次世代のウマ娘たちの台頭は、現行のシニア級においてもじわじわと証明されつつあった。
9月に入って中旬、15日に行われたのが日本テレビ盃である。
夏に入る前、安田記念にてレースレコードを叩き出して一着となったアグネスデジタルは、日本テレビ盃においても1番人気にて歓声を浴びていた。
長らく応援され続けている彼女もデビューから5年目、芝とダートを問わず海外でも活躍してきた戦績も含めて、名実ともに大ベテランと呼ばれるにふさわしい存在となりつつある。
むろん、デジタルよりも年上のウマ娘も同レースに出走していたが、注目は、かのアグネスデジタルを超えられる後輩ウマ娘が現れるか否かに集約されていた。
「ダートコースでの走りを将来的に志すつもりがあるか否かは未だ決めかねているところかもしれないが、しかし大いに参考になるのではないかと思ってね、今回の実況中継の観戦会にお呼びした次第だよ、ギムレットくん。」
「巡り(フォーチュン)をも従えし勇者の斧(ラブリュス)は、未だ冷めぬ我が戦意(アテーナー)を思考から解き放つだろうか―――ワタシの可能性(デュミナス)に、活路が見出されんことを……!」
確かにギムレットは8月にデビュー戦へと挑んで二着に終わっており、それはダートレースであった。
とはいえタキオンはギムレットの走りならば芝に向いていると値踏みしていたし、ギムレット自身も芝路線でレース現役を目指すだろうことはほぼ確実である。
すなわち今回、ダートレースである日本テレビ盃の観戦は、タキオンが気の合うギムレットを呼ぶための口実としての意味合いが大きかった。鷹木は彼女らの背後にて窮屈そうに席を占めながら、小声で忠言を与える。
「先輩ウマ娘のレースを参考にするのも観戦に盛り上がってもらうのも結構だが、あんまり大声で騒がないでくれよ。なんたって、ここは……」
「Never mind!ここはワタシの隠れ家だ!正確には片桐トレーナーが建ててくれたプレハブだが、ま、どっちにしろ気にすんな!」
遠慮がちな鷹木の小声を遮って笑ったのは、タップダンスシチーである。ゆっくりと歩いて練習場から室内へと入ってきた彼女を支えて座らせてやりながら、片桐も微笑んで頷いている。
タキオンがギムレットを誘って日本テレビ盃の観戦場所に選んだのは、以前片桐トレーナーがタップダンスシチーのために建てたプレハブ小屋であった。
今年の4月、立て続けにタップとタキオンが脚の不調を原因とした長期休止に入ったため、この休憩室という名目のプレハブ小屋も、隣接する練習場も使われぬまま放置されていた。遠慮して席から腰を浮かせる鷹木に、片桐はくつろいでいてくれとばかりに手で示しながら話しかける。
「騒いでもらう分には大いに結構ですよ、ちゃんとこのプレハブ小屋も、空き地を活用した練習場も実際に使っているという実績が無ければね。中途半端に人手が加えられているのに誰も居ない空間など、トレセン学園内にホラースポットを作るようなものですから。」
「それは、確かに……。」
夏季期間を経て見事に雑草だらけになっていたこの場所を、片桐が懸命に草刈りと掃除を行い再び使える形としたのがつい昨日のことである。
とはいえタップダンスシチーはようやく小走りが出来る程度であり、トレーニングはリハビリの域を脱していなかった。十全に走れぬ彼女に代わって練習場を使わせてもらうと同時に、電線の引かれているプレハブ小屋内にてテレビ中継を見ることを提案したのが、いつも遠慮のないタキオンであった。
「ときにギムレットくん、君は担当トレーナーを未だに決めていないのかい?」
「トレーナーか……考えたことは無いでもないが、このワタシの存在意義(レゾンデートル)を解するだけの人物は、未だに見出せていない。はたして有用な存在だろうか、湿地の怪鳥(スチュパリデス)を払う青銅器のごとく。」
「あぁ、あれば便利なものだねぇ。トレーニングメニューを組み立てるのは無論のことながら、トレーニング機器の利用予約も取っておいてくれる。出走レースについても現在の能力に合わせてきちんと見繕ってくれるし、場合によっては優先出走権を考慮したスケジュールも組む場合があるねぇ。さらには私の場合、実験用モルモットとしても重宝する。」
「こんな風に、私専用の隠れ家と、私専用の練習場を用意してくれたりもしたな!」
