全国の視線が中山レース場、有馬記念へと向いていた12月23日。
ほぼ同じころ、有馬記念ではないレースへと出走していたのはタップダンスシチーであった。担当トレーナーたる片桐と共に、彼女がいたのは阪神レース場である。
「Seriously?マジか、トレーナー!ここに来て、ガッツリ作戦変えるってのかよ!」
「えぇ、どうせ世間は有馬記念ばかり注目しています。ついでに、どうせなら今年最後のレースです、少々遊ばせてもらっても良いでしょう。」
出走するのは、江坂特別。阪神レース場、芝2500mのコース。近々、阪神レース場の改修工事に伴い、2400mないし2600mの距離へと変更される予定のコースである。
同条件で走る機会そのものが限られてくるであろうこの競走を前にして、片桐はタップダンスシチーに対し大幅な作戦変更を提案していた。
「あなたがスタートからゴールまで一定の速度を維持し続け、逃げから先行の位置取りを保って走り抜く様は今日の対戦相手達にも知れ渡っているはずです。」
「I see、そこでいつもと全ッ然違う走りを見せつけて、一泡吹かせてやるってことか!」
既に面白そうな雰囲気を嗅ぎ取って乗り気なタップダンスシチーは、一も二も無く承諾した。勝利に対して貪欲であることは言わずもがなであったが、何よりも面白そうな展開に惹きつけられぬ彼女ではない。
片桐は、自身もまた愉しそうに頷きながら言葉を付け足した。
「それに、いつも通り後ろから迫られるばかりではなく、偶には前へ食らいつく側に回るのも、良い体験になりますし……何よりも楽しいレースになることは保証しましょう。1日早いクリスマスプレゼントです。」
「Nice plan、いっつもタイムばかり気にしてるアンタが、そこまで言うなら乗ってやろうじゃないか!」
むろん片桐トレーナーとて、単なる娯楽性を優先しての提案ではない。十分な勝算を見出したが故の作戦であった。
……同期のトレーナーの担当ウマ娘が有馬記念という大舞台へ進出している今日という日、多少なりと気を晴らしたい思いが全くないわけではなかったが。
冬らしい、からりと晴れ渡った空の下、ゲートインへ向かう16名のウマ娘たち。
ほとんどのウマ娘レースファンが有馬記念に注目し、この阪神レース場に集まったまばらな観客たちの中にも、スマホで中山レース場からの中継配信を見ている者が少なくない。
「有馬記念の模様は大層気になるでしょうがね。まもなく、よそ見していられる状況ではなくなりますよ、観客の皆々様……。」
タップダンスシチーが作戦を決行すれば何が起き得るかも予見せず、心ここにあらずといった様子で呆けた面を並べている観客たちを見やりながら、片桐はほくそ笑んでいた。
ゲートインが完了し、ようやく発走時刻の瞬間となって視線を目の前のターフへ向けだした観客がチラホラ現れた。
〈全ウマ娘、ゲートイン完了……スタートしました。さぁまず先手を取ったのは1枠から飛び出したアプロディッセ、すぐ外ならんでエクシードタイム、更に外からヤマカツモンブランが上がってまいります。1番人気マルブツグローバルがぐっと下げた位置で中団後方……その背後に2番人気タップダンスシチー!?タップダンスシチー、いつもと異なり集団後方!完全に追い込みの位置取りです!〉
レース場内のどよめきは最初僅かであったが、空席の目立つ観客席の中を波及するようにじわじわと広がっていった。
スマホ画面に視線を落としていた観客たちが、実況アナウンサーの声色が変わったのを機に目線を上げ、ようやくタップダンスシチーが普段と全く異なる走り方をしている様に気づいたのである。
「さぁ、レース全体が崩れていますよ、初っ端から。逃げの面々はタップよりも先に行く作戦に変わりないでしょうが、タップの安定したペースに合わせるつもりのウマ娘たちは、完全にペース配分が白紙になったわけだ。」
