京都大賞典を終え、京都レース場から帰ってきたその夜、アドマイヤベガとナリタトップロードは少々遅くまで話し込んでいた。
ウマ娘寮の玄関ロビーは、遠征から帰ってくる面々が居る日には遅くまで灯りがついている。アヤベとトプロは、時計の秒針の音が響くがらんとしたロビーの隅、ソファに隣り合って腰掛けていた。
GⅡの本番レースをこなし、京都から中央トレセンまでの帰路を終えた直後ゆえ、当然ながら疲労は早くも両名のもとに睡魔を招きつつある。が、それでも腰を据えて語り合わねばならぬことがあった。
「あなたも、記憶に残ってるのね?今回の京都大賞典は、去年と全く同じレース結果だったということ……私の勘違いじゃないのね?」
「うん。レース展開があまりにも特徴的だったから、走っている最中からなんとなく見覚えのある光景だって気はしてたけれど。」
アドマイヤベガの問いかけに、ナリタトップロードは頷く。
スエヒロコマンダーが大逃げに見せかけて誘い、5年前のセイウンスカイと同様の作戦実行を試みたこと。ほとんどの追い込みウマ娘が大外から上がってくる中、ツルマルボーイだけはリスクをおして集団のウチ側から追い上げてきたこと。
実際に走ったナリタトップロード、そしてアドマイヤベガであったからこそ、昨年経験した展開とそっくり同じであることは、否応なしに実感できた。
「今でも私、とても信じられないんだけれど。あの場では、誰も手加減していなかった。全員が本気で勝ちを獲りに行った。なのに……。」
「既に走ったことのある、ちょうど1年前のレースと全く同じ結果になるなんて、本来ありえないよね。ありえないけれど、確かに現実だ。」
トップロードは、開いていたスマホの画面をアドマイヤベガへと見せる。
今日行われたレースの結果は、既に全国のウマ娘ファンたちすべてが目撃者となった確定事項としてURA公式サイトに記載されていた。一着ナリタトップロード、二着ゼンノロブロイ、三着ツルマルボーイ、そして四着アドマイヤベガ。
その結果は、確かにナリタトップロードもアドマイヤベガも共にハッキリと思い出した、昨年の京都大賞典と同じ結果であった。
「……ちなみに、URA公式が載せている、去年の京都大賞典の結果は見れないの?」
「一昨年のものになってる。オペラオーが一着になった時の、だね。」
アドマイヤベガは、黙り込みながらもトップロードの返答に対し小さく頷く。
それもまた、忘れられるはずもない記憶であった。
焦りのあまり斜行してしまったアドマイヤベガがトップロードに接触し、転倒させ怪我させてしまった時のレースだ。2年前、まだオペラオーが引退していなかった時のレースとして、記憶違いを起こすはずもない。
自分たちの記憶が絶対に間違っていないことを確認することと同時に、アドマイヤベガにあまり思い出せたくない記憶を蘇らせてしまったことを詫びるように、トップロードは声を和らげつつ立ち上がった。
「ひとまず、今夜はそろそろ寝よう。私たちだけで考え込んでいても、悩みが解消するわけじゃない。この件については明日、知ってるかもしれない相手に相談しに行こう。ちょっとした心当たりがあるんだ。」
「アグネスタキオンさんかしら。あの子が喋るのは、奇妙な憶測ばかりじゃない。」
「まぁまぁ、それでも相談できる数少ない相手だから。後輩に頼るのも申し訳なさがあるけれど、不安を抱えっぱなしにも出来ない。」
「そうね……最近、私、ますます奇妙なことばかりを抱えてる気がする。夏合宿ではまた妙な現象に遭遇したし、火星大接近が2年連続で起きるのもあり得ないし……トップロード、あなたが元々そんな喋り方をしていたかどうかすら、この頃は疑問に思えるようになってきて。」
「私の、喋り方が……?」
アドマイヤベガを寮の部屋へと送り届けるつもりで手を差し出していたトップロードは、その姿勢のままで目をぱちくりさせる。
