探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 ライバルであるタキオンが復帰、さらには天皇賞秋で勝利する様を見せつけられた後、勝ちあぐねているジャングルポケットをジャパンカップへ出走させる判断は慎重を要した。が、桂崎トレーナーの下、サブトレーナーとしてジャングルポケットを見続けてきたキングヘイローは、今だからこそ参戦するべきだと告げる。キングヘイロー自身も勝ちへの渇望を捨てず走り続け、遂に勝利を得たという経験をしているだけあって、その説得力は充分であった。ジャングルポケットの練習には、本番同様の対戦相手を想定してアグネスデジタルも協力している……が、ほどなく、デジタルはトレセン学園に訪れた別の意外な訪問者に気づくこととなる。


見えぬ先へ、探るは再びの光

 札幌記念、そして菊花賞と続けて勝てずにいたジャングルポケットに、ジャパンカップへと出走させるよう強く推したのはキングヘイローであった。

 

 トレーナー試験に合格してようやく2年目、キングヘイローの立場はあくまでサブトレーナーに過ぎなかったが、彼女の進言は並みの新米トレーナーとは比べ物にならぬ説得力を以て受け止められた。

 

 メイントレーナーである桂崎トレーナーは彼らしい堅実さを示し、調子を取り戻すまでジャングルポケットは休養、来年のシニア級に向けた万全の備えに時間をかけるという方針であったのだが……。

 

「ジャングルポケットさんは、今こそ一番に、走る気力に満ちているわ。たしかに本領発揮できないレースが続いているけれど、秋天でのタキオンさんの走りを見せてなお、レース場から遠ざけるべきではないはずよ。」

 

「不調にライバルへの焦りが加わって、さらに調子が崩れるようなことがあってはならない……と考えていたんだが、キング、君がそう言うのならば考えを改めるべきかもな。」

 

 自身がトレーナーとなって以降、先輩トレーナーへは敬語を使うよう心掛けているキングヘイローも、今や桂崎トレーナーとの間では相手への信頼感を示して普段の口調を用いるようになっていた。

 

 殊に今のジャングルポケットはウマ娘にとって最も大切な時期の真っただ中であり、間違いなく身体能力が最高潮に達しているクラシック級終盤にて、栄冠を逃すことも無茶をし過ぎることも出来ない。

 

 ごく難しい判断ながら、考え抜いた際に下した結論をキングヘイローは口にしていたのである。

 

「決して焦ってはいないし、レースでの感覚を研ぎ澄ませることが今こそ最良の形で出来ているわ、ジャングルポケットさんは。オープンクラスのウマ娘たちに集まってもらって実戦形式での練習も幾度か行ったけれど、常に変わる展開の中で仕掛けどころを見誤ることはなかったもの。」

 

「……分かった。こちらもメイントレーナーとして最大限、力になろう。決めたからには、並みの覚悟では足りないぞ。URAのみならず、世界で最も活躍しているウマ娘たちが競走相手となるんだ、ジャパンカップは。」

 

 自身はジャパンカップへの出走経験のないキングヘイローであったが、同期である黄金世代のスペシャルウィークやエルコンドルパサーが如何程の激闘を繰り広げたレースであったかを間近で見知っている彼女は、深く頷いた。

 

 ……というのが菊花賞を終えて一週間ほど経過した10月末の話であり、11月に入る頃にはジャングルポケットは本格的にジャパンカップでの勝利に向けて走り続けていた。

 

 東京レース場の芝2400m、日本ダービーと同じコース条件である。

 

 ただ、競走相手の格が違いすぎる。既にナリタトップロードとアドマイヤベガ、そしてネオユニヴァースとゼンノロブロイ……さらにはダービーでは不在だったアグネスタキオンが、そこに加わる。

 

 今年の春には戦慄もさせられたタキオンの走りであったが、遂に勝つ機会が巡ってくる。その思いが、ますますジャングルポケット自身に厳しい走りを求めさせていた。

 

「デジタルさん、失礼になっちまうかもしれねぇけど、向こう正面入り口で俺が来るのを待っててもらえるか?具体的には、俺より800m短い距離での走りを見せてもらいたいんだ。」

 

