った。

 

(香港のレースの時と同じ走りが出来るかどうか、だなんて不安、もうどっかいっちゃいました。やっぱり、私が居る場所は、レース場です。ここでなら、全力で走れます……!)

 

 走り続けるために採った、長期休養という選択肢。しばらく離れ続けていたレース場に、自分の帰る場所があり、自分の存在をかみしめられる実感がある。

 

 今まさに休止状態が続いているアグネスタキオンが、そんなデジタルの心の声を聴いたならば、心底から羨ましがったろう。

 

〈全ウマ娘、体勢完了……スタートしました!12名綺麗に横一線のスタートとなっています、さぁ最初のポジション争いです、まずはウチからノボジャックが先頭に立っていきます、そして2番手には早くも来ましたアグネスデジタル、その外からはスターリングローズが続きます、中央トレセン学園の3名が先行集団を形成しています。各ウマ娘、1コーナーに入るところ、ウチからはビワシンセイキ、ビワシンセイキ前から4番手といったところであります。〉

 

 幾度もの練習を繰り返して体に戻って来た感覚の通り、まずは自分の想定通りのポジションにつくことが出来たアグネスデジタル。

 

 独りで速く走れるだけではない、周囲の競争相手との駆け引きもレースにおいて勝敗を左右する重要な因子である。

 

(レースの展開は日進月歩、ウマ娘ちゃんたちが切磋琢磨を続けるほどに、レース全体のレベルも上がっていきます……まだ、私が引き離されるほどではありませんね!)

 

 それでもアグネスデジタルは油断なく、前方を逃げるノボジャック、そして後方や外側についてこちらをマークしている様子のウマ娘たちの位置へ常に意識を向け続けていた。

 

 名古屋レース場は、コーナーポケットからスタートする最初の直線でポジションが定まれば、後はゴールまでコーナーと短い直線とを繰り返す。1400mという距離の中、次に位置取りが動く時は、すなわち勝敗が決する時だ。

 

〈ビワシンセイキの外にはマルカセンリョウ、名古屋の大将格マルカセンリョウが5番手のポジション。そして2バ身後にはタイキリメンバー、ブラウンシャトレーが並んで続きます、そしてウチに入ったのはナイティナイナー、さらに5バ身6バ身開いて後方グループ、アイリッシュパーク、そしてキンノステージ後方から2番手、最後方にはリードジャイアンツ、こういった態勢で各ウマ娘これから3コーナーへ向かっていくところ、600の標識を通過!〉

 

 実況アナウンサーが読み上げるべきウマ娘の名前も、レース展開においては限られた時間の中であり、おのずから早口となっていく。

 

 残り600の標識、大きなレース場ならばそろそろ最終コーナーを回っている頃であるが、この名古屋レース場のダートコースにおいては未だ向こう正面の直線の途中である。

 

(調子を狂わされてはなりません、後ろから仕掛けてくるのに遅れていては、あっという間に追い抜かれてしまいます……!)

 

 アグネスデジタルはじわじわとコースを外側へ移し、先頭のウマ娘を追い越せると同時に自分がコース内側へ閉じ込められないような位置取りを行っていた。

 

 ここまでは、順調である。デジタルは、自分に並びかけてくる蹄音を聞きながら、慎重に慎重に速度を上げていった。

 

〈さぁ先頭はノボジャック、アグネスデジタルも前へと出る準備をしているが、ここで外からスターリングローズ上がって来た!2番手アグネスデジタルの外に並びかけています、その後ろからはビワシンセイキ!ビワシンセイキも前へと出ようとする態勢!3,4コーナーの中間を通過していきます!前グループ3名が固まっています、ウチにノボジャック、間にアグネスデジタル、外にはスターリングローズ!〉

 

 コーナーを出る頃には、アグネスデジタルの両脇にほぼ同じ速度のウマ娘が並んで走っていた。

 

(理想的なペース、他の皆さんも取れてるわけですね!ここから先は、デジたんの本気と競い合いですよ!)

 

 とは言っても、アグネスデジタルは余裕でこの集団から抜け出せるとは考えていなかった。

 

 やはり、柔らかな砂に埋もれる脚が重い。むろん先頭で駆け続ける程度のスピードは充分に出ているのだが、僅かに理想的なスタミナ量には足りない。

 

〈横一列に並んで最終直線!ここで追い比べだ!先頭はノボジャックか、しかしアグネスデジタル!アグネスデジタルとならんで、スターリングロ……そっ、そろ、失礼、そとからビワシンセイキ!外からビワシンセイキ!!スターリングローズが食い下がるが、ビワシンセイキが先頭でゴールイン!勝ちましたビワシンセイキ、最後の最後、凄まじい加速でした!〉

 

 実況アナウンサーが、思わず喋りの最中で噛んでしまったのも無理はない。

 

 ノボジャック、アグネスデジタル、スターリングローズが並んでゴールを目指すかと思いきや、大外から駆けあがってきたビワシンセイキが一気に先頭に立ち、そのままゴールしていったのだ。

 

 3着にはブラウンシャトレーも食い込んでいたのだが、実況がそれに言及している余裕もないほど、予想の死角から飛び込んできた走りであった。

 

「あぁっ……はぁ、はぁ……わ、私は、四位ですかぁ……何というか、勝てなかったけれど、しっくりくる結果にも聞こえますねぇ……。」

 

 アグネスデジタルは、ゴールの直後、しっかりと息切れし、スタミナを使い果たした自分の状態を実感してから、顔を上げる。

 

 走り自体に、問題は無かった。スタミナを余らせたまま、相手の瞬発力に負けたわけではないし、ゴールするまでにスタミナ切れを起こしたわけではない。

 

「いやいや、このスピードに追い付けなきゃあ、デジたんの走りじゃありませんよ。私はまだまだ、ウマ娘ちゃんのキラキラを最前列で摂取したいんですからね!」

 

 ゴール直前、飛び込んできたビワシンセイキの存在に意識を向けられていなかったのは、やはり自分に並んで走っている面々を意識するだけで精いっぱいだった証である。

 

 いくつものレース本番の舞台を乗り越えてきたアグネスデジタルは、自分の走りの分析も、そして気分の切り替えもスムーズであった。

 

 大歓声の中、なおも自分の名を呼ぶ観客たちに手を振り返し、そのまま足取り軽く地下バ道へとウイニングライブの準備のために戻っていった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。