〈あなたが動くべきです!キングさん!〉
「えぇと、急に、何のお話かしら……?」
キングヘイローは、唐突に通話してきたアグネスデジタルが開口一番に放った言葉を前に、困惑していた。
時刻は夕方、トレセン学園へと戻るバスの車内である。
車窓の外は夕映えに美しく染まる街並みが流れているが、そちらに目を向ける者は居ない。
キングヘイローを含めたトレセン学園スタッフは、今後のスケジュール調整に追われてタブレットやノートPC画面と睨み合っているか、疲労のあまり寝落ちしているかのいずれかである。
そして隣席には、キングが指導担当しているウマ娘……すなわち、ジャングルポケットが疲れ切った様子で寝息を立てていた。
スマホの通話口越しにでもよく響くアグネスデジタルの声が、ポッケを起こしてしまわないかと気にしつつもキングは応答を続ける。
「もうじき私たちはトレセン学園へと帰着しますから、大事なお話なら、直接会っても……」
〈いえ、私はすぐにでも練習を再開しなければなりませんので、唐突なお電話で不躾ながら今お伝えさせていただきたく!〉
今の時期、アグネスデジタルが練習に追われているのは無理もない。6月に入って間もなく行われる安田記念、その大舞台にデジタルは出走するのだ。
長い休養期間を経て出走した、前回のかきつばた記念は四着という結果に終わった。かつて世界の舞台に立ったアグネスデジタルの実力に衰え無しと証明するためにも、安田記念に向けて走りを磨く鍛錬は弛まぬものでなければならない。
現在も、限られた休憩時間の合間を縫って通話しているのだろう。アグネスデジタルは逸る気持ちを語調にて露わとしつつ、即座に本題に入った。
〈ジャングルポケットさんのことです!東京優駿にて勝利、見事今年度のダービーウマ娘となったポッケさんですが、彼女を祝い、ねぎらう場は未だ用意されていないのではないかと!〉
「世間からは、ちゃんと賞賛の声を戴いているわよ。今日も、ダービーウマ娘の特集を撮影する番組の特別ゲストとして呼ばれて、ジャングルポケットさんはしっかりとインタビューに答えて……」
〈それはお仕事ですから!もてなされる側じゃないんですよ!ポッケさん、疲れ果ててしまってるんじゃないかと!このところ、そればかりが気がかりで気がかりで!不肖デジたん、ポッケさんの出演した番組を全て録画ないし録音しておるのですが、そのデータの膨れ上がる様がポッケさんの疲労度と比例しているのではあるまいかとばかり考えてしまいまして!いや失礼、ここまで来ると厄介ファンの余計なお世話かもですな!〉
相変わらずの推しウマ娘に対するデジタルの熱量に圧されつつも、キングヘイローの内面には自省の念も湧きつつあった。
ジャングルポケットが日本ダービーを勝利した直後から、様々なメディアによる取材の申し込みが入るのは必然である。言うなればビジネスチャンスでもあり、ジャングルポケットの姿を載せたポスターの撮影などの依頼も入ってきた。
一生に一度、一年にたった一名のウマ娘だけが浴することのできる栄光、ダービーウマ娘の称号。
その偉業は存分に讃えられるべき、という思いはジャングルポケットの担当トレーナーとして指導を行ってきたキングヘイローの胸中にあり、それが各種メディアによる取材を引き受けることに繋がったのも確かである。
しかし……キングヘイローは、改めて隣席に目を向けた。
すっかり熟睡しきっているジャングルポケットは、今日の撮影現場で受け取った、両腕で抱えるほどの大きな花束を脇に置いたまま、寝息を立てつづけている。
バスが揺れるたび、頬を撫でる花束の先がくすぐったいのか、背けられた顔はキングヘイローの方を向いていた。レースで走るのとは全く別種の疲労、慣れない撮影を終えた後の疲労が色濃くポッケの顔に浮かんでいた。
「……率直に喋ってくれてありがとう、デジタルさん。本当は、私が断らなければならなかったのですものね……ほうぼうから送られてくる、取材の申し込みを。」
