有馬記念の日程がじわじわと迫ってくる時期ではありながら、鷹木には一つの懸念事項があった。
以前も気にしていたことではあるが、タキオンには未だに専用の個別練習場が与えられていないのである。得る目処が立たない、と表現した方が正確ではあったが。
GⅠクラスのレースに出走し、勝利争いをするだけの能力が見込まれるウマ娘ならば、他のウマ娘を気にせず走れる、そして練習している作戦を覗き見られない、全天候型の個別練習場が与えられるトレセン学園。
しかし、クラシック路線の最序盤、皐月賞を終えて早々と無期限休止を宣言したタキオンは、そのタイミングの悪さ故に自分専用の練習場を与えられることは無かった。
その後オールカマーでの復帰、天皇賞秋での勝利、ジャパンカップでの善戦を経てなお、他のウマ娘も合同で利用するグラウンドでの練習を彼女は続けていた。
「さすがに12月に入ったことだし、有馬記念目前のタキオンに個別練習場の利用許可は下りないか、と理事長にも掛け合ってみたんだが、ダメだった……力及ばず済まない。」
「仕方あるまいねぇ、タダでさえウマ娘は練習場に必要とする敷地面積が尋常ではないのだから。同じ有馬記念に出走する先輩方が今まさに使っているわけだ、場所を空けさせるわけにもいかないねぇ。」
アドマイヤベガやナリタトップロード、ゼンノロブロイにネオユニヴァース、さらにマンハッタンカフェ、ジャングルポケットといった多世代に渡って個別練習場を使用する必要のあるウマ娘は多い。
タキオンの能力が過小評価されたわけではなく、あくまでも個別練習場の使用許可を得られる機会を逸したに過ぎない結果であったが、それ故に彼女の担当トレーナーたる鷹木は苦慮することも少なくなかった。
「他のウマ娘たちも練習に使う総合グラウンドでは、なかなか本気に近い走りは出来ないからな。事前に周囲へ了承を取れば、一定時間だけコースを空けておいてもらうこともできるが、何度もタキオンのためにトレーニング中断してもらうとなると心苦しい。」
「私は全く周囲から好かれるつもりもない、心証の観点からは気兼ねなくコースを空けさせてもらっても構わないのだが……しかし後輩たちの練習時間を削られたが為に将来の可能性が閉じるのも不本意だねぇ。」
鷹木は口には出さなかったが、もっとタキオンに直線での追いこみを本格的に練習させることが出来ていれば、先月のジャパンカップ、最終直線でのジャングルポケットの競り合いに勝てたのではないか……との不確実な悔いを抱き続けていた。
それもこれも、存分に担当ウマ娘が必要なトレーニングを周囲に気兼ねなく行える個別練習場を、与えられていないためではあるまいか……と。
当のタキオン自身に告げれば、たちまち否定されたことだろうが。ジャパンカップの時、タキオンは確かに自分の発揮し得る走りを十全に披露し、また自ら堪能したのだ。
「ある意味では、私は満足してもいるわけだがねぇ、一線級のウマ娘としての証、好き放題に使える個別練習場を、私が与えられていない現状に。」
「なんでだ……?グラウンドなら、他のウマ娘から影響を受けながら走る練習が出来るから、とか?」
「それも理由の一割ほどは占めている。が、考えてもみたまえ、トレセン学園から公に今後の活躍を見込まれるということは、可能性世界においても今後勝利し得る将来を期待されたがため、とも言えるのではないかねぇ?」
「いや、お前が言うところの“可能性世界”って概念を、理事長は微塵も知らないだろうが……。」
最近は鷹木も聞き慣れてきた、タキオン独自の仮説であるが、流石にトレセン学園の方針を決定するような代物ではないだろう。仮に理事長室でタキオンの持論を披露しても、きっと戸惑われるだけだ。
