タップダンスシチーは、昨年最後に出走したレース、江坂特別で二着という結果こそ残していたものの、それまで続けてきた練習の成果が出たとは言い難い状況であった。
本来タップダンスシチーが目指していたのは、他の競走相手との瞬発力勝負に持ち込まれることなく、スタートからゴールまで自分のペースを貫き、正確に速度を維持し続けて走り抜くスタイルである。恵まれた体格ゆえにブロックされづらいタップが、その強みを最も活かせる作戦であった。
とはいえ、有馬記念の同日に行われた江坂特別にて、観客たちの興味を有馬記念から引きはがすほどのレースを披露できた記憶は、実に愉快なものであったらしいが。
「Eyy,Trainer!今日も私が最後方からブチ抜いて、観客どもの度肝を抜いてやるってのはどうだ!」
「それが成し遂げられれば確かに観客席は大いに沸き立つでしょうが、さすがにGⅡレースである日経新春杯、同じことをやらせてはもらえないでしょう。」
レース場へ向かうバスの中、片桐トレーナーはタップダンスシチーが投げかけてくる冗談を笑って受け止めつつも、いよいよ迫る発走時刻を前にして目の色は真剣であった。
年が明けて1月13日、今年最初の出走は京都レース場で行われる日経新春杯、芝2400mのレースである。
これまでほとんど条件戦ばかりしか走っていなかったタップダンスシチーにとって、GⅡレースへの出走権を得られた今回は大きなチャンスには違いない。が、同時に、難度の高い挑戦でもあった。
条件戦ですら勝てていないウマ娘が、オープンクラス、GⅢクラスを超えて、GⅡへ挑むのだ。
「今回こそ、タップ、あなたがずっと磨き続けてきた走りがどこまで通用するか、確かめる場です。2400を走り抜くペースを、身体に叩きこんできたのはそのためです。」
「Needless to say、わたしのペースがどれほど正確か、先輩連中に見せつけてビビらせてやる!」
この日経新春杯の出走条件はシニア級以上、すなわちトレセン学園2年目以降のウマ娘に参加資格がある。周囲よりも一年遅れで入学したタップには、実質自分よりも年下の競走相手もいたが、それでもベテラン揃いのレースには違いない。
かの覇王世代とも競い合ったラスカルスズカやホットシークレット、そしてまさにタップが江坂特別を走っていた同日の有馬記念に出走していたトウカイオーザまで、実力や実績の伴ったウマ娘たちの名がずらりと並んでいる。
彼女ら個々が十分な経験を持っているだけに、正確な速度を維持するタップの走りが彼女らのペースづくりにおいて、さほど大きな助けになるわけでもないことは相対的な利点であった。
「……おや、わざわざタップが出走することを宣伝したわけでもないのに、応援のメッセージを送りつけてくるのは……例の彼女ですね。」
「Tachyon!あのScientist、またわたしを煽るってのかぁ!?」
好戦的な色を瞳に輝かせつつ、満面の笑みでタップダンスシチーは揺れるバスの中、片桐の構えているスマホ画面を覗き込む。
そこにあったのは、メッセージの文面とともに添付された一枚の画像であった。タップダンスシチーにとっては初見の、見知らぬ葦毛ウマ娘がタキオンと並んで映っている。
〈初のGⅡレース、せいぜい頑張りたまえタップくん!私はトレセン学園から、可愛い後輩とともにレース中継を観戦させてもらうねぇ!将来有望な後輩にも希望を持たせられるよう、くれぐれも頼んだねぇ!〉
いつも通りに上から目線なタキオンなりの応援にならび、ついでにタキオンなりに後輩を得た嬉しさを伝えたかったのだろう。
強引にタキオンの自撮りに巻き込まれたのだろう、ふっくらした髪型の葦毛ウマ娘は、苦笑のような半笑いのような、微妙な笑みとともにカメラに写っていた。
「言われるまでもないぜタキオン!けど、Who's that?タキオンにわざわざつき合う後輩なんか、普通居ないだろ。」
「ああ、ヒシミラクルですね。鷹木トレーナーが新たに担当することが決まったとの話、小耳に挟みました。いよいよ彼も、複数ウマ娘の指導者だとは。こちらも負けていられません。」
「Ha!なら、わたしの走りがあまりにレベル高すぎて、むしろやる気を失くしちまわないように気をつけろ、とだけ返信しといてくれ!」
タップダンスシチーが知りもしなかったウマ娘の名を、片桐はスラスラと述べた。常通りに情報収集については抜け目なく、そして片桐トレーナー自身の闘志も既にかきたてられていたようだ。
条件戦続きの昨年から、いきなりGⅡの世界へと飛び込むにもかかわらず、タップダンスシチーも片桐も戦意は充分な状態で京都レース場へと入っていった。
