探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 すっかり進学するつもりで学園生活を送っていたヒシミラクルが、唐突に専属の担当トレーナーが決まり、他でもないGⅠウマ娘の先輩、アグネスタキオンと共に練習する日々を現実視出来ないのは当然のことであった。と同時に、鷹木トレーナーの側も、そんなヒシミラクルにレースへと意欲を向けさせることについては存分に苦心するだろうことは想像に難くない。単純なサボりや能力不足などではなく、ほどほどに走ってレースをこなすことが心身ともに染みついているだけに、いかにして「その気」を起こすか、という課題は容易なことではない。が、アグネスタキオンはこの後輩に何かを見出したのか、彼女との合同練習には大いに前向きであった。


脚光は非現実の標、まだ遠くも

 先輩ウマ娘であるアグネスタキオンと、この日から指導担当となった鷹木トレーナーの後について、練習用グラウンドへと向かうヒシミラクル。

 

 先ほどまで居たトレーニングルームから距離にして数十メートル程度の移動に過ぎなかったが、その道中でミラ子は、普段よくお喋りしているクラスメイトたちと会った。

 

 1月、この時期に担当トレーナーが決まっていないウマ娘は、レースではなく進学や就職へと進む道が確定しているようなものである。現に先日の進路相談を経て彼女らも将来の道を決めたのか、制服姿で参考書類を抱えて教室へ向かう最中であった。

 

「あ……」

 

 学園内でばったり出くわせば、自然に彼女らと合流し、同じ場所に向かうのが通例になっていたミラ子。

 

 だが今、運動用のジャージを着こんでいるのは自分だけだった。ミラ子の思い描いていた将来設計そのままに今日まで来ていれば、今ごろはいつものメンツで談笑しながらダラダラと教室に向かっていた頃だろうに。

 

 歩調を緩めれば、自分を先導するタキオンとトレーナーからの距離が開く。

 

 さすがに皐月賞を獲った先輩の意向を無視するほど、ミラ子も無神経ではない。足を止めて友と語らっている暇はない。

 

 自分とクラスメイト達の間に、埋めようもない断絶が広がったかのようにも思えた……が、その矢先、ミラ子に気づいたクラスメイト達はパッと表情を明るくし、手を振って朗らかな声を上げた。

 

「担当トレーナーついたって、マジだったじゃん!すご!」

 

「がんば!ミラ子!」

 

 彼女らがヒシミラクルに向ける表情や声には、いっさいの躊躇も曇りもなかった。自分たちと立場がまるで異なってしまったことに対する、気まずさも皆無であった。

 

 本当の意味での普通のウマ娘たちにとっても、自然と純粋な賞賛が追随する出来事なのだ……担当トレーナーが専属で指導する立場になることは。いずれ、条件戦、オープンクラスを超え、GⅢ、GⅡ、GⅠのレースへと踏みこめるだけの将来性を見出されたことについても、言うまでもない。

 

 “他ウマ事”でしかなかった状況が、自分たちのすぐ身近に訪れたという事実。ミラ子のクラスメイト達は、単にミラ子が練習に向かうだけの姿に対しても声援を送りたいと感じていたのだ。

 

 呼応するかのように、自然と表情が緩んだヒシミラクルも、舌のこわばりが解けたかのように声を返す。

 

「へへー、ま、あんま期待せずに見ててよー。」

 

「いやいや期待するねぇ!キミたちも覚えておきたまえ、この私、アグネスタキオンが彼女に特異点の素質をまず見出したのだということを!確かに学園理事長が正式にヒシミラクルくんへトレーナーをつけることを決定したのは事実だが、そも昨年の夏終わりに私は既にヒシミラクル君のポテンシャルには気づいていたねぇ!覚えているかいトレーナーくん!9月ごろに語り合ったろう!」

 

「あぁ、うん、覚えてる、覚えてるから、ちょっと声のボリューム下げろ。」

 

 ミラ子とクラスメイトたちのほんわかしたやり取りに、何の前触れもなく飛び込んでいったアグネスタキオンを鷹木は引き戻しながらグラウンドへと向かう。

 

