探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 復帰したアグネスタキオンにとっても大舞台でのレースが迫る中、ついにマンハッタンカフェとジャングルポケット、ダンツフレームらが出走するクラシック三冠の最後のレース、菊花賞の当日となった。ウマ娘たちやトレセン学園トレーナーらの間では勝利候補と見られていたマンハッタンカフェは6番人気、世間的な評判とは食い違う人気順となっていた。とはいえ長距離に強いカフェは、京都レース場の長い直線で強みを活かせるジャングルポケットと勝利争いとなるだろう……そう予想していた面々は、いざ始まった菊花賞にて意外な伏兵の存在を目の当たりにすることとなる。


並行する王道に、また一つ刻まれる

 10月の末には、立て続けにウマ娘レースの中でも最高クラスの舞台が開かれる。

 

 名だたるシニア級ウマ娘のもとへアグネスタキオンが殴りこむ天皇賞秋は10月27日であったが、その前に菊花賞が10月21日の開催である。

 

 可能性世界で定められ得る運命を確実に外れ、自らが特異点であるとの証を得んとするタキオンは参戦を見送ったものの、今年のクラシック級路線の面々にとっては最後の、そして最長のGⅠの舞台。

 

「おや、カフェは6番人気だねぇ。やはり世間の目から見れば、ようやっとOP戦を勝って、GⅡでは四着となる程度のウマ娘だとの認識なのかねぇ。」

 

 自身のGⅠ出走も間近に迫っているタキオンは、トレーニングがひと段落した後の汗をぬぐいながら休憩時間に覗いたスマホ画面を見て呟いた。

 

 菊花賞の人気順、1番人気は言うまでも無くジャングルポケットである。今年度のダービーウマ娘、夏の札幌記念ではエアエミネムに敗れたものの、比較的直線の長い京都レース場の外回りコースについてはジャングルポケットのポテンシャルに期待がかかる。

 

 皐月賞とダービーの両方で二着となっているダンツフレームがそれにつぐ2番人気、そして札幌でポッケに勝ち、神戸新聞杯でダンツに勝っているエアエミネムが3番人気というのも、確かに妥当な評価であるとは思われた。

 

 が、4番人気、5番人気が他のウマ娘で占められ、その後にようやく6番人気としてマンハッタンカフェの名が挙がるのは、確かに過小評価に過ぎるように鷹木も感じていた。

 

「このところはタキオンのトレーニングに専念していたから、マンハッタンカフェの近況は見れていないが……先週、結城トレーナーのもとにお邪魔した時はかなり身体も筋肉をつけた上で絞れているようだった。」

 

「さすがにトレーナーくんには一目瞭然だったろうねぇ。私もカフェの状態を知るため招待に応じたところがあったが、カフェの脚は過去一番の仕上がりになっているんじゃないかと思うねぇ。」

 

 長距離戦での適正は、既に夏の札幌における富良野特別、および阿寒湖特別において証明されている。

 

 そのうえ、四着に終わったセントライト記念では自分の弱点、スタミナ残量を長距離ほど求められない距離では競り負けてしまうことを明確に実感できている。

 

 さらには、当のセントライト記念にて優先出走権を得たシルヴァコクピットは挫石による負傷で菊花賞への出走辞退、次ぐ順位であったロードクロノスやロードフォレスターらも不調のため菊花賞には出走せず、順繰りに菊花賞への道はマンハッタンカフェのもとへと回ってきたのだ。

 

「世間的な評価ではさほど期待を集められていないのかもしれないが、私はカフェが限りなく勝利を必然まで引き寄せていると感じるねぇ。まるで、この世界の運命が“菊花賞でマンハッタンカフェが勝つ”ことを元より望んでいるかのような巡り合わせじゃないか。」

 

「あぁ、カフェ自身の能力的にもな……タキオン?それにしては、何だか沈んだ顔色だな。」

 

「ん?そうかな?」

 

 タキオンにとっては、鷹木がそれほどまでに鋭い観察眼を発揮するとは思いもしなかったのだろう。キョトンと視線を返しているかのように作られた表情は、内心の僅かな動揺を隠しきれていなかった。

 

 だが、小心者のレッテルを以て鳴らすといえども鷹木は曲がりなりにもプロのトレーナーであり、自分の担当ウマ娘として定めたアグネスタキオンを間近で見続けて2年目なのだ。

