一日、一日ごとのトレーニング、そして調整の意義は非常に大きい。殊に、今の時期は。
12月に入ってからの日々を、鷹木は腰まで泥に浸かって歩くかのように重く、一秒一刻までも肌に刻まれるが如き実感と共に過ごしていた。言わずもがな、タキオンを出走させる有馬記念が迫るが故である。
今年の皐月賞を最後に引退していてもおかしくなかったアグネスタキオンを、天皇賞秋、ジャパンカップで走らせ、さらに有馬記念にも参戦させること……それは、ほとんど奇跡的なことであるようにも思われた。
現実には、トレーナーとして為すべき指導をし、タキオンもレース出走に然るべき調整を行った結果、得られた必然ではあるのだが。
「タキオン……どんな些細なことが、お前の有馬出走を阻むか分からない。最近は、そんなことばかりを考えてしまうんだ。」
「今さらになって何を言い出すんだい、トレーナーくん?この現実世界には、私たちの意思を通す余地が十分にあると、既に証明されているはずだがねぇ。」
鷹木とタキオンがそのやり取りをしたのは、12月22日。有馬記念が実施される前日のことであった。
トレーナーとしてネガティブな物言いを示すのは避けるべきことであったが、しかしタキオンを前に不安な本心を隠している方がよほど、彼女の鋭敏な観察眼を欺く振る舞いである。
タキオンが戸惑いもせず、持論を展開する足掛かりとするだろうとの予測は、たちまち実行された。
「確かに可能性世界においては私が有馬記念に出走することなど、いよいよもって有り得ない現象だろうねぇ。人気投票で選ばれたウマ娘が優先出走権を得て、それ以外は獲得賞金によって出走できるか否かが決まるレースなのだから。」
「タキオンが皐月賞を最後に引退するという運命をたどったなら、そもそも候補にすら入っていなかっただろうな。」
「だが、現実は違う、実際に私の有馬への出走登録を行ったトレーナーくんも疑いようがあるまい?我々ウマ娘の存在するこの世界こそ、現実なのだからねぇ。」
タキオンにしては珍しく、憶測をほぼ含まない現実、敢えて口に出すまでもない事実だけが返される。
それだけ、タキオンも翌日に迫った有馬記念を視野の中心に捉えているのだろう。明日になれば、自分とタキオンは最終調整を終えて中山レース場に向かっている。それは如何ほどの不確定要素もない、揺るぎようのない現実であった。
いや、現実であるはずだ、と述べた方が、鷹木の認識には近かった。
練習場を移動する廊下、その僅かな段差を越える際のタキオンの足取りから、瞬きをすることを忘れたように血走った鷹木の目は視線を外さなかった。当のタキオンは、おかしそうに笑っていたが。
「足腰の悪い年寄じゃあるまいに、現役のレースウマ娘が蹴躓く可能性にそこまで必死で目を光らせる必要があるかねぇ?」
「すまん、あんまり神経質すぎるのも良くないな……だが、さっきも言ったが、こういう大舞台を目前に控えた時にこそ、何があるとも知れないって思いは消し去れないんだ。」
「少々ズレた理屈になってしまうかもしれないが、少なくとも現在の移動が可能性世界から阻まれることはないだろうねぇ。私はレースをしに行くわけではない、ただ友に会いに行くだけなのだから。」
時刻は午前10時過ぎ。朝から続けていた走り込みをひと段落させ、クールダウンも兼ねて各練習場を結ぶ廊下をスタスタ歩きながら、鷹木とタキオンは言葉を交わしていたのである。
担当トレーナーとしては、タキオンには必要な練習以外では余計な移動もせず、じっと安静にしていてもらいたかったのだが……大舞台直前の状況でやりたいことを無理に我慢させるのも、調子を崩す元だと判断してタキオンの行動に任せていた。
彼女が向かおうとしている先は、すぐに知れた。GⅠウマ娘たちにのみ与えられる個別練習場、その入り口のひとつへとタキオンは向かっていったのだ。
扉を開ける前、流石のタキオンも無遠慮に踏み込むことはせず、いったん耳をピタリと押し当てて中の様子を窺った。
「有馬記念の前日、競走相手の練習風景を覗き見たとなれば、それこそトレーナーくんの心配通り、私の有馬出走が非現実となる可能性が現実へ接近してしまうからねぇ。」