 トレセン学園では一番、普通から遠いであろう先輩ウマ娘の剣幕を前に、微苦笑を浮かべつつ距離を取っているウマ娘たち。が、ミラ子もまた苦笑いしつつ鷹木トレーナーに連れられながら手を振った時、彼女らもあらためて笑顔を返した。

 

 ほどほどの戦績だけを手に、レースから身を引く潮時を探ることばかりを考えていたミラ子の思いが……ほんの少しだけ、後押しされた一幕であった。

 

 校舎に囲まれた中央グラウンドは、昨年と比べれば練習するウマ娘たちの姿も明確に少なく、まばらになっている。言わずもがな今の時期は、本格的にレースの道へと進むことを決めた者だけが残っているためだ。

 

 鷹木はスタート位置を指さしながら、タキオンとミラ子に告げる。

 

「外回りコース、右回り、2200mの設定で走ってもらう。スタート位置は平坦な直線から、向こう正面の出口付近で坂道が来るような構成だ。」

 

「京都レース場の芝2200に近いコース構成だねぇ。ヒシミラクルくん、キミは確か、中距離以上の長さを走っていなかったねぇ?」

 

「えぇまぁ、あんまり消耗しないように、ですねー……。」

 

 タキオンに問われ、ヒシミラクルは頷く。昨年の出走レースは最長でも1800m、それよりも長い距離のレースに出なかった理由は、たった今答えた通りである。

 

 ひとまず将来の進路に有利なように、走った実績だけあればいい。そのためにレースに出ているのだから、わざわざ身体を疲弊させるほどの走りまでしなくていい、とミラ子は考えていた。

 

 そう考えつつも、心の底ではもう少し長ければ先頭を捉えられたかもしれない……特に、10月末、11月初頭に行った、最後の2レースはそう思える展開ではあった。

 

 アグネスタキオンも、鷹木トレーナーも、そんなミラ子の脚質は既に見抜いていたらしい。

 

「ならば、中長距離ではキミの強みを活かせるかもしれないねぇ。この私をも差し切ってしまうかもしれないねぇ!」

 

「いやいやいや……んなわけないですよ、いや謙遜とかじゃなくて、ほんまに……。」

 

 いくらなんでも、と首を横に振るミラ子であったが、まだ併走が始まる前からタキオンは既に確定したように互いの走り方を述べていた。すなわち、自分よりも後ろにつけるペースでミラ子が走る……と。

 

 様々な可能性を仮説に入れるタキオンでも、ミラ子の走り方は他に選択肢がないと見ていたのだ。

 

 両者がスタート位置についたのを確認し、鷹木がストップウォッチを構えながら合図する。

 

「では、併走始めるぞ。用意……スタート!」

 

 タキオンのスタートに、ミラ子は暫し見惚れていた。

 

 もちろん、ミラ子自身も脚を止めていたわけではなく、合図と共に駆けだしていたが、意識は完全にアグネスタキオンの足取りへと持っていかれていた。

 

「ほぇー、これが皐月賞と天皇賞を獲った先輩のスタートダッシュなんやねぇ。」

 

 GⅠレースを走る先輩との併走がいよいよ始まったというのに、自身の脚運びだけで必死にならず、緊張感と無縁でいられるのはヒシミラクルの長所だ。

 

 鷹木はそう考えながらも、あまりにまったりとしたペースで進むミラ子が、見る間にタキオンから引き離されていく様を見つめていた。

 

「素質は、間違いなくあるんだ、本番レースでは普段と空気感も違うし……だが練習ともなると、あんなにもエンジンの掛かりが遅くなるのか……。」

 

 昨年出走したレースでも、ヒシミラクルはいずれも後方からのスタートであった。

 

 前から10番手付近につけ、時にはそのまま十着前後の結果でゴールすることもあったが、二着、三着にまで駆け上がってくる結果も示している。

 

 それゆえ、期待されるのは差し・追い込みの脚質だった。仕掛けどころさえ誤らなければ、そして加速に十分な距離があれば、先頭に躍り出てゴールすることも現実的だと鷹木は推測していた、のだが。

 

「勝てないことでヘコんだりしないのは、長所ではあるが、闘争心にも火がつかないってことでもあるよな……。」

 