同じ頃、トレセン学園にて鷹木はタキオンとミラ子が並んでテレビ画面を見つめている背後で、スマホに届いたメッセージを確認していた。
つい先ほど、タップが片桐に頼んだ返信内容に、さらなる脚色が付け加えられた文面がスマホ画面に表示される。
「『タップダンスシチーの走りには大いに期待してください、むしろそちらの後輩ウマ娘さんがレベルの違いを見せつけられて戦意喪失してしまわれるかもしれません。鷹木トレーナーならばウマ娘のメンタルケアについても一流の腕をお持ちでしょうから、案じる必要もないでしょうがね。』……だってさ。」
「そんな文面をわざわざ担当ウマ娘に聞こえるよう声に出して読み上げている時点で、一流ではないねぇ。」
タキオンは鷹木に背を向けたまま、しかしニヤニヤしていることだけは伝わる語調で返す。必ずと言っていいほど、文面に収まらぬ域の意味を含ませた返答を寄越す片桐の言葉は、鷹木が単独で受け止めつづけるには少々荷が重かった。
そのため、ある程度以上の信頼関係が築けているタキオンに聞かせ、片桐の意図するところが何であるか推量してもらう癖がついていたのだが、今はヒシミラクルも傍に居る事を鷹木は意識していなかった。
当のミラ子もまた、さほど意に介していない様子であったが。
「いやいや、わたしは戦意喪失するどころか、そもそも勝てるレースだと思ってませんから、GⅡなんて。」
「……あぁ、そうだろうな、ヒシミラクルにとっては。片桐も、1月という妙な時期になってようやく担当トレーナーが決まるウマ娘など、普通の性格じゃないとは勘付いてるだろうが。」
現に、今目の前でわりとくつろいでいるミラ子の様子を見るにつけても、“普通のウマ娘”というレッテルは貼りがたく思われた。
言うなれば、GⅠで勝利した先輩ウマ娘が真隣りに居て、また別の先輩ウマ娘がGⅡレースに出走する様子を一緒に観戦するという状況なのだ。普通ならば、緊張しっぱなしになる。
が、今、ミラ子は椅子の背もたれにすっかり背を預け、スポーツドリンクをまったりと飲みながら足を組んで画面を眺めていた。
「あぁ、だから私も言ったねぇ、ヒシミラクルくんは特異点の素質を有していると。きっと大物になるねぇ。」
「えぇー、そうですかね。私自身は、ふつーのウマ娘だと思ってるんですけど。」
ヒシミラクルの口調はのんびりしたままである。タキオンが意図しているところに気づかぬ様子であるあたり、洞察力に関してだけは普通だと言えなくもなかったが。
画面内ではいよいよゲートインが完了し、発走の時を迎えた。
〈晴天に恵まれました、新年の京都レース場。今年最初のGⅡレース、日経新春杯は全ウマ娘体勢完了……スタートしました!好スタートを切ったのはやはりホットシークレット、11枠からのスタートですが果敢に前に出て先手を取ります。まずは一周目スタンド前直線、600mもの距離をウマ娘たちが駆け抜けていきます。続いて2番手はラスカルスズカ、今日は先行寄りの位置、3番手にトップコマンダーと、この辺りは安定した位置取りとなっております。〉
長い長い京都レース場の直線にむけて競争相手達が駆けだしていく中、早くもタップダンスシチーの正確なペース配分は浮き彫りとなっていた。
勢いよく先頭の位置をとった面々を見送るように5番手から4番手あたりにつけたタップダンスシチーだが、その位置取り争いが落ち着いたころにはじわじわと前へ上がっていき、3番手に並ぶポジションとなっていた。
「タップさん、あんな早いタイミングから前に詰めていくんですか?まだ2000m以上も残ってるのに。」
「彼女は別に足を速めたわけではないねぇ。周囲のペースが落ち着いたから、一定の速度を維持しているタップくんが相対的に前へ出るような形となっているだけだねぇ。」
それは、今までタップダンスシチーが出走したレースでも幾度となく見られた状況であった。
逃げの位置取りを得意としているのではなく、一定の速度を維持し続けてゴールを目指す以上、自然と逃げ・先行の位置に来る。それがタップダンスシチーが磨き続けたスタイルであった。
〈最初のコーナーを回っていきます、先頭変わらずホットシークレット、続いてラスカルスズカ。3番手はトップコマンダーですが、その外に並びかけてk多のはタップダンスシチー。その後大ベテランのオースミブライト、さらにはヘッドシップが並び、トウカイオーザ、ブリリアントロードが中団後方についています。あとはノブレスオブリッジ、ヒシマジェスティ、最後方にシャープキックとプレジオが並ぶ形、各バ2コーナーを回って向こう正面を駆け抜けていきます。〉