とはいえ、まだ年若いとはいえ毎年大量のウマ娘が入学し、その中のひと握りが活躍し、引退、卒業していくのを見てきた理事長に、ウマ娘の命運を読むような非現実的な能力が備わっていたとしても、鷹木はさほど驚かなかったろう。
入学当初はマトモに人の話も聞かない問題児の担当を理事長に任された結果、GⅠタイトルを獲るほどのウマ娘へと成長した例を鷹木は実際に体験していたのだから。
2年前まで担当していたテイエムオペラオー、そして他ならぬ現在の担当ウマ娘であるアグネスタキオンが、その筆頭である。
「可能性世界における私は、皐月賞を最後に引退したのかもしれない、という仮説は以前話したねぇ?ゆえに理事長が私を評した際に、今後の活躍の兆しを見通せないという印象を得たのだとしたら、先述の仮説としっかり符合するのだよ!当然のことだ、私が今後GⅠで勝利することは、誰によっても観測されていない、全くの未確定であるべきなのだからねぇ!」
「お前の意図通りだってのならいいが、担当トレーナーとしちゃ何とも喜びづらい表現だな。」
レースの結果が事前に確定するなどということが決してあり得ない現実、それは将来的な勝利が確約されないことでもあるのだ、当たり前のことではあるが。
話を続けながら、タキオンと鷹木はトレセン学園敷地の外れへとやって来た。
生い茂った植え込みには僅かに人が通れる程度の隙間が刈り込まれており、その向こうには以前から片桐トレーナーが確保している芝地の練習場がある。
タキオンとは別の理由、シンプルになかなか戦績を挙げられないため個別練習場を得られていないタップダンスシチーであったが、彼女の担当トレーナーたる片桐は規則スレスレの手法で事実上の専用練習場を入手していた。
かつて芝の養生地として確保されていながら今は使われず放置されている土地を、自分の手で整備する代わりに練習場として使わせるよう、彼は理事長へ掛けあったのだ。
狙い通り、理事長は二つ返事で許可を出し、以降タップダンスシチーはこの植え込みの向こう、片桐トレーナーが草刈りして整える専用の練習場でのトレーニングを続けることが出来ていた。
「片桐トレーナーは我々にいつでも来て良いと伝えたのだから、もっと頻繁にここを使わせてもらっても構わないんじゃないかい?トレーナーくん。」
「大人には社交辞令って奴があるんだよ。ただでさえ、あの片桐の言ってることだから……。」
鷹木は、片桐ほどの行動力や強引さを発揮できず、担当ウマ娘に十分な練習環境を与えられていない自分自身に不甲斐なさを感じつつも、タキオンに返答していた。
大胆な提案をいきなり直に理事長へ掛け合いに行ける程度には、片桐は図太く、また計算高い策略家であった。さすがは、かつてメイショウドトウを担当し、執念の末にオペラオーに対し勝利させただけの手腕の持ち主だ……と鷹木は頭の下がる思いを常に抱いていた。
そんな片桐の整備した練習場に、鷹木とタキオンが今日来たのは、他でもないタップダンスシチーが本番レースに出走する日であり、誰もトレーニングに使わない場所となっている旨を片桐から伝えられたためである。
「『お望みでしたら、ご自由にどうぞ。草地は綺麗に刈り揃え、石も丹念に取り除きましたから』……と言われてるんだ。タキオン、存分に走るのは良いが、くれぐれもあんまり芝状態を荒しすぎないようにな。」
「相手の言葉の裏の意味を気にしすぎじゃないかいトレーナーくん、文字通りに受け取って自由に使わせてもらうのがこちらの流儀だと思うがねぇ。」
常通りの小心者を発揮している鷹木に多少呆れた視線を向けたタキオンだったが、彼女の聴覚は早くも植え込みの向こうから響いてくる、草地を踏みしめる蹄音を聞きとっていた。