確かにデビューからもはや6年、様々な事を経験してくる中で少なからず皆変わってきている。とはいえ、オペラオーやアドマイヤベガとは違い、入学当初から周囲よりもどこかおとなびた雰囲気を有していたナリタトップロードは、外見や喋り方が大きく変化したわけではない。
5年前のジュニア級時代と同じく、栗毛の美しい、頼れる委員長気質なウマ娘がそこに居た。
「いろいろなことで不安になり過ぎなのかもね、アヤベ。心配しなくても、私はずっと私のままだよ。さ、これ以上は明日に響くから。」
「えぇ、そうね……。」
今度こそアドマイヤベガはトップロードの手を取り、引かれながら深夜の寮の薄暗い廊下を進んで自室へと戻っていった。
翌朝以降も、京都大賞典本番で蓄積した疲労を癒しつつ、早くも今月末に行われる天皇賞秋に向けたトレーニング、調整を進めねばならない。
夜更かしして寝不足になっている場合ではない理由はそれだけでも十分であったが、トップロードがこの件の相談相手として想定しているアグネスタキオンもまた天皇賞へ出走予定であることは大いに関係していた。
競走相手となるウマ娘の、練習風景を覗くわけにはいかない。
相手の作戦を知ってからレースに挑むことは不公平である、とのマナーが存在しているのだ。
「いや、さほど気にすることではないと思うがねぇ。実際にどのようなペースや位置取りで走るかは、本番になってからでなければ分からないのだし、もとより私は周囲の競走相手達の位置取りを確認したうえで作戦を決定するからねぇ。これもアグネス冠の癖というやつかねぇ。」
数日後の午前、練習の合間にとれる時間を縫って会いに来たアドマイヤベガとナリタトップロードを迎え、アグネスタキオンは機嫌良さそうに喋っていた。
場所は例の如く、タキオンが勝手に“実験室”と称して占拠している理科準備室内である。
当然ながら、タキオンとしては待ち望んだ来客であった。ついに、去年と同じレース展開が繰り返される異変、その中心にいる先輩ウマ娘たちと、当の異変について語り合えるのだ。
むろん、異変の存在を先輩ウマ娘たちが知ってしまうことについての不安も無くはなかったが。
タキオンが喋り終えるのを待ってから、トップロードが切り出す。
「私がまず気にしているのは、今後のレースについてなんだ。もしも、これから後も去年と同じ結果になるレースが行われるなら、そのことを知ってしまった私たちはマトモに競走できるんだろうか?」
「まだ断言できるほどのデータは集まっていないがねぇ、しかし心配は要らないと思うねぇ。現に、先輩方も全力で勝つために走った結果、1年前と同じ順位に“至ってしまった”のだろう?」
「えぇ、だからこそ不気味なのだけれど。」
アドマイヤベガの眼差しは、トップロードのそれに比べてより真剣であった。彼女にとってウマ娘レースは、一時の引退の危機を乗り越えて再び手にした、背負う物の少なからぬ生き様そのものなのだ。
あまり呑気そうに見せ過ぎたか、とタキオンは古びた事務椅子に座り直し、姿勢を正して言葉を継いだ。
「実験台、というわけではないが、この異変に早々に気づいていたエアシャカール先輩は、前回と全く同一のレース展開が発生する可能性を知りながら、幾度かレース出走しているねぇ。金鯱賞と宝塚記念が、それにあたる。」
「そのレースでは結局、1年前の開催と同じ結果になったの?」
「あぁ、ほぼほぼ同じだねぇ。金鯱賞については、去年と完全に同じだ。一方、宝塚記念については、シャカール先輩が特異点の気質を有しているおかげだと私は仮説を立てているのだが、シャカール先輩が去年の四着から順位を上げて二着となったねぇ。」
タキオンは、アドマイヤベガとナリタトップロードについても、既に今年行われた京都記念と阪神大賞典にて、1年前と全く同じレース展開を走っているとは敢えて告げなかった。
努めて冷静に質問している先輩ウマ娘たちの眼の奥に、明らかに浮かんでいる不安の色をさらに濃くすることはあるまい、と考えたためだ。
