探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 その年の夏、8月には、合宿から一時的に抜ける必要のある面々が2名いた。共に札幌レース場での出走を予定しているマンハッタンカフェと、ジャングルポケットである。特にマンハッタンカフェの方は、長距離の遠征を苦手としているだけあって、8月中の殆どを現地である札幌で過ごす予定が組まれていた。同じく合宿している面々と会えぬ時期の長さ、そしていずれタキオンとも競い合えることを出発前に確かめるため、カフェはポッケとともにタキオンへ併走練習を申し込む。


いずれ競う日の先約を餞別に

 今年のクラシック級にて活躍が見込まれる面々がそろい踏みした夏合宿であったが、8月に入ってから開催されるレースへ出走するため、一旦抜ける面々も居る。

 

 マンハッタンカフェは富良野特別のため、そしてジャングルポケットは札幌記念のため、共に札幌レース場へと赴く必要があった。

 

 いずれも、重要なレースである。今年の上半期をデビュー以来不調のままに過ごしたマンハッタンカフェにとっては、秋以降のシーズンで活躍できるか否か、見通しを明らかとするための本番である。

 

「富良野特別は、芝2600m……私自身、不調を感じない今、ここで勝てなければ、菊花賞への参戦は厳しくなるかと……先輩方からも、私は長距離の方が合っていると言われましたし……。」

 

「んな思い詰めることもねーだろ、俺が知る限り、カフェより速い奴を見つけるほうがムズいって。今年の3月のことも忘れてねーぜ、お前、不調のまま走った弥生賞で三着になってんだよな。」

 

 いよいよ合宿所を離れて札幌へ向かう前日、朝食後の腹ごなしにマンハッタンカフェとジャングルポケットは並んで軽く駆けつつ、話を交わしていた。

 

 合宿所からウマ娘の脚ならば一分と掛からず着く砂浜は、きめ細かい砂粒の濡れが曙光を映して波打ち際を眩しく見せる。

 

 不安の色を見せるカフェに励ましの言葉を掛けながら、ジャングルポケット自身も今後のレースに何らの不安も無いわけでもなかった。合宿中、順当にトレーニングメニューをこなし、身体能力は確かに向上してはいたのだが、自分の中では明確な目標を見失っているような状態だった。

 

 むろん、具体的な目標は他ならぬ菊花賞での勝利、クラシック路線における二冠目を手にすることである。が、それはあくまでも予定された一つの到達点であり、進路を見失わぬための導は道程に必要であった。

 

 今、カフェにとっても、ポッケにとっても、欠けたピースは共通していた。

 

「……タキオンさんは……そろそろ、併走できるほどにまで、回復しておられるでしょうか……。」

 

「合宿の初日から軽く走ってるところだけは見てるけどな。併走を申し込んだところで、タキオン自身が首を縦に振っても、あいつの担当トレーナーが渋るのは目に見えてる。」

 

 アグネスタキオンの担当トレーナー、すなわち鷹木。彼がいかに小心者であるか、そして担当ウマ娘の怪我についていかに神経質であるか、同期のウマ娘たちには既に知れ渡っていた。

 

 菊花賞にタキオンを参戦させるつもりであれば、夏の時点でその方針を確定し、優先出走権を得られる前哨戦への出走登録等の手続きを進めていかなければならない。が、鷹木トレーナーは変わらず毎日、タキオンにつきっきりでトレーニングを見続けるばかりであった。

 

 彼の判断においては、まだアグネスタキオンは本格的な走りを発揮するほどには脚が治癒しきっていないということなのだろう。

 

「……私も、断言はできませんが……しかし、鷹木トレーナーの判断は、少々慎重すぎるかと……。」

 

「あぁ。なんつーか、タキオンがマジの走りをしたくてウズウズしてる感じ、俺にも伝わってくるんだよな。タキオン自身は、んなこと直接言わねぇだろうけど。」

 

 砂浜をひとわたり走り終えたジャングルポケットとマンハッタンカフェの間では、双方共に同じ思いを抱いていることが言外に通じ合っていた。

 