 

 さすがに、ウマ娘の心境の内面をも表情から見通せるぐらいの目は有している……タキオンは本音を隠すのを、早々に諦めた。

 

「いや、私とてカフェの勝利を信じているし、応援する気持ちは強いとも。ダンツ君やポッケ君には申し訳ないがねぇ。だが、カフェを取り巻く状況が、私の求める特異点とは真逆の振る舞いで満ちていることもまた事実なんだ。」

 

「……前もって予測される可能性や、既に定められた運命を乗り越えるような、特異点としての振る舞いと、逆だ、ってことか。」

 

「これまでもさんざん繰り返した説明、流石に理解してくれているねぇ、トレーナーくん。そうとも、長距離の適正を前もって示し、仮に優先出走権が得られなくとも、マンハッタンカフェは結果的に菊花賞への出走を実現させている。それこそが特異点らしい性質だと取ることも出来なくはないが……彼女は“お友だち”との結びつきが強いからねぇ。」

 

 マンハッタンカフェが時おり存在に言及する“お友だち”。

 

 出会った当初は、まるで物理的には存在を確認できない幽霊か何かではあるまいかと考えられていたが、タキオンの仮説に拠れば“お友だち”とは可能性世界のウマ娘の姿ではあるまいかとのことだ。

 

 この現実世界とは別に存在する、まるでウマ娘レースの結果、ウマ娘たちの運命を既に定めているかのごとき可能性上の世界。マンハッタンカフェは、そんな“お友だち”に導かれるようにウマ娘としての生を歩んでいるのではないか。

 

 アグネスタキオンの表情は、その仮説がじわじわと懸念へと性質を変えつつあることも物語っていた。

 

「無論、今は菊花賞でのカフェの走りに声援を送る他にすべきことはない。が、将来的に、カフェが“お友だち”の導きに引っ張られ過ぎやしないか、気をつけておくべきかもしれないねぇ。」

 

「まぁ、俺たちよりも、カフェのことをずっと近くで見てる結城トレーナーが気づくだろ、その辺のことは。」

 

 タキオンに、自身以外のウマ娘のことを気に掛ける傾向があるのは今に始まったことではなく、今は天皇賞に向けた調整へ専念してもらいたい鷹木は小休止を終えてトレーニングに戻るよう彼女を促した。

 

 練習に割ける時間を最大限確保するよう設定したスケジュール上、次にタキオンが画面の前に戻ってこれたのは菊花賞の出走直前、午後3時半を過ぎた頃である。

 

 10月の末ともなれば、3時過ぎの空は早くも夕映えの色に染まっている。汗ばんだ身体が初冬の涼気で冷やされ過ぎないよう、大型のタオルと上着をタキオンに渡しながら鷹木は告げた。

 

「京都の方では、雨が降ってるらしい。まだ降り始めたばかりだから、バ場状態は悪くないようだが。」

 

「ふぅン、カフェは重バ場が苦手だろうけれど、間もなく発走時刻ならば影響は少ないかねぇ。あるいは運命の揺らぎが京都レース場に訪れたかねぇ。」

 

 休憩時間に入ったタキオンがすぐにでも鑑賞できるよう、京都レース場の様を映した中継画面内では小雨の中、ゲートに収まった15名のウマ娘たちの姿があった。

 

〈最も強いウマ娘が勝つ、3000mの長丁場、クラシック最後の三冠であります菊花賞。全員のゲートインが完了しまして……スタートしました!綺麗に揃ったスタート、約200mの直線からすぐに3コーナーへと向かいます。先行争いは外を突きまして、まずはマイネルデスポットが先頭へ出てまいりました。大きくリードを広げようとするところ、その後チアズブライトリー、エアエミネム、そしてタニノトリビュートが並んで2番手集団を形成しています。〉

 

 マイネルデスポット、気真面目そうな鹿毛のウマ娘が果敢に先頭へと切り出し、逃げの位置へと進んでいく。

 

 スタート直後に上り坂となる直線は短く、すぐコーナーへと入っていくコースの例にもれず、この菊花賞においても位置取り争いが初っ端から重要な局面となっていた。

 

