探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 宝塚記念の熱狂も去り、今年もまた夏合宿の時期が近づいてくる。例年のごとく、結城トレーナーが個人所有する合宿所の招待状を手に、アドマイヤベガはアグネスタキオンと鷹木トレーナーのもとを訪れた。鷹木はいつも通り、自分の担当ウマ娘が迷惑を掛けないかという懸念ばかりを抱えていたが、タキオンの方は彼とは全く別種の、そしてスケールも異なる悩みを抱えていた。それこそ、アドマイヤベガと趣味を共有する天体観測にも関わってくる悩み……いや現実に見いだされる異常であった。


ひずみに気づけば、ヒビも広がる

 昨年度の鷹木トレーナーが夏合宿の心配を勝手に膨らませ、独りで奔走していたことを覚えていたのか、結城トレーナーの担当ウマ娘のひとりであるアドマイヤベガは今年、7月早々に彼の元を訪れた。

 

 夏合宿の心配とはすなわち、アグネスタキオンの夏季期間中をどのように過ごさせるべきかという内容である。

 

 昨年度は、トレセン学園に入学してまだ1年目、すなわちジュニア級だったアグネスタキオン。

 

 トレセン学園1年目には予定されている夏合宿など無く、夏の間を勝手気ままに過ごしかねないタキオンに、いかにしてトレーニングを続けさせ、更には出席日数の足りない授業の追試合格を果たすための勉強時間を確保させたものか……と鷹木は頭を悩ませていた。

 

 しかし、今年度の悩みは別種である。そもトレセン学園2年目、クラシック級に上がったウマ娘にはトレセン学園から公式に合宿の場が用意されている。

 

「だが、今のタキオンはまだ本格的なトレーニングには戻れない。それに同学年での合同の合宿となれば、他のウマ娘たちを“実験”に付き合わせる等してタキオンが迷惑をかけてしまう可能性も高い……。」

 

「二つ目の懸念の方が大きそうね、鷹木トレーナー。悩んでいる頃だろうと思って、結城トレーナーからの合宿の招待状を持ってきたわ。」

 

 トレーニング場の入り口から顔を覗かせたアドマイヤベガに差し出された封筒を、鷹木は有難く押し戴いた。

 

 スマホやタブレット経由でメッセージを届ければ手軽に情報伝達の済む現代ながら、便箋の上に一字一句忽せにせぬ几帳面な字が連ねられた結城トレーナーからの文面は、彼の個人で所有する合宿所への招待を告げていた。

 

 よほどの理由がない限り、トレセン学園公式の合宿への不参加は認められない。その“よほどの理由”のひとつが、結城トレーナーからの招待である。

 

 URAの歴史の生き証人、レジェンド級の人物である結城トレーナー。運営するには莫大な資金が必要となる合宿所を、個人で所有できるトレーナーも彼ぐらいのものだ。

 

 そんな人物からの招待を……まだまだベテランと呼ぶには心許ない経歴の鷹木が数年連続で受け取っていたのは、ひとえに担当したウマ娘の才能が優れていたおかげであった。

 

「結城トレーナーには重ねて礼を言っておかなければ。毎年、問題児を連れ込んでしまうことへのお詫びの方が先かもしれないが……。」

 

「あの人が負担に感じるほどのことなんて、そうそうないわよ。それよりも、今日は随分静かなのね、あの子。」

 

 鷹木に返答しながら、アドマイヤベガが視線を向けた先はトレーニング機器に取り組んでいるアグネスタキオンの姿である。

 

 いつも通り、休止期間中も筋力を衰えさせることがないように、脚に軽い負荷をかけるトレーニングを続けているタキオン。先月よりも徐々に錘の重量を増やしてはいるが、本格的なトレーニングにはまだ遠い。

 

 アドマイヤベガがこの場を訪れていることにタキオンも気づいてはいるはずだが、彼女はただ黙々とペダルを踏み、錘を上げるトレーニングを続けていた。

 

「無駄口を叩かず真面目に練習するようになった、ってわけではないようね。あの子の性格がそうそう容易く変わるとは思えない。」

 

「あぁ、実は、考え込む時間も増えているんだ。時間が許すなら、タキオンの相談に乗ってもらえると嬉しいんだが。」

 

「いいわ、タキオンさんと喋るのもしばらくぶりだし。」

 

 タキオンとアドマイヤベガが直接言葉を交わすのは、日本ダービー後の慰労会で皆が顔を合わせた時以来である。その場においても、対面してじっくりと会話するわけではなかった。

 

 アドマイヤベガとの対話の場がほとんどなかったのは、タキオンの思惑も働いていたためである。

 