 毎朝の恒例としてタキオンの脚のチェックを入念に終えた鷹木は、合宿所の建物から出て来るや否や、前方に立ちはだかっていたポッケにぶつかりかけて驚かされることとなった。

 

「わうぁ!?お、おはよう、ジャングルポケット、マンハッタンカフェ……。」

 

「個性的すぎる悲鳴上げてんじゃねぇ、前見て歩きやがれ、自分の担当の脚が気になんのは分かるけどよ。」

 

 確かにその時、鷹木は後ろでシューズを履き終えて立ち上がるタキオンの脚運びに違和感がないか、細心の注意を払いながら建物から出ていくところであった。文字通りに前を見ていなかったのである。

 

 ぶつかる寸前にポッケの存在に勘づくことが出来たのは、彼の小動物めいた感覚が、ジャングルポケットが臨戦態勢へと高めつつあるオーラをいちはやく拾ったためかもしれない。

 

 あるいは、ポッケの背後にて静かに立っていただけのマンハッタンカフェが、獲物を狩るように目を光らせていたためかもしれないが。いずれにせよ、彼女らは明確に鷹木を狙って待ち構えていることに違いは無かった。

 

「えぇと、おふたりとも、俺に用かな?」

 

「あぁ、そうでもなけりゃ、ここで待ってねーよ。用件は一つだ、タキオンと併走させてもらえねーか?」

 

 鷹木の目が瞬時に泳ぎ、そして彼の思考が迷いの次の段階、すなわちいかにして断りを述べようかと悩む方へと進んだ様は、その顔つきを見ているだけで明瞭であった。

 

 やはり、鷹木はまったく乗り気ではない様子であった……アグネスタキオンは、まだ療養中なのだ。医師からも、まだ完全に現役としてのトレーニングに戻っていいとのお墨付きは得ていない。合宿中ゆえ、いつもトレセン学園で診ている校医に会いに行けないのも当然ではあったが。

 

「その……だな、せっかくのお誘いだが……」

 

 当のタキオンは、シューズを履いて合宿所の建物から出てきたところであったが、ジャングルポケットの発した言葉はハッキリと聞き取っていたらしい。

 

 チラと横目で鷹木の表情を見上げ、その一瞬で彼の考えていることを察し、続いてポッケとカフェの表情に軽い失意が浮かびつつある様を見たタキオン。直後、いかにもたった今、素晴らしい提案を聞いたかの如く手を叩き声を上げた。

 

「いいねぇ!私も、合宿が始まって以来ずっと基礎的なトレーニングばかりで、正直飽き飽きしてきたところだったのだよ!この私がこれまで文句ひとつ言わずにトレーナーくんの指示に従ってきたことを、きっとトレーナーくん自身も気味悪く感じていたことだろうねぇ!さておき、丁度良い機会じゃないか!私の気晴らしついでに、ポッケくんとカフェくんに付き合うのもやぶさかではないねぇ!」

 

「ちょっと、待ってくれタキオン、お前の脚はまだ完全に治ったってわけじゃ……」

 

 こういった局面で、鷹木はその弱みをさらけ出すこととなる。普段から、トレーナーとしてレース時の作戦を立てる時と同様、事前に予測できる範囲内でしか思考を組み立てられないのだ。

 

 すなわち、咄嗟の場面で相手を説得することについては、実に不得手であると言わざるを得なかった。

 

「言っただろうトレーナーくん、私はいい加減に飽き飽きしてきたのだと!いかに私の脚を心配してくれているとて、これ以上、同じように退屈なトレーニングだけで夏合宿の日々が過ぎていくというのならば、そのうち合宿所から脱走させてもらおうかとも考えていたとも!何せ私は“療養中”だ、一旦実家に帰ると学園に届け出てもおかしくはない。あぁもちろん、アヤベ先輩が予定する天体観測の日にだけは帰るつもりだったがね?」

 

「う……妙に現実的な脱走プランを……」

 

「話を戻そう、今まさに私の走りを必要とする面々がここに居るのだから、トレーナーくんと共に地道に取り戻してきた私の脚の状態を確認するにおいても好機じゃないか。よもや、共に研鑽すべきライバルにはそっぽを向き、自身の戦績に直結する走りにだけ労力を費やすような、私がそんな冷たいウマ娘だとでも思うのかい?心配したまうな、どうせ本気で走る必要もないさ、あの皐月賞の時と同じように、ねぇ?」