〈いっ、いや、いやいや!もちろんポッケさんが世間から賞賛される場は、あって然るべきだとデジたんも思いますよ!〉
「その通りだけれど、これは私の性格が招いた状況だから。頼まれると、断れないのよ。そして一度取材を引き受けたら、他所からの依頼を断る理由も無くなってしまって。」
ジャングルポケットへの取材申し込みが殺到した理由には、同年の皐月賞ウマ娘であるアグネスタキオンへの取材が満足に行えなかったことも影響していただろう。
皐月賞の後は、その特集を組むのが通例となっていたところ、タキオンは早々と無期限の活動休止を宣言して外部メディアの前から姿を消した。その担当トレーナーである鷹木もまた、世間と関わりを断って過ごす類の人間であったため、ますますマスメディアは供給不足に陥っていた。
そのため、日本ダービーの直後から、今度こそ特ダネを逃すまいと各テレビ局、新聞社、その他あらゆるニュースサイトはこぞって取材予約を取りつけに掛かったのだ。
ジャングルポケットの専属トレーナーとして指導に当たっていたキングヘイローが、殊に他人からの頼みを断れない性格であると見抜かれたのも、状況に拍車をかけたことだろう。
精力的に出演番組を増やしているスペシャルウィークを覗き、黄金世代のウマ娘たちは各々のプライベートのため世間への露出がほぼ無い。キングヘイロー自身が衆目の前に出てくる機会をも、メディアは逃そうとはしなかった。
今となってはキングヘイロー自身、そうした情報発信者たちの思惑にも既に気づいていた。
スケジュール調整の画面を開いていたノートPCをパタンと閉じ、緊張の張りつめていた背中を座席にもたれさせながら、キングヘイローは応える。
「ちょうど、今のところ引き受けたインタビューの依頼は、全部こなしたところ。まだまだ許可待ちのメディアさんもおられるのは申し訳ないけれど、ジャングルポケットさんを取材に連れ回すのは、もうおしまいにするわ。」
〈申し訳なく感じることなんてありませんよ!それがいいです、世間で待つファンの皆様へのウマ娘ちゃん情報の供給は、もう十分だと思われますので!それで、ですね……キングさん自身もお疲れのこととは思いますが、もうひとつのご提案があるのですよ。〉
「あなたの仰ることだから、ジャングルポケットさんの祝勝会、かしら。」
〈そう、そうです!いつもの調子が戻ってきましたねキングさん!だって考えてもみてくださいよ!いつもの面々、キングさん以外では、お祝いの場を設けるようなメンツ、いませんからね!〉
今やトレセン学園からは黄金世代どころか、その後の覇王世代の面々もほぼ引退して去った後である。
周囲を賑やかにすることに関しては事欠かないものの、賑やかな場を自ら手を尽くして準備するようなウマ娘、ないしトレーナーが居るかと問われれば……思い浮かべる限り、確かに該当者はいなかった。
〈トレーナーさん方は例年の忘年会でパーティー不慣れ感が全開ですし、シャカールさんもアヤベさんもカフェさんも喧しいのは好まれませんし、トップロードさんは協力は惜しまないでしょうけど自分から騒ぐ方ではありませんし、自身も日本ダービーを走ったダンツちゃん自らがお祝いするわけにもいかないでしょうし、タキオンさんにパーティ準備を任せたらどんなハチャメチャが巻き起こるともしれませんし……〉
「えぇ、私が祝ってあげる他になさそうね、聴けば聴くほどに納得よ。」
〈すみません!このデジたん、差し出がましいことを!言うだけ言って、私自身はガッツリ参加できるわけでもないのに!でも、時間の空きさえあれば、僅かでも顔を出しに行きますので!〉
「いえ、気にしないで、私自身が必要だと感じていたことでもあるのだから。デジタルさんは、安田記念に向けて、頑張って。」
〈ひょわぁぁ……〉
ちょうどトレセン学園の敷地内へと入るバスの揺れと同時に、アグネスデジタルからの通話は申し訳なさそうな鳴き声とともに切れた。
ジャングルポケットが目を覚ましたのは、バスがトレセン学園へと戻って来てから数十分後のことである。