「厳密には違反行為ってわけじゃないんだが、外聞は良くないな。」
鷹木も多少緊張しつつ、ウマ娘の聴力には程遠い自分の耳もそばだてさせながらタキオンに答える。
走っている蹄音が中から響いてこないことを確認し、タキオンは扉を叩いて呼ばわった。
「カフェ?カーフェー!入っても良いかねぇ?」
「……どうぞ。」
ちょうど走り終えて、休憩をとっている最中だったのだろうマンハッタンカフェの声が返ってくる。
彼女を担当している結城トレーナー、URAにおけるレジェンド級人物がすぐ傍に居る可能性に鷹木は今なお緊張していたのだが、タキオンが押し開いた扉の向こうにあったのはカフェの姿のみであった。
「やはり私の見立ては誤りではなかったねぇ、今ごろの時間帯、一息ついている頃だと思っていたのだよ。根拠なくとも憶測を立てる事も無意味ではあるまい?」
「何の御用ですか……。」
カフェは座り込んだ状態で軽いストレッチをしつつ、訪問者らへ背を向けたまま、そっけなく応答している。
とはいえ、その声色に迷惑そうな響きは無かった。どちらかといえば、安堵に近い色があった。
「ときにカフェ、キミは独りきりで練習しているのかい?結城トレーナーは他の面々を見ているのかねぇ?」
先ほど聴覚で練習場の様子を探った時に分かり切っていたことだろうが、タキオンは今さらながらに周囲を見回しつつ尋ねる。
先ほどのカフェからの質問に対する間接的な答えでもあった。タキオンがこの場を訪れた用件は、おそらく結城トレーナーから心配ないと見られた結果、ひとりぼっちで練習しているだろうカフェの様子を見に来ることであった。
むろん、独りきりでいることばかりが翌日の有馬記念を控えたカフェの抱える緊張感を、全て占めていた要素ではあるまいが……マンハッタンカフェは、そんなタキオンの面倒な絡みにも即座に頷いた。
「はい……私の調整内容は、既に確認し終えておられますので。今日はアドマイヤベガ先輩の走りをチェックするため、こちらにはおられません。」
「ということは、マンハッタンカフェの走りには何の心配もないと判断したんだな。あの人は、基本的にウマ娘自身の能力を重視する方針だから。」
鷹木が口を挟む。カフェと競う形で有馬記念へと挑むアドマイヤベガの走りを事前に知るわけにもいかず、そちらの指導を優先したのならば別の練習場に結城トレーナーが居るのも必然であった。
とはいえ……ウマ娘にとっては一世一代の大舞台、それもカフェにとっては初の有馬記念を目前にして、独りきりでの調整を行わせるとは……あの人も思い切ったことをする、と鷹木は考えずにいられなかった。
むろんカフェの心細さを助長するような真似は出来ず、続けて言い繕うようなセリフではあったが鷹木は言葉を継いだ。
「結城トレーナーは厳しい人だが、ウマ娘を見る目は確実だ。マンハッタンカフェ、きみは間違いなく勝てると考えられているんだろう。」
「タキオンさんの担当トレーナーさんが、それを仰いますか……。」
「そうともトレーナーくん!何ゆえ私のライバルに対し励ましの言葉を与えているんだい!勝利の確信は私にこそ見出していなければ困るねぇ!いや、しかし、あまりにも私の勝利が歴然とし過ぎていて、有馬記念に参戦する他の面々を前にしては励ましてやらずにいられなくなった、ということかい?ならば合点がいくねぇ、うん!」
勝手にヒートアップして、勝手に結論を見出し、勝手に納得している、ある種いつも通りのタキオンの振る舞いを前に、マンハッタンカフェはごく分かりづらい程度ではあったものの頬を緩めていた。
思えば、タキオンとカフェはトレセン学園内で顔を合わせて声を交わす程度のことはしていても、じっくりと話をする時間を取る機会は秋以降の連戦ゆえ、なかなか得られていなかった。
有馬記念を翌日に控え、必要な調整以外での体力消耗を避ける今日であればこそ、腰を据えて会話する機会というものを見出せたのである。
タキオンから目くばせされるまでもなく、備品室からパイプ椅子を持ってきて鷹木が並べているのを待ちつつ、カフェがぽつりとつぶやく。