 

「ンだと、てめぇ……!」

 

 立て板に水の如き饒舌な喋りをまくしたて、最後の最後でしっかりとジャングルポケットを煽り、ますます鷹木が断りづらい空気をタキオンはごく短時間で作り上げたのであった。

 

 本気で走るわけではない、となれば、鷹木には頑として断るほどの理由を見出すことが出来なかった。たしかに、タキオンはジョギング程度の走りのみならず、負荷を制限した状態であればかなりの速度を出して走れるところまでは回復している。

 

 それは皐月賞が終わってから約3ヵ月半の間、タキオンの脚の復調を最優先課題として頑張り続けてきた鷹木の務めの賜物でもあった……それでも、最後に鷹木は若干の抵抗を試みた。

 

「ひとくちに併走と言っても、やっぱり個々のウマ娘の調子に関わるトレーニングではあるから、各々の専属トレーナーに立ち会ってもらわないと……」

 

「んなこと、今さら教えてもらわなくても分かってんぜ。キングヘイロートレーナーには既に連絡してる。」

 

「私も……結城トレーナーにお伝えし、了承を戴いております……。あ、いらっしゃいました……。」

 

 マンハッタンカフェが上げた視線の方へと鷹木が振り返れば、ちょうどキングヘイローと結城トレーナーが並んで合宿所の玄関に姿を現したところであった。

 

 併走を申し込んできたウマ娘のみならず、各々の担当トレーナーが両名そろい踏み、ともなれば鷹木は首を縦に振る他に無い。

 

 ジャングルポケットとマンハッタンカフェに並び、アグネスタキオンが準備運動をしている様を見つめる鷹木の目は、それでも不安の色に満たされていたのだろう。キングヘイローが気遣って声をかけてくる。

 

「あくまで、実戦形式でペース配分を確認するための併走ですから。ジャングルポケットさんにも、ここで筋肉を酷使するような本気は出さないように指示しておりますし。」

 

「もちろんタキオンにも、無理のない範囲に走りを留めるように伝えている……それにしても、何故、今のタイミングでジャングルポケットは併走を申し込んできたんだ?」

 

 それは、先ほどのやり取りにおいて併走を断る手段ばかりに思考を割いていた鷹木が、ようやく直視する疑問であった。

 

 タキオンの脚の心配が最優先である鷹木にとっては仕方のないことではあるが、普段からジャングルポケットの様子を見ているキングヘイローほどの認識を有することは出来ていなかった。

 

「勝てない相手が、すぐ身近な過去に残っていること。そのままでは、先に進めないと感じたのでしょう。」

 

「身近な過去?……それが、タキオンってこと……か?」

 

「えぇ、タキオンさんは、いずれ復帰される予定だとは言えど、ジャングルポケットさんと対決する目処は未だ立っていません。勝つべき相手が、自分の進む先ではなく、過去にしか居ないのであれば……いずれ、勝てるはずの相手にも、ジャングルポケットさんは勝てなくなってしまいかねません。」

 

 ある意味、キングヘイロー自身が辿ってきた経歴とは対照的な状態である。

 

 キングヘイローは黄金世代の一角と言われながらもなかなかGⅠの栄冠を手にできず、しかし目標が進むべき先にあるからこそ顔を上げ続けることが出来た。

 

 一方で、今のジャングルポケットは、勝つべきレースは予定表に存在すれども、勝つべき相手として最大の存在、記憶に深く深く刻まれたアグネスタキオンとの対決は、皐月賞で最後となっている。今後、タキオンと対決する可能性だけはあるものの、まだ現実的にはなっていない。

 

「だからこそ、今は決して本気のタキオンさんと競えるわけではなくとも、いずれ必ずタキオンさんと本番レースで相まみえる……との確信を得てから、今後の秋レーススケジュールに向かいたい。ジャングルポケットさんは、そう考えておられるのでしょう。」

 

「そういうことか……結城トレーナー、マンハッタンカフェも同じことを?」

 