追い込みでの瞬発力勝負では他の小柄なウマ娘たちに一歩譲るタップダンスシチー。だからこそ彼女は自分の強みを活かすため、速度維持し続けることで好位につく作戦をこれまで繰り返してきたのだ。
が、確実に一定のペースを維持し続けるタップダンスシチーが、ぴったりとマークされるのも必然である。上位に食い込む配分で走るウマ娘が居るのなら、その背を追い続け、最終直線で僅かにでも先に出れば一着を狙えるということでもあるのだ。
「目算が狂ったでしょう、タップの背後をキープしていては皆さん、揃って最後方に置いて行かれますよ。ここから前へと出ようにも、阪神の直線には上り坂がありますがね。」
片桐は愉快そうに呟きながら、目の前を駆けていくウマ娘集団を見つめていた。案の定、タップダンスシチーをマークし続けるつもりだったのだろうウマ娘たちは、予想に反して思い切り後ろへと下がったタップダンスシチーに一泡吹かされた形となっている。
彼女らは今まさに大慌てで前へ上がっていこうとして、ペース配分を乱したまま最初のコーナーへ突入していくところであった。
〈坂を上って1コーナーへと入っていきます、先頭変わらずアプロディッセ、その後エクシードタイム、ヤマカツモンブランといった順で先行集団を形成。ウチを突いてアリシバキング、じわっと前へ上がっていく、セットプレーが続きまして、2番人気テキーラショットが前から6番手の位置、アトラクティーボ、その外シルキージュアンも並んで中団は混戦模様であります。マイネルシュート、チェリーブラストも並んで集団後方、かなり詰まった隊形となっています!〉
混戦模様となるのも当然の結果であった。タップダンスシチーの背後をマークするという作戦が不可能になったウマ娘たちが、ことごとく同じタイミングで中団へと集まっていったのだから。
そのタップダンスシチーは後方集団、追い込みウマ娘たちと同じペースで走り続けている。
「確かに追い込みはタップの強みを活かせる作戦ではありませんが、ここまで競争相手達の目算を乱せれば十分でしょう……あとは、元から最後方につく作戦だった相手に警戒ですよ、タップ。」
片桐の目は、もはや先行の位置についた面々へ警戒を向けていなかった。一周目直線の上り、そして位置取りが安定しないまま最初のコーナーへ入っていった面々が、十分なスタミナを残せているはずもない。
スタミナを温存できているのは人気度下位のウマ娘ばかりであったが、どんな伏兵がそこから現れるとも知れなかった。
〈スタートから1000mを過ぎまして向こう正面へと入ります、先頭はアプロディッセ、リードは1バ身といったところ。アリシバキングが上がっていって現在2番手につけています、その後方でありますがマイネルシュートも中団から抜け出して先行集団を窺う位置、外からシルキージュアンが果敢に攻めて上がってきた、現在3番手の位置であります。向こう正面の坂を上れば間もなく3コーナーへと入ってまいります。〉
向こう正面の直線でも順位の入れ替わりは激しい。逃げウマ娘たちはスタミナ温存のために敢えて位置取り争いには参加していなかったが、限界は間近といったところだろう。
先行ウマ娘たちの焦りが全体のペースを引き上げていたのか、追い立てられた逃げの面々もかなりのオーバーペースとなっていた。
「ここに来て危険なのは……後方のハートランドヒリュか、オースミコンドルか……」
片桐はブツブツと呟きながら、いよいよ阪神レース場の外回りコース、大きな半径で描かれる3コーナーへ突入していくウマ娘たちにじっと視線を注いでいた。
タップダンスシチーには、緩やかな下りとなる4コーナーへと入る辺りから仕掛けるように告げてある。阪神レース場の直線は473m、瞬発力勝負が得意ではないタップにはあともう少し加速の距離が必要であった。