明らかに、何者かが走っている音である。近づくにつれ鷹木の耳にもそれは届いたらしく、身をかがめて植え込みの間を通り抜けつつも彼は首を傾げた。
「あれ……?誰もいない、はずなんだけどな。タップダンスシチーは既に阪神レース場、現地に居るはずだし……。」
「まぁ、学園から公式に与えられた練習場ではない。タップくんが居ない隙を狙って、使わせてもらおうと入り込んでいるトレセン学園生が居てもおかしくはないねぇ。」
タキオンの推測も尤もであった。トレセン学園は極力全てのウマ娘に練習環境が提供されるよう努めているものの、それでも自分が自由に使える練習場を得ているのはごく一部のウマ娘だけである。
僅かでもチャンスがあれば、たとえ許可が得られていないとしても、誰も使っていないタイミングを狙って練習場所に入り込むぐらいのことはするだろう。勝利に対して貪欲なウマ娘なればこそ、なおさらに。
……が、実際にそこで走っているのは、意外な存在であった。ウマ娘であることには違いなかったが、トレセン学園生ではない。
しかし、タキオンも鷹木も十分に見覚えのある顔ぶれであった。
「おやおやおや……!ずいぶんと久々に会う面々だねぇ!」
「……チッ、見つかっちまったか。」
並んで練習コース上を駆けていたのは、二名のウマ娘。かたや髪を鮮やかな水色に染めたリーゼント、かたや負けじと派手なピンク色に髪を染めたボサボサ頭。
その個性的すぎるヘアスタイルを忘れるはずもなかった。去年の入学式、ジャングルポケットについてきた彼女の悪友たちであり、その後タップダンスシチーと意気投合した、かつての不良ウマ娘である。
ヘアスタイルこそ変わっていなかったものの、顔立ちは1年前と比べて少し引き締まったようでもあった。誰もいないと踏んで走っていた彼女らが多少なりと気まずそうにしている前で、タキオンは彼女なりの歓迎を示す。
「キミたち、なかなか会う機会がないものだから、今ごろ無事なのか否かほんの僅かながら心配させられたじゃないか!タップくんとの練習は最近やっていないのかい?」
「タップさんとはちょくちょく会ってんだよ、片桐のオッサンもウチらを練習相手として偶に呼んでくれるからさ。」
タキオンに対し、水色リーゼント髪のウマ娘が低い声で答える。受け答えしつつも、走り終えてのクールダウンも兼ねたストレッチへと移っているあたりは、片桐が教えた内容だろう。
……トレセン学園生ではない彼女らが勝手に入り込んでいる状況は、正式に学園敷地として扱われているわけではないこの場所においてはグレーゾーンであったが……学園所属トレーナーたる鷹木がここに居る事は、あまり気にされていないようであった。
部外者を練習場から追い出すこともトレーナーの務めではあったものの、小心者な鷹木がそれを強行することは出来ないと踏まれているのだろう。
彼女ら流の言い方に倣えば“ナメられている”鷹木であったが、タキオンが彼女らと気兼ねなく会話を続けるうえでは邪魔にならない存在であることにも違いなかった。
「おやおや、もうクールダウンかい?せっかく会えたのだから、私と併走練習でもやろうじゃないか、去年と同じように!」
「結果見えてんじゃねーか、皐月賞と天皇賞獲ってる相手にレース吹っ掛けるほど、ウチらも見境なしじゃねーよ。……もう、そこまでガキでもねーしさ。」
「ふぅン?その口ぶりからするに、今日は貴重な休日、気持ちよく走れる場所を求めてここに来たが、また明日からの仕事に備えて必要以上の体力消耗は避けねばならない……といったところかねぇ?」
「テメェはほんっとに変わってねーな、ウチらのことを全部見透かしたような真似しやがって。」