タニノギムレットに対し、独自の視点も加えて担当トレーナーの有用性を説くタキオン。便乗するようにタップダンスシチーも言葉を付け加えたが、それらはトレーナーの働きとしては余りにも特殊過ぎる類である。
トレーナーという存在に対して過剰な期待を抱きすぎないよう鷹木は慌てて訂正しようと口を開いたが、独自すぎる価値観を有しているタニノギムレットに対しては無用な心配であった。
「いずれも俺が求めるものではない―――この躍動する鼓動(エラン・ビタール)を聞き、このワタシに酩酊するだけの才覚を有する人物こそ……あぁ、永い輝きのごとく愛されるのではない、心焦がす刹那の眩い煌めき(ギムレット)を、共にこの世界(ガイア)へと刻み付け、破滅に満ちた旅路(クロニクル)を踏破するだけの覚悟ある人間を!……見出した時、その者をこそ俺のトレーナーとして選ぼう。」
「なるほどねぇ。すなわち、私のモルモットくんは確実にその条件を満たすまいねぇ。途轍もなく小心者で、私の脚を永らえさせることばかりを考えているものだからねぇ。」
「ククッ……それもまた暗雲垂れ込める酷烈(インフェルノ)と向き合い続けるだけの覚悟あってのこと、か。」
傍から聞いている鷹木には、独特過ぎるギムレットの言い回しの全てを理解しきることは難しかったが、タキオンの遠慮なき物言いに対してギムレットなりに鷹木へのフォローを入れたのだろう、程度のことは掴めた。
そんな話を交わしている間にも、画面内ではパドックでの紹介が進んでいく。今回の日本テレビ盃、1番人気は言わずもがなアグネスデジタルであったが、2番人気として名が挙げられていたのはスターキングマン、トレセン学園3年のウマ娘である。
タキオンは中継画面上の表記と見比べながら、自前のノートPCで各ウマ娘のデータを漁っていた。
「スターキングマンは、今回のレースの中では一番の若輩者ということになるねぇ。戦績も飛び抜けているわけではない、OP戦などでは勝っているが、GⅠやGⅡクラスとなるとなかなか勝ちきれないようだねぇ。」
「Turns me on、そんだけアグネスデジタルの強さが飛び抜けてる中で、挑戦するだなんて度胸のある奴じゃないか!」
タキオンが語った情報を聞きかじっただけで、このレースの置かれている状況を察してタップダンスシチーは目を輝かせた。
3番人気にはデビューから7年目という大ベテラン、ダート路線一筋にGⅡ勝利経験やGⅠ好成績を有するマキバスナイパーが選ばれていたが、流石に国内外を問わず活躍してきたアグネスデジタルの戦績には及ばない。
すなわち、アグネスデジタルが出走するという情報が出た時点で、勝ちの目が薄いと判断した面々はレースから降りているのだ。
残されたのは、強敵相手と言えど臆せず対峙せんとする挑戦者ばかりであった。
〈船橋レース場は晴れ、バ場状態は良となりました、日本テレビ盃。全ウマ娘枠入り完了……スタートしました!ほぼ揃いましてまずはウチ目からクーリンガー、その外からマキバスナイパー、並んで前へと出ていきます。さらに外からはキングリファール、一気に上がって行って先頭の位置、クーリンガー2番手、マキバスナイパー3番手といった形となりました。間が空いて4番手はフォースキック、1番人気アグネスデジタルはその後に続いています。〉
船橋レース場の1800mコースは、スタート位置から最初のコーナーまでが454m、これだけたっぷりと距離があればコーナーに入るまでの位置取りも固まりやすい。
すなわち全出走ウマ娘が自分の作戦に合わせて都合の良い位置につきやすく、地方レース場で行われるダートレースの中でもより実力の測られるハイレベルなレース展開となりがちであった。
つい先月、自身も砂上のレースを走ってきたタニノギムレットは、画面上のレース運びを一刹那とて見逃すまいと身を乗り出している
「砂上(アイギュプトス)に招かれし勇者(アルケイデス)は悉くを平らげるか、あるいは賓客を贄と為す王(ブシリス)の軍勢が打ち克つか……ククッ、互いの定めを彩り合う様を、存分に見届けようではないか!」
「今のところデジタルくんは落ち着いた調子で進めているようだねぇ、彼女に対しリードを保っておこうとする面々が先行争いを続けているが、ダートレースにおいては悪手ではないだろうかねぇ。」
逃げ、先行のウマ娘が好位につく印象の強いダートレースであるが、むろん前提として実力を充分に伴ったウマ娘が、ペース配分を冷静に見極めて走った場合のことである。