 タキオンは既にコーナーを回り切って向こう正面へと差し掛かろうとしていたが、一方のヒシミラクルはようやく1,2コーナーの中間点に差し掛かったあたりである。

 

 引き離されたからと焦って無理なペースへ引き上げるのも悪手ではあったが、あまりに緊張感無くマイペースに流していても、それはそれで追いつけないほどのリードを広げられるばかりだ。

 

 すでに、いや最初から、ミラ子はタキオンに追いつくことなど考えず、疲れない程度に走ることばかりに徹していると思われた。

 

「これはヒシミラクルが持てる能力の問題じゃない。トレーナーが、発破を掛けなければ。」

 

 と思ったところで、鷹木は熱血指導から程遠いトレーナーである。自身にも十分な自覚があるし、それにトレセン学園側もヒシミラクルに暑苦しいトレーナーをあてがったところで、反りが合わないと判断したから鷹木を指名したのだろう。

 

 はたらきかけ方の難しいウマ娘の担当を任されることはいつものことであったが、今回もまた相当に頭を悩ませることになりそうだ……そう考えていた鷹木の耳に、遠く小さく、しかし鋭い声が響いてきた。

 

 見れば、1コーナー側に近い校舎の窓が開いている。先ほど、練習グラウンドへ向かう途中で会った、ミラ子のクラスメイトたちが顔を出し、口々に叫んでいた。

 

「おーいミラ子ー!しっかり走りなよー!!」

 

「手ぇ抜いてんのバレバレだぞー!」

 

 ヒシミラクル自身は、おそらく苦笑していただけだろう。鷹木の視点からは、既に向こう正面へと差し掛かっているミラ子の表情は見えない。

 

 が、ほぼ野次に近い声援を受けたミラ子の走りには、僅かに張りが取り戻されたようであった。まだ仕掛けるには早すぎると思われたが、じわじわと加速してタキオンとの間合いを詰めていく。

 

 その加速は向こう正面の出口、上り坂に差し掛かっても衰えなかった。

 

「いや、仕掛けるタイミング、早すぎることはない、むしろ、あれがヒシミラクルにとって最適な加速か……?」

 

 坂を下り、3コーナーを回りながらもヒシミラクルの加速は止まらない。まだ顔を見るには遠すぎたが、足取りにも苦しさや必死さは無い。

 

 かなりの大差が開いていた先行のアグネスタキオンとも、6バ身、5バ身と差が縮まっていく。いつしか、グラウンドのあちこちから視線が集まってくる。

 

 あの皐月賞ウマ娘、アグネスタキオンが走るからと練習コースを空けて休憩していた面々は、そのタキオンの背へと徐々に徐々に迫っていくヒシミラクルの追い上げへ釘付けになりつつある。

 

 走っている当のヒシミラクルは、むろんスピードに乗っていく感覚に昂揚は覚えていたが、同時にほんのりとした不安の芽生えをも感じていた。

 

(このままタキオンさんに追いついちゃったら、そんで、差し切って勝っちゃうところ、皆から見られたら……いよいよ後戻りできなくなるのかな……)

 

 トレセン学園卒業の学歴で楽しつつ、平凡な暮らしを送るという将来設計。

 

 そこから外れて、GⅠクラスのレースへと出走し、クラシック路線の三冠やシニア級の錚々たるタイトルを奪い合う、命がけの、本気の勝負の世界へと身を投じること。

 

 ミラ子には、自分がそれだけの覚悟を求められる状況を、まだ現実的に捉える身構えが出来ていなかった。

 

 ……とはいえ、まだまだその不安に直面するには早かったのだが。

 

「やっと、走る気を起こしてくれたようだねぇ!さぁ、ついてきたまえ!新たなる可能性の世界へ!」

 

「えっ。」

 

 ここまでの走りはタキオンなりに、後輩のやる気を慮っての走りだったのだろう。

 

 ミラ子がその気になってくれたのならば十分、と言わんばかりにアグネスタキオンは最終直線へ差し掛かったとたん、本番レース顔負けの末脚を発揮した。

 

 実際には本番のGⅠレースほどの速度は出していなかったのかもしれないが、ミラ子の目からは、あたかもタキオンと自分の間の空間そのものが引き延ばされ、脚を動かすことと差を詰めることの因果関係が完全に切り離されたかのようにも見えた。