「今さら、ですが……意外でした。タキオンさんが、これほどにも自身以外のウマ娘に、関心を抱き、積極的に交流するというのは。」
「そうかねぇ?カフェ、キミと初めて会った時も、我ながら結構な強引さで距離を詰めていった記憶があるのだがねぇ。」
確かに、昨年の春、トレセン学園1年目のタキオンはその奔放さを存分に発揮していた。
結城トレーナーに指導されることとなったマンハッタンカフェの元へと、勝手に押しかけて自らの好奇心のほどを披露したのだ。その振る舞いが、あまり周囲と活発な交流を持たないカフェに、交友関係を与えるきっかけになったのは間違いないが。
「……すみません、タキオンさんに対する、私の勝手なイメージです……他のウマ娘との関わりを断つような、イメージは……あなたにとり憑く、お友だちが皆無であるせいかもしれません……。」
「それを聞かされても、今となっては驚くことではないねぇ。既に私は可能性世界に定められた結果を逸脱し、自らの望む未観測の結果へと向かっているのだから!“お友だち”は、この現実世界における私が今なお現役を続けていることに、ただただ困惑するばかりだろうねぇ!」
タキオンの独特過ぎる物言いもまた相変わらずであったが、もはやそれを聞き慣れたマンハッタンカフェは戸惑いもなく、静かに頷くばかりであった。
傍らで聞いている鷹木も散々タキオンから仮説を聞かされてきたおかげで、概ね彼女らのやり取りしている内容は掴めていた。カフェだけが見える“お友だち”とは、既に確定していたはずの運命に、抗わなかった場合のウマ娘たちの姿なのだ。
会話の切れ目の沈黙を埋めるように、コンコンと練習場の扉を叩く音が響く。この時間帯に予定されていた訪問者は居なかったのか、小さく首をかしげるカフェ。
だが聞こえてきたのは、聞き慣れた声であった。
「カフェちゃん、誰か一緒に居るの?私も入っていい?」
「おやおや!ダンツくんじゃないか!もしや、私とおなじ推測を得てカフェの様子を見に来たのかねぇ?想定以上に賑やかになったじゃないか、カフェ!」
「ダンツさん……はい、今聞こえた通り、タキオンさんが来られてます……どうぞお入りください。」
扉を開けて顔を覗かせたダンツフレームは、既にタキオンと並んでくつろいだ様子で休憩時間を過ごしているカフェの姿を見て、安堵の表情を浮かべた様子であった。
マンハッタンカフェ、アドマイヤベガと同じく、結城トレーナーの担当ウマ娘の一員であるダンツフレーム。戦績次第では同様に有馬を目指す計画もあっただろうが、先月のマイルチャンピオンシップで五着となった後、調子を取り戻すまでしばしの休養期間となっていた。
仲間への気遣いに長けたダンツは、タキオンと同じ懸念を抱いたのだろう。すなわち、走りには心配なしと見られたマンハッタンカフェが、独りっきりで練習場にぽつんと残されている様を正確に推測したのだ。
「私までお邪魔しちゃって、大丈夫かな?明日に向けての調整、頑張らなきゃいけないだろうけど、なんか……賑やかそうだね。」
「賑やかなのは……主にタキオンさんだけです。」
「わざわざ出向いてあげたというのに失礼なカフェくんだねぇ!まぁ、こちらも暇つぶしの目的があった側面は否定できないがねぇ。」
あくまでも、カフェが寂しそうにしていないかと気にしてやって来た、などとは言わないタキオンは確かに唐突な訪問者としては相応しい存在だったろう。
少なくともカフェが抱えているだろう不安を解消するつもりで顔を出したダンツだったが、どのような言葉をかければ良いかと迷う余地がない現状に、かなり気楽さを取り戻したようであった。
そして、自分が出走できない有馬記念について話題に挙げることにも、ぎこちなさとは無縁でいられた。
「ふたりとも、明日には中山レース場で有馬記念を走ってるってのに、のんびりさんだね。なんか、こう、鬼のような形相で追い込んでるのかとばかり思って、カフェちゃんに会いに行くだけですごく緊張しちゃってたよ。」
「もちろん、12月に入ってからは必要な休憩を除き、遊んでいる暇など無かったがな。タキオンが、まったりしてるように見えるのは……いつも通りだが。」
