トレセン学園への入学予定ウマ娘たちによるグラウンドでの試走期間、もちろん新入生同士で競うように走ることも自由ではある。
自由ではあるものの、完全に他のウマ娘たちを練習コース上から露払いし、特定のウマ娘だけで独占するように使うことはマナーの良い行為とは言えない。が、新入生たちを見に来た学園所属のトレーナーたちは、それを咎めだてするような真似をしなかった。
むろん、ジャングルポケットや彼女の知り合いと思しき黒ジャージ姿のウマ娘たち、そして唐突に乱入したタップダンスシチー、彼女らの存在感に気圧された部分もある。
しかし何よりも、それはレースで好成績を残し得るウマ娘の性質を示す振る舞いでもあった。すなわち、他の者に先んじること。トレセン学園で実現できる走り、および自らの存在のアピール、その双方を彼女らは実行しようとしていたのだ。
「もっぺん聞いとくぜ、ウチらとのレースに参加したい奴、他にはいねーんだな?」
「Don’t be shy!せっかく走るんなら、賑やかな方がいいじゃないか!気分がアガッてる奴は来なよ!」
それに、彼女らは内々の仲間だけでコースを独占しようとしていたわけではない。黒ジャージのウマ娘、そしてタップダンスシチーは並んで、遠巻きに自分たちを見つめているウマ娘集団に向かって呼びかけていた。
いかにも不良といった見た目のウマ娘も、その本質はトレセン内の学生たちと変わらないらしい。走りの速さ、レースでの強さで他を制し、志を同じくする者たちで集っていようとするのが、ほとんどのウマ娘という存在に共通する願望であった。
「誰も来ねーんなら、俺たちだけで始めるぞ。せっかく気分があったまって来たんだ、思い切り走らせてもらうぜ。」
「Bring it on!わたしのライバルになれる相手か、しっかり見せてくれよ!」
周囲からは他に挙手する者も現れず、ジャングルポケットとタップダンスシチーは、2名の黒ジャージウマ娘との対抗レースを行う運びとなった。
各々のスタート位置へ向かっていく彼女らを見送りながら、鷹木とキングヘイローはボソボソと言い合っていた。
「こういう時、この場に居合わせたトレーナーとして、独断で勝手に開始されたレースを止めさせなかったのか、って後から叱られるんじゃないかと考えてしまいがちなんだが……。」
「器の小さい心配事だと感じはするものの、私も同様ですの。トレーナーとして責任ある立場に就くというのは、案じる事物が増えることでもあるのですわね……。」
自由な振る舞いが許されているとはいえ、学園のグラウンドが開放される試走期間中に入学予定ウマ娘が怪我をするようなことでもあれば、専属ではないにせよ居合わせたトレーナーにも責任は求められる。
今のところ、周囲を威圧するような言動こそ見られはしたものの、試走という名目に反した行動自体はとっていないウマ娘たちに、レース中断を強要することも出来ない。
先ほど黒ジャージのウマ娘とケンカ腰でジャングルポケットがやり取りしていた時も、またこれから始まるレースの中でラフプレーが起きるのではないかと案じられる今も、鷹木とキングヘイローはやきもきしながら見つめるしかなかった。
キングヘイローも練習するウマ娘の側として自分自身がいれば負けじとレースに参加していただろうが、トレーナー側の立場で居合わせるのも慣れないことだったろう。
「まぁ、他のトレーナー達も何も言ってないし、片桐もニヤニヤしながら見てるだけだろうし……あれ?片桐トレーナー?」
「……居られませんわね。こういう場にこそ、居ていただけると心強いんですが。」
つい先ほどまで傍に居たはずの片桐の姿はない。様々な非公式、非認可の状況で抜け道を見出す曲者トレーナーは、そもそもこの場所からそそくさと姿をくらましていた。
練習コース上では、早くも対抗レースの参加者4名がそれぞれのスタート位置についている。
一周2000mのターフのトラックを、半周ずつリレーして競う形となったらしい。手前側のスタート位置ではタップダンスシチー、そしてピンクに毛並みを染めたウマ娘が並んでいる。