「去年よりも順位を上げられたという結果と、シャカール先輩が異変について知っていた事とが、何らかの関係を有しているかは分からないねぇ。けれども、閉じた可能性の中に囚われまいとする思いが、新たな可能性を切り拓くことはあり得るかもしれないねぇ。」
「それは、今月末の秋天でも、同じように……かな?」
「無論だとも!言わずもがなだねぇ。新たなる可能性が開かれることについては心配ご無用だねぇ、ほかならぬこの私が、天皇賞へと出走するのだから。」
エアシャカールやネオユニヴァースを相手取る時とは違い、アドマイヤベガとナリタトップロードに求められているのが、細々とした仮説や考察の羅列ではないことを分かっていたアグネスタキオン。
以前のレースと同じ結果に至る異変がいかなるものであるかよりも、今後のレースの結果に未確定を期待できることを告げる方が、より好ましいとタキオンは判断していた。どれだけ詳細に説明しても、結局は根本的な解決策など見出せぬのだから。
それまで口数少なく表情を曇らせていたアドマイヤベガが、少しながら顔つきを明るくして喋る。
「去年の秋の天皇賞での結果を覆すというのであれば、私が勝利してもいいのだけれど。」
「それはこの場に居る全員が言えることだねぇ、昨年の天皇賞の勝者はゼンノロブロイくんなのだから。尤も、私が勝つつもりであることは言うまでもないがねぇ……少なくとも、先輩方を存分に楽しませることは保証するとも。」
「心強い言葉だね、未来の可能性が開かれたウマ娘レースのためにも。」
ナリタトップロードの眼差しにも、気力と共に闘志の欠片が覗かれつつあった。周囲への気配りに長けたトップロードであっても、本質が競い合いであるウマ娘レースへ向かう以上は、それが本来の目つきであった。
先輩ウマ娘2名の調子が戻ってきたのを確認しつつ、アグネスタキオンは今日という日を選んだもう一つの理由を述べ始める。
「おっと、喋っている内に午前10時を過ぎてしまっているねぇ。アレを見逃すわけにはいかない。トレーナーくん!トレセン学園の配信ページを開いて、東京レース場でのデビュー戦中継を表示してくれたまえ。」
「分かってる、もう準備してる。」
ウマ娘たちの集まりを邪魔しないように、今の今まで部屋の隅で縮こまってパソコンでの作業を続けていた鷹木。
むろん彼はタキオンの予定していることを伝えられていたため、慌てることなく求められた配信ページを表示しパソコン画面をアヤベやトプロにも見える位置に置いた。
アドマイヤベガは画面を覗き込みつつ口を開く。
「これは、今日行われるジュニア級の子たちのデビュー戦?」
「そうとも、10月に入ればそろそろ増えてくる頃だからねぇ。そして今日は、今年入学したウマ娘の中でも注目すべき存在がデビューするんだ、シンボリクリスエスというウマ娘を先輩方は知っているかい?あ、いや、ジャングルポケット君の祝勝会で、既に私が招いていたねぇ。」
確かに、今年の日本ダービーにおけるジャングルポケットの勝利を讃えるため、会議室を借りて開いたパーティーにて、タキオンはポッケを会場まで誘導する役目をシンボリクリスエスに担わせていた。
連日の取材につかれて寝こけていたポッケを、威圧感のある大柄なクリスエスに連行させてビビらせようという思惑をタキオンは抱いていたのだが、想定以上にクリスエスが丁重かつ真摯な態度を見せたためエスコートは穏便に済んだのであった。
無論、その時のことはアドマイヤベガもトップロードも覚えている。
「あの立派な体格の子だよね、アメリカからURAに招聘されて来た、っていう。いよいよデビューか、そりゃ楽しみだね。」
「画面越しにでも、どこに居るかすぐに分かるわ。会場からも期待の視線を集めてそうね。」
トップロードと並んでアドマイヤベガも身を乗り出し、鷹木の差し出したPC画面を見つめている。