「ひょぉ!?デジたんは一向にかまいませんが、そして我ながら言うのも何ですが、ハードな特訓ですねぇ!」

 

 ジャパンカップには出走しないアグネスデジタルは、同じ桂崎トレーナーの指導下に居るウマ娘としてジャングルポケットの練習相手となっていた。

 

 世界を舞台に活躍し、黄金世代や覇王世代が去った後の時代の喝采を独り担い続けてきたアグネスデジタルは、練習相手としてあまりにも豪華すぎる存在ではあったが、それでもジャングルポケットは口にこそ出さなかったものの不足を覚えていた。

 

 芝もダートも問わず活躍できるオールラウンダーとして名を馳せたアグネスデジタルだが、本領発揮するのはマイルから中距離、最長でも2000mまでである。それ以上の距離となると、流石のデジタルも勝ちきれないレースが多い。

 

 何者をも追随させず、抜きん出て翔り去っていく、ウマ娘の限界を超えんばかりの、アグネスタキオンの走り……それを想定して練習するためには、デジタルにも容赦なく走ってもらう他になかった。

 

「デジタルさんの安田記念での走り、あのクラスの速度で俺に先行してくれ。無茶な話かもしれないが、俺は追いつくつもりで走る。」

 

「なるほどぉ!分かりました!このデジたん、後輩のためにいっちょ本気で駆け抜けてやろうじゃありませんか!」

 

 デジタルからの承諾を受け、走る前に入念なウォーミングアップを行っているジャングルポケット。

 

 その一方で、キングヘイローはアグネスデジタルを手招きで呼び寄せ、小声で彼女に耳打ちしていた。

 

「確かに最高クラスのレース、そしてタキオンさんに挑むことを想定した上では十分な練習ではありますが、その、デジタルさん、ある程度は……。」

 

「えぇ、こちらも承知しておりますとも。他のウマ娘ちゃんとの兼ね合いを考えて位置取りする必要もない練習では、下手したら本番の安田記念よりも速く走れちゃうかもですからねぇ。」

 

 ジャングルポケットが冷静さを欠いている状態ではない、とは分かっていつつも、キングヘイローは常にトレーニングの負荷が過剰になり過ぎないかと気を配る必要があった。

 

 本来、無茶なペースである。かたやジャングルポケットが2400mを走り抜くペースであるのに対し、1600mのペースで走るアグネスデジタルと競わせるのは。

 

 器用に速度の配分を調整できるデジタルも、その点を鑑みて全速力までは出さないつもりで練習コースの向こう正面へと向かっていった。

 

「準備は良い?ジャングルポケットさん。」

 

「あぁ。単なるタイムだけじゃなくて、コーナーから直線に向かうときの俺の脚運びも厳しくチェックしてくれ。」

 

「当然、撮影の準備も万端よ。では位置について……用意、スタート!」

 

 この場所は桂崎トレーナーが学園から得ている個別練習場であるため、常備された計測システムが練習レースの管理や計測を行えるのだが、自分自身が声を出す合図で教え子を送り出すのがキングヘイローの常であった。

 

 ジャングルポケットが刻むタイムは、昨年と比べても勿論、今年の夏合宿時の走りと比較しても段違いに正確なペースであった。

 

 共に並んで競う相手が居ない練習時においても、本番にて想定している追い込みのペースを意識し、また無意識的にも自らの脚に叩きこんでいるのだ。

 

「いいわ、そのペースを維持して……本番ではコース内側に詰められるかもしれないから、十分に余裕をもって……」

 

 走っていく背中を見つめながら、キングヘイローは自分自身がコース上に居るかのように、走る際に留意すべき点を呟き続けていた。

 

 直線コースを抜け、コーナーを回り切った先、向こう正面の入り口には既にアグネスデジタルがスタンバイしている。

 

 走っている途中のウマ娘に合流し、なおかつ想定した位置取りに合わせるのは実際のところ至難の業である。当たり前だが、全く違う距離のレースを同時に行う大会はまずあり得ないため、実際にそのような練習をすることもない。

 

 ごく例外的に、実用的な能力を競うウマ娘の大会の名残として、荷車を引いて速歩で競うレースなどは、ハンデとして異なった距離での競走を行う場合もあるが……URAの競技全体で見れば非常に稀な例である。