〈残り1000mを切りまして、先頭アプロディッセ粘っているが、共に先行集団にいたエクシードタイム、ヤマカツモンブランそろそろ限界か、下がっていく!アリシバキング更に上がって先頭アプロディッセに並びかけています、続くセットプレー、マイネルシュートも2番手3番手争い!3,4コーナー中間、ここで大外からタップダンスシチーが仕掛けた!およそ12番手の位置から、ぐんぐんと上がってくる!〉
既に観客スタンドは盛大な歓声とどよめきに満たされていた。タップダンスシチーの走りを知る者たちにとっては特に、追い込みの作戦で駆けあがってくるタップを見ることになるとは夢にも思わなかったのだろう。
みるみる順位を上げながら、正面スタンドへと迫ってくるタップダンスシチーに、喝采と拍手がさらに大きく湧き起こった。
「有馬でなくとも、これだけのファンの心をわしづかみにしているのです、タップ。天性のスターウマ娘ですよ、あなたは……さて、後ろに注意ですよ。」
笑みを浮かべて頷きながらも片桐は、警戒の視線を更に鋭くした。先行のウマ娘たちは、最終直線に向けて十分な余力を残すつもりか、ほとんどタップダンスシチーに食い下がろうとはしていない。
それだけにタップダンスシチーによるごぼう抜きの加速は見栄えがあったのだが、無論のことながら元より最後方から追い上げる作戦のウマ娘にとっては充分な舞台が残されている。
〈いよいよ最終直線に入りました、残り400m!先頭はアリシバキング、しかし後方から上がってくる集団に埋もれたか!タップダンスシチー3番手から一気に前を交わして先頭に立った!先頭はタップダンスシチー!1番人気マルブツグローバルは来ないか!タップダンスシチー先頭で残り200を通過!……大外からシャープキック!7番人気シャープキックが大外から上がってくる!!〉
見事なまでにタップダンスシチーのいつもと違う走りに乱され、1番人気のマルブツグローバルは伸び悩んだまま中団に埋もれている。2番人気のテキーラショットは既に最下位の位置まで沈んでいる。
そんな中、十分なスタミナを残して先頭を駆けるタップダンスシチーに食らいついたのが、7番人気のシャープキックである。
「ベテランが来ましたか……残り200の上り坂では、経験が上回りますね……!」
既に笑みの消えた片桐が、その衰えぬ末脚を前にしてこぶしを握り締める。
シャープキックのデビュー自体は4年前。オペラオーら覇王世代と同世代のウマ娘である。
その活躍の場は条件戦ばかりであったが、幾度も繰り返した実戦にて磨かれた追い込みの技、そして他の競走ウマ娘たちの作戦を見抜く観察眼は、経験の賜物であった。
〈先頭はタップダンスシチー!外からシャープキック!外からシャープキック並んで交わして突き離す!坂でも脚色は衰えない!タップダンスシチー粘るが、先頭は変わってシャープキックだ、シャープキックいま一着でゴールイン!混戦模様となりました今回のレース、先行したウマ娘たちが続々と脱落した中、見事にシャープキックの追い込みが刺さりました!二着はタップダンスシチーです!〉
片桐は勢いよく自分の握りこぶしを観戦ブースとターフを区切るフェンスへぶつけ、その痛みが引いていくまでの間だけ表情をしかめていた。
タップダンスシチーの勝利を引き寄せることは間違いなく出来ていたのだが、やはりレースの世界は甘くない。こちらの作戦によって人気度上位のウマ娘たちがペースを乱した状況を、うまく利用できるのは他のウマ娘も同様であった。
ようやく、片桐の耳に大歓声に沸く阪神レース場の活況が戻ってきた時、ターフの上では一着のシャープキックに満面の笑みで何やかやと声をかけているタップダンスシチーの姿があった。
「……あなたも折れませんね、全く。トレーナーも同様であらねば。」
少なくとも、タップダンスシチーが勝利の目前にまで迫ることが出来たのは事実であった。ついでに、有馬記念の存在を忘れさせるほどに、この阪神レース場の観客たちを目の前の江坂特別に釘付けとすることは成功したのだ。
曲者かつ不屈の策士、片桐トレーナーの導きは、確かにタップダンスシチーを栄光ある場所へと押し上げていた。