一般にはテレビ中継されない、まだ無名なデビュー前ウマ娘たちの初戦。とはいえ、確かにスピーカーから流れてくるどよめきや喧噪の大きさは、シンボリクリスエスが担う期待に比例するようであった。
しかしクリスエスは4番人気であった。大きなレースとは異なり、パドックでの紹介もアッサリと済まされてウマ娘たちはゲートへ向かう。
ゲート入りが行われている様を見つめながら、アドマイヤベガはボソッと述べた。
「あの子、結城トレーナーが担当するのを辞退したのよね。もしかすると……クリスエスさんが、あまりに大きな期待を背負わされすぎないように、との計らいかもしれない。」
「なるほどねぇ、確かに、URAの招聘によってアメリカから渡って来て、そのうえレジェンド級トレーナーがついた、ともなればデビュー戦から抱え込むプレッシャーは尋常ではないだろうねぇ。」
タキオンも頷きながら応えている。
オールカマーの後も鷹木とタキオンが語り合った話題ではあるが、名門たる冠名を戴きながら、目立った活躍もなく消えていくことについて不安を抱かずにいられないウマ娘は少なくない。
そして、レースウマ娘としてはベテランである面々には、既にゲートインの様子から感じ取れるところがあったのだろう。
シンボリクリスエスは、まだ本領発揮できるほどの身体が出来上がっていない……と。
〈天候は晴れ、芝状態は良、東京レース場、1600mです。全ウマ娘ゲートイン完了、スタートしました。向こう正面奥からのスタートとなります、まずは緩やかな下り、一気にハナを取ったのは1番人気グラスユニバース、続いて外からベルモントクエスト。そのウチに並んで2番人気マルターズワールド。人気度上位のウマ娘が率先して先行の位置につく形であります。〉
ジュニア級のデビュー戦ともあって、若々しい声のアナウンサーが淡々と状況を伝えていく実況が流れている。
デビュー、あるいはデビューから間もない頃のウマ娘は、先行や逃げの作戦でレースを進めることが多い。そもそも脚質がまだ定まっていない状態であり、また最終直線を向いてから脚を使う作戦は、より蓄積した負荷を増してしまうためでもある。
東京レース場特有の長い直線部分にて、各ウマ娘の位置取りは易々と固まった。
「シンボリクリスエスくんは、どうやら差しの位置取りのようだねぇ。1枠の位置を取れたようだが、さほど枠順で有利か否か決まるコースでも無いねぇ。」
「向こう正面の出口に上り坂があるし、ゴール前の直線でも2度目の上り坂が来る。1600mとはいえ、中距離並みのスタミナを要するコースだ。あまり無理をしないように脚を運んでいるね。」
タキオンの言葉に続けて、トップロードもじっくりと画面内のウマ娘たちの走りを凝視しながら喋る。
シンボリクリスエスは、その漆黒の髪を靡かせ、遠目からでも目立つ大柄な身体でありながら、序盤は極力抑えて走ろうとしている様であった。
〈向こう正面の坂をのぼりきって3コーナーへ、先頭は変わらずグラスユニバース、2番手ベルモントクエスト、続いてマルターズワールド。今回は4番人気となりましたシンボリクリスエスは中団後ろ、6番手の位置につけております。ほとんど並んでエフビーワン、その外からヒッグスボソン。最後方はヒカルバロタロウと言った形で800の標識を通過、この先4コーナーを抜ければいよいよ最終直線であります。〉
「ほう、ヒッグスボソン、すなわちヒッグス粒子とはねぇ!先輩方は知っているかい、ヒッグス粒子はこの全宇宙の質量がいかにして生み出されたかを論ずる上で重要なカギを握る存在だ、かつては『神の粒子』だの『いまいましい粒子』だの毀誉褒貶甚だしい概念だったが、近年になって高エネルギー粒子加速器による実験で実在が証明されたとされていてだねぇ……」
「ちょっと黙ってもらえるかしら。クリスエスさんがどこで仕掛けるつもりなのか、集中して見ておきたいの。」