 

 当然のことながらアグネスデジタルにとっても、初の体験である。後方から走ってくるジャングルポケットに合わせ、先行の位置取りを保つようにスタートするには完璧なタイミングを見極める必要があったが、彼女はそれをやってのけた。

 

「あれ、遅すぎるのでは……いえ、追いつかれなかったわね、流石はデジタルさん。マイルのペース、中長距離と比べると段違いの速度ね……。」

 

 途中からの合流にもかかわらずジャングルポケットのペースに合わせて先行の位置につけたアグネスデジタルの器用さに感服しつつ、キングヘイローは改めてジャングルポケットの脚運びへ注視する。

 

 アグネスタキオンの先行に追いつくためには、最終直線までには十分に捉えられるほど前に出ていなければならない。タキオンの側も、しっかりリードを広げようとするだろう。下手すれば、タキオンが先頭に出るほどのペースで運ぶかもしれない。

 

 だが、それに誘われる通りに走る作戦は今回立てていなかった。札幌記念での苦い経験が、その判断を下させた。

 

「あの時は、札幌レース場の短い直線を気にしすぎて、早すぎる仕掛けを実行させてしまった。そんな走り、競走相手達の想定通りでしかないから、競り合われたうえに突き放されてしまったのよね……。」

 

 周囲からマークされやすい位置取り、そしてコーナーで消耗した上で精彩を欠く追い込み。

 

 ジャパンカップで、その失敗を繰り返すわけにはいかない。先行の位置取りが強いタキオンへの警戒は緩められないが、ジャングルポケットの最大の強みを、最良のパフォーマンスで実現させるほかにない。

 

 キングヘイローが見つめる先で、今、練習コース上のジャングルポケットは最終コーナーに差し掛かりながら、なおも速度を維持し続けている。

 

 仕掛けるのは、いよいよ直線を向くというタイミングだ。

 

「あ、そうだったわ……デジタルさんには、先行ウマ娘対策であることはお伝えしていたけれど、ポッケさんが最終直線までは抑えて走ることについて、お伝えし忘れていたわね……」

 

 アグネスデジタルは、さほど上がってくる気配もないジャングルポケットの位置を、背後からついてくる蹄音で聞きとっており、そのためか最終コーナーでの加速を意図的に緩めていたのである。

 

 それ故に、ようやくアグネスデジタルが加減しつつも最終直線を駆け始めた時、ジャングルポケットが最大限に磨き上げた末脚を発揮した瞬間に気づいても、デジタルの加速は間に合っていなかった。

 

「ひょぇ!?」

 

「……うぉおおおおォアアア!!」

 

 一切のスタミナ浪費もなく、前を塞がれる恐れもない練習コースの条件下ではあったが、手加減して走っていたアグネスデジタルに早々と追いつき、ジャングルポケットはゴールラインに先着していた。

 

 キングヘイローは手元のストップウォッチを止め、と同時にコースに設置された計測機器の画面も確認する。

 

「上り3ハロン、34秒を切って33秒台に入ってるわ……本番は他の競走ウマ娘との位置取りもあるからもう少し削られるだろうけれど、シニア級相手でも文句なしの末脚ね。」

 

 キングヘイローは言いながら、自分自身の声で聞かされているその内容に多少なりと慄く思いもあった。

 

 2400mをほぼ全力で走り切ったジャングルポケットが、息は多少荒くなっていたものの、さほど消耗した様子もなくコース上から軽く走って戻ってくる様を見るにつけても、ウマ娘レースのレベルが年々高まっていく様を実感せずにはいられなかった。

 

 加減して走っていたためか同じく息を切らした様子の無いアグネスデジタルが、大仰な声で謝るのが先であったが。

 

「ひぇぇぇお詫びのしようもございません!もうお察しかとは思いますが、このデジたん本気ではありませんでした!いくらなんでも、800m短い距離を走る私へ追いつこうとするなど、無理な負荷が脚に掛かってしまうのではと……!」

 

「頭下げないでくれよ、変なトレーニングを頼んだのはこっちなんだから。付き合ってくれて感謝するぜ、デジタル先輩。……それでキングヘイロートレーナー、俺の最後の追い込みは、完璧だったか?」

 