シャープキックは昨年末の江坂特別にて、タップダンスシチーよりも更に後から追い上げてきて差し切り勝利、タップを二着とした因縁のウマ娘である。
タップ同様に江坂特別での戦績に勢いづいて今日も出走したようだったが、この日経新春杯ではGⅡの洗礼を受けていると言わざるを得ない状況となっていた。
「最後方の面々は、さすがに厳しそうだねぇ。先行する面々のレベルが高い、GⅠレースに幾度も顔を出している大先輩ばかりだ。」
「京都2400は、差しが得意なウマ娘でも厳しい勝負になりがちだからな。追い込みが得意なラスカルスズカですら、今日に限っては先行の位置につけているほどだ。」
画面を見つめてタキオンの言葉に返答しながらも、鷹木は早くも波乱の展開を予期していた。
向こう正面の坂を上り終えたが最後、下りつつも3コーナーへ入っていくところで一気に全体のペースは急加速する。現に今走っている面々も、後ろにつけていては追いつけなくなることを自覚しているだろう。
〈残り1000mを切りまして先頭は早くも3コーナーへ差し掛かろうという所、ホットシークレットが全体のペースを作って引っ張っていきますが、ここでオースミブライト早めに仕掛けた、4番手から3番手、2番手の位置にまで上がってくる!ヘッドシップ、ブリリアントロードも果敢に外を突いて前を目指す!前方にぐっと固まって混戦状態!トップコマンダーやトウカイオーザ、タップダンスシチーは多少順位を下げた!〉
やはり、勝負所では状況が大きく動く。
一度下り坂となって加速し始めれば、その状況で位置取りを変えるのは難しい。コーナーを曲がりながら足を速めつつ、更にコース取りにまで気を払わなければならないため、スタミナ消費も増してしまう。
そのために後方から駆けあがってきたウマ娘たちが先団へと殺到する形になり、もとより中団前方に控えていた面々はその集団の中に埋もれてしまっていた。
「うわぁー、タップさん完全に囲まれちゃいましたよ!あそこから抜け出るのはキツいんじゃないですかねぇ。」
「確かにねぇ。だが、他の競走相手たちは無茶なペースで加速しすぎだねぇ。一定の速度を維持し続けたタップくんの方が、スタミナの余裕は確実にあるだろうねぇ。」
自身が走る時と同様、タキオンはレース状況に並行して出走ウマ娘各々のスタミナ残量も計算し続けている。
走っているウマ娘たちの表情にも、スタミナの差は明らかに表れつつあった。十分に余裕ある顔つきを見せているのは、タップダンスシチー以外には歴戦のベテランウマ娘たちばかりである。
GⅠの舞台にも立った彼女らに及ぶとまでは、タップも自らの走りを過信してはいない。
が、条件戦ばかり走っていた自分が、十分に競い合えるだけの実力を既に身につけていることだけは、確かに感じ取っていた。
〈4コーナーを回り切っていよいよ残り400!最終直線へと向きました、先頭はホットシークレット!まだまだ粘っている、後方の集団をひき剥がしにかかる、ラスカルスズカもじりじりと下がっていくが、ここで喰らいついたのはタップダンスシチー!タップダンスシチー、先頭のホットシークレットに並び続けている、残り200!外からトップコマンダー、外からトップコマンダー!トウカイオーザも迫るが、外からトップコマンダーだ、華麗に差し切ってゴールイン!勝ったのはトップコマンダーです!〉
先頭にほぼ並んで、ホットシークレット、そしてタップダンスシチーが立て続けにゴールする。結果、タップダンスシチーは三着となっていた。
画面のなか、トップコマンダーの背後に映っているタップダンスシチーは満面の笑みで客席に手を振っている。
中継画面の前でまたも興奮のあまり、タキオンは恐ろしく大きな声を発していた。
「見たかい!!ヒシミラクルくん!!これまでのタップくんの戦績は、条件戦での勝利ばかり、まぁ言ってしまえばキミと大差ない!だが、自らの強み、脚質を理解して走れば、GⅡで勝利争いできるまでに通用するウマ娘となれるのだよ!!キミもきっと、そうなるだろう!!」
「そ、そうですかねぇ、そうなったら嬉しいですけどねぇ……。」
厳密には、昨年までヒシミラクルが挑み続けていたのは未勝利バ戦であり、何レースも経験を積んでいる先輩ウマ娘と競う可能性がある条件戦とは別物である。
その点ではタキオンが口にしたのは過言であったが、彼女らのやり取りを背後から見つめながら鷹木はあえて訂正を入れなかった。
担当初日から仮病を使って休もうとするヒシミラクルが、僅かでもやる気の片鱗を見つけるきっかけになればとも思えたし……タキオンが、タキオンなりに後輩の面倒を見ようとする思いもありありと伝わってきたためだ。