スタート直後から我先にと先頭へ駆けあがっていった面々は勢いこそ良かったものの、晴れ空の下、水分をほぼ含んでおらず足先が埋もれる砂上ではオーバーペースであり、更には望む位置取りを得るための駆け引きにも労力を要しているだろう。
このレースに限っては、先行よりやや後ろで状況を冷静に判断できているウマ娘に、既に勝ちが引き寄せられているように見えた。
〈一周目のゴール板前を過ぎていきました、コース内側からベルモントアクター上がっていきました、それからエムエフファルコン、続いてエスプリシーズ9番手、外にスナークレイアース、ラックサウンドがウチに、そして2番人気スターキングマンはぐっと下げて13番手の位置にて前を窺っています。2コーナーを抜けて先頭は早くも向こう正面、先頭のキングリファール飛ばしておりますがリードは1バ身、先頭を狙うウマ娘が密集しています。〉
バ群は明確に分かれていた。気を逸らせて先頭へと殺到していく面々、そこから数バ身あけて先行付近の位置にて前を狙う集団、さらには最後方で追い込みの位置に徹しているウマ娘たち。
基本的にダートでの追い込みは不利と言われているものの、アグネスデジタルの存在感から逃げの面々が焦ってハイペースで飛ばし過ぎている今、後方に控えている集団にも勝ちの目は充分にあった。
とはいえ、普段ダートを走っていない者たちの眼にも、乾いた砂を蹴立てて走る様は明らかに重そうに見える。タップダンスシチーは、その様を見て声を上げた。
「StarKingMan!Gorgeousな名前でデジタルに挑みに来た割には、かなり後ろに居るじゃないか!そっから勝てる自信があるってのか!」
「だが、彼女は前々より追い込みの作戦を磨き続けているねぇ。ダートで敢えての追い込みにこだわるが為に戦績が伸び悩んでいるとも取れるが、しかし得意分野に持ち込めば強いものではないかねぇ。」
アグネスタキオンは中継画面からたびたび手元のノートPCへと視線を走らせつつ、黒を基調とした勝負服に星の衣装が散りばめられたウマ娘のデータを漁っている。
デビュー間もない頃には逃げの作戦で走ったこともあるスターキングマンであったが、大抵のレースは差しや追い込みで走っていた。OP戦以外は勝てていないとはいえ、それでもGⅡの舞台に上がって来られるだけの実績は積んでいるのだ。
〈2番手はマキバスナイパー、キングリファールのすぐ外に並んで追走、ウチ側にクーリンガー3番手、中団は先頭集団から8バ身ほど離されています、その中でアグネスデジタルは現在6番手の位置、残り800を切りました。さぁ後ろからベルモントアクター上がって先頭を狙える圏内に入ってきた、後方集団からもスナークレイアース押して上がっていこうとする所、2番人気スターキングマンも外へ出して前を目指す態勢!〉
向こう正面の直線を抜ける辺りから、脚を溜めていた面々の仕掛けが始まった。
中継画面越しに観戦していた面々も見抜いていた通り、先頭争いを続けてスタミナを浪費していたウマ娘たちにはもう後方を突き放す余力は残っていない。
「半端なる先駆者は研がれた牙に捉えられ、欣快の糧となる―――ツイストを待たぬ鑑賞者(ビホルダー)は居ない、迷宮(ラビリンス)から戦士(エインヘリアル)が姿を現すまでは!」
「まったくだねぇ、ここからはデジタルくんの脚に追いつける者が現れるか否か、そればかりが見どころだねぇ!」
ギムレットとタキオンはそう言い合っていたが、船橋レース場の現地に集まった観客たちはほとんどアグネスデジタルの勝利を確信していただろう。
アグネスデジタルはもはや先頭集団に並び、外側の誰にも塞がれていないコースを悠然と駆け上がってくるところだったのだから。
〈キングリファール下がって行ってマキバスナイパー先頭か、外からエスプリシーズ、そしてアグネスデジタル上がってきました、残り400通過!さぁ先団がぐっと固まってきた!後方からスターキングマンも上がってくる!アグネスデジタル、十分に先頭をとらえる圏内で4コーナーから直線に向いた!アグネスデジタル先頭か!しかし外からスターキングマン!並んだ!この2名の競り合いだ!〉
「いや、デジタルくん……そこが限界かねぇ?もっと速度を引き上げなければ……」