「……ん?あ……?あれ、寝ちまってた……。」
横を向いていた顔を正面に戻せば、身体の脇に抱えていた花束が頬をくすぐる。
取材先で受け取った花束は余りに大きく、持ち運ぶのにも一苦労するほどの代物だったのだが、相手から贈られたものを律儀なジャングルポケットはずっと抱え続けていたのだ。
花の香りを嗅いでいる内に鮮明になってきた視界で、まず最初に認識したのは周囲の暗さである。
「……えっ。今何時だ?夕方にはトレセンに帰ってるはずだったんだが。トレーナー?あれ?キングヘイロートレーナー?」
隣の席に座っていたはずのキングヘイローの姿はなく、取材に同行していたはずのトレセン学園スタッフたちもバスからすでに降りた後のようだ。
頭から冷や水を浴びせられたかのごとく、急激に覚めた目で車窓の外を見回せば、そこはトレセン学園の校舎裏にある駐車場であった。さすがに見覚えのある光景を目にして多少は落ち着きを取り戻したものの、現在自分の置かれた状況が不明であることに変わりはない。
「やっべ、まさか、俺がずっと爆睡してたせいで、起こすのも諦めてみんな先に帰っちまったのか?怒られちまうかな……。」
理性ではなんとなくの推測がついたとしても、それでも知らぬ間にひとりぼっちになっている状況における言いようのない不安は、ウマ娘の本能に刻まれたものだろうか。
眠りこけていた自分が叱られるかもしれないという不安よりも、周囲に誰も居ない状況に対する恐れが上回ったジャングルポケットは大慌てで座席から立ち上がる……。
そして、バスの前方、黙ったままこちらを見つめている謎のウマ娘の存在に今さら気が付いた。
「うぅわぁああァァ!?だっ、誰だっ!!??」
「Sorry to startled you……お前が、目を覚ましたら、escort、する、任務を、与えられた。」
そのウマ娘は、漆黒の長髪をなびかせ、そしてバスの天井に背が届くかとも思われるほどの長身で、通路の真ん中に立ちはだかっていた。
威圧感溢れる体躯とは裏腹に、喋り方はごく落ち着いたものであり、彼女の眼差しからは生真面目さと、そして僅かな緊張が見てとれた。
さらに制服にようやく着慣れだした頃だというところまで見抜ければ、今年入学したばかりのウマ娘であることはすぐに知れただろうが、得体の知れない存在を怖がるジャングルポケットにはそこまでの余裕はない。
「だ、だだっ、誰だって、聞いてんだろが!」
「私の、名前は、シンボリクリスエス。今年、トレセン学園に、入学した。よろしく……ジャングルポケット、先輩。」
「せ、先輩?俺が……。」
クリスエスの落ち着いた物言いも相俟って、ジャングルポケットの動揺は急速に鎮まっていった。
年がら年中、ヒマそうにトレセン学園内をフラフラしているタキオンとは違い、練習に一生懸命に打ち込んでいるジャングルポケットが後輩ウマ娘の顔を知らないのも無理はない。
とはいえ、先輩ウマ娘との初対面時から急に叫ばれたうえ警戒されているクリスエスの表情にみるみる困惑の色が広がっていく様は、ポッケの内面に冷静さを与えるにおいて十分すぎる光景であった。
気まずそうにバスから降りたジャングルポケットは、シンボリクリスエスに連れられて校舎へ向かいつつも口を開く。
「いや、悪ィ、俺も寝起きで頭がボーッとしててよ。今年入学したウマ娘か、お前。いいガタイしてんな、デビューも早い時期から出来んじゃねーか?」
「Not so much、Trainerからは、私の走りは、来年のautumn……秋からだ、と言われている。」
「マジか、来年のクラシック三冠をお前が獲りそうだ、って言われても不思議じゃねーのにな。」
やり取りを続けつつも、ジャングルポケットはシンボリクリスエスと名乗ったこのウマ娘のことをさほど良く知らない。
先輩ウマ娘らしく、気兼ねなく話し合える空気を作ってやろうと苦心していたが、肝心のクリスエス自身が饒舌な性質ではないため、その試みもかなり難航することとなった。