ピンク髪のウマ娘が軽く毒づく。久々の、そして唐突な再会ということもあって多少なりと気まずそうな雰囲気もあった面々であったが、相変わらず遠慮とは無縁のタキオンの物言いが、徐々にその硬さを溶かしているようでもあった。
若干ながら蚊帳の外になりつつあった鷹木だが、トレーナーの性として無意識に、その派手な色に髪を染めたウマ娘たちの身体に視線を遣っていた。
筋肉質な体つきには違いなかったが、走るためには全く向いていない筋肉のつき方である。今は12月であるが、夏の間ずっと働き続けていたのだろう、肌には沈着した日焼けの色が残っており……まだ若いというのに、首筋には僅かな皺が寄っていた。
ウイニングライブ会場の設営スタッフとして、今なお働き続けている証であった。時には灼熱の炎天下でもお構いなしに、重い機材類を運ぶ肉体労働を続けてきた結果が、彼女らの身体にあらわれていた。
「今日はタップさんが長期休養から復帰するってんだから、現地に行く仕事貰おうかと考えてたんだけどよ、こういう日に限って現場は人手足りてんだよな。」
「さすがに自腹でこっから阪神レース場まで行くほどの余裕はねーし……しょうがねーから、ちょびっとここにお邪魔したあと、帰って家で観戦しようかと思ってたんだ。」
上着を着こみながら、水色髪とピンク髪のウマ娘は喋りつつ小さく頷き合っている。
彼女らが内面的に成長したのは、確かであった。去年、入学したてのジャングルポケットやアグネスタキオンに対し、堂々と走りを競うよう言い募っていた日々は既に遠い。
もはやGⅠレースの常連となるまで上り詰めた面々については言うまでもなく、タップダンスシチーも夏以降の長期休養を終えてプロのレースウマ娘の世界へと戻っていく。ライブ会場の設営スタッフとして働いている彼女らが、自分たちとの隔たりを大きく感じるのは必然であった。
その寂しさを持て余すことなく、割り切って振舞えるようになったのは間違いなく成長であったが……ここでも無粋さなど厭わず指摘を入れるのがタキオンだった。
「おや、しかし今日のタップダンスシチーくんが出走するレース、確か条件戦だったねぇ。さすがに一般向けには実況中継などされないのではないかねぇ?」
「……んだと?」
タップダンスシチーはなかなか勝てずにいる期間も長く、そのうえ4月の大阪―ハンブルクカップ以来の復帰である。
オープン戦は一応全てのウマ娘が出走できるレースだという前提はあるが、歴然たる能力差が生まれぬよう、実際には出走条件が設けられている。長期休養後のタップダンスシチーがいきなり出走できるレースは、一定の戦績以下のウマ娘だけが出走する条件戦のみであった。
中央トレセン学園所属のウマ娘であっても、レースの舞台を好きに選べるわけではないのだ。そして、条件戦となればさすがに世間的な注目度は低く、テレビ中継は言わずもがな、一般向けの配信も為されない場合が多い。
「しょうがねーな……タップさんには悪いけど、阪神レース場から帰ってきた時に頭下げて結果聞くか……。」
「だが私と共に居れば観戦できるねぇ!こちらのトレーナーくんが、トレセン学園所属職員専用のページにアクセスすれば、一般には公開されないレース中継も見られるからねぇ!」
成長しただけ身につけた諦めの良さを発揮し、派手な髪色のウマ娘たちが帰ろうとする背に、タキオンは声をかける。
タキオンが口を開く前から、鷹木は少々嫌な予感がしていたが……彼女が言ったことを否定できるはずもない。タキオンよりもよほど遠慮の色を濃くしつつも、多少なりと期待を込めてこちらを見つめてくるウマ娘たちを前に、首を横に振れるはずもなかった。
「うん……トレセン学園内でなら、条件戦の中継もあるけれど……ど、どこで見よう?」
「丁度いい場所があるねぇ、寒風も防げて、電気も通じている、腰を落ち着けて観戦に耽ることが出来る屋内がねぇ!」