タップダンスシチーとタニノギムレットは変わらず熱狂と共に日本テレビ盃の実況画面に向けて歓声を飛ばしていたが、タキオンは一足先に多少冷めた目でレース展開を見つめていた。
彼女と同じことを、トレーナーの二人も考えていた。アグネスデジタルが勝つならば、全盛期のアグネスデジタルならば、ここからさらに加速し、並びかけてきたスターキングマンを突き放すはずである。
「スターキングマンが、勝ちそうですかね……」
「ゴール前200mでわざと減速する意味もないでしょう、アグネスデジタルは精一杯の走りを見せているはずです。」
鷹木と片桐はそんな言葉を交わし合い、共に世代が進んでいくことを実感していた。
それは多少の寂しさも含んでいたが、鷹木としてはタキオンの仮説の中で危惧されていた、未来に新たなる可能性が開かれぬ懸念を新世代のウマ娘が乗り越えうることの証でもあった。
〈ウチ側エスプリシーズにスナークレイアース、そしてベルモントアクター迫ってまいりますが、先頭はスターキングマン抜け出した!リードを広げていく!3バ身、4バ身!2番手はアグネスデジタルか、外からベルモントアクターが上がってくるが届きそうもない、2番手はアグネスデジタル!先頭スターキングマンでゴールイン!勝ちましたスターキングマン、重賞初勝利!勇者アグネスデジタルを下し、ダートレースにも新世代の到来を告げました!〉
船橋の観戦スタンドは最初こそどよめいていたが、間もなく割れんばかりの喝采に取って代わられた。
確かに変幻自在のオールラウンダー、そして覇王世代の次代を築いたアグネスデジタルが下されたことは意外に他ならなかったろうが、そんなデジタルに対し4バ身もの大差をつけたスターキングマンの実力が本物であることは疑いようもなかった。
いつもなら興奮したように真っ先に観戦の席を立つタキオンは、何かに感じ入ったように座ったままである。代わりに声を張ったのはタップダンスシチーであった。
「Whoo!やるじゃないか、スターキングマン!磨き続けた作戦を最後まで手放さないで勝つだなんて、痺れさせてくれる!」
「海洋(オケアノス)を渡り切るだけの覚悟は、易々と芽生える者ではない―――心に巨大樹(ユグドラシル)を宿すは、理想の姿(イデア)を妄信しきれた者だけだ……!暁光になお眩き光(スターキングマン)、奴が手にしたのは、不滅の価値だ。」
タニノギムレットも、彼女なりに感じ入った内容を独特の言い回しで紡いでいる。
一方で、アグネスタキオンは席を立った後、鷹木へチラと目くばせをして、今まで観戦していたプレハブ小屋を出ていく。画面上ではアグネスデジタルが目を輝かせてスターキングマンと手を取り合っている様が映っていたが、鷹木はタキオンの意を汲んで部屋の外へ出た。
片桐トレーナーやタップダンスシチー、タニノギムレットがまだ部屋の中で画面に注視し続けているのを確認してから、タキオンは口を開いた。
「トレーナーくん、ダートの方は問題なさそうだねぇ。過去と同じレースが繰り返されることは無い、デジタルくんが一線を退くのは少々寂しいが、しかし世代交代は健全に行われているねぇ。」
「あぁ。それにしても、何故だろうな、芝のレースのほうばかりで、それも宝塚記念のような大きなレースで、去年と同じレース展開が繰り返される異変が発生するのは。」
「これを言うと少々ダートに失礼かもしれないが……やはり、世間全体に対する影響力が、芝のGⅠレースなどの方が大きいためだろうねぇ。人々の思い入れも強い、だからこそ世界の摂理の歪みを引き受けやすくもあるのだろう。」
確かに、今年の上半期における芝のレースを振り返れば、特異点の最たる存在と思われるネオユニヴァースが介入したレース以外、京都記念や阪神大賞典、金鯱賞……と、大きなレースではことごとく例の異変が発生している。
さらに宝塚記念では、そのネオユニヴァースまでも含めてほとんど昨年と同じレース展開が再現されてしまっている。
昨年と全く同じ展開になってしまうのも、走っているウマ娘が問題なのではなく、この世界に刻まれた人々の記憶が大きく干渉しているためとも取れた。
「だからこそ、私が殴りこんでやるわけだねぇ。今年の秋の天皇賞……今さらになるが、私自らが特異点となる手助けを、くれぐれも頼むよ、トレーナーくん。」
「あぁ。トレーナーとしては、自分本来の仕事を為すだけだ。」
いつになく頼りがいのある言葉を口にした鷹木は、慣れない振る舞いをした自分自身に対し赤面した。