鷹木もダンツフレームに言葉を返しながら、タキオン、そしてカフェの脚へと視線を走らせる。
いずれも小柄で細身のウマ娘、クールダウン時の長袖運動服の下にその体は隠れていたが、いっさいの無駄のない筋肉がついた、レースウマ娘として理想的な状態になっていることは、トレーナーの目が明瞭に見てとるところであった。
今はダンツやタキオンと席を並べて語らっているマンハッタンカフェが……結城トレーナーの見立て通り、明日の有馬記念で最大のライバルとなることは、確実だった。
「さて!そろそろ休憩時間も終わり、午前の調整に戻らねば、と言いたいところだが、トレーナーくん!現在時刻は10時半を過ぎた頃だねぇ!」
「あぁ、休憩も十分とれたから、そろそろ……」
言いながら立ち上がりかけたのは鷹木だけであった。自主的に練習へと戻るのかと思われたタキオンは、椅子に腰を下ろしたままニヤニヤしている。
今しがた、時刻を確認されただけのことから、タキオンが何を期待しているのか推測することは至難の業であったが……さすがに彼女の担当トレーナーを続けてきた鷹木は察することになった。
「もしかして、観戦したいレースでもあるのか?」
「おやおや、把握していなかったのかい!タニノギムレット君だよ!8月のデビュー戦で二着に終わったタニノギムレット君が、今日!改めてデビュー達成を目指すんじゃないか!」
タキオンと珍しく波長の合う後輩ウマ娘ながら、秋以降の多忙ゆえに暫く会っていなかった存在の名を、鷹木も今になって思い起こした。
慌ててノートPCを操作し、レース中継の配信ページを開いている鷹木を傍らに、ダンツフレームが口を開く。
「タキオンちゃん、ホントにいろいろな子たちのレースを知ってるんだね。こんなに他の学年のレースにまでタキオンちゃんが興味を向けるだなんて、なんだか意外かも。」
「カフェにも先ほど同じことを言われたねぇ、そんなに意外かねぇ?ただ、個々の走りの研究のみならず、ウマ娘たちがいかなる軌跡を歩むかについての観察にまで視野を広げることとなったのは、トレセン入学前の私には無かった視座を得たおかげかもしれないねぇ。」
ウマ娘の限界の先は、ただ速く走る能力の限界へと近づくことばかりで見出せるものではない。
ウマ娘として、歩む運命の先を切り拓くこと。可能性世界によって予め定められていた、レース結果や、故障や、引退時期……それらを覆し、自らが望む舞台に立つこと。
確かにタキオンは、トレセン学園に入ってからの2年間で、自身の能力以外の要素へ観測の視線を向ける習慣を得ていたようだった。
彼女らの会話を耳に挟みながら、鷹木は本日の阪神レース場で行われる未勝利バ戦の配信ページを開き、その画面を個別練習場に備え付けられた大型スクリーンへと映し出した。
「気が利くねぇ、トレーナーくん。今しがた頼んだ観戦画面を、早々と我々も見やすい形で出してくれるとは。」
「タキオンの思い付きにつき合い続けていれば、速やかな操作ぐらいは身につくさ。」
地下バ道から出てゲートへ向かっていく、ジュニア級ウマ娘たちの姿が画面上には映し出されている。
タニノギムレットは3番人気であった。とはいえ8月以来の出走が無かったウマ娘である割には、かなりの人気度を集めた結果に違いなかった。それだけ、彼女のデビュー戦の走りに才能を見出した観客は多かったというわけだ。
〈阪神レース場、外回り芝1600m、第3レースも晴れの天候に恵まれました。各ウマ娘ゲートイン完了……スタートしました!綺麗に揃ったスタートとなりました、まず集団の中から飛び出していったのは1番人気ウイングオブタイム、その外から上がっていったのはハマノホーク、さらに外からフジノイチローが2番手争いといった形。向こう正面のスタート地点から直線を経て、各バは3コーナーへと向かいます。〉
阪神レース場の外回りコースを用いる1600mのレースでは、スタート地点から444mの直線が緩やかな起伏と共に続き、その先に大きな半径で描かれる3コーナーが待っている。
4コーナーの出口からスタンド前の直線へ入る辺りで長い下り坂があり、そこで一気に全体のペースが速くなるのがこのコースの特徴であった。とはいえ、まだレース経験が未熟なジュニア級の、未勝利ウマ娘たちの競い合いである。