タキオンが指さした先にあったのは……これまた片桐が建てたプレハブ小屋であった。
タップダンスシチーの夢、レースで賞金を稼ぎ、仲間たちと共に楽しく過ごせる城を建てること。いきなり叶えることは難しかったものの、その第一歩として中古のプレハブ小屋を片桐は用意したのだ。
無論、急な雨を凌ぐための場所、あるいは汗をかいた時の着替え用スペース、冬の寒さから逃れる場所としても、有用なプレハブ小屋であった。未だにこの建築許可を理事長から片桐がちゃんと得たのか、鷹木は心配であり続けていたものの。
魅力的な提案を前に、水色髪とピンク髪のウマ娘両名もすっかり乗り気となったらしい。慣れた手つきで隠し場所から鍵を取り出し、プレハブ小屋の扉を開けているタキオンを、鷹木も止めることは出来なかった。
「さぁさぁ、皆、遠慮なく入りたまえ!キミたちと会うのは想定外だが、もとより私はここでタップくんの復帰戦を鑑賞するつもりだったのだから!トレーナーくんは速やかにレース中継の準備を進めたまえ!」
「んじゃ……お邪魔しぁーっす。」
「悪ィな、ウチらホントはすぐ敷地から出て行かなきゃいけねェんだろうけど。」
「いやいや……まぁその、付き合いのある相手ではあるし……。」
鷹木は、自分自身の中でもこの状況を正当化する言葉を呟きつつ、プレハブ小屋内のテーブルにノートPCを置き、学内のネットワークに接続する。抜け目ない片桐が、この小屋の中にネット回線をしっかり引いていないはずもなかった。
そそくさと部屋に入って、自分の座りたい場所にどっかと腰を下ろしているタキオンとは裏腹に、派手な髪色のウマ娘たちが鷹木のため観戦準備スペースを空けている遠慮の方が際立った。水色リーゼントのウマ娘が、鷹木の隣に腰掛けて尋ねる。
「流石だな、皐月賞と天皇賞を取った奴は。やっぱ、世代の頂点に立つウマ娘は、トレセン学園ン中なら好き放題に幅利かせてんのか?」
「いや……あれはタキオンの元からの性格だ。意外でも何でもないと思うが。」
鷹木の言葉に、リーゼント頭のウマ娘は軽く頷いた。
画面に映し出された昼下がりの阪神レース場は、晴れやかな空の下にあった。間もなく迫る発走時刻を控え、ターフ上を移動していく集団の中でも、やはりタップダンスシチーの図体は目立って見えた。
普段、仕事が休みのときはちょくちょくタップダンスシチーと共に走っていたのだろう面々も、彼女が本番レース場に居る姿を見るのは8カ月ぶりである。
「タップさん、やっぱいい顔してんな。」
「あったり前だろ、タップさんが調子崩すわけねーよ、どんな時だって。」
確かに鷹木の目から見ても、久しぶりの本番を前にして全く緊張した様子の無いタップダンスシチーは、かなり安定した精神状態にあるようだった。
そのメンタルはレース中の集中力を保つうえでも理想的なものであったが、勝ちを確信できるか否かは別問題である。
プロのトレーナーとして鷹木が抱いた見解は、タップダンスシチーがこのレースを勝つことよりも、全体を通して予定したペース配分を完遂しきることの方が主たる目的ではないか……というものだった。
目に見えて期待を高めている面々をしらけさせないよう、そのことは黙っていたが。
〈阪神レース場、条件戦第8レース、出走ウマ娘のゲートイン、只今完了です。……スタートしました!まずまず揃ったスタート、先手を取って飛び出したのはアストラルブレイズ、その外に並んでタップダンスシチー、半年ぶりの復帰となりましたタップダンスシチーは2番手の位置で進めていきます。後はアドマイヤハッピー、その外並んでオースミコンドル、1バ身ほど空けてダークウィザードといった形で、正面スタンド前を駆け抜けていきます。〉