「あぁ、アグネスタキオンに勝つことが、一番の自信につながるだろうからね。何せ、弥生賞でタキオンが披露した本気の走りを、直に堪能したのがマンハッタンカフェだから。」

 

 ジャングルポケットも昨年末のホープフルステークスにてタキオンの走りを目の当たりにしたが、翌年3月の弥生賞にてマンハッタンカフェは、より走りの進化したタキオンと競ったことになる。

 

 先ほど合宿所を出たところで呼び止められた時も然りであったが、準備運動中にもマンハッタンカフェの黄色い瞳はますます鋭く、狩る者の光を宿しているようにも見えた。

 

 タキオンの方を睨みつつ準備運動を続けているジャングルポケットもまた闘志を感じさせる表情を浮かべていたものの、カフェの凄みの方が上回っていた。

 

 併走練習を提案したウマ娘のトレーナーの務めとして、キングヘイローは一歩進み出て全員に声をかける。

 

「皆、もう準備はいいかしら。芝コース、距離は2000m……で、いいのね?カフェさんの目標レースと条件は異なるけれど。」

 

「はい……ジャングルポケットさんとタキオンさん、それぞれの得意コースで力試しをさせていただきたく……それに、タキオンさんに無理をさせるわけにもいきませんし。」

 

「私の心配をしたうえで、こちらの得意分野で競おうとはねぇ。随分と頼もしいことじゃないか、カフェ。」

 

 キングヘイローに促されて練習コースのスタートラインに立つ3名。キングが合図を出すのに合わせて計測開始すべく、鷹木も結城トレーナーも共にストップウォッチを構えた。

 

 まだ朝と呼べる時間帯であったが、潮風とともに早くも届きだした酷暑の兆しが、芝の上を熱していた。札幌レース場は、ここよりもう少し涼しいだろう。

 

「位置について、用意……スタート!」

 

 合図とともに一斉に飛び出したアグネスタキオン、ジャングルポケット、マンハッタンカフェは、各々迷うことなく自分の得意なペースで脚を進め始める。

 

 先行のペースで先頭に立ったタキオン、その背を睨みながら追い込みのペースでジャングルポケットはじわじわ距離を開いていく。更にぐっと下げた位置、本番ならば最後方付近となるだろう位置にマンハッタンカフェがつく。

 

 鷹木は、タキオンの脚運びに少しでも無理があれば競走中止を叫ぼう、とストップウォッチを握りながら、タキオンが走る様を凝視していたが……タキオンは、彼が予想していたよりもずっとのびのびと走っていた。

 

 隣の結城トレーナーが、ボソッと呟いた。

 

「楽しそうだね。アグネスタキオン、前から本番レースでも余裕のあるウマ娘だったが……その余地に、楽しさが入り込んできたのかもしれない。いい傾向じゃないかな。」

 

「そう、でしょうか。この休止期間がいい変化をもたらしてくれたのなら、良いのですが。」

 

 結城トレーナーから指摘されてようやく、鷹木も確かにタキオンの走りがこれまでに比べ、ずっとのびやかになっているようだと気づいた。

 

 ほとんど体重を感じさせぬ脚運びで、芝の上を翔っていく。それは鷹木が神経質なまでにタキオンの脚に蓄積する負荷を気に掛け続けていた影響かもしれないが……このところ、立て続けに観測された異変も関わっているのかもしれなかった。

 

 ウマ娘レースの結果が既に確定したものをなぞっている恐れや、非現実的な天体の運行、さらには現在とは異なる時間軸の光景が覗かれる異常現象。

 

 すべて気のせいだ、と片付けるには無理があるほどの、この世界の歪みだとも思われる出来事であった。

 

「だからこそ、タキオンは今、走れることにさらに強く喜びを見出しているのかもしれない……。」

 

「長らく、療養と筋力維持のトレーニングが続いたろうからね。のびのび走れるのも久々だろう。」

 

 結城トレーナーは鷹木の考えていることの全てを理解したわけではなさそうであったが、レジェンド級トレーナーからのお墨付きは、医師による診断よりもずっとタキオンの脚への不安を和らげた。

 