 件の異変、今年の京都記念と阪神大賞典、金鯱賞そして宝塚記念にて、一年前と全く同じ出走ウマ娘が揃い、ほぼ同じレース展開と結果が繰り返された、という非現実的な出来事。

 

 アドマイヤベガが、その渦中に居るウマ娘のひとりでもあったためだ。全く同じレース展開の中で懸命に、勝利を目指して全力で走り、異変が起きていることには全く気付かぬまま、レース結果を受け入れている面々。

 

 ウマ娘がどれだけ一生懸命に走っても、既に可能性世界の中で決まった順位にしか行き着かない恐れがある……という事実を彼女に認識させることは、さすがのタキオンも慎重にならざるを得なかったのだろう。

 

 とはいえ、エアシャカールが去年よりも上の順位で宝塚記念を終え、その縛りを脱する希望は見えた今、アドマイヤベガへ話を持ち掛けることも十分に視野に入っていた。

 

 そも、夏合宿を前にしてタキオンの頭を悩ませていたのはウマ娘レースのことではなく、アドマイヤベガにしか相談できないような内容でもあった。

 

「アドマイヤベガ先輩。今年の夏合宿中の天体観測については、準備しているかねぇ?」

 

「……え?」

 

 トレーニングの定められたセットを終え、にじみ出る汗をタオルで押さえながら寄って来たタキオンは、前置きも無く唐突に切り出す。

 

 先輩ウマ娘が相手であろうともお構いなし、挨拶や前置きもなしにいきなり本題を口にする様は、どれほどタキオンがその一点について考え込み続けていたかを如実に示していた。

 

 確かにアドマイヤベガは天体観測も趣味にしており、昨年の合宿では天体望遠鏡を持ち込んだタキオンにあれこれとアドバイスする姿も見られたが……ひとまずは、合宿に向かうウマ娘の先輩として忠言を垂れる。

 

「遊びに行くわけではないのだから、趣味は二の次よ。特にあなたは今年、現役復帰に向けてトレーニングにも専念しなければならないんだし、結城トレーナーも有意義な夏季を過ごしてもらいたいという思いもあって個人合宿所へ誘っているのだから……」

 

「火星の大接近が、今年の夏、起きるそうじゃないか。」

 

「……へ?」

 

 結城トレーナーがタキオンを個人合宿所へ誘ってくれた理由については、鷹木は自然と首を垂れるところであったが、当のタキオンはお構いなしである。

 

 それどころか、アドマイヤベガの言葉を遮ってまで、タキオンが本来語りたい内容へと無理やり引き戻していた。

 

 先輩に対する礼儀とは完全に無縁な振る舞いを続けるタキオンを前にして、アドマイヤベガが呆気にとられるのも無理はない……と鷹木は冷や汗をにじませながら考えたが、まもなく、アドマイヤベガもまたタキオンの語る内容に食いついたことは明らかとなった。

 

「それは、本当に?ニュースにもなってるの?」

 

「あぁ、いつものお気楽なメディアの調子で、夏休みの子供向けのトピックとしてのみの紹介だったがねぇ。しかし仮にも世の中へ情報を伝えるのが務めであるマスメディアが、軒並み誤情報を流すとは思えず、私も実際に夜通し起きて深夜の星空を確認したんだよ。」

 

 だからこのところ寝不足気味が続いているのか、と鷹木はずっと押し黙っていたタキオンの実情を初めて理解した。担当し始めて一年以上経った今でも、タキオンは担当トレーナーへ語る内容を選ぶウマ娘であった。

 

 アドマイヤベガは、未だ半信半疑と言った表情ではあったが、タキオンがあまりに真剣な調子で語るのを前にして、じっと次の言葉を待っていた。

 

「……確かに、観測できたよ。夜中を過ぎて、秋の星座が昇ってくる頃、みずがめ座のデルタ星付近に、明らかな惑星が存在した。2等級より暗い星しか存在しないみずがめ座の中では際立った明るさだったよ、マイナス1等級ほどだったねぇ……昨年と全く同じ位置だ。」

 

「そんなはず、ないでしょう。だって、火星の公転周期は地球の約1.9倍なのよ。去年と同じ位置に見えるなんて、ありえない。」

 

「私もそう考えたんだ、火星以外の他の惑星、殊に明るく見える木星の位置も確認したが、こちらも昨年と同じだった。全く、天体の運行を無視した、非現実的な現象だよ。」

 

 アドマイヤベガは、自分が聞いた内容そのものよりも、アグネスタキオンの発言の意図自体を疑う様子で、じっと相手の目を見つめていた。

 