奥に見える、いわば向こう正面の直線ではジャングルポケットと、水色に毛並みを染めたウマ娘がスタンバイしていた。こうして遠くに見ると、ジャングルポケットは小柄に見えた……すぐ近くにいるタップダンスシチーの体格の大きさが際立つためでもあったが。
「Wait、レースにはスターティングのサインが必要じゃないか。誰か、スターターをやってくれる奴はいないのか?」
「あ?いいだろ別に、せーので走り出せば。今からその役まで探すのは面倒くせーぜ、散々呼びかけて、どいつもこいつも引っ込んでんだからよ。」
タップダンスシチーの言葉に、ピンク髪のウマ娘が答えている。とはいえ、レースを行うウマ娘自身に合図を委ねては、スタートを仕切った者のタイミングに合わせることとなり、公平なスタートにならない。
それも見越してスターター役が不要だとの言葉が出たのだろうが、タップダンスシチーはすかさずキングヘイローへと目をつけた。
「Oh、居たじゃないか、一番のウマ娘が!キングヘイロー!スターターを頼むよ!」
「し……仕方ないですわね。」
ここでスターターの役を買って出れば、この非公認で行われる対抗レースの実施をいよいよ自らハッキリと認めたことになる。
鷹木であれば自分の姿を消すように引っ込んでいただろうが、そこで引き下がるキングヘイローではなかった。むしろ自分がレースの仕切りを引き受けることで、このレースに参加したウマ娘たちの経歴に傷をつけるような評判を起こすまいとの思いが湧いたのだろう。
制止を無視して勝手にレースが行われたのではなく、キングヘイローが認めた中でレースを行ったとなれば、責任はキングヘイローが負うこととなる。間違いなく、後進のウマ娘たちを守る選択であった。
「位置について、よーい……ドン!」
タップダンスシチーと、黒ジャージのピンク髪ウマ娘は同時にスタートする。
が、流石に体格差、踏み出す一歩の大きさが違う。タップダンスシチーは早々に前に出て、凄まじい加速でピンク髪のウマ娘を引き離し始めた。タップに引き離されるウマ娘も全力で追ってはいるものの、まるで追いつける様子が無い。
本来はピッチ走法、回転数の速い走りの方が加速に優れているはずであったが、小手先の技術体系でどうにかできる能力差ではないのだ。トレセン学園への入学を決めるウマ娘は、それ相応に普通ではない身体能力を鍛え上げていた。
とはいえ、幾度もGⅠレースに出走したウマ娘を見てきた鷹木には、その走りの至らぬ部分もはっきりと見えていた。
「ペースが定まってないな。正確には測れないが、1ハロン通過ごとのタイムを計測すれば、バラバラになるはずだ。」
「それはトレセン入学後、おいおい練習で身に着けていってもらうべき部分ではありますけれど……果たして、あのタイプの子が聞き入れてくれるかは疑問ですわね。」
キングヘイローも、タップダンスシチーの走りを見ながら答える。
走り始める前の印象の通り、タップダンスシチーは自らが楽しく笑っていられることを身上とするウマ娘であるのだろう。時おりはっきりと見て取れるほどに足を緩め、後ろから懸命に追ってくる黒ジャージを振り返っては、突き放すように急加速することを繰り返している。
「彼女なりのスタミナ管理……か?」
「だとしたら、無駄の多い走りになってしまうことは避けられませんわ。競争相手に、自らの能力を見せつけるという目的は間違いなく達せているでしょうけれど。」
キングヘイローの表情が多少なりと曇っていたのは、レースに真摯に向き合うことを優先する彼女の信条に、目の前の状況が反していたためだろう。トレセン学園のレベルを舐めて踏み込んできた黒ジャージウマ娘に、格の違いを味わわせていたことは間違いなかったが。
それは後続のジャングルポケットにリレーを継ぐ時にも見られた振る舞いであった。
バトンやタスキは用意されなかったので、掌を叩くことでバトンタッチの代わりとしていたが、ジャングルポケットが差し出した手に十分届く間合いまで来ても、タップダンスシチーはなかなかタッチしない。
ふざけるように両手を頭上に掲げ、身長差もあってなかなか届かないジャングルポケットと戯れるようにぴょんぴょんと跳びはねている内に、ピンク髪のウマ娘が追いついてきた。