ある程度親しく喋ったあと、ところで自分をどこに案内するつもりなのか、とポッケは尋ねたかったのだが。
「先ほど……私は、ジャングルポケット先輩、のことを、お前、と呼んだ……だが、先輩も、私のことを、お前、と呼ぶ。先輩を、呼ぶときに、お前、というのは、間違い、か……?」
「あ?んなこと気にしねーよ、まぁそりゃ、ちゃんとした呼び方しなきゃならない時は、お前って言い方は良くねーかもしれないけどよ。」
「では、お前様、と、呼ぶほうが、良いか?」
「いやいや、そっちの方が変だって。俺を呼ぶときはポッケ、でいい。まぁ、ポッケ先輩、って言ってくれてもいいけどよ。」
「ありがとう、では、ポッケ先輩。……ここだ。」
会話が打ち切られるのと同様に、唐突にクリスエスは立ち止まった。
彼女が指さしたのは、トレセン学園校舎の会議室である。
学生たちはほぼ近寄ることのない区画であったが、ジャングルポケットは以前、一度だけここを訪れたことがあった。他ならぬ、昨年の忘年会の時である。
「……妙に静まり返ってるけどよ、この中で何を始める気なのか、お前は知らされてんのか?」
「知らされてはいない……が、私が、タキオン先輩に呼ばれた時、partyの飾りつけを、皆、していた。」
「タキオンの奴……いや、タキオンがんなこと思いつかねーよな。キングさんの計画に、アイツも呼ばれたってとこか。」
ようやっと、ジャングルポケットの思考の中でも状況がつながった。
キングヘイローが、大事な担当ウマ娘をバスの中に放置して席を外すことは考えられない。ジャングルポケットに内緒で進めておくべき計画のため、先んじてトレセン学園校舎内に戻ったのだろう。
が、ジャングルポケットを見守る者が誰も居ない状況にも出来ない。そこで、同期のアグネスタキオンに頼み……タキオンが、更に顔見知りの後輩であるクリスエスへと頼んだのだろう。
「お前もタキオンのせいで、先輩連中の企みに巻き込まれたのか、災難だったな。」
「私は、ダービーウマ娘に会える、と言われた。その通りだったから、満足、している。」
「まぁ、間違いじゃねーけど。」
クリスエスからの真っすぐな眼差しと言葉をくすぐったく感じつつも、これ以上自分の登場を長引かせても仕方ない、とばかりにジャングルポケットは会議室の扉を勢いよく開く。
と同時に、紙吹雪と色とりどりのテープが宙を舞い、正面で出迎えていたキングヘイローの声と共に拍手が沸き起こった。
「ジャングルポケットさん、日本ダービー勝利、おめでとう!こうしてお祝いできるのも遅れてしまって、ごめんなさいね。」
「謝らないでくれよ、キングさんこそ疲れてんだろうに、こんなパーティの準備までしてくれてありがとうな。」
おそらく、今日の練習を終えた面々にも声をかけて回ったのだろう。ダンツフレームも、マンハッタンカフェも、ナリタトップロードもアドマイヤベガも顔をそろえていた。
そして、アグネスタキオンも。彼女はスマホのカメラを入室するジャングルポケットの顔に向けていたのだが、少々不満げであった。
「ふぅン、もう少しジャングルポケットくんの引きつった表情が記録できるかと思ったのだがねぇ。クリスエスくん、厳かにエスコートするよう告げた私からのミッションは忠実に遂行したのかい?」
「おごそか……?丁重に、escort、した。」
「なるほどな、タキオン。俺がビビってる顔を撮影する気満々だったってことか。」
「いやいや、由緒正しき日本ダービーの祝勝会だ、羽目を外し過ぎるのも良くないと思ってのことでだねぇ……ささ、クリスエスくんも遠慮しないで、入って来たまえ。」
言い訳をしているタキオン自身が、既にキラキラと輝く金色の房を付けたパーティ帽を被っていた。
日本ダービーに勝利したことを祝う言葉だけであれば、ポッケは既に様々な番組による取材のなかで数え切れないほど受け取っていた。
が、いっさいの気兼ねや遠慮とは無縁の状態で祝われるのは、このトレセン学園、会議室を即興で飾り付けた会場でのパーティが初めてのことであった。