 ……が、アグネスタキオンの表情は真剣だった。平常ならばほぼニヤニヤし続けている彼女が、まったく口角を上げることなく、真っすぐに相手の目を見て語るのは実に稀有な態度であった。

 

 鷹木は、タキオンが自分に語らなかった理由を何となく察していた。ウマ娘レースのことに関してはプロであるトレーナーも、天体の知識までは持ち合わせていない。今年の夏の星空が、去年の夏と同じだ……と言われても、何がおかしいのか理解できなかっただろう。

 

 アドマイヤベガが根本的な異常性に気づけたのは、タキオンと同様に天体の運行についての知識を有していたおかげであった。当のアドマイヤベガは、まだ信じた様子ではなかったが。

 

「あなたが私をからかっているのでなければ、別の明るい発光体を火星と見間違えたのだと言いたいけれど……世間のメディア全てが、火星の大接近が今年の夏に起こると報じているのよね。」

 

「しょせんは子供向けのトピックだとばかりに、マスメディアが杜撰な取材でも行ったのかと考えたが、それにしても全国の科学者や天文学者が異を唱えないのはますます異常だねぇ……。私も、単なる見間違いだと信じたいが、全世界の観測者が同一の見間違いを起こす偶然もまた、よほど非現実的だねぇ。」

 

「……真相を確かめるには、実際に自分自身で星空を観測する他にない、ということね。分かったわ、私も自前の天体観測機材を持っていく。月明りのない、晴れた夜を見計らってトレーニング休憩と天体観測の日を設けるように予定を組みましょう。」

 

 もとよりアドマイヤベガ自身も、シニア級以降の年は夏合宿中にも自ら休憩期間を設けるようになっていた。初の夏合宿で、休憩日の提案を行ったオペラオーに硬く反対していたアドマイヤベガの姿は既に懐かしい。

 

 その返答を得て、アグネスタキオンはようやく表情を緩めた。それが純粋な安堵であることは、普段からタキオンのことを見ている鷹木でなくとも伝わる表情であった。

 

「あぁ、聞き入れてもらえて助かるよ。昨年同様に、8月の末には大接近状態にある火星が地平線から昇ってくる時刻も早まるし、また月も新月となって観測条件は整うはずだねぇ。まったく、月齢までもが一年前と等しくなるとは、どうなってしまったんだろうねぇ、この世界は……。」

 

「……本当ね、太陽暦でのちょうど1年の経過と、月の周期が一致することはないはず。言われてみればみるほど、奇妙な事実が見えてくるわね……。」

 

 世間一般が異常に気付かず、また自分の担当トレーナーも天文には疎い状況で、自分ひとりだけが明らかな世界の異変に気付いているのは、実に心細いことだったのだろう。

 

 アドマイヤベガがようやく、本腰を入れて異常に向き合う姿勢を見せたことで、アグネスタキオンの表情はいよいよ明るさを取り戻していった。

 

 ……とはいえ、タキオンも全てを語ったわけではない。夏合宿予定の約束を交わしたアドマイヤベガが去った後、タキオンは鷹木へ告げた。

 

「そういえば、とでもいった調子で、ウマ娘レースの方の異変もアヤベ先輩は話し始めてくれるだろうかと期待していたのだけれどねぇ。これといって言及は無かったねぇ。」

 

「だな。やっぱりアドマイヤベガの認識では、京都記念も阪神大賞典も、今年初めて起きたレース展開だってことになってるんだろう。直接教えるつもりは無かったのか、タキオン?」

 

「Parcaeによって可能性世界を間接的に観測するシャカール先輩や、可能性世界をおそらく直接観測できるネオユニヴァースくんとはワケが違う。アドマイヤベガ先輩に私が教えてしまっては、純粋な観察対象たり得ないだろう?」

 

 思い返せば、タキオンがマンハッタンカフェをこの異常について話し合える仲として選んだのも、カフェ自身が異常事態に気づいていることを確認した上でのことである。

 

 アドマイヤベガのみならずナリタトップロードも、一年前と全く同じレース展開を、それと気づかず繰り返しているウマ娘の一員であったが、まだタキオンは直接的に異変について報せるつもりはないらしかった。

 

「とはいっても……走っている面々自身が気づくのも、時間の問題のような気がするけれどねぇ。」

 

「なんでそう思うんだ?」

 

「気がする、と言っただろう?確証はないさ。ただ、私も自力で気づいたんだからねぇ。普段から探求の道を志しておらずとも、ウマ娘である以上、ウマ娘レースの異変に延々と気付かないでいることはあるまいよ。」

 