「楽しそうにレースを走るのは何よりなんだが、あれはまた指導に苦労しそうなウマ娘だな……。」
「自らの実力に拮抗し、あるいは超えてくるようなウマ娘とぶつかり合えば、本気を見せてくれるかもしれませんけれどね。」
結局、タップダンスシチーは対戦相手に大差をつけていたにも関わらず、ジャングルポケットにバトンタッチしたのは追いつかれてからのことであった。すなわち、ジャングルポケットが黒ジャージのウマ娘と同時にスタートできるタイミングである。
ジャングルポケットの対戦相手は水色に染めた髪を、額の上に集めて固めたスタイル……いわばいまどき珍しいリーゼントを作っていた。ゴール時、少しでも自分が優勢に見えるようにとの工夫でもあるのだろう。本来は胸元で勝ちは判定されるのだが。
しかし、こちらは多少なりと実力も伴っていたらしい。ジャングルポケットが多少遅れてスタートしたのを見越して、彼女が追い越せないよう前方を塞ぐように細かくコースを切り替えて走っている。
「あれだけ細かく後方からの接近をブロックできるのは、かなり脚運びを練習した証だな。気軽に真似しようとしても、大抵は足がもつれて転ぶ。」
「集団に呑まれそうになりながら走る練習を、今まで続けてきたのでしょう。レース本番では、斜行とされて降着扱いにされてしまいますけれど。」
決して行儀が良いとは言えない地元の仲間たちと、あるいは対抗するライバルのチームと、河原の土手や荒れた空き地でレースに明け暮れていたのだろう。
コースを譲っていてはアッサリ追い越されてしまいかねない中、細やかに走りを切り替えながら追い越させまいとジャングルポケットをブロックし続ける様は、鷹木の目にも鮮やかな脚さばきとして映った。
キングが言った通り、競争相手への明確な妨害をレースで行うウマ娘がそうそう居ないためであったが。
「とはいえ、スピードは出ないな。ラフプレー上等の空き地レースは、相手をブロックしたり、逆に相手からのブロックを抜けたりするための脚運びで、ほとんどのスタミナを費やしてしまうんだろう。」
「もしかすると、ジャングルポケットさん、そんな競い合いでは公式のレースで通用しないことを悟り、あのお仲間さんたちのもとから去ったのかもしれませんわね。」
小手先の技術、手っ取り早い結果を得るためだけの駆け引き。そればかりに終始していては、狭い界隈での勝利は得られても、全国、そしてその先にある世界の舞台へと踏み出していくだけの地の力はつかない。
純粋なスピードやスタミナを鍛える道を選んだジャングルポケットは、黒ジャージのウマ娘による執拗なブロックから抜け出す技術を確かに身につけることが出来ていないようだった。
……が、それでもジャングルポケットは、もとより彼女らと同じ場所にいたのだ。
「ッッらァァ!!」
突如、響き渡る怒号。まださほど近くまで来ていないにもかかわらず、この場に居る全員が思わず耳を塞いだ大喝は、ジャングルポケットの口から発せられたものだった。
ジャングルポケットの声は校舎の窓をビリビリと震わせ、反響して二度三度とグラウンド上を渡っていく。
ウマ娘は、人間以上に聴覚が敏感である。鷹木の隣にいたキングヘイローも思わず耳を伏せて顔を背けていた。そして、ジャングルポケットのすぐ前でブロックし続けていた黒ジャージのウマ娘は、完全に怯んでコースの内側を空けてしまっていた。
すかさず、前へと抜け出すジャングルポケット。見る間に競争相手を置き去って、それまで温存していたスタミナを爆発させるように、猛加速とともにコーナーを回りゴールへと驀進していった。
「……今のは、対抗レースの中の振る舞いとして、やってよろしいんでしょうか……?」
「まぁ、力を振り絞った時、どうしても叫んでしまうウマ娘もいるし……実際のレース場だと、観客席からの声援が凄い音量になってるし……。」
確かに本番のウマ娘レース場は大歓声に包まれることばかりであり、その声量に怯まないで常通りのパフォーマンスを発揮することもウマ娘に求められる胆力ではあった。
とはいえ、すぐ背後のジャングルポケットから、唐突に浴びせられた怒鳴り声は十分すぎる衝撃を伴っていただろう。