シニア級以降のウマ娘も入りまじる条件戦は、先日のファインモーションのデビュー戦とは違い、淡々とした口調の実況アナウンサーの声だけが響いている。
さすがに阪神レース場での開催ということもあって観客はそれなりに集まっていたが、それでも空席は画面越しに見えるものであった。ピンク髪のウマ娘は画面を凝視しながらも、タキオンに尋ねる。
「なぁ、このレース、タップさん以外に強い奴、出てるのか?」
「私もそこまで手広くウマ娘のデータを集めているわけではないからねぇ。トレーナーくん、情報はあるかい?」
ほとんど無名である条件戦の出走ウマ娘については、鷹木も詳しく知っているわけではない。タキオンから話題を振られた彼は、慌ててトレセン学園データベースを漁った。
「えぇと……今回1番人気のダイタクバートラムは、毎日杯にも京都新聞杯にも出走したことがあるウマ娘だな、相応の実力はあるはずだ。あぁ、ダイタクリーヴァの妹か。」
「ほう!あのエアシャカール先輩が皐月賞で勝利した時、二着だったダイタクリーヴァくんの妹とはねぇ!同じ血を引き継いでいるのならば、これは紛れもなく強敵だねぇ!」
タキオンは少々オーバー気味のリアクションを、解説めいた言葉と共に示した。
確かに、それほどのウマ娘が競争相手に居るという事実は、タップダンスシチーが走っているこの条件戦は十分すぎるほど高いレベルにあるという証でもあった。
水色髪とピンク髪の両ウマ娘は、それぞれ多少なりと満足げな色を表情に増して、中継画面に視線を注ぎ続ける。
〈1,2コーナーを回っていきます、隊形はほぼ固まったか。先頭変わらずアストラルブレイズ、続くタップダンスシチーは2番手にてじっくりとペースを維持。オースミコンドル、アドマイヤハッピー3番手集団を形成し、続くダークウィザード、その外側をゼンノショウグンが進みます。あとは1番人気ダイタクバートラムは後方から3番手、ハートランドヒリュが続き、最後方ファンドリノゾミといった形で向こう正面へと入ります。〉
タップダンスシチーの作戦は、以前と変わらぬまま、更に磨き上げられたようであった。
周囲との位置取りを気にするのではなく、あくまでも一定の速度を維持してスタミナを枯渇させることなく、最後まで失速せず走り切るペース。一切の焦りとは無縁の、堂々たる走り姿が全体を引っ張っていた。
それでも素人目には焦れるペースにも映るのだろう、水色リーゼントヘアのウマ娘が口を開く。
「タップさん、あの先頭の奴は抜かさねーのか?アイツ、どんどん前に出てリードを広げてやがる。」
「リードが広がっているというのは、タップダンスシチーが周囲に影響されずペース維持できているということだ。自分の最良のペースを維持できなければ、最終直線でスタミナを切らして競り負けるからな。」
中継画面を凝視したまま、鷹木が自然と返答していた。
不良ウマ娘だった頃の風貌に、さらに引き締まった風格の加わった面々を前に、先ほどまで鷹木は威圧されたがごとくあまり口を開かなかったのだが、レースに関する話には何らの躊躇なく言葉を発していた。
それほどに、トレーナーとしての性は間違いなく彼の精神に染みついていたのだ。いつのまにか静かにレース観戦を行っていたタキオンが、どこか満足げな表情を浮かべていたが、それにも鷹木は気づかなかった。
〈平坦な向こう正面を駆けて3コーナーからの下りへ差し掛かります、残り1000mを通過。ここで後方集団に動きがあります、最後方のファンドリノゾミが前を目指しますが、ゼンノショウグン、そしてダークウィザードも外へ出して先行集団へと迫る勢いであります。バ群全体がぐっと詰まってまいりました、先頭変わらずアストラルブレイズですが、そろそろ厳しいか。残り800を通過、さらに後ろではダイタクバートラムが前を目指す態勢となっています。〉