「エアエミネムくんは良い位置につけたねぇ、左右を完全に挟まれているのは気になるが、先行のポジション、ウチ側から2番目で回れるのならば上々だねぇ。」

 

「ジャングルポケットは外側から回っていくようだな、いつもの追い込み策とは位置取りが異なるが、長距離のペースは勝手も違う。」

 

 長丁場ともあって、全体のペースは中距離よりもさらにゆったりしたペースとなりがちである。

 

 それ故に、逃げや先行のウマ娘がさほど消耗することなくリードを稼ぎ続けられる展開も十分にあり得る。その点を鑑みて、エアエミネムおよびジャングルポケットは先行の位置を選んだのだろう。

 

〈3コーナーを回っていきます、メイクマイデイは先行集団を見るように5番手の位置取り、その後に続く中団グループにジャングルポケットの姿があります。1番人気ジャングルポケット、今日のレースは前目につけての展開となっております。先頭は3コーナーから4コーナーへ、2番人気のダンツフレームは最後方、15番手にてじっくりと待機する構え、人気度上位ウマ娘の中でも位置取りは大きく分かれております、間もなく一周目のスタンド前へと出てまいります。〉

 

 ダンツフレームは、自身が他のウマ娘と瞬発力で競い合っても不利であることを呑んだうえで、位置取り争いに巻き込まれない最後方待機を選んだのだろう。

 

 切れ味こそないものの、そのパワーとスタミナでじわじわと追い上げていく彼女の走りのスタイルが、この長距離戦でどこまで活かされるのかは全く未知数であった。

 

「カフェ……あ、居たねぇ、後方集団に埋もれてしまっているねぇ、前から10番手といったあたりだねぇ。」

 

「あぁ、小柄なせいでますます、集団の中で完全に囲まれてるな。とはいえ、無理なペースも強いられない位置、しかもコース内側で走れているからスタミナは温存しやすいだろう。」

 

 2枠というスタートで、先行争いにも参加しなかったマンハッタンカフェは、まだ実況からも存在に言及されていない、目立たぬポジションにいた。

 

 が、レースウマ娘やトレーナーの目からは、その序盤からの走りが、この菊花賞内における最大の脅威であることはあまりにも明白であった。ただでさえ長距離適性を証明したウマ娘が、脚をためやすい位置に居るのだ。

 

 当然ながら現在走っている面々にも意識されるところだったのか、カフェの周囲は早くも完全に包囲されて抜け出せぬ状態となっていた。

 

〈先頭は変わらずマイネルデスポット、リードを保ったまま直線へ入っていきます、そしてタニノトリビュート、チアズブライトリー、さらにはエアエミネムが続き、ジャングルポケットはちょうど中団の位置、先行する面々の背をぴったりと追い続けております。先行集団が前へ殺到する一方、後続集団はややバラけて、ワンモアバンクオン、マンハッタンカフェが集団後方、ダンツフレームは変わらず最後尾につけまして、先頭は早くも第1コーナーへとかかります。〉

 

 直に浴びせられる声援を力に変えるように、ジャングルポケットもエアエミネムも力走を見せつける。

 

 が、画面越しに見ている鷹木はひとつの違和感を感じていた。

 

「……なんか、声援が……というか、音量が小さくないか?実況アナウンサーの声は普通に聞こえるから、こっちのボリュームを下げ過ぎてるわけじゃないと思うんだが。」

 

「おや、トレーナーくんもそう思うかい?以前も私が似たようなことを言った際は気にしていない様子だったが、そうか、人間の聴力でも判別できるほどなんだねぇ。いや、むろん、実況中継を放送する側の工夫で、アナウンサーの声をハッキリ聞かせるよう調整したのかもしれないがねぇ。」

 

 タキオンの説は無理のないものであったが、鷹木の胸の内にはなにかモヤモヤするものが残った。

 

 声援の大きさは、単なる音量の問題ではないような気がする。年に一度の大舞台、それを心待ちにして押しかける幾万人ものファンが上げる歓声。毎年それを聞き続けてきた鷹木の耳には、今年に限ってそこに感じる熱量が少々減っているように聞こえたのだ。

 

 そんな些細な疑問は、間もなく画面上のレースで起きた明確な変化を前に、他の思考の下へとうずもれていったが。

 