当然のように悠々と一着でゴールしたジャングルポケットに遅れ、走ってきた黒ジャージのウマ娘は耳を抑えており、ゴールラインを踏んですぐに文句を言い始めた。
「ポッケ、てめぇ!反則だろ、反則!やり直しだ、今のレース!」
「あ?気合い入ったから、ちっとばかし声が出ちまっただけじゃねーか。俺の覇気にビビッちまう程度の奴が弱ぇだけだろ。」
「ふざけんな!おい、お前も何か言え……」
水色の髪をリーゼントにまとめたウマ娘は、今しがたタップダンスシチーと連れ立ってこちらに戻ってきたピンク髪のウマ娘を振り返る。
が、そちらは何やらタップダンスシチーと親しげに話し込んでいる様子だった。先ほど見せつけられた圧倒的な走り、そして自分がバトンタッチするまで待っていたタップの気概に、すっかり魅せられてしまったのだろう。
「……へー、アメリカから独りで来て、言葉も自力で勉強したのか。アンタすげーな。」
「Yes!今はわたしの仲間だけで、誰にも邪魔されずつるんでいられる城を作りたいと思っているんだ、仲間はいつでも募集中さ!」
「マジか、地元から遠くなけりゃ、行ってみよっかな。」
「おいコラ!ヘラヘラしてんじゃねぇ!今のは無効レースだ、お前もそう思うだろ!」
「あぁ、悪ぃ、まぁ、そう、かな……。」
リーゼントのウマ娘から怒鳴りつけられ、ピンク髪のウマ娘は気まずそうに視線を逸らしている。彼女としては、実力差も歴然となったところで、さっさと退散したいというのが本心だろう。
鷹木も黒ジャージのウマ娘たちが不満を述べ立ててくるだろうことは充分に想定できたが、これ以上、グラウンドの練習コースを占有されてしまうのは認めがたい。とはいえ、完全に気が立った状態の不良ウマ娘にいかなる声を掛けるべきか、心得てはいない。
辛うじて、キングヘイローが気を取り直し、躊躇いながらも意を決して声を掛けようとしたとき、練習コースの方から響いたのは片桐トレーナーの声であった。
「お、ちょうどよく集まっておられますね、皆さん。続きましてはかの世紀末覇王の最大の宿敵、メイショウドトウと併走練習なんていかがでしょう?元気よく走るウマ娘を見て、こちらも走る気が湧き出てきてしまったようです、ね、ドトウ?」
「んむ。」
メイショウドトウは、ちょうど片桐から渡された飲料水を一口含んだところであった。いつものぽやんと開いている口はきゅっと結ばれ、周囲から一斉に視線を浴びたことで緊張した表情が、自ずから凛々しい顔つきを作っていた。
さしもの不良ウマ娘たちも、この存在感には圧されてしまったらしい。去年の末に引退したばかり、ただでさえウマ娘の中でも随一の胴回りを誇る鍛え上げられたドトウの肉体は、近くで見れば見るほどに堂々たる風格を備えていた。
もちろん、タップダンスシチーもジャングルポケットも、この片桐トレーナーからの提案に乗らぬはずがない。
「So Exciting!ドトウ、あのメイショウドトウと、私が走れるのか!?」
「マジか、来て良かったぜ、今日!本気の全力で頼むぜ、ドトウ先輩!」
「あ、ど、ども、よろしく、ですぅ……」
メイショウドトウはどやどやと集まってくる他のウマ娘や付き添いの者たちに取り囲まれて何か小声で喋っていたが、それ以上は喧噪の中に埋もれて聞こえなかった。
すっかりドトウがこの場の注目の中心となってしまったことで、先ほどのレースの雰囲気は流れ、黒ジャージのウマ娘たちは不服そうな表情だけを残し、この場に背を向けてスタスタ去っていく。
キングヘイローは少し彼女らの後を追いかけたが、数歩進んだあたりで脚を止めた。
「先ほどのあの子達の走りも讃えたい、と思ったのですけれど……私の口から告げても、純粋な賞賛としては、受け止められないでしょうか。」
「レベルの差が、あまりにも大きすぎるからな。」
全てのウマ娘が、その夢や野望を叶えることが理想ではあるが……明確に勝敗の決する世界に向けて研鑽を積む中、トレセン学園への入学にすら手の届かないウマ娘たちにまで手を差し伸べることは、学園所属のトレーナーに可能なことではない。
鷹木とキングは、トレセン学園所属のウマ娘指導を優先するトレーナーとしての立場からも、無言で見送るしかなかった。