 

 休憩しながら併走練習の様を見学していたウマ娘たちやトレーナーたちからも、おぉ、とどよめきの声が上がる。

 

 風を切る音とともにタキオンが鷹木の目の前を走り抜けた後、数秒遅れでゴールしたミラ子にはパラパラとまばらな拍手が送られた。ミラ子は汗をぬぐいつつも、想定された通りの結果を前に、どこか安堵していた。

 

「ひぃー、びっくりするじゃないですかぁ、いきなり本気出さないでくださいよタキオンさんー……。」

 

「キミならば十分についてこれると踏んだのだがねぇ。しかし随分とスパートをかけるのが遅かったようじゃないか、ヒシミラクルくんはもっともっと早くから加速を始めなければならないと思うがねぇ、どうだいトレーナーくん。」

 

 タキオンの言葉をミラ子はそこまで本気で受け取っていなかったが、鷹木の表情は真剣であった。

 

 確かにタイムこそタキオンに大きく遅れる計測結果であったが、まだまだ伸びる余地があることを加味すれば、たった今の最終直線、タキオンに引っ張られるようにして発揮したミラ子の末脚は、十分であった。

 

 何よりも、ほぼ本気で走り終えたばかりだというのに今、まるで息切れした様子もなく普通に喋ることが出来ている点は、ヒシミラクルの持久力にも強みを見出せる材料だった。

 

「あぁ、今回の併走については何も言葉を掛けず、ただ走らせた俺も良くなかった。今後はどのタイミングで仕掛け、どれほどの速力で進めるべきか、明瞭に伝えながら走ってもらおう。」

 

「マジですかぁ、じゃあまたスタート位置に行きます?」

 

 タオルで汗を拭き終えたヒシミラクルは、息を整え終えて再び先ほどのスタート地点へと足を向けかける。

 

 その様を目の当たりにした鷹木は目を丸く見開き、同じくタキオンも目を見開きつつも今度は大きく口角を引き上げていた。併走直後ゆえに休憩を挟むつもりだった矢先、ヒシミラクルはまだ走ろうとしているのだ。

 

「おや!休憩なしでさらに走る気力があるのかねぇ!?聞いたかいトレーナーくん!やはりヒシミラクルくんは特異点ではないだろうか!尋常ならざるスタミナだ、3000mを超える長距離レースは彼女の独壇場になり得るねぇ!」

 

「え、あ、ちゃ、ちゃうくて、休憩できるんなら、そりゃよろこんで休憩しますよぉ、えぇ。」

 

 慌ててヒシミラクルはタキオンと鷹木の元へと引き返し、さも疲れたかのように再びタオルを首に掛けて汗を拭く仕草を見せている。疲労が蓄積することを厭うのは、ミラ子も他のウマ娘と同様である。

 

 鷹木は未だにあんぐりと口を開いたままであったが、そんなトレーナーなどお構いなしにタキオンはミラ子を先ほどまで居たトレーニングルームへ誘う。

 

「そうしたまえ、ちょうど今の休憩時間、キミにも見せたいレース中継があるからねぇ。タップダンスシチー、という名は聞いたことがあるかい?」

 

「え、えぇとぉ、ちょっと存じ上げませんねー、スミマセン、勉強不足で……。」

 

「致し方あるまい、彼女は一度だけオープン戦を走った以外は条件戦にしか出走していないウマ娘だ、それに昨年は怪我で長期間休養していたからねぇ。だが今日、タップくんはGⅡの日経新春杯へと出走する!期待しておきたまえ、彼女もまた私が特異点と見込んだウマ娘だからねぇ!」

 

「へぇー、そうなんですねー……。」

 

 口を開けば「特異点」の語が飛び出してくる、この押しもクセも強い先輩ウマ娘についていくだけで、これまでの日常に無い場所へと着くのかもしれない。

 

 タキオンが饒舌に語っている具体的内容をまるで掴めないミラ子は、うすぼんやりとそんなことだけを考えていた。確かにアグネスタキオンという存在は、既に鷹木トレーナーを非現実への扉のもとへと案内してはいた。

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