〈1コーナーを回っていきます、先頭はマイネルデスポット、果敢に逃げ続けております。タニノトリビュート2番手、チアズブライトリー3番手、エアエミネムがそこに続く形……ジャングルポケット、少し位置を下げたか、中団を少々下がって現在8番手の位置。変わって位置を押し上げ始めたのはマンハッタンカフェ、じわじわと加速して現在ジャングルポケットのすぐ後といった位置であります、2コーナーを回ってまいります。〉

 

 ジャングルポケットが若干速度を緩めたのは、1周目から逃げ続けるマイネルデスポットに釣られ過ぎた、と感じたためであろう。

 

 確かに、普段から慣れていない先行のペースで進んでいては、得意とする最終直線での追い込みが十分な速度にならないだろう。

 

「ポッケ君は途中から追い込みの位置取りへと切り替える作戦だったのかもしれないが、少々チグハグな走りであるようにも思えるねぇ。」

 

「ジャングルポケットの指導を担当しているキングヘイローも、同じことを考えているかもな。さっきのスタンド前での走り、追い込みで決めるつもりならもう少し後ろに下がっていても良かった。」

 

 同じことは、先行の位置をキープし続けているエアエミネムにも言えただろう。

 

 確かに全体で見れば長距離戦らしいスローペースで進んではいたが、逃げるマイネルデスポットにリードを広げられまいとして、スタミナを消耗してしまっている感は見てとれた。

 

〈2コーナーを回って向こう正面へ、さぁ逃げ続けております先頭はマイネルデスポット、まだまだ息切れはしない様子でリードは3バ身、そしてタニノトリビュート2番手、チアズブライトリー3番手といった形は変わらず、4番手以降の面々は少し慎重になったか、固まって集団を形成しています。中団を率いるのはエアエミネム、そしてウチ側にメイクマイデイが行っています。ジャングルポケットは外から仕掛けられる位置で、現在9番手辺りであります。〉

 

 京都レース場の向こう正面は、この菊花賞のスタート直後と同様の上り坂がある。

 

 逃げと先行の面々は変わらぬ様子だったが、4番手をキープしているエアエミネムよりも以降のウマ娘たちは意識的にスタミナを浪費すまいとして脚を緩めていた。

 

「なにぶん、この後に下り坂だからねぇ。京都レース場特有の大きな半径を描く3,4コーナーから直線だ。」

 

「そこで競えなければ、直線に向いてからいくら頑張っても勝機は薄い。既に2000m以上走ってきたうえで、どこまでスタミナを残せているか……だな。」

 

 途中明確に脚を緩めてペース配分を急遽調整したジャングルポケットも、位置を見ればまずまずのポジションである。

 

 一方で、マンハッタンカフェはと見れば、相変わらず中団の内側、ジャングルポケットに並ぶ位置に居た。一周目からじわっと位置だけは上がったものの、前方を遮る者の居ないエアエミネムやポッケの方に観客の注目は集まっていた。

 

〈ダービーレグノが前へと行っています、3コーナーから4コーナーへ差し掛かろうという所。最後方ではダンツフレームが2バ身から3バ身開けて前の集団を見る形が続いています。さぁ坂を登り切って徐々に全体が加速し始めました、先頭のマイネルデスポット、リードを4バ身から5バ身へと広げて、それを追うのは2番手タニノトリビュート、さらに3バ身空いてようやく後続集団、チアズブライトリー、あるいはエアエミネムが来ています。4コーナーへ入る!残り600を通過しましたが、これは追いつけるのか!〉

 

 ここでタキオンや鷹木にも予想できていなかった状況が生まれつつあった。

 

 3000mもの長距離、先頭でリードを保って逃げ続けるのは至難の業である。スタート直後から一気にハナを奪ったマイネルデスポットは、流石にこの辺りで後続に追いつかれるのではないかと思われていた。

 

「あれは作戦通り、といった脚運びだねぇ……やるじゃないか、マイネルデスポット君!」

 

「後ろの面々が最後の仕掛けどころを想定してもたついている一方で、自分のペースに持ち込んで進められてるんだからな。逃げの理想的な形だ。」

 

 一周目では少々小さいように聞こえた歓声も、ここに来てしっかりと高まり、またどよめき始める。

 