大きな半径を描く阪神レース場の3コーナーからは緩やかな下りであり、ここから一気に速度を上げて前を狙う作戦を採るウマ娘も多い。
タップダンスシチーの背後にみるみる差を詰めて迫ってくる競争相手たちを見て、派手な髪色のウマ娘たちは画面越しにも冷や冷やしていたようであったが、すぐ傍らのタキオンは鷹木と共に冷静な視線を向けていた。
「いや、この展開はタップくんの想定通りだねぇ。見たまえ、ずっと先頭を走っていたアストラルブレイズくんがずるずる下がってくる一方で、タップくんは全く速度を変えていない。」
「マジだな、じゃあ、このままタップさんが先頭になって、一着で……!」
……水色リーゼントのウマ娘がそう言っている目の前で、画面の中のタップダンスシチーは完全に差しウマ娘たちに並ばれてしまっていた。
だが鷹木も、これは失策ではないと感じていた。レースからの離脱を余儀なくされた4月の怪我、そこから8か月もの長期休養を終えて調整したタップダンスシチーの走りは、存分に発揮できていた。
差し、追い込みのウマ娘たちが、既に必死の形相であることが、なによりもその点を雄弁に語っていた。
〈残り400を通過していよいよ最終直線へと向かいます、先頭はタップダンスシチー、ほとんど並んでダークウィザード、ゼンノショウグン!タップダンスシチーまだ粘る、脚色は衰えない!残り200!先頭並んでタップダンスシチー、ダークウィザード、ゼンノショウグン!外からダイタクバートラム!外からダイタクバートラムあっという間に交わして先頭に立ってゴールイン!一着はダイタクバートラムです!二着はゼンノショウグン、三着ダークウィザードとなりました!〉
ひとたびでもGⅢ、GⅡのレースに出走しただけの能力を見せつけたダイタクバートラムは、後方2バ身もの差をつけてゴールしていた。
タップダンスシチーは四着となっていたが、タキオンは拍手しながらすぐさま口を開いた。隣に並んで座っている、ピンク髪、水色髪のウマ娘たちの表情に、翳りが見えるより早く見解を述べたかったらしい。
「素晴らしい走りだったねぇ、タップくん!キミたちも見たまえ、今回のレース、逃げや先行策を採った面々はいずれも遥か遅れて六着以降となっているじゃないか。すなわち、差し、追い込み策が刺さったレースとなったわけだが、そんな中でも2番手をキープし、最後の勝利争いに食い込み続けたタップくんの能力の高さがうかがえるねぇ!」
「……言われてみりゃ、その通りだな。さすがだぜタップさん、今のレースがウォーミングアップってとこか。」
水色髪のウマ娘は、そのリーゼントヘアを揺らしつつ、タキオンに遅れて画面の向こうへと拍手を送った。
鷹木も頷きながら、タキオンに調子を合わせる。既にレース時の興奮は抜けつつあったため、いつもの小心者な鷹木の性格が戻って来てはいたが。
「レースを終わったあとも、タップダンスシチーは全然息切れしていない。きっと、片桐トレーナーからは余力を残すように言われているんだろう。」
「まだまだ本気の走りはとってある、ってんだな!完璧に復活すりゃ、タップさんもGⅠ行けるか?」
「私の見立てでは、十分にその能力は備えているねぇ。来年の有馬記念あたりにはタップくん、顔を出すんじゃないかねぇ。」
さすがに鷹木は、タキオンほど調子のよいことを言えはしなかった。まったく確約できないことを、トレーナーとしての立場から喋るわけにもいかないためであったが。
しかし、実際に今年の有馬記念への出走を現実のものとしたタキオンの言葉が、トレセン学園生とは異なり明日の仕事のため早く帰宅するウマ娘たちにも、気力の糧を与えたのは間違いなかった。