 そうなれば、違和感や不安は大勢のウマ娘たちの間で共有され、更には世間的な問題としても認知され、事態の究明は近づくという方向に期待も抱き得る。

 

 ……が、タキオンの表情は懸念の一色に染まっていた。

 

「この現実が、現実として意味のある現象で構成されている―――と、この世界の構成員たる人間およびウマ娘たちが心底から信じているからこそ、この世界は維持できているのだ、とは思わないかい?トレーナーくん。」

 

「えっと……?すまない、もうちょっと分かりやすい言い方で頼む。」

 

「私にとっても、この懸念を言語化するのは少々難しいんだ。ネオユニヴァースくんの気持ち、いたく理解できるよ。」

 

 タキオンは口を半開きにしたまま、顔を俯け、そのノイズの走ったような目の中で暫く思考を巡らせていた。

 

 意図した言葉を、明確な意識の中で組んだのではなく……構築されていく思索の大混雑の中から、辛うじて抜け出た言葉だけが彼女の口から零れ落ちるかのごとくであった。

 

「たとえばウマ娘レースは、実際に走るウマ娘たちの才能と努力、そして積み上げてきた鍛錬の成果と、ほんの僅かの運、それらの集大成として結果に至る。皆がそう信じているからこそ、あれだけの大声援と熱狂に包まれるものだろう?」

 

「あぁ、その通りだな……それに、意味がないと信じる観客が、どんどん増えて行ったら……ってことか?」

 

「ウマ娘も人間も、どれだけ懸命に努力したところで、可能性世界で既に決定された結果にしか到達しない。そんな恐れが世間に広まったら、ウマ娘レースだけじゃない、ウマ娘レースを中心にして回るこの世界そのものが、意味を失うんじゃないだろうか。」

 

 トレーナーらしく、鷹木もウマ娘レースに喩えられればようやく理解が及んだ。

 

 ウマ娘レースの場合はウマ娘たちの戦績に関係する問題だが、世間一般の全てに同様の懸念が適用された場合、どうなってしまうのだろう。

 

 既に決まっている結果、いわば運命を覆すことが出来ず、既定の結果に終着するほかに生きる道がない……全世界の人間およびウマ娘がそう信じた時、世界は意味を失うのではないか。

 

 先ほどアドマイヤベガに告げた内容、すなわち火星の大接近が去年と全く同じように発生するという非現実的な現象は、ウマ娘レース場どころか、この宇宙全てに異常が広がっていることの表れではなかろうか。

 

「だから私は、ずっと特異点を求めているんだよ、トレーナーくん。繰り返す運命を覆し、決まった結果を打ち破り、まったく新しい可能性を切り拓く、特異点たるウマ娘をねぇ。」

 

「世間が、この異変に気付いてしまう前に、だよな。」

 

「あぁ、早急に。願わくば、この私が……と言いたいところだが、過ぎた願いかねぇ?」

 

 先日のネオユニヴァースやエアシャカール、マンハッタンカフェも含めての対談の中では、新たな可能性が訪れない「空白の期間」が、今回の異変を露わにしたのだと一応の結論を見た。

 

 黄金世代および覇王世代という、強烈な存在感を有するウマ娘たち。その先輩ウマ娘を打ち破るほどの才能がなかなか出てこなかったからこそ、上の世代の勝利が不自然なまでに同一の形で繰り返される異常事態は一部の面々の気づくところとなったのだ。

 

 遅れてデビューしたタキオンやジャングルポケット、マンハッタンカフェにダンツフレーム。そして来年からの活躍が見込まれるタニノギムレットやシンボリクリスエスたちの世代。

 

 打開のカギを握っているのは、間違いなく今年と来年にて走りを本格化させるウマ娘たちであった。

 

 鷹木はタキオンが伝えようとしたことの全てを理解したという自信こそ無いままに、それでも頷いて応える。

 

「俺の役目は、タキオンをレースで活躍させ、勝たせることだ。それが、お前の言うところの特異点の証になるのなら、全力を尽くす。」

 

「まったく、毎度のことながら陳腐な言い回ししか出来ないのかい、トレーナーくん。いかにウマ娘レースが中心の世界とはいえ、我々の走りが天体の進行までも変えるのか甚だ心許ないところだが、やれる範囲で尽力しない選択肢は無いねぇ。」

 

 口先ではボソボソと言っていたものの、アドマイヤベガと話し終えた時よりもさらに顔色を明るくしたタキオンは、スポーツドリンクを一口含んでから立ち上がり、再びトレーニング機器の方へと向かう。

 

 トレーニング室の窓の外には、去年と全く同じように蝉の合唱が響き、去年と全く同じ形の入道雲が立ち上がっていた。

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