自分の興味の領域を刺激されて饒舌に喋りまくり始めたタキオンを、アドマイヤベガは遮って黙らせる。
既に後方のウマ娘たちは前を目指す位置取りを意識して動き始めていたが、シンボリクリスエスは変わらずコースの最ウチでじっくりと脚を溜め続けていた。
その落ち着きは、翻せば余裕の無さであるかもしれなかった。小さくしか映らない表情は詳細に読み取ることが難しかったが、走りを見れば彼女が早くも息切れしかけていることは明白だったのだ。
〈さぁ最終直線に向きまして後方待機していたウマ娘たちが続々と上がってきます、先頭グラスユニバースが粘っていますが、外を突いてアサクサキニナルが上がってきた、残り400を通過。ここで内側からシンボリクリスエスが動いた、シンボリクリスエス、ウチを突いて上がってきた!先頭のグラスユニバースを交わして、アサクサキニナルと並んでいる!シンボリクリスエスが僅かに前か!〉
パッと見では、大柄な身体ゆえに一歩の幅に優れるシンボリクリスエスの方が優勢に思われた。
だが、既にレース経験を豊富に積んできた面々には、クリスエスが限界ギリギリの状態で追い込んでいる様がはっきりと分かった。アドマイヤベガは目に真剣さを強め、口を開く。
「手加減はしてないわね。あの体つきなら、もっと速度が出せて良さそうなものだけれど……。」
「心肺機能が追いついていないのかもしれない。そういう動きだ。」
ナリタトップロードも、すぐ隣のタキオンと同様に身を乗り出して画面を凝視していた。
確かに、シンボリクリスエスは先頭に躍り出るほどにまで加速出来てはいたが、やっとの思いで大きな一歩一歩を持ち上げているかのような、大幅なストライドで2番手のウマ娘とほぼ並び続けているような状態であった。
『シンボリクリスエスの本格化は、来年の秋以降』という結城トレーナーの見立ては、正しかったのだ。単純な筋力にも増して、心肺機能はそうそう容易く鍛えられるものではない。
〈坂を登り切って、残り200!2番手争いはグラスユニバースとエクレラージュか、先頭はシンボリクリスエス、アサクサキニナルとほぼ並んでいますが、僅かにクビ差か、シンボリクリスエス!今先頭でゴールイン!勝ちましたシンボリクリスエス!かなり苦しそうな表情ですが、拳を辛うじて上げて歓声に応えています!このレース、デビュー戦を勝利で飾ったのはシンボリクリスエス!〉
観客席からの拍手や喝采に応えながらも、シンボリクリスエスの表情がかなり険しいものとなっていたのは、やはり息切れして失速するギリギリのところで頑張っていたためであろう。
画面内では、ようやく減速を終えて肩で息をしているクリスエスの周囲に、彼女に敗れたとはいえ共に並んで競走していたウマ娘たちが心配そうに集まっている。集団指導のトレーナーと思しき面々が、タオルやアイシングの用意を抱えながら駆け寄っていく。
そんな様を画面越しに眺めながら、アグネスタキオンは呟いた。
「アメリカからURA直々の招聘に応じてここまで来て、粗末な走りを見せるわけにもいかないと懸命だったのだろうねぇ。」
「本来は、抑えて走るようにと指導されていたのかもしれない。けれど、直線を向いたとき、それから観客席から歓声が沸き起こったとき……どうしようもなく、走りたくなったんだろうね。」
専属のトレーナーが未だ決まっていないシンボリクリスエスであったが、しかしそんなウマ娘たちを集団で指導しているトレーナー達も、彼女の身体機能がまだまだ完成されていないことは重々承知であったろう。
無理をしないようにとトレーナー達から告げられていてもなお、クリスエスはゴール前の直線に向いた時、自らが担わされた使命に衝き動かされたのだ。
ようやく呼吸が落ち着いたのか、顔を上げて改めて観客席へ深々とお辞儀しているクリスエス。再び顔を上げた時、彼女の深い瑠璃色の瞳は意志の強さで輝かんばかりとなっていた。