「果敢に前へと出て行ったのは良いが、流石に先頭の子たちは脚を使いすぎだねぇ。ジュニア級で、距離もマイルとなれば、逃げ先行の方が有利だと判断したのだろうがねぇ。」
「タニノギムレットさんは……抑えて5番手あたりの位置、でしょうか。まるでタキオンさんのようなペースです……。」
カフェの言葉にタキオンは明確には返さなかったが、なぜか満足げな笑みを浮かべて画面を凝視し続けていた。
むろん鷹木も、ギムレットに対して指導したことはなく、タキオンと共に練習してもいなかったが……タニノギムレットは、眩い輝きを放つ先輩ウマ娘の走りを、自然と我が身に染み込ませていたのだろう。
〈3コーナーを回っていきます、残り1000mを通過。先頭のウイングオブタイムへ、2番手のフジノイチロー並びかけてくる、そのすぐ後にハマノホーク、ウチからヒシマグナム、先頭集団は密集して混戦模様であります。少しあけて中団先頭にタニノギムレット、その外タニノミラージュと続きまして残り800を通過。大外を回っていきますマルカパール、その後パトリニア、トシザライアンと続きまして間もなく4コーナーを回り切って直線へ向かいます!〉
位置取りを安定させ、自分のペースを保ち続ける練習がまだ足りないのか、先頭集団は我先にと良い位置を得ようとして順位の入れ替わりを続けている。
それは後方集団も同様であり、大外から上がっていくイメージを実行しようとしては、お互いに牽制しあう状況が続いていた。画面を見ながら、ダンツフレームは両手をぐっと握り締めつつも苦笑に似た表情を浮かべている。
「やっぱり、難しいよね、ジュニア級の子たちが差しとか追い込みをやるのは……去年の私も、あんな感じの走りだったのかな。」
「ダンツくんはもとより巧みなコース取りだったねぇ、ただ加速のキレが今一つだっただけだねぇ。」
いつも通り遠慮のない評をタキオンは述べつつも、今まさに直線へ出るという所で仕掛けたタニノギムレットへ注視していた。
ギムレットは無駄なスタミナ浪費を綺麗に省いていた。
有馬記念の前日、未勝利ウマ娘のレースであるため疎らとはいえ、観客席からの歓声を一身に浴びるその瞬間へ、磨き抜いた走りの輝き全てを披露することだけを実現させていた。
〈いよいよ最終直線へ向きました、残り400!先頭はハマノホーク、食い下がるかウイングオブタイム、外からタニノギムレットが上がってきた!タニノギムレット速い!ぐんぐん伸びて後続を突き放す、6バ身、いや7バ身差、タニノギムレット!200を通過!大外からマルカパールも上がってくるが、先頭は独走状態だタニノギムレット!上り坂でも脚色は全く衰えない!タニノギムレット、今、二着とは大差でのゴールイン!圧勝です!〉
タニノギムレットが単独でゴール板前を駆け抜けた後、画面に二着以降のウマ娘が映るまではしばらく待たなければならなかった。
あまりにも別格の走りであった。未勝利バ戦のレースに、既にGⅢ以上のウマ娘が混じって走ったかのような、タニノギムレットの才覚ばかりが輝く走りであった。
「トレーナーくん、今のレース鑑賞をもってウォーミングアップを済ませたとしても良いかねぇ?すっかり魅了されてしまったじゃないか、この私が!」
「いや、流石にちゃんと準備運動はしてもらうが……しかし、こないだのファインモーションといい、来年のクラシック級からも、化け物級のウマ娘が輩出されそうだな。」
鷹木は、今年のクラシック級が化け物揃いであることを意識してそう言った。その筆頭に、アグネスタキオンが居ることは、敢えて自覚するまでもなかった。
そして、そのタキオンと明日競う、最大の勝利候補たるウマ娘、マンハッタンカフェも……すっかり頬を紅潮させ、目の輝きを増した顔で、自らの練習場へと去るタキオンを見つめていた。
口調はあくまでも、いつも通りに低く落ち着いた響きを保ってはいたが。
「それでは……タキオンさん。明日、お会いする時は、容赦無く。」
「無論だとも。我々の世代、ウマ娘の歴史、ひとつの章の締めくくりを、全力で描き切ろうじゃないか。」