 先頭で逃げ続けるマイネルデスポットはますます後続とのリードを広げ、直線へと向く頃にはもはやセーフティリードと思えるほどの間合いを保っていたのである。

 

〈400を通過!いよいよ第4コーナーから直線へ!マイネルデスポット先頭!マイネルデスポット先頭!リードは4バ身!追いつけるウマ娘は居るのか!?タニノトリビュートが2番手で粘っているが届かないか!外からはエアエミネム!あと200m!ジャングルポケットもようやく突っ込んできた、が4,5番手!ダンツフレームも集団内側を突いて上がってくる!残り100m!マイネルデスポット先頭だ!これは勝ちか……マンハッタンカフェ!マンハッタンカフェが来た!!〉

 

 まさにゴール間際、残り100m、ウマ娘の脚であれば1ケタ秒で通過する距離。

 

 ジャングルポケットも、エアエミネムも先頭にはどう見ても届かぬ位置であった。やはり、中盤までの先行策でスタミナを浪費しすぎたのだ。

 

 集団に囲まれ切った中から、まさに亡霊でも現れたかの如くすり抜けてきたのがマンハッタンカフェであった。

 

「勝つじゃないか!カフェ!!」

 

「あそこから、行けるってのか!?いや、行ったな、これは!!」

 

 中継画面を凝視しているタキオンも鷹木も、ほとんど喋っている余裕はなく、しかし周囲もはばからず大声を上げていた。

 

 とはいえ人目を気にする必要も無かったろう。その瞬間、少なくともトレセン学園の至る所で菊花賞の中継観戦に没頭している面々は居り、この場においてもあちこちから歓声や叫びが上がっていたのだから。

 

〈マンハッタンカフェだマンハッタンカフェだ!ぐんぐん上がって差を詰めてきたマンハッタンカフェ!マンハッタンカフェが並んで交わしてゴールイン!!マンハッタンカフェだ!!マンハッタンカフェ、GⅠの冠をついに手にしました!勝ちましたのはマンハッタンカフェ、良く粘りましたがマイネルデスポット、惜しくも二着であります!一着はマンハッタンカフェ、遅れて現れた漆黒の摩天楼、菊花賞にて遂に才能が完全開花であります!〉

 

 京都レース場内は言わずもがな、おそらく全国で同時に湧き上がった歓声を一身に浴びて、マンハッタンカフェはその細身の身体を上気させていた。

 

 長袖の勝負服を着こんで走るのはGⅡレースでも同様だったが、これほどまでに熱い息を吐き、鼓動が高まったのは彼女にとって生まれて初めてのことであるようだった。

 

 カフェと並び、集団から完全に抜け出していたマイネルデスポットと共に減速し、掲示板の一番上に自分の名が表示されているのを見て……ようやくカフェは、大歓声で沸き立っている幾万人もの観客に向けて控えめに手を振った。

 

「いやいや、キミは実に難度の高いレースを制したんだ、もっと誇りたまえよカフェ。単なる身体能力のみならず、レース全体のペースを把握する観察眼も、並みのウマ娘ではマイネルデスポットくんを差しきる真似は出来なかったろうからねぇ。」

 

「3000mを走りとおし、残り100mのところであの加速だからな。先行に追いつくには足りない、と気づいてからでは遅すぎる……タキオン、この展開は特異点の証になるだろうか?」

 

 鷹木は、その言葉を口にしてから初めて、自分が“特異点”という言葉を自然と使っていることに気づいた。

 

 が、訂正する気はなかった。タキオンとの意思疎通には最適な語彙であったし、今後もなお現実に起き得る事態に向き合うため、理解しておくべき概念に違いなかった。

 

 タキオンもまた、鷹木の言葉を何らの違和感も無く受け止めていた。

 

「確かに、特異点だねぇ。私はてっきり、カフェの独り勝ちになるのではないかと考えていたのだが、なかなかどうして予測不能な伏兵は居るものじゃないか。これでこそ、結果を誰も予測できないウマ娘レースというものだねぇ。」

 

 タキオンは実に満足げに画面内のマンハッタンカフェを見やり、そしてすぐさま立ち上がって練習場へと戻っていった。

 

 定められた運命を乗り越える、特異点。それが自分の身近に存在したことを実感した今、タキオン自身もまた同じ振る舞いを望むことはあり得ないものではなかった。

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