 向こう正面を駆け抜けた3名は、じわじわと距離を詰めつつ最終コーナーへと向かっていく。こちらに近付いてくる蹄音に向かって、キングヘイローが口に手を当て叫んだ。

 

「ジャングルポケットさん、距離を離されすぎないで!余力を意識しなくても、あなたなら十分に差し込めるわ!……タキオンさん、確かに全力とまではいかないものの、以前にもましてハイペースで運んでおられますね……。」

 

「俺は、指示していないんだけどな。タキオンのことだから、ジャングルポケットを試すような走りをしてるんだろうけれど。」

 

 あるいは、十分なスタミナを残していては、最終直線で我慢できずに全力疾走してしまう恐れを、タキオン自身が理解していたのかもしれない。

 

 多少ハイペースすぎるタイムで最終直線に入ってきたタキオンは、背後からじりじりと詰め寄ってくるジャングルポケットの蹄音を聞きつつも、なかなか先頭を譲らぬまま駆けていく。このままの展開が続けば、どちらが先にゴールラインを跨ぐとも予測の難しい展開であった。

 

 ……が、その併走での先着をもぎ取るのがマンハッタンカフェであることは、大外から急加速を行った彼女の脚ですぐに知れた。キングヘイローが耳をピンと立て、カフェの脚の回転が一気に上がった様へと意識を集中させている。

 

「カフェさん、これまでにも増して瞬発力が上がっているんじゃない!?よっぽど完全包囲でもされていない限り、あんなの誰も追いすがれないわよ……!」

 

「本来は、あと600m長いレースに出るんだから、もう少し抑えておいてもらいたかったがね。しかし札幌に向かう前、せっかくかなった同期のメンバーとの併走なんだ。走り抜いてもらおう。」

 

 マンハッタンカフェのことをずっと見てきた結城トレーナーにとっては、十分に予想の範囲内の加速だったらしい。

 

 しかし、キングヘイローと並んで、鷹木もあんぐりと口を開け、マンハッタンカフェの恐ろしい末脚を見つめるばかりであった。デビューまで難航し、そして今年の上半期を苦節で過ごしたマンハッタンカフェが、ようやっと本格化を迎えつつあるのだ。

 

 マンハッタンカフェがゴールラインを越えた、ほぼ1秒後にジャングルポケットとアグネスタキオンがほぼ並んでゴールする。

 

「……ゴール!ジャングルポケットさん、良かったわよ、やっぱりタキオンさんとの併走で気合も入ったのかしら。」

 

「……はぁ、ハァ……まぁな……ハァ、ハァ、全力は出さねーって、言っといたのに……カフェ、お前、マジだったろ。」

 

「すみま、せん……ふぅ……つい、興が乗ってしまって……。」

 

 ジャングルポケットがキングヘイローに、マンハッタンカフェが結城トレーナーに、それぞれ用意されていたアイシングを受けているのを傍目に、アグネスタキオンも鷹木の元へ戻ってくる。

 

 鷹木が見る限り、タキオンも完全な全力疾走を行っていたわけではなかったものの、暫く息を切らして言葉がとぎれとぎれになる程度にはなっていた。

 

「大丈夫か、タキオン。少しでも脚に痛みがあれば言ってくれよ。今日の予定していた残りのトレーニングは軽めにする。」

 

「全く、今の併走ではなく、私の脚の心配かい。いやはや……しかし、カフェの走り、素晴らしかったねぇ!我々の世代、このクラシック級、いよいよもって観測不可能性が増してきたのではないか?これならば、可能性世界からの干渉を憂慮する必要性もまた薄まるというものだねぇ!」

 

 他の面々からは、またアグネスタキオンが小難しいことを喋りはじめた、としか認識されなかったろう。

 

 しかし、鷹木にはもはやタキオンの喜びの源が理解できていた。これまで不調だったマンハッタンカフェがクラシック路線へと本格的に参戦し、さらにタキオン自身も復帰すれば……ウマ娘レースで展開される可能性自体が大きく広がる。

 

 興奮が収まらなかったのか、冷水のバケツにつけた脚をタキオンがバタつかせたため、アイシングが終わる頃に鷹木は頭からびしょ濡れになっていた。

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