「えぇ、問題なし。今はクールダウンの時間をじっくりと取って。身体を一旦落ち着けたら、今日の残りはコーナー攻略の練習に専念するわよ。」

 

 キングヘイローから明確に褒められもせず、返答があっさりしたものであっても、ジャングルポケットは得心し静かに頷くのみであった。

 

 自分の成長が足りないのではないかと不安がる思いは微塵もなく、今は着実に一線級の実力を身につけた己を磨く。その境地に至った後輩の姿を見ながら、アグネスデジタルもクールダウンしつつしみじみと呟いた。

 

「ポッケさんのすぐ傍に、頼りになるキングさんが居続けたのはホントに良かったですねぇ……しかし、あの末脚の仕上がり、流石のタキオンさんも先行しきれるかどうか。今年のジャパンカップ、見ものになりそうですよぉ……!」

 

 練習場の隅のベンチで身体を伸ばしながら、オタクウマ娘らしい独り言を呟き続けるデジタル。

 

 うんと背を逸らした彼女の視界、自分の背後にある練習場出入口が上下逆さに映った中に、彼女は何かとても重大な存在を見出したような気がした。

 

 むろん、ジャングルポケットの練習中ゆえに、ジャパンカップでの作戦を覗き見されることがないよう入り口はしっかり閉められている。だが、デジタルのウマ娘に対する感覚は、その扉越しに、外を通った何者かを鋭敏に感じ取ったのだ。

 

「……どなたでしょうか、ポッケさんのファンなら、今は練習に専念しておられるとお伝えしないと。しかし、新米ウマ娘ちゃんの雰囲気でもありませんねぇ……?」

 

 次なるトレーニング内容を話し合っているキングヘイローとジャングルポケットが気づく由もない。

 

 アグネスデジタルは立ち上がり、練習場の出入り口をそっと開けて外の廊下へ顔を出した。

 

 そも、個別練習場エリアへの立ち入りが許されるのは、GⅠクラスのウマ娘、ないし練習相手として呼ばれたウマ娘、および彼女らのトレーナーだけである。単なるファンが入って来られる場所でもない。

 

 多少怪訝な色を浮かべていたデジタルの表情が、パッと切り替わったのは、その練習場の外を通過していった者の招待を見てとった時であった。

 

 自分が興奮のあまり過剰な反応を示してしまうことを、今のデジタルは充分に把握していた。

 

 そのため、ジャングルポケットの邪魔にならぬようそっと扉を閉じ、廊下を歩いていく栗毛のウマ娘……その背後からの姿を、あまりにも見慣れた、そして記憶から消えるはずもないウマ娘の名を呼んだ。

 

「テイエム、オペラオー……オペラオーしゃん!来られてたんですかぁ!?」

 

「あ……」

 

 当のオペラオーは、完全に虚を突かれた様子であった。

 

 2年前、引退したきり、トレセン学園にはまず戻ってくることのなかったオペラオー。天皇賞といった大きなレースの解説役ゲストとして公の場には姿を現すことこそあったものの、直に会うのはデジタルにとっても久々の事であった。

 

 素の状態のオペラオーは、いつもの髪飾りも無く、きょとんとした表情がまるで地方から出てきた入学間もない新入りウマ娘同然であったが、すぐにその相手が何者であるか見取って芝居がかった反応を見せた。

 

「おや、お元気かな!利口な勇者よ!歩き疲れた客を、お宅のかまどで休ませてもらえるだろうか!」

 

「ひょえぇ!こんな人里離れ……てもいない学園で、いったい誰が私を尋ねてくるのですか!ウマ娘ちゃん溢れる練習場で、誰がわたしを追って来たのですか!」

 

「ボクは世間では『世紀末覇王』と呼ばれている。随分長いことさすらってきたものだ、このターフの表面を、もう何度も行き来したものだ!」

 

「それなら休んでいる場合じゃないです!もっと行き来して、いろんなウマ娘ちゃんを見て行ってくださいよ!お帰りなさいオペラオーさん!いやびっくりですよ、なんでまた急に!」

 

 オペラオーの独特な挨拶にも即興で返しつつ、アグネスデジタルは極力抑えようとしている自分の声が高まり過ぎていないかと気にしていた。

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